夢を見る。
それは楽しかった夢、嬉しかった夢、幸せだった夢――
しかし目覚めて思い知るのは、内に空いた巨きな虚(ウロ)。
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「印刷所の手配も?」
学生達が集まる視聴覚室で、伝えられた内容に鸚鵡返しで声を上げた六道 鈴音(
ja4192)は、微かに首を傾げる。
「本格的に宣伝するんですね」
「まあね、経営的には黒字みたいなんだけど。てんちょの副業で偶に補ってる部分もあったし」
顎に指を当てながら、思い出すように眞宮はそう応える。依頼を出すと決めた時に、ここ数年の収支帳簿を霧雨が見せてくれていた。
ちなみに副業とは俗に言う『情報屋』である。どうやってか、表裏共に相当広いネットワークを構築しているようなのだが――詳しくは眞宮にも、学生達にも解りかねる所だ。
正直、意外だと鈴音は思った。彼女は以前に数度、店の方のアルバイト依頼も受けている。その時感じたのは、店主はどちらかといえば常連さんや、一部のコアな客層で満足していたように見えたからだ。
『ふと立ち寄った人が店の味を気に入って、次も来てくれるなら、それでいい』と笑っていたマスターの顔が記憶に残っている。
(でも、人の考えは変化していく物だし…)
知り合った頃とは店主の周囲の環境も大分変わっている、その影響もあるのかもと。
「でね、斡旋所や学食みたいな人が集まる所のは、特に目立つように大きなサイズで刷るのはどうかな?」
提案して、チラリと依頼人である眞宮を見やる。
「んー、予算に多少の余裕は貰ってるから、一部にだけ限定してなら、いいよー」
その分余計な費用が掛かるけど、という意味を込められた視線を違い無く読み取り、眞宮が頷く。店の常連でもあり、時にアルバイト仲間として気心の知れた二人ならではの疎通である。
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四人はそれぞれに広告サイズの用紙を広げ、その上でデザインを考え巡らせる。
(やっぱり広告も気合が大事よね!)
正直、デザインの才能とか全く無い!と自負できる雪室 チルル(
ja0220)だったが、それでも想いを込めた物を作り上げようと、苦心しつつも手書きでサンプルを仕上げていく。
先ずは中心に店の看板マークを置くというレイアウト。
(お店の看板がこれで、名前も雨音なんだから…)
宣伝文句は『雨の日はこんなお店はいかがでしょう?』と綴り、更に手書きで描く地図は、見る者を和ませるような柔らかなタッチで仕上げていく。そして余白に残しておいた下部に、店の住所と連絡先で埋めていった。
「うん、こんなもの…かな?」
自信はないが、今回の依頼は彼女1人ではなく、受けた四人で仕上げる物なの。よく言うではないか、三人寄れば文殊の知恵、四人集まれば姦しい、と。
(あれ?最後のなんか違う?)
なんとなく浮かんだ言葉に首をかしげながらも、他の皆の進展を見ようと席を立つのだった。
(お店の雰囲気に合わない客層を呼び込んでも、かえって常連さんやマスターに迷惑を掛けるだけだし…)
むむむっ、といった感じで意志の強そうな眉根を寄せて鈴音は考え込む。
(ただ単純に、集客がしたいってわけじゃないと思うのよね)
本格的にはパソコンの描画ソフトを用いて完成させる皆で意見を一致させたので、今考えるのは大雑把な素案である。
(先ずは外観の写真をどーんと置いて…こっちの方に店内の写真かな? で宣伝文句は)
『おいしいコーヒーはいかがですか』と大文字主題の後、『落ち着いた雰囲気のお店で、おいしいコーヒーと軽食を。そして店長のチョイスした心地よい音楽を楽しめます。店長オススメ:カフェ・モカとカフェ・ラッテ』と補足文を更に付け加えた。
(最後に、地図と看板マークを…こうして、とっ)
『雨の日も休まず営業♪落ち着いた店内で癒しのひとときを』
宣伝文句と、こまごまとした配置を書き終えて、姫路 ほむら(
ja5415)はペンを置いた。嘗ては少女の様にしか見えなかった少年も、幾多の経験を歴て『男』らしさを纏う様になっている。
「うん、イメージはこうかな」
掲載する写真等は、眞宮に伝えて色々と撮影してもらってあった。後は素材としてふさわしいものを選んで行く事にする。元々が芸術的な方面にセンスを持つほむらだけあって、そつの無いバランスと落ち着いた雰囲気に芯が通ったサンプルに仕上がっている。
(こっちは店内ので…コーヒーとメニューはこれとこれ。…んー、もうちょっと角度違いのが欲しいかな?)
四人の作業を見守っていた眞宮に声を掛ける。
「ふむふむ、おっけ。じゃー撮ってくる」
「お願いします」
素材の追加をお願いした彼女がパタパタと視聴覚室から駆け出していくのを見送り、再び写真の選定に戻るのだった。
「うっわっ!?はやっ!」
「そ、そぉですかぁ? 雪室さんもぉ、慣れればこれくらい出来ますよぉ」
「いや無理無理っ」
PCの画面を覗き込んで目を丸くするチルル。そんな彼女の言葉に若干頬を染めながら、キーボードを見る事無く高速で繰り返されるタイピング。時折マウスを操作する間以外は、ともかく他の三人には魔法か何かを見ているようである。
「ほ、HPってこんなに簡単に作れるものだったっけ?」
引きつる様な表情で、チルルの逆から覗いていた鈴音が声を漏らす。最初は電子掲示板に宣伝を載せるだけの予定だったが、月乃宮 恋音(
jb1221)の提案から宣伝用HP設置へと変更されていた。
元々がそう云ったソフトウェア関連に特化した能力を持つ少女だったが、実際に目にすれば驚くしかない。
ほむらや鈴音もPCが扱えるが、ここまでの処理速度は流石に持ってはいない。
「餅は餅屋、だね」
感心するようにほむらが呟く。
タンッ、と最後のキーを押し、保存を終える。見事に完成されたHPが出来上がっていた。
既に彼女自身はサンプルのデザインを終え、他の三人のサンプルもデータ化して取り込んである。
「ハーイ、お疲れ様。差し入れだよー」
ふぅ、と恋音が一息ついたタイミングを見計らって、眞宮がコーヒーとクッキーを載せた盆を搬んでくる。
「ありがとうございます」
「あ、これ店長の手作りクッキー?」
「そそ。奥に作りおきあったから頂いてきちゃった♪」
「ちゃんと断ったんですか?」
「もち♪」
「うはっ、これおいしいっ!」
それから暫し、休憩を挟む。
「あ、それと恋音ちゃんの提案だけど、ね…ダメだって」
「はう…でしたかぁ」
「駄目って、スタンプカード?」
肩を落とす恋音。クッキーを齧りながら、鈴音が眞宮に聞き返す。ちなみにチルルのクッキーは既に無い。あっという間にたいらげたらしい。
「何か理由があるんですか?」
続けて問うほむら。
「うーんと」
カップを傾けて一度喉を潤してから、眞宮が思い出すように口を開く。
「そういうポイント制?みたいなのって、お客さんに『無意識の強制』みたいな心理が働くからって」
「むいしきのきょうせい?」
意味が分からないとチルルが首を傾げる。
「そう。例えば、ポイント制とかスタンプとかさ、貯めればお得な何かしらがあるじゃない?」
「大抵はそうですね」
ほむらが頷く。
「最初はそうでなくても、続けていくと『貯める事』を目的に店に通うようになる人も、絶対じゃないけどでてくるでしょ」
「居ないとは言えない、かな?」
「ですねぇ」
「ふむ」
納得したような、しないような表情で、鈴音と恋音が顔を見合わせ、チルルが呟く。
「『行かなくちゃ』って思うのと『行きたいな』って思うのと。『小さな差かもしれませんが、私は後者の店であり続けたいんですよ』って…そんな感じ」
「そっかぁ…マスターらしいといえば、マスターらしいかもね」
「ですね、壬生谷さんなら確かに」
「わかりましたぁ」
「よしっ、わからん!」
最終的にチルルの案である、中央に看板マークを下地に。
写真の選定と配置を鈴音とほむらの案から。加工の方向に関しても二人で統一。
文句と情報の配置を恋音の案に。
地図に関しては、折角の手書きという事である程度加工してチルルの地図を載せることにした。
宣伝フレーズは
『おいしいコーヒーはいかがですか?
雨の日の落ち着いたひとときにもオススメのお店です♪』に決まった。
デザインが決まれば、後は印刷先の選定である。
「そこの印刷所、評判が良いみたですねぇ」
「ねぇねぇ、このBとLがオススメな印刷所ってなに?」
「…知らない方が幸せかな、多分」
ネットや、斡旋所が常用する印刷所など、それぞれ思いつくところから情報を持ち寄る。
傍らでは、鈴音が携帯を片手に問い合わせていた。
「はい、はい…分かりました、ありがとう御座います!」
手元のメモには、持ち込み方法やそれぞれの受注可能日や料金などがメモされていく。
「うーん、ちょっち高いかなぁ。一応予算内ではあるけども…」
それを覗き込んで、うなったり考え込んだりする眞宮であったり。
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とある夕刻。
「おっとそこの新入生っぽい子! オススメの情報があるから持ってってー!」
閉店後の商店街。調味料の買い足しに出ていた霧雨の耳に、そんな元気のいい声が届く。何の気になしに視線を向けると、そこには見覚えのあるエプロンを着けた少女が抱えたチラシを下校中の学生に配りまわっていた。
「ひょっとして、ウチの依頼を受けてくれた学生(かた)ですか?」
「お?」
後ろから声を掛けられたチルルが振り向くと、ニコニコと微笑浮かべた男が立っていた。その左腕には買い物袋を提げている。
「ウチ?って…ああ! 噂のてんちょーさんか!」
「ええ、この度はお世話になっております」
どんな噂だろう、と気にはなったが脇に押しやる。
「朝方、眞宮さんがエプロンを数着借りに来たのは知っていましたが…依頼内容は確か、広告の掲示でした、よね?」
身長差があるため見下ろす形となった少女は、彼の店のエプロンを身に着けていたのだ。それが声を掛けた理由である。
思い出す様に問いかける霧雨に、チルルは分かってないなぁとでも言うように右の人差し指を得意げな顔で揺らしてみせる。
「やっぱりこう云うのは気合が大事!気合を入れるならチラシ配りっ!あたい達に任せれば完璧よ!」
どうだ!とばかりに胸を張る少女の姿に微笑ましいものを感じながら、なる程と彼は頷く。どういう経緯でそうなったのかは分からないが、感謝こそすれ拒否する理由はない。
「ですが、秋の日足は早い。もうこんなに暗くなっていますよ」
「うや? あ、ほんと」
気合を入れ過ぎて時間を忘れていたのか、今気づいたように周囲を見回すチルル。流石にこの時間になると下校の学生も余り見かけなくなっていた。
「あ、いた!」
と、二人の方へと駆けて来る数人の足音と声に、同時に振り向く。別の通りで配っていた三人がチルルを探しに来た所だった。
「こんな所まで…って、あれ、霧雨さん?」
「どうも、この度はお世話になっています、ほむら君、鈴音さん…と」
チルルと同じ様に、店のエプロンを身に着けた二人から順に視線を移動した先で目にした物に、一瞬絶句する霧雨。
大きいのである。大きいという事は破壊力である。破壊力とは則ち大きいのである。何が、とは言わない。
「あ、あのぉ?」
「んんっ! 失礼」
戸惑うような恋音の声に、我に返り軽く咳払いして視線を外らす霧雨。
「やーねぇ見ました奥様?セクハラですわよ」
「まーみやさーんに言ってやろ♪」
「あははは…」
二人の様子をからかう鈴音とチルルに、横で苦笑するほむら。
(でもまあ、初対面だと驚くよね、あれは…)
同じ男として一応の弁護はする。心の中で。
改めて自己紹介の挨拶を交わしてから、霧雨は鈴音と恋音が肩に掛ける保温ポットに気づく。
「ああ、試飲用のコーヒーもこの為だったのですね」
今回の依頼は全面的に眞宮に任せていたので、細かな報告も必要ないと言ってあった。それだけ彼女を信用しているという証でもある。
「うん!これは恋音ちゃんのアイディアね!」
「は、はい…評判は、悪くなかったと思いますぉ」
「そうですか」
鈴音の言葉に頷く恋音。明日もまた続けるというので、霧雨は空の保温ポットを受け取っておいた。明日の分を用意しておく為である。
「では、これで失礼します。依頼が終わったら、一度皆さんで店にいらしてください。サービス致しますよ」
「はーい!」
「やった、ただ飯っ!」
「ただ飯って…」
「はぁい」
四者四様の答えを区切りに互いに別れを告げ、それぞれの帰路につくのだった。
ふと、なんとなくほむらは立ち止まる。特に理由があったわけでなく、商店街の明かりの中に歩いていく霧雨の背中を振り返る。
(でも、珍しいですね。眞宮さんが来てからは、あの店を1人で開ける事がほとんど無かったのに)
少なくとも、ほむらの記憶の中では。
(依頼の事もあるけど…もしかして1人で何かしたいことがあった…とか?)
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依頼が完了してから、コーヒー喫茶『雨音』には、新しい客層が訪れるようになっていた。
尤も増えたのは、やはり一番広告を目にする機会を得た新入生達。
それから在校生から少々、といった所だ。一見さんではなく、常連となる学生だけを換算してである。
「ふふ〜ん♪ どうよ、私の実力!」
「貴女の、では無い気がしますが?」
調子に乗った眞宮に、洗い物を片付けながらくすくすと霧雨が笑う。
「分かってますー。全部あの子達のおかげよ」
拗ねた振りをしながら、眞宮もまた笑う。
「…眞宮さん」
「ん?」
閉店作業を終えた彼女に、声の調子が変わった事に首を傾げる。それはどこか、不安を誘う響き。
「もし、私が貴女にこの店を任せる、といったら…貴女は引き受けてくださいますか?」
「…は? え? …ちょ、何のこと!?」
季節は巡り、人は巡る――出会いと別れも、また同じ様に。