「く、ぅっ!」
胸元から肩口を抜ける、灼熱感。肉が鋸状の刃に刳られ、灼ける様な傷みの中で雨宮 歩(
ja3810)は見る。
憎悪と狂気。染める瞳が凶刃を振り下ろす、人より堕ちた映し身を。
間近で絡み合う視線、落雷の様に閃く一人の――嘗て見た幼子の泣き顔が、それに重なる。
「まさ…か。あの時、の……?」
●時は遡り
「――フム。友の護衛に撃退士を八名も…壬生谷の言う『天魔と関係在る組織』とは、どの様な物やら…」
和装に身を包む風雅なはぐれ悪魔、小田切 翠蓮(
jb2728)が屋根の上で歩を進めながら、扱いなれぬ機械を弄りつつ呟く。
悪魔の翼は早々長く飛翔できる物ではない為、一度飛び上がって見渡した後は、建物の上を伝い警戒していたのだ。
「確かに妙なんです。今回の件は謂わば不確定の監視への対応でしょう?それに私達学園生を使う…腑に落ちない」
彼の疑問に、一部が白く変じた長髪を揺らす青年、神埼 煉(
ja8082)が頷く。前髪に隠れる銀眼に思慮を浮かべ。
「うんうん!過保護だよね?」
観る者全てが快活な印象を覚えるハーフらしき少女、一 晴(
jb3195)が立てた人差し指を頬に当て首を傾げる様が可愛らしい。
「…曖昧な部分はあれど、疑うに限りは無い。今は推測よりやるべき事を優先しよう」
黒い装束に身を包む青年、リョウ(
ja0563)の言葉に警戒、或いは後続の仲間と通信確認に戻る三人。
(以前も似たような事はあったが…結局は何か起こらねば、な)
●
後続の内二人、職場からの帰路に着く女性の隣に月詠 神削(
ja5265)が連れ添い、暮居 凪(
ja0503)。少し前を歩き、警戒していた。
「何も起こらないままお別れになりそうね、皆には悪い事をしたかしら」
「いや、何も無いに越した事は無い」
女性と神削が交わす雑談を背に、凪は護衛に付いて二日目の事を思い返す――
「1人で事件に巻き込まれたのでしょうか?」
問うた彼女に、女性は『そうよ』と返した。
「聞かないといけないわね――私も他人事ではないのだから」
詰め寄る彼女に、しかし女性は穏やかに応じ。
『ごめんなさい、壬生谷君から、必要以上に話すなってきつく言われてるのよ』
彼は、学生を必要以上に巻き込ませたくないのでしょうね、と頬笑む。
柔らかくも頑な女性のガードに、然しもの凪も諦めるしかなかった。
――何事も無い日々は、それから瞬く間に過ぎ。今日で七日目の夜。
明朝になればこの奇妙な依頼を完了し、徒労感と共に学生らは帰る予定だった。
公園に差し掛かり、歩道が交差するほぼ中央に三人が達した時だ。ほんの些細な、違和感。
幾らか感知に長けていたれば、凪はそれに気づき――結果自身を救う。
薄闇に奔る、尚昏き斬穿を。突如として現れるそれを、顕現させるカイトシールドが受け滑らせ、耳障りな金属音を奏でる。
(重い…っ)
フラッシュライトが歩道に落ち、壊れたのかその灯を失った。
「襲撃よ!」
ヘッドセットのマイクに叫んで、通信が途絶えている事に気づく。
「一体どこから!?」
驚愕を浮かべつつも、神削も即座に反応する。背後に女性を庇い、襲撃者との間に自身と凪を挟み込む。
『…貴様らも、撃退士か』
憎憎しげな声が夜闇に響く。
空間が解れ、現れる姿。凪の身長を越えた長身の、恐らく女。
艶消しの黒い革コートに全身を包み、不足した色を補うとでも言う様に、鮮やかな新緑の輝き放つ瞳と、一つに纏められ背中まで流れる長髪。
「光学迷彩…ね」
『全員、殺す』
女の容姿は端正とも言えたが…滴る憎悪がその表情を歪ませる。
再び襲撃者の姿が闇に溶けるが、今度は動きに伴う音を完全に消す事は出来ない。
「こっちへ!」
「ええ」
女性の手を取り、公園西口を目指して走り出す神削。それを追う気配。両者の間に自身を割り込ませ、凪が手にするランスを繰り出す。
だがそれは何の手応えも得られず、虚空を貫く。
『お前は…そうか、あの記憶の』
「…?」
『その槍で…無惨に突き殺したな、罪も無き子を!』
(――!?)
虚空から発せられた、思いがけぬ言葉。
一瞬の動揺を押さえ込み、襲い繰る斬を際どく盾で弾く。凪の頬を、凶刃が浅く切り裂いた。
(姿が見えない敵…)
交戦の始まった現場を窺いながら、身を潜めていた氷月 はくあ(
ja0811)は手にするPDW FS80を両手で頭上に向け、構える。
普段はふわふわほんわかしている少女も今は厳しい表情を引き締める。
彼女の携帯も通信は途絶えていた。それで十分に先行した四人は異常を悟ってくれるだろうが、より確実を帰す為には。
「いけっ」
銃弾に込められる莫大なアウル。次の瞬間、三条の光芒が夜闇を切り裂き打ち上がった。
『ちっ、まだ居たのか』
はくあの放つアウルに気づき、襲撃者が身を仰けぞらせる。その鼻先を、牽制に放った神削の拳が残光を残して掠める。
闇夜の中、姿を消した相手に攻撃を当てる事は難しく、それでも幾度かは学生らの攻撃が敵を掠めていた。
(それだけじゃない、相当身の熟しに自信があるのね…でも)
妙な既視感。交戦が始まってから凪はそれを拭えないで居た。
(会った事は無い、それは断言できるのだけれど)
刹那の思索に沈む彼女の隣を、神速の踏み込みが駆け抜ける。
『ぐっ!?』
「捉えた」
神削の繰り出した光輝の拳が直撃となり、衝撃は姿を消していた襲撃者を大きく吹き飛ばす。
その影響か、僅かの間、透明化の術が解け姿を露わす。
「今!」
はくあの放つ、特殊なアウルの練りこまれた銃弾が対象を捉え、効果を及ぼす。
『おのれっ』
憎悪の視線を少女へと向け、また姿を消す敵。しかし。
「…右です、凪さん!」
「OK!」
少女のを指針に、繰り出される槍撃。
『くっ、な!?』
違わず拘えた女の透明化が、再度その一撃に打ち破られる。そしてその背後――
「がら空きさぁ」
薄い笑みを浮かべて放つ、狙い済ました歩の一撃が女の体と影を薙いだ。
●
「…通信が」
晴の呟きとほぼ同時、他三人もそれに気づいていた。
「これは、何かあったかえ?」
翠蓮は再びその背に魔族の翼を顕現させ、四人共に来た道を取って返す。
遠目に見る公園の影。
(あれは、結界かえ?)
そこを覆い隠す様に張られたアウルの精緻な術式を感知し、翠蓮は眉を潜めた。
●
『未だ居たの…、――ッ?!』
振り向こうとして、動かぬ足に気づき。首だけを捻った女の表情が凍りつく。
やがてそれは徐々に解け…忿怒と狂乱綯交ぜた、夜叉の面が覆い尽くす。
『貴様…そうだ!あの時にいた…貴様だ!!』
「? 何処かで逢った事あるのかな?ボクに覚えは無いけどねぇ」
ぞろりと生え揃った牙のような歯を剥き出す女を見やり、紅の一筋を走らせる黒い刀身を持つ蛍丸で肩を一叩き、腰を落として歩が身構える。
『瞬きに間も忘れた事は無いぞ…忘れるものか!』
女の躰から噴出す、感情の渦。毒々しいまでに淀んだ『憎しみ』の発露はアウルを帯び、次いで衝撃波となって周囲に放たれる!
『父を殺されたあの光景!!殺した貴様らを!一人残らず殺してやるッッッ!!!』
迸る咆哮。公園に設置されていた街灯が全て砕け散り、一層深い闇に周囲が閉ざされる。
束縛を打ち砕き、疾風が抜ける。
「――ッ」
『死ねぇええええ!』
「歩さん!」
躱す間も無く振り下ろされた一撃の前に、咄嗟に刃を挿むも――それごと薙ぎ払う。
「ああっ!?」
「くっ!」
遅ればせ四人が公園に踏み込んだ目の前で、その光景を目にする。
煉が巨大な白銀の篭手を顕現させる。名を『瑞鶴』、彼のアウルに反応し脈打つように紫光のラインを走らせて。
晴もまた、独自改良し肉抜きされた大剣、アイトヴァラスを手に駆け出す。左手に金属の様な輝きを放つ光輪を巻き付かせ。
「振るへゆらゆら ゆらゆらと振るへ。火の子となりて弾けよカグツチ…」
逸早く上空に達した翠蓮が手から放たれた呪符が、歩と追撃に肉薄していた敵の間に爆け、退かせる。
「つぅ…」
その機に後退した先で、歩が膝をつく。溢れ出す鮮血が、彼の半身を染めていく。傷口は斬られたと言うよりも、何かに鉤裂きされた様に肉がずたずたにされていた。
「普通の刃じゃないねぇ、あれ」
視線を上げれば、他五人と交戦する女はまた姿を消す。しかし、はくあのマーキングにより逐一位置が示され、効果を落としていた。
ふと見回せばリョウの姿がなく、気配も感じられない――と刹那、林から飛び出した影から視認し難い何かが、敵の躰に絡みつく。それを伝い奔るアウルが、敵に干渉を及ぼす。
『このっ!』
「貴様が、組織とやらに関わりがある者か?」
『訳の分からぬ事をっ』
歪む視界に額を抑え、続く他の者の攻撃から飛び退る。
「そうか」
視線を一瞬、女性の方へ走らせる。
(やはり虚偽か。…後に確かめねばなるまい)
その間、神削は護衛対象で在る女性の傍に控え、流れ弾的な攻撃から庇おうと努めていた。
回り込んで傍らまで来た凪が、青年の傷に眉を顰める。
「大丈夫、見た目ほどじゃないさぁ」
そう、と呟いて彼女もまた、戦闘の続く一角を見る。
「雨宮さん、面識があるのかしら?」
「…――多分。一つだけ、思い当たる節が在るさ」
太刀を支えに立ち上がる、その背にアウルが集い、血色の翼と模る。
「ははっ、お前の父親を殺した奴はココにいるぞ。どうした、殺すんじゃなかったのかい?」
挑発は覿面の効果を及ぼす。
『どけぇえええええっ!』
「うわっ」
「きゃあっ!」
周囲を一閃する刃が弧月の如き斬旋を模り、放たれ、煉と晴を薙ぎ倒す。
『あああああああっ!!』
最早歩しか眼中に無いとばかりに突進する女。凪の槍撃を掠め、一心不乱に青年を目指す。
「来なよ。無様な道化を殺す絶好の奇怪だよぉ」
笑いながら、嗤いながら、距離を詰める敵に対し放たれる火遁の焔。それすらも見えぬと突き抜ける。
その狂おしいまでの憎悪を、今は利用する。
(あの時の結果が、コレか…ははっ)
飛び退いて返す刃が打ち合う。自分を射抜くどこまでも昏い、昏すぎる狂気の視線。
「ほら、殺してみせなぁ?」
●
やがて透明化の術が途絶えて、じわじわと撃退士側に優勢が見え始めた。
ただ一人を執拗に狙い続ける相手に、後背、或いは側面から他の者が一撃を加え続け、歩は回避に徹する。
それでも持ち応えられず、一度は気を失いかけたが。
長大な大太刀――鋸の様な差い裂き刃を持っていた――を構え、荒い呼吸をつく女を取り囲む学生達。
このまま押し切れば勝利は揺るがないだろう、そう判断したリョウが問いを発する。
「貴女の名前、そして目的は?」
『答えると、思うか?』
追い詰められて尚、翳りを見せぬ怨嗟が、言葉に篭る。
「…お前、あの時の子…だろ?」
『……』
その瞬間憎悪その物のアウルが、取り囲む彼らの背筋に這い登る。
『父を殺したお前達を、他人は!母すら!仕方無い事だと、正しかったのだと日々私に言い聞かせた!!』
慟哭。
「ふむ…元は人の子か?――人を呪わば穴二つ。ほんに人間は面白いの」
翼を羽ばたかせ見下ろす翠蓮が呟く。
『何が正しい!?どこが仕方無かった!?目の前で、嬲り殺されるあの光景に、私は毎夜苦しみ泣き叫んだ!それが、救いだとでも言うのか!!?』
だが、当時の少女は知らない。それが仕組まれ見せられていた、改変され続けた記憶だと。
『のうのうと正義面した貴様らを、誰も裁けぬというなら!私が裁いてやる、殺してやる!!』
「だからってっ!」
右隣にいた少女、晴が叫ぶ。
「やられた事をやり返すなんて、そんな事がまかり通るわけ無いじゃない!」
目の前の相手の苦しみなんて、聞いただけで解る筈は無い。
「許せとは、憎むなとは言わない。けど…善悪なんてこの際関係ない…あたしは、貴女のやり方を許せない!」
『どの口が戯言を』
女が、嘲笑う。
『始めから力を持ち、己が所業に疑問を持たぬ貴様らが何を許す?天魔と同類の化け物がっ』
それは見当違い、逆恨みの弾劾と切り捨ててしまえばそれまで。
「わたしも…わたし達も退くわけにはいかないから…」
魔に堕ちた人の映しを前に、はくあは胸中で『ごめんね』と繰り返す。過去の自分の様な、力無い人間が救われる為の武器を創ると誓った彼女の前に、無力感が横たわる。
《しょうのない子ねぇ》
最中、僅かに感じた薄い、揺らぎ。
「そこかえ」
一つの予測を元に、公園全てに警戒を張っていた翠蓮の手から、夜空の一点に呪符が放たれた。
だがそれは規定の効果を及ぼす事無く、虚空に飲み込まれ。
『あらひどい、幼気な乙女に♪』
直後に韻く思念、同時闇夜を切り裂いた白光が翠蓮を撃ち落す!
「――ッ?!」
絶叫は引き起こされた爆音に掻き消され、それが収まった後には、巨大な雷撃に打たれ地に倒れ伏す彼の姿。
偽装が解け、鮮やかな翠が煌きの中に姿を露わす者。
「…やっぱり覗き観ていたんだな…ディルキス」
「あれが?」
歩の声に、幾らか関わりのある凪も見上げ。
「あの人が消えてる!」
驚きの声に視線を戻せば、先ほどまで対峙していた天魔の女が形跡も無く姿を消していた。
『ごめんなさいね?まだあの子本調子じゃないのよ。ここは見逃してちょうだいな…ふふ』
そして全員が気づく。首から下が一切動けない事実に。
『大丈夫よ、私は別に貴方達を殺す気は無いから…♪』
頬笑み、凪と歩を見下ろす。
『どうかしら、再会の気分は?』
「再会?」
『あの子、シンって言うんだけどね。ラーベの記憶と知識を疑似的に移植してあるのよ♪』
「…ああ、だから」
あの既視感。似ていたのだ、以前戦ったヴァニタスに。
『調整が中々手間だったんだから…元はこんなちっちゃな子供だったんですもの…くすくす♪』
一見邪気の無い、微笑み。心底、悪魔は楽しんでいた。
『躰の方をかなり弄ったから、与えた力が馴染んでいなくって。慣らし運転させていたんだけれど…』
女性の方に流す視線に、動かぬ体で尚庇おうと神削は必死の形相を浮かべる。
『ああ、もういいのよお兄さん♪潮時みたいだから、見逃してあげる』
浮遊から降り立ち、歩を進め、青年を下から覗き込む。
『そう云えば、ア・ユ・ム♪いつ殺しに来てくれるのかしら?その様子だと、千年在っても足りないんじゃなぁい?』
「…今は笑っているがいいさ。ボクも嗤ってやるよ。嗤って、必ずこの手でお前を殺すよ」
『ふふ…それは素敵ね♪――さて、今夜は観劇はこれで御終い。また会いましょう…正義の味方さん♪』
悪魔は姿を消し、学生らは解かれた呪縛に息を吐く。
学園に帰還した彼らは、改めて壬生谷に正確な情報を求めたが、謝罪以外に彼は口を開く事は無く。
ならばと今回の件で一つの提案をしたリョウだったが、
「私達は、そこまで…人の気持ちを管理するまで、驕らねばなりませんか?」
という返答に、引き下がるしかなかった。