●鍛
初手は突き。相手により深く突き入れる事を意識する。続いて引き、斬り払う。軌跡は陽炎が如き揺らぎを残す。踏み込み、相手を退かせる気迫を込めた一撃。同時に間合いを想定。呼気を練り上げ間隙に全身に気を張り巡らせる。
直後、我が身に隠す様に構えた得物が、瞬下の刺突に冷気を纏い放たれる。そして畳み掛けるような連檄が穂先を霞ませる速度で打ち込まれ、最中にも更に体内に新たな気を練り上げる。
「――ッ!」
無音の気勢を放つように、畜えられた気は爆雷が如き一撃となって穂先の空間に炸裂。間を置かぬ鋭い踏み込みから、翻る穂先は惑わせる様な軌道を経て貫く。
更に身を低く対手の懐へ辷り込み、回転させた柄の石突で下方から弾き上げ――遅滞無く続く型の流れが、僅かに“歪む”。
ピタリと動きをそこで止め、僅かに眉を顰めた後、大炊御門 菫(
ja0436)は手にする槍を下ろし、身を起こす。
(…まだまだか)
ここは彼女が部長を勤める部の道場。
偶々空いた時間に技を見直そうと励んでいた所だった。
「…」
再び構え押し、今度は腰溜めに構えた槍が薙ぎ払うように一閃。対象に触れると同時に内包した気を爆裂させるイメージ。
その後も幾度か型を変えて練り直しを套ね…いつしか外はとっぷりと暮れていた。
「もうこんな時間か」
時計が指し示す時刻にふと気づき、息を吐く。道着が濡れて張り付くほどだった汗をシャワーで洗い流した後、掃除を行って辞するのであった。
所変わって翌日、とある寮の庭。
入学以前から続けていた、早朝鍛錬。基礎運動を終えた鳳 螺旋(ja8515)は、軽く上がった息を整える意味も含めて呼吸法を行う。
続いて歩方、そこから戦技へと遅滞なく続け、型を繋げて行く。
時に鍛錬を続けながらも『人の技が天魔にどこまで通じるのか?』と疑問を抱いた事も在ったが。
「…気休めといえば気休めですが…」
『自信がないのならば納得が行くまで練習しろ』とは師の教え。
通じるのか、ではなく通じる高みまで自身を持って行くのだと、そこに至らない自分がまだ未熟なのだ。
その為にこそ、この修練も意味を為して来るのだと更に没頭していった。
没頭しすぎてよく遅刻しそうになるのもご愛嬌である。
「まーたお前か、鳳」
「ふえ?」
こんこんと頭部を何かで突かれ、はっと目が覚める。眠気を払うを様に瞼を瞬かせて横を見上げると、呆れるような視線の教師と目が合った。
「毎度頑張るのもいいが、たまには起こされず授業を受けてくれよ、学生」
「あ…あははは、は…すいません」
登校後に鍛錬のし過ぎで疲れ果て、寝入った所を授業に来た教師に起こされるのも、また彼女の日課なのであった。
●
学園に二つある大ゲート趾。その冥魔側を利用する形の訓練場。
(やっぱり、遊んでばかりはいたのは拙かったかな…たまには訓練しておくんだった…)
数匹の下級ディアボロを倒した蕪木ミサ(
jb7660)は、自身の息が上がっている事に歯噛みする。
学園で楽しい生活のみを追及していた彼女の戦闘の勘所はかなり鈍っていた。
「!」
右手と背後に生じる、召喚の気配。
咄嗟に向き直って魔力を結晶化させた鞭を振るい、一匹をどうにか屠る。
直後側面から振り下ろされる爪を双剣で弾き、刃を戻し様きり払う。
「ふう…え?」
ほっと一息吐いた所で、後から突然手を叩く音に慌てて振り返る。
そこに居たのは、同学年らしき女子の一人。
「危なっかしいなーって見てたんだけど、余計な心配だったかな?」
息を整えた蕪木は、苦笑して答える。
「他にも人がいたんですね」
「まあ、あたしはさっきまでアッチで休んでたから」
と端を指差す。
「それより、どうせなら面白くやらない?」
「?」
その子が提案してきたのは、詰まる処撃墜数レース。一定時間までにより多く倒せたほうに、負けた方がジュースを奢る。
「…面白そうです、受けて立ちましょう」
「そうこなくちゃ♪」
「これで如何かしら!」
五体目を切り伏せた蕪木の声に
「ほい、七体目!」
「なっ!負けないよー!」
いつの間にか、訓練場からは楽しげな声が聞こえていたと言う。
●憩
「――でですね、私ね、大学1年になっちゃうんですよ、3回めですよ」
何処か虚ろな笑顔でフレイヤ(
ja0715)が来店してから彼是一時間。
その間注文されたコーヒーは、カフェインの摂取量が心配になるほどである。
「試験でマイナスの点数になっちゃいましてね、へへ」
一拍置いてバンッ!とカウンターを掌が叩く。
「マイナスてなによぉ!?どうやったらマイナスになるのよ!?」
慣れた様に寸前、マスターの壬生谷 霧雨(jz0074)はソーサーごとカップを軽く持ち上げ、危険域から離す。
「まあ…この学園の採点システムは独特ですからね」
にこにこと、荒れる彼女の愚痴を聞きながら洗い物を始めるマスター。
「そりゃ全教科名前フレイヤって書きましたけど!ソウルネーム貫きましたけど!」
「原因はそこですか」
頷く彼に、バンバンと更にカウンターを叩くフレイヤ。
少し前にやって来た客の一人もそれを耳にし、壬生谷と視線を合わせて微苦笑する。
「しょうがないじゃない魂に刻まれた名前なんだからあ!」
ぐしゃぐしゃと髪をかき回した後、カウンターに突っ伏した。
「…ぐぬぬ、来年進学できなかったら退学してやるのだわ。そしたら壬生谷さん、ここに就職させてもらうからね!」
台詞の途中起き上がったと思えば、唐突にびしりと指差して宣言するフレイヤに、
「では、期待せずにお待ちしています」
と、タオルで手を拭いた後、彼女の人差し指に小指を絡ませる壬生谷。
「え!?…お、おう」
「とはいえ、来年を疎かにして良いという意味ではありません」
クスクスと笑いながら、注文の声に壬生谷はカウンターを離れた。
「お待たせ致しました」
「いや…では、これとこれを頼む」
「畏まりました。…どうかされましたか?」
何故かずっと此方を見つめてくる男性客に、首を傾げる壬生谷。
「あなたが…壬生谷さん、ですな?」
「はい、私が当店マスターの壬生谷と申します」
応えると、客は一つ頷いて再び口を開く。
「…息子が度々世話になったようだ」
「ご子息が?」
「そう…息子が」
男性客は、自らを姫路 眞央(
ja8399)だと名乗った。
ある所に家出をした『娘』がいた。そのきっかけを与えた少年に父親は怒りを抱いた。
だがそれは、夢の中に逃げ込んだ彼が、愚かな夢の涯に生んだ『娘』。
その為に『息子』に取り返しのつかない誤りを犯した事に気づきもせず――夢から引き戻されるのを恐れるがあまり。
しかしやがて、そんな彼の下に再び『息子』は戻って来てくれた。そうして夢が漸く終わった。
「姫路…それでは、貴方が彼の」
「そう、父親だ」
名を聞き、時折客としてやってくる少年と同じ苗字から思い当たった壬生谷に、眞央は頷く。
今、もう一度眞央は『息子』を育てる機会に恵まれていた。
隣の椅子に置いた買い物袋には乳児用ミルクや着替え、オムツ等が詰まっている。
ある時、親子を救った少年が父となった事を知る。彼も眞央と同じ様に亡くした者を取り戻したいと足掻いていた。
だがまだ若い。この先の青春も、学んで行くべき事も多々ある筈。
その間、彼の息子の育児を手伝う…償いと言えば虫が良すぎるだろうが、正しく子育てをやり直す機会なのだ。
「息子は、こちらではどんな様子でしたか」
「…活き活きとしていらっしゃいましたよ」
「活き活きと…そうか」
納得したような彼に、一礼をしカウンターに戻ると、
「…げへへ」
「ま、幸せそうなのでそっとしておきましょう」
何処か夢想空間に飛んだフレイヤに、微苦笑を浮かべて注文をこなすのだった。
数日後の休日。
マリア・フィオーレ(
jb0726)はふらりと街に出ていた。
「秋晴れ…ふふ、爽やかでいいわね」
服飾店を覗き、ブーツやコート、ニットワンピースなどを買い求め、見かけた可愛らしい手袋もプレゼント用に。
一通りの買い込んで、甘味処などを見て巡った商店街の一角に、コーヒー喫茶『雨音』と書かれた看板を見かける。
ここのコーヒーの評判は、学園で噂話程度に聞き知っていた。
通りに面した窓から中を覗き込むと、昼時を過ぎて丁度人が空けた時間の様子。
(…お邪魔してみようかしら?)
カラン、ララン――
「いらっしゃいませ」
カウンターにいた男性が、にこにこと出迎えに出てくる。
「こんにちは。…美味しいコーヒーが飲めるって聞いたの、御薦めは何かしら?」
「当店のお勧めはカフェ・ラッテかカフェ・モカとなっております」
カウンター席へと掛ける。と、カウンターの内側にある器具に目が止まった。
「あら、サイフォン式なの?」
「ご存知ですか。最近はこういった器具は知らない子が多いのですけれど」
僅かに嬉しそうの綻ぶマスターに、マリアも微笑みを返す。
「私も水出しかと思っていたから。ふふ、では目の前で淹れて頂けるのね」
「はい。豆は予め挽いて真空パックして置いた物ですけれどね」
それから彼女の注文に応じ、実際にサイフォンから抽出される様子を興味深げに見守る。
最中にも、豆の種類や、それによる味の違いを聞いたりしながら、やがて淹れたてのコーヒーとシフォンケーキが目の前に並べられる。
この店のスイーツはどれもマスターの手作りらしい。
「学園へ来て一年が経つけれど…ここは本当に面白い所ねえ」
のんびりと味わいながら、時折言葉を交わす。
「そうですね。個性的な学生さんが多くて、新しいお客さんをお迎えするのが楽しみなくらいに」
「なら、私もその一人かしら?」
「おっと、これは失言でした」
こうして休日の一時は過ぎて行くのだった。
●
「んー…どのパックにしようかな」
久遠ヶ原人工島。本土より離れた場所であるからこそ、娯楽は重要である。
そんな中にある、一軒の小規模ゲームショップ。TRPGからトレーディングカードに至るまで、アナログゲームを多種取り揃えた店にウルス・シーン(
jb2699)の姿があった。
何やらカードのパック売りを前に、真剣に悩んでいる様子だったが、踏ん切りがついたのか一遍に10パックほどをレジに持って行く。
(やってる人が少ないんだよなぁ、このカードゲーム)
お陰で中々トレードする機会も少ない。などと胸中で愚痴りながら、店の一角に設えられた休憩席で早速パックの開封作業。
最初の4パックは手持ちのカードと変わらず、落胆と共に5個目を開封した所で、
「!」
初めて未入手のレアカードに的中り、瞳を輝かせる。結果としては、残りは外れだったがその一枚だけでも十分である。
このカードのシリーズは、何故か彼の召喚獣と酷似したデザインが多く見られるのも、或いは嵌っている理由の一つかもしれない。
何はともあれ、引き当てたレアカードを宝物の様にはしゃぐ彼の様子は何処か微笑ましい。
童顔気味の外見も相俟って、高等部三年生に進級する年齢だと店員は思いもしなかった。
●
休日のショッピングモール。
行きかう人々は女子が多く、時折いる男子はつき合いのカップルが多い(勿論それだけではない)ようだ。
「先輩!どれがいいと思いますー?」
その中の秋冬物を取り揃えたお店の一つで、嵯峨野 楓(
ja8257)はいくつかの服を引っさげて一人の青年の前に駆け寄ってくる。
「んー、こっちの方が俺好み、かな!」
少女が当ててみせる服の片方を示し、真面目そうに頷いてみせるのは百々 清世(
ja3082)だ。
「なるほど!んー、でも迷うなぁ、普段着ないジャンルのも試してみたいし…」
「いいよーゆっくり選んで来な。おにーさんは可愛い嵯峨野ちゃん見れたら大満足だしー?」
「もー、口が巧いんだから!じゃ、もっと可愛い私を見せてあげますね!」
「ほーい、いってらっしゃい」
はしゃいで別の服を見繕いに行く少女に手をひらひらと揺らし、笑顔で見送る清世。
俗に言うとデートなのだが、どこと無く仲のよい兄妹の様に見えなくもなかった。
買い物の後はケーキバイキングに立ち寄る二人。
歩き回ってすっかりお腹を空かせた楓が、取り揃えられたケーキ類に涎を垂らさんばかりに見入っている。
(あぁ、あれもおいしそう…でもこっちのフルーツタルトもっ。うぅー、全部食べたいけどカロリーが…)
世の女子が板ばさみになっては欲望に負ける選択肢と闘いつつ、取り皿とトングを両手にうろうろしていたが、隣を面白そうについてくる清世をみてピンと思いつく。
「一個ずつ半分こ!半分こしましょうっ」
「ん?いいよー、じゃ嵯峨野ちゃんが食べたいの選んでー。俺は席取っておくー」
「やった!」
言って席を確保しに行く青年を見送り、再び臨戦態勢に移行する楓。
(半分なら大丈夫…大丈夫…!)
『大丈夫 その一言が 一太り』とだけ送っておこう。こうしてまた一人、甘味に負けた。
席について暫し、各種季節物のフルーツが多めのケーキを前言通り分けながら、会話に花を咲かせた。
一通り食べた清世は、椅子の背に体重を預けながら、まだ幸せそうにぱくつく楓を眺める。
「ところで」
「むー?」
一際大きな一片を少女が口に含んだ所で、
「今日の、彼氏ちゃんとのデートに着てくんでしょ、妬けるねぇ」
揶揄いを含んだ声と表情に、咄嗟に反論しようとして…口の中が塞がっていた。
慌てて噛み砕いて紅茶で流し込み、
「内緒でーすっ」
「えー、照れなくてもいいじゃーん」
全てを見透かすような青年の含み笑いに、澄ました振りをして少女は再び紅茶を口にする。
火照る頬の熱さを誤魔化すように。
「可愛いって言って貰えるといいねー」
にこにこと頬杖をついて突っ込んでくる清世に、必死に話題を外らそうとする楓であった。
夕刻、清世は門限前に楓を寮まで送り届けた。
「今日はありがとうございましたー!また遊んで下さいねっ」
「おにーさんこそ、今日は一日付き合ってくれてありがとね」
ぽんぽんと少女の頭を撫でて、二人は別れる。寮の中へと少女が消えるのを見届け、青年は帰路に着くのだった。
●
その休日は、とてもいい天気だった。
高く澄んだ空の下、黄昏ひりょ(
jb3452)は華桜りりか(
jb6883)に誘われて一緒に学園へと散策に来ていた。
普段の人見知りで引っ込み思案な少女を知る少年には、かなり意外な出来事だった。
無駄に広い学園の校庭は、学生達の憩いの場も数箇所に設えられており、二人はその一角にシートを強いて腰を下ろす。
そうして並べられるお弁当箱。
「あの…いつもありがとうございます、です。初めてだから上手じゃないけど」
依頼で助けられた事や、普段から離しかけてくれる少年に、精一杯の感謝の気持ちを込めて。
「…ひりょさんに食べてもらいたくて一生懸命作ったの、です」
少し詰まりながらも、一気にまくし立てる華桜の姿が微笑ましく、少年は早速お弁当へと手を伸ばす。
中身は玉子焼き、たこさんウィンナー、一口かつ、ポテトサラダ、プチトマトにおにぎり。別容器は兎林檎が詰められている。
(バリエーション豊富だなぁ…お、一口かつがある)
それは少年の好きな食べ物だ。そういえば先日、好きな物について聞かれた憶えがある。
「いただきます」
「……」
黄昏が遂に自分の手料理を口にするのを見つめ、華桜の動悸が早まる。
何しろ記憶喪失の彼女にとって、初めての手料理なのだ。記憶を失くしてからでいえば、それこそ生まれて初めてとも言える。
「うん、これ美味いよ」
「あ…っ」
少年の言葉に安堵と歓喜の表情を浮かべ、手をぎゅっと握り合わせる少女。
その手が、絆創膏だらけなのに黄昏が気づく。
(…心を込めて作ってくれたんだな。…ありがとう)
それから二人は暫く、他愛のない会話を楽しみながらお弁当を平らげて行った。
やがてぽかぽかとした陽気に当てられた少年と、早起きしてお弁当を作ってきた少女、どちらからともなく眠気に誘われ。
二人仲良くお昼寝へと移行するのに、そう時間は掛からなかったという。
●
雪代 誠二郎(
jb5808)の朝は遅い。
目覚めが夕刻だと言えば、お分かり頂けるだろうか。…朝?
「ふ…あぁ〜」
差し込む西日を目覚ましに、顔を蹙めながら起き上がる。
それから身形を整えて、寮のリビングで寛ぎつつ、夕刊を読む。そうしていると、やがて玄関に続々と帰寮してくる学生の喧騒が満ちてくる。
「やあ、今日も勉学に励んできたかい、若人達」
「おそようございます。雪代さんは、これから励むんですか」
彼らと軽口を交わしながら、入れ替わるように外出する。大学部所属の為、門限のない彼を羨ましそうに見送る学生らの視線を背に感じながら。
夕暮れの下を、愛用の杖をつきながら行きつけの書店、カフェと巡り、いい時間になってから酒場へと繰り出す。
そこで見知った呑み仲間と会えばつるみ、喧嘩があれば
「随分荒っぽいな、良いぞもっとやれ」
笑いながら囃し立て、時には飛び入り参加もする。
やがてすっかり夜も更け、真面目な学生らの消灯時間が過ぎてから帰寮するのがいつもの事だった。
「また呑んできたのか。程々にしてくれよ」
「分かってるさ」
深夜番の寮監に、挨拶し、序でに土産を預けて自室へと引っ込む。
なんと言われようと、彼は彼の生き方を貫いていくのだった。
●輩
「……早くないですか?」
帰宅して開口一番の安瀬地 春翠(
jb5992)の言葉に、
「早くないよ。寒いと感じた時が使い時。家電製品は使う為に発明されたんだから」
(だって急に寒くなったし、俺は寒いのも熱いのも苦手だしね、うん)
しれっと答える時入 雪人(
jb5998)の台詞は間違っていない様に聞こえるが、内心の声が聞こえたら何処か頷き難いのは気のせいか。
(確かに急に寒くはなりましたが…)
それでも昼間から暖房を入れるほどでもないと、安瀬地は思った。
取敢えず、真面目に仕事をしている彼にハーブティーを淹れ、手伝いに取り掛かる。
二人の実家は古くから続く名家の、本家と分家と言う関係だった。
当主である時入に送られてくる関係書類も、時期的に内容が増える年末仕様だ。
うんざりとした様子で作業をこなす当主の気を紛らわせる様に、安瀬地は話題を振る。
「京の方の復興も始まったようですね」その内に行きたいものです」
「みたいだね」
「その内行きたいものです」
「実家の方でも野良天魔が…え?」
信じられない事を聞いた、とでも言うような表情を浮かべる当主。
(…なんですかその顔は。典型的な引き篭もりですか貴方は)
「いえ、雪人さんも一緒に」
「……え?」
引き攣る少年の顔に溜息をついて、言葉を変えて攻める事にする。
「そういえば、外は紅葉が始まっていましたよ」
安瀬地は、何となく拾っていた銀杏の葉を取り出す。
「落ち着いたら外に出ましょう、えぇ是非」
「い、いやほら、効用ならここから見えるので十分だし?」
焦った様に分家の安瀬地に言い繕う本家当主。故郷での立場はともかく、学園では生命線を握る者の立場は強い。
「って、何で今からマフラーとか用意してるのさっ?!」
「勿論、寒くなる前に外に出る練習です」
にっこりと笑う彼の顔が、時入には夜叉に見えたとか、見えなかったとか。
数日後、引き篭もりVS保護者のバトルが勃発するのだが、それはまた別の話である。
●
夜の帳が下りた頃。
「ラドゥ!タルトタタンの作り方!習いに来たのだ!」
どばーん!と屋敷の正面玄関が派手な音を立てて開く。
そこに立っていた青空・アルベール(
ja0732)と、興味津々と中に入って周囲を見回すギィネシアヌ(
ja5565)の姿を調理場から出てきた館の主、ラドゥ・V・アチェスタ(
ja4504)は見留め、軽く眉間を抑えた。
「青空、扉はもっと静かに開けても困らんのではないか。教える前に説教が必要かね?」
「うえ?!いや、その、ごめんっ」
「まったく…ギィネシアヌも、きょろきょろしていないで此方に来なさい」
「お?おう!」
タルト・タタンとはフランス菓子の一つ。バターと砂糖で炒めた林檎を型に敷き詰め、タルト生地を被せて焼くのだが、現代では色々なバリエーションも豊富だ。
今回、少年と少女は主と慕うラドゥの下に、それを習いに来たのだ。
連れ立って調理場に入り、ラドゥはギィネシアヌが持つ買い物袋に目をとめた。
「何をもってきたのだ?材料は全て用意しておくと言って置いたであろう」
「ふっ、我が君は気にしなくてもいいんだぜ!」
「ふむ」
それ以上深くは突っ込まない。独創性は尊重すべきである。ある程度までは。
「何をもたついておるのだ、結んでやるから此方に来なさい」
持参した三角巾をつけた後、エプロンを背後で結ぶのに四苦八苦しているのをラドゥが見かねて手招きし、二人は大人しく従う。
その本人も同様の格好なのだが、妙に違和感無く似合っており、世話好きな一面も相俟ってどこか母性のような物が滲み出ていた。
そうして小さな料理教室が始まった。
ラドゥは基本、口を出すが手は出さない。
バターや砂糖を青空が目分量で秤って投入しようとするのを注意し、何度も秤りなおさせたりする程度。
「何でこうも上手くいかねーのだ…?」
なんでも何もないと思うのだが、頭を抱えて困り果てる青空は、隣のギィネシアヌの作り方を参考にしようと思いつく。
だがしかし。
彼女の方も負けず劣らず適当だった為、二人して頻繁に注意を貰いながらも、紆余曲折を経て、後はタルトを被せてオーブンに入れて待つだけとなる。
この間に紅茶を淹れようとラドゥが二人から離れていくのだが、それを待っていたように、ギィネシアヌがごそごそと持参した袋を漁りだした。
(ネア?なにをするのだ?)
(やはり創意工夫は必要であるしな!我が君を驚かせてやるのだ!)
三人で焼き上がりを囲み、夜のお茶会が始まった。
あの後、ギィネシアヌが作ったのは紫芋のホイップクリーム。青空も楽しそうと参加し、二人して作ったのだ。目分量で。
「…」
取敢えず、何も言わずそれを載せたタルトを一口したラドゥは、フォークを置いて紅茶を啜る。
意外に少女が考えていたより、クリームと混ぜ合わさった芋は毒見ない色合いに仕上がっていたのだが…。
「細かくは多々あるが…後々糖分の病で苦しみたくなければ、これは使わぬがよかろう」
「「う…ぐ」」
同様に口にした二人もまた、余りの甘さに慌てて紅茶で口直しをする。
まだタップリと残った芋クリームを傍にどけ、ラドゥは普通のクリームを二人に薦めた。
「今度は、一人で作ってみるがよい…当面は独創性を控えてな」
「わかった(ぜ!)(のだ!)」
多少焦げすぎた飴色であったが、菓子自体は及第点の出来であり、三人は一夜の憩いを楽しむのだった。
帰宅後、青空は日記に今日の出来事を綴る。
タルトタタンは、亡き祖父との思い出の料理だった。
「ふふ、また一緒に作りたいのだ…」
今日はそれに、新たな楽しい思い出が増えた日となった。
●
知人数人で借りている、旧びた洋館――。
「もし暇なら…買い物に、付き合ってくれないだろうか」
珍しく謐かな館内で、そう声を掛けられたルチャーノ・ロッシ(
jb0602)は読んでいた本から顔を上げる。
声の主は速水啓一(
ja9168)、彼と共にこの館に住む旧友の一人だった。
それ位一人で行け…と険しい表情を作りかけ、はたと思い至る。以前、彼が一人で買い物に出かけた時の迷子騒ぎを。
速水もまた自覚があるのか、普段は別の友に頼んだりするのだが、今日はルチャーノ以外が出払っていたのだ。
「暇じゃねぇが…丁度酒が切れてる」
溜息と共に、腰を上げざるを得なかった。
買い物の目的を聞くと、本国にいる娘へのクリスマスプレゼントだという。
「まだ早いと思うかい…?どうにも、悩む性格でね」
クリスマスまでまだ一ヶ月以上余裕があるが、店先のあれこれを手にしては意見を求めてくる。
「良いんじゃねぇのか。いかにもガキが喜びそうだ」
適当に返事を返すルチャーノ。彼にとって速水の娘の事など一欠けも興味をそそられる事ではないのだ。
結局その日は決まらず、夕飯の買い物をして帰る事になった。
帰路、ふと一軒の酒屋の前で立ち止まる速水。
「寄っていくかい?」
付き合ってくれたルチャーノに、出発前の彼の言を思い出し首をかしげる。
「私も、強ければ一緒に楽しめるんだがなあ」
君達が羨ましいよ、と気恥ずかしげに微笑む。
真面目なんだか馬鹿なんだか分からない友人の笑顔を一瞥し、
「俺ァ…誰かと飲むのは好きじゃねぇよ。ハナからな」
まるであいつらと仲がいいような口ぶりが不愉快で、ルチャーノはそう応える。
ぶっきら棒に言い放って葉巻を咥える友人に、速水が再び笑う。
「何かおかしいのか?」
「…君と二人で出かけるのは久しぶりだから、嬉しいんだよ」
臆面もなく言う友人を暫し見つめて、深々と煙を吐き出すルチャーノ。
「迷われたら困るから付き合ってるだけだ」
「そうかい」
人付き合いの不得手な、優しく真面目な友の言葉に速水は笑みを深め。
「酒はいい…帰るぞ」
先導するように歩き始めたルチャーノを追いかけようとして、ふと視線が何かを捉えた。
それより少し時は遡る。
(秋と言えば食欲の秋かな?)
ぼんやりと散歩しながら、ふたば(
jb4841)はそんな事を考える。
それ位に、食べる事が好きな少女だった。或いは――他に明確な目的がないせいもあるかもしれない。
彼女が学園に保護された時、既に記憶はなかった。
と言っても損われたのは、俗に言う“追憶記憶”と呼ばれるものであり、一般常識など一部知識は遺ったままと言う変則喪失である。
やがて公園前に差し掛かり、掃き集められた落ち葉に目が止まる。
(落ち葉…そういえば昔、落ち葉を集めて焼き芋をしたような…)
時折思い出しかける朧な記憶。だが掌に掬った水の様に、それらは取り溢れて行く。
いつかは思い出せない、だが昔、いっぱいの人と焼き芋をしていた気がする。
しょんぼりと歩いていると、いつしか商店街に。そこの店の一つが、焼き芋を売っているのに気づき、駆け出していた。
勢い買ってしまった焼き芋だったが、ベンチに座り一人で食べていると余計寂しさがこみ上げてくる。
「きみ、どうしたんだい?」
柔らかな声が掛けられたのは、そんな時だった。
「ほう、焼いた芋か、美味しそうだね。私も買ってくるから、一緒に食べよう」
「おい速水、また余計な…」
「いいじゃありませんか、きみの分も奢りますよ」
突然の展開に目を丸くするふたばに、速水は優しい笑みを向ける。
「美味しい物は一人より二人、二人より三人で。その方がより美味しく頂けますから」
「…うん!」
「あー…もう勝手にしろ」
処置なしと肩を竦めるおじさんと、優しそうなおじさんと、やがて三人で焼き芋を頬張る。
いつの間にか、少女は寂しさを忘れ普段の笑顔を取り戻していた。
●
「グラタンなぁ…まあ、教えられなくもないけど」
教えを請われるその理由が、音羽 聖歌(
jb5486)はいまいち引っかかる。
(あいつが依頼で帰ってくるのが遅くなるっていうから、来たってのに)
あいつ、と言うのは目の前の従兄弟の妹の事だった。とある理由から、最近彼は彼女に目の敵とされているのだ。
「料理って聖歌の方が昔っから得意だったじゃないか。頼みますよ」
そんな音羽の心中知らず、縋る様な目差で神谷 託人(
jb5589)は頼み込む。
事の発端は、神谷の妹が依頼に出る前に『グラタンを食べたい』と言い残し出発した事。
妹のささやかな望みを叶えてやりたいと、料理本を見ながら頑張ってみたのだがどうにも上手く行かず。
そこへ折り良く(音羽からすれば狙って)訪ねて来たのが、家事が得意な従兄弟だったのだ。
「仕方無いな」
溜息をつき、折れる音羽。
「俺も夕飯グラタンにするか…ちょっと戻って材料取ってくるから」
「うん」
こうして二人の小さな料理教室が始まった。
何処か女性的な外見を持つ神谷。エプロン姿の彼に教えながら、その姿にぽーっと音羽は見惚れる。
「?ど、どうかした?」
「あ、いや、なんでもない…っておい、そこ違うぞ」
「え、こう?」
手順を間違えた神谷に、音羽は手を差し出す。
「だから…ちょっと貸して見ろ」
「あ、ああ」
そこから何故か、急に二人きりである事を意識しだしてギクシャクしたものの、調理はどうにか終わった。
出来上がりを確認し、音羽が満足げに頷く。
「うん、やっぱり聖歌に頼んでよかった」
と、無邪気に笑う神谷に、再び動悸が高まる音羽。
「あ、そうだ…妹には俺と一緒に作ったって言うなよ。まぁ具材が違うから大丈夫だろうけど」
「いいけど…なんで?」
「…色々あるんだよ」
それが兄を盗ろうとする“敵”に対しての防衛反応だとは、流石に言えない。
自身の、この気持ちも含めて――。
二人で夕食を済ませて自室に帰った後、音羽は悶々として眠れなくなっていた。
それと言うのも、別れ際に見せた神谷の寂しげな表情が頭によぎるせいで…。
(だからなんであいつは、ああいう顔するんだよ…あぁっ)
青春だなぁ、うん。是非そのまま行こうか!寧ろもうやっち【打撃音】
●
瞳を閉じて思い浮かべる、懐かしき場所。
共に腕を競い合った兄妹たちとの情景を、改めて開く視界に覆ね合わせる。
そこにあるのは、面影のみの更地。嘗て祓魔の剣の家として続いた水無月の、彼女の家。
処処に残る基礎石や柱の名残一つ一つを見回す。
(相変わらず、何も残されていない…な)
暫くそうやって道場の跡地を歩き回った後、踵を返した水無月 神奈(
ja0914)は墓の前へと辿り着いていた。
「遅くなりました…」
漸く人類側が取り戻せた京の都。手を合わせ瞑目し、彼女は今日まで参れなかった事を詫び、あれから起きた出来事を報告する。
秋の訪れた旧都の空は、そんな彼女をただ静かに見下ろしていた。