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「何か、二人の会話で気になった事はないですか?」
難しい顔で話を聞いていた六道 鈴音(
ja4192)は、その意志の強さを現すような太い眉を寄せて、依頼人の眞宮に訪ねる。
彼女はこの店で幾度かバイト経験があり、眞宮とも知らない仲ではない。
「ん〜、近寄りがたかったから…ああ、でも学園長に話がどうとか言ってたよーな?」
「ふむ、一度訪ねてみる価値はありますね」
「俺も一緒に行きます」
若干吊り目気味の、どこか猫を思わせるような美少年が手を上げる。姫路 ほむら(
ja5415)という名の彼は、この店のマスターとも些かの交流があった。
「ほな、そっちは二人に任せるわ」
関西系の独特なイントネーションでそう締めるのは、九条 白藤(
jb7977)。紫の大きな瞳が印象的な、闊達そうな女性だ。
(互いに幸せになる方向に持って行けるといいな)
今もギスギスとした空気を振り撒く両者を遠目に眺め、雨音 結理(
jb2271)は悲しげに目を伏せる。家族の居ない彼女にとって、その光景は胸が痛んだ。
一同の中で尤も幼げな少女だが、これでも高校生である。中々信じて貰えなかったりもするが。
日を改めて翌日――。
「では、話せる事は何もない、と?」
「ええ。お客様にお聞かせするような事は、ございません」
動じない微笑に、月臣 朔羅(
ja0820)は冴えた視線を向ける。だが相手は柳に風といった風情だ。
店の居心地の悪さを何とかしたい、という依頼を受けた事。正面から告げ、挑んでくる直截さを壬生谷は嫌いではない。
だが今回の件に関して、彼は踏み込んでくる他者に怒りを抱かずには居られなかった。
その怒気を、巧みににこやかな笑顔の下に隠し、マスターは来店した新たな客に対応する。
「分かりました。彼女の方に、尋ねさせて頂きます」
背後で席を立つ気配に、内心で溜め息をつく。
「ご自由に。それは、私が関知する事ではありませんから」
事は一族の恥にも及ぶ、左様易々と語れるものではないだろう。そもそも、あの娘がどこまで知っているかも定かではない。
そう考え、壬生谷は会計を済ませて店を出る彼女の背中を見送った。
「ねーね、マスター」
「はい、どうされました?」
「毎日来るあの子、可愛いね♪ 紹介してくれない?」
どこか軟派風の青年の言葉に示される相手を悟り、霧雨は僅かに眉を寄せる。
「それは、私には出来かねます」
「ん〜、そっか。じゃ、自分で声を掛けてみよっかな☆」
「程ほどになさって下さいね、この店でそういう事は」
「勿論♪」
席を立って窓際の卓子に着く少女に歩み寄っていくのは、実の所依頼を受けた者の一人だった。
名を藤井 雪彦(
jb4731)。ちゃらちゃらとした雰囲気を纏う青年だが、これでも学園屈指の陰陽師である。その関係から、壬生谷一族の名は聞き及んだ事もある。
(結構面倒な一族らしいって程度だけど。ま、何処も似た様なモンだよね〜)
「この席、いいかな?」
「…え?」
了承を得る前に、さっさと向かいの席に着く雪彦に、篠は戸惑いの表情を浮かべる。
「君、可愛いな〜って気になってたんだ☆ 毎日この店に来てるよね?もしかしてマスターの知り合い?関係者?あと何処に住んでるの?」
「…あの、困ります。私は…その」
これまで堅い家で育ち、こういった対応に免疫のなかった少女は、狼狽えて俯くと、突然席を立つ。
「これで、失礼しますので…ごめんなさい」
「あ、あらら」
青年に一つ頭を下げ、逃げる様に会計を済ませて店を出て行ってしまった。
「やりすぎたかな〜」
●
霧雨からの情報収集は困難だと見切りをつけた一同は、店外で合流し、公園に戻ってきた少女と接触を図る。
先ずは依頼を受けている旨を伝え、次に現状の改善から説得を始めた。
「こないな所おったら、人に『迷惑』かけてまうよって」
白藤の言葉に、鈴音が続く。
「取敢えず、公園で寝泊りするのは止めときなよ。こういう場所は、テント泊が禁止されてるんじゃないかな」
「…ちゃんと、学園長から一筆頂いています」
二人の台詞に、篠は懐から一通の書面を取り出す。確かに、その旨と署名捺印が押してあった。
「許可があるとしても、何時までも天幕暮らしという訳には行かないでしょう」
諭すような朔羅の言葉に、篠は分かっていますと頷く。
「許可は、二週間。それでダメならば諦めて寮に入るようにと、条件付けで頂いた物です」
既に一週間は、進展もないまま浪費していた。時を経るに、焦りから彼女の態度もより頑になっているのではないか、傍らで様子を見ていたほむらにはそう見えた。
「何故、下宿に拘りを?」
「…私にとって、必要な事だからです」
「話せないって訳か。でも、押してばかりじゃ相手も頑になるだけだよ。落ち着いて考えられる状況も作らなきゃ」
ほむらの言葉に、篠は黙する。
「手紙を渡したって聞いたけど、それで怒っちゃったんだって?あ、さっきはどーも☆」
そこにヒョイと身を屈めて、雪彦が口を挟む。
「…貴方も、関係者だったんですか」
「そゆこと♪で、そんな酷い内容だったの?」
「いえ…母様に一度見せて貰いました。特に問題はなかったと…思います」
「じゃ、何でだろうね〜」
篠の隣に、結理が歩み寄る。
「最悪の結果も頭に入れて、準備した方がいいと思います。女の子一人は心配ですからね」
「うん。このまま野宿を続けるのは無用心だよ」
「この学園は、撃退士が管理しているのでは?」
超人的な能力を持つ覚醒者にとって、世間一般的な危険という物は余り馴染みがない。だが、それは対一般人という意味でだ。
学園の住人は、殆どが覚醒者であり、一部荒んだ者達も潜伏している事情を、分かりやすく彼女に説明する。
「今日からは、私達の部屋に泊まりな。温かいお風呂もあるしね」
それは、篠を説得する前に皆で相談しておいた事。許可もなく寮外者を宿泊させるのは、規則違反でもあるのだが。
(この子が危険な目に遇うより、後で寮監に怒られる方がマシでしょ)
という結論で、皆が一致していた。ばれなければ問題ない訳だし。
「…、分かりました。では、ご迷惑をお掛けします」
暫し考え込んでいた少女だが、最後は学生らの説得に応じる事となる。
●
コン、コン――。
「開いているよ、入りたまえ」
扉越しにも、聞く者を安堵させるような落ち着いた男性の声。
「失礼します」
ノックをした当人である鈴音とほむらは、連れ立って学園長室を訪ねていた。
フランクな調子で、突然訪ねた学生達に応じ、宝井正博(jz0036)は二人に応接セットのソファを勧め、自身も向かいに腰を下ろす。
「それで、どんな用件かな?」
事情を話し終えた二人に、宝井は顎を撫でる。
「やはり拗れたか…。予想しない訳ではなかったが」
持参した菓子折りを卓子に置き、鈴音は切り出す。
「篠さんに情報リークしたって事は、学園長的には雨音に下宿させたいんですよね?」
更にほむらが問う。
「当事者が言葉を濁す事情について、何かご存知なんですか?」
「…あまり、他言できる内容ではないのだが」
暫しの彼は瞑目する。この一件に関わるなら、その根を知らなければ理解も出来ないだろうと。
「――あの子は…当時まだ、次期宗主の立場だった父親に…霧雨君の姉が乱暴されて出来た子供、だそうだ」
「「…!?」」
予想外の黒い事情に、鈴音とほむらは息を呑む。
「私も養成学校時代から勤める者からの伝聞でね。それ以上は知らない」
「彼がこの島に来たのは、中学の頃だったらしい。当時は、それは酷く荒んでいたと聞いている」
その当時彼が下宿したのが、今の喫茶店の二階部屋だったと。
必要外に決して他言しないよう言い渡され、二人は部屋を後にするのだった。
●
見知らぬ他人の部屋に上がるのは、篠にとって初めての経験だった。立場上、親しい友人はなく、一族の誰かと個人的な交流を持った事もない。
「次期宗主、ね。私とほぼ同じ立場という事かしら」
戸惑うような篠の様子に、卓子をはさんで腰を下ろした朔羅はくすりと笑う。
「…?」
「私もね、忍術宗家の出なのよ。そして当主候補。ね、似てるでしょう?」
「そう、ですね」
ぎこちなく頷き、目の前のカップに注がれた温かいお茶に口をつける。
「諸々の話は聞いたわ。…ねぇ、そこまで頑に彼を頼る理由は何かしら?」
「……」
少女は応えない。知り合ってすぐ相手を、篠は容易く信用はできなかった。
それを見て取った朔羅は、無理強いは逆効果だと悟る。
「いいわ、無理には聞かない。それじゃ、ご飯にしましょうか。何か食べたい物はある?」
「特に好き嫌いはありません」
「ま、気軽に寛いでや」
「お邪魔します」
白藤は、久遠ヶ原に自身の店を持っていた。実家の分店という形の呉服屋である。
学生が個人で店を持てる事実は、世間知らずの篠にも、この学園が特殊な場所であると再認識させる。
入浴と食事を済ませ、寝衣に着替えた頃合で白藤は篠に声を掛ける。
「篠さんは、どないしたいん…?」
「…」
本家と分家のごたごた。それは白藤とっても苦い事柄だった。嘗て彼女自身、それによって傷を負った過去がある。
学園長からの話は、既に全員が聞き及んでいた。霧雨と篠、二人の関係は、彼女が考えていたよりもっと根深いものだと。
無意識に、白藤は髪に隠された傷跡に触れる。
「当主の権力振り翳すだけやったら…誰でも出来るんや。やから、それ以外の方法を考えんといかん思う」
「…はい」
「きつい事いうて、堪忍やで…。さ、そろそろ寝よ」
結理の部屋を訪れて、まず篠が驚いたのは彼女が年上だったという事実だ。
(どう見ても同じ年くらいにしか見えなかったのに)
「どうかしました?」
「あ、いえ、なんでも」
ぶんぶんと首を振り、失礼だったなと内心で反省する。改めて見回した部屋は、綺麗に掃除が行き届いているようだった。
(…女の子らしい部屋、だな)
実家の自身の部屋と頭の中で比べ、そう思う。と、結理が奥から手作りのお菓子を運んでくる。
それから暫く、ささやかなお茶会が催された。
「…一緒に居られるなら、一緒に居たいですよね」
「?」
「マスターさんと、です。私は、もう戻る場所がないので、余計にそう考えるのですけれど」
「私と叔父様は…そういう関係ではないんです」
ここ数日の間に、篠の心は多少なりと緩んでいた。そこから溢れ出る言葉に、結理は耳を傾ける。
「叔父様から母を…姉を奪ったのが、私という存在ですから」
(…もしかして篠さん、自分の出生の事情を…)
俯いたままの篠の表情は、結理からは見えない。その声音はどこまでも平坦で、感情という物が殺されていた。
●
学園長の許可期限である二週間目の今日。
篠と学生達は、放課後、閉店直前の『雨音』を訪れていた。最後の談判の為に。
彼女らの来店を見たマスターは、閉店作業を眞宮に任せ、奥の従業員控え室に全員を招いた。
前に出て説く朔羅に、霧雨は冷え切った視線を投げる。
「家庭の事情に口を出すなというのは尤も。でもこれ、依頼なんですよ。貴方達に巻き込まれて胃を痛めそうになっている方からの、ね」
その依頼人については、既に調べていた。その事で眞宮を責める心算はない。
客商売でお客様に不快感を与えてしまった落度は、確かに彼自身にある。だとしても。
「家主が、下宿を認めないと言っているのです。それを無理強いする道理が、その依頼とやらにありますか?」
道理には道理。言葉に詰まる朔羅。堪りかねて鈴音も口を開く。
「お姉さんが嫌いってのは仕方ないとして、姪の篠さんにまで冷たくするのは大人気ないですよ!」
朔羅から、鈴音に移る視線。彼女は一瞬身震いする。
(き、気のせい…よね?)
後継者問題。それは鈴音にとっても人事ではない。無意識に拳を握りしめる。
そんな彼女に、霧雨は口を開く。
「…一つだけ、六道さん。君は、前提が間違っていますよ」
「え?」
「言いたい事は、それだけです」
(確かに、赦せない事ってあるよね…)
ここまでの会話に、雪彦は自身の過去と重ねる。でも、二人は未だ意思の疎通をとるチャンスがある。形見となったハンカチをポケットの中で一度握り締め、雪彦は霧雨の前に立った。
「ボクもさ、少しは二人の一族ついて知ってる」
「そんな中で、貴方を信じて頼ったお姉さんなんだ。信じて、頼ると書いて『信頼』です」
いつにない真剣な表情で語る雪彦だが、やはり霧雨の態度に変化は見られなかった。
(ダメか…それじゃ最終手段☆)
突然、雪彦はその場で膝を折った。戸惑う周囲を置き去りに、床に手を突き、更に身を低く…頭を垂れる。
「お願い!篠ちゃんを、下宿させてあげて下さい」
いきなり始まった土下座に、流石に驚きを見せる霧雨だったが、直に平静を取り戻した。
「止めて下さい。所詮は貴方方は部外者、如何言葉を連ねた所で――」
「そうです、止めて下さい」
彼の言葉に被さる様に、それまでじっと霧雨を見つめていた篠が、言葉を発した。
「いや、でも篠ちゃ…」
「無関係な私の為に、そこまでさせてしまって、ごめんなさい」
篠は雪彦に歩み寄り、その手を取って起き上がらせる。少女の意外な力強さに、戸惑いながらも青年はそれに従った。
「…そうです、本来は私がそうすべきでした」
そう云って篠は、先の雪彦と同じように、その場に伏せ、頭を垂れる。
「…やめなさい」
「私はどうしても…霧雨さんの所に、下宿させて欲しいんです。そしてどうか、私に修行を付けて下さい」
「止めろと…」
「お願いします。貴方の言う事には全て従います、だからどうか――」
「止めろと言っているっ!!!」
盛大は破砕音が、室内に響く。木製の卓子が霧雨の拳によって粉砕されたのだ。その光景に、驚愕に皆が身を竦ませる。
これまで穏やかな人柄として島内に知られていた霧雨。それは間違いではない。だが人は多面性の生き物。普段は見せない質というものを、誰しもが秘している。
「お前達親子は、何処まで俺を…っ」
肩を上下させ、荒い呼吸を吐く。それを徐々に収めると誰にも目を合わせず、彼は部屋の扉と向かった。誰もそれを留める事が出来ない。
「…そんなに下宿したいなら、好きにしなさい。但し、今後一切私の視界に現れない事、それが唯一絶対の条件です」
「まっ――」
何かを言いかける篠を無視して、霧雨は背後で扉を叩き付ける様に閉じた。
「ひっ…あ、て、てんちょ?」
外で聞き耳を立てていたのだろう、退避し損ねた眞宮は引き攣った笑顔で、彼の様子を窺う。
「…眞宮さん」
「は、はひっ!?」
「貴女は責任を持って、下宿人の世話をして下さい。私の目の前に現れないようにね」
「あぅ…」
少女の目的は、一部達成された。その後、喫茶店『雨音』はいつもの調子に戻る。
だが、二人を隔てた不動の戸石は、より堅く、固く閉じられる。ただ一粒の雨粒さえ、流れ込めないほどに――。