六名の撃退士達を視界に収め、天魔の右掌から生じた紅蓮が上下に伸び、漆黒の斧槍へと顕現する。
「不運か幸運か、ねぇ」
冠る中折れ帽に手を添え、雨宮 歩(
ja3810)は前方に立ちはだかるそれを見やり、薄く笑う。
「それはお互いの選択と行動の結果次第だろうねぇ」
『選択もクソも。俺とテメェらが出遇って、闘り合う以外に何がアル』
にべも無く吐き棄てるイド。そこに潜む苛立ちめいた物に、幾人かが気づく。
ほぼ同時、歩の手に鞘に収まった細身の太刀が具現化する。その内の刀身は黒く、鎬には流血を思わせる赤い線が奔る『黒刀』と愛称付けた彼の得物。
「こいつは強力な炎を操る悪魔よ!範囲攻撃に注意して!」
敵の正体を認めた瞬間、六道 鈴音(
ja4192)は勝気さを呈すかのような太い眉を引き締め、仲間に警告を発する。
彼女は目の前の天魔――イドと名乗るそれと、何度か交戦経験があったからだ。
同時に手にする炎の力秘めた符の具現を解除し、新たに雷帝宿す符へと変換する。
(こんな所でイドとでくわすなんてね…)
『フン、よく見かける眉毛ダナ…』
「ちょっと! 私のイメージ眉毛だけ!?」
『クカッ、元気がいいのも相変わラずか…名前は、アー…忘れた』
「わざとでしょ!?絶対わざとよね!!」
二者の何処か呆けた会話。それが交わされるのを聞きながら、
(前のようにすぐやられはしない――)
紫光の光纏を纏う月詠 神削(
ja5265)は、その中世的な美貌に緊張を泌ませ、全身の発条を撓める。得物は受けに特化した特殊な形状の短剣。
彼も嘗て一度、この天魔と相見えた事があった。そして――
(またこの悪魔に遭遇…か)
片瀬 集(
jb3954)もまた同様に。
細身に扱いの難しい双槍を携えた少年は、渇きを覚える喉に軽く唾を呑みこんだ。
【黒曜】、【白夜】と名づけられたその黒白一対にて太極を呈す槍を、身に纏う黒き業火が包む。
「面倒くさい」
言葉ではそれだけ。内心はできる事ならこの場から逃げ出したかった。その怯懦を抑え付けるかのように、ぐっと槍の柄を握り直す。
「井戸?ナニソレ井戸とかどうでもいいんだぞー」
若き少年少女とはうって変わり、残る二名は普段と変わらぬ調子で佇んでいた。
その一人、ルーガ・スレイアー(
jb2600)は興味無さ気に腰に手を当て胸を張る。推定Fらしい二つの実りが“たゆん”と揺れる。
まあ『いど』って音聞いたら大抵ソッチデスヨネー。
豪胆というか、マイペースというか、或いは目の前の相手と同属…悪魔だからなのか。
そしてもう一人。
一見可憐にして幼げな少女、ヴィルヘルミナ(
jb2952)は、だが何処までも冷ややかな目で仲間を、そして“敵”を見やる。
(既に負け戦だな)
ルーガと同様、寝返った魔属であり齢300を越えた彼女にとって、事象は『気に入るか、入らないか』のどちらかでしかない。
彼女にとっては、この作戦もその経過も他人事であった。もしお気に入りの友人である歩がいなければ、そもこの場にいたかどうか。
(非戦闘員を助けたとして、彼らを抱え込んでの作戦続行に支障が出ない訳が無い。見捨てれば士気はガタ落ち、更に解放された犠牲者家族からの非難も免れまい)
もし彼女の思考を、本隊を玩ぶ『彼女』が知る事ができれば、【75点】と採点しただろう。
半分は当たりであり、一部的外れであったから。
(敵に理由を求められる分、助ける方がマシだが…手はあるか?)
『御託はイイ、さっさと始メ――』
イドが口を開いた矢先、遮る様に響き渡る不快な音が広間に響き渡る。
「な、なに、この音…」
「……」
憎悪、怨嗟、慟哭――それらが決して共存する事無く重なり合うそれは、魔力を伴ってさえおり、常人が聞けば精神に異常をきたすほどの“不協和音”。
抵抗力のあるアウル行使者であればこそ、鈴音や集の様に顔を蹙める程度ですんでいた。
他の者たちも反応はそう変わらず、視線がイドを透かしてその背後、広間の奥へと向けられる。
「ほー、でかいなー」
「そうね」
ルーガとヴィルヘルミナは特に感銘も無く聞き流し、そんな感想を漏らす。
黒々とした葉を鬱らせ、病的な灰色の樹皮を持つ大樹がそこにあった。彼らが腕を全員で繋いで回しても足りないであろう外周、20mは悠にあろうかという全高で聳え立つそれは、さらに風も無いゲート内で梢を揺らし――
ごっ!
『興醒めスンだろうが…黙ってろ!』
突如響く破砕音、押し殺した怒声。
撃退士達がはっと視線を戻す先、イドが斧槍の石突を叩き込んだ床が砕け陥没していた。
そして、気づく。
先程まで耳を圧するほどに響き渡っていたあの不快な音が…前触れも無くピタリと止まった事に。
(今の…)
(…あいつの言葉を理解して止めた…の?)
(へぇ)
胸に沸いた疑問符を表情に出す者、出さない者それぞれに、イドと大樹に視線を走らせる。
「アンタほどの悪魔が守っているって事は…その樹は余っ程重要ってことね」
一歩踏み出し、誘を掛けて探ろうとする鈴音だったが、
『アァ?俺がアレを守るダァ?冗談は眉毛だけにしろよガキ』
「そこから離れなさいよアンタはっ?!」
余程不愉快な指摘だったのか、イドは見るからに顔を蹙め吐き棄てる。
「熱くなるな」
再び不毛な展開になるのを諌める為、ヴィルヘルミナは少女を制する。
「無駄な時間を使うわけにはいかんのだぞ」
●
尤も早く動いたのは集だった。彼に続くように左にヴィルヘルミナ、右に鈴音とルーガがイドを避ける様に迂廻、大樹を目指し駆ける。
『ソウ来たか』
彼らの意図を察し、身を翻した天魔の左掌が少年の背中へと翳され、火球を生み出す。
「おっと、お前の相手はボクさぁ」
赤い翼が、舞う。そのアウルに意識を引き寄せられたイドが見たのは、自前の脚力を魔装により更に強靭とし、一瞬で懐へと踏み込んだ歩の姿。
突きつけられた黒刃を、しかしイドは動ずる様子も無く斧槍の柄を下方から跳ね上げ、弾く。
『一人で俺と闘ろうッテか?』
「いいや、二人だ」
背後から掛かる声。意識を一瞬歩に向けた間に回りこんでいた神削が、歩との間にイドを挟み込む。
(アン時のガキか)
肩越しにチラリと一瞥し、イドはその顔に見覚えがある事に気づく。神削には意外だろうが、彼はあの時の事を覚えていた。
幼子を庇い、他者に向かう攻撃まで身代わりに喰らった“お人好し”を。
『今度はチャンと避けるのカ?』
「――!」
背後で僅かに生じる動揺の気配に声も無く笑う。
「さて、月詠。相互利用の精神で頑張るとしようか、お互いに」
「あ、ああ」
二人の関わりを知らぬ歩がそう嘯き、頷く神削。
『二人、ネェ…舐められたモンだな』
その状況を意に返さぬとばかりに、イドは肩を竦める。
『カカッ、まァ掛かって来ナ。ドレほどか見テやるよ』
●
背後で交戦に入る仲間を残し、四人は全力を持って広間を一気に駆け抜ける。
あのイドという天魔をたった二人で何時までも引き留めておけるとは考え難い。迅速な行動が必要だった。
「どうみてまともじゃないわね」
目前に見上げる位置まで接近した鈴音が、眉を潜めて大樹を検分する。
「不用意に近づかん方がいいぞ。今調べてみたが…そいつの属は魔だ」
その少し後方で術を用い、それの精査を行ったルーガが少女に釘を刺す。
もしゲート機構の一部であるなら、相手は謂わば『機械』のような物。反応が出るという事は――
「じゃあこれ、ディアボロ?」
「だろうな。何の為にかは知らないが…趣味は魔属(ひと)それぞれだ」
警戒し身を引く集に、ヴィルヘルミナが答える。眷属はそれを作り出す上位種が好きな様に外観を弄れるのだ。
「…じゃあ、これだとダメかな?」
手にする小刀と大樹を見比べ、苦笑する鈴音。
「一応魔具なら傷位はつけられると思うよ。やってみたら?」
そう言いながら、集が数歩進み出る。
「俺が気になるのはこの音だけどね。物は試し…」
少年の手により黒き符が焼失、その塵がルーンとなって虚空に描かれた太極の術式陣に組み込まれる。
「――ッ」
無音の気合と共に打ち抜かれた陣より生じた赤い風刃は、一気呵成と梢へと――
ザザザザ――ギィン!
「あっ」
瞬間、大樹の梢から、根元から瞬く間に伸長した“蔓草”が網目のような障壁を展開、それを完全に防ぎきる。
同時に一斉に四人は飛び退り、大樹との距離を取り反撃に備える…のだが、
「…あれ?」
「防御だけ、か」
暫く様子を見ても一向にそれは来ない。何事も無かったかのようにするすると退いた蔓草は完全に姿を消した。
「調べるにしても、抵抗できないくらいに痛めつけねば駄目なようだ」
ヴィルヘルミナの言に頷きあう集と鈴音。だが一人だけ別の事を考える者がいた。
ルーガが着目したのは、ゲートと同化した大樹のアウルの流れ。
或いはこの直下にコアがあるのでは、との推測を立てたのだ。
「その前に試したい事がある。祖霊符を切ってくれ」
「いいけど…何する気?」
顔を見合わせた仲間が、彼女の言葉に従いつつも疑問を呈する。
「なに、物は試しさ」
そうして行使するある能力。
「おい、まさか――」
同様の能力を備えたもう一人の少女が咄嗟に止めようと手を伸ばすが、するりと抜けて――いや、既に膝までがゲートの床へと沈み込んでいた。
しかし。
「うお!?」
突如、ルーガの周囲に浮かび上がった術陣が、それを阻害する。それだけに留まらず、それは彼女の動きまで完全に封じてしまう。
「た、大変!たすけ――」
慌てて彼女を助けようとする三人。だが思わぬ近場から、必死の叫びが届く。
「避けろ!」
「危ないっ!!」
振り向く三人の、ほんの僅か前方にまで迫る特大の火球!
「うわっ!?」「きゃああっ!」「くっ」
三様の声を上げて床に飛び伏せる集、鈴音、ヴィルヘルミナ。だが状況的にそれが出来ない者が一人、いた。
「え、ちょ、まっ」
ドッゴオオオオオ――!
ルーガに触れた火球はその瞬間形を変え、渦を巻いて彼女を飲み込んだ。
ゲートは住居であると同時に前線基地、つまりは要塞である。侵入者が好きに転移や透過が出来ないように対策が取られているのは当然だった。
寧ろ発動したのが束縛系であっただけ、彼女はマシだったかもしれないが…本人には別の感想もあるかもしれない。
完全に意識を失っていたが。
「あああ、か、回復はっ」
「……治癒術はあるが、これは復帰できないだろう…まあ、放っておくよりマシか」
●
異変に気づいたのはディルキスも同様だった。
“…シン、あそこで何か起きてるわね?”
思念をとばし、己が眷属と交信する。
《はい、現在イド様が遭遇した撃退士と戦闘中ですが…遊んでおられます》
(でしょうね♪)
尤も、それだけではないでしょうけれど…と少女は嗤う。
彼が彼女のやり方を好いていないのは先刻承知なのだ。故に全力で戦いたがる筈が無い事も予想の内である。
(ま、遊戯盤が遊戯主の思い通りになってもつまらないし。イベントは必要よね♪)
“いいわ、そっちには一切手出し無用よ。但し記録は続けなさい”
《承知しました》
●
『足りないナ…もういい』
その言葉と共に広間に激震が奔り、轟音が轟く。
床を灼く灼熱の池。
大樹をどうにか弱らせ、そのアウルの流れを調べていた三人が振り向いた先、倒れ伏す歩、そして神削の二人が在った。
回避優先、その戦闘法が間違っていたとは言わない。
だが、魔装負荷による耐久力への影響を軽視するべきではなかった。永遠に避け続けるなど、出来はしない。
そしてイドは度重なる忍軍との戦いでいい加減、彼らの対処法を熟知していた。
広範囲技に拠る一掃が、尤も有効であると。
「ッ…くそ!」
もう一息だった。本隊との通信で大樹のアウルを止めた瞬間、寄生された住人の一部から蔓草が離れかけたという情報を確認できていたのだ。
鈴音とヴィルヘルミナの二人が、その解析に掛かりきりになっている。
今動けるのは、集ただ一人。
放たれる陰陽の術…だが、当たらない。
『坊主、もうチット鍛えて出直しナ』
距離をとる前に叩き込まれた拳に、意識を刈り取られる。
残るは二人。
「…間に合わないか」
ヴィルヘルミナの呟きに、無言で立ち上がる鈴音。
「どうする気だ」
「時間を稼ぎます」
「言うのは簡単だが…」
「こうします!」
無言で歩み寄ってくる大柄な男。その前に立ちはだかり、びしりと相手に指を突き付ける。
「イド!」
『ナンだ、鈴音』
意外にも立ち止まる男。その表情は変わらず不機嫌を隠そうともしない。
「だからまゆ…ってあれ、私の名前?」
『空気読んでヤッタンだろうが、言わセンな恥ずかしい』
微かに、イドは口元で笑う。
「と、ともかく!」
またおちょくられるのを警戒した少女は、一気に捲くし立てる。
「アンタのために会得した私の新必殺技、受け切る自信はあるかしら!?」
『あァ?新しい芸か?』
「なんとでも言いなさい!受けるの、受けないの?」
対峙する両者、僅かに首を傾ける男。
『…つまらなかったら、スッパにひん剥くぞガキ』
「うっ」
イドはそちらの方面で冗談は口にしない。その本気を感じ取り僅かにたじろぐが、今更退ける訳も無い。
「その時はその時よ!」
『…なら、やってみナ』
術式の構成に全神経を傾け集中に入る鈴音。手にする霊符に渾身の魔力を集約させる。
「慢心っていうのよ、アンタのそれは!――受けなさい、六道冥氷波!!」
魔力が一気に凍気へと変換され、蒼き閃光の如く放たれ、敵を飲み込む!
「やった!」
術に捕らえた対象が、凍りつく様にぐっと拳を振り上げる…だが。
次の瞬間生じた爆炎が、鈴音の躰を吹き飛ばし――放たれた焔蛇の顎が、喰らいついた。
ズズ…バキバキ――
「随分と荒っぽく扱うのだな。気に入っているのではないのか?」
鈴音を叩き伏せた男に、最後に残った少女が声をかける。その後方で立ち割れるが如く、崩壊して行く大樹。
『サァテ? まァ…それなり効いたシナ』
凍りついた左腕を見せるイド。
「…わざと時間稼ぎに付き合ったのだろう?」
唇を歪めるヴィルヘルミナに、無言の笑みが反る。
『ナンの事だか。覗き見されてる事だし、チャッチャとやられてクレや』
「足掻いても無駄か。好きにしろ」
小柄な身体を、炎の柱が飲み込んだのはその直後だった。
●
結果として、ダアトと陰陽師の術、そしてアストラルの結界に寄生から開放された一般人を放り込む事で対処する事に成功。
しかし全体として彼らの絶対数が限られる状況で、ゲートに魂を奪われた住人が十名ほど下級ディアボロへと変じ、倒すしかなかった。
だが吸収されて間もない魂は、コアを破壊する事で取り戻せる。今作戦を完了させる事が出来れば…救える可能性はある。
そして、囚れた彼らの家族もまた。
広間で倒れていた六名は、直後に駆けつけた別の班に救助され治療を受け、事なきを得る。
その時には、イドの姿はどこにも無かったという。