「シミュレーション戦闘か。
確かに戦場に出る前に色々と体験しておけば、いざ実戦という時に役立つだろうし、な。
協力させて貰う事にしよう」
「ふむ、自分の実力を把握できる良い練習になるだろう」
依頼人の確認に、榊 十朗太(
ja0984)が頷き、リュシアン・ベルナール(
ja5755)も眼鏡越しに興味深そうな眼光を湛え続く。
「戦闘シミュレート…まぁ便利な世の中になったものですわね」
物珍しげに室内を見回しながら、ヴェルゼウィア・ジッターレイズ(
jb0053)。
「んー…調整中って言うのは少し気になるけど、折角だし使わせて貰おうかしら」
(これで少しでも新米撃退士の負傷率が下げられるなら、協力しない訳には行かないもの)
と雛森 美琴(
jb0200)も同意。
(仲介料が差し引かれているのは不愉快じゃが…まぁ、これも修練の一つと割り切るとするかの)
内心は声に出さす、森部星治(
jb0050)も無言を受諾の意と返す。
氷冥(
ja1138)もまた、無言を返答とした。
●
彼らはダイブする前に動きに関して打ち合わせ、そしてそれぞれに指定された装置へと入る。
ゆったりとした座席状のそれに腰を下ろし、フルフェイスに近いヘッドギアを装着。
『そいつは、音声操作になっている。
“マインド・リンク”と唱えれば、諸君の精神はデジタル世界へとダイブする。健闘を祈る』
コントロール室からの音声に従い、一斉に唱える撃退士達。
装置をすっぽりと包み込む透過材質の表面に無数の魔術記号が現れては消え、それが全て収まったとき、彼らの意識は完全に肉体から解き放たれ、電子の存在へと変換されていく。
「よし、モニタリング怠るなよ。αテストでは問題もなかったが、現役の奴らの放つ意志力は馬鹿に出来ん。
不測の事態には常に備えておけ!もしもの場合の緊急隔離と精神変換の術式は最優先コマンドだ」
「はい!」
数人のスタッフが新牢の指示の元に、電子界に具現化する彼らのコンディションを逐次チェック、同時に検証データの記録を開始した。
(…さて、どれだけの反応があるか。システム的には完成だが、メインフレームはまだ未適応の部分が多い。
人の精神ってのは、中々厄介だからな)
がりがりとぼさぼさ頭を掻きながら、彼もまたコンソールの前に腰を下ろしてディアボロ側の設定を確定、送信を開始した。
●CASE:ディアボロ
薄い砂煙の舞う荒野に、突如として現れる虹彩。
同時に微細なポリゴンが人間の精緻なディティールを構成していき、十秒たたずして場に六名の男女が姿を現していた。
「デジタルデータとは思えない程リアルだな…面白い」
手足や体を動かして、感覚を確かめながら実感を述べるのはリュシアン。
オートマチックP37を顕現させ、その手応えを確かめる。他の者もそれぞれに獲物を具象化し、迫る戦闘の気配に供えた。
(さて、実際にどれくらい動けるかしら?)
想像以上に質感と質量を持った自身の体を見下ろしながら氷冥はシニカルに笑む。
「さて、敵が居なければ罠を設置する算段でしたが――」
「どうやら、その暇がないようだの」
星治が見やる方向に全員が視線を向ける。砂煙の向こうに砂塵を立てて疾駆する一群の影が見て取れた。
「落とし穴掘る心算だったのはいいが、掘る道具も申請してなかったしな」
槍を肩にかけ、顎を撫でる十朗太。
そう言えばと他の者も思い至る。彼らの所持品は自分たちの魔具魔装と、ちょっとした小道具や阻霊符のみであった。
或いは魔具で掘ることも、不可能ではないが…罠となるほどの深さを掘るのは武器としての性能に特化した魔具には向かないし、よしんば地中に落としても透過能力もきっちり再現された天魔だ。
符を意識して使わないと無駄になっただろう。
「ま、時間がないのだ。ここは速やかに布陣して、奴らを歓迎しようか?」
リュシアンの言葉に頷き、榊・リュシアン、氷冥・美琴、ヴェルゼウィア・星治、の三ペアに別れ、濃すぎないが軽視も出来ない砂煙の影響を鑑みた彼らは、離れすぎないように陣を敷いた。
強い風が吹く。
一瞬だけ晴れる砂煙の向こうに、先頭に疾駆してくる角のある狼の姿が垣間見える。
「では早速、こちらから参りましょうか」
朱色に変わった瞳を光らせ、蔦の様な文様を体の各所に浮かび上がらせたヴェルゼウィア。
天魔群が最大射程に入った瞬間、氷冥が影の書を開き、リュシアンがワンハンドで構え、ヴェルゼウィアが人差し指と中指の間に召炎霊符を抜き出す。
激発と同時に放たれた弾丸が、飛翔する火玉となった符がそれぞれ一匹ずつに命中、計二匹の疾走を阻む。
だが氷冥の放った影の槍は、標的にした角狼が斜め前方に跳躍し回避された。
「ふぅ、やっぱり慣れない攻撃は当てにならないわよね」
解れて視界を遮ったしなやかな黒髪を左手で払い、溜息を吐く。
先制の射撃・魔法によって隊の乱れた角狼の群れ。
そこに十朗太は脚部へアウル集約の意思を向け、システムに登録された“縮地”のスキルが発動、爆発的な加速力を持って突っ込んだ。
火玉により半身を焼かれ、よろけていた一匹を十字槍が掬い上げ体の前半分を両断する。
輝くの紅い断面を見せて地に伏す天魔の死体が、数秒後ポリゴンの砕片となって飛び散る。
双方の描画がリアル過ぎて忘れそうになるが、その光景がここは電子の世界だという事を一時思い出させた。
「…本来なら、まだまだ未熟な俺がやって良い戦法ではないんだが、折角のシミュレーションだ。大胆にいかせて貰うぜ」
彼の突進を横目に、星治がにやりと笑う。
「ほう、これは若者には負けておられんのう」
体内で燃え盛るが如きアウルを持って、ショートスピアの一撃が鋭く繰り出される。
迫る牙と交差し、彼は肩を噛み裂かれ、角狼は大きく脇腹を裂かれてすれ違った。
「ほっ!痛覚も多少は再現されておるのか。大したもんじゃ」
紅く裂けたポリゴンの傷口を軽く見やり、身を翻した老戦士は再びしっかと構えなおす。
その前に、負傷しながらも牙を向いて唸る角狼が立ち上がっていた。
突出は敵の反応も招く。
左右に居た角狼が十朗太に向き返り、同時に襲い掛かる。
その左方一匹の横面を、後方からリュシアンの意思により、発動したストライクショットが撃ち抜いた。
ギャンッ、と悲鳴を上げて角狼が横飛びに吹っ飛ばされる。
「援護は僕に任せるといい」
顔半分を潰されながらも瀕死の状態でふらふらと身を起こす。
その間に右の一匹に爪の一撃で左上腕部を浅く裂かれ、視界の左上に表示されて居た十朗太の生命力バーが数ドット減少する。
「ちっ」
そのまま後方に抜け、敵群を挟み撃つ形で身を翻す。これが凶と出るか吉と出るか。
「そら、来い! あっちは大人数だが、こっちは俺一人だ」
迫る一匹が突如速度を上げ、頭を下げ、角を突き出して氷冥に迫る。
「やらせないよ!」
そこに飛び出し立ちはだかる美琴は、顕現させたホワイトナイト・ツインエッジの左剣で角を打ち据え、だが慣れない双剣と剣術。
逸らしきれず彼女の腕を掠めて貫く。
「ぐっ…この!」
すれ違いかけた角狼の胴に、身を翻しざまスマッシュを乗せた右剣が振り下ろされた。
『ギャンッ!』
背中から切り裂かれ吹き飛ぶ天魔。それが空中で不自然にひたりと留まる。
美琴の右側面から氷冥が一歩踏み出る。彼女の指から角狼に向かって極細の紅い線が繋がり、その前足、胴体に絡みついていた。
「意外と…使い勝手がいいかな」
きゅっ、と締め上げる様に腕を引く。瞬間、ばらばらに切り飛ばされた肉片が大地に散らばった。
「うふふふふふ、狼狩りの時間です」
剣呑な暗い微笑を浮かべ、先の銃弾で手傷を追った角狼と対峙するヴェルゼウィア。
その手には霊符から換装された細身のレイピアがしなやかな刃を震わせ輝く。
動いたのは天魔が先。
飛び掛ってくる角狼の爪が嫌な音を立てて彼女の防具を引っかき、同時に繰り出された細剣の一撃をくるりと身を翻してかわし、軽い足音を立てて地に降りる。
「なかなか良く動きますわね。最下級とはいえ、さすが敏捷型」
瞳を細め、薄い笑みを浮かべたまま、持ち手を眼前まで持ち上げ構え直す。
視線から切っ先、そしてその延長上にひたりと天魔の眉間を定める。
次の刹那、ほぼ同時に地を蹴る一匹と一人。
「――っ」
重い衝撃が彼女の腕から肩にかけて抜ける。鍔元まで天魔の眉間に突き入った細剣の鍔が受け止めた突進の衝撃。
腕を振るい、天魔の遺骸を振り払う。刃から抜け、地に落ち反転したそれは、暫くして無数のポリゴンの砕片となって消滅した。
「…まだ、修行が足りませんわね、私も」
くすりと微笑み、頬に僅かにつけられた爪痕を彼女は指先でなぞった。
「やれやれ、拙者も勘が鈍ったか」
あと一撃、恐らくはそれで倒れる角狼だったが、あれ以後二度避けられ、星治も一撃を食らっていた。
『ウルルル――』
傷ついた体でゆるりと彼の周りを回る天魔。その頭を下げ、ぐっと体を撓ませて力を込める。
「ほう。よかろう、受けてたつぞ」
力を溜める天魔に対し、逆に星治は余分な体の力を抜き、やや左半身になって片手で短槍を構える。
渾身の突進は、彼の腹部をめがけて一直線に吸い込まれ――。
「甘いわい」
半回転して繰り出されたのは、槍の石突。それが天魔の顎を下から跳ね上げ、一瞬の死に体を作り出す。
そしてさらに回転。向けられた刃先が石火を乗せ、強烈な刺突となって喉元を貫いた。
槍に貫かれびくびくと痙攣していた狼の体が、やがて四散する。
「…さて、他は終わったかの?」
肩をまわそう…として負った傷の感覚に眉をしかめる星治だった。
「ふっ!」
呼気と共に薙ぎ払われる十字槍。激突の寸前足元を払われ、突き出た刃に前足を切り飛ばされた角狼が土煙を上げて地に摺り滑る。
「仕舞いだ」
天魔の延髄に、突き刺さる穂先。立ち上がりかけた四肢はやがて力を失い、天魔の体が輝く砕片となって四散する。
その背後では疾走から一角の突撃へと入ろうとする別の角狼。標的はリュシアン。先に半面を潰された一匹だ。
重々しい衝突音。突撃からの一角攻撃は、しかし間に入った美琴が掲げるランタンシールドの中央で受け止められていた。
「ふん、甘いのよ」
攻撃には慣れなくても、相手の攻撃を受け止めるくらいなら十分な力が彼女にはある。
「そういう事だ」
常に十分な相対距離を開け、仲間の位置を常に計算に入れていたリュシアン。自身の防御が心許なくとも、それが可能な仲間にフォローして貰えばいいのだから。
彼の銃口が動きの止まった標的へ立て続けに弾丸を撃ち込む。
衝撃に吹き飛ばされた最後の一匹は、横倒れになり、やがて他と同様に四散した。
戦闘の終了を確認し、システムアナウンスが全員のログアウト準備を告げる。
やがて一人、また一人と荒野から虹彩と化して姿を消し――無味荒涼とした荒野が後に残されていた。
●
『よう、帰って来た気分はどうだい?』
現実世界へと戻った彼らの耳に、スピーカーを通して新牢の声が響く。
「ふむ…少し、頭が重いかの?」
「うーん、それになんだか、だるいよ」
星治と美琴が続け、他の者も同様の感想を述べる。
『うーん、だろうなぁ。いや、やっぱ現役の奴らは反応速度が違うわ。メインフレームからのレスポンスが遅れがちでな。お前さんらのデータを元に、今フィードバックかけてるとこさ』
おかげで、いいデータが取れたよ、と笑う。
『さて、お疲れさんだ皆。とりあえずシャワーを浴びてすっきりしてくれ。ちょっとした食事も用意させるからな』
「それはありがたいですわ」
ヴェルゼウィアが嬉しそうに頷く。
意識が戦闘状態だった為か、肉体にも多少反映されて汗を掻いていた。シャワーを借りれるのなら願ってもない。
「そう、ね。私も」
「あたしも」
氷冥と美琴も異存なく。
「それじゃ、一風呂浴びるとするか」
「風呂じゃないぜ、シャワーだ爺さん」
「着替えは、頼んで持って来て貰いましょうか」
十朗太、星治、リュシアンもまた三々五々に言い合いながらシミュレーター室から出て行く。
ふと、最後になったヴェルゼウィアは背後を振り返って装置を眺める。
「中々貴重な体験でしたわね」
●
深夜、研究室で残業する人影があった。
依頼者でもあった新牢 柵郎である。
(…ふーむ。引退した奴らと、現役の奴ら。反応速度の違いもだが、それだけでああもデータがずれるもんだろうか?)
検証データをパソコンで比較にかけたグラフを見つめながら顎を撫でる。無精髭で相変わらずザラザラとしていた。
(アウルしかり、人の精神しかり。まだまだ分からん事だらけだからな、研究のし甲斐はあるさ。いずれ久遠ヶ原のネットサーバーに上げて、誰でもシミュレーターを利用できるようダウンサイジングをかけていければ…もっとデータは集まる筈だ)
だがその為には、まだまだテストをする必要があるだろう。当然、予算もかかる。
(学園長と生徒会にまた談判にいかにゃあなぁ…でもあの生徒会長、おっかないんだよな)
ぶるっと首を竦め、何かを忘れるように首を振る。
この日も夜明けまで、研究室の灯が消える事はなかった。