●焔と和紗
「おはようございます」
「うおぉ、びっくりした!?」
鼻歌混じりに出勤した直後に掛けられる挨拶に、眞宮は思わず身構えてしまう。
「あ、えーっと…焔君、だったっけ?は、はやいね?」
「ええ、四時くらいから」
「ちょ、早すぎるって!お姉さん、五時半でイイって昨日の顔合わせで説明しなかったっけ?あれ、したよね?」
おっとりとした微笑を浮かべる星杜 焔(
ja5378)から視線を外し店内を見渡せば、既に掃除はほぼ終えているらしい。姑の様に窓枠に指を這わせて見れば、埃の一つすら見当たらない。
(いつもより早く五時前に来たのに…店長以上の伏兵にでくわすとは油断ならねぇ)
内心引き攣りつつ、あちこち見て巡る。
厨房のレシピ通りの仕込み、器具も改めて手入れした様にピカピカだ。
「大分個性が強い厨房みたいですね」
「あー、元々一人で始めた店みたいだしねぇ…偶に私も使いづらいのよ」
厨房に続いて入ってきた焔は、既にウェイター服に着替えていた。素早い。
カランカラン――
「おはようございます」
と、入り口から聞こえてきたのは、今日焔と一緒にシフトに入っていた樒 和紗(
jb6970)の声。
出迎えた状況と、店内の様子を見回し。
「…俺の仕事がなさそうです」
と肩を落とした。
「焔は四時から…なるほど。では俺も次は」
何処かノスタルジックな和服にエプロンドレスという服装で、卓子に持参した花を飾って回った和紗が戻ってきて発した言葉に、
「いや、君らの仕事に対する真摯な態度はよく分かった。だけどもっと遅くていいのよ?でないとお姉さんも四時出勤しないといけなくなっちゃうからっ!低血圧だから早起き辛いのよ、分かって!?」
「は、はぁ…」
「ええと…」
必死な眞宮に、二人は戸惑いながら説得されてあげた。
また別の日――。
「ほーん、料理、上手いもんだねぇ。お姉さんもそれなりに自身はあるけど」
焔の手元を覗き込み、感心したように頷く眞宮。二人は厨房にいた。
時間はお昼、つまり尤も忙しい時間帯である。
「いらっしゃいませ。二名様ですね、こちらへどうぞ」
店の方からは、和紗が応対する声が聞こえる。
「おっと、戻らねば。じゃ、ここは君に任せるよ」
「はい、お任せあれ」
店に戻ると、和服姿の和紗が切れのよい動きで店内を忙しく動き回る。凛とした姿に後ろで束ねた髪を靡かせ働く少女が、接客時に見せる笑顔に見惚れる男性客もちらほら。
「うーん、こっちはこっちで、いい客寄せ♪」
次のシフト日、彼女目当てに来る客が増えて売り上げが少し増えたとか。
一時の修羅場を抜け、お客が総て引き払う時間帯。店員の憩いの時間でもある。
「あ、眞宮さん」
「ん?」
氷嚢とタオルを手に彼女が振り返ると、湯気を立てる粥の土鍋が焔から差し出される。
「これ、マスターに。今から様子見に行かれるんでしょう?」
「…そつがないねぇ、ほんとに。じゃ、ありがたく〜」
奥に消える女性を見送り、カウンターに戻る。そこには焔が用意した賄いに箸をつける和紗があった。
と、その最中に時折ゴソゴソとやっている。
「? 何をしているのかな?」
「あ、ええ…これなんですが」
はたと我に返り、手元のそれを差し出してみせる少女。
「本日の…お勧め?」
「ええ、焔の得意料理などあればと。こういう機会ですし」
「そうだねぇ、それじゃ――」
こうして残り二日、小さなイラストがメニューと一緒に飾られる様になった。
何かを記帳している焔を横目に、和紗は店の奥に進んで行く。
マスターの部屋は、地下にあると眞宮から聞いていた。何故地下なのか疑問に思わなくもなかったが。
「…おや?」
「失礼します…お加減は、如何ですか?」
「はは、大分落ち着いてきました」
まだ顔色が優れないが、笑顔で彼女を応対する壬生谷は襦袢姿で起き上がっていた。どうやら帳簿のチェックをしていたらしい。
「今回は私の不摂生で、ご迷惑をお掛けしています。どうかよろしくお願いします」
「いえ、そんな事は。それよりもゆっくり休まれて下さい、無理はなさらず」
と帳簿に目を向ける。
「あはは、眞宮さんと同じ事を言うんですね。分かっています、この後はすぐ休みますよ」
「そうですか…では、今日はこれで」
「ええ、お疲れ様でした」
●鈴音と恋
「おはようございますっ!」
元気な一声と、
「おはようございます」
落ち着いた声音が、店内に響く。
「はーい、おはよ。朝から元気ねぇ」
溢れんばかりのエネルギーの塊のような少女、六道 鈴音(
ja4192)と、長身にクールな表情で頭を下げる地領院 恋(
ja8071)を出迎えた眞宮は、内心でホッと息を吐く。
(この子達はこの時間で大丈夫、と)
初日の出来事が、まだ尾を引いていたらしい。
「地領院さん、玖蛇象さん、よろしくお願いしますっ!」
過去にもこの店でアルバイト経験のある鈴音は、
(マスターが体調悪いなんて…ここは私が一肌脱ぐ所ね!)
と自信を漲らせていた。その根拠がどこから来るのかは不明だったが、それが彼女の“らしさ”だと壬生谷なら微笑むだろう。
「こちらこそ宜しく。しっかり努めよう」
更衣室で着替えた二人に、眞宮が掃除用具入れを指し示す。
「それじゃー、先ずは掃除から。厨房はやってるから、店と外をお願いねー」
「ん、分かった」
「任せて下さい!」
掃除の間、恋は経験者であり店の常連でもある鈴音から、色々と話を聞かされる事になった。
基本的に、鈴音はウェイトレスのみに専念した。料理は大分得意ではない為。
必然、恋は料理の腕前もあり、厨房で働く時間が増える。
それに――
「可愛い服は、嫌い?」
背後から掛けられる声に振り向く。そこには、背伸びをしながら入ってくる眞宮の姿があった。
「いや、そんな事はないんだ。…ただ」
「ただ?」
何処か、憧憬にも似た物を込めた視線が、店内でくるくると動き回る鈴音のウェイトレス姿に向けられる。
「アタシには、似合わないからさ」
「ふ〜ん。確かに、そのウェイター服は似合ってるしねぇ。お昼に来た女子、水をもって行った君の姿を見て目を輝かせてたわよ」
「…それはどういう意味でだろ」
「単純に、格好いいからでしょー」
既に客も引き始める時間帯、
「ありがとうございましたっ!またのご来店を!」
レジ精算をこなす少女の声が繰り返される。
「確かにかわいい子よね、あの子は」
「まあね」
「でもさ」
微笑を浮かべ自分を見つめる彼女に、恋は首を傾げる。
「服で隠せたりはしないし、ない事にも出来ない」
「?」
「料理をしてる時の楽しそうな君。あの子を見る君。君が君と言う女の子だから」
慈しむような眞宮の声音に、恋は戸惑う様に視線を外す。
「女の子って。アタシはそういう柄じゃ」
「そ・れ・に」
何時の間に、と思えるほど素早く恋の背後に回った彼女は、いきなり思わぬ行動に出る。
「…!」
「こ〜の膨らみは、男じゃもてませんな〜!ええ、素晴らしい!」
いきなり腕を回して、恋の胸を揉み始める眞宮に、恋の体が小刻みに震え始める。
「…殴る前に聞くけどさ、何やってるの?」
「ふっ、おっぱいという名の女体の魅力を堪能させて頂いております、大佐殿!」
「OK今すぐ死ね変態!」
ドゴッ、と鈍い音と共にセクハラ野郎(この場合女郎か?)が厨房の床に撃沈する。
「な、なに何、何事!?」
と覗き込みに来る鈴音に、恋は何事もなかったように手を払い、
「なんでもない、ちょっと害虫が出たから退治したとこ」
「!? Gでもでたの?!」
飲食店の厨房でそれが出るのは拙い、と少女が慌てる。
「…それはでてないけど。というか、出ないで欲しい」
「?? あれ、眞宮さん、そんな所で寝てたらだめですよ!」
「…ふぁ〜い…」
起き上がる彼女を見届け、釈然としないまま鈴音は店内に戻って行った。
「あたたた…本気で殴られた〜」
「当たり前だ」
拳骨を喰らった頭をさすりながら、ふらふらと起き上がる眞宮に呆れた風に返す恋。
「そいつは失敬! まあさ、いいんじゃなーい?」
「何が」
「恋ちゃんは恋ちゃん。鈴音ちゃんは鈴音ちゃんだから。どっちも“らしく魅力的”って事よー。じゃね」
笑いながら店に戻った眞宮は、今度は鈴音相手に雑談を交わし始めたようだ。
「…アタシ、らしく…か」
「お、その曲」
「ええ、マスターが好きな曲です。お昼過ぎはいつも流れてて」
店内の片隅に置かれた古めかしい二つのジュークボックス。今時見かけないレコード版の方を操作した鈴音に、眞宮が苦笑する。
「馬鹿の一つ覚えって言うか。あの見た目で結構古風なのよねー、てんちょってば」
「でも好きでしょ、眞宮さんも!」
「…んー、落ち着くいい曲なのは否定しないよ」
カランカラン――
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませっ!」
異口同音に、来客を迎える二人。
「やあ、お邪魔するよ。彼の具合はどうかね?」
やってきたのは、年配の教師。彼もまたここの常連だった。
「まあ、大分快方に向かってるみたいよー。ちょっと油断すると店に出ようとするけど」
「はははっ、昔から頑迷さは筋金入りだからなぁ。…この曲も、あの頃から欠かさずかけておるしな」
開店当時を知る男性は、懐かしむように。
「さて、特製ブレンドを一つ貰おうかね、お嬢さん」
「はいっ、承りましたっ!」
元気のいい返事に微笑を浮かべ、老教師はゆったりとカウンターに腰掛けるのだった。
●千鶴と神楽
カランカラン――
「おはようございます」
「おはようさん」
AM5:30。
「や、おはよー。同伴出勤かぁ、いいにゃー」
「なんでそうなるんや」
眞宮の揶揄に、宇田川 千鶴(
ja1613)が半眼で突っ込む。その隣で石田 神楽(
ja4485)はにこにこと内心を窺わせない笑みを浮かべていた。
アルバイト前の顔合わせの時に、眞宮は二人の関係を雰囲気で察したらしい。その後、鈴音から聞き出してもいた。
「更衣室は男女別無いから、交代で使ってねー」
「了解や」
「分かりました」
と、手荷物をゴソゴソとはじめる千鶴。やがて取り出したのは、一着のメイド服。…持参した割には、サイズが彼女の物ではない様だったが。
(ふ、これは神楽さんに来て貰えちゅうフラグやねわかりま…)
「何を笑っているんですか、千鶴さん?」
背後から、その肩を掴む神楽。その指に徐々に力がはいっていく。
「ところでそれ、随分とサイズが私にぴったりなようですが…」
流石インフィルトレイター、一目で素晴らしい補足力!って、関係あるか?…まあ、あるとしよう!
「あたっ、いたたたっ!ちょ、神楽さん私病み上がりやてっ…いたいいたいっ」
「はっはっは…おや?」
するっと手応えを失い、蹌踉ける神楽。見れば彼の手にメイド服が残り、涙目の千鶴は少し離れた場所に移動していた。
「空蝉ですか」
「お、覚えてろやーっ」
ぱたたた、と小走りに千鶴は更衣室に消える。
「全く、仕様もない事を」
「ほっほーう、メイド服。いいねぇメイド服♪」
横から掛けられた声に振り向けば、眞宮が目を輝かせて笑っていた。何かを企んでいそうな顔で。
「…着ませんよ、私は」
「いやまあ、それも面白いとは思うけどさ。旦那旦那、ちょいとお耳を拝借!」
よってきた彼女にかすかな警戒心を抱きながら、その言葉を聴く神楽は、やがて微苦笑を浮かべる。
「…無茶はしないでくださいね」
「合点承知♪」
と答えて、眞宮は更衣室へと入って行った。
それから暫し――。
ごと、がたん、ごとっ!
『ちょ、いきなり何するんや!?』
『ふっふっふ、いいではないかいいではないかー♪ お、空蝉で逃げるかー? しかし、もう下着姿じゃ外にも出られないにゃー♪』
『この、変態っ!』
『いや、お姉さんそっちの趣味はないから。序でに旦那には了承済みよー』
『な!? あ、あの狸―!!』
口論と、人が揉み合うような音が聞こえてくる。
「さて、次は外ですね」
何事もないように、神楽は店内の掃除を済ませて行くのだった。
ぽん、と放り出されるように更衣室から誰かが飛び出してくる。
丁度掃除を終えて戻ってきた、神楽の目の前に。
「はっ、はぁ、はぁ…て、あっ」
「ふむ、やっぱり千鶴さんの方が似合いますね」
メイド服姿に着替え(させられ)た千鶴の姿をニコニコと眺める神楽に、ぼふっと顔を紅潮させて言葉を無くす千鶴。
暫く声も出せずパクパクと口だけを動かし、完全にパニック状態に陥る。
「ふぅ〜、いやあ、いい仕事できたよー」
続いて満足げな笑みで出てくる眞宮に、神楽は疑問を一つぶつける。
「ところで、サイズが違う筈でしたが」
「あ、それ直した。私、こっちの方も得意なのよー」
と自前の裁縫道具セットをとりだす彼女。どんだけ神針子ですか。撃退士能力の無駄遣いである。
「それと今クリーニング店の親父さん来てさ、着替えのウェイトレス服とか神楽君のウェイター服以外出しちゃったから♪」
「なっ、ちょ、まちいや!?つまり今日一日…」
「うん♪ 頑張ってね、メ・イ・ドさん♪」
「これも身から出た錆びですねぇ、諦めましょうか」
二人の煮ても焼いても喰えなさそうな笑顔に囲まれて。
「あ、あんたらっ、覚えてろやー!!」
魂の叫びが店内に木霊した。
その一日、好奇(といっても可愛らしい彼女の姿に対する好意的)の視線に晒され続けた千鶴は、初日で一週間分疲れたような気がした。
「ううぅ、は、恥ずかしかった…」
がっくりとカウンターに突っ伏す、閉店後の店内。
「でも似合ってましたよ」
厨房から賄いをもって出てくる神楽だが。
「黙りっ、この狸!」
「はっはっはっ」
勢いよく彼の襟首を掴み、がくがくと揺さぶる千鶴。しかし神楽の笑顔も手にする料理も小揺るぎもしなかったという。
無論だが、次の日は普通にウェイトレス服を渡された。
「まあ、収穫もあったしねー♪」
後日、鈴音と恋のシフト日に二人は雨音を訪れていた。
「いらっしゃい、宇田川さん。私の働きっぷりを目に焼き付けるといいですよ!」
やはり根拠はないが自信満々に言い切る少女に、ふわりとした笑みを向ける。
「うん、参考にさせてもらうわな」
ぱたぱたと注文を取りにいった鈴音に続いて、恋が注文した品をもって二人のテーブルにやって来る。
「恋さん、ウェイトレス姿すればえぇのになぁ。ウェイター姿も格好えぇが、六道さんとお揃いとか可愛いと思うよ?」
との言葉に、恋はふるふると首を振ってみせる。
「こっちがサイズぴったりだし…可愛いのはね」
と、その背後からにやりと笑う眞宮が現れる。
「あ、そーそー!可愛いと言えばね、これ♪」
「え、何々?」
丁度そこへ戻ってきた鈴音と恋に、眞宮は携帯の待ち受け画面を見せ付ける。
「なっ!?」
「おや」
それまで会話を聞いているだけだった神楽が、そこで反応する。
画像に写っていたのは、赤面しながら接客をするメイド姿の千鶴であったといふ。