「これは当該都市の資料です、目をお通し下さい」
手渡された資料をクライシュ・アラフマン(
ja0515)と鳳 静矢(
ja3856)は検分する。
「支部からも探索専門の国家撃退士を派遣しておりますので、何かあれば連絡を。連絡方法はこちらに記載してあります。仮に天魔と遭遇した場合、市内での戦闘行為は極力避けて頂きたい。相手から交戦を仕掛けられた場合は別とします」
「了解だ」
「解っている」
確実に天魔が居る確証があればすぐに避難令も出せるのだが、今回のケースではそれも出来ない。
後手後手に回らざるを得ない、宮仕えの歯痒さがあった。
●デパート
デパートのフードコート。
普段抑圧している己を解放した唐沢 完子(
ja8347)は、休日の時の姿、「アリス」として訪れていた。
「♪〜」
今まさにアイスクリーム10段タワーを築き上げ、ご機嫌に振り返る。
黄金率ともいえるバランスのアイスの天辺に口をつけようとして。
「きゃぅ!?」
丁度、柱の陰から出てきた人影と見事に衝突した。
「むっ」
転倒しかけた小柄な完子の背を、咄嗟に抱きかかえる様に腕を回して誰かが支える。
「ご、ごめんなさい!」
反射的に瞑っていた目を開けると、怜悧な美貌が彼女を見下ろしていた。
「こちらこそすまない、大丈夫か?」
「はい、大丈夫なのです…あっ!」
気がつけば、持っていたアイスは目の前の女性のワンピースにべっとりと付き、床に滑り落ちていた。
「流石に、そちらの救助は間に合わなくてな」
視線に気づいた女性が、小さく苦笑して見せた。
「本当にごめんなさいなのです」
服飾売り場の更衣室へと案内し、完子は謝罪する。
「お互い様だ、幸い着替えは持ち歩いている」
女性が更衣室へと入り、カーテンが閉められる。
(あ、そうなのですっ)
外で待っていた完子は、何を思ったか再びフードコートへ駆けて行った。
(母様に無理やり持たされた着替えだが、こうなると先見の明という奴ね)
ベルトを緩め、肩口から抜き出したジャージーワンピースを足元に落とす。レースをあしらった白い下着に包まれる裸身は、鍛錬によって引き締まりながらも、女性らしい柔らかさを十二分に備えていた。
脱衣した服を送還し、新たに召喚したノースリーブの白いワンピースを身に纏い、フリスレーレは更衣室を出る。
「はいなのです☆」
その目の前に突き出されたのは、一段のアイスクリーム。
「これは?」
「お詫びと、せっかくなので一緒に食べたいと思いまして。ダメです?」
暫く、無邪気な完子の笑みとアイスを交互に見比べ。
「…では、遠慮なく頂こう」
ほんの微かに微笑して、彼女はそれを受け取った。
「あ、私はアリスなのです☆」
休憩用に設置された長椅子の一つに揃って腰掛、完子が名乗る。――尤も、本名ではないが。
「私は…フレスと言う」
使徒もまた偽名を名乗る。
「髪とか黒いですけど、ハーフさんですか?」
「そ、そうだな」
咳払いを一つ。如何に髪や瞳の色を変えようと、日本人離れした顔立ちまでは誤魔化せない。
「今日は、お買い物に来たのです?」
「いや、少しばかり観光…というか文化見学というか。あちこち見て回っていた所だ」
「なるほどです」
食べ終わったアイスの包み紙を手近なゴミ箱に放り入れ、ぴょんと椅子から跳ね起きた。
「でしたら一緒に遊ぶのです☆」
「お、おい?」
強引に彼女の手をとる完子。
「私は遊びに来た訳では…」
「娯楽も立派な文化なのですよ☆」
それから二人揃ってファンシーショップや物産展、果てはゲームコーナーまで回る。
「せっかくなので、お土産にこのテディベアを買ってあげるのです☆」
「いや、そこまでして貰う理由がない」
ヌイグルミを物色していた完子が突拍子もなく言い出すのを、さらりと断る。
「私があげたいのです〜」
「ダメだ、受け取れない」
元々、真面目が服を着ている様な性格のフリスレーレは、理由なく他者からの贈り物を受け取る性分ではなかった。
強引に薦める完子だが、頑なに断り続ける相手にしぶしぶ諦める。
「むー」
「すまない。でも気持ちは受け取らせて貰うわ、ありがとう」
(あれ?)
それまで硬かった彼女の口調が、ほんの一瞬だけ柔らかくなった様な気がした。
●美術館
(…うにゅ?あれは…)
飯島 カイリ(
ja3746)が休日をこの街で過ごしていたのは偶然だった。
散歩中、すれ違う視界の端を掠めたその顔が、彼女が知るある人物とよく似ていて。
(…見間違い?)
こっそりと、少女はその人物の後を追い始めた。
この街の美術館で、ある海外の故人画家の作品展が開かれるとネットで知った牧野 穂鳥(
ja2029)は、休暇を利用して訪れていた。
(あら?)
駅からの道すがら、前方に妙な人影を見止める。日傘を差した女性らしきそれは、十字路で右に行ってはうろうろ、左に行ってはうろうろ…有体に言って、道に迷っている風にしか見えなかった。
「あの、どうかされました?」
彼女自身、土地勘がある訳ではないが素通りもし難く、そう声をかけた。最悪、駅前の交番位なら教える事も出来る。
「あ、ああ…その…実はだな」
声に振り向き、傘を上げた女性は一見鋭く整った顔立ちをしていたが、今は眉根を寄せ、ほとほと困り果てた表情を浮かべていた。
「ここに行く道が解らないのだ。往来の者に聞きながら来たのだが…」
観光パンフレットの一点を指差す。簡略化されたそのマップでは、確かに細かい道は解りそうになかった。
「ああ、美術館に。実は私もこれから向かう所なんです。よければご案内しますよ」
それを聞いた女性の顔が、ぱっと明るくなる。
「それは助かる、お願いしてもいいだろうか?」
「ええ、ではご一緒に」
季節柄、程よく空調の聞いた館内。
成り行きで穂鳥は女性と共に作品展を回っていた。
「…やっぱり!ふりすねぇだぁ♪」
突然、静かな館内に響く歓声。びくりと肩を震わせて硬直した女性に、穂鳥はいぶかしげな視線を向ける。
背後からパタパタと近寄る足音に振り返ると、中学生位に見える少女が駆けてくる所だった。
「あの子…お知り合いですか?」
「い、いや、知らない。私は知らないぞ」
態度があからさまに知っていると語っている様な物だったが、敢えて穂鳥は追求せず、成り行きを見守る。
二人の前に回りこんで正面に立つカイリは、改めて女性の顔を見て表情を綻ばす。
「ふりすねぇ!こんな所で会えるとは思わなかったよ♪」
「ち、違う、私はふ、フレス・ウェーグという。お嬢さんは、誰か知り合いと勘違いしているようだな?」
カイリと顔を合わせるのを避けるように、背を向ける女性。だがそれ追って、再び正面に回りこむカイリ。
「…はえ?そう言えば髪の色とか眼の色とか〜?」
「‥‥」
誤魔化されてくれるか、と淡い期待をしたのも束の間。
「ふりすねぇ、イメチェンしたんだぁ♪ それも似合ってるね☆」
「だから別人だと言うのに…」
顔を覆って肩を震わせる女性の様子に、苦笑しながら穂鳥が仲裁に入った。
「ええと…事情は分かりませんが、ともかく美術館で騒ぐのは頂けませんから。話の続きは、見て回った後でという事でどうでしょう?」
その言葉に。
(…見終わったら即戦略的撤退をさせて貰う)
と固く心に誓うフリスレーレであった。
「こんな絵がゆっくり描けるとか…良いなぁ」
回廊に沿って展示されている幾つもの絵画を三人で鑑賞して回りながら、カイリが憧憬を込めて呟く。
「…美しいです、よね。例えば写真は、被写体そのものをフィルムに焼き付けます。焼き増しする事で複製も可能です。ですが…」
一行が立ち止まる。その正面には、つがいと思われる野鳥が枝に止まり羽を休めている風景が描かれていた。
「絵画とは、筆を取る人の心というフィルターを通してキャンバスに再構成されたもの。或いは、完全に心の内から現れ出たもの…。同じ物は決して、世界に二つと作り出す事は出来ない」
どこか熱に浮かされた様に、嬉しげに熱く語る穂鳥を見やり、女性は小さく微笑する。
「まるで命の様だと思いませんか。私は、そこに惹かれるんです」
「本当に好きなのだな、絵が」
慈しむ様な女性の視線に、我に返って恥じ入る穂鳥。
「…二つとなく…残される物、か」
小さな呟き。そこには僅かだが、懊悩の翳りが滲んでいた。
「もう行かれるのですか?」
「ええ、まだ行く所もあるし。貴女には心から感謝を。門外漢の私だけれど、貴女のお陰で楽しかったわ。それと…」
満面の笑みで腕に縋り付くカイリを乱暴にならない様に振り解き、向かい合う。
「私は、そのフリスという御仁ではない。本当に、本当だぞ?」
「うん、分かってる!だからまた遊びに来てくれる、ふりすねぇ?」
やっぱり無駄だった。
「あ、これは来館者に記念で配っているパンフレットみたいです。よろしければ」
穂鳥が差し出すそれを受け取って、手提げていた紙袋に納めた女性は深々と腰を折り、穂鳥もそれに倣って互い別れを告げる。
(何か、妙な気配を纏った人でしたね)
ぶんぶんと大きく手を振るカイリと、遠目になる背中を眺めながら、穂鳥はポツリと呟いた。
「…そういえば道、大丈夫なのかしら」
●郷土資料館
「おや、おやおや。これは奇縁、偶然、奇遇。誰かと思えばミスタじゃないか」
見覚えのある奇異な姿を見かけたジェーン・ドゥ(
ja1442)は、軽く手を上げて目前の青年に声をかけた。
反応して振り向くのは顔面一切の造作を持たぬ白面、を被ったクライシュ。二人は知り合いだった。
「…ジェーンさんか」
「何ともはや、浮きに浮いたりだね、ミスタ。何故こんな場所に?」
尤も、ジェーンも周囲から浮くと言う意味ではクライシュと大差なかったが。
「任務だ。そちらこそ何の用だ?」
「これは異な事を。古いものは好きさ。物も伝承もね。何より、涼しいのが良い」
一息つくようにひょいと取り出した飴を咥え、ジェーンは続ける。
「あと、ここのカフェの“白○ま”なる氷菓が美味しいと聞いてね」
「…暇な奴だな」
「放って置きたまえ。それよりミスタ、折角だからエスコートしてくれないかな?」
「任務で来ていると言っただろう」
「そこはそれ、序で構わないさ。さあさあ」
ウインク一つ、強引に彼の肩を押し始めるジェーン。
これ以上抗弁しても無駄と悟り、クライシュは口外と邪魔をしないよう釘を刺して同道を認めた。
周囲を警戒しながらも、文化財や資料に関する解説を律儀に述べるクライシュの声に耳を傾けながら、ジェーンは周囲を見回す。
「ミスタ、ミスタ。見てごらん、あんな所に難しい顔したお嬢さんがいるよ」
「?」
つられて振り向けば、郷土戦史コーナーに立ち尽くして、解説を凝視する黒髪の女性の姿があった。
「それがどうしたんだ」
「いや、特に如何したと言う訳でもないんだ。けど何か、引っかからないかい?」
とんとんとこめかみの辺りを指先で叩いてみせる。改めて見直せば、確かに妙な違和感を感じる…気がしないでもない。
明確な言葉で示せるような類ではない、予感とか、第六感とか言う物だ。
「一つ、声をかけて見るかい?」
「いいだろう」
背後に接近する気配を感じて振り向いたフリスレーレは、一瞬ぎょっとして一歩退いた。
いきなり怪しい面を被った人物と、真夏にコート姿の人物に声をかけられて驚かない方が少ないだろうが。
「やあやあやあやあ、お困りかな可愛らしいお嬢さん」
「貴女も地元の文化に興味を? 奇遇だな」
日常で対面して、これほど警戒心を抱かせるペアもないだろう。常識的に。
女性は何気ない所作で、しかし二人に対して退路を確保する位置に移動した。
「いや、少々文字が読み辛くてな。それもどうにか読めたので、失礼させて頂くよ」
半歩半身翻し、告げる。
「なるほどなるほど、それは良かった…それにしても」
ジェーンが口元を妖しく歪ませる。
(可愛らしい、可愛らしいお嬢さん、とても興味を惹かれるね。その首を跳ねたら、どんな表情をしてくれるのかな?)
そう思った時には、無意識に利腕が霞み――。
「何を考えている」
致命的な行動の寸前に、隣に居たクライシュがそれを押さえた。
「…おっと、ごめんよミスタ。つい、ついね?」
「まったく」
二人のやり取りを背後に、何も気づかない風に歩き去る女性――だが。
『そのまま大人しくしていなさい。周囲の人間を巻き込みたくないのなら』
不意に送り込まれる、一方的な思念にぴたりと動きを止める二人。郷土資料館は、夏休みだけに普段より多数の来客で賑わう。
それを盾にされる形になっては、迂闊に仕掛ける事も躊躇われた。
「ミスタ…」
「ああ」
咄嗟に去り行く女性に、識別の術式を起動するが効果は及ず。暫くして、その姿が視界から消えた。
「やはり人ではなかったようだね。まあ些細なことさ」
「まったく些細ではないが…見失ったな」
後を追って資料館を出た時には、既に影も形もなく。
「さて、僕は予定通りアレを食べに行くけれども。ミスタはどうする?」
「…マイペースな奴だ。俺は連絡を入れた後、奴を追う」
走り出すクライシュに肩を竦め、再びジェーンは資料館へと戻るのだった。
●公園
(静かだな)
夕闇に覆われる市外を歩きながら、静矢は一つの術式を起動する。
結果としては空振り。そのまま歩みを止める事無く、大通りを抜けた。
天魔発見の報が齎されてから数時間。外見情報に似た通行人を識別して回るも、成果はなく。
どこかで暴れていると言う報告も届いては居なかった。
(天魔が密かに動く理由、か)
考え込みながら通りかかった公園の前。何気なく顔を上げると、正面から歩いてくる人影を見止める。
情報にあった通りの姿が。
「こんにちは、散歩ですか?」
何気ない風を装って声をかけながら、術を起動した直後、約2mの距離を開けて相手は立ち止まった。
その表情が、朱に染まる空の下で冷たく冴える。
「今日思ったのだがな」
フリスレーレは一つ頭を振る。その瞬間、煌きを生じさせながら頭髪が蒼銀を取り戻し、瞳が瞬きと同時に蒼く染め上がる。
「貴公らは初対面の相対に際して、不自然極まりない。そもアウル操作の気配を感知出来ないとでも思うか、我らが?」
「それもそうですね」
頷き、静矢は自然体で対面する天魔を見つめる。互いに殺気も闘気も発せず、交戦の意思も見受けられない。
「…私は鳳 静矢と言います、貴女は?」
「フリスレーレだ。急いでいるのでな、もう行って構わないかな?」
否と応えれば、その瞬間全力で叩きのめす心算だった。恐らくは20秒とかからない。
「その前に。人間が望めば、争いを望まぬ天魔と共存も出来ると思いますか?」
相手は無言。そのまま彼の傍らを通り過ぎる。
溜息を吐き、歩き出す静矢。
「望んだからとて、叶わぬ道理もある」
振り返ったそこに、既に姿はなく。
二日後、天魔捜索は打ち切られる事となった。