●人《だれか》を識る道
「教えてくれたのは壬生谷さん達なんです」――
含羞む様な頬笑み。壬生谷はそれを直視出来ず、目を伏せる。
「手料理作りの依頼…ですか? しかし、君は確か」
「ええまあ…お察しの通り、帰れ、と」
顔を見合わせ、壬生谷と姫路 ほむら(
ja5415)は苦笑する。
少年は料理がかなり苦手、という以前の腕前だと知っていた壬生谷の反応である。
少しずつ増える会話。『何故、撃退士に?』と彼に尋ねていた。
「――そうですね。マスター…壬生谷さんとご縁が出来たのも、ここで行われる行事のお手伝い、でしたね」
嘗ての情景を思い起こし、公園奥を見つめる。
「あの時、撃退士としての心構えが出来たのです」
狂った、されど紛れも無き親の愛。翻弄される自身。反抗は必然となり、幼子は家を出る。
『久遠ヶ原学園』――己に覚醒た、アウルを操る能力。その素養のある者達が集う学舎であり、組織。
外界から切り離された人工島。学園都市として生活に必要な一通りの施設があり、住居も学園寮を提供される。
親から逃げるのに丁度良い…と。
「でも」
あの依頼で知った、過去の事件。遺された人達が抱える、癒えきらない傷。
「俺が嘗て知っていた人達も、そうだったんだって」
一人だけ。或いは最愛の人に遺される…その痛みは、今もほむらには想像でしか及ばない。
目の当たりにした人達は、それを抱えて生きていた。
仮面を被り、時に盲目的な狂信に囚れて。
「そんな人達が、再び何かを喪う事になってしまったら」
今度こそ、取り返しのつかない程に壊れてしまうのではないか。
「だから俺はどんなに危険な状況に置かれようと、生きて帰るんだって…誓ったのです」
総ゆる手を使ってでも。自分を大事に、大切に想ってくれる、皆と一緒に居る世界に。
「その為に、もっと学んで行かなきゃって」
届いた人の心を傷つけない、幸せを壊さない、その為に。
「私は人に何かを教えられる人間じゃない」
ほむらの言葉に、彼は瞑目したまま動かない。
だが、言うべき事は全て伝えた。だから。
「さてと…っ、失敗のリベンジに、料理本を買いに行くのです!ではまたっ」
少年の背が公園から見えなくなって暫く、壬生谷の足は、商店街へと向かっていた。
●歪で一途な愛《のぞみ》
「そうですね…愛おしいから、でしょうか」――
人の心は、言葉にすれば複雑怪奇。だが想いは至極単純で、故に理解し難くもあり。
「あの〜…どうか、なさいましたか?」
はたと気づく。何時の間に物思いに耽り、立ち止まっていた。
「いえ、大丈夫ですよ」
だが、彼の何かに憑かれた様な表情にテレジア・ホルシュタイン(
ja1526)は一瞬眉を寄せ、そして包み込むような微笑を向ける。
「…少し、お話しませんか?私で良ければ、お聞きしますよ」
「撃退士になった理由、ですか」
戸惑う彼に様々な言葉をかけ、反る答えを増やして行く。
並んで商店街を歩き、やがてそこを抜けた時。訊われる。
――この日常が愛おしい。共に笑う友が、仲間が愛おしい。
故に守りたい、尽くしたい。そう想ったのだと。
そして天魔もまた、同様に愛おしい『日々』の一部であると。
今度は壬生谷が眉を顰め、まじまじと少女を見つめ。
「人が動植物を糧にするように、天魔もまた人を糧にしているのだろう」と。
道理としてはそうだ。だが、それを『愛おしい』と受け入れられる人間が、本当に在り得るのか。
「だからといって平伏す心算はありません。でも、手を取り合えるのならこちらから手を差し伸べたい」
それは希望であるし、願いである。そして裏を返せば彼女の『欲望』とも曰える。
――Amantes amentes(愛する者は正気なし)――
(確かローマの劇作家でしたか…そんな言葉を残していたのは)
昔、何かの本で読んだそれがふと思い浮かび、再度少女を見つめる。
そこに見えるのは、透徹した、言い換えれば度を越した想念、博愛。誰しもが真似できる物ではなく、摸しようとして出来る物でもない。
だから、
「愛おしさだけで全てを受け入れられたなら…私は此所に居なかったでしょう」
自身の始まりを思い返しb壬生谷はそれしか返す言葉を有てなかった。
「…と。依頼の直後だから体を休めて置けと言われていたんでした」
そういえばと微苦笑し、テレジアは軽く頭を下げる。
「お話を聞くつもりが、つい長々と話してしまいましたね。申し訳ありません」
「いや、こちらこそ」
互いに会釈し、別れる。離れて行く二人の距離は、互いの在り方の距離にも見えて。
●取り戻した想い《ねがい》
「…初恋、だったんです」
大切な宝物を、言葉に。
「壬生谷、さん…?」
大襲撃後に立て直された校舎は、嘗ての面影を遺しては居ない。
喪われた物を、透かす様に校門から学園を眺めていた壬生谷に、おっとりとした声がかけられた。
「?…何処かで、お会いした事がありますか?」
下校中らしい少女の進路から反射的に身を退きながら、何故自分の名前を知っているのかと疑問が口に出る。
或いはいつかに店にいらしたお客様かと、
「いえ、私は直接は…でも、うちの旦那様からお話は窺っていましたから」
「旦那様…。失礼ですが、お名前をお聞きしても?」
「はい、星杜 藤花(
ja0292)と申します」
その姓を聞き、漸く合点がいく。
「ああ、では貴女が彼の――」
以前、バイトとして雇った青年。面接の時に、住所関連から同棲ついて聞いた記憶があった。
「…どうかなさったんですか?」
「撃退士になろうとした、理由…ですか?」
初対面の少女に行き成り不躾な質問だと、普段なら控えただろう。だが今の壬生谷に、それを慮る心の余裕がなく。
(…依頼人がどうにかしたいと思うわけですね)
その様子に、藤花は憂いが少しでも晴れるならと、言の葉を辷らせる。
「はじめはとても安直で――」
適正があった事実を知り、出来る事があるならと。
だが性格的に戦いは苦手な彼女に、撃退士の在り方は戸惑いの中にあった。
「壬生谷さんは、旦那様の事をご存知なんですよね?」
「…ええ、ある程度は」
雇う人間については、副業である『情報屋』として信用が置けるかどうかを事前に調べている。
「わたし、幼い頃に旦那様とは家族ぐるみの付き合いがあったんです」
尤も、会ったのは一度だけ。
だが彼のご両親が失くなり、彼が孤児となった時、幼心に受けたショックでその事を忘れていました。
「もしかしたら、それが無意識下でずっと引っかかっていて、決意させたのかもしれません」
でも再会して、思い出して。
「もう二度と喪いたくないと、ずっと願っていたのかなって…そう、思うんです」
「私の理由、ですか…」
「はい」
逆に問い返され、壬生谷は自嘲の笑みを浮かべる。
「…壊したかったから撃退士になったんです」
姉を略った者達を、一族の柵を。だが、それは姉自身に拒絶された。
「過去形なんですね…。では今もこの島で暮らしているのは、何故ですか?」
暫く、遠く学舎を眺め。
「昔、言われたんです。『一緒に見守っていこう』と。…残骸を引き摺っているんですよ、多分」
遠い日の少女の面影。だが時は過ぎ行き、現実がそれをすり減らしていく。
やがて『息子を迎えに行く時間なので』と言う少女を見送る。
あの若さで?と一瞬驚いたが、何かの依頼で引き取られた赤子の情報を思い出す。
(…彼が引き取っていたんでしたね、確か)
●維いだ縁《まごころ》
「…復讐の為。私の大切な家族、町の人達、全てを奪った冥魔が憎かったから」
暫くの無言の後、少女は淡々と呟いた。
(俺は結局、追憶に縋りたくてこの島に残っていただけだ)
他に理由がなかった。生きる理由が。
出逢った生徒達は、皆、抱える物は違えど前に進もうとしていた。
比べて、なんと女々しいのか。
「良いお天気ね。日向ぼっこ?…には暑いか」
高等部の校舎を見上げる中庭。自嘲に没む壬生谷の背にかけられる声。振り返ると、長く編みこんだ髪を下ろした少女が笑いながらこちらを見ていた。
「ここ、風通しがいいの。お隣如何?」
何時の間に、休憩時間になっていたらしい。
「いえ、私は…」
ふと、少女が手にしている本に目が留まる。
(…彼女もよく中庭で読んでいたな…)
込み上げる懐旧に、結局断りきれず壬生谷は少女から若干距離をとり、木陰に腰を下ろしていた。
「お兄さんも休憩?」
「まあ、そんな物です。普段は商店街で珈琲喫茶をやっていますが…」
「あ、そこ友達がバイトした事あるかも」
蓮城 真緋呂(
jb6120)と名乗った少女に聞かれるまま。
表情の消えた真緋呂に、触れてはいけない場所に牴れた事に気づく。
謝罪に口を開きかけた時、彼女は続ける。
「何もかも喪った、何も残っていないと思った」
だが残された物があった。アウルを操る力。
「冥魔を倒す、その為に撃退士になった…最初は、ね」
無表情が、穏やかな微苦笑に変わる。
「――友達が『これから拾っていけばいい、沢山拾って、護れなかったけど無駄じゃなかったって証明すればいい』って」
学園で出遇った、新しい友人。新しい思い出。それは凝り固まった彼女の心を解かしていった。
「一緒に拾っていこうな、って言ってくれたの。今までの努力は、未来を変えている、とも」
それからは単なる復讐じゃなく、撃退士だから変えていける未来を探そうと。
「そう思うようになったんだ。実感は…まだあんまりないんだけど」
少女が足元の雑草の蕾に手を添えると、掌の中でそれは爆ぜる様に花開いた。
「こんな風に、小さくても未来に花を咲かせていきたいから」
桃色の小さな花。花言葉は『真心』。
「……」
休み時間終了のチャイムに、立ち上がる。
別れを告げ教室に急ぐ真緋呂。その内に、自ら口にした気持ちを改めて刻み込んでいた。
●望みたる縁《かぞく》
「素質があったから…ですが」
少し考え、彼女は付け加える。
「学園に来たのは…『家族』を作りたくて…ですかね」
再び戻ってきた公園。今度は迷いなく、その奥の梅ノ木の広場へと向かう事が出来た。
しかし、そこには先客の姿があった。
「こんにちは」
「…こんにちは」
遺品を埋めた梅ノ木、その前で何か物思いに耽っているようで、模糊と佇む一人の女性。
彼女の居る前で遺品を埋める訳にも行かない。とりあえず、挨拶を交わしてみた。
任務が予定より早く終わり、散歩をしていたというリコリス=ワグテール(
jb4194)に、気がつけばあの質問を投げかけていた。
「私、母が日本人なんです」
そして顔を知らない父…がイギリス人。母を没くしてから父方に引き取られた時には、アウルに覚醒ていた。
やがて学園に入学する事になった彼女に、富豪である彼女の大祖父が島の一角の土地を買い、屋敷を建て彼女に与えた。
「その時言われたのです…『家族を作ってみないか?』と」
彼女にとって、家族とは則ち『母親』だった。
「私、家族とかあまり知らないのですが…『母親』というものに、なりたくて…」
リコリスは与えられた屋敷を学生寮として開放し、そこで暮らす寮生の食事の用意や、掃除、洗濯…詰まりは寮母のような役を勤めていた。
「皆が帰ってきて、ほっとする場所を作っておきたいのです。…私には、あまり縁がなかったですから」
得られなかったが故の代替行為だと、自覚している。
唯一の直系である彼女にとって、自由が保障されているのは学園に通う間だけだろう。
学園への入学は、大祖父が気を利かせてくれた最後の自由だと。
「すみません、くだらない事を長々と…。そろそろ帰りますね、皆が帰ってきてしまいますから…」
丁寧にお辞儀をし、リコリスは立ち去った。
見送った後、壬生谷は木の根元から小さな櫃を掘り起こし、そこにペアリングを揃え埋め直す。
「…家族、そんな物に何の意味がある」
忌む私と、望む彼女。両者に違いがあるとすれば――
●感情《おのれ》を識る道
「…すみません、なんだか良く分からない話になっちゃいました」
誤魔化すように、少年はカップに口をつける。
「いらっしゃ…なんだ、てんちょーか。おっけーりぃ」
「すいません、直ぐ戻るといっておいて」
「いーよいーよ。お客さんだって、この子一人だけだったし」
カウンターで何かに集中する人影を示す眞宮。長い黒髪の青年が、それに気づき壬生谷に会釈した。
「いらっしゃいませ。…眞宮さん、休憩してきてください。後は私が」
「お、りょーかい」
(ふーん、出て行く前よりはマシな顔になってるじゃん)
マスターの顔色を見た彼女は、胸中で満足げに頷くとスタッフルームへと向かう。その途中、
(んじゃ、後はヨロシク)
と実は依頼を受けた一人、片瀬 集(
jb3954)に小声で囁いて奥へと姿を消した。
(珈琲飲むついでで丁度良いと思って引き受けたけど)
考えてみると自分の事を話すのが苦手な集は、如何切り出した物か思いつかず、取り敢えずレポートに集中しながら考える事にした。
「それは…新しい術式ですか」
カウンターで一頻り洗い物を終えたマスターから話しかけられ、故にほっとする。
「うん、面倒くさいけど。得意な分野ってこれだし」
同じ陰陽師として話も合い易く、自然と会話は増えていった。
「何で撃退士に…ですか?」
訊われ、改めて考える集。今まで、それを深く考えた事はなかった。
自分に備わった力があり、生活する為に資金が必要だった。その為に利用しただけで。
誰かを護ったり、何かを倒したいとか、大層な理由は持ち合わせていない。
有るとすれば、自分の為、生きていく為に。
「俺はあの男が嫌いだった」
なのに気づくと、そう吐き出していた。
家の為、それだけの為に自分を鍛えた父。
奴の為に、そして家の為に力を使ってなど一度もやらなかった。
此所に来る前、一つの事件が一族内で起きる。宗主の暗殺未遂。
分家が行った愚行に過ぎなかったが、そこに彼は利用価値を見出した。
罪を自分に擦り付けるように連中を誘導するのは、特に難しくもなく。
親殺し未遂による一族放逐により、思惑通り、晴れて自由の身を手に入れた。そして母方の旧姓を。
そして学園に来て、他の学生等を凄いと思った。
戦う為の理由を持っていたから。
自分の為…というのも理由には違いない。けれど、それ以外の為に力を使える彼らを、いつしか羨む様になっていた。
「でも、俺には同じ真似は出来なかった」
そして己の内にある『憎しみ』の重さに気づく。
虚ろだった筈の自分、だがそこに積もり続けた父への恨みが、凝り固まって。
歪だった感情は、更にその重みで歪さを増した。
「聞かなかった事にしておきます」
差し出される皿に盛られた、クッキー。サービスですと頬笑むマスター。
「そーしてくれると助かる。自分でも何言ってるんだか…」
微苦笑し、一枚を口の中に放り込む。珈琲に合わせた控えめの甘さが、舌の上に広がっていった。