確信があって起動させていた訳ではないのだろう。
ギィネシアヌ(
ja5565)とチョコーレ・イトゥ(
jb2736)が光纏と共にアウルを流し込んだ阻霊符が、意外な効果を齎す。
目的の社近くまで到達した学生らから、やや西方、重量のある何かが衝突する音に夜の山林が震えた。
「なんだぜ?」
「なんなのだ?」
山林を急ぐ撃退士達の中、ギィネシアヌとフラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)が顔を見合わせる。
更に遠方から二つ、似たような音が響く。
「…そう言えば、聞かれなかったから答えませんでしたが。ヤトノカミは移動中、透過能力で障害物をすり抜けるんですよ」
「ハハッ、じゃ今のは奴さんと樹とのPassionate Kissって訳か」
楽しげに笑う炎條に比して、しかし壬生谷の表情は晴れなかった。
「壬生谷殿、姪御さんはきっと無事だ。大丈夫」
「お気遣い、ありがとう御座います」
チョコーレの言葉にそう返すものの、壬生屋の声には硬いしこりの様な物が含まれていた。
ちらりと、ユーノ(
jb3004)は彼に視線を向け、すぐに前方へと戻す。
何かしら事情があるとしても、それはその人の問題であって自分が知っても詮無い事と。
(それにしても、社に大蛇とは中々風情な組み合わせですの。尤も、紛い物ではそれも半減ですけど)
●
天魔との距離が詰まり、その姿を借用した暗視ゴーグルが捉える。
「大きくて長い…Snake!?」
「天使の人形…蛇型か」
体長は三メートル程だが、太さはそれに見合わず太い。よく見れば鉄板の如く分厚い鱗が体表を覆い、それが身をくねらせる動きで擦れ、しゃらしゃらと微かな音を響かせる。
大きいとは聞いていたが、その異形に声を上げるフラッペ。チョコーレは呟きと共に背に顕現させた翼を広げる。
他が夜間装備によって視界を確保する中、アウルによって昼と変わらぬ視界を保つ影野 恭哉(
ja0018)は、樹木と衝突し身を起こしたばかりの天魔に手にするアサルトライフルAL54の銃口を無造作に向け、トリガを引く。
『ギッ!』
セミオートで頭部甲殻に次々と撃ち込まれる弾丸に、大蛇が怯む。ダメージ自体はそう高くは無い。だがその真価は後に大きな効果を齎す。
「…おいで、白雀。貴方に自由をあげる」
続いてユウ(
ja0591)が手にするアルス・ノトリアが白銀の冷気の如き光をパラパラと捲れるページから溢れさせる。――輝きの中、捲れていくページに何かが描かれていた様だった。
無機質な声を伴い差し伸ばしたもう一方の掌から白い小鳥が放たれる。その身に繋がれた鎖を伴って天魔にそれを絡みつかせたと見えた瞬間、
『カァッ!?シャァア…ッ』
強烈な雷撃が大蛇の身を打ち、悲鳴を上げを再び音を立てて身を地に横たえる。
それに対して、フラッペ、そして炎條が肉薄していく。
「ここは俺達に任せて先に行け!」
長躯に小さなスパークを伴い、悶える天魔に一撃を加える二人。残りの五人に、一気に高度を取ったチョコーレが上空から言い放つ。
彼らには、天魔を倒す事の他にもう一つの目的があった。
「すぐにコイツを始末して、後を追うさ」
言いながら、如何にも人間が吐く様な台詞に妙な気分になる。暫く前まで、彼は悪魔として人間と敵対する陣営にいたのだから。
「…キリサメ、韋駄天」
渓流の方角へ進みかけた壬生谷の袖を、ユウが軽く引く。
「ああ、そうでしたね」
呪符を取り出し、式である風神を二人は身に宿す。その加護によって一時的に脚力を向上させた二人は、軽やかに駆け出す。
三対一、数の上ならば互角以上。頷き、渓流へと動き出した五人の内、ギィネシアヌがふと立ち止まり後ろを振り向く。
「フラッペ!ドジ踏むんじゃないのぜ!」
「わかってるのだ!ギィヌこそ女の子を頼むのだ!」
「任せろ!」
背を向けたまま答える友に拳を突き出し、彼女は先の仲間を追い、駆け出した。
●
側面に回るフラッペ、脚部のジェットレガースが蒼き風の如きアウルを噴射し、蹴撃は数枚の鱗と共に天魔の肉を粉砕する。
「Snake如きに名乗るも惜しいが、冥土のSouvenirに聞いて逝きな!」
同時に正面の炎條が抜き放つ刀を抜き放ち、微かに差し込む星光が刃を照らす。
「俺の名前は炎條 忍!久遠ヶ原きってのNINJAたぁ俺様の事よ!」
不敵な笑みを浮かべ、朗々と名乗りを上げる。大口も言うだけならタダである。
言霊に込めるアウルが天魔の敵意を引き付ける。漸く自由を取り戻した蛇体がうねり、彼に飛び掛った。
「へっ、鬼さんこちらっと!」
器用に一撃を避け、直立する樹の幹に足を掛け一気に駆け上がる炎條。大樹に巻きつき追う大蛇。背後に迫る気配に、にっと笑って足場を蹴る。その身をふわりと中空に躍らせた。
「チョコーレの旦那、Leaveだぜ!」
上空に待ち構えていた彼に片目を瞑る。
「こんな手に掛かるとは…所詮は人形か」
樹の頂より、更に高みに羽ばたく悪魔が応じ、影の書を介して生み出される影の槍。
『ジアアアアァァッッ!?』
炎條を追ってきた天魔にカウンターのタイミングで放たれる魔法が、その頭部に深々と突き立つ。
その外殻や鱗は物理衝撃には耐性もあるが、魔法に対してはそう高くない。痛撃に悶えながら落下する蛇体を、その下で待ち受ける風の申し子。
「行ったぜ、フラッペ先輩!」
「Leaveなのだ!」
炎條に感化でもされたのか、普段より英語を多用するフラッペが、落下する天魔に対して地を蹴る。
最大限の力を貯めて繰り出された烈蹴が、大蛇の頭部を粉々に粉砕、枯葉積もる大地に血肉の雨を降らせた。
「思ってたより弱かったのだ」
「そうだな」
呆気ない戦闘に感想を漏らす二人。そこへ炎條が何かを拾って歩み寄ってくる。
「アレがFrailってだけじゃないさ。コイツを見な」
その手に掴んでいたのは、先の天魔の殻の一部。それを握り締めると、大した力も入れていないのに脆く砕ける。
かなりの腐敗が進行していたのだ。
「影野先輩のSouvenir Placeて奴だな」
頷く二人に、炎條が手を叩いて破片を落とす。
「さて、さっさとConfluenceしねえとな」
「それなら任せるのだ!」
「お、何かあるのか?」
「キミならきっと乗りこなせると思うのだっ…ちょっとじゃじゃ馬なBoardだけど、これならきっと間に合うのだ…!」
山林を一気に抜け、川原に出る炎條、続くフラッペ。二人の足元には、フラッペの光纏と同色に輝くボードが出現し、二人を乗せて爆発的に加速する。
その様子を眼下に見て、チョコーレは一直線に夜空を社へと飛翔していく。山林を駆けるに邪魔となる木々も、今の彼を阻む物ではなかった。
●
突如響く銃声。少女の頭上を越えて奔る弾丸が天魔の頭部甲殻に弾ける。中級天魔のそれは通常固体より更に堅牢を誇ったが、不意を討つという効果は十分に果たした。
動きを一瞬停滞させる天魔、同時に少女も戦闘中である事を忘れ、後方を振り向く。
(銃撃?一族の者が銃を用いる筈は)
自分以外の何者かがこの地に来ている事は、先の天魔の変調で察していた。少女はてっきり、家から来た術者だと思っていたのだ。
その刹那、闇を押してなお星明りの下に白く輝く風が傍らを通り抜ける。
再度振り向いた少女の目に、雷状の穂先もつ槍で天魔の喉下を突き抉るユーノの後姿が映った。
「紛い物の分際で…頭が高いですわね」
そのまま天魔ごと雷桜の柄を右に薙ぐ。小柄な体が中級天魔の巨体を地に叩き伏せる光景は、中々にシュールだった。
だが、奇襲の効果も長くは続かない。
立ち直った天魔は突きたてられた槍ごとユーノの体を振り回し、穂先が抜けて空に放り出された彼女を、巨大な尾が強かに打ち据える。
「ぐっ」
地に叩き落され転がる体を、苦痛に痺れる意識を無理矢理奮い立たせて跳ね起き、天魔に対して構え直す。
そこまでの光景を棒立ちになって見ていた少女の手を、誰かがいきなり掴んだ。
「ぼーっとしてないで、こっちに来るのだ!」
状況に戸惑う少女を、ギィネシアヌは有無を言わさず引っ張り、後方へと下がらせる。
「四方に四獣在り。以って四聖と為し加護を願い奉る――」
待っていた壬生谷が、自身を中心に少女らを包む結界を張り巡らせる。その間、一度たりとも少女に目を向ける事は無かった。
離れた木陰で、我を取り戻して掴まれた手を振り解く少女。その非友好的な視線と、ナイトビジョン越しのギィネシアヌの視線が絡み合う。
その奥に暗い何かを見た気がした。
(何か碌でもない事考えてた目だぜ)
こういう目をした輩を、彼女は好きではない。
戦いは生き抜いてこそなんぼ、勇気と無謀は違う。使い古された教訓だが、だからこそ真だと思う。
(連れ帰ったら、一度叱って置くべきかな)
目を逸らし、再び彼女の脇を抜けて天魔に向かおうする少女の肩を押さえる。
「怪我人は大人しくするのだ」
「これは私の務めです。部外者が余計な――」
「戦うなとは言っていないのだ。癒えた後でやればいいのぜ」
「何を…」
言いかけて気づく、肩に置かれた彼女の手から力が自分に流れ込み、傷を癒していくのを。それも急速に。
「あなた…何?」
問われてにっと笑い、ゴーグルを押し上げ、薄い紅の様な瞳を夜気に煌かせる。
「俺はギィネシアヌ、魔族にして蛇の眷族さ」
言い切る彼女を少女は訝しげに見つめ、視線を動かして天魔と彼女を交互に見比べた。
●
二人の会話の最中にも戦闘は推移し、タッチの差で撃退士達に遅れる事10秒ほど、西側の山林より騒音を立ててもう一匹の天魔が迫っていた。
社の天魔に一撃を加えたユウは、即座に反転し森の中へと飛び込む。
それを目にし、最後の腐敗の弾丸を恭哉が放つが、今度は間に山の木々が邪魔をした。
「百発百中とはいかないか」
特に拘泥する様子も無く、再び中級天魔に向き直りライフルを撃ち続けた。
此処に来て、彼らは少数にて二正面戦を展開する。
遠距離側面からの度重なる銃撃に業を煮やしたのか、大蛇は目の前のユーノを放置して恭哉に猛然と突進する。
「私を無視するとはいい度胸ですの」
彼女のアウルが手にする槍に込められ、一撃が背を向ける天魔の尾に振り下ろされる。同時に送り込まれた魔力が、強靭な天魔の生命力と彼女を瞬間的に接続、それを自身の治癒に併用する。
それに構わず、天魔は恭哉を追った。本能だけの獣であるが故に、純粋な怒りが大きいのだろう。
周囲の樹木をなぎ倒して迫る大蛇に回避行動を取るも避けきれず、その右腕を鋭い牙の生え揃った顎に喰らいつかれる。
「――っ!」
激烈な痛覚、のみならずそこに体内へと流し込まれた毒液。彼のアウルが一斉に体内で活性化し、それに抵抗を始める。
しかし即座の回復とは行かず、一旦飛び退って距離をとる。
逃さぬとばかりに身をくねらせた天魔の、その胴に、飛来した漆黒の杭が刃を伴って鱗を貫き、肉を切り裂く。
「さて、俺を敵に回した愚かな同胞よ。原初の闇がお前を喚んでいるぞ」
首を擡げた天魔が向ける視線の先、ガルムSP――漆黒の番犬の異名を持つマシンガンを構えるギィネシアヌ。
常は紅なる光纏を漆黒の鎖と変え、怯惰を内包する少女は轟然と言い放った。
●
「…おとなしく土の下で冬眠してればよかったのに」
暗き山林の中、冷銀の輝きと樹上から襲い掛かる蛇体が時に離れ、時に交差する。
ユウの体は枯葉を吹き払う冬の如き冷たき風を纏い、その身のこなしをダアトでも稀有な高みへと為さしめる。
それでも全てを避ける事は出来ず、一撃を受けていた。尤も、天魔はその数倍返しを貰っていたが。
ふと、隣に沸く気配に視線だけを動かす。
「お待たせしました、助勢します」
「…あの子は」
壬生谷の治癒の呪がユウが負った傷口の細胞を活性化し、再生させていく。
「傷は癒して頂きました。…術者の端くれです、あとは自分でどうにかできるでしょう」
「…そう」
それきり言葉を交わす事無く、頭上から強襲してきた天魔を挟む様に、二人は左右に飛び離れた。
●
ユーノの槍撃が鱗を切り裂き、闇を纏う恭哉の放つ黒炎弾、ギィネシアヌの黒き杭が続けて叩き込まれる。
しかし中級のヤトノカミは、全く怯む様子を見せなかった。攻撃の手段こそ単調ではあるが、その生命力のしぶとさこそが脅威であった。
「急所を覆う甲殻か…いい案だが、蛇の感覚器の殆どは顔の顔面だぜ?」
闇の鎖から真紅の蛇へと戻った光纏。それらが機銃の銃口に潜り、その全てが弾丸へと込められ放たれた。
その弾道が大蛇の鼻面と交差した瞬間、恭哉の放った腐食の弾丸の最大効果と相俟って遂に顔前面を覆う甲殻の完全破壊を達する。
『シギャァアアッ、ジャアアアアアッ?!』
衝撃と一時的な感覚の麻痺にのたうつ大蛇であったが、その巨体ゆえに暴れ方が桁違いであった。無差別に周囲を薙ぎ倒して回る。
「おいおい」
「ちょっと、近づけませんわよ」
「…あれ?」
轟音を立て、社を潰し、周囲の木々を次々にへし折って山にしていく光景を三人は暫し眺める。
「待たせたな!」
「お待たせなのだー!って、これは何の騒ぎなのだ、ギィヌ?」
「うおっ、何時の間に来たんだぜ!?」
いつの間にか社に到着していた炎條、フラッペ、チョコーレが三人の後ろに立っていた。
「要するに」
「…チェックメイト」
森の中から、ユウと壬生谷の二人も姿を現す。その奥で、もう一匹の天魔は躯となっていた。
●
八対一、如何に生命力が高いといえど、総掛かりの火力の前には張子の虎。
「…それが理、それが自然。もう私の季節からは逃れられない」
集約され一気に開放された熱量が天魔の生命力をごっそりと削りとる。
「――」
「終わりだぜ!」
ユーノが首を胴から断ち、恭哉とギィネシアヌの放った弾雨が全てを砕いた。
●
歓声を上げ手を打ち合わせ、或いは冷静に依頼の完了を確認する学生らを、少女は離れた場所から見つめていた。
「よく見ておきなさい」
不意の声にそちらを見ると、男が一人立っていた。
「私が嘗て失い、そして貴女がまだ知らないものです」
壬生谷は少女を見る事も無く、ただ言葉のみを吐き出す。
「私は、彼らよりも強いはず…です」
きゅっと唇を噛み締めた少女は、挑むように撃退士達の背中を睨みつける。
「ならそのまま死になさい」
普段の彼からは想像もつかない冷え切った言葉を最後に、壬生谷は少女から離れていった。
●
術と救急箱で一通りの治癒を終えた一同は、山を降りた所でマスターに少女を送り届けてくれるよう頼まれる。
張り詰めていたものが切れたのか、気を失った少女は炎條の背で静かな寝息を立てていた。
「一緒に行かないのか」
「ええ、まあ…」
言葉を濁すマスターに釈然としない物を感じながら、無事少女を引き渡して後、久遠ヶ原への帰路に着くのだった。