周囲の反応を面白そうに見回す少女の姿をした悪魔。囲む学生達が戸惑う中で、『ちょっと退いてー、通してー!』という声と共に群衆の中から飛び出してくる一人の女性は、相対した悪魔に、瞠目して声を上げた。
「憶えがある魔力だと思ったら、やっぱりディルキスじゃない」
『あら、フトマユちゃん、まだ生きてたのね♪』
「誰がフトマユかっ!?」
『違うの? 前にイドの戦闘を観戦してた事があって。後で彼に顔見知りの子はなんていうの?って聞いたら、《アレは「フトマユ」ダ》って』
「あいつっ、次会ったら泣かす!」
呻りを上げる彼女の名は六道 鈴音(
ja4192)。成人しても何処か幼さを残す容姿、眉だけは意志の強さを表すように太く、勝気な眸。ディルキスその他の悪魔に多少の面識があった。
「まあいいわ! ここで会ったが百年目っ……と言いたいトコロだけど」
昂ぶった気勢を、吐息と共に肩を竦めて。
「今、冥魔とは休戦中だからね。で、何しに来たのよ?」
「観光案内役が欲しい、だそうです」
後ろから、涼しげな容貌の青年が歩み出る。
「久しぶり、と返していいかな。確か数年前、四国多発ゲート展開の時に会った悪魔だね」
記憶を掠いながら言葉を選んだ龍崎海(
ja0565)に、暫し見つめた少女は、合点がいったと小さな手を打ち合わす。
『あぁ、あの時の。女の子を鎖で縛るのが趣味なお兄さんね♪』
「そんな趣味など無いっ!」
『あんなに激しくきつく、私を拘束しておいて……思い出したら、少し興奮して』
自身の両肩を包み込む様に抱き締め、身を震わせ上気した顔で海を見上げる少女。幼さに滲み出る妖艶さが、周囲一部によろしくないクリティカルを出す。
「いや何を言い出してるんだ君は! はっ?!」
思わず叫び返せば、唐突に怖気に取り付かれる海。原因は周囲より温度の下がった女生徒達の視線。傍らの鈴音も加わり、半眼のジトッとした物を向けていた。
「ああと、六道さん? 君もあの時一緒にいただろう? さっきも言った四国の時だ」
だが取り乱したのは一瞬、直ぐに我を取り戻し、やや声量を上げた会話で誤解の解消に努める。
「へ?……あ、そういえばあの時に足止めに。そうだったっ。一瞬特殊性癖の持ち主かと」
思い出し、気不味そうに視線を外らす鈴音に、海は疲れた表情で溜め息を吐く。
「違うから。皆さん、そう云う事ですので」
どうにか周囲が平常に戻り、内心でほっと胸を撫で下ろす。悪魔は口元を隠し、肩を震わせていた。
「ああ云う揶揄い方は止めてくれないかな……」
『ごめんなさい、無理♪』
青年の抗議は、いい笑顔と返されるのだった。
「何をやっているんですか、貴方達は」
「にゃはははは、面白い子だね〜」
今度は別の方向から近づいてくる、一見すると幼女に見えなくも無い小柄な少女と、朗らかな笑い声を上げる少女。
小さい方を雫(
ja1894)。その表情には感情という色が殆ど動かず、何処か人形じみた雰囲気が漂う。だが見た目にそぐわぬ、学園でも指折りの戦闘巧者である。
朗らかな方は桜庭愛(
jc1977)。無邪気さ、或いは純粋さを持った、正義を愛する女子プロレスラーでもある。
「貴女が降りてくる前に爆発音がありましたが、喧嘩でもしていたんですか?」
『ふふ、ちょっと暴れん坊が、やんちゃしてたのよ♪』
「おっきな音だったよね〜、思わずやじ馬にきちゃったよ」
探るような視線を向けてくる雫に、悪魔はにっこりと応える。背が低い雫は、悪魔を微かに見上げて問う形となっていた。
「そう、僕もそれが気になってきたんだよ」
更に会話に新たな声。一同が視線を向ければ、すらりとした女性が一人。現れた鬼塚 刀夜(
jc2355)は、爆発のあった場所を見上げていた。
(チラッとだけ見えたのって……でもそんな訳無いよね)
少し前の依頼で出た唯一の犠牲者。その姿に似ていた様な気がしたのだが。
「ま、今はいいかな。で、立候補はこれで全員?」
刀夜が確認する様に周囲を見回せば、興味深そうに様子を窺っていた生徒達だが、これ以上追加が出る気配はなく。
「なら、少し移動しようか。これ以上人通りを詰らせる必要も無いしね」
海が纏める様に声を上げ、そこに誰も異論を挟まなかった。
●
「観光案内ね? いいわ、それじゃファミレスに連れて行ってあげる」
勢い込む鈴音に、しかし携帯の時計を見た海から待ったが掛かる。
「ふむ、食事という文化観光というのはいいかもしれないけど、時間が早くないかな?」
それを聞いて、ぴょこぴょこと歩いていた愛が元気に手を上げる。
「はいは〜い! だったら先にとっておきの場所を案内するよ」
そうして愛が先導を始め、向かう通りを見た刀夜も口を挟む。
「僕が行こうとしてたお店もこの通りにあるんだ。道すがら寄って行かない?」
『賑やかなガイドさん達ね。お任せするわ♪』
「出来れば事前に連絡をお願いしたかったね」
商店街を歩く彼らは、自然と悪魔を中央に囲む形で移動していく。途中での海の苦言に少女は嗤う。
『思い付いた時に行くのが、観光の醍醐味よ?』
「だとしても、だ。これを、逸れた時の連絡用に持っていて欲しい」
隣を進む海が、徐に取り出した予備の携帯端末をディルキスの目の前に差し出す。
『なにかしら?』
「貴女はそれなりに顔と名前を知られている。……そちらの全てが指揮下に入っていない様に、こちらも残念ながら言い切れない」
『くす♪ お互い大変ね』
表と、無論に裏の理由も承知の上で、悪魔はGPS携帯を受け取る。見ていると、それは瞬時に編みこまれた術式に搦め取られ、ディルキスの右肩にふわりと浮き上がり追尾して行く。
『これでもいいんでしょう?』
「ああ、問題ない」
海は微かな動揺を抑え平静を保つ。効果は簡易に見えて、その場即興で組み上げられる物では決して無い。
(……天魔との個としての力量差は、未だ大きい。上が幾ら協調を促しても、悪魔達から見た撃退士の評価は高くは無いんだろう。番犬になるかどうか、かも)
刀夜の案内でやってきたのは、世界中の飴を扱っている専門店だ。店内の台上から戸棚、一部天井からも吊り下げられ、お祭りの飾りが如き光景。そこにさらっと混じるゲテモノ飴。
『へぇ、私もお茶の時にお菓子は嗜むけれど。こんな物もあるのね』
悪魔にとって、食事とは別に必須の物でなく。人と同じ様に食事をするのは、謂わば趣味嗜好という扱いだ。
「じゃ、これだったらどうかな、紅茶に会う飴らしいよ」
『お茶と一緒に? 口の中で変にならないかしら』
「これを含んで紅茶を飲むの。さっと溶けていろんな風味が楽しめるらしいよ」
他の者達も物珍しげに店内を見回る中、笑みを浮かべた刀夜が、一粒の飴玉をディルキスに差し出す。
『なに?』
「僕からの御薦め。食べて感想を聞かせて♪」
『……いいけれど。んむ』
鳥が啄ばむ様に小さな唇が刀夜の指先ごと僅かに含み、離れる。暫らく口内に舌で転がしていた少女の眉間が、細い眉と共に若干歪む。
「どう?」
『まずい……とも瞭然言えないのに、おいしいとは決して言えない。微妙だわ。凄く微妙』
「くくっ、そっか♪ それじゃこれ、僕からのお土産ね!」
ぽん、と手の平大の小袋がディルキスに手渡される。中身は、水戸などのお土産物屋などで知る人は知る物である。
『……一応、ありがとう?』
「どういたしまして」
微妙な表情と、満面の笑みが向かい合った。
「あ、ついでに一つ、無理じゃなければ聞きたい事があるんだ――」
「やってきました、ようこそ、地下女史プロレス試合会場へ〜♪」
愛の案内でスポーツジムらしき建物の地下への階段を進んできた一行が辿り着いたの場所。良くぞ地下にこんな物をと感心するか呆れるか、訪れた者は恐らく半々になるであろう。
「えと、たぶん、初めてだよね」
中央に設置された試合場(リング)。愛に解説を受けながら、観客席の一角に一行は席を取る。
『ふぅん。皆女の子なのねぇ? あら、中々激しく絡み合って……あの子おいしそ、じゃなくて可愛い♪』
(今何か不穏な事言いかけなかった?)
ぽそりと漏れたディルキスが言い直した言葉を耳に拾い、海が頭を振る。
リング上ではハイレグ姿のどれも見目麗しい少女や女性達が、天井から降り注ぐ照明の下、眩しい汗を流し絡み合う。一行の中で唯一の男性にとっても、眼福と言えなくも無い。勿論、紳士としてポーカーフェイスに努める。
『貴女も関係者なのかしら?』
「そだよ〜、にゃはは、まあ、自分の部活の宣伝みたいなのも兼ねてね」
『つまり貴女もああやってくんずほぐれつ?』
「うん! 自分のリングコスチュームもあるよ。見たい?」
『それはぜひとも二人きりで味み、じゃなくて見せて貰いたいわ♪』
何故か(あからさまに)上機嫌になって愛の腕を取り更衣室へ向かおうとするディルキス。素直な愛も逆らわず嬉しそうに連れられ――。
「うん、ちょっと待とうか」
「「「待ちなさい」」」
がっしと海がディルキスの肩を掴み、鈴音と雫と刀夜が愛を魔の手から引き離すのだった。
●
お昼時、休憩兼昼食に一軒のファミレスに一行は居た。
「私はチョコパフェね。ディルキスはどうせさっきみたいに注文する気ないでしょ? オススメはストロベリーパフェよ。それにしなさい、そしたらお互い味見しあえるでしょ!決まり!」
『ええと、私は別に』
「あ、ストロベリーパフェもください!」
一通り、好みの昼食取り、デザートタイムで何故か張り切る鈴音。ちなみにディルキスの昼は紅茶だけだった。
押し切られる形で、パフェに仕方無くスプーンを突き刺す悪魔。横で満面の笑みで自分のパフェをぱくつく鈴音に、他の者もそれぞれデザートを口にしながら苦笑を浮かべる。
『かなり甘いのね。人間って糖分を獲り過ぎると、太るんじゃなかったかしら?』
「んぐっ! い、いやなこと言わないでよ」
若干、スプーンのペースが落ちる鈴音だった。
「さっきの爆発、あむっ、だけどさ。貴女が得意なのは氷系よね?」
食べ飽きたディルキスにストロベリーパフェで餌づけされながら、鈴音が疑問を呈す。間接キスになっているのを双方全く気にしていない。
『あれね。イドが癇癪を起こしただけよ』
「あ、やっぱり居たのねアイツ! イドとも決着付けたいのに、最近見かけないと思ったら……そういえばアイツの母親にも会ったなぁ」
後半は呟く様な小声だった為、他の者には聞こえない。だがディルキスは、目を細めて鈴音を見つめた。
(嫌な目をしていますね)
ずっと静かに悪魔を観察していた雫。処々に覗く嘲りの中でも尤も強いものを先の視線に感じ、眉を蹙める。
気づいたディルキスもまた、楽しげに彼女に視線を向けた。
とても受け入れられない、無邪気を粧った悪意の塊。それを振り払うように雫は口を開く。
「癇癪といえば、天界と共同戦線を張る事になるんですよね? 戦ってきた天使と手を組むなんて不満が出そうですけど、貴女はどうなんですか?」
『ストレートに聞くのね、好感が持てるわ♪』
にこにこしながらパフェを鈴音の口に運び、偶にディルキスも一口味わう。
『人間如きにっていう反発が無いと思う? それでも“力こそ全て”の冥魔は“大半”が従うでしょうね♪』
「大半、ね」
『大半、よ』
(全体に摩り替えてはぐらかしたな。まあ、俺の聞きたい答えではあったけど)
二人の問答を聞きながらコーヒーをすする海。ちなみに愛は、先程会場で止められた理由を刀夜に質問し、彼女はぐらかすのに苦労していた。
「俺から追加でいいかな。冥王ってどういう人だったの?」
それは海の純粋な疑問だった。先だっての防衛線で攻めて来た天王に対し、相反する存在がどんな者かという。
「ん〜、冥王様、ね」
ナプキンで軽く口元を抑え、ディルキスは思い返す様に視線を浮かす。
『一度だけ遠目に拝見した事はあるけれど…アレを冥王様の御姿と言って良いかしら』
「どういう意味?」
『瞞し瞞され、下克上推奨の冥界を永らく代わる事無く治め、数少ない死病を超越された方。前天王ゼウスよりも高齢と聞いていたわ』
閉じる瞼に浮かぶのは、確かに目にした面影。
『一見は飄々とした老爺。割と奔放な方で、宰相様も強く影響を受けられたと言われていて。無論力をお持ちだったけれど、駆け引きに長け、そちらに重きを置かれていた。――そんな方が“私程度”の前で本性を一瞬でも露されるかしら』
「ふむ。擬態を使い分けていた可能性が、と?」
『さあ? ともかく、私を含めて下っ端が知っているのはこれくらいでしょうね』
●
午後からは、雫の提案で遊園地を訪れていた。
様々なアトラクションを巡る中で、時々にペアなど少人数で分かれる一行。悪魔の頭上には、小さな影がふわふわと舞い浮かぶ。
「勘違いしないでくださいね。これは監視ではなく迷子にならない為の予防策ですから」
感情の篭らない声で平坦に告げる雫が悪魔に付けたのは、召喚された幻獣、ヒリュウだった。
真意がどちらなのか、殆ど匿す気も無い台詞にディルキスすら微苦笑を浮かべながら、遊戯の時は過ぎる。
夕刻。
最後に乗り込んだ観覧車。意図的に二人の少女が対峙する。
「……何を企んでいるんですか」
『くす♪ 何のことかしら?』
「白々しい。貴女の人へ向ける視線は、敵意でも親愛でもない。猫が鼠を嬲る如き嗜虐的なものでした」
雫を見つめる悪魔の笑みが、深まる。
『だとしたら?』
「そんな視線をする者が、現状に満足する訳が無い。かといって自身の立場を悪くする悪手を打つとは思えない」
悪意と敵意が社内に満ち、物理的圧力すら起こして、輾みを上げる。
「やるなら私達か、天界陣営の非を打ち鳴らして、困り果てて右往左往するように仕向けるか……違いますか?」
『ふふ……残念、それでは50点ね。あ、百点満点中よ?』
幼子をあやすような柔らかな、それで居て見る者を寒からしめる微笑に、雫は鳥肌を覚える。
『私が望むのは、停滞の中の絶望』
「……どういう意味ですか」
だが、悪魔ははぐらかす様に視線を窓の外の景色へと向ける。
『モグプラシアの語源はね、“刈り取る者”。そして私の名の意味は“未来”』
「――未来を、刈り取る者? ありがちですね」
嫌悪を泌ませる雫の声に、悪魔は振り返る。
『そうね、とてもありがちで、ありふれた……だからこそ、逃げられないのよ』
夕日を背にしたディルキスに視界が眩まされた一瞬。彼女が浮かべた表情に、雫が気づく事は無かった。
『ああ、楽しかった♪ 皆さん、お付き合い、ありがとう』
悪魔はまるで舞台女優のような、優雅な礼を生徒達に見せる。
『それと』
刀夜に向けて、一枚の折りたたまれた紙片を差し出す。
『どうしても会いたいなら、ここへ行ってみるといいわ。そして済い難い者を見るといい』
憫れむ微笑と共に、悪魔の少女は陽炎の様に揺らめき、翠の残光を残して姿を消すのだった。