●高虎 寧(
ja0416)のひと時
部屋は、応接室の様な上品に調度が整っていた。
座り心地のよいソファーに腰を落ち着け、薄蒼いサマーセーターと膝丈のフレアスカートを纏う寧は、ぼんやり物思いに耽る。
京都の大事も収束し、一息入れようと考えていた所で見かけたイベント。
「ふふ…楽しみ楽しみ」
彼女には先日の依頼でうやむやになった欲求があった。
「おまたせしましたぁ♪」
栗色の髪をソバージュにした、薄手のワンピース姿の女性が扉から入ってくる。
「この度はぁ、ご指名…じゃなかったぁ、ご利用ありがとうございます〜」
「あ、いえ、うちこそ今回はお世話になります」
ほんわかした笑顔でお辞儀をされ、寧も立ち上がって頭を下げる。
「今回はうちの相手をよろしくよ」
「あらあら、いいんですよ〜。どうぞぉ、お掛けなってくださいねぇ」
言われるまま腰を下ろすと、女性もぽふっと寧の隣、ソファの右端に腰を下ろす。
それから暫く、にこにこと彼女に顔を見つめられて。
「えっとぉ…確かぁ…――あぁ〜、そうでしたぁ♪」
何か言おうとした寧の機先を制し、手の平を打ち合わせて。
「はい、どぉ〜ぞ♪」
ぽんぽんと自身の太ももを叩いて示す。
(何しにきたのか忘れてたのねえ、この人)
思わず、くすくすと笑いが漏れた。
「あれぇ、ちがいました〜?えっとぉ、じゃあ〜…」
「違わないわ、大丈夫。それじゃ、遠慮なく〜」
頭を乗せようと寧が身を傾けると、支える様に女性の柔らかな手の平が肩と頭に添えられる。
ぽみゅん。
後頭部に当たる感触を音にすればそんな感じだろうか。布越しに感じる柔らかな弾力と人肌の温かさに、ふっと体から力が抜ける。
「一時間ほど寝るので、その間は本でも読んで貰ってて構わないからね…」
居心地ならぬ、膝心地。ぼんやりと見上げると、顔の上には女性のふくよかな胸が影をさす。
その向こうに慈母の如き微笑が寧を優しく見下ろして。そっと彼女の髪に触れる女性の手が、優しく梳いてくれる。
「楽しい夢が、見られますよぉに♪」
その詞に彼女も何かを返したが、後になって何を言ったのか思い出せず。緩やかなまどろみへと沈んでいった。
「…すー、すー」
無防備な寝顔で寝息を立てる寧を揺らさぬように膝に抱きながら、女性は小さく、古い子守唄を口ずさむのだった。
「――んっ」
ぱっちりと、体内時計は狂う事無く寧に目覚めを告げた。壁の時計もきっちり一時間。
「起きたわ。ありがとう、いい寝心地だった」
「どおいたしましてぇ〜」
相変わらずにこにこと。女性を見ると特に何かしていた様子もない。
「うちが寝ている間、何してたの?」
「寝顔をぉ、ずぅっと見てましたぁ〜」
「一時間?」
「はぁい♪」
(…何か変な寝言言ってなかったかしら。いえ、大丈夫…の筈よね?)
気を取り直し、何か飲み物が欲しいと告げる。
女性は部屋に備え付けの冷蔵庫から、よく冷えた清涼飲料水をコップに注いで寧に手渡す。
「ありがとう。ん……はぁ、冷たくておいしいわ」
「ふふ…、よかったです♪」
●紅華院麗菜(
ja1132)のひと時
(何かとっても楽しそうですの。折角見つけたイベント、存分に楽しませて貰いますわ)
麗菜の希望を受け取った受付の学生は、まず貸衣装の一室へと案内した。
貸し出された黒とグレーで配色されたショートラインのシックなドレスへと着替えると、二階の一室へと案内される。
大きく突き出たバルコニーに、落ち着きと気品を感じさせる調度品が揃う。サークルがこのイベントの為に許可を取って増改築された部屋の一つだ。
「お嬢様、お茶をお持ち致しました」
「お入りなさい」
ソファーに掛けて待っていると、扉をノックする音と共に若い男性の声。鷹揚に頷いて入室を許可する。
「失礼致します」
ティーワゴンを押して入って来る黒い執事服を纏った長身の青年。スマートでありながら逞しさを感じる肩幅に、知勇を兼ね揃えた鋭い面差し。
(こんな男性の方々…もとい、方に爽やかに女王様として傅かれる…これまたもとい、奉仕頂く…でもなくて、主従を越えた愛を囁いて頂く。グッドですわ!)
と、一見つんと澄ました令嬢を装いながら、内心にやにやが止まらない。
「本日は×××のアッサムで御座います。お口に合いますれば幸いです」
「そう、頂くわ」
優雅な所作でティーカップを受け取り、口をつける。元は旧家のお嬢様だけあって様になっている。
「…いい香り、それに味も」
「恐れ入ります」
主が満足した様子に微笑を浮かべ、腰を折る青年。それからスッと跪く。
「お嬢様に、折り入ってお聞き頂きたい事が御座います」
「許します、言ってみなさい」
「はっ…その」
暫く躊躇い、やがて意を決し。ワゴンの下に隠していた物を手に取り、少女へと捧げ持つ。
「私めは…愚かにも従者の身でありながら、仕えるべきお嬢様に思慕の念を抱く様になってしまいました」
敬意と忠誠から、立場も年齢差も超えて、敬愛する幼き主をいつしか一人の女性として。
「……」
「お嬢様になら、この身一生捧げる事を厭いません。どうか、この卑賤の身で貴女をお慕いする無礼をお許し下さい」
真摯な表情で告げられる告白の詞。演技だと分かっていなければ、ある意味危険である。
青年が差し出す薔薇の花束を、言葉を聞きながら、身体中に走るぞくぞくとした戦慄。
(あぁ…なんだか、こういう遊びが癖になってしまいそうですの…)
うっとりと蕩けた微笑を浮かべて花束を受け取る麗菜。
「そこまで言われては仕方ありませんわね。この私に一生仕える事…じゃなくて、愛する事を許しますわ」
齢九歳、将来がちょっと怖い少女であった。
●由野宮 雅(
ja4909)のひと時
目の前に広がるのは、荒涼とした瓦礫連なる風景。尤も、本物ではない。
魔法技術と映像技術が無駄に駆使された最新鋭の立体映像らしい。人工の風に彼の銀の髪が靡く。中々芸が細かい。
(まあ、やるだけやりますか)
興味本位で参加した雅の内心は、そんな感じだ。
「あ、こんな所に!」
声に振り向けば、岩陰から小柄な身体をタンクトップとショートパンツに包みんだショートカットの女性が現れる。
「まったく、探したじゃない。何してたの?」
「…いや、風景を見てただけだよ」
「ふ〜ん」
後手に組み、傍らにまで歩み寄ってくる女性から視線を外し、黒瞳は再び景色を眺める。
「あんたっていつもそうねぇ、澄ましちゃって、『これ以上入ってくるなー』ってロープ張られてるみたい」
くつくつと笑う彼女に、苦笑してみせる。
「でもさ――」
そっと背中に押し付けられる女性の身体。甘い体臭と仄かな香水の香り。
「少しは、踏み入らせてくれないの?私じゃ、貴方の背中は支えられない?」
縋る様に回される両手。それを反射的に抑えて、雅は彼女から身を離して振り向く。
「ん…戦闘があって気持ちが高ぶってるから、聞かなかった事にしておくよ」
言って、微笑む。
「…ちぇっ。今回はいけるかなーと思ったのにぃ」
ぷくっと頬を膨らませる彼女の幼い所作に苦笑する。どちらが年上かわかりゃしない。
「それに、俺よりいい人はいますしね」
一般に、危機を共に乗り越えた男女は恋に落ち易いとされている。その分熱が過ぎれば冷め易いとも。
「仕方ない、ここはおねーさんが潔く退いてあげよう!でも、月のない夜には気をつけてろっ」
ばんっ、と手で撃つ真似をして片目を瞑る彼女。
「それは怖い。精々用心して置きますよ」
「ちくしょう、余裕じゃねーかこの野郎っ!」
拳を打ち合わせ、お互いに笑って。女性は、背を向けて歩き去った。
●アリーセ・ファウスト(
ja8008)のひと時
(はは、これは中々面白そうな催しだね)
彼女は、普段の薄い笑みを僅かに深くする。
「せっかくだ、ボクも遊ばせて貰おうかな」
この時、一人の青年の不幸が確定した。
「その黄金の瞳に射抜かれた時、俺の心はもう、君から離れられなくなっていた」
優男風の美青年が、アリーセの耳元で甘く囁く。
「愚かな男の妄言と笑ってくれてもいい、だが君は俺の女神なんだ。どうかずっと、君の傍にいさせて欲しい」
切々と囁かれる睦言を聞きながら、彼女は心地よさげに目を細める。偶にはこういう立場も悪くない。
だが、受身を続けるとそれも飽きてくるもの。
ちろりと一瞬舌先で唇をなめたアリーセは、傍らに座る青年に突然しな垂れかかった。
「お、おい、君?」
「どうした、続けたまえよ?」
媚びる様な視線で上目遣いに見つめる。
彼のシャツの上から、意外に引き締まった胸板を弄る様に撫で、布地に爪弾く。
「――ッ」
「これは演技。そう、ボクと君は、お互いに捥いではならない果実だ」
言って彼の耳元まで唇を近づけ、つっと突き出した舌でその耳朶をなぞる。
ぞくりと、背筋に走る感覚に身を固くする青年。
「ボクも鬼じゃないから、抱きしめるくらいは許してあげるよ。さあ、演技を続けようじゃないか」
くすくすと艶やかに笑い、人差し指を舌で濡らす。それをつぅぅーっと青年の首筋にあて、頚動脈に沿って這わせる。
「時に愛は爛れた肉に変わり、腐れていくそれは更に甘くなるものさ。そうだろう?」
「悪乗りしすぎだ。男をからかうと、痛い目を見るぞ?」
時にこういう状況が発生する事もない訳ではない。だからこのボランティアに参加する男女は、サークルの中でも特に自制心の強い者達で運営されている。
「まあ、そうなったらそうなっただよ。でもボクの見る所、君は安全パイ。違うかな?」
「…さっきの女神の部分は取り消そう。君は魔女だ」
「ありがとう、ボクにとっては褒め詞だよ」
青年の太ももを撫でながら艶然と笑うアリーセ。
自尊心とサークルの名誉の為、彼と彼女の戦いが始まった。
「ふふっ、大満足だよ。慈善奉仕されるっていうのはいいものだねぇ。ぜひ定期的に催してほしいなぁ」
腰まである髪の乱れを両手で流し、身繕うアリーセ。
(君の担当は二度と御免だ)
地獄の生殺しを耐え切り、ぐったりソファーに凭れた青年が片手で顔の上半分を覆って息を吐く。
「これはお礼だよ」
不意に傍に感じる気配。。
「ん…」
薄い柔らかな唇が青年の頬に一瞬触れて、離れる。
「これに懲りず、何時かまた相手をしてくれたまえ」
仄かに上気した頬を心地よく感じながら、彼女は颯爽と部屋を後にした。
この後、青年は暫くサークルに出てこなかったらしい。
●アスハ=タツヒラ(
ja8432)のひと時
「アスハ=タツヒラだ。今日は宜しくお願いするよ、レディ?」
「あ、はい!こちらこそ、その、よろしく…」
彼を見つめ、ポッと頬を染めて俯く信濃に微笑みながら、アスハは彼女に飲み物を勧めた。
時は少し遡る。
「へぇ、面白いイベントやってるんだな。でもまぁ、僕は恋人がいるし」
通り掛かりに覗いて、話の種にしようと思っていただけだったのだが。
「あ、君、今手が空いてるね?」
「は?」
「いや、丁度よかった。希望者がいてね、時間が今しか参加できないらしいんだ」
そう言ってぐいぐい引っ張られて。
「ちょっと待ってくれ、俺はちが――」
「この部屋だから、設定はお任せで宜しく!」
「おい、人の話を!」
そそっかしい男は、問答無用に彼を部屋に放り込んで扉を閉めてしまったのだった。
で、現在。
(…まぁ、癒されるよりは、癒す方が向いてるか)
無理やり自分を納得させて、彼は少女の隣へと腰掛ける。
「ぁ…」
びくり、と身を竦める信濃。
年齢=彼氏いない暦の彼女は、そも男性に対する免疫がない。男友達は小学校の頃が最後である。
「大丈夫だ。僕は君が嫌がる事は何もしない。約束する」
「す、すいませ…そんな心算じゃ…あぅ」
相手の顔を見ようとして、ぼふっと顔面が沸騰する。血の様な赤い髪、片目だけが覗く金の瞳。
真面目一辺倒で生きてきた彼女には、刺激が強すぎる美青年だった。
(どうしようどうしよう、勢いで来ちゃったけど何も考えてなかったしこんなカッコいい人がくるなんて心の準備があああっ)
完全に舞い上がって、顔を両手で押さえてぶんぶん左右に振る。そんな彼女の様子を見て、思わず笑いが漏れた。
「はははっ、面白い子だ。とりあえず落ち着いて、ゆっくり話をしようか?」
「はうぅ…はいぃ」
やがて他愛のない世間話に気持ちを解された彼女は、訥々と語りだす。
流石に原因を具体的に話す事が出来ないので、同性の後輩に執拗に迫られた事。
漸くそれから解放されて…と大雑把に。
話を続ける間、少女の暗く沈む表情を見守っていたアスハは、ぽんと彼女の頭に手を置き、そして抱き寄せた。
「――ッ」
「辛かった、のだな…」
離れようとするなら、無理強いする心算はない。
ただそっと触れるか触れないかほどに、彼は信濃の黒髪を撫でる。「もう大丈夫、大丈夫だ」と繰り返し言い聞かせて。
「ふぇ……ッ」
それから数分間、少女は青年の胸にしがみつき、泣き続けた。
「落ち着いたか?」
「…はい。お恥ずかしい所をお見せしました」
泣き疲れて崩れ落ちた信濃をそのまま膝枕して、アスハは少女の手を軽く握っていた。
「いいさ。今の僕は君の為にいるんだから」
他にして欲しい事はないか、と尋ねる。
「それじゃぁ…その、終わりまでこのままで…」
「分かった」
最初より随分と晴れやかになった信濃を見送って、棟の裏口から外に出る。
「これはあくまでボランティアで、浮気にはならない…という事にしよう」
恋人の顔を思い浮かべ、呟く彼であった。
●樋渡・沙耶(
ja0770)
「特殊相対性理論…ですか」
「はい…」
このイベントで、そんなお題目が出てくるとはお釈迦様でも思うめェ。
受付の学生は心当たりのある理工学部の一人を連れてくると、彼女の議論相手を頼んだ。
一時間後――。
「…やはり、新しい見解は…出てきませんね」
そも理論自体、現状物理学の極みである。短時間の学生同士の論議で何かが見つかるなら、とうに見つかっている筈だ。
「まぁ…退屈は、しませんでしたし…」
話し疲れて喉の渇きを覚えた沙耶は、適当なジュースを買って待合の椅子に腰掛ける。
「あ…」「…ん?」
目の前には、初対面の女生徒。彼女は知らなかったが、それは片口 信濃だった。
あの依頼の情報は、完全に機密扱い。知っているのは担当教諭とケアを勤めた養護教諭。
後は報告を受けた生徒会長と学園長くらいだ。
「貴女は何か嫌な事があったの?」
興味本位で尋ねる信濃に、沙耶は暗い笑みを浮かべ。
「ええ…山の依頼で…ちょっと」
ぴくりっ、と信濃の顔が引き攣る。
「そ、そぉなんだ、奇遇ね。私もちょっと山で…ね」
「へぇ…」
「あはは…」
暫く互いに見詰め合う。
「…止めましょう、不毛だわ…」
「そだね…」
その後の気まずい沈黙に耐えかね、信濃が逃げる様に寮へと帰っていく。
沙耶はそんな彼女の背を暫くじっと見つめていたが、溜息を吐いて自身も寮へと帰るのだった。