「態々我らを呼び出したのだ。奇襲は無いと信じたいね」
山麓より登山道を上る一行。本来なら剥き出しの岩肌が広がる光景も、ここ暫らくの寒波で白化粧に覆われ、ここが活火山である事を一瞬疑惑いそうになる。とはいっても、高い地熱でそこまで深く積もる事もないのだが。
道中の奇襲を警戒しながら、呟く鷺谷 明(
ja0776)だが、内心は『こたつでぬくぬくしたい』とかそんな事も考えている。
撃退士が常人より寒冷に強いとはいえ、視覚情報からの寒さ、所謂『思い込み』と言うのも確かに影響するのだ。
(腕試しって言われても……)
まだ遠く見える北岳火口原を目指す1人、六道 鈴音(
ja4192)は、ぎゅっと拳を握る。
教諭達とて、本心から思っていた訳では無い。今回だけでなく、人の命が掛かった戦いだったのだから。それでも倒せとは言い切れなかった。自分達がさんざ翻弄された相手を、まだ歳若い学生等に押し付ける形となっているのだ。忸怩たる意が、そこにあったのだろうと。
(当然、死力を尽くすわよ!)
少女は決意を漲らせ、歩を進める。
「…氷を操る天使か。ちょうどいいわ。ディルキスを倒す予行演習しておこう」
同時に、脳内では出発前に見せられた相手の技や術への対応を考え続ける。
少女とはまた別の視点から、不満を覚える者も居る。
「絶対に本気を引き出させて、その上で勝って見せます」
柔らかな容姿だが、どこか冷ややかで据わった雰囲気の青年。神谷春樹(
jb7335)にとって、天使の人間に対する在り方が、我慢なら無い。
●
元は火山の火口だった場所とは思えぬ、一面の銀世界。光景に、一同は暫し魅入られる。
『待たせたか?』
そこに唐突に響く声。全ての視線は惑う事無く中空に注がれ、降り来るそれを見上げる。
絶え間なく白を吐き出す、昏く重い雲。山である為、常よりも近い曇天を割って現れる巨大な氷塊。その内に見える無数の影は、囚われた人々の物か。述べ千人と伝えられたそれらを包むだけあり、巨きく、そして異様だった。
降りしきる銀幕に地響きと共に地に着いた塊、その頂点に立する痩身の天女。長杖を手に、白のドレスローブ姿で見下ろすツォルシェが翼を広げ、彼らの前に舞い降りる。
『今回は随分と…若返ったな』
これまで熟練の、謂わば年嵩の撃退士を見慣れていた天使は、冷たい美貌を崩さず呟く。
天使が現れて直後、御堂・玲獅(
ja0388)は軽い目眩いを覚え、眉を蹙めた。
件の感知能力を、ちょっとした手段で確認する心算だった彼女だが、もう必要なかった。
今や降りしきる雪片に、火口原を覆う銀世界に、天使の魔力が『浸透』していく。
(なる程…、恐らくは感知距離の制限はあるのでしょうが、こんな真似をやってのけるのは確かに“化け物”です)
感知に長けた他の者は、彼女より早くに気づいていたようだ。魔法戦闘タイプと情報にあったが、或いは森羅万象に介するアカシックレコーダーに近いのかもしれない。
これだけ降雪していれば、潜伏すら無意味となりそうだ。魔力を帯びている以上、透過も効くまい。尤も、そちらは符によって双方封じられるのだが。
『では、見せて貰おう。此度が兵か否か』
身に膨大な魔力を満たし、天使が世界に干渉する。
「いきなりっ!?」
魔術の構成を見て取った鈴音は、それが天使が持つ最大規模の魔術である事に気づき、驚きつつも仲間と動き出す。ツォルシェにとって初手での大技は、所謂試金石、或いは振るい落としと言った所。これで倒れる者ならば、相手にする価値も無い。
だが既知あればこそ予測する者も、また必然。白き世界に黒を曳き、笑みの仮面が奔る。天使が現れた時から、互いの距離を図っていた者が。
急襲する衝撃に、術行使に必要な精神集中を乱された天使は障壁越し彼を捉えた。腕を金属へと変化させ、活性化した盾を以って討入ってきた青年を。
正面からは明の流儀ではないが、今必要であれば否は無い。
『ふむ、体調が万全で無いように見えるが? 舐められているのか、傲っているのか』
暫らく前の依頼での負傷が完全に回復しきらぬまま、此度に赴いた彼の状態を見透かした返礼は、強烈な長杖での一撃。打ち据えられ、思わず崩れる明への止めは、しかし果たされない。
ガアアンッ!
頭部を中心に爆けたショットシェル弾を障壁で外らし、ツォルシェは余裕を持って後方に飛び退る。
向けられた銃口を手にするのは、どこか昏く殺伐とした面差しを覗かせる少年、カイン=A=アルタイル(
ja8514)。
(うわあ、今のがあたらねえのかよ…本当に面倒臭えな)
不意を突いた心算だったが、立て続けには通らないらしい。
まあ、相手は手加減してくれるらしいし、死にたくは無いのでその方が良い。良いのだが――。
(ジャンキー共め…)
飢えた獣の様に、明らかに相手の本気を引き出そうと襲いかかる仲間達の姿に、天を仰ぎたい気持ちになる。
(ああいう輩は、慢心しているうちに仕留めるもんだってのに…撃退士1人育てるのに幾ら金が掛かると思ってるんだ)
手にする銃にアウルで次弾を生成し、狙いを定め弾く。今の所、天使は余裕を見せて彼らをあしらっていると見えた。
(…ただまあ、舐められるのは腹が立つ。慢心すれば死ぬってこと、野郎にも分からせてやる)
内心を見るに、彼にも十分、仲間達と同質の気概を持っている様だったが。
「ただでさえ捕捉も難しいのに、雪で更に難易度が高い……これで楽になるかな」
カインと同時に仕掛けた、明を庇う為の牽制射撃――に見せかけた春樹のマーキング弾は、命中していた。銃手二人の動きは、雪を解して天使に捉えられているが、腕の差と言うものが確かに影響する。
「素敵な相手ねェ…♪」
何処か揶揄いを含んだ声。
接近は把握していた為、躇い無く魔力強化した蹴り足を左側に居る黒百合(
ja0422)へ叩き込むツォルシェ。
僅差で活性化に間に合った小盾で受け止め、その重さに躰を傾けつつ、少女は手にした物を天使へと向けた。
『何?』
一瞬で吹きかけられる、アウルから生じた噴霧。戸惑ったのも刹那、その効果、狙いを把握した天使の表情が、初めて動く。
大型のスノーゴーグル越しに、悪戯を成功させた時の笑みを浮かべた黒百合の得物が変化する。
色は漆黒、自身より長大にして、大型の握りや補助スラスター等を追加し魔改造された何か。形状から元は槍だったと見受けられるが、もはや別物である巨塊。
「効いたァ? それじゃァ、勝負よォ…♪」
小柄な少女が、悪夢の様な超重武装を振り回し、猛然と襲い掛かった。
叩き潰さんと振り回される巨槍を長杖で受け流し、身を翻す。片腕を伸ばし右側に障壁を張れば、硬質な音を立てて、それを撫でる蒼い魔力の燐光。
降りしきる雪と同じ白い鍔柄の魔刀を振りぬいたアスハ・A・R(
ja8432)が、雪風に蒼から紅へと変じる長髪を散らし、在る。
「さて、お互い楽しもう、か」
冷たく、しかし挑む様な熱を秘める声で、青年は告げる。
一時的とはいえ、天使の手札を封じた好機を序盤に得られた事で、一気呵成に撃退士が攻め立てる。
「貴女が無敗でいられたのも、これまでの相手に私達がいなかったからだから!」
炎の霊符を放ち、直後に魔術を構成、起動させる鈴音。
前衛の攻めをいなし、後退したツォルシェの足元から、真紅の炎龍がとぐろを巻いて呑み込み、立ち昇る。
だが次の刹那、内部より凍てつく氷槍によってはち切れる様に炎龍は切裂かれ、天使はその身を現す。
歯牙にも掛けぬ、といった様相に魔術少女のプライドは痛く刺激された。
「私の炎で、アンタの氷ごと吹き飛ばしてやる!」
更なる魔力を込められた紅黒渦巻く炎が、怒涛となってツォルシェの身に放たれる。
そも、魔術師タイプの相手に魔術で持って攻し様と言うのは難易度が高い。だが、魔力で持って魔力を打ち崩すというもまた、魔術師の本懐、浪漫である――のかもしれない。
振りぬかれる、やや襤褸な包帯に包まれた右拳。マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)の一撃は、確かな技の前に長杖で受け止められる。だが『触れた』。
長杖と持つ者を中心として、四方幾重から放たれる黒焔の呪鎖。
しかし強い抵抗を感じ、具現した端から黒鎖は凍りつき、砕けて空に溶けていく。
「―――」
見て取った即座に後方に飛び退き、放たれる苦無は雑作無く杖に叩き落される。
間隙を縫って放たれた明の吸収の呪に魔力をぶつけて相殺する天使を観察し、思考する。
相性が悪いのは自覚していた。そも彼女が得手とするは近接戦であり、防御を顧みず物理攻撃一遍に傾倒した撃退士である。全方面魔法戦闘を得手とするツォルシェに対しては、一撃でも喰らった場合のリスクが大きい。
両者の空いた間合いに、息を合わせて入り込むアスハ。接近戦を主体とする“魔術師”と言うやや特殊な彼や、仲間との連携なしでは及ばない相手。
挟み込み、あわよくば包囲しようとする明、黒百合、アスハ、マキナ。
させじと身を移し、彼らを纏めて射程に捉えた無数の氷槍が殺到する。封印の効力も、そして黒百合の残弾も切れていた。
アスハはマキナを庇い二人分を受け、蹌踉めく。
黒百合は自前の障壁で陵ぎ切るが、明の方は属性の影響もあり、即座に治癒術を発動させねばならなかった。その隙を補うべく、鈴音が駆け寄り、カインと春樹からの援護射撃が天使へ向けられる。
攻め手が緩んだと見た瞬間、ツォルシェの背に輝く翼が展開し、天に舞う。
アスハに治癒術を行使した玲獅が、その姿に掌を向け、戒めの力を放つ。
「させませんっ!」
『く、翼が!?』
星の鎖と呼ばれるそれは、飛行能力、或いは術式限定して封じる特殊な術。
放たれた霊的な鎖はツォルシェの翼に雁字搦に絡みつき、その権を消失させ、地に引き摺り下ろす。
長杖を雪原に突き刺し、反動で落下の速度と衝撃を相殺した天使に、再び撃退士が攻勢に出ようとした時。
『くふ…んふ、うふふふ…』
低く、背筋が冷えるような含み笑いに、撃退士達の動きが固まる。
(あ、これやばい奴だわ)
瞬時にカインは悟った。否、ある意味彼らの希望が叶えられたという意味でもあったが。
『くは…良い。これは好い…。あぁ…久しく忘れていた。あはぁ…芯が熱く…滾るっ』
ゆらり、杖に縋るように立ち上がる天使の姿に、訳の解らない迫力を感じ気おされる。
これまで殆ど微動だに、正に氷の彫像の様だったツォルシェの表情は蕩け、熱く潤んだ視線で撃退士達を捉える。
「…なに、あれ。豹変しすぎでしょ…」
「戦闘狂、とは聞いていましたが…、この方向は」
女の身ですら感じるヤバ気な艶に、鈴音が引き攣り、玲獅が視線を背ける。
「まあ、いいんじゃないかねえ。これで本気を出して貰えそうだ」
「ですね、その上で叩き潰します」
我が意を得たりとばかりに頷きあう明と春樹に、カインは半眼を向け。
マキナとアスハは視線を交わし、同時に動き出す。
直後に、飢えた獣となった天使が、撃退士達の中心に突っ込んできた。
●
一撃を受け止め様、カウンターで叩き込まれるアスハの蒼焔撃に一瞬揺れるツォルシェの体勢。
彼が齎した機に、踏み込む、辷る様に背後へ。流れる灰銀、捉える金獣の瞳。僅かに遅れ、反応する天使の瞳とマキナの瞳が交錯する。
既に構え、放てば躱す余地は無い。故にだろう、女は笑っていた。心底嬉しそうに。
ああ、いかれている、この女はいかれている。左様か、楽しいのかあなたは。ならば存分に。
義椀の右拳に収斂した黒焔のアウル。『終焉』を《創造》せんとする矛盾終戈の撃が、ツォルシェが常時展開する魔力障壁を抜け、身に突き刺さる。
黒焔に喰いつかれ、浮き上がる天使の躰。確かな手応えを感じた刹那、凄絶な殺気に包まれ、身を翻す間もないまま。
マキナの意識は、氷獄の闇に囚われた。
地獄の深層、総ゆる物を凍りつかせる氷獄(コキュートス)を思わせる光景が、火口原の一部に産みだされる。
続く強烈な技がある事も、撃退士達は知っていた。故に当然心構えも備えも出来ている。
だからだろう、固定観念は時に落とし穴になる。
囚われた氷の棺。それを内側から瞬時に粉砕し、玲獅、鈴音、アスハが飛び出す。黒百合もぎりぎりで抵抗し切り、束縛を逃れる。
即座に玲獅はマキナの下へ走り、次いで明を解き放つ。それを阻ませまいと構えるアスハと鈴音に、併し天使は見向きもしなかった。
「逃げた!? いや、違う!」
いきなり全力で撃退士から距離を取ったツォルシェの動きを、マーキングで把握していた春樹が叫ぶ。
天使の傍らに現れる召喚紋。それを突き破る如く現れた氷の麒麟に跨がり、天使は昏き天へと駆け上がる。
天舞う者を墜とす銃弾は、彼我の実力差から効果は及ばず、だが攻撃としては通る。
スコープの視界を邪魔する降雪を、マーキングによる予測で補正し、春樹は持ち替えた狙撃銃で狙い撃ち続ける。
再度行使する星の鎖も、麒麟は容易いとばかりに躱し、魔術は完成する。
天が砕けて降って来たのかと錯覚する程の、天災と表してもいい光景。個が放つとしては規格外の規模の魔術。
無限に生成する銃弾で春樹が襲い来る氷塊を射ち抜き、鈴音と黒百合の障壁が阻み、アスハがマキナを庇う。
だからといって、この規模の攻撃を完全に陵ぐなど、到底無理な話だった。
対魔力が高い者はともかく、それ以外の者の深手に、明と玲獅は最後の治癒術を使い切る。
ここからは治癒による復帰は無い。
それでも黒百合は頬笑み、その背に翼を顕現させ、見上げる天使に向かい飛び立つ。
「ホント、撃退士はブラックな仕事だよ」
自由に飛びまわれる格上に、しかも少女1人で立ち合わせるなど正気の沙汰ではない。自身より腕の立つ少女だとしてもだ。
カインは自らの殺戮衝動を危険域まで高め、潜在力を無理やり引き出し、魔剣と共に黒百合に続いて飛翔する。
魔銃に持ち替えたアスハ、全ての銃技を出し尽くさんと射ち続ける春樹、
「ちょろちょろ飛び回ってんじゃないわよ!」
と叫びながら魔術を放つ鈴音。
「アスハ」
援護を続ける彼の背に、静かな声が掛かる。
「いく、か?」
振り向かず応えるアスハの背で、頷く気配。
「そう、か。なら、目晦まし位には、なる、だろう」
嘗て、一人のヴァニタスから模倣した奥の手。
魔術師タイプである天使には決め手とはならないそれを、切る。
曇天を照らし出す、蒼き殲滅。カインと黒百合すら巻き込んで行使されたそれに、ツォルシェは驚嘆すると共に、その思い切りの好さに笑う。
蒼を薙いで繰り出される漆黒の巨槍が麒麟を打ち砕く。
振り下ろす魔剣が長杖をとどめ、顕現した翼で逃れようとする天使を抑える。
そして黒の焔が、後背より天使の核を、穿ち抜く。
一勝三十二敗――実に三十三戦目に置いて、学園撃退士の手によって、“氷棺のツォルシェ”討伐は果たされた。