募集によって集まった彼らを前に、一人の女性と依頼者の男性が自己紹介をする。
「まずは、こうして集まって頂いた事に感謝します。私が依頼を出した壬生谷 霧雨、商店街で小さな喫茶店のマスターをしております。こちらは学園の前身である養成学校時代に私の先輩であり、共同依頼者でもある――」
「シアヌ・タムイ・ヌナだ。アフリカの原住部族出身、今は企業お抱えの撃退士をしている。今回はよろしく頼むよ」
きびきびとした動作で頭を下げる女性。凛とした雰囲気に、女性らしい柔らかさも兼ね備えた大人の女、という風体である。
それに応じ、アルバイトの学生達も頭を下げた。
「こちらの四名に舞い手として。後の二人に演奏を担当して貰います」
沙耶(
ja0630)、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)、沙 月子(
ja1773)、新井司(
ja6034)、姫路 ほむら(ja5414)、東城 夜刀彦(
ja6047)が順に自己紹介をする。
「・・なあ、時にキリ君。私には一見皆女性に見えるのだが」
「ご安心ください、私にもそう見えますから」
にっこり笑ってほむらと夜刀彦を示す。
「「俺は男(だ・です)!」」
若干語尾が違う二人の反応。そんなこんなで五日間の練習が始まった。
昼間は授業もある為、放課後からの時間帯を練習時間に充てる。
異国の民族舞踊。慣れない動きに始めは途惑っていた沙耶、ソフィア、月子、司だが、三日も経てば相応の形となってきた。短い期間でそれを可能にしたのは、四人が一際真剣に取り組んだ成果だ。
「絶対に本番で大きなミスは出せないからね。納得いくまで練習するよ」
ソフィアの提案でより当日に近い練習をという事になり、着付けもかねて衣装を纏い、裸足で練習に励む。互いの動きを確認し合い、自然な動作として身に付くよう、反復練習を繰り返す。
「・・始めは、人を雇うというキリ君の提案に不安もあったものだが」
その光景を眺めながら、彼の隣に立ったシアヌが他に聞こえぬよう呟く。
「杞憂だったようだ。皆、いい子達だな」
「ええ。この学園が育てた、次代を継ぐ希望達です」
彼の視線の先に、ほむらと夜刀彦は今も一心に演奏の練習に励んでいる。一緒に音を合わせ、気づいた点を指摘し合う姿。
自分達の時代とは違う、彼ら・彼女らの姿に、生徒の自主性を重んじる育成方針の実りが垣間見えた。
●
五日目、最後の練習を終え、宿に帰るシアヌを見送った壬生谷の背に、躊躇いがちな声が掛けられる。振り返れば、帰り支度をしていた六人が手荷物を携えて彼を見つめる。声を掛けては見たもの、どう切り出したものかと迷っているような雰囲気の中、司が意を決して口を開く。
「もしよろしければ、亡くなったご友人の話を窺う事はできないでしょうか。心の中に仕舞っておきたいのならば無理にとは申しません。ですが、何も知らないよりは誰か越しにでも亡くなった方の事を知っておきたいのです」
彼女の真っ直ぐな視線を受け止め、他の学生達の表情を見回して彼は背を向けた。
「・・立ち話もなんですから、お店の方へどうぞ。寮の門限がある方は、依頼で遅くなると連絡をして置いてください」
CLOSEDの札を出した店内に学生達を招きいれ、それぞれの好みの飲み物を出す。勿論サービスだ。
「こういった依頼に参加された皆さんですから、過去についての関心も相応のものとは思います」
少しを置いて、溜息をつくように。カウンター席に着いた沙耶、司、テーブル席に着いたソフィア、月子、ほむら、夜刀彦が静かに聞き入る。
「ですが、語れる事は多くありません。八年経とうとした今でも、あの当時の記憶は余りに凄惨で・・誰もが口を閉ざすでしょう」
実際に戦場の一角で彼とその仲間達は、ただ生き残る為に必死で地獄の様な状況を戦い抜いた。だが治癒の力も薬剤も尽き、庇い合うも及ばず、一人倒れ、二人倒れ――何がどうなったのかも分からぬまま血みどろの中で全てが終わった時、彼を含め、生存者は四人だけだった。詳細など知る由も無い。
「・・・・先輩は、卒業を機に結婚する筈だった方と、存命なら今年高校卒業する筈だった弟さんを。私は・・片思いをしていた女性を。他の二人も、それぞれ大事な方を。――そして苦楽を共にした多くの友人達を喪いました」
痛みを堪えるような彼の表情を気遣う学生達に、構わないと首を振る。
「この店の『雨音』という名は、とある少女が雨の音が好きで、だから私もいつの間にか好きになって・・・・。彼女が忘れられずに店の名前にしてしまうほどですから、何とも女々しい話です」
話が逸れました、と苦笑する姿に、ある者は目を伏せ、ある者は俯いた。
「調べれば分かる事ですが、公式に表に出ている資料は略式の記述しか無い筈です」
その言葉に、司、ほむら、夜刀彦が頷く。彼らはこの依頼を受けてから何度か資料を探したが、詳細をはっきり記載した物はどこにも無かった。
「何かしら理由はあり、公開されていないのかもしれません。同時に、当時の方々にとって触れるに辛すぎる記録であるからだとも」
だから、この事に関してこれ以上調べないで欲しい。そう言って彼は頭を下げる。否と言える者は、学生達の中に居なかった。
●
当日、朝から天候は優れなかった。
真っ先に緑地公園に姿を見せたソフィアは、前日に準備してあったテントに荷物を置き、軽く身体を動かしほぐし始める。
「おはようございます、ヴァレッティさん。早いですね」
楽器やその衣装道具を運んできた壬生谷が、彼女に声を掛ける。
「普段は緊張したりは滅多に無いんだけど、大事な行事となると少し緊張しちゃって」
二人が準備を整えている間に他のメンバーも徐々に揃い、時間が近づいてきた。
満開の梅ノ木、その前に置かれた台の上に、白い陶器の瓶(中身は部族秘伝の酒らしい)とシザンサスの小束が三つ。シアヌと壬生谷、そして今日ここに来れなかった二人から捧げられた物。そして誰かの為の卒業証書の筒が一つ。
「私達にも花を供えさせてください」
事前に伝えてあった事だが、改めてそう口にする月子にシアヌと霧雨は微笑み、学生達に場所を譲る。
月子は白いレースとリボンで飾られた白いヒヤシンスの一輪。沙耶はヘリクリサムを多めに紫苑を加えた小束。ソフィアはマスターに聞いたシザンサスの小束。司、ほむら、夜刀彦は紫苑の花。
「花言葉、か。この国に来て色々と教えて貰ったものだったな・・」
学生らの献花を見て、何処か切なそうに梅を見上げるシアヌ。梅の花言葉にある「独立」――この卒業を迎える季節に相応しいものだと。
「これを」
その彼女と壬生谷に歩み寄り、もう一束用意していた花束を手渡す沙耶。「ありがとう」と壬生谷が受け取り、彼から手渡されたシアヌが「心遣いに感謝する」と微笑んだ。
やがてそれぞれが衣装への着替えを済まし、全ての準備が整う。
●
しとしとと小粒の雫が降り始めた。
梅ノ木に向かってシアヌを中心に、右へ月子、司。左へソフィア、沙耶が傅き、その後方のテント下で、ほむらが笛を、夜刀彦と壬生谷が太鼓を構える。
遠雷が如き太鼓の音に合わせ、身を起こしていく踊り手達。笛が鬨の声と化し、英雄達の戦いの節が始まる。
小雨に濡れ始めた、沙耶の豊かな白銀の髪が舞いに合わせ振り流れる。人目への恥ずかしさも今この時は無い。
過去に倒れ、無念のまま未来を閉じた者達へ、過去に遭い、今を生きる人達へ。
奉げよう、今も止まったままの彼女の過去に、先に在り得るいつかの別れに。歩み止めぬ支えと為れと。
誰も信じられなかった私、その手を引いて己で歩む道を教えてくれた彼の人。今は亡き、誰に語らず、誰も知らぬ。けれど私は忘れない。
此度、関わり知った人の想いを忘れない。いつかその過去へ、私が含まれようとも。
桃の毛先を伝い落ち、ソフィアの小麦の肌が雫を弾く。小柄な体がくるくると、切れの良い動きで手足を舞わす。
誰だって絶対に死なない、なんて事は無くて。覚悟はしてる。でも、まだやりたい事、やる事もたくさん残ってる。だから何があっても最後まで諦めない。
あたしには亡くなった人達が何を望んでたかは分からないから、代わりに何かを、ってのはできないかな。でも、微力でも少しは人の役に立つことは出来ると思う。そっちを頑張らせて貰うよ、と。
戦いの終わり。痛みと死が寂寥となって風を満たす節。笛の音が風を、時を語り、木霊に響く太鼓の鼓動。
雨に濡れ光る黒髪がゆるゆらと振れ、月子の白細い手足が何かを求めるように、縋るように、伸ばされ、抱かれる。
察するに余りある悲しみ、絶望に。一欠片でさえ同情するなど、無礼極まりない。
だから私は胸の内で静かに祈る。鎮魂を、遺された者に心穏やかな日々を。心静かな愛が、いつも傍にある事を。
身近なものが喪われる恐怖、大切なものを奪われた憤怒、自らの力足らぬ痛嘆。
その呪縛に囚われたままだとしても、今だけは心に、平穏で静謐な時間を。
すべて、すべて穏やかに。
楽と舞は一対。死者と生者も一対。
過去の『もしも』は現在になく、けれど現在の『もしも』を未来に変える力は、誰にでもあるはず。
過去に縛られているからこその『もしも』の願いは何ですか?
仲間の仇を討つこと? 平穏な日常に埋もれること? 新しい幸せを築くこと?
何でもいい。思い、思いに生きていくのが人だから。その願いは、何でもいい。
ただすべてに絶望し、諦めさえしなければ。
私にとって一番大切なものは決まっているから。心に浮かぶ、人ではない小さな二匹。
それを守る覚悟と共に。己への誓いと共に。この雨では冷やせない想いを抱いて。
しなやかな長身が流れ舞い、司の蒼き瞳が降り注ぐ天雨を仰ぎ見る。
互いの為に涙を流せる人達は、来世でも巡り会う事が出来る。なんて話を聞いた事がある。
来世の存在なんて真偽の程はともかくとして、素敵な言葉だと思う。
・・英雄は、大事な人が居なくなった時、涙を流すのだろうか。
いつか友人を亡くす日が来た時。英雄を志すものとして、私は、どうするのだろうか。
別離の節。笛が葬送を奏で、太鼓が旅立ちを促す。
地を叩く雨音に、協奏するように想いを篭めて、ほむらは吹き奏でる。
かつて、人の死に触れ痛みを感じた経験がある。でも、本当に特別な誰かを喪った事は、まだ、無い。そう思った事はあったけれど。
俺を正しい道へ導いてくれた恩人が暮らす孤児施設。お礼の為に足を運んだその日、天魔の襲撃に遭っていた。
作り物ではない本物の惨状を、初めて目の当たりにした。犠牲になった者は、皆面識のある人だった。
何も考えられず、心身の震えを止められなかった。恩人が死んだと思い込み、永遠に礼を言えなくなったと絶望した。
すぐに、それは誤りだと分かったけれど。
あの絶望が未来永劫続いていたとしたら、どうなっていただろう。
俺は正気のまま生きていけただろうか。
恩人がいつも笑顔であるのは、正気を失ったからだと耳にする。本人に聞いた訳ではない。聞ける筈も無い。
産まれてすぐ母をなくしたが、物心つく前だからとりわけ悲しみを感じた事は無い。だが父は違った。
焦がれる余り息子を娘として育て、誤った道を示してしまうほど思い詰めた。
撃退士として生きる今、自ら危険に飛び込む事もあるだろう。俺まで喪った時、父はどうなってしまうのだろう。
誰かの心に傷を遺すという事を考える。俺は生きなければならない。そして皆を守れる強さを手にしなければ、と。
細身の腕が、太鼓を打ち鳴らす。それは心臓の音。故にともに鼓動と呼ぶ。
響かせるのは心の音だ。一打、一打にそれを乗せる。
記憶は消えない。
いつも共にあった人達の顔。暖かい手。名前を呼ぶ声。
悲しい記憶も。
支えあい、笑いあい、時に喧嘩し、日々を過ごしてきただろう先輩達。
それを唐突に奪われた悲憤が、慟哭が、どれほどのものか。――天使に故郷を滅ぼされ、唯一生き残った身だからこそ、想像するだけで胸を締め付けられる。
だけど。
だけれども。
消えない記憶の中には、悲しさ以外のものもあるだろう。
仰ぎ見る校舎、渡り廊下の一角。不意に、もういない誰かを探して立ち止まる瞬間。胸を過ぎるのは過ぎし日の慟哭や慙愧だけだろうか?
違う、と思いたい。
喪ったものは還らない。悲しい気持ちは、決して消えない。
でもどうか、悲憤や慟哭に、大切な思い出すら押し潰してしまわないように。精一杯の想いを篭めて届けよう。
共に依頼を受け、舞い、奏でる仲間と共に。
故人を偲ぶ依頼者達と、もしかしたら出会っていたかもしれない、今はいない『先輩』達へ。
そして終節。振り返る想いを奏で、踏み出す一歩を舞い、やがて雨音だけが残された。
●
恙無く奉納を終え、テント等は後日天候が回復してから撤去の予定となった。
一旦喫茶店でそれぞれシャワーと暖かい飲み物に身体を温め、休息をとってから帰路へとつく。
「ねえ、聞いても良いかしら。いつか、こうやって誰かを弔う立場になったら、キミは泣く?」
帰りが一緒になった一人、夜刀彦に問う司。
「俺は、多分泣くと思います。司さんは違うんですか?」
問い返され、少しの間言いよどむ。
「私は・・・・分からないわ。英雄は、誰かの死で涙を流すのかしら」
帰りの途上にある花屋に寄り、ほむらは魔除け厄除けになるとされるゼラニウムを買い求める。
花言葉は「決意」、そして――「君ありて幸福」。
皆が帰った筈の公園の一角、梅ノ木の前に人影が残る。
雨に濡れ、枝垂れる銀の髪に表情は隠され見えないが、それは沙耶その人だった。
その唇から漏れ出る声は雨音に混じり、穏やかに哀しく、何処か想いを篭めた歌を紡ぐ。
やがて歌い終え、息を吐く彼女の上に陰が指す。
「いい歌でした。思わず聞き惚れて、傘を渡すのを忘れるくらいに」
振り返る彼女に、壬生谷は頭を掻いて笑う。
「盗み聞きは、感心できないですね」
常の無表情で言う沙耶に、すいませんと彼は頭を下げる。
それから持っていた傘を手渡し、自分も別の傘を開いた。
「そのままでは撃退士といえど風邪をひくかもしれませんよ。店の方でシャワーをどうぞ。温かい飲み物も用意してありますから」
●
それから一月後――。
ドアベルが告げる来客の知らせに、顔を上げ微笑む壬生谷。
「いらっしゃいませ」
静かにカウンター席へ腰掛ける女性客。銀の長髪が柔らかに靡く。
「いつものをお願いします」
告げられる注文に、如才なく応じる。青い双眸がそれを眺めながら待つ。
「まさか、常連さんになって頂けるとは思いませんでした」
コースターに乗せたカップを手渡しながら、そう話しかける彼。
「私もです」
そこには依頼以後、店を行きつけにした沙耶の姿があったという。