「おや、通ってしまいました」
帰宅して確認した郵便受け。アルバイトの採用通知を目にし、シルヴィア・エインズワース(
ja4157)は自室で一人ごちる。
書面を追う青い瞳の動きに合わせ、微かに頭が動き、細い金の髪が擦れる。
「何かの縁ですし、行ってみましょうか」
バイト先への道すがら、獅堂 遥(
ja0190)はふと背後を振り返った。
「喫茶店…今度は友達とこれるといいな」
呟く彼女の視線の先、明るくなり始めた朝の風景の中に学園の高等部棟が透かし見える。
すぐに身を戻して、また駆け出す。後ろに編んだ長い三つ編みが追う様に宙に靡いた。
中等部の女子寮を出た神喰 茜(
ja0200)は、門を出た所で大きく息を吸った。
まだ朝方は涼しさがあるが、お昼頃にはまた暑くなるのだろう。
(アルバイトもたまにはいいよね。最近斬りまくってばっかりだったし)
それは嫌いじゃない…どころか大好きなのだが息抜きも必要。
勿論、仕事は三日間しっかりと勤める心算だった。
丁度その頃。
機上の人であった霧雨はシートに身を預けながら、ふと面接の時の事を思い出し。
「ぶふっ、くっくっく…」
いきなり噴き出し、他の客から奇異の目を向けられて。
「いや、失礼。少し思い出し笑いを。お騒がせしました」
それはフレイヤ(
ja0715)との面接を思い出したからである。
(久遠ヶ原には色々な人が居ますが、彼女はまた格別ですね。思わず採用しちゃったじゃないですか)
一見真面目に見える彼だが、実の所面白い人間は大好きである。自身がユーモアに向かない事もあり、そういった人柄には惹かれるのだ。
(他も凄いけど、『リア充ではないです』なんての自己PRで書く人は初めてですよ)
くすくすと笑いが漏れ、また周囲に不審がられる事になったが。
(いつか、良き出会いがあるといいですね)
●一日目
貸衣装で借りたウェイトレス服は、三名がブリティッシュメイド風。季節が夏だけに通気性の良い生地で紺色、肩はパフスリーブの半袖ワンピース。ふんわりドレープが掛かった膝下ロングスカートに同じ丈まである胸当て付きエプロン。そしてレース飾りのついたカチューシャのホワイトブリム。
対してフレイヤは、大正の女学生服風。菫色の着物に白い水仙の花が刺繍され、紺の袴を穿き、エプロンは共通の物。通気性が良い様、所々脇等の繋ぎの部分にメッシュが使われている。
「一人だけ違うんだ?」
更衣室で、普段は自然のまま流している髪を後ろで纏め、ポニーテールにしながら茜はフレイヤに声をかける。
「このフレイヤ様が凡百に埋まるはずがないわっ」
腰に手を当てて胸を張って言い切るフレイヤ。ふーんと相槌を打つ茜。
「フッ、正直これまでバイトとか一回もした事ないけど楽勝ね!料理とかカップ麺にお湯注ぐのが限界だけど楽勝ね!」
と更に胸を張って言い切った後。
「…楽勝、ですよね?」
「私に聞かれても困る」
不安そうに年下に伺いを立てる彼女に、茜は眉間を押さえて答えるしかなかった。
その後、厨房を借り、食材の中から季節のフルーツを選びだしてフルーツタルトを作り始める茜。
「〜♪」
普段は斬ったはったを好んでいても、こういう姿は実に可愛らしかった。
既に着替え終わった遥は厨房で器具や材料の確認、シルヴィアは――。
「どれにしましょうか♪」
楽しげな鼻歌交じりで、備え付けのジュークボックスに自室から持ってきたCDをセットしていく。因みに店長の趣味で、レコードとCDの二種類が雨音にはある。
落ち着いた気品を感じさせる音色が店内に流れ始める。
「うん、いい感じですね」
「それじゃ、中は私とシルヴィアさんで。フレイヤさんと茜さんは、外の掃除をお願いしますね」
「おっけー、任された!」
「うん、いいよ」
開店前の店内外の掃除。請け負った二人は箒と塵取り、窓拭きを手に外へと出る。まだ6時前だというのに、外は結構明るくなっていた。
「じゃ、私は窓拭いてくるね」
「はーい、いってらっせい」
箒を片手に、割と一生懸命に掃除を始めるフレイヤ。だが中身は。
(コーヒー喫茶でバイトするとかマジ私リア充じゃね?)
等と考えていたりする。
(こういう所は、イケメンが勉強してる場所と風の噂(いんたーねっつ)で聞いたの。と言う事はつまりこういう事だな)
【私が喫茶店でバイトする→イケメンと出会う→結婚!】
(さすが私、一分の狂いもない計画ね!ばっちこい、イケメン!)
色々突っ込み所満載な気もするが、本人が楽しそうなので良いのである。
「こっち終わったよー。…ニヤニヤ笑うのはいいけど、それお客さん逃げちゃうよ」
戻ってきた茜に冷静に突っ込まれたけど。
「ん、お前達?…おお、そうか、彼が言っていたバイトを雇うというのはお前達か」
そうこうする内に、この日最初のお客である中等部教師が店の前の二人に声をかける。
「「あ、いらっしゃいませ」」
声を合わせて答える。
「君は確か二年の…神喰君か。はははっ、そういう格好は珍しいな。では寄らせて貰うよ」
カロラン、カラン♪
「いらっしゃいませ!」「ぁ…い、いらっしゃいませ」
カウンター内に居た遥がはきはきと、テーブル拭きをしていたシルヴィアがやはり慣れない経験なので、若干もじもじと。
「ふむ、偶にはこういう華のあるのもいいな」
二人の出迎えに普段とは違う新鮮さを味わいながら、カウンターへと腰を下ろす。
「いつもの…じゃ、流石にわからんよな。モーニングのAを頼むよ」
「畏まりました」
笑顔で請け負って、厨房に下がる遥。レシピは付箋として厨房の見易い所に這ってある。マスターの心遣いだった。
「Aはトーストとポテトサラダ、アメリカンにサービスのヨーグルトか」
「お冷です」
「おお、すまんな」
シルヴィアが運んできたコップを受け取り、一口つける。金の髪がサラサラと流れ、メイド風の服によく映える。
(やれやれ、年甲斐もなく落ち着かんな。こう美人ばかりだと)
内心苦笑しつ、楽しみつつ朝食を済ませ、出勤して行く。
「いってらっしゃい、今日も一日頑張ってね」
見送るフレイヤの笑顔に、これも悪くないと思いながら。
放課後、六道 鈴音(
ja4192)と水城 秋桜(
ja7979)が様子を見に立ち寄っていた。
「水城秋桜ですっ!よろしくねっ」
「秋桜さん、声大きいって」
彼女の声に店内に居た客の二人が目を丸くし、慌てて窘める鈴音。
「ああ、なんでもないんです。失礼しました〜」
とりあえず秋桜を控え室に押し込み、残る全員で笑って誤魔化しておいた。
●
(喫茶店でバイト=ウェイトレス=乙女!
乙女への第一歩はこういう所から始まるんじゃねっ!よしっ!俗に言う女子力とか言うの発揮して頑張るっ!)
見学して帰宅した秋桜は、意気込み燃え上がる。だが彼女は自覚していなかった。自分にはそんな物がないという事をっ(現実は無情)
(軽食のレシピ本を『立ち読み』したけぇばっちり!作れる様になったら、彼氏に食べて貰うけぇね!)
その前に彼氏を作るあてはあるのだろうか。
(有名な喫茶店でウェイトレスの勉強も(実際は食事しただけ)してきたし、準備はばっちりじゃけぇ!)
色々心配満載であるが、何に対しても勢いを持つのは彼女の美点でもある。
自室に戻った鈴音もまた、明日からのバイトの事を考える。
(雨音でバイトかぁ…豆からコーヒー淹れるの初めてだなぁ。ちょっと勉強しとこう)
ネットでそれ関係を検索し、知識だけでも予習しておく。実践は明日から。
「お店の評判を私が落とすわけにいかないもの!」
店長は『気楽にやっていいんですよ。常連さんは気安い方々ですから』と言っていたが、正式に請けた仕事に手を抜いたりできる性格ではない彼女だった。
●二日目
(うはぁ、可愛いけぇ♪うちじゃないみたいじゃねっ!これぞ乙女っ)
更衣室の鏡の前で、メイド風ウェイトレス姿の自分にほくそ笑む秋桜。ニヤニヤが止まらない彼女に、他の三人は苦笑する。
「みんな!乙女目指し…バ、バイト成功させようねっ!」
「ふははっ、乙女止まりなどまだまだ甘いわよ!やるならイケメンゲットして、ついでにバイト料ゲットね!」
対抗して何か漏らすフレイヤ様。
「この人達は…」
「はい、ふたりとも。後輩が見てますから大人に戻りましょうか」
パンパンと手を叩いて場を締める遥。そんな彼女も鈴音と同じく高校生であるが、大学生二人がこれなので仕方ない、仕方ないの事。
「ウェイトレスさーん、こっち注文!」
「はーい、少しお待ちくださいねー」
ぱたぱたと駆け回るフレイヤ。仕事中の彼女は、中々しおらしい。
レジも料理も出来ないので、自分が出来る仕事には真摯に勤めていた。
ノリや内心はどうあれ、本名:田中 良子はいい子なのである。若干腐っても居るが。
「へいらっしゃい!今日は活きの良いお嬢ちゃん一杯だよ!」
外に出て呼びかけると全てが台無しになっていたけれど。
どこの呼び込みですか。店長が居たら笑顔で拳骨くらい落としていたと思われる。全力で。
商店街の住人は、そんな彼女を微笑ましく見守っていた。
カロラン、カラン♪
「いらっしゃいませー…はっ、イケメンきたーっ」
「へ?」
唐突にそんな事を言われ、面食らう来客。確かにちょっと文系で線が細いが、涼しげな目鼻立ちの好青年である。
「いらっしゃいま…あわあっ!?」
イケメンの言葉に反応し、秋桜も満面の笑顔で出迎え…ようとして足をも攣らせて倒れこむ。傍にいたフレイヤの袖を掴んで。
「っちょ、なにきゃーっ!?」
どどすんっ!
諸共に床に伏す二人。
「いたたた…フレイヤさん、ごめ――?!」
謝りかけた秋桜が顔を真っ赤にして硬直する。
「もう、気をつけて欲しいわねっ!…あら?」
倒れた拍子、滑り込んだフレイヤの手が秋桜のスカートを用無しにする位捲り上げていたり。
掴まれた袖から着物の裾が開いて、フレイヤの胸元が、こう危険なほどアレしていたり。
「しししっ、失礼しましたけぇつ!」
我に返った秋桜は、慌ててスカートを直して立ち上がると何度も頭を下げた挙句、泣きそうになって控え室に駆け込んだ。
あっけに取られて見送る客とフレイヤ。
「…はっ!」
遅れて我に返るフレイヤ。恥ずかしいのは彼女も一緒だが、ここは大人の余裕で乗り切ろうと落ちついた仕草で服の乱れを直し、立ち上がる。
「お、お見苦し…じゃない、光栄に思う事ね!この私の…ぇぇと、その、ともかく光栄に思いなさい、いいわね!?」
最早脅迫じみた勢いで迫る彼女。顔が耳まで真っ赤に熟したトマトみたいになっていた。
「は、はぁ…ハハハ、面白い人だ。そうですね、光栄に思いますよ。俺も一応、男の端くれですから」
苦笑して頬をかく青年に。
「ぐぐくく…っ、一名様ですね、席はこちらへどうぞ!」
自棄になって席へと案内するフレイヤ。その後暫く、注文やらなんやらで、青年と結構話し込んだりしていた。
「ありがとうございましたー」
主に接客とレジを担当していた鈴音が、会計を済ませた客を見送る。
「…くんくん…。ねぇ、なんか焦げ臭くない?」
「え?…そういえば」
鼻を鳴らすフレイヤの声に彼女も気がつく。そういえばさっき秋桜が厨房に…?
「まさか?」
「ふぇええ、何でじゃろ、ちゃんとレシピどおりに作ったんじゃけど…」
案の定、厨房では黒焦げのホットケーキを前にぐったり項垂れる彼女の姿。
「…ここは私がやるから、秋桜ちゃんは注文きいてきてね」
宥め慰め、厨房から彼女を追い出す鈴音。最早どっちが年上か分らない。
交代でお昼休憩に入っていた遥が戻って、とりあえず秋桜は調理禁止と満場一致(本人除く)で可決した。
「うちの乙女への道が〜…」
「ええと、そうだ!今度一緒にお料理の練習しましょう、ね?」
落ち込む彼女を、そう鈴音は励ましたりしていた。
「こんにちはー、調子はどうですか?…って、どうかしたのですか?」
学校帰りに丁度立ち寄ったシルヴィアが、そんな彼女らに声をかける。
「ふぇ〜ん、聞いてけぇ、シルヴィアさん〜!皆してうちをいじめるんよ〜!」
「はい?ええと、いじめてるんですか?」
「「「いじめてませんっ!」」」
二日目も平和でした、まる。
●三日目
二日目となれば、仕事にも多少は慣れるもの。
「いらっしゃいませ。お二人連れですか?では、奥のテーブル席へどうぞ」
いい具合に肩の力も抜け、ふんわりと微笑んで来客の対応をするシルヴィア。そんな彼女の笑顔に見とれ、ポーッと案内されるままに席に着く大学生二人。
「本日のお勧めはこちらになります」
別のテーブルでは、依頼から帰って夕食に訪れた壮年の撃退士に、鈴音が手書きのお勧めメニューを差し出してアピールする。
「ん?ほほう、これはお嬢さんが書いたのか? …じゃあツナサンドを貰おうか。あとカフェ・モカを。マスターと比べるから覚悟しろよ?」
娘を見るような視線で、鈴音に注文を伝える客。
「は、はいっ!」
はやる気持ちを抑えて、厨房へ入る彼女は割烹着の帽子を被り、ぐっと拳を握る。
「料理は愛情よ!」
台詞が若干不安な所だが。
「大丈夫…私だって…女の子なんだから!」
「へぇ、これ君の手作り?」
「ええ、そうよ…じゃなくて、そうです」
「ああ、無理に敬語使わなくてもいいよ。じゃ、この限定フルーツタルトで」
「承りました♪」
可愛い女の子の手作りとあれば、そこは野郎であれば頼まずにはいられまい。ましてや数量限定品。
彼女のタルトは、初日の噂を聞いた男性客に瞬く間に捌けて、昼過ぎには終了。
そして、コーヒーを運んでいた秋桜。
何もない所で足をも攣らせて、またこけかける。その先にはお客さんが居て――。
「あわぁ?!」
店内の一角で上がる大声。
「な、なになに?」
慌ててレジを離れてみれば、今日のシフトではない遥が居て、倒れかけた秋桜とお客に向けて吹っ飛びかけたカップの載ったトレイを押さえていた。
「混んでないか気になってきて見たら…危ない所だった…」
「ふぇえ〜、ごめんじゃけぇ」
客もまた撃退士、コーヒー程度で火傷はしないが、実際に起きていれば拙かっただろう。
「えへへ…失礼しました」
鈴音は、一緒になって頭を下げフォローを入れた。
「ヘルプに入るね。店長には内緒」
そのつもりで代筆を頼み、様子を見に来ていたのだ。そうしておいてよかったと思う。
とは言え。学校側には店長がシフトに沿った届けを出していたので、その連絡は後できっちり入っていたりするのだが。
●
「…大きな失敗はなしと」
戻ってから数日、霧雨は常連さんから色々な話を聞いていた。
「評判は悪くなかったようですし…」
多少困った面もあったが、バイト初心者を雇う時点でそれは想定していた事。
「バイト料は…」
ぽんと電卓に叩き出される数字。受け取った彼女達がどういう顔をするか、それはそれで楽しみではあった。