「状況は以上となります、何かご質問はありますか」
年端に見合わぬ落ち着いた雰囲気の少女、依頼主である篠は、そう云って一堂を見回す。
「傍迷惑な敵ね…今日はよろしくもっふー」
説明の最中、何かごそごそやっていた田村 ケイ(
ja0582)は頭にかぽりと被りながらそう答える。荷物に戻されたのは撥水スプレーの缶。
「…よろしくお願いします」
それを見つめ少女はぼんやりと思った。
(くま?)
人の都合によって可愛らしくデフォルメされた着ぐるみを身に纏うケイに対して、クールなお姉さんという第一印象は綺麗に消し飛んでいた。而も着替えた途端語尾も変わったし。
ふと横からの視線に気づいて振り向けば、並ぶ二人の少女、九曜 昴(
ja0586)と久遠寺 渚(
jb0685)の視線とかち合う。
「何か?」
何処か茫洋とした雰囲気を纏う中、昴の惹き込まれそうな瞳が印象に残る。
「ん、なんでもないの…」
「あ…、うん、なんでも…ないです」
巫女服姿の渚は何処かおどおどとした仕草で、昴の後に隠れる様に身を引き、昴が小さく頭を振る動きにセミロングの髪がさらりと揺れる。二人は踵を返し、既に先行してボートに救命具やロープを詰め込み始めた新崎 ふゆみ(
ja8965)の手伝いへと向かった。
「カイスイヨクにはもうずいぶんと遅いんだよっ」
何処か残念そうに言うふゆみは、ふわふわとした雰囲気に見合わぬテキパキとした動きで出発の準備を進める。
「流石に時期外れだね」
学園に借り受けた無線を各自に手渡しながら、面子中で唯一の男性である日下部 司(
jb5638)が苦笑する。生真面目な学生と言うイメージそのままの少年だ。
「仕方ない、ふゆみのミワクのDカップ☆のおひろめはなしなんだよっ」
「…何処からお披露目に繋がってたんだ」
一瞬間があったのは、視線が彼女の胸元に走りかけたから。意思セービングロールに成功し寸前で止めたが、撃退士とは言えど思春期の少年的には寧ろ正常な反応であろう。
と、脇に当たる何かの感触に首を巡らせば、司の隣に小さな影が立つ。
引き摺るほどに伸ばされた赤い癖毛を煩わしげに手で隙きながら、ヌール・ジャハーン(
jb8039)は意味ありげにふゆみを、正確にはその胸元を見てから、もう一度司の脇を肘で突く。
彼女は学園側に寝返った天使の一人だが、その獰猛そうな顔つきは天使と言うイメージを壊しそうなほど恐い。
「ええと、ヌールさんもこれをどうぞ。それじゃ」
「は〜い」
が、そそくさ立ち去る少年を面白そうに笑う彼女の笑顔は中々に愛嬌があり。そんな二人にふゆみは疑問符を浮かべ首を傾げた。
「壬生谷さん、私は六道 鈴音(
ja4192)、よろしくね」
「ええ、こちらこそ」
マリンジェットを係留場所に向かいながら、鈴音と篠は言葉を交わす。
「もしかして、マスターの親戚だったりするのかな!?」
マスターというのは恐らく叔父の事なのだろう、母から彼が喫茶店を経営している事は聞いていた。
一目見て、意志や感情をまっすぐ表現するタイプと見て取れる鈴音に、篠は何故か苦手意識を抱いていた。それは或いは、自分に出来ない事をやれる者に対する嫉妬に似た感情――。
「そうですね、叔父と姪の関係になります。…でも」
「え?」
「いえ、何でもありません」
ふっと、それまで凜としていた表情が揺れたように見え、鈴音は次の言葉を探す――間も無く、目的地へ到着する。
「やあっと来たね、遅いよ!」
既に機上の人となっていた瀬名 有火(
jb5278)がそんな二人に声をかけた。小柄な身体にパワー全開!と言った感じで有り余る生気に満ち溢れた少女だった。
「お嬢ちゃん、乗りな」
「すみません、お待たせして」
有火が肩越しに拳から突き出す親指で示す、二人用の後部座席に乗り込むと、隣のマリンジェットに鈴音が跨がる。
既に機上待機していたケイと司、残り三人もモーターボートに乗り込んで出発の準備は整った。
「それじゃあ、行って来ます。出来るだけ引き付けるつもりですが、皆さんも気を付けて下さいね」
そうして、まず司のマリンジェットが駆動音を響かせ、先行して港を出発する。
作戦として、彼が囮になって天魔群を誘きだし、他の者による遠距離攻撃を主軸に攻めると打ち合わせていた。
「それじゃ行っくいー!…舌、噛まないでね?」
背中で頷く気配を感じ、スロットルを一気に噴かしたマリンジェットが弾かれた様に加速する。
「ようし、じゃあふゆみのてくにっくを魅せちゃうんだよっ☆」
他の者もそれに続き、撃退士達は天魔潜む秋の海原へと出陣した。
●
一匹、そして二匹目までは躱せた。だが三匹目の突進は強烈な衝撃と共にマリンジェットを粉砕し、司は海面へと投げ出される。
敵を誘導する間もなかった。
「くっ」
空中で体勢を入れ替え、脚から海面へと落下する司。その直後から縦横無尽の襲い掛かる天魔の猛攻!
如何に防御の高いクラスとは言え、瞬く間に全身は切り刻まれ、食い千切られ、吹き出す鮮血は海水と混じり、獣と化した天魔を更に昂ぶらせる。
囮作戦そのものは上手く行ったと言っていい。一定の海域に縄張りが如く天魔群が出現するのは分かっていたのだ。
一人波頭を切って駆ける司を、天魔は違わず捉え、殺到した。
だが問題はその接近速度。囮の彼以外は、視界にぎりぎり捉えられる距離でエンジンを停止させ気配を殺し待機していた。
皆が応援に駆けつけるまで司がこの場を持ち堪えられなければ、作戦初動から破綻してしまう。
彼は持てる技術の全てを用い、それに対応した。アウルを高め身体能力を強化し、槍で牽制し、死角から来る強烈な一撃を咄嗟に顕現させる凧盾で陵ぐ。
しかし圧倒的な手数の差は、徐々に彼の防御許容量を超えようとしていた。
最中、接近する力強い駆動音。酸素を求めて一瞬の隙をつき浮上した司に身に、二方向から渚と篠の呪符が飛び交う。そこに込められた治癒の呪が細胞の自己再生を促進、傷を塞いで行く。
「――ッ!」
活力を取り戻した司の槍撃が、至近に迫っていた一匹の眉間を遂に貫く!
「くらえもっふー」
ケイの手にする書より放たれる魔力弾が、直後に天魔群の一角に爆裂を撒き散らした。
「敵は斬る――!」
撒き散らされる膨大な水煙の中を、天使の翼を翻し急降下するヌール!
その手にする青銀の細剣が一匹の背を深々と突き抉った。
「どうにか、間に合いましたね」
「世の中予定通りに行かないものさ」
先ずは仲間の急場を陵いだ。しかし、その為に接近した事で注意を引いた一匹が、篠、有火ペアを猛然と追尾してくる。
「避けるの…」
「わーかってるって☆」
首を巡らせれば、ふゆみ、昴、渚が駆るボートも二匹に追い回されていた。波と駆動音、そして天魔との戦闘によって響き渡る銃撃に掻き消されぬ様、常より大声で叫ぶ昴に応じるふゆみの声が響く。あちらは標的が大きい為より注意を引きつけたらしい。
「さあ、あたしを狙いなさい!かかってこい!」
ヌールもまた、先に一撃を与えた一匹を引き付けようとしていた。しかし空中の対手に有効打を持たない天魔は時折、標的を司に戻した為、その都度海面すれすれまで行って攻撃し、反撃を顕現させた盾で受け止める事になる。
「さて、先ずは背後のからね!」
「はい――禁!」
最中、背後からの一撃を篠の張った呪力の網が受け止め、マリンジェットが大きく海上で跳ねる。
「やってくれるじゃない!でもね――」
有火の操縦によって急激に進行角度を変え横滑りする二人のジェット。
「間近で見ると、かなりデカイわね!」
待ち構えた鈴音の手より放たれた火炎弾が、海面から飛び上がった天魔の半身に炸裂した。
「下だもっふー!」
ケイが発する警告にはっと気づいた時には、海上に鯱に似た巨体が舞っていた。
「あ…、あぶない!」
渚の悲鳴を聞きながら、灼ける様な灼熱感を感じたと思った瞬間、衝撃が昴の躰を船底に叩きつける!
その尋常ならざる身体能力が可能にするジャンプによって、船を飛び越え襲い掛かってきた天魔の一撃だった。
先に警告したケイは、しかし自身もナパームによって一撃を与えた三匹の内の二匹と交戦をしており、直に合流できそうも無い。
疾走するボートの船縁に足をかけ、浮上したもう一匹の天魔に、体勢を立て直した昴の機銃の掃射が浴びせられる。
「だ、大丈夫…ですか?」
「平気…なの」
実際、傷自体は深くは無くないのだが、流血があるせいで大袈裟に見えているのかもしれない。
「うう、次は絶対よけるんだから☆」
一度、とある忍術で周囲の魚から情報を得ようとしてみたが、戦闘の気配にそれらが逃げ出していた為、効果を上げる事は出来ず。
こっそり船尾に仕掛けていた網は、強度が全く足りずあっさりと引き千切られていた。阻霊符の効果はあくまで透過を阻止するだけであって、物質の強度を補強したりはできない。
「それより…さっきの奴は?」
「あ、あの、それなら」
渚が昴の傷に狼狽えつつも指差す海面を見れば――
「中々、やるの」
昴の唇に、微笑が浮かぶ。示された海面には、陰陽の術により石化された天魔が沈みかけ。そこに銃口を向け、トリガを引き絞る。
無数の弾丸を浴びたそれは、遂に粉々に砕け散って海中へ没して行った。
どうやら敵は、状態異常に大した抵抗力を持たないらしい。残るもう一匹も、石化と二人の連撃の前にそう時間は掛からなかった。
その間にケイが手負いの一匹を仕留め、合流した四人にオーバーキル攻撃を叩き込まれた一匹も敢えなく滅っせられた。
海中を走る、目にも止まらぬ槍撃。
囲む三匹をほぼ同時に突き裂き、怯ませた隙に司は一時海面を目指し浮上する。
「――ぶはっ!」
彼はヌールと共に群がる複数を相手に持てる技術の全てを傾注し、その猛攻を耐え続けていた。
「!?」
「いけない!」
頭上に被さる影。はっと見上げた司の目前に、大きく開いた顎が迫る!
咄嗟に急降下を掛けるムールだが、とても間に合うタイミングでは――
ゴウ――ッ!
刹那、左方から空を奔り渦巻く風刃が天魔を巻き込み切り刻み、肉片と化したそれが海面に散って逝く。
「ふう…、いいタイミングね」
ここで手早く一匹を片付けた鈴音、有火、篠と司、ヌールが合流し、形勢は一気に撃退士側へと傾いた。
「でしょ!って、おっと!」
ぐっと胸を反らし掛けた鈴音目掛け、一匹が猛りを上げて硬質化した鰭で鈴音に襲い掛かる。だが彼女を包む風の障壁はその攻撃を押し戻すと同時に鈴音を押し流し、海面に落下した天魔が盛大に水飛沫を上げる。
「よ、死んでないよね?」
「ああ…、お蔭様で」
笑い含んだ声と共に、隣に滑り込んで来るマリンジェットから、にっと笑いかける有火。
「ならもう一頑張り頼むよ、二人とも!」
その間、異界から召喚された無数の異形に腕が、海中より一匹を引きずり出し、その身を束縛する。
「クライマックスね」
剣呑な笑みと同時、空を刻む剣旋。手負いだったその一匹が、ヌールの細剣によって止めを刺される。
「はぁ、はぁ…ルインズ使いが荒いな」
僅かに憔悴した笑みを浮かべ、再び海中へ潜る司。やがて残るの内の一匹が、海面を突き破り飛び出す!
これまで溜まっていた鬱憤を晴らすように、司の全力の反撃だった。
そこにふゆみ、昴、渚、ケイも合流。数の上でも優勢に立った撃退士の前に、最早天魔に抗う術などあろう筈も無かった。
●
カポーン――。
そんな擬音が聞こえてきそうな、湯煙に満ちた空間。
「はぁ…生き返るの」
「本当ね」
掛け流される湯に揺ら揺らと揺らぐ水面。
港に帰った後、篠に案内されるまま向かった先は一つの民宿だった。聞けば元々ベースとして借りただった部屋があったらしい。
大きな風呂があるというそこに誘われた一同が、断る理由等どこにも無かった。と言う訳で今は揃って湯船の中である。
但し男湯の司は一人であったが、その方が彼にとっても気楽だった。
「…皆さん、この度の助力に、壬生谷一族を代表して感謝致します」
皆が十分にリラックスし、寛いだ所で、篠は謝意を伝える。
本当はもっとちゃんとした場所で正式に伝えたかったのだが、先ずは暖を取るのが優先と判断した為、このタイミングとなってしまっていた。
「…報酬は貰うんだし、そこまで畏まらなくてもいいよ」
ケイの言葉に、他もそれぞれ同様の返事が反って来る。
「ですが、今回の件は本来なら我が一族が受けた仕事。その尻拭いをさせてしまった形なのです…」
どこか思いつめたような声が、絞り出される。
「私がもっと強ければ…有無を言わさぬ力があれば、一族を納得させる事も…皆さんにこんな迷惑を掛ける事も、日下部さん一人にあんな無茶をさせる事も無かった…私が、私がもっと強ければあんなに嫌われたりだってっ!」
最後の方は、激情のまま叫ぶような声になっていた。そこで我に反り、狼狽え始める篠。
「す、すみません、今のは聞かなかった事に、その」
隣の男湯にも、少女の叫びは壁を通して伝わっていた。
「……」
湯船に浸かる司は、一種の共感のような物を抱く。種類は違うが、彼もまた同種のものを抱え込んでいたからだ。
それは“無力感”。己の内にいつの間にか凝り続ける澱み。払拭する術は、未だ見えない。
「…言えばいいの」
「…?」
静かな声に視線を向ければ、昴がまっすぐに篠を見つめていた。
「何か…誰かに伝えたい事があれば…言えばいいの。篠の家の事情とか僕は知ったこっちゃない立場だけど」
聞き様によっては、無責任な内容かもしれない。それでも。
「それに巻き込まれるのも、巻き込まれないのも自由なの…篠に、選ぶ覚悟があるのなら…」
湯船の中を少女の傍らへ移動し、ぽんぽんと頭を撫でる。
「僕はいつでも味方…してあげるの、真っ直ぐな目をしている間は」
「そうですよ!えっと、難しい事はよく分かりませんが私も!」
「うんうん、むずかしい事は考えないほうが楽しいよ☆」
「いや、新崎さんは少しは考えたほうがいい気もするよね」
「あー確かに!」
「…もう少し、その…力を抜いていいんですよ?」
「皆、お人好しねえ…全く」
掛けられる言葉に、暫く呆然としていた篠は、不意に込上げるものを堪えるように口元を覆い、肩を震わせる。
「…うう、ふぐ…うぁ、あぁ」
それから、まるで子供のように…いや、本来の“13歳”の唯の子供に戻った彼女は、生まれて初めて人前で盛大に泣きじゃくっていた。