●忍び寄るもの
今日も静かな夜がやってきた。
人里離れたこの場所は、宵が訪れると驚くほど静寂に満ちる。
時折聞こえるのは虫の音。それ以外は、自身の息づかい。
闇に向かって神経を研ぎ澄ませていた加倉一臣(
ja5823)が、ゆっくりとつぶやく。
「今夜が勝負……ってところかねぇ」
イヤーカフから伝わる冷たさが、外気の冷え込みを教えてくれる。
宵闇の中に沈むのは、湿度の低い夜気。
しかしその中に何か不穏な色を感じるのは、直に訪れる『時』を意識しているせいだろうか。
「そうだね。日付が変わった直後が勝負と見ている」
龍崎海(
ja0565)が落ち着いた声音で返す。彼もまた、その意志の強い瞳を周囲へ注意深く向けている。
ほんの少しの異変も、見逃さない。海の表情からは、そんな声が聞こえてきそうだ。
彼は闇から視線を外さぬまま、口を動かす。
「とにかく、警戒するに越したことはないね」
彼らがここで夜を過ごすのは、今日で七日目だった。
依頼人の水瀬優花から頼まれたのは誕生日当日の護衛のみだが、それまでの間に危険が及ばないとも限らない。そう考えたメンバーは海の提案により、日中は交替で護衛を行い、夜は予め準備しておいた監視用の部屋へ彼女と共に移動していた。
幸いなことに、この一週間彼女への襲撃は起こっていないものの。
日付が変われば、優花の誕生日となる。
その瞬間が最も危険だと、メンバーは推測したのである。
「彼女もだいぶ疲れが出始めているからね……そろそろケリをつけてあげたい所だけど」
いつ、どこで狙われるかわからない状況ほど、心身をすり減らすものはない。
背後の建物をうかがいながら、一臣が細く息を吐く。
その吐息も、宵の闇にまぎれとけこんでしまった。
一方、室内では優花とその護衛メンバーが待機していた。
「もうすぐ……日付が変わりますね」
そう呟く優花の表情には、怯えの色が見える。窓際で外の様子を探っていた小野友真(
ja6901)が、明るい声を出した。
「まーそんなに怖がらんでも大丈夫。俺たちが護りますから」
お調子者で優しい彼は、事あるごとに彼女へ話しかけては不安を解消させていた。
今回も敢えて軽い調子でそう告げた友真は、パーカのポケットから何かを取り出すと優花に手渡す。
「これ。甘いもんでもどうぞー」
渡されたのはチョコレート。
受け取った優花は、「ありがとうございます」と笑みを浮かべる。その表情は、先程よりも幾分やわらいだもので。
「ストーカーは犯罪っす、犯罪っす、大事なことなんでお約束っす」
頭に映画泥棒よろしくカメラのかぶり物をしているのは、小柄で童顔な大学生・城咲千歳(
ja9494)。
その姿のまま、依頼人の前で謎の踊りをしている。どう見ても不審者にしか見えない……が、本人は一応優花の気を紛らわせようとしているらしく、決してふざけている訳ではない。たぶん。
「ふふ。千歳ちゃんもありがとう。作ってくれたお菓子も美味しかったわ」
優花の家に泊まり込みで護衛をしていた千歳は、毎日のように得意のお菓子を作っては振る舞っていた。半ば任務を忘れていたような気がしないでも無いが、彼女のおかげで優花もこの一週間だいぶ落ち着いて生活できたのも事実で。
そんな彼女たちの背後から、穏やかな声が響く。
「……そろそろ、時間だね」
声の主は、優花の側で同じく待機していた西橋旅人(jz0129)。
黒衣を身に纏った彼は千歳と友真に向かって、言う。
「敵が現れたら、皆そちらに集中してくれて構わないよ。水瀬さんの側には僕がいるようにするから」
彼は今回サポート役としてこの任務に参加をしていた。表向きは優花の護衛兼連絡役と言うわけなのだが。
単なる護衛だけであれば、本来旅人が依頼に同行する必要は無い。それだけの実力を今回参加のメンバーは持っているからだ。
彼が依頼に参加した理由。
それは、自身の中に広がる嫌な感触の正体を確かめるため――
(何事も無ければいいんだけれど……)
窓外の暗がりに視線を向けながら、そう内心で独りごちた時。
無機質な電子音が、鳴り響いた。
時報と共に日付が変わる。外で待機していた撃退士達に、緊張の色が走る。
「――予測通り、来たみたいだね」
索敵を行っていた一臣の視線の先。
暗闇の中、ぼうと浮かぶのは青白い男の生首。
虚ろな目をしたそれは、まるで宙を浮いているかのように闇の中をゆらり、ゆらりと移動している。
「なんだ、あれは……」
思わず、海が漏らす。
男の顔には、所々どす黒い血がこびりついていた。そして不自然に、歪んでいる。
半開きの乾ききった口元は、何かをつぶやいているように動き続けていた。
ユウカ……ユウカ……
タンジョウビ……タンジョウビ……
ゆっくりと近づいてきた生首が、伏せていた目を上げた瞬間。
まばゆい光が、男の顔を強く照らす。
そしてそれと同時、男の全身が露わになった。
「これは……何とも異様な姿ですね……」
投光器を作動させながら眉をひそめるのは、戸次隆道(
ja0550)。吸い込まれそうな闇色の髪が、風と共にたなびく。
彼が異様と称した姿。
男の首から下は黒い塊だった。暗闇に紛れ、視認出来なかったのだ。
塊からは何本もの触手がうごめき、ねちゃり、ねちゃりと音を立てている。
言わば触手の塊に、生首が付いているのである。
「なぜ、あのような忌まわしい姿に……」
これも男の一途な思いが成した結果と言うのならば。
「恐ろしいものですね、人の思いと言うのは」
それは時として、天魔を凌ぐ程に。
「……だからといって、看過ごすわけには行きませんが」
紅く変化した瞳を炎のごとく揺らめかせながら、彼がそうひとりごちた横で。
「待ってましたー! あたいと勝負しろっー! 」
嬌声をあげて突撃を開始するのは、御子柴 天花(
ja7025)
前髪を黒地に桜模様のヘアバンドで上げている姿は、実に生き生きとしている。
元々天真爛漫でマイペースな彼女。とにかく強い敵と戦えればそれでいい。
今回の依頼もディアボロをぼこぼこにすることだけを、考えているくらいである。
(目的は護衛であることは失念しているようである)
とは言え、敵を倒さなければ依頼人は守れない。ある意味シンプルにしてかつ、真理。なのかもしれない。
突然の光線にひるんだディアボロに、天花は勢いよく衝撃波を放つ。
動きの遅い男は、回避する素振りもなくまともに攻撃を食らう。
彼女の動きにあわせて、首元の鈴がちりんと音を立てた。
「ヴヴ……ユウカ……ユウカ……」
男は苦悶の表情を浮かべながら、うめき続ける。そこに打ち込まれるのは、発光する棒手裏剣。
「先手必勝っすよ!」
護衛部屋から既に飛び出してきていた千歳が、勢いよく宣言した。
何よりもスピードを重視する彼女。敵が現れたら即攻撃することを狙っていたのだ。
呻きながらも近づきつつある男を、今度は一臣が放つ銃弾が貫く。しかし確実にダメージは与えているものの、やはり彼の歩みは止まらない。
「……なるほど、どうやら敵は攻撃を避けるつもりが無いみたいだね」
男はまるで撃退士たちの事は見えていないかのようだ。ただひたすら、こちらに向かってきている。
目指す先は、待ちかまえる撃退士達よりも遙か奥。
絵本を手にした海が、男の動きに警戒しながら言う。
「とにかく。近づかれる前に倒してしまいたいところだね」
彼の手にした本から飛び出す炎が、ディアボロの身体を直撃した直後。
呻いていた男が、突如大きく口を開けた。
中に広がるのは闇。放たれるは、歌にも似た慟哭の嘆き。
「ぐぅ……っ」
思わず海は耳を塞ぐ。
「なんておぞましい音なんだ……!」
音は空気の振動。その圧力は、時に凶器にもなりえる。
他のメンバーも耳を塞いだが、音速が鼓膜に到達するのには間に合わない。
耐えきれず、天花が跪く。完全にスタン状態に陥ってしまった彼女以外に、同じく状態異常に陥った者が一人。
「何してるんですか、優花さん。危ないから隠れといて!」
窓から援護射撃をしていた友真が、大声で叫ぶ。虚ろな目をした優花が、こもっている建物から出ようとしているのだ。
「しまった、魅了状態だ……!」
音の効果範囲は広い。距離を取れば取るほどその威力は落ちるものの、一般人である彼女には影響が大きすぎた。
優花の側にいた旅人が、彼女を無理矢理押さえ込む。
「ここは僕が押さえる。君たちはディアボロを頼むよ!」
「ヴヴ……ユウカ、ユウカアアアアアアア」
彼女の姿を見た男が、叫ぶ。その声に呼応するかのように、優花は無我夢中で旅人を攻撃している。
一般人の攻撃で彼が傷つくことは無いとは言え、このまま暴れ続ければ優花の身体が傷がつく恐れがある。
「もたもたはしてられませんね」
闘気を最高潮まで高めた隆道が、ようやく射程内に入った男の喉に鋭い蹴りを叩き込む。ぐしゃりと言う音と共に男の表情が苦痛に歪む。声にならない、悲鳴。
「……これで何とか、喉は潰せたでしょう」
男は出せなくなった声を絞り出そうと、必死にあえいでいる。
隆道は男の異様な姿を見た時から、この瞬間を狙っていたのだ。
全てが異形へと変化しなかったのは、恐らくは彼の強力な意志に他ならならない。
そう、全ては歌をうたうために。
生前の事を考え、隆道は声に警戒していたのである。
「グッジョブっす! 一気にたたみかけるっすよー!」
千歳が漆黒の大鎌を構え、ディアボロに向かって振り抜く。
逆上した男の触手が彼女を捉えようと動き出すが、そこを友真の回避射撃が襲う。
苦痛に歪みきった男の形相は、まるで鬼のごとく。
男は激しく暴れながら、今度は行動不能に陥っている天花に攻撃の矛先を向けた。
「そうはさせない!」
天花を庇った海を、何本もの触手が襲いかかる。しかし物理防御力を高めていた彼は、自ら作り出した防壁で見事攻撃を防いだ。
軽く息をつきながら、海は独りごちる。
「せめてディバインのように、ディアボロ相手でも補正を気にせず防御したいんだけどねぇ」
そうぼやきながらも、大したダメージを受けていないのは彼らしいもので。
既に建物近くまで来ていた男は、そこでぴたりと動きを止めた。
そして次の瞬間、どす黒い衝撃波が彼の身体から放たれる。向かうのは、自身の命とも言える喉をつぶした相手。
「くっ……なんと言う威力……!」
強力な魔法攻撃が、隆道を直撃する。身体に受ける激しい衝撃。一気に生命力の八割を削る威力に、思わず跪く。
「まずい」
海が即座に隆道を回復させる。しかし、回復量が追いつかない。その間に一臣や友真が攻撃を続けるも、再び放たれる負のオーラ。
「避けきれない……っす!」
千歳の身体を、絶望に満ちた衝撃が襲う。激しい痛みと、激しい哀しみ。そのあまりの圧力に、思わず叫ぶ。
「うああああああっ」
「いけない!」
一臣が、倒れ伏す千歳に迫る男の頭部にストライクショットを打ち込む。苦しみ悶える男。その隙に海が千歳を庇いつつ回復をさせる。
しかし、これも回復量がおいついてはいない。
もう一度同じ攻撃を受けたら、隆道と千歳は、恐らくもたないだろう。
全員の間に焦燥感が生まれはじめたと同時。
威勢の良い声が闇を切り開く。
「ようやく動けるようになったーっ!」
海のおかげで無傷で済んでいた天花が、ディアボロを見据え低く構える。
「助けてもらってありがとね! 今度はあたいが皆を守るから!」
そう言うが早いか男の懐まで一気に踏み込むと、一気にその腕を振り抜く。
その瞬間、彼女の手には燃えるような緋色をした刀身が現れた。
難しいことは考えられない彼女。しかしだからこそ、全身全霊を込めた攻撃を躊躇無く相手にたたき込める。
激しい衝突音と共に、強力な斬撃が頭部を通過する。
大きくダメージを受けた男が、再び声にならない叫びを上げた直後。
男の歩みが、止まった。
明らかに動きが鈍り始めている彼を見て、海が叫ぶ。
「今だ! 総攻撃をしかけるぞ!」
友真と一臣の強烈な銃弾が、男の頭部に打ち込まれる。苦痛に歪む、青白い顔。
そこを千歳の大鎌が放つ一閃と、海の十字槍が貫き――
「これで、終わりです」
隆道が旋風のごとき回し蹴りを叩き込む。
渾身の一撃を受けた男の身体が吹き飛び、まるでスローモーションのように地へと崩れた。
「終わった……みたいだね」
一臣がほっとした様子で、構えていた銃を降ろす。
倒れた男の虚ろな目は、光を失おうとしている時ですら彼らに向けられることは無く。
「最期まで、この人には優花さんしか見えてへんかったんやな……」
友真はいたたまれぬ思いで男の側まで行くと、そっと声をかける。
「……来世ではどうか幸せに」
男の目が、閉じられようとした刹那。
突然、友真の中に溢れんほどの感情が流れ込んできた。
「これ……なんや?」
思わず言葉を漏らす。それは目の前で息絶えていく彼のものに違いなく。
「これは――」
隆道もそう言ったきり、口を閉ざす。他のメンバーも同じだった。どうやらこの場にいる撃退士全員が、友真と同じ状態に陥っているようだった。
多くの、様々な、感情が。
皆、何も言えず黙り込んでいた。
何を言えばいいのか、わからなかったから。
「お疲れ様」
背後から響く穏やかな声。旅人だった。
見ると彼は優花を連れている。
無事に魅了が解けたのだろう。彼女は疲れ切った表情をしているものの、ほぼ無傷である。
旅人は呆然とする六人をねぎらうように、微笑む。
「依頼は無事成功したようだね」
敢えて先程起こった事には、触れずに。
「それじゃあ、帰ろうか」
「……ああ、そうだね」
一臣が戸惑い気味に、そう答えた時。
「こんばんは」
闇の中から突然聞こえた声に、皆一斉に振り向く。視線の先には、道化師のごとく異様な格好をした子供の姿。
一同に緊張が走る。
いつの間に。
どこから?
様々な疑問が彼らの中を巡る中。
猫のように無邪気なまなざしを向ける少年に向かって、旅人が慎重に口を開く。
「……君は、誰かな」
少年はうっすらと微笑む。
「初めまして。私はマッド・ザ・クラウンと申します」
子供とは思えない、丁寧な物腰。
――しかし。
撃退士達は瞬時に気付いていた。この子供から発せられる圧倒的な威圧感。
それはディアボロよりも遙か高みにいる者の証拠。
彼らは言葉にはせずとも、確信していた。
「悪魔……」
千歳の漏らした一言に全員の顔が強ばる。
「……なるほど。あなたが黒幕、という事ですか」
男をディアボロ化させ、優花の元へと送り込んだ張本人。
一臣の言葉を聞いたクラウンはその身を宙に浮かせると、どこか嬉しそうに応える。
「察しが良くて助かります」
旅人は冷たいものが滑り落ちていくのを感じていた。
ずっと感じていた嫌な感触の正体が、ようやくわかったから。
まさか、悪魔が。
――選択を誤れば、全員死ぬ。
自身が故郷を失ったときと、同じように。
額に、汗が滲む。
止まりそうになる思考を、彼は何とか動かし続ける。
動揺している旅人に気付いたのだろう。海がクラウンの前に立ちはだかりながら、きっぱりと言い切る。
「俺たちは君に用は無い。悪いが、撤退させてもらうよ」
この場で悪魔とやりあえば、何が起こるかわからない。依頼人が側にいる以上、無茶なことはできない。
海はもしもの時は自分が盾となって、皆を逃がすつもりだった。
しかし当のクラウンは、そんな彼の主張などまるで無視して続ける。
「ああ。私はあなた方と戦うつもりなどありませんから、ご心配なく。少しお話ししたいことがありましてね」
「……俺たちに選択肢は無い、と言うことかな」
クラウンは海に向けてにっこりと微笑む。その表情が物語るのは、強制的な一択。
「お前と話すことなど何もないが、一つ言っておきたいことがある」
声の主は隆道だった。その表情は、完全に怒りを露わにしている。
「ほう? 何でしょう」
「どんな理由であれ、お前のやり方は気にくわない」
例え相手が自身より圧倒的強者だとしても。
「死者の思いを弄ぶなど、悪趣味にも程がある。人は玩具ではない。この所行は許せない」
内から沸き立つ怒りだけは、伝えなければならない。
何があっても、心だけは譲れない。それを、相手に言っておきたかった。
クラウンは、ふっと笑みを浮かべて応える。
「いいですね。正直なのは嫌いじゃないですよ」
そして撃退士全員を見渡して。
「では、私からも良いことを教えて差し上げましょう」
「良いこと? 何それ」
悪魔を前にしてもまるで物怖じした様子の無い天花が、聞き返す。
「あなた方が必死になって守ろうとしている者についてです」
目線の先にいる優花が、びくりと肩を震わせる。そんな彼女を庇うようにしながら、友真が問う。
「……何が言いたいん?」
「この男は、そこにいる女性に殺されたのですよ」
「ち、違います! 私、殺してなんか……っ」
優花の叫びが、こだまする。しかし、誰も言葉を発する者はいない。クラウンが続ける。
「彼女は男を騙しては貢がせるいわば詐欺師。あなた達が先程殺した男は、彼女の裏切りを苦にし自らその命を絶った者」
「違う! あの人が勝手に死んだのよ! 私はストーカーの被害者なんだから!」
「うぉぅ、優花っち落ち着くっすよ!」
千歳がなだめるのも構わず必死に否定する優花を見て、クラウンはぞっとする程の薄い笑みを漏らす。
「この期に及んで被害者気取りですか。いいですね。これだから人は醜く面白い」
「私嘘なんてついてないわ! だって……」
優花の主張を、一臣が制する。
そしてクラウンの方を振り向くと、静かな声で言った。
「――知ってましたよ、ミスター」
●彼らの疑念と結論
クラウンの額にかかる前髪が、風と共に微かに揺れる。
彼の瞳に浮かんだ興味の色に、撃退士達は気付いていた。
「ど……どういうことですか」
驚愕の表情の優花へ向かって、一臣はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺たちはこの一週間ただ護衛をしていただけではないんだ。申し訳ないんだけど、君のことも死んだ彼のことも調べさせてもらったよ」
「なんですって……」
一臣の言葉を補足するように、海と隆道も続ける。
「黙っていたことは謝るよ。でもこういう証言しか無い依頼では、ちゃんと裏付けをとるべきだからね」
「ええ。守る相手に疑念を抱いたままでいる訳にもいきませんから」
そう。彼らは事前に聞き込みをし、優花の正体を突き止めていたのである。そして男が死んだ理由は、事故ではなく自殺に間違いないだろうと言うことも、聞き込みで判明していた。
やりとりを聞いていたクラウンは、どこか楽しそうに問う。
「なるほど。ではあなた方は全ての事情を知った上で、それでも彼女を守る選択をしたと?」
「助けて欲しいって言われたんだから、当たり前っすよ」
「それがあたい達の仕事だからね!」
千歳と天花の言葉に、友真もうなずく。
「依頼人の事情なんて、どうでもええ。皆でそう決めたんや」
それを聞いたクラウンの口元が、にいっとつり上がる。
「ふふふ、面白いですね」
愉快そうにその目を細めて。
「あなた方は実に面白い。一人の人間を死に追いやった者を、命がけで守ろうと言うんですから」
「……何が言いたい?」
隆道の返しに、クラウンは長い袖を無邪気に振ってみせる。
「あなたは私の事を先刻『悪趣味だ』と言いましたね」
何も応えない隆道に構わず、クラウンは一際通る声をあげる。
「では、逆に問いましょう! 自分を裏切った者への復讐に手を貸した悪魔と、殺人者を守るために罪のない男を殺したあなた方」
黒い視線が、絡め取るように。
「一体どちらの業が深いと言えるのでしょうか?」
罪深いのは――
ドッチ?
撃退士達の視線が、微かにゆらぐ。
脳裏にちらつくのは、迷いの奏で。
自分たちのしたことは、本当に正しかったのか。
男の感情に触れたが故に。
彼を殺したことは、本当に間違っていなかったのだろうか――。
誰もが心の奥底に抱える琴線。
舐めるように触れるのは、悪魔のささやき。
クラウンの口元が愉悦に綻びかけたとき。
「別に正しくなくていいっすよ」
迷いを断ち切る淡々とした声。
千歳だった。
「うちらは業が深い生き物っすよ。そんなことくらい、わかってますから」
小さな頃から人の負の面を見てきた彼女は、クラウンの言うことを否定するつもりも無かった。
彼女はまっすぐに悪魔を見据えると、普段からは想像も出来ないほど冷めた声を出す。
「けど、そちらのやり方もうちらに負けないくらい汚いっすよね」
それを聞いたクラウンは、ほうと言った表情になる。
「どういうことか、聞きましょうか」
「そんなこと、自分が一番わかってるんじゃないっすか?」
千歳の言葉に、クラウンは微笑したまま何も応えない。
代わりに隆道が低く、声を上げる。
「お前は結局、復讐心を弄びたかっただけだ」
「そうだよ! あたいは難しいことはわかんないけど。あんたが悪いってことだけはわかる!」
天花のストレートな言葉に、クラウンは飄々と返す。
「そうでしょうか? 私は彼の最期の願いを遂げるために、手を差しのべたまでですが」
「いや、それは違うで!」
叫んだのは友真だった。その表情は、どこか思い詰めた様子で。
彼は背後で黙り込む優花のことも忘れ、必死に訴える。
「彼の中にはまだ……優花さんを愛する気持ちが残ってたんやで……」
死ぬ寸前、男から発せられた感情に偽りはなかったから。
「俺……ようやくわかったんや。あの人はなあ……」
言葉がうまく続かない。辿り着いた真実を、口にするのはとても哀しく。
それでも友真は、声を振り絞る。
「あの人が何で自ら命を絶ったかわかるか? 優花さんを……彼女を愛する自分のままで終わらせたかったからや!」
知らぬ間に頬を、涙が伝っていた。
彼女を、深く愛していたからが故に。
心を憎しみで支配されたくなかった。ぎりぎりの選択だったはずだ。
それらは全て、彼女に対する最期の愛。
「……あなたは、そんな彼の思いを踏みにじった」
取り乱す友真をそっと支えながら、一臣が告げる。クラウンは何も応えない。驚きや後ろめたさの色を一切見せない悪魔に向かって、彼は怒りを押し殺し問う。
「確かに、優花さんを恨む気持ちはあったかもしれない。でも彼が命を絶った本当の理由を、あなたは知っていたんじゃないんですか?」
一瞬の間。
クラウンはその幼き表情を無邪気に緩め、告げる。
「否定はしませんよ」
「なん……やて……」
信じられないと言った様子で、友真はかぶりをふる。
「何でや。なんでこんな事ができるんや!」
その問いにクラウンはくすりと微笑んだ後、手を優花の方へと向ける。
「それで、あなた。言いたいことはありますか」
「ふざけんな、話をしてんのは俺や!」
「友真、落ち着け!」
一臣が彼を制止する後ろで、指された優花は泣き出した。
「ごめんなさい。私が……私が、全部悪いんです!」
顔を覆い、激しく泣きじゃくる。
「彼には本当に申し訳ないことをしました。悔やんでも悔やみきれません」
涙を流して反省の弁をのべる優花を、クラウンは黙って見つめている。
そこで海は何か、嫌な予感を覚える。
「優花さんそれ以上は――」
何も言うな。
そう言い終える前に、クラウンが口を開いた。
「貴女は本当に反省したと言うのですね?」
優花は何度もうなずくと、涙で滲んだ声で返す。
「もちろんです」
返事を聞く悪魔の顔に浮かぶのは、凍るほどの冷たい笑み。
「そうですか。なら彼のために貴女、死ねますね」
刹那。
一瞬にして放たれた斬撃が、彼女の頬をかすめる。
激しい爆音と共に背後の壁が大きくえぐれる。
撃退士ですら見切れない攻撃速度に、場が一瞬で凍り付く。
「あ……あ……」
言葉にならない声を上げ、優花はその場にへたりこむ。それを見たクラウンが愉悦の表情を浮かべ。
「反省したのでしょう? なら償えますよね。死への償いは死、のみ。それが私の美学です」
再び、腕を上げる。そこから放たれる攻撃が当たれば、一般人はおろか撃退士ですら、無事では済まないだろう。
「いや……死にたくない……」
かぶりを振りながら、優花は発狂したように叫び出す。
「死にたくない! 誰か、助けて!」
取り乱す彼女を、千歳が必死に抱きすくめる。
「落ち着くっすよ!」
「いやああ死にたくない、誰か、誰かあああああ」
彼女の悲痛な叫びが、闇にこだました直後。
「――これは一体、どういうつもりですか?」
腕を上げたままのクラウンが、その目をゆっくりと細める。
クラウンの前に立ちはだかる、七人の撃退士。
隆道が悪魔を見据え、きっぱりと言い切る。
「見ればわかるだろう。俺たちは、依頼人を護るだけだ」
「……ほう。たった一人の為に全員の命を犠牲にしてもですか」
悪魔から発せられる圧力が、瞬時にその鋭さを増す。
襲いかかるは、禍々しいほどの殺意。
――恐怖。
大気がひりつき、七人に襲いかかる。
圧倒的強者から踏みにじられる恐怖心と、彼らは今必死に闘っていた。
撃退士としての誇りと、無力であることの絶望感。
その狭間で迫られる、ぎりぎりの選択。
悪魔の響きが、耳に届く。
「さあ、答えを聞きましょうか」
槍を構えた海が、唇を噛みしめる。
「それでも……俺たちは」
折れそうになる心を奮い立たせて。
「依頼人を見捨てることは出来ない!」
その瞬間、唸るような斬撃音が地を震えさせる。
クラウンの攻撃と誰もが思ったのだが、違った。
旅人が放った衝撃波が、クラウンの側にあった木を吹き飛ばしたのだ。
太刀を振り抜いた姿勢のまま、彼はクラウンに向かって告げる。
「……君のことは既に学園側に報告した。直に増援がここに到着するだろう」
その声は、どこか懇願するかのように。
「そうなる前に……どうか、お引き取り願いたい」
旅人の言葉を聞いたクラウンは、おやと言った表情になる。
「少し、長居しすぎたようですね」
クラウンは撃退士達を見渡すと、無邪気に笑みを浮かべ。
「悪くない時間でした。礼を言います」
「な……」
唖然とする彼らに向かって、クラウンは続ける。
「楽しませてくれたあなた方に免じ、そこの浅薄な人間の命は助けましょう」
「ふざけるなっ。俺は絶対、お前を許さへん!」
「そうだよ! くたばれこのデコすけ野郎ぅ!」
友真と天花の言葉を聞いた彼は、ゆっくりと微笑んでみせる。
「人の子とは実に面白いものです。あなた方の顔、覚えておきますよ」
そしてくるりときびすを返すと、よく通る声で告げた。
「また、お会いしましょう」
次の瞬間。クラウンの姿は消えていた。
後に残ったのは、静寂を取り戻した闇。
「ごめんなさい……」
背後からあがった消え入りそうな声に、撃退士たちは振り向く。
優花が涙を流しながら、うずくまっていた。
「こんな私を……あなたたちは……ごめんなさい……ごめんなさい……」
地に伏したまま、ただひたすら謝り続ける。その身体は小刻みに震えていた。
一臣が彼女に向かって静かに伝える。
「その言葉は、死んだ彼に言ってあげないとね」
最期まで、貴女を想って死んでいった彼に――。
一臣が差しのべた手を、優花が躊躇いがちに取ったとき。
歌が聞こえた。
どこから響いてくるのかわからない。しかし場にいる全員が、確かにその声を聞いた。
「なんて優しい……」
全てを包み込むような、たおやかで慈悲に満ちた歌声。
それはきっと、彼女に向けた最後の祈り。
「お誕生日、おめでとうございます!」
急に明るい声で祝う千歳に、優花は顔を上げる。
涙に濡れた彼女を見て、千歳はにっと笑ってみせる。
「どうか、生きてください。それがきっと、彼の願いっすから」
願わくば、幸せにならんことを――。
それを聞いた優花は瞳を閉じ、深く、深く、頭を下げた。
●
優花を自宅に送り届けた後、旅人は皆を見渡して穏やかに告げる。
「さあ、帰ろうか。……僕たちの仲間が待つ場所に」
「あたい、お腹すいたー!」
天花のあっけらかんとした物言いに、海がつい吹き出す。
「さっきまで死闘を繰り広げていたとは思えないね」
「帰りに何か食べて帰るっすよ!」
「お、いいねえ」
千歳と一臣の言葉に、友真も乗る。
「そんなん聞いたら俺も行きたくなるやんか!」
笑顔に満ちた彼らを見て。
「全員生きて帰れて、本当によかった」
そう言って微笑む旅人の肩を、隆道が無言でぽんと叩いた。
秋の夜長はさらに深く、続いていく。
撃退士達の様々な思いを、その闇にゆるゆると溶け込ませて――
●SideA = Last message for her
ぼくは、今でも君をおもっている。
君だけのそばで、君だけをみつめ、君だけをまもり、君だけをあいして
これからも、ずっと、ずっと
君だけを
君だけを
君だけを……