●
魔力により空に生み出された力場に、女は閑かに佇む。背には、一対の純白の翼。
緑晶の槍を右手に、盾を左手に、アナイティスは瞳を閉じ、この世界を吹き流れる風に身を委ねる。
生命の力、意思――それらが、この世界には溢れている。天界には既に喪われた、世界の活力とも言うべき物。
力で奪うだけで、自ら何も生み出さない種。
〈それが、今の私達…〉
一部には、そうでない者も居る。だが、例外なくその身に流れるのは、搾取された命達の残響。それに生かされる事に甘んじ、更に貪欲にそれを望む天界。
〈生きた死屍と、何が違うというの〉
それでも我が身を維持してきたのは…たった一人の為。だが、数千の年月を生きてきた彼女と違い、使徒となった者の心は、そこまで保たなかった。故郷を滅ぼされた憎悪と、主への情の板挟みの中で少しずつ、壊れていく。
傍らでそれに気付きながら、如何する事も出来なかった。
時は過ぎ、この世界。現生種より現出した、撃退士と呼ばれる者達を知る。我々を天魔と呼び、児戯にも均しい技で、諦める事もなく抵抗を続ける彼ら。
時に圧倒的な力で薙ぎ払われても、彼らは何処からか立ち上がってくる。それがあの子の心に、小さな揺らぎを起こした。
『もう一度、人として抗ってみたい』と。
隠していたようだが、それに気づいた時は嬉しかった。この千年なかった、己から何かを望む姿を見せる、愛し子。
だが同時に、死地に望む道。それでも、叶えてやりたかった。
『手子摺っておられるのかな?』
転移の気配が、2つ。そちらに躰ごと振り向く。
『いいえ、予定通り進んでおりますよ』
片手に大斧を引っさげ、野太い笑みを浮かべる男、その傍らに傅く様につき従う青年。
『ふっ、ならばよいが。なに、俺も少し退屈していてな、出来れば屑共と久方ぶりに遊びたく思うてよ』
彼女のゲートから幾らか南方にゲートを構える天使と、その使徒である。
そして、青年が何かを探るように結界内部を偵っている事にも、彼女は気付いていた。
“主、やはり…内部で戦闘の気配が全くありません”
“ふん…”
表情を変えず、交わされる念話。男は視線を目前の女天使の、小揺るぎもしない微笑に向ける。
数時間前、人間が大挙して彼女の結界に押し入ったという報告を受けてから、何の変化もない事に訝しみ、彼らは此処にこうしていた。
『だがせっかくここまで出張ったのだ、少しばかり俺も遊ばせてくれんか、アナイティス殿』
『あら、それは――』
困った様に眉を寄せ、首を傾け。
『遠慮して頂けませんか?』
リィイイインッ!
『なっ!?』
『貴様!!』
突如、男と青年の天地四方を、鮮やかな蒼光が包み込む。空間に描かれた封印の障壁が。
『何の真似だ、貴様血迷ったか!』
『いいえ、私には、もう迷うだけの血すら通っておりません』
透徹した笑みのまま、封印域を内部に拘えた対象ごと、収縮させていく。
『おのれっ』
男が、全力を込めて手にする大斧を障壁に打ち付ける。だが、それは澄んだ音を立て弾かれ、僅かな歪すら付けられず。
『馬鹿な…』
まだ若い彼は知らない。眼前の彼女が彼より遥かに永く生き、力ある事を。天界の方針に異議を示したが為に、階位を落とされた経緯を。
『今暫く、そこで大人しくていて下さい』
『貴様の思い通りになどさせるか!』
完全に封じられる寸前、男は思念を伏せていたサーバントの一群に送り込んだ。
“ゲート内部の人間を殺せ”と言う命を。
――その少し前。
『妙だな…』
彼の地より北方に位置する、もう一つのゲート。
怜悧な美貌を傾け、一人の天使が、投影される幻像に眉を顰める。
阿蘇大ゲートを構成するゲート群に人間達が攻め寄せる事例は、ない事ではない。だが、その件について一切報告、周知が成されていない事実。
勿論、報告するまでもなく一蹴できるという理由も在り得る。人間の力など、彼ら天使から見れば取るに足らない物――という認識は、未だ彼らの中に根強い。
だが、何かが引っかかる。
『機動力に優れるサーバントを一群、組織なさい。アナイティスのゲートに探りを入れます』
己が使徒にそう命じ、自身も腰を上げる。
『一応、私も出向く。お前には、その間留守を任せます』
『はっ』
(何もなければ、余暇の訪問という形で済ませばいいだろう)
足首まである黒髪を軽く払い、天使はゲート外への転移陣を起動させた。
●南部攻防戦
協力者である天使からの警告により南方、偵察に出ていた対策室の一隊より、北方に天魔発見の報が齎される。
この為に参加要請を受けていた学園の学生、及び対策室の実戦要員は、二手に分けられて防衛線を展開。激突まで、間も無くとなっていた。
(…ゴーレム、ね)
開けた国道沿いと言っても、疎らには木々がある。その一つに背を預け、先行偵察を買って出た彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)は迫る敵群を観察する。
遠近を考慮し、歩幅からその移動力を測る。それを終えると、唐突にその場から飛び出す。天魔群の目前を横切るように。
(まだ攻撃は来ない…なら)
天魔の側に向き直った彩の光纏が、僅かにぶれる。直後に飛び退ったその場に、彼女の瓜二つな――といっても平面的な――残影が残されていた。
更に後方に下がる彼女の視線に、錐状の鋭い岩石に襲われる分身が映る。相対距離、及び分身周囲の破壊状況から、大凡の威力。
それらの情報は、光信機の共通チャンネルを用い、南方防衛の部隊に齎された。
●
文字通り、地響きを立てて迫る岩の壁。一体が四m強を誇るゴーレムが20を越える進軍。
されど、それを打ち砕かんとする意思が牙を剥く。
黒々とした底冷えする砲口が、天魔の一体を捉えた。迫撃砲とも錯覚しそうな巨大な対戦ライフル。その大型魔具の顕現に必要なアウル量により、閑かにスコープを覗き続ける影野 恭弥(
ja0018)の身には多大な負荷が掛かっていた。
金色の瞳が収縮し、主の意思に応え、薬室内に生成されるネフィリム鋼135mm弾頭。照準が天魔の身中を捉えた瞬間、引き絞られるトリガ。文字通り劈くような砲撃音を置き去りに、前衛ラインを抜け、大気の膜を突き破りゴーレムに直撃。その岩石体を粉砕する。
――ズズウゥンッ
着弾の衝撃に、然しもの巨体も蹈鞴を踏み、仰けぞるように倒れる。その威力は、この戦域に集った面子の中でも射程共に群を抜いていた。だが、スコープの中で巨体が再び震える。見れば地面から土塊を補充し、破損した部位の補修を始めていた。
(………)
とは言え、あくまで喪失部位の応急処置であるようだ。今の一撃で警戒したのか、その固体は進撃を一時停止する。それで十分だった。
その間に前衛との距離を詰めた別の一体に速やかに照準を移し、恭弥は再びトリガを引き絞る。
彼に続き、打ち合わせ通り遠距離主軸の3マンセルで布陣した国家撃退士達が射程内に捉えたゴーレムに対し、インフィルトレイターの先制遠距離射撃を開始。
その中に、これが初任務である霜野月 白華(
jb9208)の姿もあった。
まだ駆け出しの彼には、標的も大きく動作も遅いゴーレムの方が与し易いだろうという判断で、振り分けられたのだ。
(確かに、当てやすいな)
ともかく出来るのは援護射撃と割り切り、引き絞る和弓から、アウルを宿した一矢か放ち続けた。
「無様な欠陥品にもやれる事はある、と。さぁ、やるとしようかぁ」
手にする魔術所の最大射程を持って、雨宮 歩(
ja3810)もそれに加わる。少し前に重傷を負った彼は、無理をおしてこの作戦に参加していた。
そこまでして成す理由が如何なる物か、彼にしか知る由も無い。
(天使が協力者なんて…天界も纏まってるわけじゃないのね)
胸中でそんな事を考えながら、蓮城 真緋呂(
jb6120)は、最初に射程に入った天魔に、手にする青き洋弓を引き絞った。放たれる一矢は差い無くその胸甲に突き刺さる。
偵察情報から、ゴーレムの射程より彼女の弓は僅かに射程が長いらしいが、押し込まれればそれも意味が失くなる。
(状況次第で、私も前に出ないとよね)
次々に着弾する射線の隙間を埋める様に、久遠ヶ原の学生達が突撃を敢行する。
「でっかいのがいっぱい!先手必勝よ!突撃―!」
言葉違わず、鉄砲玉の様な勢いで撃退士の前衛から飛び出す少女が一人。
先行する雪室 チルル(
ja0220)に、数体のゴーレムの魔法が捉える。だが――
「あたいにそんなものが効くかー!」
少女が振るう、細身のエストック状の大剣。クリスタルの様な刀身が氷片を散らし、周囲を漂う氷粒子が受ける端から、悉く威力を減衰させる。
ただ一撃も、彼女にまともなダメージを与える事叶わず、チルルは天魔一体の正面に辷り込む。
「そぉい!」
突進の勢いを殺す事無く、全力で叩き込まれた刺突がその脛に炸裂。砕かれ、傾いた巨体が音を立てて横倒しになる。
「転ばせたわ!次!」
してやったりと笑みを浮かべ、即座に今度は右手のゴーレムに標的を移す。
彼女を基点に、天魔の二列横隊が更に崩れ、そこに後続が一斉に襲い掛かった。
詰まる距離。前方の天魔が反応し、軍服の様な外套に身を包む少女に向け、地面から伸び上がる岩槍が襲い掛かる。
「…温い」
白い包帯で包まれたマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)の偽椀が、アウルの黒焔を纏う。速度を緩める事無く突進した彼女は、岩槍を拳で叩き砕き、即座に換装した長銃身の散弾銃の引き金を絞る。激発と共にばら撒かれた銃弾が、天魔の前面に着弾、その足を留めた。
その天上で翼が羽ばたく。
「…数ばかり揃えおって」
空を駆けた鬼無里 鴉鳥(
ja7179)は、呟きと同時腰溜めに構える。上空からは、天魔の位置が良く把握できた。
次の瞬間、居合いの如く抜放たれた漆黒の大太刀が、刀身に収斂された閃光を解き放つ。
砲撃の如く放たれたそれは、戦場を斜めに切裂き、軌道上にいた三体のゴーレムを薙ぎ撃った。
手負いとなったその内の一体と距離を詰めた少女が、手にする大薙刀を横倒しに振り被る。
「せいッ!」
気合一閃、編みこまれた後ろ髪を流し、大振りの黒刃が眩い白銀に輝く。その斬撃はゴーレムの脚部を半ばまで断ち、ぐらりと傾いだ天魔が、然しその巨体から繰り出す岩拳。
紅葉 虎葵(
ja0059)はその一撃を強化した全膂力を以って刀身で受け止めきり、弾き、更に一閃。その腕を凪ぎ砕く。
「そんな拳で、僕を砕けると思わないでよね!」
巨大な拳が、小さな少女を叩き潰さんと振り下ろされる。
しかし、
「小っちゃいからって、甘く見ないで…なのっ」
若菜 白兎(
ja2109)は、その見た目からは信じられぬ膂力で、それを受け止めた。若干涙目になりつつ。
角度を外らし、受け流した彼女の振るう盾槍が、淡き青色の星光を煌かせる。
「いくのっ」
放たれたアウルの光矢は、目前とその後で戦闘中だった一体を同時に貫いた。
更にそれを好機と見て取った一人が、掌を天に向ける。
「纏めて爆ぜてください」
自身の頭部にはやや余るサイズのシルクハットを揺らし、ハートファシア(
ja7617)は二本の巨大な魔剣を召喚、落下したそれが牴れたゴーレムの上半身が、盛大に爆裂した。
「ふわぁっ」
びくり、とそれに驚き身を竦ませる白兎の前で、二体の天魔が同時に崩れ落ちる。同時に、ハートファシアもまたその場に膝を着いた。
ダアトの身で重戦型の天魔と格闘戦を挑み、少なからぬ痛手を被っていたからだ。まるでどこかの誰かのようである。
「あ、だ、大丈夫?」
白兎が彼女に駆け寄り、優しい光に包まれたハートファシアの傷が塞がっていく。
「ありがとうです」
どこか眠たげな瞳を白兎に向けて礼を述べる少女。
それ以降、二人はどちらからとも無く肩を並べ、補い合いながら戦闘を継続するのだった。
前衛は乱戦の様相を成したが、徐々に撃退士は天魔を圧倒し始める。
陣容が乱れ、各個分離されていくゴーレム。その腕を摩でる様に振るわれた扇が、岩の腕を砕いた。
着流し風に纏う衣を靡かせ、青戸誠士郎(
ja0994)は一対の扇を舞う様に操る。我流の技を振るう彼の一撃は、込められた闘気と、側面から不意を撃つ戦術に常より威力を発揮し、同時に天魔を惑わせる。
(彼の天使が何を思い、何を目指しているかは解りませんが…)
意図は不明であれ、今は頼れる協力者。今後の為にも、何がしかの協力関係が気付ければ、越した事は無い。
(この作戦、手早く確実に推敲する必要がありますね)
●北部攻防戦
“最初の客は、お空に来るぜ”
偵察の対策室所属忍軍より入る情報に、受け取った只野 黒子(
ja0049)は光信機を手に声を上げる。
「先行天馬、来ます。対空戦用意です!」
貸与された数が少ない為、所持を任された者達が、周囲に伝聞で伝える方法が取られていた。
小柄な令嬢然とした少女は、情報が行き渡った事を確認して、眼前を覆う金髪を透かす様に傍らを見上げる。
「さて…クロコに貰ったライフルを使うには、良い舞台、だな」
視線の先、長身の赤毛の青年は顕現させていたリボルビング式のバンカーを、対戦ライフルへと換装する。だが、一瞬、増加する負荷にアスハ・ロットハール(
ja8432)は僅かに蹌踉めく。
以前の任務で負った傷が、まだ完治せぬ内にこの作戦に参加した為、その能力は大きく低下していた。
「俺がサポートする、思い切りやれ」
彼の腕に、支える様に手を掛けた黒子が、先とは違いぶっきら棒に言い放つ。恐らく、そちらが本来の彼女。
手にする特殊素材のライフルが、古めかしい瀟洒なマスケット銃に偽装されている様に。
「…ああ、頼りに、させて貰う」
そうして、二人は共に戦場へと疾駆する。
(天の者との盟約か…)
どこか達観した思いで、ケイオス・フィーニクス(
jb2664)は思索を巡らす。
(まぁ良い…我にとっては瑣末な事…)
永き時を生きた古き魔は、無為な思考を打ち切る。今この場で成すべきは人の子等の救出、その邪魔を排除する事だと。
(密約…もしかして去年の使徒の投降の時に…?)
作戦を聞かされてから抱いていた考えを、龍崎海(
ja0565)は振り払うように、背の翼を顕現させる。今は眼前の特に集中すべきなのだから。
「地上は任せます」
海以外の空戦能力を持つ学生達も、次々と蒼空へ向けて羽ばたいていく。
「ご武運を」
それを見送る一人、陰陽師の少女が、飛翔する者達に向けて印を切った。
南の地に災厄あらば、北の空を死の百合が裂く。
(天馬狩りの時間だわァ…)
白き肌に金色の瞳を持つ少女が、然も楽しげに嗤う。
通常の狙撃銃よりも更に長銃身のそれは、黒百合(
ja0422)が全領域攻勢型ユニットを追加したカスタムモデル。覗き込む高精度スコープは、天翔ける白馬を鮮明に捉える。そしてその射程は、更に群を抜いていた。
「きゃはァ、私の攻撃は少し痛いわよォ…死ぬ気で避けないと逝っちゃうわァ♪」
消音装置により殆ど撃発音は聞こえなかった。空と逸った昏き弾頭が、天馬を捉えた瞬間。
『ヒ―ッ!!?』
空で爆ける肉塊、断たれる悲鳴。少し所ではない、ただ一発の銃弾が天馬を文字通り粉砕した。
熟練の技術、能力、そして装備強化も一因だが、最大は彼女の纏うアウル…その属性。
あり得ぬほどに闇に染まった彼女の魔属が、天属の天馬に対し、問答無用のブーストを掛けていた。
「きゃはァ、次はどれを叩き落してあげようかしらァ♪」
しかし、それは諸刃の剣。彼女を脅威と見て取った残る四体の天魔が少女に殺到する。風の刃が、光の槍が黒百合目掛けて一斉に襲い掛かった。
二度までは空蝉による回避を做したが、深い魔属が今度は天魔の攻撃を避け難く、増大せしめ、浅からぬ傷を負う。
だがそれは、同様に対空戦に飛翔していた者達にとって好都合であった。
「文字通り、飛んで火に入るですね」
側面に回りこんだ海の手に、彼のアウルと同色の輝く槍が生み出される。すかさず投擲したそれは、天馬二匹を貫いて、虚空に溶け消える。
「黒百合さん、無茶苦茶さぁね」
呆れた威力に微苦笑を浮かべながら、射程内に捉えた一匹へと九十九(
ja1149)は、禍つ風神の欠片を宿すという大弓を引き絞る。
狙い済まされた一矢が天馬の翼を容易く射抜き、一時的に飛行能力を減じた標的が高度を落とす。
其処へ地上から急上昇してくる影。落下する天魔の頭部に嶺 光太郎(
jb8405)が烈蹴を叩き込む。頭部を粉砕され、天馬は絶命した。
(おいおい、どれだけ手練れが集まってんだよ…)
更に上昇しながら、彼は頭を掻く。正直、もっと手間取ると考えていたが、良い意味でそれは裏切られていた。
「所詮は獣だな」
海とは逆側に飛翔した竜魔人、リンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)は、手にする赤光を放つ大剣を、己が内に取り込む。それは彼の鱗から打ち出された一品ゆえに、親和性が高く、それを核に体内で精錬、高密度に濃縮したエネルギーを産みだす。
次の刹那、轟く轟音。彼が咆哮の様に発した雷光は空を裂き、天馬二体を飲み込み、撃ち滅ぼす。
手早く空戦を圧勝し、黒百合は一時降下して陰陽師による治癒を受ける。その他の無傷だった者は、そのまま上空から人馬殲滅へと移行して行った。
地上戦に視点を移せば、若干だが撃退士側が手間取っていた。
人馬型は、ただでさえ敏捷である上、撃退士が迫る山林に退いて矢を射掛けてくる。と思えば突如飛び出し、その機動力で彼らを突破しようと試みるのだ。
上空の優勢を見て取り、片瀬 集(
jb3954)は黒炎の如き靄を纏う機械弓を下ろす。
どうやら加勢の必要はなさそうだったからだ。
(なら…)
阻霊符の発動を確認し、少年は山林から飛び出し突破を図る人馬を優先的に射抜き、それを押し戻す事に専念する。
「――ッ?!」
山林に踏み込んだ陰陽師の青年目掛けて飛来する一矢。死角から不意を突かれ、貫かれる――と見えた刹那、後方から飛来した別の矢が、それを打ち落とす。
「内助の功って、こう云うのかしら?」
「…助かりました、感謝を」
実戦経験の少ない彼は早打つ胸を押さえ、冷や汗を拭い寄ってきた菊開 すみれ(
ja6392)に謝意を示す。
「お礼なんていいの。私、こう見えてもご奉仕得意なのよ」
にっこりと、然しどこか艶やかな笑みを浮かべるすみれ。言葉回しが妙に、アレな気がするし。
更に戦闘に赴くには些か露出度の高い着衣と、それにより際立つスタイルに、別の意味で彼は動悸を高めさせられた。
「チッ、数が多い上にチョロチョロと」
赤いファイヤーパターンを刻まれた改造双銃を手に、山林内で一匹を仕留めた麻生 遊夜(
ja1838)は軽く舌打ちする。
「クスクス…そうだね」
その背中合わせに、どこか童女の様に笑みをこぼすのは彼の恋人である来崎 麻夜(
jb0905)。その彼女に向け放たれた矢を、即座に反応した青年が撃ち出した赤き光弾が弾き飛ばす。
「残念、外れだ」
にやりと笑う遊夜の背後で、麻夜は骨格だけの翼を広げ、ふわりと飛翔する。
「僕に触れて良いのは先輩だけなの」
攻撃により位置の割れた人馬の背後に降り立ち、手を銃を握るように天魔の背に突きつける。途端に溢れ出る毒々しいアウルが、変色した血液の色合いを持つ拳銃を産みだし。
「キミは、ここでオシマイ…だよ?」
笑みながら瞳から血涙を流し、憎悪を込めた弾丸が天魔の体内を弾く。衝撃に蹌踉めき、隠れていた樹から姿を現す。
「風穴開けてやんよ」
その隙を逃さず、双銃から放たれた弾丸が天魔を次々に穿ち、息の根を留めた。
「ボクは影、先輩の影なの」
再び舞い戻った麻夜は、甘える様に彼の背に頬を擦り付け、楽しげに声を漏らすのだった。
徐々に数を減らす人馬。対策室の撃退士達が包囲を狭め、一角へと逐いこんでいく。
「天の傀儡共よ…我が領域に踏み込んで五体満足に済むとは思わぬ事だ」
その上空に飛来するケイオスの放つ凍気が人馬四体を包み込む。魔属の力がその悉くを凍て付かせ、眠りへと誘う。
一匹ずつ止めを刺すのは、実に容易い作業だった。
●乱入
南方の戦闘は、終始撃退士の優勢に進み、最小限の被害で敵第一陣を殲滅。
偵察により増援が確認されていたが、到達までに若干だが間があった。その間に、応急処置や束の間の急速を取る学生達。
やがて、増援の天魔が彼方に現れる――と見えた時、それは現れた。
天魔群と撃退士、丁度その中間に、漆黒の翼を羽ばたかせ降りる人影。
「あれは…まさか?」
誰かの呟き、同時にそれを確認した数名が、反射的に行動を起こす。
『あァ、長距離飛ぶのは、流石にダルイわ』
言葉通り、凝りを解す様に肩を回す男…灼焔の如き赤髪に一対の拗れた角を持つ、天魔。
「会いたかったぜ、紅蓮の悪魔ァ!」
刹那、その側面から闇を秘める紅蓮を宿す、紅の太刀が振り下ろされる。
ギィイインッ
『ほう、イイ焔じゃネェか…ん?』
瞬時に具現させた黒き斧槍でそれを受け止めたイドは、咀み合う得物越しに相手を見やり、眉を動かす。
『どっかで見たような…アー』
その反応に、君田 夢野(
ja0561)が微かに笑う。
「この焔の名はEs――またの名を“本能(イド)”。まぁ、お前から貰ったモンだよ」
『ナル程…何時ぞやの小僧カヨ。しかしテメェ、随分黒ずんだナ』
「いや、染め直しただけだろが!」
他愛ない会話で間を外した一瞬、太刀を叩き返し、天魔の一撃が夢野を襲う。だが気構えていた彼は、辛うじてそれをもう一刀で陵ぎきる。
『ちったァ、腕を上げたか』
「あぁ、初対面は駆け出しの頃だったな。あれから随分経ったが、お前は相変わらずだな」
イドを知る者も、知らぬ者もその一幕を遠巻きに見守る。中には、明確な殺意を向ける者も居た。
(…お前のせいだ、イド。こんなグチャグチャな感情を俺に)
集の明確なそれに、イドは一瞬視線を向ける。刹那咀み合う視線は、次に九十九を捉える。
『…言いたい事でもあるノカ?』
「……、今はいいさ。やるべき事があるんでねぇ」
だが次に会う事があれば、倒す。その意思を込め睨み返す。
「ククッ…と、お前もいたのか、クレハ」
何時の間に視界に現れた少女に、悪魔はさらに視線を移す。
「……」
合理的な判断ではない。頭では解っていても、鴉鳥は其処に駆け出してしまっていた。
「ちょ、鴉鳥!?」
それを咄嗟に追いかけてきた虎葵は、様子のおかしい彼女の後姿、そして悪魔を見比べ…取敢えず直感に従う事にした。
つまりはずびしと男を指差し、
「責任をとりなさい!」
と宣ったのである。だが、
『まだ一度しか抱いてネェからナ、断る』
と返され、ぽかんと口を開けて固まる。
「だ、黙れ馬鹿者!」
鴉鳥が、慌てて掻き消そうと声を荒げるが、最早後の祭り。
「…ぇ、あ…え?だ、抱い…えええっ!?」
やがて言葉の意味が脳に染みこんだ途端、驚愕の声を上げる。
「だ、だったら尚更責任!」
『ソウだな、あと百回くらい抱いたら、考えなくもネェぜ?』
「ひゃ…ひゃく…」
更に返された台詞を聞き、あの時のアレで優しかったのなら本気の百回は…と茹った頭で想像した鴉鳥は、ふらりと蹌踉めく。
二人を憂い、即座に対応出来る距離を保っていたマキナが、その内容に眉を蹙め。
「…ええ、と」
同様にそれを聞いていた夢野は、直に反応を起こせずに口篭る。
『クカカカッ…楽しそうな騒ぎだが、今回はテメェらに用はネェ』
一同の様子を呵呵と嗤い、イドは再び背に黒翼を広げた。
「そ、そうだ…何しに来たんだお前…?」
『昔世話になった奴にな…お礼参りサ』
「あ、ちょっとこらー!」
叫ぶ虎葵を無視して、再度飛翔する男は、瞬く間に撃退士が及ばぬ高度へと飛び去り。
天魔の増援がすぐそこまで迫り、彼らはそちらに対応せねばならなかった。
●
『よォ、三百年ぶりか?』
『正確には三百四年と五ヶ月少しね。…火の粉が、随分激しく育ったものね』
結界頂点の上空で、邂逅する両者。互いの声音には、懐かしむ響き。
嘗てここでない世界、両者は相見え、刃を交わした。結果は、悪魔の敗北。
そして彼女は、征した悪魔に止めを刺さなかった。いや、率先して見逃したと言うべきか。
『相変わらず、魂は嫌いなの?』
『…仕方なく喰う事もあるがな…あんなモンで強くなっても、ツマラン』
天界に失望し、自らの使徒以外に意を向けなくなっていた彼女だったが、戯れに彼と幾度か会話を交わした。
その中で、彼が魂を喰らって強くなる事を嫌悪していると識る。
“強さってのはナ、実感なんだ。テメェの強さ…俺の弱さ、闘ってる最中のイロイロだ。だがアレ喰ってもそれがネェ”
それから二人は幾度と刃を交え続けた。彼女が別の世界へと派遣されるまでの短い期間ではあったが。
『今日ココで借りは返してヤル』
『…もう少し後では、ダメかしら?』
死病に犯された今の状態、天使の封印と戦闘を同時にこなす。出来なくは無いが…可能ならば避けたかった。
『こりゃ反逆だろ?粛清されちまったら、もう戦えネェ』
『仕方がありませんね』
にべの無い悪魔の返答に、苦笑を浮かべて臨戦態勢をとる。刹那、彼女の髪が一房、するりと抜け落ちる。
『ア?』
『……』
それは空中で瞬く間に黒ずみ、煤の様な細かい塵となって風に溶けていった。
『ナンだそりゃ…、テメェまさか』
思い当たる節は、一つ。
『…ココまで来て、その落ちカヨ…ナンだッてんだ。ナンの嫌がらせだ、こいつは』
『……ごめんなさい』
申し訳なさそうに目を伏せる天使に、
『謝るな…俺は、テメェの人形をツブシタ』
彼の言葉に、彼女は肩を震わせ、顔をあげる。何かを噛み締める様に一呼吸。
『あの子は、…フリスは、ちゃんと戦えていた?』
問いに、イドは憤慨したように吐き棄てる。
『最初から、死ぬ事しか見ていやがらネェ。戦う前からダ』
その光景を思い描き、天使は嘆息する。
『…見出せませんでしたか、先への導(しるべ)は』
暫し、無言の間が流れる。
『ところで、だ』
『?』
『テメェじゃネェ…そこで覗き見してるテメェだ!』
唐突に背後を振り向いたイドは、斧槍を虚空に放つ。猛然と回転して飛翔するそれが何も無い空を――
『――ぐぅッ!』
唐突に虚空に展開された障壁がそれを受け止め、悲鳴が響く。
『近くに、そうイウのが得意なのが居るんでナ。天使なら、尚更解るんだよ』
穏行の術を力尽くで破られ、姿を呈すもう一人の女天使。長い黒髪を乱し、受けた衝撃に表情を歪める。
『貴方が来なければ、相手をする心算だったのですが…』
彼女も気付いてはいた。イドとの戦闘を渋ったのも、これが理由の一つなのだから。
『オイ、こいつは俺が貰うゾ』
舞い戻った斧槍を受け止め、イドは肩越しに言い放つ。
『…、なんの心算ですか?』
悪魔の意図を測りかね、問いかける。
『テメェが闘れネェなら、代わりになって貰うさ…格がダイブ落ちるがナ』
『なっ!悪魔如きが…私を愚弄するか!』
激昂する女天使を、悪魔は更に挑発する。
『ホレ、格下もヤル気になった様だぜ?カカカッ!』
『貴様ァ!!!』
●骸希し
作戦は順調過ぎるほどに進行した。
今回集った戦力は想定を上回り、南北共に増援までを難なく撃破、完全勝利を達する。
『…見事です。人の子ら――』
《気は済んだか?》
強大な霊威を孕む思念が、アナイティスの意識に割り込む。
驚愕に目を見開いたのも束の間、彼女は瞳を閉じて穏やかに微笑む。
《やはり、感づいておられましたか…古き友》
《永き付き合いだからな…大凡だが》
《ふふ、敵いませんね…》
どこか予定調和のような念話。
《思い残す事は?》
《少し、時間を下さい》
天使は、眼下を見下ろす。虜とした人々が姿を消し、サーバント・エインフェリアだけが存在する街。
『これで、終わりにしましょう』
彼女の意思が、全てのサーバントに伝播して行く。
その端から、それらは光の粒子となって姿を消して行った。
『あの子の為の彼ら、彼らの為のあの子…でしたからね』
《…さらばだ、アナイティス》
《先に逝った皆と一緒に、茶会でもしてお待ちしていますよ》
最期まで変わらぬ彼女の調子に、思念の主は微苦笑を漏らす。
《未だ暫く、遅参すると伝えておいてくれ》
《遅刻の常習でしたものね、貴方は…ふふ》
キュゥンッ!
阿蘇方面から、強烈な光輝が閃く。それは聖槍となって、天使の胸を射抜いた。
『なっ!?』
北方上空で黒髪の女天使と交戦していたイドが、その気配に意識を奪われる。
〈――今ならっ〉
半死半生に追い込まれていた天使は、悪魔の気が外れた瞬間を見逃さず転移、逃亡する。だが最早イドはそれに構わず、全速で彼女の下へ向かっていた。
封印されていた天使と使徒も解放されたが、何者かの指示を受けた様子で、撤退する。
『…マタ勝ち逃げか、テメェは』
地に堕ち、横たわる彼女を見下ろす悪魔の表情は、霞んで見えなかった。
『……』
僅かに唇を震わせる天使は、既に声を発する力も残っていない。胸まで炭化の進んだ躰は、加速度的に生命力を失って行く。
『言いテェ事があるなら、手伝ってやるヨ…これで借りはチャラだ』
悪魔は天使の傍らに膝をつき、その意思に触れる。其処から読み取った思念を、増幅して近隣全ての知性体――郊外で最後の住民を護衛する撃退士達に例外なく届く。
《巻き込んでしまってごめんなさい…でも、最後に、骸の戯言を聞いて頂けませんか》
《人と天魔が、共にある世界…夢想しても、何処でも為し得なかった世界…》
《私は、フリスと共にそんな世界を生きたいと願い》
《その度に諦めてきた…》
《でも、この世界の、貴方達なら――
《いつ、か…そ、んなせか――