刻は、実験エリアにてイドと撃退士達が相見えた頃――
警備の担当エリアとして配置された一室は、妙な大型の機器が低音を響かせながら稼動し、それらに囲まれるようにして手術台と思わしきベッドが複数設置されていた。
(…気のせいか、上手く嵌められた気がするんですよね)
既知しない侵入路が無いかを確認していく最中に雫(
ja1894)は胸中で語散る。
「何してるのかな?」
また別の位置では、変化の無い笑みに収められた薄く淡い翡翠の眸が、忙しなく動き回る青年の姿を追う。
右往左往しながら、機材を特定の場所に移動させたり重ねたり、機器の角度を微妙にずらしたりと忙しなく動き回る若杉 英斗(
ja4230)は、Robin redbreast(
jb2203)から向けられた疑問に顔を向ける。
「ちょっとした仕込です。ココ気をつけてくださいね。踏んだら崩れると思うから」
「ああ、なるほどー」
●
それは前触れも無く、突如にして数条、通路と室内を隔てる両開きの電子施錠扉に斬線が走る。
「「「「「「!!」」」」」」
形状を保てず内部へと崩れ落ちる破片を踏みつけ、侵入を果たす人影。待ち構えていた撃退士達は即座に反応した。
「ん、ここは通行止めだよ♪」
気軽い調子でそう声をかける蒼いハイレグ水着姿の少女は、桜庭愛(
jc1977)。誰よりも通路側で待ち構えていた彼女は、笑みを浮かべ侵入者へと殺気を叩きつける。
尤も、示唆されていた悪魔とは姿が違っていたことに内心首を傾げて居たが。
相手は一見すると人間の青年に見える。だが、相対する身から滲み出る様に漂う、怖気を誘う昏く淀んだ魔の気配を隠す事無く放っていた。
「聞いていた悪魔とは別の奴だな。まあ、いいや。やる事は変わりない」
英斗の漏らした呟きは、この場の撃退士ら共通の認識であった。
『ふむ…備えがあるとは聞いて居ったが』
青年の姿を模した悪魔が、確認する様に呟く。
「二体目が居たという事ですか…。この時期にこの研究所を襲ってくる理由は…なんですか?」
不思議な輝きを放つ銃身を向け、雫が問う。しかし魔は答える事無く、仲間達の姿を順繰りに視線で捉えていく。
影が一つ愛の隣に進み出て、悪魔へと得物の切っ先を構える。
片刃の直刀を妖しく煌かせ、剣呑で楽しげな笑みを浮かべるのは鬼塚 刀夜(
jc2355)。暫らく前に、彼女は関与した依頼にて、目前の青年の姿と見かけていた。そして、彼が間違いなく故人である事を知っている。
「君は…そうか、あの時“喰った”姿か。なら間違いない、あの時の悪魔だよね」
以前の邂逅では、遊ぶ様にあしらわれた。だが今度はそうはさせない。心を謐かに、凪の境地へと。
(惜しむらくは正々堂々一対一で相手したい所だけど…)
この場にいるのが任務である以上、刀夜の我を通す訳には行かない。出来る事は、全力の殺意(ラヴ)を刃に込めて振るうだけかな。
開幕の呼鈴(ベル)は、双方の突進が告ぐ。
数多喰らった撃退士の骸の中に眠る技術と知識。それらの集大成を以ってルインズブレイドの全ての技を模倣する天魔。
振り下ろされる赤黒い大太刀を、高めたアウルを外殻の様に展開し、クロスさせた両腕で受け止める愛。
「お話し合いは無駄だよね。女の子なら名前ぐらい知りたいけど、これから串刺しになる悪魔に興味ないにゃあ」
起動する術式。周囲に招来される不動明王の退魔剣を模した刃が乱れ飛ぶ。
ギャギャギャイン――!
悪魔は飛び退り、大太刀で纏めて薙ぎ払い、打ち落とす。
闘気を乗せた雫の銃弾が奔り、魔の躰を穿つ。されど銃創は直様閉じ、悪魔は徒労を嗤う。
『無益な事』
放たれるイウタウィルの封砲を左右に分かれる様に躱した二つの影が、片や小さな翼で、片や地無き空を蹴り、翔ける。
「いきなりご挨拶ですね。なら、返答が必要かな?」
『む?』
一同の中でも頭一つ抜けた機動力で、瞬く間に間合いを詰めるエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)。
獣と人の連檄を受け、踏鞴を踏む悪魔。
「時代よ、俺に微笑みかけろ!アルカディア!!」
英斗の雄叫びと共に現れる6体の幻影。いずれも騎士装を纏った遜色らぬ美少女に、彼の理想というか願望が現れているようだ。
それはともかく、彼と幻影騎士らは放たれたアウルの砲撃を正面から邀え撃ち、そして小揺るぐ事も無く禦ぎきる。
(ぬ…あの童、かなり堅いのう…雄としては緩そうじゃが)
彼の堅固さに対する感嘆と同時、侍らす幻影の様子に若干の呆れが雑じる。
だが攻撃を受けた後も動かず、こちらの出方を謐かに見つめる青年の姿に、容易に抜けそうに無い事は確かと見て、周囲から削っていく方針を選んだ。
この身は刃、魂(こころ)は剣鬼――狂おしくも凍てつく、異相の剣。
刀夜とイウタウィルの刃が同時に振るわれ、打ち合う事無く互いの肉を削る。されど魔の傷は瞬く間に塞がり、彼女の腕には鋸上の刃によって曳き千切られた様な無残な斬痕が刻まれる。
『前におうた時にも言うたが…無駄じゃと』
「本当に無駄かどうかは、君を倒してから確かめるよ」
噴出す鮮血に頬を濡らしながら、彼女は唇を吊り上げた。
「貴方の動きから見て、目的は奥にある物のようですが…一体何なんですか?」
撃退士達の猛攻の中を、負う傷に意を払う事無く突き進む天魔の姿に、雫は銃撃を続けながら問い掛ける。
それに対し、悪魔は面に嘲笑を刻む。
『知とは秘されてこそ価値がある。…女童(わらべ)が知ったとて、何が変わろうか』
「…決め付けられるのは、不快です。私の剣で地べたに這い蹲ってからも同じ答えが聞けるかどうか、試してみるとしましょう」
紅い眸が、剣呑な光を宿す。
傷を負った仲間が治癒術にて出血を止める。その時間稼ぎに、気配を殺して接近して放つ雷撃の術で僅かに硬直する悪魔。
「傷がすぐ直っちゃうんだね?」
人の言葉で気を逸らせるとは思えないが、後退する間の序にRobinは声を掛ける。
チラリと彼女に目線を向け、取り合う価値も無いとばかりに鼻を鳴らして視線を戻す悪魔。
(やっぱり教えてくれないよね)
見れば仲間が傷を塞ぎ、再び悪魔に向かって行く。安全圏まで退いたとばかりに魔筆を振るう彼女の身から、溢れだす魔力がうねる毒蛇と成して敵に放たれた。
《Pi――》
停滞する中央。趨勢を見守りつつ援護を加えていた英斗の懐から、覚えのある電子音が漏れ出す。
(これは…アイツからか?)
別区画で件の悪魔を待ち構えている筈の従姉妹の通信番号を表示する画面。戦闘に意識を向けながら通信を開き――
《―――ッ!!》
途端に耳を劈く、聞き覚えのある声に一瞬意識が飛びかける。アイツの喚き声は一種の音波兵器に準じているのか?
《落ち着け、コッチは戦闘中で……何だって?》
興奮しているのか、捲くし立てる様な情報の奔流。掻い摘んで言えば、まず自分達の状況、外の混乱の様子、そして――辛うじて生き残っていた研究員から(シンパシーなどで無理矢理)取得した、全てではないが判明した依頼の内幕の事。
ばっ、と後背を振り返る英斗。閉ざされた扉の向こう側を透かし見る様に目を細め、再び正面へ向き直る。
(じゃあ、この奥には…)
『ええいっ! 鬱陶しいわっ!!』
青年の姿が崩れる。エイルズレトラの射ち込んだカードが爆裂し、傷跡から漏れ出る靄の様な魔力に追従するが如く全身が瞬きに物質化を解かれていく。
(今ッ!)
再物質化迄のタイムラグ。舞剣を引き連れ体当たりする様に仕掛ける愛。
『ぬおっ!?』
煌く翠の長髪を靡かせる長身の女性へと変化したイウタウィルが、不意を突く衝撃に吹き飛ばされ、その足が床を削り――
『のぉわぁ!!』
踏み止まろうと足をかけた機材が崩れ、体勢を崩して背中から床に落ちる。
「好機!」
堅牢な鎧すらも断ち切る、斬鉄の一閃を打ち下ろす刀夜。
『がはっ』
胴を半ばまで両断され、しかし即座に塞がる傷跡。構わず切り刻むエイルズレトラに、魔筆より具現化した魔象が襲い掛かる。
起き上がりかけた額に雫の弾丸が、咽喉笛に飛来する盾刃が切裂く。
「このまま一気に――!」
飛び掛り、関節を捉えようとする愛。だが、此処でそれが悪手と出る。
『百も生きれぬ童共が、儂を舐めすぎじゃ』
イウタウィルの器は、どれだけ実体に見えても本質は唯の“魔力”の塊。捉えられた関節部は一瞬実体化を解けばするりと拘束を抜け出し、長身の女の姿が彼らの視界から消え失せる。
「どこに消えかふっっ、えほっ!?」
いきなり咽喉奥に溢れかえる熱い物。反射的に圧さえた口元から、零れ出る紅に、愛は瞠目する。
背中から背骨の半ばを裂き、肺を貫いて胸から飛び出す大剣の刃。
『チッ、咄嗟では狙いが甘かったかのう』
心臓を串刺す心算だった一撃は幾らか外れて、それが即死を免れた一因だった。
「このっ!」
エイルズレトラが振るう仕込み刃を避け、同時に振るった大剣から脱けて吹き飛ぶ愛の躰は壁面に叩き付けられ、盛大な血の華を描く。
「Robinさん!」
「うん」
焦燥りを滲ませる英斗の声に、しかし呼ばれた彼女は至極落ち着いて戦場を回りこみ、横たわる愛を診て、治癒術を施す。
(これは戦闘復帰は無理かな。応急に傷を塞ぐ位にしかならないね)
「やってくれる!」
『次はおぬしじゃな』
前に進もうとする度、邪魔をしてくる二人の女童。残る片方の刀夜に、緑炎を纏う二連斬が叩き込まれる。
「く、かっ…これ、くらいっ!」
胸部を盛大に切裂かれ、噴出す血潮。構わず刀夜は刀を薙ぎ、更に刹那の斬り返しが悪魔を深々と刻む。
『ぐぬぅううっ…執拗いわ小娘ぇええええ!』
「やばっ、下がれ!」
背後から仕掛けていたエイルズレトラが何かに気づき、咄嗟にヒリュウを送還、警告と同時に自らも術を起動する。
ドンッ!!!!
吹き上がるのは輝く翡翠が如き火柱。その威力は凄まじく、床を灼き溶かし空気を焼き尽くし、地下ゆえに厚く頑強に作られていた筈の天井を大きく抉り取る。
咄嗟に空蝉で身代わりのジャケットが跡形もなく焼失するのを見やり、ひやりとするエイルズレトラ。あと数歩踏み込んでいたら巻き込まれていただろうRobinは、大事を取って更に幾らか距離を取る。
だが、位置的にどう足掻こうと避けられぬ者が居た。
「―――」
完全に意識を失い、躰の処々を黒く焦げ付かせて吹き飛ばされる刀夜の躰。辛うじて息はあったが、これも愛に負けず劣らずの重傷に違いなかった。床に堕ち投げ出される四肢は、もはやピクリとも動かない。
彼女ら二人が正面取り足止めしていた戦況は崩れ、英斗の眼前に迫るイウタウィル。
「お前、この先に何があるのか、知っているんだな?」
『何の事かの?』
大剣を浮遊する盾を操り受け止め、問いかける彼に、悪魔は白々しく返す。英斗は息を吐き、刃を押し返す。
「奥にいるのは、ココを攻めて来ると聞いていた悪魔――イドの母親、だろ?」
『ほうほう、それは知らなんだ』
薙ぎ払い、からの兜割。その悉くを受け陵ぎ、流しきって不動の体現と成す青年に、悪魔は驚嘆を隠しながら一旦身を退く。
「…何故お前が知っているのか聴いても…答える気は無さそうだな」
刹那、闇の逆十字が堕ち、魔の動きを僅かに押さえつける。
『ぬぅっ! この様な児戯、即座に跳ね除けて――ッ』
「構いません、その一瞬が欲しいのですから」
雫のアウルが獲物を捉えたその間隙、エイルズレトラの仕込みの刃が、Robinの筆先から迸る魔力が、英斗より放たれる盾刃が、
「「「―――ッ!!」」」
切裂き、喰らい衝き、圧し刻む。
『っ、ぐぅううっ!?』
ふわりと舞う小さな影が、英斗の肩に軽く片足を掛け、蹴り出す事で魔の眼前に姿を露す。
「…面にて圧します」
『――ッ、これしきが!!』
小柄な少女の手に振り下ろされし戦錬の大剣より、迸るアウルは地を削る三日月を模し、イウタウィルの身を削る。端から即座に再生されていくが、その為に消費する魔力はけして無限ではありえない。
そして再び、翠の火柱が人と魔を飲み込む様に渦巻き、轟きを上げた。
●
今度も身代わりを用い、回避したエイルズレトラの視界の中で、荒れ狂う翠の火柱の内部で、しかし英斗は一切微動だにせず、目前の悪魔を阻み在り続けた。
相撃って吹き飛ばされた雫が天井に叩き付けられ、堕ちてくる。地に剣を突き刺して即座に体勢を立て直す彼女に、Robinから治癒術が飛び、受けた火傷を癒して行く。
『…お主、何者じゃ? 冥界の砦壁とて吹き飛ばせる威力があるのじゃぞ、これは』
もはや表情を取り繕う事すらせず、驚愕を示すイウタウィルに、英斗はニヤリと哂う。
そして吹き上がる、真紅の翼を模したオーラ。負わせた傷が塞がって行く光景に、苦々しく顔を歪める悪魔。
「絶対にココは通さん。俺が盾として在る限りな」
悪魔は更に姿を変える。青銀のロングを翻し、流水の鎧を纏いて仕込み刃を、大剣を、魔術を弾き。
双剣となった刃を舞わせ、水竜巻が立ち昇る。鞭の様に、蛇の如くうねり伸びる剣穿が雫を、英斗を襲う。
だが、撃退士達が此処までに稼ぎ続けた時間は無駄ではなかった。
ボンッ!
『がっ、はっ、なん…じゃ、これ、は?!』
「――ッ、俺まで、殺す気、か…ッ」
突如、室内に飛来した黒の一閃。それは背後からイウタウィルを貫いて、英斗の盾に衝突し、盛大な打音を響かせる。
切り刻まれた扉の在った場所に複数の人影が現れ、その一つが何かを投擲した体勢のまま崩れ落ち、隣に居た人影が慌てて支える。
『…な…莫迦な、ぬしは人間に殺されておる、筈じゃ…』
自身を串刺しにする漆黒の斧槍。本来の持ち主の手を離れ、超重量と化したそれに蹌踉け、膝を着くイウタウィル。
「…殺し合うだけが私達ではない、という事です。さて、地に這い蹲ったのなら、もう一度問いましょうか?」
傷だらけの雫が、大剣を悪魔に突きつける。だが、それに悪魔は哄笑を上げて答えた。
『ぐはっ…かはっ、はっはははははっ!なるほど、お嬢が嫌う訳じゃわい…気に入らん、お主らの偽善、嘔吐が出るわッ!』
途端に形を崩し、赤黒い靄となって斧槍の拘束から抜け出すと、その直下に大きな黒い穴が突如現れる。それはワーム召喚時に用いられた、地下空洞へと繋がる物。
「ッ! 待ちなさい!」
『良かろう、此度はわしの負けじゃ! 人間、次は侮らぬ!』
かくして魔は去り、今回の騒乱は一時収まる。後に学園と撃退庁の間で何らかのやり取りが在ったが、それが表に出る事はなかった。
同時に、ある天魔の親子が学園に保護されたが、片や医療施設の緊急治療室、片や学園地下の留置所へと連行された事は、今回の依頼に関わった者達へ緘口令が敷かれる事となった――。