『じゃが、ただ退くのも芸が無いか』
対峙する両陣の間に、悪魔のそんな言葉が響く。それは警戒して余りある言葉。その腕が、最近のディアボロの一体に伸ばされる。
(何を思いついた?)
撃退士側で、一見は尤も年少に見える白衣のショタ詐欺案件(ぉぃ)、鴉乃宮 歌音(
ja0427)は、その行動に微かに瞳孔眇め、天魔を観察しながら、手にする洋弓に意を流す。植物で編まれた様な不可思議な弓だが、使い手にとって違和感無く手に馴染む。
(間を与える必要は無いか)
そう考えた瞬間には、彼の動きはその場にいる全ての者達が一瞬見失い、次に見出した時にはディアボロ――エインフェリア・イミテート達の布陣に切り込んでいた。
―――ッ?!
『ほう…』
感情は無くも、思考力を持つディアボロ達に奔る動揺と、機先を制した速度に感心したように息を漏らすイウタウィル。
奇襲を得意とする遊撃兵さながらに、弓から放たれたとは思えぬ不意を射った範囲射撃が天魔に襲い掛かり、その折に放出されたアウルが空間を揺らがす陽炎の如く歌音を朧に隠す。
「気が合いますねー。では、青天の霹靂をお目にかけましょう」
更に気が付けばもう1人、立ち位置を違えど同様に動いた青年、間下 慈(
jb2391)は茫洋とした笑みを浮かべ、敵陣で赤錆の様な結晶を纏う右手を掲げる。刹那、雲無き闇夜を引き裂いて落ちる雷光が、轟音が天魔に生んだ一瞬の硬直。そこを狙い、彼と共に死線を潜り抜けた愛銃よりばら撒かれる弾丸。それにまぎれて気配を殺し、更に位置を変える。
2人により、実に八体中五体が、避ける間もなく被弾する。状況を見たイウタウィルは、思い付きの行動を中断し、更に後方へと地を蹴っていた。退く、という思考に変化はないが、その行動はより広い視野を確保しようという動きに見える。
そしてディアボロ達もまた、動く。先制を許したといえ、致命傷に及ばず、所定の行動に変更は無かった。弓を、弩を構えた二体から放たれる矢が、魔術師らしき杖と、錫杖を持った二体から炎と雷撃が迸る!
狙いは――尤も天魔に近い地に、正気無く踞ってた一人の少女。
(なるほど)(そう来ましたか)
一撃を与え、姿を隠した敵対者に拘泥せず、優先して救助対象を狙う天魔の行動に、気配を殺したまま二人はイウタウィルに視線を走らす。それは『敵』が『人』の弱みをよく理解した固体である事を示す。少なくとも、この場に派遣された彼らが、それを見過ごす事等出来ないと看破したのだから。
だからこそ――
「皆さん、任せましたよ」
慈は小さく呟いた。
目前に迫る、新たなる死の可能性。それを少女は虚ろな目差で見つめた。
矢が、炎と雷が、自分を彼と同じ場所に連れて逝ってくれるかもしれない。衝動的にそんな考えを浮かべ、無意識に身を乗り出す。
「させるかよ」
だがそんな声と共に、彼女の願いは断たれる。天魔の攻撃が、黒いアウルの障壁によって次々に弾かれ、押し留められ、どれ一つ少女の身には届かない。理不尽を覚え、のろのろと振り向いた少女が目にしたのは、黒い蛇と蜘蛛の幻影を浮かべ纏わせる少年だった。
(ああ、あの機能良いなー。ああいう捕食、強奪機能はスコルージにも欲しい)
上端と下端に溝が刻まれた刃を持つ、禍々しい魔鉱の盾。それを構える逢見仙也(
jc1616)は、自身が愛用する魔剣を思い浮かべ、後方に下がる天魔の手にする大剣に視線を這わせていた。
実際の所、彼が思うほどの利便性ばかりでは無いのだが、それは知らぬが華である。
そして当然、少女の視線に気づき、
「何考えてたかなんとなく分かるけど、それやられると邪魔、迷惑」
冷ややかな視線を返すと、彼女の襟首を掴んで無造作に後方に放り投げた。
「ちょっ」
「おいっ!」
仲間の少女に対する手荒な扱いに、治療を受けていた女性と青年が思わずといった風に声を荒げる。だが負傷した躰は、直ぐ受け止めには動けなかった。
割と勢いよく飛ばされてくる少女。その軌道に影が滑り込み、少女をふわりと抱きとめる。
「ナイスキャッチ」
「…女の子の扱いとして言いたい事はありますが、今は止めて置きます」
戯けたような仙也の口調に、どこかおっとりとした雰囲気を纏う女性は眼鏡の奥の垂れ目に困ったような光を浮かべ、微苦笑を漏らす。それから抱きとめた少女を後方に下がらせながら、傷ついた躰に治癒術を施していく。
「大丈夫? 立てますか? 私達は久遠ヶ原の援軍です」
「助かった」「ありがとう」
「………」
六道 琴音(
jb3515)の言葉に、曩に治癒を受けていた二人の要救助者はそれぞれに感謝を口にする。だが、少女は再び虚ろな表情に戻り、周囲からの干渉一切に反応を示さなくなっていた。
その様子に、琴音の深奥がじくりと疼く。
(もっと早く到着していたら…)
駆けつけた時に彼女らの目にした光景が、一人の青年が喰われ解けていく所だったのだ。最後の定時連絡から、痕跡を追い、気配を見つける過程は考えうる限り迅速であった。故にこそ、どう足掻いても間に合わなかったというのが理解出来てしまう。
それでも思ってしまう。傲慢かもしれない、でも考えてしまう。だとしてそれは、人らしさであり、琴音らしさだった。
「ちぃ…っ」
厄介だった。明確な敵対行動を取る“敵”を前にしても、ディアボロが要救助者を執拗に狙う等という事は。
小柄でありながら歴戦の戦士の魄を纏う青年、久遠 仁刀(
ja2464)が手にする白き剛刀を振りぬく。
後衛の攻撃と共に前進してきた大剣持ち、片手剣と盾を有するディアボロは、少女を庇った仙也を無視する様に傍をすり抜けようとした。
月白のオーラが、剣線をなぞる様に伸張、剣盾持ちと射撃直後の弩使いの人形を巻き込み、その威を開放する。残照の様に闇夜に霧虹が如く揺らめくアウルを透かし、戦場を見回す視線が悪魔を捉える。
(あの黒い靄…何処かで、憶えがあるような…)
ギィィン――
微かな引っ掛かりを脳裏に覚えた瞬間、飛び出してきたディアボロに反応し、片手剣の切り下ろしを愛刀で受け止め、弾く。
「流石に正面に立てばこちらに来るか…そちらも、行かせん」
活性化するアウルの働き。対峙する両者を回り込む様に動いていた槍使いの人形が、蜜に引き寄せられる蝶の如く、進路を変えて鋭い突きを仁刀に放つ。
そこに刀身を添える様に伸ばし、後に絡める様にして穂先を跳ね上げる。
(出し惜しみは無しだ…)
二度目の白き閃きが、再度剣盾持ちを飲み込み、後方に下がったよう救助者を狙う錫杖持ちのディアボロを巻き込む。
「おいおい、無視すんなって…うおっ」
大剣持ちの前方に回り込む仙也。彼を見て取ったディアボロは、煩わしそうに横薙ぎの一閃を繰り出す。
ギャリィ――ッ
だがその一撃は盾を噛み阻まれ、彼をビクともさせる事は出来なかった。チームの中でも抜きん出た防御を誇るナイトの頼もしさがそこにある。
しかし、彼が正面切って止められる相手は一体。弓矢が、火炎弾が、そしてフリーの双剣持ちのディアボロが仙也を避け、後方へ抜けていく。
「くっ、この!」
負傷者達を庇い前に出る琴音。迫るディアボロに符より聖なる力が込められた鎖が具現化、迸る数条が双剣持ちを縛る。だがそれでは、放たれた魔法と矢は止まらない。
キンッ! ボゥッ!
後退する女性を捉えたかに見えた攻撃は、再び先の再現のように、黒いアウルの障壁に阻まれる。
「やらせねえつったよな?」
大剣持ちを相手取りながら、下がって来た仙也が飄々と嘯く。だがその内心は、そこまで余裕があるものでもない。
(後一回しか庇えないな…、それに、完全に防いでるわけでもないし)
どれだけ防御を固めても、攻撃を受ければ最低限の衝撃は抜けてくるのだ。少年の身に、僅かずつであるがダメージが蓄積されていく――。
「姿を隠してたら、止められないか」
『潜伏』を自ら解除した歌音の放つ矢が、琴音が相手取る双剣持ちの背に突き立ち、無視できないダメージを与える。
「鴉乃宮さん!」
「2人掛かりでそれを潰そう。数の優位を維持されるのは拙い」
頷く琴音に、両者は協力して双剣持ちの前面へと交互に立ち塞がり、或いは負傷者を後方に誘導しながら治癒術を施していく。やがて程なくディアボロを仕留めた後、琴音は護衛として残り、歌音は仙也のサポートへと周り、大剣使いを相手取り始めた。
(あれから目を放すのも厄介なのですが…)
幾らか時は戻し、杖持ちの魔術師人形に弾丸を撃ち込みながら、慈は悪魔の様子も窺う。
正面に立たなければ、こちらを気にもしないディアボロなので側面から攻撃し放題ではあるのだが、魔法型の割に耐久は高いらしく、中々仕留められない。
ディアボロは自身の被弾にも構わず、救助対象を執拗に狙うよう指示されているのは、既に明白だ。真正の魔族にとって、ディアボロなど所詮は使い捨ての駒に過ぎない。それは分かっていたが、ここまで躊躇いが無いと次に何をしてくるか恐々とさせられる。
考えあぐねたその時、夜闇を紅の燐光が閃く。
「…暫らく、そちらは任せます」
目にした慈は呟き、まずは救助対象の安全確保に専念すべくと、愛銃のトリガを引き絞った。
●
自身を監視していた意識が外れる。それを感じ取ったイウタウィルは、観察も頃合かと打ち切り、特殊な魔力の衣を自身に纏わせる。
瞬きの間に完全に姿を消した天魔が身を翻し、立ち去ろうとしたその時。
ワザアァァァ――ッ
(なんじゃ?)
突如吹き上がった大量の土砂が背後から降り注ぐ。同時に襲い掛かってきた薙ぎの斬撃を危なげなく躱したイウタウィルは、振り向いて襲撃者を視界に収めた。
「ふふん、幾ら姿が見えなくても、被った泥で浮き彫りじゃ意味が無いね!」
得意げな顔で直刀の切っ先を突きつけ、鬼塚 刀夜(
jc2355)はにやりと笑みを浮かべる。
『また童女(わらし)か。…人が鬼を気取って、なんとするのかのう』
不意打ちで自身の腕を落とした女だと確認し、そして彼女が纏う光纏に輝く紅角を目に、悪魔は呆れた風情に語ちる。刀夜の足元、公園の地面に刻まれた斬痕に気づけば、先の土砂はこれだったのかと知る。
ちなみに、イウタウィルにとって短命の人間などすべからく子供にしか見えない事を記しておく。
『透過は…まあ、封じられておるか。やれやれ…大人しく見逃して居ればよいものを』
琴音が発動させていた阻霊符が、辺り一帯の透過能力を阻害していた。
「ま、これはご先祖様にあやかってって奴さ。本当かどうかは知らないけどね。…でもさ」
だらりと、刀を持った手を下げ、しかし爛々と輝く両の眸が獲物を見つけた獣のように眇められる。
「折角の出遇い、無駄にする事も無いよね?」
事此処に至り、イウタウィルは悟った。
(あ、これ面倒臭い奴の典型じゃ)と。
不可視の斬をひらりと横飛びに躱せば、その方向に合わせて薙ぎ払う剛撃を大剣の腹で受け流し、悪魔はふわりと後方に飛ぶ。
交戦から暫し、幾らかの傷を負うも、イウタウィルは即座にそれを再生させ、刀夜に徒労感を植えつけていた。
「何それ、ずるだよ、チートだよね!?」
『知らんわい。…まったく、どこぞの脳筋を思い出す猪童女じゃのう』
脳裏に浮かんだのは、器として手に納れたヴァニタスを、一時期鍛えていた魔族の男。あれも闘争を楽しむ性を持っていた。
(とはいえ、この童女では比較にならんか…攻撃一辺倒に過ぎる)
トンッ
「いっ!?」
気がつけば懐に入られていた刀夜が、次の瞬間に襲ってきた痛みに顔を蹙める。咄嗟に後退するも、反応が鈍い。その原因にチラリと視線を這わす。
ざっくりと左太腿に、斜めに開いた傷口から鮮血が溢れ出る。しかも傷口がズタズタになっていて、どんなに筋肉を締めても傷口が塞がる事が無かった。
同様の攻撃を、既に両腕にも受けている。だが――
(こいつ…全然本気出して無いよ)
切裂かれてはいるが、それだけだ。その気になれば、胴体は勿論、首でも頭でも狙えたのだと、これまでの馘りあいから否応無く理解させられていた。
出血は体力を奪い続け、気のせいではなく体温が下がっているのを彼女は自覚する。このままでは――拙い。
(ふぅむ…剣士としては、悪くは無いんじゃがのう)
相対する童女の焦燥りを見透かしながらも、イウタウィルは冷めた思考でこれまでの行程を思い返す。
人間にしては一撃はそれなりに重く、技量も自身が傷を受けている事から、決して低くは無いと。
しかし守りがどうにも薄い。斬ろうと思えば斬れるし、殺す機会はそれなりにあった。そうしなかったのは、単に自身が『退く』と決めた故にである。
悪魔は契約を破らない。抜け道は作るが。…そしてそれは、時に自身をも縛る。特にイウタウィルは死病から逃れる為にとある方法で肉体を捨てた古の魔族であり、そういった約束事にこだわる一面が“固定”されていた。
撃退士側が何もしなければ、それこそ適当に置き土産だけ残して、とっとと姿を消していた筈なのだ。
ともあれ、互いの斟酌など通じ合う訳も無く、こうした状況に陥っている訳だが…ちょうど良い転機が訪れる。
『ほう、もう半分やられたかの』
「え…、って、きみ誰!?」
どちらが、という主語を満たさぬ天魔の言葉に、思わず振り返る刀夜。仲間達の無事を確認した瞬間、自身の失策に気づいて慌てて視線を戻せば、その隙を突いて、イウタウィルの姿形はまったくの別物へと変じていた。
蒼銀の髪をなびかせ、銀の禄飾りを持つ赤い鎧。手にする獲物は赤黒い色合いはそのままに双剣へと変わり、その背に黒い翼を羽ばたかせて、夜空へと飛翔していく。
地上で喚く童女を無視し、悪魔は倒されていくディアボロの状況を一瞥すると、後は興味を失って翼を大きく羽ばたかせ、その姿を星空へと霞ませていった。
(そうか…あの時の)
残る三体の内、一体を切り伏せた仁刀が、視界に捉えた悪魔の姿に記憶を呼び起こす。
(あれからも続けていたのか…)
かつての依頼の後、学園の解析班が彼の悪魔の目的を推測していた。あれは『死者から知識や技術を収集しているのでは無いか?』と。だとすれば――
(このまま放置しておくのは…厄介な事にならなければいいが)
●
戦いは終わり、負傷者達を学園から派遣された救護班に任せ、各々が帰還の途に着こうとする頃――。
明るくなり始めた公園に影が一つ残っていた。
それは何かを探すように動いて居たが、目的のものを見つけたのか、地に膝をついて『それ』を拾い上げる。
影の正体、それは琴音だった。掌に載せたのは、不可思議な輝きを宿すヒヒイロカネの指輪。
「間に合わなくて、御免なさい…」
唯一回収された遺品は、暫らくして縁者の下に届けられたという。