「応答がねぇな」
駐車場に転移して直ぐ、対象を追尾している筈の国家撃退士に通信を送る。だが結果は言葉通り。向坂 玲治(
ja6214)は舌打ちと共に光信機を切った。
険のある面差しの少年であるが、ぶっきらぼうな所作の裏に錯じる憂慮が窺える。
「無事だといいけど…」
意志の強さを露わすような太い眉と瞳。その眉根を顰め、六道 鈴音(
ja4192)が呟く。
「あちらも、お待ちカネのようネ」
痩身で黒髪の青年が肩を竦めて首を回らす。その赤い瞳の先、遠目に見える、崖上に施設された展望台。
そこから発せられる大きな気配を見定めようとする様に、発音に若干癖の或る風の長田・E・勇太(
jb9116)が目を細める。
「気掛かりなら、相対した時に聞いてみればよかろう」
「そうだね!でも答えてくれるかなぁ」
銀髪を背に流す黒セーラーの少女。首から口元までを匿すマフラーの下から発せられる鬼無里 鴉鳥(
ja7179)の声。それに応える様に隣に並び立っていた少女が勢い良く頷いた後、小首を傾げる。黒髪を大きなリボンで纏めた彼女の名は紅葉 虎葵。先の鴉鳥の縁者でもある。
「取敢えず、行って見ませんか? こうしている間にも何か起きるかもしれません」
一行の中で尤も幼く見える少年が、怖ず怖ずと口を開く。実際に実年齢も最年少の夢前 白布(
jb1392)だ。
「だな。行動しないと始まらねえ」
「うん」
皆が頷き、一斉に駆け出す。共に駆けながら白布は一瞬だけ瞼を閉じ、胸に拳を押し当てる。
(――勇気を分けて下さい。どんな相手にも怯えず立ち向かえる、強い勇気を)
脳裏に浮かぶ恩人の姿に、祈るように。
●
一同がその場に着いた時、吹き荒ぶ一陣の冬風。身を切る様な冷たさも頑健な撃退士には勿論、天魔にも苦にはならない。
集中する視線の先、崖際の展望台に立つ影。海を眺めていたそれが、背後の気配に気づき、乱れ靡く髪を一払いして振り向く。
そして一瞬学生らは毒気を抜かれる。その顔に浮かんでいた、透明で、邪気のない、屈託のない笑顔。
然しその足元に転がる、もう一つの影に気づき、再び彼らを緊張が縛る。
「まさか、その人を手に掛けたの!?」
一歩踏み出し、叫ぶ鈴音。双方の距離は未だ数十メートル、相手は一見十代の少女の様に見えたが、天魔の外見ほど当てにならない物はない。
『んん、これ?』
少女は、違和感の幼げな声で、足元を爪先で突く。
『寝ているだけさ。ちょっと撫でただけなんだけどねぇ』
一同の様子を窺う視線を流し、含み笑う天魔。答えに僅かに安堵するも、確認できない距離で鵜呑みにするには足りない。
「一人って事はどっかに伏兵が居るか、よほど自信があるか…まぁ後者だな」
仲間にだけ聞こえる声量で玲治が呟く。少女が纏う鷹揚な気配は、小細工をするタイプには見えなかった。無論芝居という可能性もあるが。
「君は一体、誰なの!?」
虎葵も鈴音の隣に出て誰何を上げる。
『ふふん♪ 名乗ってもいいけどさぁ…悪魔が対価なしに答えるとお思いかい?』
揶揄う様に、否、実際揶揄っても居るのだろう。
(やはり魔族でしタカ)
己が身の内に流れる血の半分。それが同胞の気配に答えるように脈打っているのを感じ、勇太は軽く拳を握り、開く。
「簡潔に聞こう――何をしに現れた?」
揚々と答えるとは念わなかったが鴉鳥は二人の更に前に進み、
「友好を求めるならば厭はない。然し戦を求めるならば――」
気を練り上げ、構える。玲治と白布も同様に。後背では、勇太が異界より呼び出した幻獣、スレイプニルがその姿を顕現させる。
「念の為に聞くけど、観光って訳じゃないわよね」
最中、戦前の軽口の算段ではなった鈴音の質問に、
『いやあ、実はそうなんよー』
「は?」「あ?」
実にあっさり、けろりとした様子で少女はそう宣った。
『だってさぁ、異世界だよ、異世界?見知らぬ物、風景、文化、食い物、異種族の雄…観光しなくて如何するのさ♪』
「なる程、それもそうね!」
嬉々として、本心からの笑顔で語(っている様に見え)る天魔に、思わず頷き。一部何か引っかかったが。
「って、じゃあその人は如何説明するのよ!」
未だ倒れて動かない、恐らくは少女を尾行していた国家撃退士を鈴音は指差してみせる。
『あのさあ、小娘』
「こ、こむす…失礼ね、これでも大学生よ!」
『いや、ダイガクセイ?とか知らんし。あたいから見りゃ、あんたら皆小娘と小僧さね、にひひ♪』
笑いながら、天魔は腰に手を当て前に乗り出し、更に片手の指を一本立てる。
『こーんな美少女が、旅先で見知らぬおっさんに付け回されたんだよ? ああ恐い。思わず反撃の一つもしたら、一寸強めになっちゃう事だってあるだろ?』
自分を美少女とか臆面もなく言う、実年齢(打撃音)の子持ち未亡人。
「む、ま、まあそゆう事もあるか…な?」
「えーっと、うーん…あるかも?」
思わず、顔を見合す鈴音と虎葵。猪突猛進系少女二人(ぉぃ)。
(…確かに嫌かもしれん)
声に出さぬも、なんとなく自分に当てはめ想像する鴉鳥。
「いや待てお前ら、何で納得しそうなんだよ」
「そ、そうですよっ、気絶するまで殴らなくたって他にやりようはあるでしょう!?それにっ」
ツッコむ玲治と白布、後ろで様子に微苦笑する勇太。
「闘る気全開じゃないですか、あの人!」
びしっ、と白布が指差す先で膨れ上がる闘気を匿そうともせず、天魔――ルイは屈託のない笑みを浮かべて。
●
『まあ、観光ってのに虚偽はないさぁ…けど』
眼前に差し出す右手。
『来な、焔天通(ほむらどうし)』
掌より真一文字に炎が伸びる。それは実体を持ち、一振りの太刀へ。然して少女の体躯に比して余りに巨大に過ぎる。
握った柄をだが軽々と振り回し、天魔はそれを肩に担ぐ。
『あたいのは、“喧嘩”って枕がつくんだよねぇ…にひっ』
「つまり、力試しって訳か」
『半分は正解』
「半分?」
『後は…あたいを押し倒してからでも聞いとくれ♪』
怪訝に聞く玲治にウインク一つ。
「上等だ」
旋棍を、薙刀、或いは得物を隠し。呪符を、魔道書を具象化させ、幻獣は天へと舞い上がる。
互いをフォローし合える距離で陣形を保ち、撃退士達は一斉に売られた喧嘩を“買った”。
互いの距離はまだ20m以上。双方の得物の射程からは猶予があるように、上空からの勇太は見て取る。
『遅いねぇ、そんなんじゃ』
次の瞬間、彼らは一斉に目を剥く。
『あたいの寿命が尽きちまうよ?』
瞬きの間に、玲治の直前に現れた天魔の姿。
(転移っ…じゃねぇ、これは!)
「くっ!」
ギィイイイインッ!
「ぐ、おおおおおぉ!?」
僅差で、旋棍を盾にガードするその上から、閃く太刀の刃。凄まじい衝撃が、彼の身体を猛烈な勢いで後方に吹っ飛ばす!
「なっ!?うわああああっ」
その背後にいた白布を巻き込み、二人は10mほどもあろう距離を共にして吹き飛ばされる。勢いを殺す為に削られた地面が土煙を上げる。
(は、速すぎでしょ!? あの足を止めないとっ)
胸中で驚愕に叫ぶ鈴音。その他の者も同様だったろう。
動体視力、反射神経。それらが者によっては常人の数十倍にも達する撃退士にすら、天魔の動きはフィルムのコマ落しのようにしか捉えられなかった。
そして、この戦闘を通してルイの先手を取れた者はただ一人もいなかった事を録して置く。
「ちぃ、口だけじゃねぇってか!」
『ふふん♪ ボウヤは口だけかなぁ?』
「ほざけっ!」
即座に体勢を立て直す二人。その間を稼ぐ様に、横手から打ち掛かるのは漆黒の大薙刀!
「僕が相手だよ!」
ギシィッ!
『ほう、似た様な武器だねぇ、小娘』
大上段に振り下ろされた一撃を頭上で受け止め、虎葵の得物を品定める。
ルイに知る由もないが、銘は天紡“時蛇”、母より継ぎし一品。
『中々に鍛えられてる。愛されたいい刃さ』
「それはどう、も!」
一瞬、押し込むように体重をかけ、即座に飛び退る虎葵。
「ご希望なら消し炭にしてあげるわよ!」
自ら撃退士の前に飛び込んできた天魔。当然ながらその位置は後衛の射程にも踏み込んでいた。
鈴音の呪符を起点に放たれる紅蓮漆黒錯じりあう炎線!
「合わせます!」
虹色に輝く装丁の書。白布のアウルを介し発現する魔力の翼より、打ち出される羽が殺到する。
しかし――
『温いね』
避け様とすらせず、停まるルイ。刹那に竜巻の如く大太刀が数旋、閃く。
「な…っ、魔力をそのものを切った?!」
『魔力だけじゃないよん♪』
言われて気づく、先ほどの光景に錯じっていた金属音。
「…ミーの銃弾もデス」
上空からの声。見上げれば自動拳銃を構え幻獣を駆る勇太の姿がある。
『数百年馬鹿みたいに剣を振り回してりゃ、この程度の芸、身につくもんさ』
(ほぼ同時に三方カラの攻撃を…修練に掛ケタ年月の差、ですカ)
「ならこいつは如何だ!」
『ん?』
吹き飛ばされた間合いを一足飛びに、玲治がルイの眼前に飛び込む。次いで彼のアウルが、闇となって天魔を巻き込み光を閉ざす。
『ふん…無駄さ』
「!? 闇が…っ」
二人を包んでいた闇。それがまるで天魔に吸い寄せられるように集合し、形跡もなく消えうせる。
『ごちそうさん♪』
「食った…のか?」
『んー、比喩としては近いか、なっ!』
ギィンッ!
「――ッ!」
いきなり目の前の青年から視線を外し、太刀と共に翻るルイ。大地に突き立てた刃に、刹那に放たれた黒き刃が激しく激突する。
『ボウヤが目晦まし、その後ろを突く、かぁ。悪くないねぇ、うん、悪くない♪』
「…嬲るか」
『そんな算段はないよ、素直に感心してるさぁ。あたいが相手じゃなければ、通じてたろうし、ね!』
ゾンッ!
「ぐ――ッ!」
突き立てた土ごと下段よりかち上げる大太刀。その一撃を受け止め、小柄な鴉鳥の身体は軽々と後方に吹き飛ばされる。
「この技…面倒極まりないな…!」
空中で身を拈り、何とか足元から着地する。勢いでずり落ちたマフラーを掴み、乱暴に引き上げる。
『ん?』
その一瞬、天魔に怪訝な表情が走る。
(…?)
自身に向けられたそれに疑念を抱くも、今は振り払い再び間合いをつめる鴉鳥。
間を稼ぐ為、勇太の命を受け高度を下げたスレイプニルが、生ぜし雷球を放つ!
『だから無駄だっての』
間合いに入った瞬間、閃く刃がそれを真っ二つに切り裂く。
ゴッ!
ザシュッ!
『んグッ?!』
「でもないぜ」
「隙アリって奴だよ!」
鳩尾と肩口、玲治の旋棍がめり込み、虎葵の薙刀が切り裂く!
相対する属性を秘めた両者の技は、常より速く、鋭くなって天魔への痛撃となる。
『ちぃ、確かに気も漫ろだったねぇっ』
「ぐぅっっ!」
「きゃああっ!」
お返しとばかりに薙ぎ払われた大太刀が、得物でガードする二人を纏めて吹き飛ばす!
ルイは素早く飛び退り、崖際へ位置どる。
「もらったわ、六道鬼雷撃!」
『ぬおわっ!?』
だが、密かに背後を取ろうと回り込んでいた鈴音が、そこに居た。
「って、え?」
『残念♪』
(なにこれ…魔力がこいつに吸われ…ううん、違う!?)
雷術は結局、太刀で切り払われた。だがそれ以上に不可解な現象が、魔術師である彼女の目に映る。
ガシッ!
『へ?』
「いけないっ」
「ばか、戻れ!」
天魔の意図に気づき、勇太が、玲治が叫ぶも時已に遅し。
一瞬の不覚。天地がひっくり返る。
『飛んでこーい♪』
「うきゃぁあああああああ!?!」
景気良く全力投擲された女の声が崖下へと消えて行った。
ぱんぱんっ、と手を払うルイ。
『いやー、引っかかってくれてよかった。流石にあたいも、数は面倒なんでねぇ』
「端から落とす算段で此処を選んだって訳か」
『あっはっは、まぁね。あんたら、この程度の高さから落ちても死にゃしないだろ?』
快活に笑い、片手で振るっていた大太刀を両手で、正眼に構えるルイ。
『舐めたのは謝るよ、…此処からは本気で行かせて貰うさ』
●
ともかく疾く、比い稀な機動力。それがルイの特筆すべき点だった。そしてそれを活かす剣術の技。
連携を以って充たる撃退士を冷笑う様に切り込み、離脱し、崖際へと誘い込もうとする。
救いだったのは、彼女が其れ程回避を得意としていなかった事。徐々にではあるが、ルイの身体にもダメージは蓄積されていく。
だが、それ以上のペースで撃退士達は消耗していた。
『騎乗で見下ろすのは好きだけど、逆は好みじゃないねぇ』
「…ユーもレディならもう少し慎みを―!?」
気がつけば、目の前にルイが居た。
「しまっ」
(アレだけの脚力があるナラ、跳躍力もっ)
想定すべき事だったが、今更だ。袈裟懸けに振りぬかれた太刀が、白霧を纏い目晦まそうとした幻獣ごと主人を切り裂く!
『はぁい、二人目』
「貴様――ッ」
くるりと空中で回転し降り立つルイに、一気呵成に斬りかかる鴉鳥。
『冷めて見えて、意外と激情家かい?』
「……」
『にひひっ♪』
一旦距離をとろうと地を蹴る少女。その胸元に旋風の如く伸ばされる天魔の腕。
「――ッ」
『ちょいと見せてみな』
ビィイイイイ――ッ
文字通り絹を引き裂く音。鴉鳥のセーラーの胸元が大きく裂け、白い肌を呈にする。
「え、そっちの人!?」
次いで斬りかかった虎葵が、その始終を見て僅かに頬を染める。
『どっちの人だい。ま、いけなくはないけどさ』
同様に仕掛けていた玲治と白布が、若干視界の取り方に困る。
『さっき気になってねぇ…首の、そ、れ』
トントンと、自身の同じ場所を突いてみせるルイに、鴉鳥はハッとして柄から手を離し、そこを押さえる。
曾て一人の焔魔に刻まれた黒き刻印を。
『なんか見覚えがある気がしたのさぁ…成程ねぇ』
にやにやと、これまでと違う意地の悪い笑み。
「…何が言いたい」
『いやぁ、息子が偶に似たよーなのを獲物にサァ…くくっ』
「…息子?それが何の」
『あの馬鹿、よく『イド』とか宣ってんだけどね?』
「…は?」「へ?」
「えええええっ!?」
『おや?』
一拍遅れて崖際からも上がった声に、ルイはひょいと覗き込む。
「あ」
『はろー♪』
不意打ちしようと転移術で崖をショートカットし潜んでいた鈴音が、そこにしがみ付いていた。
『また落ちてみる?』
「あははー、え、遠慮したいかなぁ」
冷や汗を浮かべて笑う。
「で、結局どうすんだ、続けるのか」
油断なく構えながら、玲治が、そして白布。
『いんや、そっちもこれ以上はきついだろ?今日はこれで手打ちにしとくさ』
二人以外は、当惑の中、そして気を失った勇太。継戦力は確かに乏しい。
『次に邂えた時のお楽しみに』
チュッ♪
「んなっ?!」
「ぶっ!?」
『しとくよ、にひひひっ♪』
虚をついて一瞬に玲治、白布の唇を奪ったルイは、倒れる勇太の元へ膝を着く。
『また邂う時があったら、男を見せてみな』
青年の額へ口付け、背に翼を顕現させると、曇り始める冬空へと舞い上がって。
『全く、世界ってのは広い様で狭いモンさね』
そのまま遠ざかる姿を、撃退士達は戸惑いの中で見送るのだった。