寿命を超越した天魔といえど、種族が抱える死病により、実際は定命の生物と甘んじている。
死は何時か共にある隣人で、追い縋る終焉である。但しそれは今代の終わりに過ぎず、リセットであるしかない。
なればこそ恐れる者は恐れ、死期を延ばそうと足掻きもする。では、如何にして逃れるべきか?
老いた魔族は、その可能性の一端を体現したに過ぎない。
●
空間転移の予兆による、特有の波動。
『へぇ…』
それを“二つの場所”から感じ取った少女――ディルキス・モグプラシアは、可憐な唇を小さく吊り上げ、笑みの形を作る。
『戦力の集中ではなく二面戦? 余程の駒を送り込んできたのかしら』
現れた力の気配を探る。数分ほどでこちらに到達するだろう地上と、建物のほぼ直上空に現れた気配。個体差のむらはあるようだが、地上の気配の方がやや戦力的に大きい。
『こっちも手は抜けそうに無いし…、老も、暫く頑張って貰うしかないわね』
くすくす…、と楽しげに含み嗤う少女は、眼下にたむろする眷属(ディアボロ)に、思念で迎撃を命じる。
然程間を置かず、正門から突入してくる大太刀を携えた男。玄関庇に腰掛けた魔女の視線と彼のそれが一瞬接わる。
『楽しみましょ♪』
唇に細い人差し指を当てて、可愛らしく片目を瞑ってみせるディルキスに返されたのは、射抜くような無言の殺意。
「目標を目視、下級多数、更に控えて“翠の魔女”。想定難度を最上級に引き上げる」
《了解》
●
一方、中空よりそれぞれ屋上ヘリポートに着地した七人は搬入用エレベーターの扉を破壊(施設の管理コンピューターが既に自壊していた為)、昇降機を吊るすワイヤーを伝い、次々と地下区画への侵入を果たす。
「ちっ、煙いな…どっかで火事が起きてやがるのか…、っ!?」
先頭を切って通路に飛び出した向坂 玲治(
ja6214)が通路の視界をさえぎる煙に舌打った瞬間、それは襲い来る。
「ぐおっ!」
「向坂っ」
「れーじ君!?」
直後に続いていた久遠 仁刀(
ja2464)と紅葉 虎葵(
ja0059)が檄水流の渦に飲み込まれる青年の姿を目にし、声を上げる。
それは後に続く仲間に、敵襲を知らせると共に術式の起動も兼ねた物。
風の竜巻が上昇気流であるならば、水竜巻は下降水流である。押し潰され、捻じ切ろうとする圧力が玲治を襲う。だが不意にそれは彼の身から遠ざかった。
クリアになった視界の中で、彼を庇護うように立った幻影が砕け散る。
「がっ、ふ――っ」
同時に背後で崩れ落ちる少女。元から魔具を盾にして装備していた事が幸いした物の、幻影を通して伝わった威力に虎葵は吐血し、膝を着く。
ほぼ同瞬、腰に吊るした魔道書より構成を伴った魔力がチェーンを伝い、仁刀の右手より迅雷となって放たれ、満ちる煙幕を吹き散らして標的の気配を捉える!
だが――。
(防がれた…な)
術の手応えに悟り、戦闘態勢を取る仁刀の前で、玲治もまた構え直した。
「出会い頭にやってくれるじゃねぇか」
カシャン、カシャン――
吹き散らされた白煙が未だ淡く残る通路の奥から、幽かに聞こえる金属音。それは足音と知れ、明瞭な人影となって現れる。
「大丈夫か、虎葵?」
「こふ、っ…大丈夫、まだまだこれくらいっ」
「――ッ」
血縁である虎葵の身を案じ、駆け寄った鬼無里 鴉鳥(
ja7179)に応え、立ち上がる。見届け前方を見据えた鴉鳥の視線が標的を捉え――。
「くーちゃん?」
僅かに目を見開く少女の様子に、虎葵は眉を蹙めた。
「敵は―…っ?!」
「え?…あ、あれ……?」
敵影に赤染めの短機関銃を向け、今にもトリガーを引き絞りかけていた君田 夢野(
ja0561)の指先が一瞬硬直し。
呪符を構え宿す魔力を高めていた六道 鈴音(
ja4192)が驚愕に声を震わせる。
かつて、刃接える事無く擦れ違った使徒がいた。
ドクン――ッ
戦場を共にし、敗残を味わった戦友がいた。
――ドクン――ッ
分かり合えるかもしれないと思い、希った異種族の人がいた。
―――――ドクンッ
「貴公は――」
「お前は…」
「…だって、死んだって…」
鴉鳥が、夢野が、鈴音がその唇を、その名で振るわせる。
「フリス殿?」「フリスレーレ?」「フリス…さん?」
姿をはっきりと露わした対手は、その全盛であった頃と遜色なき威を伴うアウルに蒼銀の髪を煌かせ。
怜悧な蒼茫をすぅっと細めて、彼らを見る。赤を主体とした軽めの合板鎧は禄を銀に装飾され。
違いといえば、嘗て振るっていた双剣と色合いが異なる、歪な赤黒い得物くらいか。
「(突入作戦なんて久しぶりネ)…ってどうしたネ?」
異界の竜犬を召喚し、最後尾に追いついた長田・E・勇太(
jb9116)は、様子のおかしな数名に気づき訝しむ。
『………』
無言で目前の“敵”を確認した天魔は、幽かに口元を歪め、笑んだ。
「「「「「「「―――ッ」」」」」」」
瞬間、全員がその口が耳元まで裂けた様な幻視を見る。実際には微笑でしかないそれが、底なしに悍ましい、受け入れがたい物であると。彼らの本能が全力で告げていた。
「挨拶代わりだ!」
全身に奔る怖気をねじ伏せ、玲治は気合を張り上げ突進する。渾身で以って打ち込まれる旋棍は光輝を纏い、威を持って繰り出される。
しかし、ひゅるりと踊る天魔の右刃にいなされる。
『…ふむ。その技には痛い目を見たからのう』
「何だと…?」
微苦笑と共に天魔が呟いた独白に、玲治は胸中で疑問を抱く。
(何処かでやりあった事があるのか?…いや、そんな覚えはねぇ)
凛とした、切れ味鋭い声音は、全く別の誰かの口調で。撃退士らの攻撃を平然と捌き、そう語ちる。
「何が、目的なの!」
前衛として接近戦を挑む玲治の側らで、虎葵は盾を構え、敵進攻の封じ込めに動く。
『目的と言うてものう…この時点で、既に達しておる。が、まあついでじゃ』
年齢的には立派に成人しているが、何処か発育が残念で幼く見える娘に、眼を細めて含み笑む。
『スペアとしての器、慣らしに戯れるのもよかろうて』
そう応えた刹那、正鵠に眉間を狙って飛来した穿刺の鏃を、発動させた術式が阻み留める。
『知己ではないのか? ほほ、容赦がないのう』
黒蛇の意匠が刻まれた洋弓を射ち放った白髪の娘。黄金の獣眼で鋭くねめつける。
見覚えのある流水の鎧の術。
「――貴様、誰の眷属だ。いや、そもそも貴様は誰だ?」
『なんじゃ、先ほどおぬし等自身が言うたではないか、フリスレーレよ』
「巫山戯るなッッ!!」
怒号は、無数の銃弾となって天魔へと殺到する。それらを流水が外らし、或いは後方に飛び退いて天魔は避ける。
「お前も、お前もまた彼女の死を侮辱するというのか――外道がッ!」
嚇怒の表情で感情を叩きつける夢野に、“彼女”と寸分同じ姿で、天馬は冷めた視線を送る。
『誰と並べて居るか知らんが…その怒りは、死者への冒涜がどうの、と言うあれかの?』
心の底から、その感情を侮蔑する。
『傲慢じゃのぅ。死は個の終わり、生は無為。魂の転生あったとて、変わりはせん。生者の感情など、死者に何一つ届き馳せぬ』
次いで飛来した巨大な火球を水の障壁が相殺する。
「水使い…そこまで彼女と同じなのね。摸ているだけ?それとも…彼女の」
『摸るだけなら此処に居る必要はない。違うかのう?』
ぎりっ、と鈴音は奥歯を咀む。あの戦いの後、彼女の遺体が研究の為に何処かの研究所に保管されたという。
(此処、だったのね。此処にいたのね…フリスさん)
因縁のある数名はともかく、全くない者にとっては、今の状況は全く以って蚊帳の外である。
(何があったのかは知らないケドネ)
状況が分からずとも、やるべき事ははっきりしている。
「フェンリル!」
『ルォオオオオオンッ』
共感によって底上げされた魔力を以って、雄叫びと共に生じた雷撃が天魔へと奔る。だが天魔が振るった左剣がそれを絡め取る様に動き、本体に達する事無く霧散する。
「…っ」
『幻獣種。本来、そ奴らの力はこんな物ではない筈じゃがのう…。戦場、戦況、敵味方の相性…、未熟か。色々と足りぬ』
「言ってくれるネ!」
●
戦況は膠着していった。
天魔の目的は、基本的にはこの施設からの脱出。目的である使徒の躰を手に納れた以上、撃退士との戦闘は自身の言葉通り、唯のついでである。対して撃退士側は、逃走阻害と、対象の討伐。
だが彼らは閉所の戦闘に慣れていないのか、連携、戦術共にぎこちなかった。
広い空間での戦闘であれば、その手数を十分に活かし、瞬間最大火力で押し切る事も確率的には不可能ではなかっただろう。
それぞれの戦術思考が硬直していた、とでも言えばいいのだろうか。
「くっそ!」
踊るように繰り出される双刃の連檄。
術式を持って自身の属性を変動し、それを両手の旋棍で受けきりながら、玲治は違和感を覚える。
効果は確かに発揮されているようだが、そもそも対手の属性は寧ろ天に近い。そんな気がしてならない。
(魔族だからって魔属とは限らねぇ…って事か)
対するのは、まず間違いなく悪魔。だが、天使に魔属が居る事もあれば、その逆も然り。尤も、今の状況は天魔が…この魔族、イウタウィルが持つ“特性”故の状況ではあったのだが、彼や仲間達にそれを知る由はない。
イウタウィルにとって、操る肉体、“彼”が器と称すそれは、撃退士にとっての魔具魔装と同意義なのである。
使う道具によって左右されるのだ。その上で心技体の全てに、更に自身の能力を上乗せする。
それこそが彼の権能。
天魔を吹き飛ばし、態勢を整える玲治。一度小部屋に叩き込もうと試みたが、巧くは行かない。そもそもイウタウィル自身が、それを警戒していたからだ、最初から。
一方からだけでは、吹き飛ばす方向の誘導が早々巧く行く筈もない。確実に狙うのであれば、左右から挟み込んだ上で、扉前に控えた誰かに向けて押し出した上で、待ち構えた者による二段構え戦術くらいは必要になる。
折角の虎葵や玲治の技も、個々人の単発でそれを成そうとした事がまず一つの間違い。
吹き飛ばされた天魔が、後方の通路に着地した、その瞬間。
ゾヴァァア――!!
『ぬぅお!?』
回避反応が低下する一瞬を狙い、玲治の後方から放たれた一撃。光と闇、二つが反発する事無く、溶け合うでもなく交じり合った混沌の力、その塊が天魔の左胸を大きく消し飛ばす。
だが――
『面白い技を使うのう…』
人に準じた生物であれば、心臓ごと吹き飛ばされて即死してもおかしくない傷を受けながら、天魔は平然と彼の攻撃をそう評する。
傷口から血が溢れる事はなかった。変わりに、泌みだすようにして黒い靄のような物が、断面から流れ出る。
それは血流の変わりに、操る器に巡らされたイウタウィルの魔力。
天魔の反撃は前衛に出た二人に深い傷を負わせ、更に双剣で受けた傷口は、塞がらぬ呪いを掛ける。
(呪剣の類か)
一時的に後方に下がる玲治、虎葵にかわり、前に出る仁刀と鴉鳥。
ギッ、キンィン!
青年の雷撃の刃を、黒刃の太刀を受け、弾いて身を翻す天魔。間隙を着いて、鈴音の術式が発動、異界より呼び出された無数の何者かの腕が天魔を拘束しようと湧き出す。
その一瞬を好機と、大剣を抜き放ちは以後に回りこむのは夢野。
(ここだっ!)
刃の纏う高周波が周囲の空間を歪めるようにして、天魔の背に吸い込まれる!
ドォオッ!
「…な」
だが、振り向く事無く差し出された左刃が、絶妙な角度で大剣を受け、流して通路の床を砕くに終わる。
『すまんのう、今のワシには前後も左右も、意味を成さぬ』
「くっ」
完全に隙を突いた筈の一撃をいなされ、夢野は一旦飛び退る。
(後ろに目でも付いてるのか!?)
それはある意味では当たっており、だが外れでもあった。
「こ、のっ」
後方より奔る銃弾。勇太のそれも、流水の鎧が易々と受けきる。フェンリルの扱える技で中遠距離は射ち尽くし、別の技は仲間をも巻き込みかねない為、この閉所では早々使える物ではない。
ゾンッ!
『ふむ』
その鎧を切裂き、黒刃が刹那を切裂いて打ち込まれる。
「……」
強い意思を込められた眸、その鴉鳥の斬を受け止めるイウタウィルは、その中に何を見たのか。
『何を期待しとるか知らんが…いうたであろう、“無為”じゃとな』
「そう、か…っ!」
得物を弾きあい、離れる両者。
「ちょっと!一瞬屈んで!」
「えっ、うおっ!?」
背後からの鋭い声に気づき、咄嗟に腰を落とした夢野の頭上を過ぎる漆黒と紅蓮絡み合う火線!
「喰らえ、六道呪炎煉獄!」
確かに直撃した、それを確認しぐっと拳を握る鈴音。だが――
「逃げて、鈴音ちゃん!?」
「え?」
背後から、ひやりとした物が突き抜けて、貫いた。
●
「…かっ、ぅふっ…」
どろりと、口元から溢れ出る体液。
ばさりと翼をはためかせて、それは娘の背後に居た。
『やれやれ…詰めが、甘いのう』
双剣が体内で十字に重なるように、鈴音の背中から丁度乳房の下付近へと、その先端を覗かせていた。このままもし左右に権を容れられれば、彼女の体は文字通り上下に真っ二つにされる。
仲間の誰しもが最悪の光景を想像するに足りた。
『挟み撃つまでは、まあよい。だがのう…翼は飛ぶ為でなく、対手の頭上を越えるのにも使えるのじゃぞ?』
鈴音の躰を盾にするように撃退士達に翳し、その影から天魔が嗤う。
「貴様…っ」
仲間の危地に、しかし迂闊に飛び出すことも出来ず。暫し対峙する両陣。
『ここで見せしめにしてもよいが、そうさな。暫くそこから動かぬというなら、此奴は生かしてやろう』
「何を」
呻る夢野を押さえるように、仁刀が前に出て続きを促す。
『まぁ聞け、取引じゃ、悪魔のな。ワシはそろそろお暇させて貰う、迎えが来るのでな』
ドガァッ!!
「きゃっ!?」
「くっ」
刹那、地下全体を揺るがすような衝撃と共に、天魔の背後の通路が大きく爆発した様に爆ける。
「…あれは」
もうもうと上がる土煙が収まった後に目にしたのは、通路壁に大きくうがたれた穴と、それを作り出したであろう――
「ワーム型、か」
それは蚯蚓に頑丈な厳つい甲殻と、掘削機の様な無数の牙の生えた固体だった。それで此処まで穿り抜いて来たのだろう。
『この器、スペアにと思って居ったが中々どうして。千年余に航る研鑽の技術と知識、拾い物じゃ。これ以上傷をつけとうない』
気を失った鈴音を双剣に串刺したまま、イウタウィルは後退し、ワームの口腔に身を入れる。
『地上に無事出た時点で、小娘は解放してやろう。此奴の命が要らんなら、追いかけてきても構わんがの。好きにせい、ほっほっほ』
「……分かった、その取引を受ける」
『賢明じゃな。では、取引は成立じゃ』
後に穴を伝い地上に出た撃退士達は、鈴音を無事回収し応急処置を施す。
地上での戦いもディルキスの撤退で幕を下ろし、こうして一件はとりあえずの収束を見たのだった。