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南アフリカのとある地方都市――。
その郊外に位置する施設は、ひっそりと佇んでいた。その中で、何が行われているのか知る者はない。
少なくとも――現地の善良な市民の中には。
施設の敷地内――。
そこをいくつかの影が走る。建物外のセキュリティは、既に風紀委員会の手回しによって、このタイミングで無効化されていた。
後はただ、内部の処理を為すのみ。
(本当、頭悪い)
闇夜に流れる、氷雪の如き白銀。水枷ユウ(
ja0591)は小柄な身体を更に低くし、窓の下を駆け抜け、一階非常口付近の壁に張り付いた。
作戦開始時刻まで、あと一分。経験による体内時計が精確を告げる。
これまでも委員会の仕事として、幾人も手に掛けてきた。それは誰かがやるべきで、偶々彼女が、その内だったというだけ。
(分不相応な領域に手を出すから)
彼女達の仕事が増える。迷惑な話だった。
そして刻限は、生を死へと誘う。
「! おい、今扉が」「ああ」
ロビーで警備をしていた構成員は、目の前で開いた扉に咄嗟に銃口を向ける。だが、そこには何者の姿もなく。だからこそ、憂慮すべき事態が起きていると。
「取敢えず警報を」
「分かった、いま――っ!?!」
一人が身を翻した瞬間、勢いよくその首が刎ねる。それは術によって姿を消して先陣を切ったエルネスタ・ミルドレッド(
jb6035)の振るう、不可視の刃が為した事だった。
「ど、何処から?!」
光学迷彩をなす術下にある彼女の瞳が、もう一人の標的を冷徹に捉える。だが、エルネスタが手を下すまでもなく。
ゾンッ!
「がっ、ぁ?!」
光纏の銀ヴェールを靡かせ、模造の戦乙女が振るう幻想の魔剣が、その胴半ばから斬断する。
両断され諸々を撒き散らしながら絶命する相手を、銀フレームのゴーグルを通し、感情のない瞳でSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)は見下ろす。
(模造品が、模造品を殺める…。皮肉な、話…)
クリアブルーのレンズ内部に表示される敵戦力情報が更新される中、その手にあった仮初めの魔剣が、本来の処刑斧へと姿を戻す。
「出る幕がなかったっすね。お見事っす」
Spicaに続いて、重い金属音と共に侵入してくる漆黒のフルプレートアーマー。猛る獅子頭を模った冑も相俟って強烈な威圧感を放って居た。着込む者の名は、天羽 伊都(
jb2199)。一見少女の様に見える少年なのだが、今の姿からでは想像もつかないだろう。
(やれやれ、悲しいっすね)
二つの遺体に視線を向け、伊都は胸中でごちる。
アウルの力は、本来天魔撃退に充てるべき物。それを人間同士の抗争に使われ、悲しみを振り撒くなど。
(貴方方には、墓場まで退場してもらうしかないっすよ)
ユウの手に顕現するは、陽炎纏いし紅蓮の魔剣。銘を“天焔”。
それは、金属扉を熱したバターの様に滑らかに斬断し、少女に道を開く。崩れ落ちる扉が音を立てる前に、施設に一歩踏み込んだ瞬間、ユウの姿は淡雪の如き光の残照を残し、霞み消え失せた。
次の間には、通路の途中に現れる。更に霞んで消えては現れる姿は、どこか幽鬼の思わせ。一気に際奥のエレベータ前へと達する。
気負いなく伸ばされた指先が、ボタンを謐かに押し込んだ。
「時間だねぇ。さぁ、お仕事の開始だぁ」
闇夜に溶ける黒いジャケットに身を包んだ赤髪の青年が、間延びした口調で笑みを浮かべる。
建物の二階外壁、そこに雨宮 歩(
ja3810)は佇んでいた。重力を無視して、壁に直立するように。僅かな気配を放つ事もなく。
壁向こうに居る二人の構成員は、よもやそんな場所に侵入者が居るとは夢にも思わない。警戒の目は通路、そこに続く階段とエレベータに傾注していた。
その時、微かに階下から聞こえる音。破壊された非常口の破片が、床に当たり響いた物。
「!」
「今下で何か」
一瞬、削がれる注意。その隙を逃さず、歩が動く。
振るわれる腕、それを包むグローブから伸びる極細の糸が、アウルを受けて血色の煌きを放つ。
窓際に居た一人を、ガラスを砕片に刻んで飛び込んだそれが搦め採り、彼の意思を伝える。
一瞬の停滞もなく、ぶつ切りに刻まれ飛び散る相方の飛沫を背中に浴び、ようやく事態に気付く。
マフィアとしてそれなりの修羅場は潜っている男だったが、振り向いても視界に入るのは相方の飛び散った『破片』のみ。敵の姿は捉えられない。
「くそっ」
咄嗟に通信機を取り出した、その手首がズルリと床に落ちた。
「ひぁ――」
そして、相方と同様の末路を辿る。そして、張り付いていた天井からひらりと降り立った歩。
「…ま、こんなものだよねぇ」
構成員は天魔の血を幾らか引いている筈だった。
だが純血に遠く及ぶべくも無く、ハーフの更に半分以下程度。その動きは、撃退士から見ればスローモーションのような物。彼らが一度行動を起こす間に、二度は殺せる。
「さて」
首を巡らした先、上昇してきたエレベータの扉が開く。
天風 静流(
ja0373)にとって、この手の任務は特に感慨もない物だ。いつもの様に、ただ標的を屠りつくせばよい。
休憩室。そこで眠り放けるのは、組織の構成員らしき三人。侵入した静流の指先から、見えぬ何かが閃き、内一人をベッドごと絡め取る。
彼女の僅かな指間接の動き、たったそれだけで、それは小間切れに切断される。
天井、壁、床に飛び散る、赤、赤、赤――破片が床に落ちて音を立てる前には、次の標的を絡め取る。
そして同じ様に、薄暗い照明に照らされた室内に、飛沫を上げる。
「…ん、なんだぁ…?」
ようやく、残り一人が異変に気付き、枕もとの拳銃を手に身を起こす。否、起こそうとした。
「!? か、身体がうごか」
「騒ぐな、すぐに済む」
「!!」
バシャァッ!
掌を軽く握りこむと同時、他愛なく刻まれ、血脈の内圧によって爆ける肉体。その時、既に静流はそれを浴びない位置に移動していた。
「次は上か」
天井を見上げ、呟く。
打ち合わせ通りに進む、ただそれだけの事象。強者と弱者の間には、喜劇じみた力の差が歴然と在るだけだった。
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エレベータが上階に着くと、既に見張りは歩によって処理されていた。特段驚く事もない、予想していた光景。
床に流す液体を避けて、少女は青年に歩み寄る。
「張り合いのない連中だよぉ」
「手間が掛からなくていい」
囁き、薄笑う青年をチラリと見上げて、少女は素っ気無く返す。
「まぁねぇ、楽に越した事はないかぁ。でぇ、どっちにする?」
通路には二つの扉。内部の大凡の間取りと、待ち構える予想戦力は事前情報で把握している。
ユウは躊躇わず、無造作に東部屋の扉を引き開けていた。
突然開いた扉に、咄嗟に腰を浮かすのは室内にいた五人の構成員。目の前に現れたのが小さな少女であった事に一瞬訝り、その命数を決める。
「こんばんは。今日はいい夜だね」
それは死を告げる、挨拶。
室内を確認し、即座に導き出した尤も効果的な座標。そこに現れる透き通った正八面体。それは周囲の熱量を吸収し、急速に、急激に室内温度を低下させ、寸暇に室内半ばが凍てつく。
「さ、寒っ!?」「何だこいつは!」
刹那、極限に凝縮されたエネルギーを開放、室内を荒れ狂った。
形跡もなく、或は一部を残して絶命する構成員達。
「て、テメェやりやがったな!」
だが一人、術範囲外に居た男が愕然と叫びながらも、反射的に銃口をユウに向け、引き金を。
「遅いんだよぉ」
「ヒッ?!」
突如背後に囁く声。バッとそちらに身体ごと振り向いた男の視界に、にたりと笑う赤毛の悪魔がいた。
しかいが、ずれる。あかが、ちる。
「それ相応の覚悟があってやって来たんだろぉ? 報いを受ける時間が来たんだからさぁ、素直に死になよぉ」
「ぁ、ぇ?」
ブシャッ!
飛び散る鮮血と肉片を、ゆらりと退いて躱す歩。そのグローブに、血色の煌きが引き込まれていった。
「制圧完了、だねぇ」
歩が肩を竦め、
「もう片がついていたか」
「うん」
更に背後から現れる気配。覚えのある声に二人が振り向けば、戸口に佇む静流の姿があった。
二階の戦力はこれで全滅した筈だが、油断は禁物。三人は気を緩める事無く、隣の部屋を確認に向かう。
「…そういえば、“こちらは”司令から何の指示も出ていなかったな」
安物だろう保育器の中の、小さな命。歪んだ目的で産みだされたそれらは、隣で起きた凄惨な事象も何処吹く風と、安らかな寝息を立てる。
「……後はまかせる」
他に処理すべき対象もない事を見て、ユウは踵を返した。正直、彼女はこういう相手が苦手なのだ。
その背を見送った静流と歩は顔を見合わせる。
「どうしようかぁ?」
「…指示がなかったという事は、判断は任せるという事だろう」
僅かに考える間を置いて、静流はそう結論を出す。
「逃げる相手でもない。皆と合流してから決めよう」
「了解」
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地下へと続く階段がある部屋。出入り口は一つのみ。
エルネスタは姿を消したまま、再び正面からそこに乗り込んだ。
「!!」
いきなり開いた扉と気配に、内部に居た三人の男達がサブマシンガンを構える。
「うわ、何だこいつは!?」「いいから撃て!」
直後に飛び込んだ伊都の威圧的な鎧姿に、彼らの銃口が集中する。だが、そこまでだった。
手前に居た二人の片方が、エルネスタの双曲刀に左右から首を刎ねられ、
「こんにちは…そして、サヨナラ…」
Spicaが顕現させた、特異な形状の蒼い狙撃銃から放たれた銃弾が、更に一人を粉砕。
地下への階段へと突進する伊都が、通りがけの駄賃とばかりに、黒きアウルに染まる肉厚の大剣で、奥の一人を薙ぎ払った。
その勢いのまま、階下に飛び降りる。この程度の段差など、撃退士にとっては無いに均しい。
「よ、鎧!?侵入者か!」
地下入り口の部屋、逃亡防止の為の見張りとして配置されていた男が、いきなり現れた伊都に狼狽えながらも、警報のスイッチへと腕を伸ばす。
「っ、かっ!?」
だが、直後に放った彼の“気”の前に身は竦み、硬直する。それでも咄嗟に叫びを上げようとした口元を、金属の鎧篭手が掴み、そのまま身体ごと持ち上げた。
ゾズッ――。
その身中を貫く、黒き大刃。
「疼く…獲物は何処だ??」
冑の奥から覗く、金色に煌く瞳が、地下室奥へと続く扉を視界に収めた。
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「おい、上で何が起こってやがる」
警報も無ければ、銃撃も聞こえては居ない。だが上階での騒動の気配、そしてつい先に隣から聞こえた、金属音。
今の今迄、欲望のままに少女達を嬲っていたマフィア達も、上階で何事かが起きている事にようやく気付き始めていた。
「わかるかよ!だが、ただ事じゃねぇな」
「…、ぁ…うぅ」
拘束具に捉えられた少女から身を離し、それぞれの武器を手にし始めたその時、扉を粉砕するような勢いで突如乱入してくる巨大な鎧!
「何だこいつ!?」「撃て!撃ち殺せっ!!」「クソが!」
一斉に向けられる銃口。彼らの意識が、全て伊都へと集中する。目論み通りに。然しその反応速度は、覚醒者とは比べるべくも無く、遅い。
(他者を虐げ、蹂躙し、命を玩ぶ…外道ここに極まれりね)
混乱するマフィア達の間をすり抜け、姿を消したエルネスタは囚われのハーフ達に駆け寄り、その惨状に眉を蹙める。
(言葉は、不要…。オヤスミ、哀れなレプリカ…)
二人に続いて飛び込んだSpicaは、尤も手近にいた男に、再び幻想の魔剣を振り下ろした。
「げっ!?」
鮮やかな断面を見せ、解たれる胴体。一拍遅れて噴出す鮮血。
更に黒い暴風が、一人を粉砕する。
「喉笛噛み切ってやるよ〜、次は誰にしよう?」
そこでようやく、マフィア達の銃撃が伊都に殺到した。だが、天魔の攻撃をも防ぐ強固な鎧の前に『普通の小機銃』が何をなせる。
弾丸は苦も無く弾かれ、床や壁、天井へとめり込む。
「貴様ら動くな!どうせこいつらが目的だろうが!!」
少女らの手近に居た一人が、銃口を彼女らに向ける。だが次の瞬間、潜んでいたエルネスタによって斬首の憂き目に遭い。
「雑魚が!!調子に乗って手出してるんじゃないよ!!」
更に伊都の放つ気が、次々とマフィア達を射竦めて行く。
「レプリカが、オリジナルに…楯突くのは、愚か…」
動けなくなった男達を駆逐するのは、三人にとって実に容易い作業でしかなかった。
「ぁ…こ、ころさない、で」
見覚えるある少女が、目の前の殺戮を為した者達へと懇願する。
その傍に歩み寄り、Spicaはゴーグルを上げ、琥珀色の瞳を晒した。
「貴方たちも、混血…。私と、同じ…」
「…なに、を?」
「大丈夫、私達は、久遠ヶ原から貴方達を救出しに来たのよ」
姿を現したエルネスタの言葉に、信じられないという風に頭を振る少女三人と少年。
(こんな目にあっていたんだもの…当然よね)
そこに、二階から降りてきたユウ、静流、歩も合流する。
「ともかく、先ずはここを脱出しよう。追い追い信じて貰えればいい」
静流の言葉に、皆が頷く。拘束具を外し、四人の傷に応急処置をしながら。
「と、後一つ相談しなきゃならない事があるよぉ」
「派手〜に返ろうか♪」
陽気に言って、伊都は手にするスイッチを押し込む。
こっそり持ち込んだ爆薬が、夜の静寂に爆音を轟かせた。
「…周辺住民に気取られぬように、じゃなかったか、この任務」
「作戦完遂後だから、いいじゃないっすか♪」
呆れる静流の隣で、エルネスタはその腕に赤子を三人、抱えていた。
助けても、産みの親に愛されない子供だというのは分かっている。大半は切り捨てても止むなしという意見だった中で、彼女は小さな命を見捨てる事が出来なかった。
(喩え罪のある命だとしても…)
その未来を、救える可能性があるのなら。彼女の過去に犯した罪が、この選択を選ばせたのかもしれない。自己欺瞞かもしれない。それでも…と。
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帰路。それぞれが設定されたルートを採る中で、ユウは救助したハーフ達の護衛を他に任せ、海上の人となっていた。
既に陸からは遠く離れ、地平の波間を眺めながら少女は何を思う。無機質に澄んだ、その瞳からは何も読み取れない。
やがて風景にも飽きたのか、踵を返そうとした。
「――っ」
突然、苦しげに呻き、膝を突く。何かを求める様に、その手を伸ばし――
「…な」
な?
「ばななおれ…わす、れ…た」
がくり、と力尽きるユウ。こうして彼女は息を引き取るのだった。
「…なわけない(チュルル)」
ですよねー。
あの後、彼女に気付いた船員に運よく自販機に売っていたバナナオレを買ってきて貰えたお陰で、事なきを得る。
「ふぅ、危ないところだった…」
そして、小さな魔術師はストローから唇を離し、幸せそうに一息つくのであった。