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「事前準備が出来るのに、やらない手はないな」
語りかけてきた思念の質を吟味しながら、小柄な少女はそう口走る。
発現と共に流れるアイリス・レイバルド(
jb1510)の流れる金髪は青灰色と変化し、同時、身体各所に黒い結晶状の器官が一時形成される。それにより可視化したアウルが黒き粒子となって一つの像を彼女の背後に結んだ。それは瓜二つの影。
影はその像を拡散させ、仲間達に一時纏わりつくように包み込んだ。やがて溶ける様に消えうせた後に彼らに加護の力を残し、再び少女の背後に像を結ぶ。
「苦労は買いたくないのだがねぃ…天才に苦労は似合わんのさね」
それを確認しながら、アイリスより頭一つ分と少し背の高い細身の少女が、先の思念に応える。
「然も、手負いの獣ほど面倒な者はないのだがねぃ…」
“そうかな? その割に君は楽しそうに感じるのだが…私の気のせいかい?”
反ってきた揶揄い交じりの思念に、皇・B・上総(
jb9372)は苦笑しつつ肩を竦めて見せた。
思念から同属の気配を辿り、尼ヶ辻 夏藍(
jb4509)は透かし見るようにビルを見上げ、その態を捉える。
(これは夜に映える美しい髪だ)
穏やかな笑みを浮かべ、胸中で囁くように。先の思念から、“彼女”がこちらの心中を読んでいるだろう事を把握しながら。
(で、君は其処で高みの見物かい? こんな夜はどうせなら一緒に踊ればいいのにね)
“同属ならば分かるだろう? これは私の性さ。 君の性は、その口の巧さかな?”
含み笑うような思念が彼に反る。
(さあ、如何だろうね)
ばさり、と。夏藍の背に顕現するは闇色の翼。能力の開放に伴い鱗状の濃紺の模様が彼の半身を色彩る。
その隣で同様に翼を顕現させるのは、細面の着流し態の男。白銀の髪を項で軽く結わえ、銀眼の右を眼帯で覆う。
「しかし、賞金首狩りとな?…要するに“はぐれ悪魔”を狩る連中の事か?」
戸惑う様に過去の故郷を思い返す小田切 翠蓮(
jb2728)に再び思念が韻く。
“その認識で間違いはない。悦ばしい事さ、我らが古巣は未だ変化を望み、停滞は遠き日の事”
「なる程、物は言い様よな」
皮肉錯じりのそれに、翠蓮もまた揶揄する様な笑みを浮かべた。
やがて準備を斉え、機を合わせて結界に飛び込んでいく。
『気をつけたまえ、ショーの呼鈴は疾うに鳴り響いた後だ』
それを認め、瞼を開いた彼女の眸は縦に裂けた獣眼。深みの有るルビーが如き緋が、中天過ぎし月を仰いだ。
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突入後、優先に努めるべきは標的の捕捉。
だが、先手に飛び込んだ猪川真一(
ja4585)は前後左右に視界を飛ばすもそれは確認できず。
次の瞬間、膨れ上がる殺気。本能の警告に頭上を見上げる。
「上か!?」
その声に全員が反応し、同様に。それは一瞬、しかし致命的な遅れ。
天上より急襲する影は、結界内の紅き光にその半死の身を染める中で一撃を放つ寸前だった。
『死ネ』
標的が飛行能力を有すと予想し、備えていた一同でも、突入直後に頭上から奇襲される事を予測している者は――
「君のその行動は…」
ただ一人だけ、居た。
「読めてるのさ」
地より天に迸る雷撃が、紅の世界を一瞬目映く照らし出した。
『ナッ!?ガァアアアアッ』
初手に渾身にして必殺の一撃。故に、絶妙のタイミングで放たれるカウンターを避ける事あたわず。
その身に喰らいつく雷撃に絶叫を上げながら、それでも貫徹せんと意地で放たれる天魔の魔力。
「!! 來鬼っ!」
傍らの相方が炎に包まれる光景に、真一が声を上げる。
「…へーきへーき、これ位。アイリスちゃんの加護もあったし」
発せられる少女の声。同時に膨れ上がる灰色のアウルが炎を内側から吹き散らし、その姿に彼はほっと一息つく。
「それにしても、行き成りやってくれるよね」
何処か楽しげな色を泌ませ、名残にふわりと降りる肩までの黒髪を軽く一払い。幽楽 來鬼(
ja7445)は上総の魔法に怯み、上空に逃れた悪魔を見上げる。
(まるで壊れかけの玩具…如何潰してやろうかな?)
「來鬼、気を抜く…いや、外し過ぎるなよ」
ちらりと視界に捕らえた彼女の笑みに、青年は思わずそう口走る。付き合いの中でそう云う時何を考えているのか、朧げに読めたりもする。
「アテにしてるぞ!」
「はいよ」
互い一度視線を絡ませ、即座に駆け出す二人。
空を飛べない者に出来る事は、標的が地に落ちてくる可能性に備え、その場所を常に掌握する事と承知していた。
「どうにも、いい獲物を寄越してくれたものだ」
ほぼ同時、呟いたアイリス。全員の能力観測を終えた少女は一歩遅れて二人を追い、青年の背に掌を翳す。放たれた魔力は彼の身に、密やかに見えざる刻印を刻み込む。
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「熱烈な歓迎だね、虚を突かれたよ」
ばさり、己以外の層なる羽ばたき。体勢を立て直した天魔が視線を巡らせば、それに距離を置いて挟み飛翔する二つの影。
手にする霊符より生ずる水の竜をあやす様に腕に這わせ、夏藍がそれを放つ。
「…ふむ。まさに半死半生よな。――ここまでやって置いて、随分とものぐさな奴よのう…」
一目見て重傷と分かる傷を負った天魔を見留め、一瞬、結界の境から現世を透し見る様に視線を流した翠蓮は苦笑する。
辛うじて水竜を躱した天魔の右側面より、その風体にそぐわぬ無骨な銃身を構え、引鉄を引く。死角より空を趨った弾丸が今度は違いなく標的の傷口を刳り抜けた。
空戦は、夏藍、翠蓮がほぼ一方的に押し続けた。
比較的間合いの近い夏藍に定め、炎を、幻術を放つ悪魔。だがその悉くは碌な効果をあげず。
それも当然、元より魔術師の系である陰陽師。元より高いに加え、魔装により更に固められた魔力抵抗に対して分が悪すぎた。
歯噛みしつつ、ならば近接戦闘で仕留めんと間を詰めたその時。
「待っていたよ」
『――ッ』
穏やかに宣する夏藍。突如、自由の利かなくなる己が身に天魔が目を刮目く。
符を起点に奔る石化の呪。されど天魔自身も他者に害する呪を扱う悪魔だけに、その抵抗力は高い。先ほどから射ち込まれていた翠蓮の蟲毒に対しても、高い抵抗力を見せていた。
だが。
何時の間に、戦いながら押し込まれ下がっていた高度に気づけなかった。
深遠を覗く瞳。底より湧き上がる破壊の光輝。瑠璃色の視線をなぞり放たれた閃光が石化して身を躱せぬ天魔の背を灼く。
「死に物狂いの視野狭窄、隙だらけだぞ」
毒素と変じたアウルの名残を一つ落涙として浄化し、アイリスは無表情に告げる。
続け更に再びの雷撃が硬化した翼を穿ち、粉砕。
「こちとら君に対して個人的な思いはないが…これもお仕事ってやつさ」
発動の媒介となった書の残照が、飄々と嘯く上総の表情を浮かび上がらせていた。
結界内に響き渡る、激突音。
『――ガッ、ア、ガッ』
本来ならば強靭な肉体にとってさしたる影響もない高度。だが標的であったはぐれに受けた重傷に、撃退士達の追い討ちも重なれば軽くはない。
襲う激痛を意志力でねじ伏せ、片腕で弾みをつけて飛び起きる。再度、その背に翼を顕現せんと――
『――ッナゼダ、翼ガ』
「嬲られて死にたいならお付き合いするよ?」
揶揄いを含んだ声に、半身を回す様に振り向けば、悦を浮かべた少女と視線が錯じる。
放電を纏う呪符を手にした少女を起点に、展開する魔法陣、その影響圏内に囚れている事を瞬時に悟った天魔は、残る左足で大きく飛び退ろうとした。
しかし、左手より降りかかる殺気が、それを許さない。
「もう逃がさねぇよ!ここは俺らの“戮し間”だ!」
撃退士達が対する以前に受けたのだろう手酷い傷跡に視線を流し、真一は胸中で語散る。
(…酷くやられたもんだな。だが)
故にこそ、この手の手合いは危険だと、然り噛み砕く。
手にする両刃の大剣―微光を纏う細身の刀身に数字の「0」を握り潰す腕の意匠が施された―の柄を確かめる様に握り締め、爆発が如く踏み込み、その躰は加速する。
発現する光纏は、彼の背後にローブ姿の骸骨を幻影と浮かび上がらせていた。何時か、彼の運命を指し示すが如く。
來鬼から距離を取りつつあった標的に肉薄、得物を振りぬく。
天魔は、咄嗟に纏う襤褸の袖から何かを放つ。それは、青年の顔面目掛けて飛来する。
ぎりぎり頭部を傾け、深々と切り裂かれる左頬。それは、現世の武器に例えれば『円月輪』と呼ばれる物に酷似していた。
僅かに勢い削がれた刃が、天魔の身を切り裂く。
そこからは最早一方的だった。
近接を真一、來鬼に挟まれ、二人から逃れようとしても上総に中距離で射たれ、与えた傷もアイリスによって療され、無為な努力と化す。
頭上は夏藍と翠蓮に制され、再度の飛翔も儘ならず。
仕掛けられる束縛、石化等に再三に行動を阻害され。それでも、天魔は何かに憑かれた様に必死に抗い続けた――。
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『マダダ…マダ…俺、ハ…』
最早まともに身を起こす事も出来ず、地に踞る魔属。だがその瞳は、未だ生存への執着を捨てきれず。
「…憐れよのう」
憐憫の呟きと共に、地に降りた翠蓮の銀の髪がスルスルと伸び、標的に絡みつく。尤も、それは実体ではなくアウルの幻影であったが、効果そのものは違いなく発揮される。
「その体でよくぞ此処まで戦ったものよ。おんしのに健闘に敬意を表し、苦しみの時は今直ぐに終わらせようぞ…」
「ええー、うちはもうちょっと…」
反射的に愚痴を漏らし、光輝を纏う美しい太刀を振り下ろそうとする來鬼の後ろ襟を掴んで引き留め、真一は首を振ってみせる。
「…ちぇっ」
その間にも束縛に抵抗しながら、最後の逃走に温存しておく算段だった翼を天魔は再び顕現させる。
「狩りの涯に狩られる結末を迎える、憐れな君」
上空から見下ろし、夏藍は声を掛ける。
「手向け代わりに、名を聞かせてくれないかい?」
憎々しげに、天魔はその彼をねめつける。
「…答える気はないか」
束縛を振り切った天魔が、その翼を大きく伸ばした。その背に立つ人影。
『フギッッ』
一瞬途切れる意識。雷撃の縛鎖に囚われた背後から、復帰したそれに向けられる言葉。
「可能性を諦めず、足掻く。嫌いじゃないけどねぃ…潮時ってやつさね」
目前に進み出る真一。手にする刃は噴き上がる紫炎を纏い、構えられる。
「楽にしてやるよ」
『グ、ソガァアアアアああ噫噫あああああああああああああああああああッッ!』
血反吐と共に放たれる咆哮。
大剣が、背負う幻影の大鎌と累なる様に、弧を描いて空を奔る。
ドッ―という手応え。
重い物が崩れ落ち、倒れ伏す音。――少しあけて、それより軽い物が遠くで落ちる。
「――観察、終了」
大鎌の柄を軽く払い、それをヒヒイロカネに収納するアイリス。彼女の呟きが、戦闘の終わりを告げた。
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解けていく、現世と虚実の境界。
「…やれやれ。やっと出られたか」
紅が淡れ、夜の帷に溶けて行く中で、乾いた物が打ち合い響く。
撃退士らの背後よりのそれに、各々が振り返る。
『さてさて、こうも一方的になるとはな。学園は良い駒を育てているようだ、相変わらず。…ふふ、あのボウヤにもう少し手加減をしてやるべきだったか』
愉快そうに言い切り、煙管を咥える女。瞼は封られたまま、漆黒のナイトドレスに包まれた豊熟の肢体で、ヒールを鳴らし歩み寄る。
その薄いレース地から透ける白い肌は浮かび上がる様に闇夜に映えた。
学園からは『海外派遣員』という肩書きと、その容姿に関する情報しか与えられては居ない相手。
彼女の物言いに眉を顰め、翠蓮が口を開く。
「おんし、年寄りをあまり扱き使う出ないぞ。それに、せめて名ぐらいは名乗るものぞ?礼儀であろう」
「………」
その間、アイリスは興味深げに女を観察し続ける。
『ん、ふふ…年寄りか。さて、実際どちらが年上なのやら…おっと、礼儀に煩い君は、名告る事なく女に歳を聞いたりは無論しないだろう?』
「む…」
「これは、我々男には分が悪いですね」
翠蓮の隣で、夏藍が苦笑する。
「…性格が拗れていると――」
『よく言われる』
そこに、ひょいと上総が首を突っ込む。
「で、実際きみは何歳なのさね? おっと、私の名は皇・B・上総だねぃ。女が女に歳を聞くのは、構わないのだろう?」
『おっと、これは一本。まあ、答えるに嗇かではないがね…彼是…君達で言うところの10世紀ほど生きているかな』
ぽふっと横手からアイリスが手甲の平に握った右手を打ち付ける。
「…つまり痴女おばあちゃんか?」
「「ぶっ」」
厄介そうな相手だなー、と少し遠巻きに見守っていた真一と來鬼が思わず噴出し、慌てて口元を押さえた。
『くっ、ふっふっ…ずけずけと言う子だな。だが間違ってはいないか。服の趣味は悪いともよく言われるしな』
だが女は気にした様子も見せず、くるりと背を向け、ひらひらと手招きして歩き出した。
『他に何かあれば、道々答えよう。取敢えず、帰路につくとしようじゃないか。久方ぶりに日本の地を践んでこの騒動だ、早く休める場所に着きたい』
学生らは顔を見合わせ、その彼女と並んで歩き出す。
『ああ然う然う、こんな痴女だが乙女だ。下衆に手篭めにされそうになって、こっちに逃げてきたのでね。普段は“夜魔”と呼ばれている。勿論偽名だ』
ぷかり、煙管をふかしながら、夜魔はいけしゃあしゃあと虚偽か誠か判然としない言葉を彼らに向け、
『で、逃げる時、下衆の溜め込んでいた魂を根こそぎ頂戴してね。それで懸賞を掛けられているのさ』
とにこやかに騙った。