「残るは…君たちだけだね」
何処までも透明な微笑を浮かべ、少年は撃退士達を一瞥して再び両の眼を閉じる。
繊手が、竪琴の弦を爪弾き出す。
猫野・宮子(
ja0024)が少年目掛けて飛び出し、少し遅れて雪室 チルル(
ja0220)が続く。
「皆がサーバント倒すまで、なんとか持たせないとだね。魔法少女マジカル♪みゃーこ、出撃するにゃ♪」
ちらりと、森の一角で繰り広げられる…アレな光景を見る宮子。
「とりあえず、ミイラ取りがミイラにならないように気を付けないとにゃね」
「ねえねえ、向こうの人達って何で裸になってるの?」
後方より、マスク越しのくぐもった声でチルルが疑問の声を上げる。
「…えっと、その…き、聞かないでにゃ」
過去に同様のアレな経験をした宮子は、その時を思い出して熱くなった頬を隠すように顔を背けた。
「?」
それに若干首を傾げながらも、フランベルジェを抜刀する。
「うわぁ…あれは流石にイヤだなぁ」
少年を正面に見て右方、そちらの水精目指して駆けながら、遠めに遠方の集団の惨状…というか淫状を眺め、神喰 朔桜(
ja2099)は心底から呟いた。
遠目なのだが複数の少女達が裸身を複雑に絡ませ合い、蠢きあって互いの―*ご想像にお任せします*―をしているのだ。
免疫が無いとかなりアレである。
「女の子にはずかしい思いをさせるなんて…。
普通の子どもに見えるけど、…やっぱり天魔はクズなのッ、ころすころすころす!」
乙女の怒りを胸に、エルレーン・バルハザード(
ja0889)は防護マスクの内で吐き捨てる。
(かぁいくないけど、仕方ないのっ!)
胸中で自身の美意識を無理やり納得させ、遁甲を持って自身の気配を消すエルレーン。
そのまま天魔後方へ回りこもうと動き出す。
マスクは確かに香り対策には有効ではあったが…天魔の振りまく香りは、同時に魔法の毒でもある。
呼気するしないに関わらずある程度作用すると言う事を意識していなかった。例えば皮膚の上からでも。
指向性はなくとも、現状それが濃淡の差はあれど森中に充満していたのだ。
殆どの者が不自然に高鳴る動悸に戸惑い、じっとりと染み出す汗に身を濡らしていた。
そう、全員が影響を受けていた訳でもない。
「おや…これはこれは。随分と面白い事になっているみたいだね」
軽やかに疾走しながら、アリーセ・ファウスト(
ja8008)は香の犠牲者(?)達を横目に典雅な微笑を浮かべ、声を漏らす。
黒紫の焔の如き光纏に包まれた梓弓が、周囲に存在する樹精の香を祓うように震える。
「少し、甘すぎるけど悪くない香りだね。フフ」
その彼女を先導する様に前を走るのは鴉守 凜(
ja5462)。
戦闘の高揚とは異なる、心身の高揚に、蕩かす様な甘い香の誘惑に、彼女は自らの唇を噛み切って正気を保つ。
「何て…汚らわしい」
禁断の果実であればこそ、そっと、秘め燃え上がる万の想いを込めて。
ともすれば溢れ出しそうなそれを押し留め。だが伝わって欲しいとも願う。
故にこそ、百合は可憐に花開かせる。
他者の思惑によって、穢れた華となる位ならば、己を刻んででもそれに抗おう。
この戦いは、凜にとって譲るべかざるものの為でもあった。
躊躇う事無く全力で戦場を疾駆し、誰よりも早く天魔との交戦に入った。
●
一気に近接戦闘距離まで詰めた凜が、特殊なオーラを放つ。
眼前に現れた彼女を標的と定めていた水精だが、それによって完全に意識を凜への敵意に占有される。
彼女の後ろから迫るアリーセが、完全にノーマークとなった。
計算され形作られた裸身を震わせ、水精の両腕が水刃を形成し、凜へと襲い掛かる。
天魔の斬撃を顕現部位を減らした改造プレートメイルの甲に当て、更に踏み込む。
肉厚の刀身を持つブラストクレイモアが、力任せに振りぬかれ、液体状の水精の身体を一瞬弾けさせた。
だが、物理攻撃に耐性のある天魔はすぐさま形状を修復し、嘲る様な微笑を浮かべ更なる攻撃を繰り出す。
二の腕がそれに裂かれ、噴出す鮮血。しかし微塵も怯む様子を見せず、返す刀で大剣を切り上げた。
『勇ましいね。でも、これならどう?』
我が身を厭わぬ凜の強襲にあきれた声を上げた少年は、思念で水精を一時退かせ、奏でる曲に歌声を乗せる。
「――っ! …ぐぅ、うぅ…」
突然意識に割り込んでくる、呪歌の旋律。一瞬抵抗を試みるも失敗し、だらりと一時的に脱力した彼女は、次に握りなおした大剣を振りかざし、駆ける。
その先には、仲間である筈のアリーセの姿があった。
「やれやれ、術中にはまって正気を失ったのかい?」
樹精を射程に収めるべく回り込んでいたアリーセがそれに気づき、足元の拳大の石を拾い上げる。
そして迷う事無く、凜の顔面目掛けて投擲した。
「が…っ」
まともに喰らってもんどりうって倒れる凜。だが、少しして両足を振り上げ、一気に飛び起きた。
「…すみません…」
腫れ上がった鼻頭を撫でながら不備を詫び、すぐさま身を翻して再び水精へと襲い掛かる。
それを認め、薄い笑みを唇に刻み。
アリーセは正面に捉えた樹精に向け、梓弓を引き絞る。
その周囲には特に濃厚な毒香が充満していたが、やはり少女に何ら影響を与える事は無かった。
「さて、それじゃあボク達も戯れるとしようか」
番える光の矢が、炎と変わり。放たれたそれが、天魔の半身を焼き焦がした。
『厄介なのが一人いるなぁ…と、おっと!』
飛襲する弾丸。ネフィリム鋼で出来たそれが少年に命中する寸前、見えない何かに阻まれて空中で停止し、一瞬震える様に振動した後、顕現化が解けて消え去る。
「むぅ、不意打ち失敗にゃ」
オートマチックP37を構えた宮子が、残念そうに呻いた。
その傍らから飛び出したチルルの大剣が空を切り裂き、切先から放たれたアウルが吹雪の如き白銀の輝きとなって少年へと迸る。
しかし、その攻撃も命中直前に少年がかき鳴らした竪琴の一節によって霧散する。
「絶対変な攻撃なんかに負けたりしないわ!」
だが今の一撃には、充満する香を一時的に吹き飛ばす狙いもあった。
「ともかく演奏はさせないにゃよ!」
香の空隙地帯となった少年との距離を、その隙に詰めていく宮子とチルル。
――所で、この世には作用があれば、反作用というものが起きる。
確かに数瞬、吹き飛ばされ薄くなった香だったが、空気圧の減った空間へ吸い込まれるように再び流れ込み始める。
『それって、俗に言う“ふらぐ”じゃないかなぁ?』
柔らかな微笑をチルルに向け、少年が象牙の竪琴を軽やかに爪弾く。
「…ぁ、あれ?」
大剣を振り下ろそうとしていた少女の膝が、突然力が抜けたように落ちる。
「はっ、ぅは…な、なにっ!?」
全身から、汗が噴出す。甘い香りが溶け込んだそれは、チルルが身に纏う衣服を瞬く間にぐっしょりと濡らすほど量に至った。
そして下腹部に生じる、嘗て無い違和感。
経験した事のない感覚に、じくじくと内から突き上げられるような“疼き”に。
チルルは身を折って転げまわる。
「っ、いやっ、これ、なに――っ?!」
彼女の異変に気づき、忍苦無で切りかかっていた宮子が慌てて駆け寄る。
「にゅ、雪室さんしっかりするにゃー!マジカル♪ビンタにゃ!」
抱き起こし、チルルの頬を張る宮子。
だがその程度では香の影響力を脱するどころか、逆に鋭敏化した触覚によってチルルに更なる刺激を与えるだけだった。
「ふぅ…うぁ、ぁ…」
びくびくと痙攣しながら、虚ろな目で宮子を見上げるチルル。ぼやける視界に移る彼女は、とてもチャーミングで。
「へ…むぐぅっ!?」
「んむ…」
大剣を取り落としていた両腕が、気がつけば宮子の頭に回され、抱き寄せるようにして二人の唇が合わさった。
「んーっ!…ふはっ、や、やめるにゃ、ゆき――」
♪Komm schon, ich geliebtes Kind♪
「――っ!」
チルルを振りほどこうとした宮子の意識に、流れ込んでくる魔力の歌声。
少女の瞳から意思の輝きが奪われ、香への抵抗力も失われる。
「…んぁ…」
「はぁ…あたい、あたい…」
訳も分からぬまま、情動のままに。操られるままに。
二人の少女は互いの衣服を剥ぎ合い、裸身をさらけ出して…うねる様に絡み合い、貪り合った。
竪琴を奏でながら、少年はその光景から眼を背けて、疲れたような溜息を吐く。
『こっちはチェックメイト…と。……、はぁ…』
上がりだす、艶を帯びた喘ぎに頭を振り。
次の標的を定め、身を翻した。
少し、時は遡る。
水精が胸元に渦巻き召喚される、一抱えほどもある水塊。それが砲弾の如く打ち出された。
「ふふん」
だが、その標的となった朔桜は微動だにする事無く。直撃コースを飛来した水砲弾の前に展開された魔力の障壁が受け止め、熱した鉄板に水をかけた時の様な音を立てて蒸散させる。
「――邪魔しないで」
不遜たる笑みを浮かべ、その身を包む黄金の焔が如き光纏からあふれ出す魔力が、更に増大する兆しを見せ。
遠距離攻撃の不発をみて、水精は両腕を水刃と変え、彼女に肉薄する。
朔桜の周囲に、黒き輝きが五つ。黒き雷撃が五本の槍となって生じる。
眼前に振り下ろされる水刃。その光景に眉一つ動かす事も無く、雷槍が放たれた。
『ギッ、ギィイー!?』
顔の左半分を、肩口を、乳房を、両腕を。彼女の攻撃が水精の各部を吹き飛ばし、天魔は後ろに仰け反る。
「あはっ、いい声で鳴くじゃない! これで終わったりはしないよね? ほら、もっと抗って見せて!」
天魔の上げる苦痛の声に、妖しい笑みを浮かべてぺろりと唇を舐め上げる。
彼女の瞳となびく髪が、時折黄金色に煌いた。
形状を修復し、更に斬りかかる水精。だがその体積は、最初よりも幾分目減りしていた。
それを避け、再度の雷槍が叩き込まれる。
絶叫を上げて天魔は後退した。
「水には雷…よく効くよね?」
高揚する精神、高鳴る動悸を押さえるように片手で胸元を抑えた少女の手が、衣服の下で自己主張する部位を刺激するように鷲掴み、捏ね上げた。
「――断末魔も、いい声で啼いてよ?」
燃え上がるような下腹部の疼き。火照る全身からの発汗に艶かしく濡れる肌。
香によって引き出された彼女の性癖は…控えめに言っても“ドS”にしか見えなかった。
「…私の萌えの中に、百合とかないんだからッ!」
宮子とチルルが天魔の術中に落ちたのは他の皆も気づいていたが、目前の敵と相対している状況下において助けに行ける余裕は、まだ無かった。
影を濃縮し、生み出した棒手裏剣を立て続けに投擲しながら、毒香を直接注入しようと延びてくる蔦のような触手を、エネルギーブレードが切り払う。
近づくと香が濃くなる為、常に距離を開けていたエルレーン。そこへ標的を彼女とみなした少年が仕掛けた。
「―ッ、はくっ、うぅぅ!」
風を撒いて彼女の周囲に集められる、甘い香り。
必死に抵抗を試みるも、衣服の隙間から忍び入り、肌から侵してくる発情の毒に、彼女を肩を抱きしめて蹲る。
『気配を消してたみたいだけど…ボクには無意味だよ。そこに存在していれば、音は反射して返ってくるんだから』
所謂ソナーの原理。使徒である少年は、視覚や聴覚よりもそちらを優先して戦場を認識していた。
内股を擦り合わせ、身を震わせながらも。湧き上がる欲望を抑えようと気勢を発するエルレーン。
「やめてよね…私たちにも乱暴する気でしょう?!エロどうじんみたいに!エロどうじんみたいに!」
その言葉に、少年は首を傾げた。
『えっと、ごめん。一つだけ聞いてもいいかな、おねえちゃん?』
「なによッ!」
『エロどうじん…って、なに?』
「へ?」
自分が知っているからといって相手が…人生経験の少ない幼子が、それを知っているとは限らない。
『ボクは子供の頃…というか、今も見た目はこんなだけど。半生の殆どが寝たきりで、外の事を良く知らなかったんだ。
使徒のボクが今更避難されるのは構わないけど、何に例えられているのか知りたいなって』
「…えーっと」
『で、それを踏まえて改めて。エロどうじんって…?』
戦闘中に交わすべき会話でも、答えられる質問でもなかった。
「と、ともかくッ! みにくい心の天魔は…ころしてあげるよッ!」
叫び、気力を振り絞ってよろめきながら立ち上がる。
『…まぁ、いいや。答えたくないなら』
癇に障ったのか、むくれた少年の唇から魅了の歌声が流れ出した。
●
『!』
だが刹那、少年はハッとした表情を浮かべ、大きく跳び退った。
一瞬前まで立っていたの場所を肉厚の剣身が薙ぎ払う。
「…気づかれましたか」
大剣を振りぬいたまま、凜が無表情に呟く。
次の瞬間、飛来した雷撃と五つの雷槍が、エルレーンに接近していた樹精を貫き、天魔はそのまま燃え上がった。
「使徒のキミ、いい能力だね」
放った魔術師一人、アリーセが少年に語り掛け、未だ香の影響下にあり、ある意味イッチャッタ瞳をした朔桜が次の術へと備える。
『…そう言った人は、おねえちゃんが初めてかな。
ボク自身、あんまり好きじゃないんだけどね』
アリーセに向かい、少年は僅かに苦い笑みを浮かべた。
「ふふ、恥じることはないさ。
殺すしか能のない、詰まらない連中なんかより、よほどボクの好みだよ」
二人の会話の傍らで凜が構え、隙を伺う。
『そっちのおねえちゃんは怖いな。傷だらけになって、そんなに操られるのがイヤだった?』
構えを説かぬまま、口を開く。
「抱きしめたい…重なりたい…。
そんな欲望…かき立てられずとも最初から…持っているもの…」
『…そうなんだ』
なんとなく、込められた語気に身を引く少年。
突如、その周囲に黒焔の鎖が湧き出し、一斉に殺到する。
同時に踏み切り、突進する凜。
――しかし。
双方が少年に達する寸前、衝撃が爆裂音を伴って凜の大剣を吹き飛ばし、鎖を粉砕した。
『これ以上相手をする気はないんだ、元々戦いに向いてないからね』
ふわりと僅かに足元が地上から浮き、そのまま滑る様に後退する。
ちらりと未だ動けぬエルレーンと、ちょっと離れた所で―ご想像にお任せします―な宮子とチルルに視線を向ける。
『あれが最後のドライアドだったから、暫くすれば森の香は消えるけど…。
体内に入った毒は、あと二時間位は持つから頑張ってね』
状況を見守っていたアリーセが、ふと声を上げる。
「そうだ、君の名前を知りたいな」
『教えてもいいけど…おねえちゃんの名前も、知りたいな?』
「アリーセ・ファウスト」
『アリーセ…アリス、か。ボクの名前はシュライヤ。それじゃあね』
その声を最後に、ふっと姿が掻き消えた。同時に、泉にあったゲートの入り口は消え、空を覆っていた結界が砕け散る。
「また逢う時を楽しみにしているよ、少年」
その後、どうにか毒が抜け切った作戦チーム一同だったが――色々と気まず過ぎて撤収作業が捗らなかったのは、余談である。