(ふわぁ…このドーム凄いねー魔法なんだー)
閉じて行く天頂の焔を見やり、飯島 カイリ(
ja3746)が感嘆に溜息を吐く。彼女は皆の後方に居た為、飛び込んできた物が何なのか、まだよくは見えていなかった。
『…――面倒な事になっているな』
刹那、耳に飛び込んできた声音に彼女の体が震える。
「フレスさん…?…フリスレーレだったんですか!?」
そのを正体を見留めた六道 鈴音(
ja4192)動揺と驚嘆の篭った台詞に、カイリは自分の聞き違えではなかったと、前の彼女を押し退ける様に飛び出した。
「きゃっ」
「フリスねぇ!――」
呼びかける声に、背を向ける女の髪が微かに揺れる。だが、その背は続く言葉を拒絶する様に見えて、反射的に彼女は口を噤んでしまう。
(あれ、髪の色が?)
(…こんな色、だったっけ?)
乱入してきた者、名をフリスレーレといい、とある天使の使徒であるが…現在の立場は、やや込み入った事になっていた。
彼女を直接知る者は、この場においてカイリ、鈴音、そしてとある一件にて正体を偽装した彼女と同道した雨宮 歩(
ja3810)くらいだったが、彼の青年は軽く肩を竦める以上の反応を示さなかった。
使徒の髪の色――確かに嘗ては蒼銀に煌く色合いだったが、今は落ち着いた亜麻色へと変じている。それは生命エネルギーが枯渇する過程で生じた変化であり、人であった頃の本来の色。しかし撃退士らに知る由もなく。加えて、こういった現象は使徒に全ての身に起こる訳でもない。
《奴から目を離さず、聞きなさい》
(これは――精神感応か)
頭の中に直接響く思念。神凪 宗(
ja0435)は乱入者と、更に前方に居る魔族双方へ警戒を解かぬまま、それに意識の一部を傾ける。
《私は九州対策室所属、…正しくは、その保護観察下にある使徒、フリスレーレ。この場で証明は難しいが、幸い私を知る者が居る。彼女らを以って信用して貰いたい》
「大丈夫ですっ」
「うん、フリスねぇだもん!」
力強く頷いて見せるカイリと鈴音だが、特に根拠がある訳でもないのは同じであり、謂わば直感と願望の入り混じった断言であった。
それでも、二人の言葉に取敢えずは他の者も乱入者への警戒を弱める。
「使徒だったとはねぇ。まぁ、今はどうでもいいけどねぇ。同じ敵に挑むんだ、よろしく頼むよぉ」
どこか面白がるような歩の言葉に、フリスレーレと名乗る使徒は首肯する。
《ええ、その為に駆けつけたのだから。だが、一つ伝えておく事がある。私の身には、一切の治癒、回復系の術は効果を及ぼさない》
「? それはどうして――」
疑問をあげたのは、どこか飄々とした雰囲気を纏った青年だった。名を九十九(
ja1149)という元暗殺者。視線の先に居る対手――イドと嘗て相見えた時の恐怖と、それを感じる不甲斐なさに拳を握り締めながら。
《今答えいる時間はない。必要なのはこの事実を認識する事》
問いをにべもない言葉で切り捨て、彼女は愛用の得物を手に敵前へと踏み出そうとした。
「待て」
その背後より声が一つ、彼女を呼び止める。白銀の髪を靡かせた少女、鬼無里 鴉鳥(
ja7179)が。
黄金に煌く左の獣眼と右の紅眼は焔魔が現れてより一度も外らされず。ただ声だけをフリスレーレに向けた。
「貴殿の話を聞いて、奴と削り合わせるはリスクが高すぎよう」
《だが…無礼とは思うが、恐らくこの中で私は尤も有効打を持つ――》
「ダメです、フリスレーレ…さんは中衛をお願いしますっ」
呼び捨てが適当か迷った挙句、敬称をつけながら、鈴音も鴉鳥の意見に同調する。
「使徒の力、悪魔に取って脅威になりそうなのは確かだよ。…でもそれは相手も承知の筈。過信は禁物」
続く片瀬 集(
jb3954)の言葉に、微かな戸惑いの感情が彼女から伝わってくる。
「戦術的な物はともかく、奴に喧嘩を売られたのは自分達だ。それに――」
使徒の右隣に並び出た宗が、左手の親指を立て、背後を指し示す。
「個人的に、アレと闘いたい連中も居るようだ。恨まれるぞ?」
手にする白光の直刀を無造作に構えながらの彼の台詞に、集の瞳が揺れる前髪の下で細められる。そこに燻ぶる何かを隠すように。
同様に鴉鳥もまた、小さく首肯する。
「今日こそ決着を付けてやるわ!」
鈴音もまた、勇ましく意気を上げる。これまでイドとの交戦で受けた過去の痛手。だがそれを寧ろ糧として彼女は前に進んで来たのだから。
更にもう一人。
「一ついいか」
これまで沈黙を守っていた青年が、闘志と共に焔魔へと声を向ける。
「俺が使うのは、人間が戮し合いの為だけに数百年磨き上げてきた技術だ。それが見せ掛けだけでなく実戦で使える、かこの時代に、そして天魔にも通用するか、お前との一戦で試したい。付き合ってくれるか?」
楽しげに、或いは観察する様に悠然と撃退士らを睥睨していた天魔が、その言葉に口角を釣り上げる。
『ご託の長ェガキだな。俺は此処に居る。ナラ、聞くだけ時間の無駄ダト思わネェか?』
手元で回した斧槍を肩に乗せ、返される皮肉。
「…違いない」
大澤 秀虎(
ja0206)は表情に出す事無く声で嗤う。自分は、この天魔と闘わずには居れない。そして対手は彼の“欲”を全肯定したのだ――“好きにしろ”と。
(ああ、心ゆくまで好きにさせて貰う)
この一戦のみに集中せんと、彼は雑念全てを斬り捨てる様に、一つ刃を払った。
《確かに…そのようね》
先のやり取りと撃退士達の意気。一拍置いて響いた使徒の思念には呆れと、慈しむ様な感傷が入り混じっていた。
《出すぎた真似だった事を詫びておきます。ならば私は、貴公らの意思に全力を以って助勢しよう》
フリスレーレの躰から放たれた清涼な清水を思わせるアウルの煌き。それが撃退士達の身を包み、その影に吸い込まれる。
「今のは?」
《僅かばかりの加護よ。…尤も、あの相手に何処まで有用かは分からないわ》
軽い跳躍で後方に下がりながら、フリスレーレは宗の問いに答える。
《それと、私の持ちうる技も伝えおきます。圧縮して送るから、少し“重い”わよ》
微かな、頭痛にも似た感覚。それは圧縮された情報の塊。平然と受ける者、眉を蹙める者それぞれの反応を見せた時、彼らはその全てを理解していた。
●
焼け残ったアスファルトを砕く破砕音に、撃退士達は一様に身構える。
『待つのも飽きタ。ソロソロ始めようぜ?』
本来、イドはその身に異常聴覚を備えている。念話は傍受できないが、その気になれば会話全てを聞き取る事もできたが、ここまでその能力は閉ざしていた。今から交わされるの刻をより娯しむ為に。
「…わざわざ待っていたのか。存外に律儀な悪魔だな」
宗の小さな呟きを捉えた鴉鳥は、口元を覆う布地の下で小さく苦笑する。
(いいや…あやつはただ、自分勝手なだけさ)
そうして即興の打ち合わせの下、弾かれたように撃退士達は二手に分かれる。
「…鬼無里呉葉――推して参る…!」
「……!」
本名で名乗りを上げる者、或は無言の気勢を上げる者、それぞれに。同時にフリスレーレも水翼を顕現させ、焔の天蓋に舞い上がった。
その最中、鈴音は逸りながら何かゴソゴソとやっていた。
左右に挟み込んでくる意図は、誰の目に見ても明らか。イドは、より面白そうなのはどちらかと視線を走らせる。
刹那に左手から襲い来る、太陽の凝らした様な光刃。反射で左の篭手を叩き付け、それを打ち砕く。
「お前に無様に負けた道化、雨宮 歩。前は名乗らなかったし、どっちにしろ覚えてないだろうから名乗っておくよぉ」
腰溜めに構えた黒鞘から払われた白銀の刀身を振り抜いた体勢で、青年は薄笑いと共に宣戦を告げる。
「負けたままは嫌なんでねぇ。だから、挑ませてもらうよぉ」
『ほう、中で遇っテたか? 覚えてなくて悪りぃナ』
言葉の最中にイドは斧槍を右手へと横薙ぎに振り翳す。
ギィインッ!
「…死角は盗った心算だったんだが」
漆黒の柄と咀み合う白光の刃を挟み、一撃を受け止められた宗に、天魔は鼻を鳴らす。
『来るのが分かってる攻撃ナンザ、喰らうわけネェだ、ろ!』
間髪置かず、光刃を弾き飛ばし繰り出される天魔の一撃。だが青年は軽やかな身の熟しで、それを後方に躱す。
『…テメェアレか、服残して消える類の、アレだろ?』
宗の動きと、纏うアウルの気配。イドは経験と直感で、彼を忍軍と認識する。尤も撃退士のクラス分類など知る由も無い為、表現は曖昧になっていたが。
「アレ、では分からんな」
肯定も否定もせず、宗はそう答えた。
その光景を、冷静に観測する者が居た。
焔の結界内を精査するように滑る風。その集約地点に九十九は立つ。だが――
(これじゃダメさぁね。位置は把握できても…)
風の神の名を冠した術式は、しかしこの空間では意味を成さない。位置を把握する必要も無く、視界内に敵は一体のみ。
その動きを捉えるだけならば、インフィルトレイターとしての捕捉力のみで十分であると術を解除し、手にする大弓に矢を番える。
禍々しい凍風を纏うその弓より放たれる凶つ矢。僅かに反応の遅れたイドの防御を擦り抜け、この一戦で最初の直撃を与えた。
『カカッ、腕のイイ射手が居やがるじゃネェか』
僅かに身を外らして肩で受けた矢に視線を向けイドが嗤う。間も無くそれはアウルの供給を失い霧散、消滅した。
「…なんでその程度で済むのさぁね」
だが、一撃を与えた九十九の方が苦々しげに呻く。鏃は確かに天魔の身に突き立ったが、それだけなのだ。
常軌を逸した肉体の強靭さは、最早真面目に相手をするのが馬鹿馬鹿しいのではないかとさえ思えた。
イドは特に重装備を纏っている訳ではない。上下共に黒革に似た様な材質のジャケットとパンツという軽装に、左手のみ大型の篭手を身に付けているだけだ。
だが肉体の内外に纏うアウルが、肉体そのものを強靭な鎧と化していた。尤もそれだけではなく、意外にも欠かさない鍛錬の賜物でもあったのだが。
身を捻ると同時に、振り上げた斧槍を叩き付ける。
両者に亘る空間を劈く黒き斬光。打ち合い斧刃に切り裂かれたそれのアウルの砕片。その向こうに、黒刃の大太刀を納める少女の姿が透ける。
「久しいな、健勝そうで何よりだ」
「…前に見た技だが…腕を上げたじゃネェか、クレハ」
一瞬視線を交わす二人。だがイドは動きを留める事無くそれを外し、軸足を入れ替え、躰を半回転させながら掬い上げる様に穂先を切り上げ、その勢いままに回転させた柄で何かを巻き取り、弾いた。
「くっ」
「――ッッ!」
地を匐うような疾駆からの奇襲でイドの下肢に一撃を加えようとした秀虎の刃と、タイミングをずらして背後から突き出した双槍。ほぼ同時に防がれた衝撃に腕を痺れさせながら、二人は揃って飛び退る。
だがその瞬間、焔の悪魔はその身を強張らせる。
「いどっ!」
飛来する弾丸。だがそれは天の力を纏う。忌々しげに斧槍を振るい、それを弾き飛ばした刹那――
『水天以って狭間を系ぎ、轟き以って鎖せ“オグネティウス”』
冷たき声が、呪を紡ぐ。発動するフリスレーレの魔術。左右から間断無い連撃、そしてカイリの天光の銃弾。
それはイドの意識を、ほんの僅かの間外らす事に成功した。
咄嗟に飛び退こうとしたイドの足元、そして頭上にこの世界にはないルーンを銘まれた方陣が描き出され、その動きを縛る。
そこに召喚された天の魔力を帯びた流水が、天を衝く水竜巻と化した。
『ガアアアアッ!この…クソ人形ォオオオ!!』
その威力を少しでも削ごうと展開しかけた障壁が、竜巻の中で無情に砕け散る。
使徒としてのフリスレーレの能力もあるが、これはイド自身の魔属としての性質が祟っていた。避け様としても吸い寄せられるように天の力は魔を捉え、その昏き力に応じて威力を増幅させるのだから。
「チャンス!」
その光景に飛び出す鈴音は全身のアウルを増幅させ、翳す両掌へ凍結の魔力へと変換、集約する!
「ゲートの中では出せなかった、これが真の威力よ。――喰らえ、六道冥氷波!!」
永久凍土を思わせる蒼き閃光が、竜巻ごと焔の悪魔を飲み込んだ。
『クク…クカカカカッ』
だが、その痛撃を受けた筈の天魔が、己の身を束縛し、凍りつかせる魔力の中で哄笑する。
『くっ、束縛が食い破られる!』
「まだだ…」
フリスレーレの警告に、集がその手に取り出した符を燃え上がらせる。
塵となった灰が少年の魔力と共にルーンとなり、同時に黒き業火のアウルによって描かれる太極図と組み合い、東西魔術の複合陣より産まれ出た茨が、イドの全身へと絡みついていく!
『カカカ…石化、か…クカッ』
その状況でさえ楽しげな笑みを浮かべるイドの抵抗を、全身全霊を保って抑え込み、その躰を徐々に集の魔術が高質化させて行く。
石化といっても、本当に石に変える訳ではない。対手の肉体を魔力で侵食し、組織を凝固させるといえばイメージできるだろうか。
少年と悪魔の瞳が、その時初めて絡み合う。
『ナンだ…何が言いたい事でもアルのか、小僧』
「…俺は」
最後の一押し、全魔力と共に、集はその内に感情を呪として言葉に載せる。
「お前を許さない」
『ソウかい…カカカカカッ!』
何を、或いは何に対してなのか。それを知るのは集だけだ。
だが彼の瞳から何を読み取ったのか、イドは納得したように哄笑し――その活動を一時的にだが、完全に封じ込められる。
束縛、凍結、そして石化。
行動一切を封じられた焔の悪魔に対し、撃退士達は持てる最大の技を繰り出し続ける。
絶対有利な立場で、圧倒的優位な立場の筈だった。
だが、耳に残る焔魔の哄笑が、理由も無く撃退士、そして使徒の心に焦燥感を沸き立たせる。
バキィッ!
それが何の音なのか、正確に把握できた者は居なかっただろう。
束縛、そして石化の魔力を中和しきったイドが、獰猛な笑みと共に生じさせた、歯軋りの音。
『いかん、離れろ――!』
「全員そこから逃げるさぁ!!」
上空のフリスレーレ、そして次の一撃の為に矢を番えた九十九がその光景に叫ぶ。
次の瞬間、全てを薙ぎ倒す豪風の如き一撃が、攻撃直後で咄嗟の動きが取れなかった宗、秀虎、鴉鳥、そして零距離射撃を行ったカイリ四人を巻き込み、その凶刃を刻む――!
『莫迦な…一撃で私の“エガム”ごと!?――カイリ!!』
鮮血を振り撒きながら吹き飛ぶ小柄な姿に、フリスレーレは急降下してその躰を受け止める。
「…ぁ、は…へま、しちゃ」
『喋るんじゃない!誰か…誰か治癒を!』
これまでに無い取り乱した姿を見せるフリスレーレとカイリの下へ、辛うじて攻撃範囲の外で術を放った集が駆けつける。
「後は俺が…フリスレーレさんは、皆をサポートを!」
『あ、あぁ…頼むっ』
●
『あァ…最高だ。最高だゼ、テメェらァ!!カカッカカカカカカカカカッ!!!』
狂喜と共に放たれる衝撃波を、アウルによって生じさせた血晶で撹乱し回避、返す刀で光刃を打ち出しながら背筋に匐いまわる悪寒に眉を蹙める。
(これであの女より弱いだって…? ホント、出鱈目だよねぇ)
行動不能から脱してから天魔の戦闘パターンが変わったのを、彼も他の者も感じていた。
それまで、楽しむように撃退士の攻撃を受け、或いは流していたイドだったが、あれから防御でなく回避を優先する様になり、流れが狂い始めた。
九十九の射撃、そしてイドの動きを経験からある程度先読みできる鴉鳥以外の効率低下が顕著になり始める。宗、歩、集がそれぞれ性能の高い魔具や技、術に切り替え応戦、辛うじて両者の均衡を保ち続けていた。
九名総出で掛かっても、尚打ち崩せない対手。それは壁だった。彼が望み求める果て、彼よりもその近くに居る存在。
(ならば、今撃てる最高の技で挑もう)
満身創痍の身に、アウルによる脚部の集中強化、瞬間的な機動力増大により、刹那の疾駆はイドの懐を盗る事に成功する。
『ヨウ、兄弟!』
だがイドはそれに反応してみせ、笑う。嘲りではない、その覚悟と、この状況でなお近接戦闘を好んで挑む酔狂に対する共感の笑み。
その喉因へと、左手より抜刀した刃が奔る。峰に添えられた右手が更にそれを押し上げ、加速する!
「――! 秀虎!?」
くるくると、飛び上がった物が宗の目前に落ちる。悪鬼の飾りを施された柄を握り締めた、左腕のみが。
「――ッ、かっ!」
衝撃に背から叩きつけられながら、秀虎は空になった右掌で反射的に傷口を押さえる。思い出した様に、溢れ出る血潮。
的中ると見えたあの瞬間、天魔は半身引くと同時に、左甲で秀虎の刀の柄尻を弾いた。勢いに体が崩れた次の刹那、振るわれた斧刃が跳ね上がり、彼の腕を斬り飛ばしたのだ。
『惜シイな…技に腕が追いつけてねェよ、テメェは』
「…ああ、まだ未熟だったようだ」
振るわれた後も留まる事無く翻る斧槍に、瞬きの間に交わされる言葉。覚悟を決め、天魔を見上げる。
どこか満足そうに。全力を振るって尚、届かなかった故に。
「下らぬ余興に付き合ってくれて…感謝する」
『ナに、割と楽しめたサ』
言葉と同時に、微塵の容赦もなく青年の身を二度目の刃が撫でる。一拍遅れて噴出す鮮血の中、秀虎は倒れ伏す。
「ぐぅっ!」
どれだけ俊敏な身の熟しを身に付けても、全てを完璧に避ける事など誰にも成せはしない。
しかも――
『カカッ、羽がもげたナァ…赤白ォ!』
忍軍の技、空蝉。それが、破られた。
『散々見せて貰ったからナァ…どういう風に転移するか!』
空蝉が代替物と入れ替わる現象は、転移術と似ている。無論その物ではないし術構成も違うが、幾度もそれを目にし続けたイドが編み出した名もない技だ。
対象と繋がった代替物とのアウルの繋がりを追尾、攻撃そのものを転移させる、空蝉にしか効果を発揮しない技。
一撃が両脚の大腿部を骨まで切り裂き、
『手子摺らせてくれテ、ありがとよォ!』
「――ッッ!!」
二度の斬線は、宗の胸部を深く刻む。それは魔装を切り裂き、肋骨を、そして肺まで達し。
口腔にこみ上げる鮮血を吐き出しながら、結界の端まで吹き飛び、宗の意識はそのまま闇へと飲まれた。
「イドッ!」
飛翔し、最後の再生術で傷を塞いだ鴉鳥が、その手にする大太刀をもって上空から斬りかかる。
最早技は出し尽くし、他に手が無かった。使徒の術である流水の鎧を纏い、数合打ち合う大太刀と斧槍。
切り払われ、再び上昇しようとした彼女の翼を、天魔の腕が掴む。
「な―っ?!」
『ハーフだったノかよ、お前…なるほどナァ』
顕現した翼は、物質として、そして肉体の一部としてその間現世に存在し続ける。故に――
ビチィ!ギチブチチチッ!
「ッッあ゛あああああっ!?!」
少女の背から、無残に引き千切られる翼。舞い散る羽根と鮮血に埋もれ、鴉鳥は闇へと落ちた。
前衛が次々と倒れて往く。
フリスレーレも最早飛翔する事無く地に降り、双剣を以って焔魔と斬り結ぶ。
だが、それは圧倒的に分が悪かった。
互いの攻撃はなまじ引き合うだけに、耐久力勝負となれば今の生命力で彼女が逆立ちしても敵う対手ではなかったのだから。
九十九とカイリが、イドの斧槍を時折銃撃で弾きサポートするも、それは挽回策の無い現状で意味を成さない。
『カカカッ、イイねぇこの感覚! 余計な血が抜けて、スーッと軽くなるこのカンジがよォ!ナァ、ソウだろ人形ォ!!』
『化け、物が!』
後退しようとするフリスレーレ。それを追うイドの背後に、誰かが飛びつく。
『…鈴音?!』
「つーかまえた!」
『テメェ、何をッ』
少女の内より膨れ上がる、魔力の波動――
『自爆する気かよ!カカッ、いい根性だ見直したゼ鈴音!』
背後に腕を回し、少女馘を掴む天魔。だが一瞬早く、彼女の魔術が完成する!
目も眩む様な魔力の暴発が、天魔と少女を包み込んだ。
「…、ぁ、れ?」
酷く重い瞼を押し上げる。一瞬意識を失っていた鈴音の目の前に、見覚えのある顔があった。
『やってくれたナァ…クカッカッカッ』
血塗れのイドの顔に、少女は笑みを浮かべる。
「すこ、しは…きいた、でしょ…」
『アァ、効いた効いた…お陰で、手加減し損ねタ』
腹部に湧き上がる灼熱感。ズルリと、臓物の一部を纏い付かせたイドの左掌が引き抜かれる。
「か、けふっ…だ…めだった、かぁ…」
そのまま意識を失う少女の躰を、閑かに下ろす。
『ワリィな…やられてヤレなくてよ』
それが何を意味するのか――、カイリの意思は理解を拒否した。
振り下ろされる斧槍、横からの衝撃。そして…赤い飛沫を噴き上げ、倒れて行く誰か。
「…ふり、す…ねぇ?」
ふらりと、まだ目の前に居る天魔がまるで見えていないかの如く踏み出す。
「ふりすねぇ…そんなところでねてちゃ…だめだよ?おきて…ねぇ、おきてよ…?」
熱を失って行く。目の前の誰かが。知っている、とても良く知っている気がする誰かが…死ぬ。
『…チッ』
その侮蔑の舌打ち。生きる意思を持たなかった人形が、最後に見せた“他者の生への執着”は、イドには理解しがたいモノだった。
しかしそれが、放心状態だった彼女の意識を一気に現実へと、嚇怒と共に引き戻す。
「お前っ、お前はあああああああああっっ!?」
手にする二丁拳銃のグリップが壊れんばかりの握力で握り締め、その男に、誰かの仇に乱射する。
されど錯乱状態で放たれる銃弾は、殆どが外れ、一発だけが相手の額をかすめる。
「…ぁ、…?」
斧槍の穂先を、
『ガキの泣き声も面も嫌いナンだよ…寝てナ』
女の胸の真ん中に突き入れ、天魔は引き抜いた。
動かぬフリスレーレの上に、その勢いで倒れ伏すカイリの躰。
(ふり…やだ、一緒…、に)
光を失って行く瞳から溢れる涙が、混じり合う血溜りに小さな波紋を立てた。
残る九十九、集、そして歩。
「お前だけは――!」
先に九十九を潰そうとするイドの進路に、双槍を手に集が、歩が割り込む。
振り下ろされる斧刃によって砕かれた大地が、少年の全身を強かに打ち据え、その躰を痲痺させる。
「そう簡単には、やらせないよぉ」
イドとて、既に満身創痍に近い。
何か一つ、歯車が違っていれば、恐らく倒されていたのは彼の方だったろう。
だが、最後の歯車がかみ合わなかった。
目の前で、切り伏せられる歩と集を見届けながら、九十九はその矢を番える!
「くそぉおおおおおっ!!!」
『カカッカッカッカッカカカカッ!!』
突進する天魔の眉間目掛けて、放たれる最後の一矢!
だが、あろう事かそれを口で喰い拘え、イドの斧槍は逆袈裟に九十九の身を切り裂いていた。
●終演
『このままテメェらが血の海で朽たばるのを眺めてるのも、悪くはネェ…が』
イドが、手にする斧槍に寄りかかるように膝を着く。
『…ガハッ』
そのまま座り込み、込み上げた鉄錆びの味を傍らに吐き捨てる。
首を巡らし、イドは北東の結界壁に視線を合わせる。
『時間切れ、…俺の結界じゃ、もうもたネェか』
立ち昇る炎の柱が根元から罅割れていく光景に。
ギィイイイインッ!
劈く様な破砕音。空間ごと砕かれるように砕け散った焔の破片を潜り抜け、外より数名の撃退士達が飛び込んでくる。
そして、その対面。均衡が崩れた事により組成が乱れた南西の結界壁も続けて破られ、十名を越える撃退士達が同様に侵入を果たした。
「アノ女みてェにはいかねェな」
一斉に魔具を、或いは起動寸前の術式を捉える天魔に向けながら、その内数名が内部の光景に息を飲む。
「非道い…」
焼けた地面は、少年少女らの血を吸い込み、重く湿った様相を呈し。
蹲りピクリとも動かぬ者、切断された箇所を抑えながら倒れ伏す者、意識を辛うじて取り戻し、ようやく来た救援に気付き顔をあげる者。
そしてその一瞬の隙を突き、イドは動く。
「――ッ!? 貴様ッ!」
「ま、待て!」
即応しその動きを追った撃退士達は、天魔が足元の人物を掴みあげ、掲げるのを見て取り、その動きを止める。
「下衆な…っ」
『ハッ、だから悪魔ナンだろうが』
イドの左腕、細首を掴まれ掲げられる少女の名を知る者も識らぬ者も、これでは迂闊に動く事が出来ない。
少なくとも、即座に彼女を見捨てて天魔を討つ、などという決断を出来る者は居なかった。
「…き、さま」
辛うじて意識を取り戻していた鴉鳥は、己を掴む手の主に向けて擦れた声で呻く。
《カカッ、少しの間黙ってナ。そうすりゃ、五体満足で開放してヤル》
精神感応でそう少女に囁くと、自身に敵意と侮蔑を露わにする撃退士達に再び声を上げる。
「っ…」
背中に奔る激痛に、少女は顔を歪ませる。言われるまでもなく、これでは身動きなどできなかった。
未だ流血は続き、命の雫は失われ続けているのだ。
『ココから離れるまで、コイツは借りてく。…心配するな、チャンと無事に帰してやる。これは、俺とテメェらの契約ダ』
尤も、契約に矛盾を残し、付け入る穴を残すのも悪魔だがな――と心中で皮肉りながら。
イドが右手の斧槍を空に薙ぐと、残っていた結界の炎全てが、まるで最初から存在しなかったかの様に形跡も無く消失する。
同時に後方に大きく飛び退り、距離を取る天魔。踏み出しそうになった撃退士数名を、他の者が押し留めるのが見えた。
背に漆黒の翼を具象化させ、大きく羽ばたかせる。
「う、…」
イドが飛翔する際に掛かった軽くはない衝撃に、重傷の鴉鳥が呻く。
『傷に響くカ? ま、お互い様ダ』
そう嗤いながら、天魔は少女を天高く連れ去り、撃退士達の前から姿を消したのだった。
「…っ、今は取敢えず、彼らの救護が優先だ! 治癒術を持つ者は、延命処置を頼む!私は学園に輸血用の血液と医療班を手配する!」
光信機のある指揮所に駆け戻る教師の指示に、複数の者が倒れる者達に駆け寄る。
「こいつは…」
その傷を見て、絶句するアストラルヴァンガードの男。
「まだ、繋げる可能性はある。少なくとも久遠ヶ原でなら」
世界中から覚醒者、そして研究者達が集う学園。その魔術、そして科学は現代技術の最先端を誇る。
そこでなら、切断された四肢もまだ接ぎ直せる可能性は僅かだがあった。
「ともかく傷口の壊死を止めるんだ!」
「分かった!」
●
数時間後、天魔と少女の姿は、とある山中の廃屋にあった。
『傷口は塞いどいてヤッタ。ま、これで死ぬ事だけはネェだろ』
「………」
イドの手から放たれるアウルの光は、癒しとなって鴉鳥の裂傷を治癒していく。とは言え、受けたダメージそのものが消える訳ではない。あくまで、致命傷で失くなるだけだ。
小さくなる躰の痛みに、無意識に息を吐く少女を見下ろして悪魔は笑う。
「な、なんだ…?」
『イヤ…、寝てる女に手も出さず、こんなマネしてるテメェ自身が可笑しくてな』
イドが、恐らく悪魔にとってのヒヒイロカネのような物から取り出した、材質不明の布。
その上に横たえられた少女は、無言で顔を反ける。
「……」
『サテ、後は寝てな。朝にナッタラ、適当な町まで送り届けてやル』
「だったら今すぐ、送ればいいだろう」
『カカカッ、流石に俺も疲れたのサ。久方に暴れたし、それなりにイイモンも貰っちまったシよ』
自身の体に刻まれた傷痕を満足げに撫でながら無邪気に笑うイドは、何処か子供のようで。
『て訳ダ。俺は向こうで寝てる。苦しくなったらヨビナ』
そう言い捨て、扉のない出入り口を潜り、壁向こうに消える。やがてどさりと言う音に間も無く、寝息まで聞こえてくる。
「…何処まで自分勝手な…」
――深夜。
影が忍び寄る。その片手に闇に溶ける漆黒の刃を手に。
横たわる大柄な影に跨がり、その喉因に僅かな逡巡の気配を振り切る様に突き下ろされる切っ先は、しかし皮一枚の距離で止まった。
二本の指先に挟まれて。
「…っ」
『っタク、アノ傷なら大して動けネェと踏んだんだがナ。…気の強ェ女だ』
咄嗟に飛び離れ――ようとした寸前、柄を持つ腕を捕られ、引き倒される少女と影の位置が入れ替わる。
「あ、ぐぅっ」
『大人しくしてネェとヤバイ傷だってクライ、テメェで分かってるだろ』
「はな…せ…」
『寝首掻こうとシタ奴を、自由する奴がドコに居る』
暗闇の中、金色に光る双眸とヘテロクロミアの如き赤と金の双眸が凝視あう。
『…莫迦なマネできねェように、疲れさせてやろうカ?』
びくり、と鴉鳥の体が震える。男の手が自身に触れる動きに反応して。
「…私は、敗者だ…好きに…するがいい」
熱くなる頬、火照る躰は、傷による発熱が原因だと、少女は自身に言い聞かせながら天魔を睨む。
『お互い傷に響くカラな…なるだけ優しくしてやるサ』
「…っ、…ぁ――」
二日後――。
送り届けられた町より、少女は学園に連絡を取り、救助後そのまま医療施設で療養する事になった。
その期間に受けた聴取にも淀みなく答えたという。――ごく一部を除いて。