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『オイオイ、見たツラ居やがるナ』
山林を進む少人数の集団。彼らが目指していた洞への道すがら、正面やや右手より面白がる様な声。
即応に身構える六対の視線が、木々の狭間を抜け、その出所へと向けられる。
「イドォォォォォ!!」
斜面の上方より見下ろす、不遜な笑み。赤銅の肌に紅蓮の髪より伸びる螺旋くれた一対の角。金色の瞳を値踏むように撃退した血へと向ける天魔。
だがそこに嘗ての覇気はなく。情報通り、天使との戦闘で消耗しているせいか。
彼の姿を目にした瞬間、湧き上がる葛藤。足元の赤から上るにつれ青へと変じる炎の様な光纏。衝動のまま吼える様に黒髪の青年――君田 夢野(
ja0561)は、愛用の大剣を抜き払い、雑木を弾き飛ばしながら斜面を弾丸の様に駆け上る。
その時には既に、他の学生らもそれぞれ動いていた。
『ふん』
それを見やり、軽く鼻を鳴らした天魔は担いでいた斧槍を持ち上げ、無造作に傍らを払った。
一薙ぎに斬断される針葉樹は、枝葉の折れ擦れる音を立てて倒れこんでいく。
「うおっ!?」
正面から覆い被さるそれを咄嗟に飛び退いてかわす夢野。しかし突進の勢いを殺される。
最中、無造作に翳された天魔の左腕。
大型の篭手に弾かれ、兆弾したネフィリム鉱の弾丸はアウルの供給を失い霧散。
「よう、調子が悪そうじゃないか?」
『適度に体が軽くナッテいい塩梅さ、はぐれ野郎』
短機関銃を構える高身長の赤毛の青年に視線を向け、天魔は目を細める。今の一撃に込められていたアウルの質に、同属の気配を感じ取った故に。
緩やかに舞う氷片の様な光纏を纏うジョージ=S=D=ジョーンズ(
jb9458)が、跳躍から着地し、肩を竦めて見せる。
(さて、ああいうのはどうしたもんかな)
苦もなく防がれた己の一撃を思い返し、胸中でごちる。
(…あと、約一名焦り気味なのも気になるもんだ)
ジョージが向けた視線の先に居た筈の少女は、既に姿を消した後だった。
(まあ、ヒーラーが居ないんじゃ、不安になるのも分かるが)
一刀に斬り上げられた漆黒の大太刀。その刃に収斂された黒焔が如き無尽光が、斬光なして撃ち放たれる!
目前に迫ったそれを、打ち下ろす斧槍が叩き割り、左右虚空へと散らした。
『ヨクヨク縁がある女だナ、お前も』
「――健勝、とは言い難そうだな」
既に彼の天魔――イドと、少女――鬼無里 鴉鳥(
ja7179)の間では、挨拶代わりとも言える攻防の中で絡み合う視線。
その一瞬の間断を突き、右側面至近より一条の光輝が貫く!
「突き抜けろ!ブレイク・ドーン!」
『――ッ! チィ!』
斧槍の斬り返しは間に合わぬと悟った天魔は、咄嗟に右腕を盾にする。
『グ…クカカ、効くネェ』
腕を貫く、光輝の剣。消耗した身に、更に己の魔属が祟り、天属の一撃は痛撃となって齎される。
イドはそれを撃ち込んだ者に視線を向けた。
視線に捉えた小柄な青年――楯清十郎(
ja2990)は即座に刃を引き抜き、跳び退る。術式により長剣へと変じていた魔具が本来の姿、天使の羽根をあしらった聖銀の扇子へと再構成されていく。
下がる清十郎に、追う様に踏み込んだイドの横薙ぎの一撃が繰り出される!
襲い掛かる斧刃に対し、刹那に顕現される無数の針を蠢かせる黒き盾。耳障りな音を立て、斧刃がその針を削り取る様に撫でる。
『カカッ、器用な奴だナ』
受け流す瞬間、属性変化を同時にこなした清十郎。気づいたイドはの笑みを彼に向ける。
「同じ失敗を、するほど、馬鹿じゃないですよ」
受け凌いで尚重い一撃。衝撃に足は土を削り傾斜を下方へ押しやられた。背中に冷たい汗を浮かべながら、清十郎は声を絞り出す。
『? 前に遇った事があるカ?』
「…ええ、2年も前ですけどね」
『悪ぃナ、覚えてネェ』
「でしょうね」
そこに会話を切り裂き、夢野が斬り込む。
(あの時の誓い…今度こそ勝たせて貰います)
彼の一撃を弾く天魔を見つめながら、嘗ての宣誓を胸に秘め、青年は再び天魔の側面へと回り込んだ。
全身全霊を込めた正面からの打ち込みは、しかし跳ね上がる斧槍の斧刃に激突。金属が衝突する響音で木々の梢を震わせる。
「何で…何でそんな情けない姿を晒してるんだよ――!」
強くて、俺達が束になっても足蹴に出来る程強くて、なのに今のお前は――!
『情けないだァ? ククッ…テメエ、俺にドンナ幻想を抱いてやがル』
夢野の内に閃く様々な感情。抱いていた憧憬と、それを裏切る今の姿。怒りと呆れ、そして哀れみ。青年の眼光から朧に読み取ったそれに、皮肉気な笑みを返す。
互いに得物を弾き合い間合いを開ける両者。その間隙を縫って刹那に放たれる神速無音の斬戟が、イドの脇を切り裂き、鮮血を溢れさせる。
『クカカッ、また腕を上げたじゃネェか!』
今しがた与えた傷以外にも、全身に残る無数の傷。それを見やり、鴉鳥は口の端を歪める。
「その体で尚、闘争か。全く、らしいな」
少女の呟きを耳に拾い、天魔は楽しげに哂いながら、ジョージの銃撃を再び弾き、撃退士らを誘うように駆ける。
「…どうしてこんな意味もない瑕疵を負う戦いをしていた?」
イドを追い、数合打ち合いながら得物越しに放たれる夢野が問い。
『愚問だ、小僧。戦いソノ物が、俺にとっての意味ナンだよ』
「がっ!!」
大剣を上に弾き、返す刃が青年の防御を抜け、肩を深々と刻む。清十郎、鴉鳥、夢野、そして遠距離から狙うジョージに囲まれながら、焔魔の戦意は削がれる所か、更に昂ぶっていた。
「なら何で…あの時、フリスレーレの主の“遺言”を伝えた?」
『…ああ、アレか』
清十郎の棍を蹴り飛ばし、更に切りかかる鴉鳥の斬檄を大篭手で流して跳び退る。
『最後に借りを返した、それだけサ。…アイツが言ってたろ、“戯言”だと』
「どういう意味だ?」
口を開きながら、僅かに態を変える天魔。くるりと回転した斧槍が、ジョージの銃弾を切り伏せる。
『ありえネェんだよ、“共に生きる”ナンざ。全てが“有限”な世界じゃな』
天界と冥魔、両者が争う無数の異界で生き抜いてきた魔が、いつか到達した理。
『どんな世界も無限はネェ。そこに生きる奴らに貪り食われ、痩せ細って、いつか滅ぶ』
『必ず無くナル物を、分け合って生きよう? 自滅が早まるだけダナ』
「しかしそれは」
側面に回りこみ、清十郎が口を開く。
「知性や、理性、そして培っていく技術で乗り越える事も出来るかもしれません」
『だが、それは“いつ”ダ?』
「……」
鴉鳥が、夢野が、ジョージが、それぞれに天魔を見据えながら、次の句は告げない。
未来を明確に答えられる者など、この場に居はしない。
『不知の先に、誰もが希望を抱けルか? 無理だろうヨ。誰かが“他者より多く、豊かに”と望み、争うサ』
『ドッチにしろ戦がありゃ、俺にはドウでもいい話だがナ』
否定はしたい。可能な要素もある。だが、誰一人確信は持ちきれない。これは、そういう類の問答。
《…ま、共生は無理でも、目的が同じ時くらい“共闘”はアルかも知れネェが》
と、ふと思うも、イドはそれを口にせず。
少なくとも、言葉で目前の天魔を如何こう出来る可能性はない。残るは完全に討滅するか――或いはどうにか叩き伏せ、捕獲するか。
『ところでナ』
事の始めから一定の注意を向けていた『音』を頼りに、タイミングを計る。
『俺がナンで此処に潜んでたか、少しは考えたのカ?』
次の瞬間、背後の木々を足場に跳躍した影が、数瞬遅れ右手の潅木の茂みから光翼を羽ばたかせ、天魔の頭上から踊りかかった!
●
少し時は遡る。
仲間の四人が率先して仕掛け、敵の注意を惹きつける最中。
残る二人、紅葉 虎葵(
ja0059)と春名 瑠璃(
jb9294)は二手に分かれて、それぞれ木々に身を隠し、或いは足場としながら天魔の側面背後へと回り込もうとしていた。
(ひとまず、細かいことはあと!)
光纏の発動を抑え、可能な限り気配を消し山林を移動する虎葵。胸中にあるのは、家族である鴉鳥と、その抱く想い。
(大好きな人が居なくなる…くーちゃんにそんな結末は認めない!)
嘗て、自身が経験した覚えもある後悔。大切な家族に、それを味あわせたくはない。ゆえに彼女は全身全霊を持って息を殺し、ともかくまずは相手をぼこる!と心に決めて進み続けた。
進路を塞ぐ雑木を掻き分けて。
(さながら追い詰められた狼ね…)
戦闘の気配が伝わる方向を見定めながら、小柄ながら均整取れた肢体が這うように低く、木々に紛れ進む。
荒々しい気配を発する天魔だった。だが時折樹木を斬り倒し、それを牽制に常に位置を変え続ける戦法は、飢えた獣とは違う冷静さも同時に備える証左。
(予想外の行動には十分注意しないと)
可能な限り気配を殺し、天魔の背後を取るべく跳躍、先にある樹の裏に移り、眩い銀の両刃直剣を顕現させ、握り締める。
(ここまでくれば…後はタイミング)
逸る気を抑えるように深く呼吸し、その時を瑠璃は見定める。
●
「待て、春名さん!」
直感。それは危険を告げる。衝動的に叫びながら、牽制と銃撃するジョージ。だが。
『お前のソレハ、もう飽きたゾ』
“的確”に側面と背面の攻撃を見切った動き。銃弾は跳躍した天魔の爪先を掠め、空しく散る。
「なっ」
『ナカナカ美人だな、嬢チャン』
にやりと笑う天魔の顔が、至近に。驚愕に顔を歪めながら振り下ろされた両刃剣を、春名の正面に飛び上がったイドがかち上げる。
「ぎゃんっ!!」
腕ごともぎ取られそうな衝撃に吹き飛ばされ、女は背中から強かに大木の幹に叩きつけられた。
「なんで!?」
不意を打った筈の薙刀の一撃が空しく土を切り裂き、吹き飛ばす。足元で疑問を口にする虎葵に、手近な樹を蹴り飛ばして着地したイドが鼻を鳴らす。
『多対一の戦闘で、ヤラかしちゃならネェのは何だと思うヨ?』
「…敵に四方を囲まれる事、ですか?」
僅かに考え口にする清十郎に、頷いてみせる。
『普段なら、それも気にしないがナ。今の俺は見ての通りサ。だから知恵を使う、戦術を考える、そして…地形を選ぶ』
開いた距離を詰めて来る撃退士達を見やり、イドは軽く構え。
『テメエらは“うるさすぎ”だ。チョイと耳を澄ませりゃ、ようく聞こえんダヨ。だから俺は“此処”に居た』
再び跳躍、樹木の幹を蹴り、それを加速として夢野の頭上を越え背後に。
「――!!?」
「夢野君、後ろ!」
振り返る間もあればこそ。背中に奔る灼熱感に、そして衝撃にもんどりうって転げる青年。
『不意打ちってのはコウやるモンだ。戦場っテノは偶発的に出来るんじゃネェ。意図があるから選ばれる』
「くっ」
「これ以上は!」
左手から鴉鳥の抜刀斬、右手から清十郎の光輝の剣を受け傷を負いながら、どこまでも楽しそうに笑う。
「っ、――まだ、まだだ!」
大剣を杖に、震える足に活を入れる夢野。その傍に駆け寄り、傷の具合を見る虎葵が悲鳴を上げる。
「無茶だよ、そのまま動いたら死んじゃう!?」
「死ぬつもりはないさ…俺は、アイツの本気をまだ見ちゃ居ない」
「だったら」
こちらも少しふらつく頭を振りながら、春名が夢野の横に。
「きみはまず、血を止めるのが先でしょ。見る前に死にたくないならね」
言って駆け出す。一時的に夢野の位置を代わる様に、直剣を頑強な大剣に変え天魔に斬りかかる。
「あたしは書面でしかあんたを知らない…だから一切の加減をする必要も…ない!」
敵の動きを見定め、此処と定めた位置へ、角度、速度を十分に測り繰り出される斬!――だが。
『惜しいナ…気概はともかく、その腕じゃ俺には当たらネェ』
再び弾かれる刃。態を崩した女に、踏み込み、天魔は遠慮呵責のない一撃を返す!
「ざわめけ!」
背後に追ってきた夢野が咄嗟に放つ術式。音の弾丸はしかし、僅かに斧槍の起動をずらすに留まり。
「ッッッ!!」
「春名さん?! 野郎ッ!!」
大腿部から胸部までを斧刃に切り裂かれ、血飛沫を上げて吹き飛ぶ肢体。それを目に、叫び放つジョージの銃撃は、しかし当たらない。
『クカカカ…ッ、テメエらの腕はそんなモンか? もうチットは楽しませてみナ!!』
●
主要なダメージは夢野、清十郎、鴉鳥が大部分を占めていた。故に次に地に伏せたのは夢野。そして薙ぎ倒され、気を失う鴉鳥。
「家族の為なら、僕は虎になってやる!」
虎葵が吼え、黒き薙刀の刃が少女の天属を纏い突き入れられる。浅く脇を切り裂かれながら、天魔も同時に斧槍の尖刃を腹部に突き入れる!
「く、ふっぐ…これくらいっ」
再生の術が、その傷口を塞ごうと働き続ける。
「あーちゃんの為に、君を…っ」
『クカカッ、根性だけは認めてヤルが、な!』
腹部を貫いたまま虎葵の体を持ち上げ、振り回し、投げ飛ばす。
「ぐっ、う…がはっ」
斜面に叩きつけられ、吐血する虎葵。再生の術はまだ働いているが、傷の深さに比して治癒の速度が遅い。それでも本来なら重傷なそれは少しずつ塞がって行く。
「虎葵っ…、貴様!」
意識を取り戻した鴉鳥が、その光景を目にし天魔へと斬りかかる。受ける刃越しに、再び絡み合う視線。
「…まだ、私では汝が渇きを埋められない、のか?」
『さぁナ…』
刹那の交感。得物を弾きあい離れる間隙に、清十郎の最後の光の剣が繰り出される!
ほぼ同時に両者が感じる、生々しい感覚。
天魔の腹部を貫く天の刃。
人の胸部を貫く魔の手刀。
「…感謝、してます、よ。あなたという目標が、僕を…けふっ、強く、した」
『アア…前に遇った時よりは、ダンチなんだろうナ。テメエ、名は?』
「楯、清十ろ…ぅ」
ずるり、と落ちる体の重さに逆らわず、イドの手刀が青年の胸から抜ける。
「くそ、これだけ食らってなんでまだ!」
救急箱で春名の傷の応急処置を済ませたジョージが銃口を天魔に向ける。放たれる銃弾を、斧刃が盾となって逸らす。
『賭けだったが…カッカカッ、運はまだ残ってたらしいナ』
イドの背に、漆黒の翼が広がる。漸く、少しだが消耗したアウルが戻り、翼の顕現が可能になっていた。
「待て…っ」
それを追おうとして、がくりと膝から崩れ落ちる鴉鳥。気持ちはあっても、既に彼女の肉体も限界の悲鳴を上げていた。
『おい、はぐれ野郎』
イドがジョージに思念を送る。
《!?》
《テメェを残したのはな、そいつ等を運ばせる為だ》
《…舐められたもんだ。が、碌に攻撃も当てられなかったら舐められもするか…くそっ》
屈辱。だが彼まで倒れていれば、それこそ一巻の終わりだったろう。
それに実を言うとイド自身、あまり余裕がなかった。だからこそ、惜しいと思う。彼ら、彼女らが此処で喪われてしまう事が。
《クク…クカカカ、なあ兄弟。人間ってノは、面白いナァ?》
《…かもな》
向けていた銃口を下ろし、ジョージは携帯を取り出す。学園へ救護を依頼する為に。そして当面の応急処置に掛かる。
それを見届け、闘争の魔はその翼で高く飛び去っていった――。