その手に光を。
●
集まったメンバーは誉とシスから告げられた作戦内容に、様々な感情を抱いていた。
「ツインバベルからの依頼、か……」
大炊御門 菫(
ja0436)は目前に立つ天使を見て感慨深いものを感じていた。
(数年前の私が聞いたら何と思うだろう)
「天使の王女…きっと不安で一杯でしょうから、早く見つけてあげないとですねー…」
そう呟く櫟 諏訪(
ja1215)の隣で、インレ(
jb3056)も救いの手を待つ少女を想う。
(助けを求める声を聞いた。ならば僕は来よう――そこに尊きモノがあるならば)
「ふん。王族を我らに託すとは、ミカエルも随分と博打好きのようだ」
楽しげにそう呟くフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)の隣で、ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)も静かなやる気を見せている。
「お姫様…救出作戦…ガンバルゾー……」
「ええ、ようやくここまで来れたのです。失敗はできません、絶対に守りましょう」
水無瀬 雫(
jb9544)の瞳は、いつも真っ直ぐで迷いがない。Robin redbreast(
jb2203)はシスの方を振り向いて。
「シスたち騎士団員は、血の繋がりがなくても家族みたいなのに、アテナは実の家族に狙われているんだね」
聞いた天使は目を伏せると「そうだな」と呟いた。その表情はどこか悲しげで。
「さて、時間もないことだし始めるわよ」
ナナシ(
jb3008)の呼びかけで、一同は作戦準備を開始する。
彼らが立てた策は以下の通りだ。
全員で高知入りしたあと、アテナがいる方向を指すメダリオンを使い、三角測量を行う。
現地が特定でき次第、【本命班】と【囮班】に別れての行動予定だ。
「敵の捜索網をかわすために、現地での重要な連絡は、意思疎通やメールで行うわ」
不用意な発言はもちろんのこと、アテナに関する会話は極力隠語を用いることを取り決める。
「アテナの暗号名についてだが…シス、何か案はないか」
菫にふられたシスはにやりと笑んで。
「ほう、コードネームか。いいだろう俺様が考えた真名を」
「長い。却下」
「まだ何も言ってないぞ!」
その後いくつか提案するも、言いづらい、センスがない等の理由で却下。困り果てたシスがやけくそ気味に指さしたポスターから『紅葉』がよさそうだと決まる。
コードネームが決定したところでナナシが切り出した。
「ねぇ、シス。騎士なんだから使命のためなら頑張れるわよね?」
彼女からぽんと手渡されたのは、黒髪ロングのカツラと同色のコンタクトレンズ。
「現地では正体がバレないように、全員変装よ。衣装は櫟さんが準備してくれたから」
「ばっちり揃えてきましたよー?」
その内容は以下の通り。
・ゆるふわ白ニットセーター
・深紅のロングスカート
・ブラウンのファーブーツ
・胸パッド(下着付き)
「ちょっと待て…これは女物ではないのか……」
冷や汗を滲ませる天使に、ナナシはにっこりと笑む。
「私も男装するんだし問題無いでしょ?」
「ほらほら時間もあまりないですし、早く着替えてくださいなー?」
諏訪と雫に捕まったシスは、問答無用で引っ張られていく。
「待て待て待て勝手に脱がすな自分でやれる!」
「えっ…シスさん、女性下着の付け方がわかるんですか?」
「いいいいいやそう言うわけでは…ああもうわかった! 貴様等に任せる!」
★☆かわいくな〜れ☆★
「騎士としての初陣がこんなことになろうとは……」
がっくりとうなだれるシスを、諏訪は笑顔で励ましながら写メ&転送。
インレは上から下まで眺めてから、おもむろに手を胸元へ突っ込んだ。
「ぬわああああ貴様何をする!?」
「ふむ。胸の詰め物はもう少し詰めた方が見目が良いぞ? ――菫よ。別に他意は無いからな?」
「それはどういう意味だインレ」
「化粧…徹底的にやる…ジャスティス……」
ベアトリーチェが化粧を施す側で、ロビンは所作を指南。
「足を広げないようにね。シスの赤いパンツが見えちゃうよ」
「ちょっと待て見てたのか貴様」
他のメンバーも観光客やお遍路に見えるよう、各々変装。私服に伊達メガネをかけたフィオナは、シスを見やり。
「そういえば貴様、バイクか車の運転は出来るか?」
「運転したことはないが、何とでもなるだろう」
「不安しかないがまあよい。練習だと思って乗ってみろ」
すべての準備が完了し、一行は転移装置へと向かう。
目指すは高知、作戦開始だ。
●高知市内
「あれあれー? この辺って確か、騎士団がボコられたとこじゃんねえ」
高知城を見上げながら、天使アルヤは呟いた。
話に聞く枝門ゲートの中心が、ここにあったと聞いている。
「つまりそれだけ地脈が強いってことかあ。とりあえず、こればらまいとこっと」
次の瞬間、彼女の周辺に無数の蛇が生み出されていく。ヘッドフォンを装着した少女はにんまりと笑みを浮かべた。
※※
高知市中心部へと転移したメンバーは、早速メダリオンの反応を確認した。
「しっかり反応してるわね。ここからだと北東……」
ナナシは地図上に線を引き、別の地点へ移動する。そこから指した方向と結べば、交差点が見えてきた。
「ふむ、どうやらこの寺のようだのう」
インレが示す場所、そこには『第30番札所 善楽寺』と書かれている。菫は成る程といった様子で。
「八十八箇所霊場か。この辺りは森も多いようだし、身を隠すにはもってこいだな」
地図を見ていたロビンと雫は、高知市南部へと視線を移す。
「善楽寺が山側だから……あたしたちは海側に近い『第31番札所 竹林寺』にいこうか」
「そうですね。逃走時のことを考えると、あまり入り組んだ場所じゃないほうがいいでしょうし」
「じゃあここからは別行動ね」
ナナシの宣言に【囮班】の面々が動き出す。予めシスの衣装を着ていた雫は、ここで彼の姿に変化。
ロビンは持参してきた抱き枕に笠と白装束を着せ、レンタルしたワンボックスカーに乗せていく。人数が多くいるよう見せかけるためだ。
出発直前、雫は持参したミルク飴をシスへ渡した。
「紅葉さんと合流できたら渡してあげてください。甘い物を食べれば、疲労や緊張も和らぐと思いますので」
「成る程…俺様はこういうことには疎いのでな。助かる」
「くれぐれも、気をつけてくださいね」
「それは俺様の台詞だ」
囮班の面々を見やった天使は、険しい表情で告げる。
「もし奴らと遭遇したら、迷わず逃げるのだぞ。絶対に無理はするな」
「わかってるわ。無理できる人数じゃないもの」
そう返すナナシの隣で、ロビンはシスを見上げた。
「あのね、シス。あたしにもひとつ、願いができたんだ」
「願い…だと?」
「夏の時のシスの言葉のおかげかもしれない。ありがと」
そう言って車へと乗り込む背を、天使の声が呼び止める。
「なに?」
「いや、その…何でも無い。気をつけて行け」
囮班を見送った【本命班】のメンバーは、高知市北東部にある『善楽寺』へ向かい始める。
「我はバイクで追走する。固まって移動すると目立つであろうしな」
「なら俺様も同行しよう」
スカートでバイクとか色んな意味でアレだが、皆敢えて何も言わなかった。
「じゃあ自分たちは車で先に向かいますねー?」
こちらのワンボックスカーには運転手の諏訪に続いて菫、インレ、ベアトリーチェが乗り込む。
「ここからだと大体20分程度ですねー。焦っても仕方ないですし慎重に行きますよー?」
「紅葉…見つけに…ごーごー…」
ベアトリーチェが見つめる先で、晩秋の景色が流れ始めた。
※※
「んーんー。今のところ収穫なしかぁ」
ヘッドフォンに耳を澄ますアルヤは、ため息をついた。怪しそうな場所に幻影を飛ばしているが、今のところ有益な情報は出てきていない。
「あたしも騎士団と遊びたかったのにー。このままなんも出なかったら、あたし超骨折りじゃんねえ」
唇を尖らせながら、ぶつぶつ呟く。
「あれれ? そう言えば、すー君からの連絡もないじゃん。なにやってんだろもー」
目前の寺院を見やりながら、少女は再びため息をついた。
※※
善楽寺へと辿り着いた本命班は、すぐに出せる位置に車を止めた。
菫は念のために周囲を警戒しつつ、車から降りる。
「思った通り、この辺りは寺が多いな」
「山も近いことだし、よい『紅葉』が拝めるかもしれんのう」
ゆるりと笑むインレの視線先に、境内へと続く参道が見えてくる。周囲には観光客の数も多く、紛れるにはもってこいだろう。
境内に入る直前、あとから来ていたフィオナとシスが追いついてきた。
「貴様もう少し速く走れんのか」
「いや待て、貴様のスピードが速すぎるのだ!」
ふたりが言い合うさまを写メりつつ、諏訪はアホ毛レーダーで索敵を行う。
(今のところ敵影らしきものは見あたりませんがー…)
そのとき、木々の合間を何かがすり抜けていくのが見えた。それはほんの一瞬のことで、よほど注意していなければ気づかなかったかもしれない。
「あれは蛇でしょうかー…?」
蛇と聞いた菫がぴくりと反応を示す。
(確か大規模作戦で見かけた天使は『自分を蛇だ』と言っていたそうだが)
(ぐーぜんの一致に…思えない…。警戒しておく…ジャスティス…)
スマホにそう打ち込んでから、ベアトリーチェはシスを見上げる。
「紅葉…こっちで…あってる…?」
彼女の問いに、シスは観光雑誌を見るフリをしてメダリオンを確認した。
「間違い無い。もう少しだ」
同じ頃、先に竹林寺へと着いていた囮班は、既に準備を済ませていた。
ナナシは隠れられる場所へ移動すると、男装からアテナを装う衣装へチェンジ。ローブとフードで顔を隠し、合図を待つ。
その間雫とロビンは観光客を装いつつも、少し落ちつきない様子で辺りを気にしていた。敢えて警戒した素振りを見せて、敵の目を引きつけるためだ。
(今のところ怪しい人影は見えませんが……)
本命班からは偵察らしき気配があると聞いている。ここにも来ていると考えておいたほうがよさそうだ。
そのとき、ポケットのスマホが震えた。
(本命班、境内に入ったみたい)
ロビンの目配せに雫は頷くと、人気のない場所へ移動し懐から笛を取り出す。
ここからは一発勝負。
ゆっくりと深呼吸すると、雫は一気に笛を二回吹き鳴らす。
独特の澄んだ音色が秋空に吸い込まれていく。彼女は大きく息を吸うと、もう一度二回吹き鳴らした。
今のところ、敵が襲ってくる気配はない。
程なくしてローブを羽織ったナナシが現れると、二人は駆け寄って恭しく一礼した。
「お会い出来てよかったです。さあ、こちらへ」
ロビンの誘導にナナシは黙ったまま頷くと、境内を後にする。車に乗り込んでからは、わざと油断したように雫に話しかけた。
「ルートは高知自動車道でよかったよね?」
「ええ。大回りですが、恐らく一番早くツインバベルへたどり着けるはずです。アテナ様もう少しお待ちくださいね」
※※
「へーへー! まさかまさかのビンゴじゃん!」
ヘッドフォンから聞こえてきた”音”に、アルヤは嬌声を上げた。
「シリウスの勘が当たったかあ。もー全部こっちに集中させちゃおっと」
パチンと指を鳴らすと、蛇の幻影が姿を消す。少女は背に翼を広げると、目的地へ向け移動を始めた。
※※
囮班から作戦開始の報告を受け、本命班も動き始めていた。
今のところ追ってらしき人影はない。先ほど見た蛇が近くにいないか探してみたが、いつのまにか姿を消していた。
今がチャンス。
互いに頷き合うと、諏訪が懐から笛を取り出した。
(では、吹きますよー?)
すうと息を吸い込み、大きく三回吹き鳴らす。迎えを告げる笛の音は、鎮守の森全体に響き渡った。
「……出てこないな」
辺りに静寂が戻るが、アテナらしき人影は現れない。
この場所で本当に合っているのだろうか。
もう囮班が動き出している以上、失敗は許されない。メンバーの表情に焦りが滲み始めたそのとき。
薄暗い森の中、前方で淡く何かが発光した。
近寄ってみると、樹齢100年は越えているであろう巨大な楠の洞から、少女が現れた。
年の頃は12,3才と言ったところだろうか。銀の瞳に透き通るような肌。長い銀糸の髪が、木漏れ日で淡く照らされている。
(間違い無い、彼女が”アテナ”だ)
姿を見た撃退士達は半ば確信に近いものを感じていた。それは少女の持つ独特の――王族の気品ともいうべきか――清廉とした佇まいに思わず息を飲んだからだ。
沈黙するメンバーの前で、銀の瞳を持つ少女はやや怯えた表情で口を開いた。
「あなた方は、何者ですか」
諏訪は慌ててスマホに文字を打ち込むと、少女へ向けて掲げる。
『あなたがアテナさんですねー? 迎えにきたんですよー?』
彼らは自分たちが撃退士であること。ミカエルに頼まれて、アテナを助けに来たことを説明する。
『私たちは敵じゃない。もし私たちを信じられないなら、こいつを信頼してほしい』
スマホ画面を見せた菫は、隣にいる女装天使を指し示した。シスは懐からメダリオンを取り出し、少女に手渡す。
「これは……お父様の……」
受け取った銀の瞳が見開かれる。やがて少女は決心した様子で顔を上げると、はっきり頷いてみせた。
「あなたたちを、信じます」
作戦内容を説明する間、ベアトリーチェはアテナの写真を取り囮班へメール。
(ばっちり…撮れた…)
満足そうに頷くと、ちらちらと王女を見やる。どうやら自分と年が近いように見える彼女が、気になって仕方ないらしい。
インレはアテナに変装をさせつつ、周囲を警戒する。
(今のところ順調だが…先の妨害は覚悟しておくべきであろうな)
同じく警戒に当たっているフィオナは、どこか愉しそうに呟いた。
「むしろそうでなくてはつまらんよ」
●
本命班がアテナと合流した頃、囮班は高速インターへ向かって車を走らせていた。
(あっちは無事合流したみたいね。王女の外見もわかったわ)
ナナシは術を展開させ、アテナの姿に変化。その場でフードを脱ぎ、敢えて顔をさらしておく。
インターへ近くなるにつれ、道も広くなってくる。
大きめの交差点へ進入したそのとき、目の前にトレーラーが突っ込んで来た。ロビンは即座にハンドルを切り衝突を避ける。
「みーっけたっ」
「あれは…!」
雫(シス姿)の視線先、荷台の上でツインテールの少女がぴょんぴょん飛び跳ねる。
「やったやった騎士団とアテナがいる! やっぱりビンゴじゃん!」
「追っ手が来たね。飛ばすよ」
ロビンはアクセルを踏み込むと、車の間を縫うように走り抜けた。
「あーあーあいつら逃げたよ! さっさと追いかけろー!」
トレーラーが方向転換にまごついているうちに、ワンボックスカーはそのままインターへと向かっていく。
ロビンがスピードをさらに上げる中、雫は狙撃銃で牽制開始。
「あの巨体にぶつかられたら終わりですね。ですが機動力ならこっちの方が上です!」
「あーあーもう全然追いつかないし! もっと速く走れよー!」
追走してくるトレーラーは車体が大きいため、スピードが出ないのだろう。一定距離から追いついてこないのをナナシは見やりつつ。
(このまま逃げ切れるといいけど…)
恐らくアルヤは仲間の天使に連絡を入れたはずだ。であれば追っ手が来るのは”後方”だけとは限らない。
その懸念は、県境を越えた頃に現実のものとなる。
四国の高速道路は車の数こそ少ないものの、山あいを抜けるラインが多い。
一行が長いトンネルに入ったところで、突然前方から爆炎が上がった。
「っ……!」
ロビンは瞬時にブレーキを踏み、方向を転換させる。しかし程なくしてアルヤのトレーラが突っ込んで来たため抜け切ることができない。
三人が身構えたえたそのとき、車体に衝撃が走った。ボンネットに降り立ったアルヤが、勢いよくフロントガラスを蹴破る。
「いけない!」
咄嗟に雫が生み出した氷壁で受けようとするも、車の硬度を高めることはできず、車体は大きく損傷する。
このままでは車ごと潰される。
そう判断した三人が外に飛び出した刹那、銃弾の嵐が吹き荒れた。
※
その頃アテナを連れた本命班は、囮班と違うルートでツインバベルへ向かっていた。
「追っ手遭遇の連絡を受けてから、だいぶ経ちますねー……」
囮班からの連絡が途絶えたことで、メンバーの間には焦りの色が浮かんでいた。
「……これは何かあったと考えるべきだろうな」
菫の言葉に、重い沈黙が降りる。そういえばシリウスの動向を探っていなかったことに思い至り、学園本部に確認を取らせてみる。
「どうやらシリウスが松山から消えたそうだ」
聞いたインレがやや険しげな表情で。
「諜報部隊の長なら、気づかれず姿を消すのは造作もないであろうな」
騎士団と王権派は今まさに戦闘中だ。常に監視させておくくらいしないと、即座に気づくのは難しかっただろう。
ベアトリーチェは黙り込むアテナの手をぎゅっと握った。
「きっと…大丈夫…信じる…」
「……はい。ありがとうございます」
不安げな表情がほんの少し和らぐ。今はただ、待つしかない。
※
「――ったく、お前はもうちっと頭使え。逃したら意味ねえだろうが」
頭上から降りてきた声を、ナナシは朦朧としながら聞いていた。
「ええーそういうのはシリウスの仕事だしぃ?」
アルヤはきゃらきゃら笑いながら、白銀の獣天使を見上げる。囮班を襲った狼の牙は、瞬く間に彼女達を行動不能へ至らしめていた。
「あれあれ、三人だけ? おっかしいなーもっといるように見えたのに」
小首を傾げるアルヤの隣で、シリウスの鼻先がぴくりと反応する。アイスブルーの瞳がワンボックスカーに向けられたあと、何かに気づいた様子で舌打ちした。
「お前はめられたな」
「えーどういうことどうこと?」
「あのアテナは偽物だ」
聞いたアルヤは一瞬呆けたようになった。しかしその表情はみるみるうちに怒りに変わっていき。
「うわーうわーもしかしてこいつら撃退士? あたしを騙すとかまじムカツクぶち殺してやる!」
「落ち着け。本物の居場所を吐かせりゃ済むだけの話だ」
そう言ってシリウスはナナシの元へ歩み寄ると、額に銃口を突き付けた。
「さあ嬢ちゃんよ。本物がどこにいるのか教えてもらおうか」
「……言うわけないでしょ」
「吐かなきゃ死ぬぜ?」
冷ややかな声音は、その言葉が嘘でないことを示している。
「ナナシさん…っ!」
雫が立ち上がろうとした瞬間、みぞおちに衝撃が走る。蹴りを入れたアルヤが苛立った口調で言った。
「動くなっつってんじゃん。今すぐ殺るよ?」
「くっ…!」
あまりの痛みに意識が遠おのきかける。この状態でなおも抗おうとする彼女達を、シリウスは理解できないと言った様子で見やり。
「なぜツインバベルのためにそこまでする。あんたらにとっちゃ敵であることに変わりはねえだろ」
「護るってシスと約束したから」
迷い無く答えるロビンに、雫も頷いてみせた。
「ええ。理由なんてそれで十分です」
「わからないでしょうね。私たちがここに至るまで、どれほどの想いを交わしてきたか」
ナナシはそう告げてから、沈黙する天使へはっきりと言い切る。
「私は人と天魔が共存できる未来を信じてるの。すべてを壊そうとするあなた達なんかに、屈する訳にはいかない」
「なになにこいつら超生意気! シリウスやっちゃいなよ」
不快感をあらわにするアルヤの隣で、シリウスは何も言わず撃退士を見据えている。
引き金にかけた指に、力がこもるのがわかった。しかし彼女達の瞳は、死を前にしてさえ揺らぐことはない。
「――成る程、大した覚悟だ」
獣天使はどこかおかしそうに呟くと、銃を下ろした。
「行くぞアルヤ」
「えっなんでなんでー? あいつら見逃すの?」
不満そうなアルヤに構わず、シリウスはトレーラの上に飛び上がる。
「殺さないんだね」
ロビンの言葉に天使はふんと鼻を鳴らした。
「今あんたらを殺ったって、なんの得にもなりゃしねえからな」
「そうなんだ。王権派は誰彼構わず殺すのかと思ってたけど」
「随分な言いぐさだが、まあ間違っちゃいねえよ。王にとっちゃ”すべてが捕食対象者”だからな」
そう言って視線をどこかへやると、軽く舌打ちをする。
「ちっ…ここからじゃ間に合わねえな。まあいい、行ける奴は全員ツインバベルへ迎え」
「あーあーテンションだだ下がり。あたしマジで骨折り損じゃん……」
ふてくされたアルヤが荷台に飛び上がった直後、トレーラーが動き出す。そのまま去ろうとする背を雫の声が呼び止めた。
「教えてください。なぜあなた達は王権派についたんですか」
振り向かぬ背が、答えだけを告げる。
「大した理由なんてねえよ。てめぇの力でのし上がれる場所が、あそこだっただけだ」
※※
「くそっ…王権派め……あいつら無事なのか…!」
苦渋の表情を浮かべるシスを、フィオナがたしなめた。
「落ち着け、貴様が動揺していたら話にならん」
囮班が連絡を絶ってから、既に一時間が経とうとしている。作戦を中断すべきか迷ったその時、シスが持つスマホが震え出した。
「おい生きているのか!!」
速攻で出た天使の耳に、待ちわびた声が届く。
『なんとかね。でもこっちが偽物だってことはバレたわ』
ナナシ達の報告で彼女達がシリウスに襲われたこと、囮が見破られたことが告げられる。
「貴様らあれほど無理はするなと…」
『あの状況では仕方ありませんでしたから』
『水無瀬さんの言う通りよ。結果的に引きつけは成功したんだしね』
「ふざけるな、俺がどれだけ心配したと思っている!!」
あまりの剣幕に、本命班のメンバーもぎょっとなる。我に返ったシスはばつが悪そうにかぶりを振って。
「いや、すまん。これはツインバベルが持ちかけた以上、俺様の責任だ」
『誰もそんなこと思ってないわよ』
ナナシの言葉にシスは大きく息を吐いて、沈黙したあと。
「ロビンはそこにいるか」
『何?』
「この任務が完遂したら、貴様の願い…聞かせてくれ」
そして改めて三人へ向け、短く告げた。
「護ってやれなくて悪かった。後は任せておけ」
囮班からの報告を受け、メンバーは今後の動きを話合う。
この先王権派が待ち伏せしている可能性は高い。しかし引き返したところで、シリウスに追いつかれてしまえば全てが水の泡になってしまう。
フィオナはアテナを見やると改めて確認する。
「貴様は絶対防御の盾とやらを持っているそうだな。それを使えば、貴様が致命傷を受けることはないのであろう?」
「はい。防御に徹してさえいれば」
その返答を聞いた彼女は全員を見渡し。
「ならば迷う必要はあるまい?」
このまま、強行突破するしかない。
全員の意志が固まったそのとき、インレがシスに向き合った。
「おぬしに問うておきたい」
「なんだ?」
問い返す瞳に端的に告げる。
「信じて良いのか」
多くは語らない。その一言にすべてが集約されているはずだから。
天使は一瞬インレを見つめたあと、はっきりと言い切った。
「信じろ。俺も貴様を信じる」
その強いまなざしを見て、インレはゆるりと笑みを零した。
「そうか。ならばわしも命を賭けるとしよう」
もしもこの先に、愛すべき者たちの明るい未来があるのならば。この刹那に総てを賭し、命を燃やし尽くしてみせようと。
ただ――
「……泣かせて、しまうかな」
脳裏に映る愛しき星に、ほんの少しだけ微苦笑を浮かべる。その様をシスは何も言わず見つめていた。
●天姫と未来を繋ぎし”希望”
愛媛県西条市。
石鎚山頂上へ向かうスカイラインを、本命班は最速のスピードで走り抜けていく。
「思った通り現れましたねー?」
諏訪の視線先、ツインバベルの入口が見えてきたところで、追っ手の天使に包囲される。菫は窓を開けるとおもむろに言いやった。
「ここを通してくれ。私たちは友人とお遍路巡りをしているところだ」
「馬鹿言うな。そこにいるのは王女だろう。大人しく渡せば命だけは助けてやるよ」
「なに!? まさか…彼女が見えているのか…?」
「はあ?」
訳がわからない様子の相手へ、菫はバレてしまったなら仕方ないと呟いてから。
「彼女は……弘法大師だ、偉人がゲーム等で女性化されているだろう? その影響を受けてしまって女性化してしまったのだ」
「いやちょっと何言ってるかわかんねーわ」
「くっ、言葉が通じないか」
「いや言葉通じてないのはお前だろ!」
次の瞬間、車から飛び出したインレとベアトリーチェが不意打ちの一撃を食らわせる。菫とのやりとりに気を取られていた天使は、苛立った様子で。
「お前らなめやがって…っ!」
刹那、強力なエネルギーが放出される。それに気づいたアテナは盾を手に飛び出した。
「皆さん下がってください!」
放たれた衝撃波を受け止めると同時、その威力は一瞬にして無となる。
「くそっイージスの盾か!」
「シス、ここは僕らに任せて行け!」
インレの指示でシスは王女を抱えて車に飛び込む。扉を閉めた次の瞬間、白輝の巨大陣が広がった。
「いくぞ! 超・真空蒸着(アルティメット・コスモオーラ)!」
自動回復付きの強力なバリア。以前よりも威力が増したそれが、全員に付与されていく。
「いいか、俺様の前では誰も死なせん。どんなことがあっても生き延びろ!」
「さあ行きますよー!」
諏訪はにこにことギアを入れると、急バックで旋回し始めた。
「しっかり掴まっててくださいねー?」
アクセルを踏み込むタイミングを見計らい、インレは天使への間合いを一瞬で詰める。
「幼い少女の尻を追うとは躾のなって無い犬っころだ。一つ、躾けてやる」
込めるは祈り。
乗せるは想い。
放つは――
「おおぉぉ! 我が斬撃!!」
右半身を突き破って現れた巨大な刃が、凄まじい威力となって天使の喉元に襲いかかる。
「今だ!」
インレの強襲が生んだ隙に車は勢いよく突っ込んでいく。諏訪は絶妙なハンドル捌きで天使の間をすり抜けると、横転ぎりぎりで包囲網を突破していく。
「ぬわあああ貴様運転が荒すぎるぞ!」
「何か言いましたかー? 良く聞こえませんよー?」
「待て! 奴らを逃がすな!」
追いすがる天使の前に、ベアトリーチェの召喚獣が立ちはだかった。
「こーぼーだいし…いじめるなら…容赦しない…」
別の天使がフェンリルに攻撃を仕掛けた直後、周囲に高重力場が形成される。赤光の球から放出された数多の剣が一斉に彼らを貫いた。
「来い。我が相手をしてやる」
フィオナは手にした剣を掲げ、挑発的な笑みを浮かべる。再び繰り出された衝撃波を、菫の高い防御力が受け止める。
「弘法大師は私が守る。必ず守りきってみせる!」
「お前らそろそろ弘法大師から離れろよ!」
その時、巨大な火柱が上がった。
次々に生み出されるそれは、天使達を巻き込み行く手を阻んでいく。
「――間に合いましたね」
ほっとした様子の”司令官”を見て、天使の顔が苦痛に歪んだ。
「ミカエル…っ!」
ツインバベルから降りてきた援軍で、形勢は瞬く間に逆転する。
「成る程。このためにおぬしは残っておったのか」
インレが息つく先で、炎の力天使は微笑んでみせた。
※
「――殿下、よくぞご無事で」
ツインバベルへ辿り着いた一行を前に、”蒼の微笑卿”は深く頭を垂れた。アテナは頷くと、撃退士の方を示し。
「この方達が護ってくれたおかげです」
「ええ、存じております。我らの”依頼”を成し遂げてくださったのですから」
おっとりと微笑むベロニカに、諏訪もにこにこと頷いてみせる。
「皆が頑張ってくれたおかげですねー? 何とか辿り着いてよかったですよー?」
陽動。足止め。囮。
それぞれが出来ることを最大限やり切ったからこそ、成し得た結果だった。
互いに労をねぎらう間、フィオナはシスを物陰に呼ぶとおもむろに告げた。
「ベロニカに伝えろ。『久遠ヶ原は冥魔…ルシフェルの一派と交渉を持とうという動きがある』とな」
「何?」
「あ奴の事だから既知やもしれんが…現状は賛成派有利のようだ、と付け加えておこう」
聞いたシスは成る程と腕を組みつつ。
「以前、四国の冥魔が学園と交渉を持ったという情報を受けているからな…恐らく秘書官殿も学園が天界だけではなく、冥魔とも手を組む可能性があることは知っているはずだ」
ただ、とフィオナを見やり。
「ルシフェルに近い一派が交渉を持ったというのは、初耳だ。報せておこう」
「ああ、好きに使え。ベロニカならいい手も思いつくだろう。必要なら引き続き情報を流してやる」
「……なぜ俺様にこの話を?」
怪訝そうなシスに対し、フィオナは愉しそうに笑ってみせる。
「幼馴染みの故郷と無理に殴り合う必要はあるまい? なにより――舞台は混沌としている方が、我が愉しめるからな」
フィオナが去ったあと、シスは通りがかったインレを呼び止めた。
「無事生き延びたようだな」
「おぬしらの加護が手厚くて、すっかり無傷らしい」
互いに笑みを漏らした後、天使はほんの少し目を伏せる。
「――蒼閃霆公が死んだとき、あの女は泣いていた」
「……リネリアか」
残された者達を見ているのが辛かった、とシスは言う。
「だがそれは悲しかったからではない、何もできないことが辛かったのだ」
恋人を失い、師を失い、父を失った同朋たちを、ただ見ていることしかできなくて。
「今でも己に何が出来るのかわかってなどいない。だがな、これだけは決めたのだ」
シスはインレを見据えると、その言葉を告げた。
「俺は生きる。だから貴様もまだ死ぬな」
帰り際。
見送りに来た天姫を前に、撃退士達は挨拶を交わしていた。
「ここに来られなかった方達にも、感謝の意を伝えて下さい」
「もちろんだ。ああ、置き土産にこれを渡しておく」
菫がさりげなくプロテインを布教する隣で、ベアトリーチェはおずおずと切り出した。
「アテナ…友だちに…なってもいい…?」
「えっ…私と……ですか?」
アテナは驚いたように瞳を見開いてから、やがてはっきりと頷いてみせた。
「私と友だちになりたいと言ってくれたのは、あなたが初めてです」
そして全員を見渡すと、一礼し。
「このご恩は忘れません。あなた方に出逢えてよかった」
笑顔の先にあるのは、未来へと繋ぐ希望の光。