咎めない
●
現地に急行した撃退士の目に飛び込んできたのは、ひっそりとした墓地の中で刃を交える二人の姿だった。
「旅人さん!」
月居 愁也(
ja6837)の呼びかけに黒刀を構える背が反応する。
愁也はカーラを牽制しつつ、即座に旅人へ回復スキルを展開させた。友の全身には、既にかなりの傷を負っているのが見て取れ。
「ようオニイサマ、あれから少しは考えたかい?」
声をかけた先で、悪魔はなんの躊躇も無く時計針を撃ち放つ。受け止めた雪室 チルル(
ja0220)が、仁王立ちで堂々宣言した。
「相手にとって不足なし! あたいが相手だ!」
事情はよくわかっていないが、とりあえずやっつけなければならないことはわかった。
戦う理由はそれで十分だと。
「一日、一日、また一日と、時は小きざみな足どりで日々を歩み、ついには歴史の最後の一瞬へとたどりつく、とねえ?」
ふと思い出したようにマクベスをそらんじるのは、鷺谷 明(
ja0776)。捉えた紫水晶の瞳がわずかに細められた。
「妹が世界で一番可愛いってのはフヘンのシンリだけど、アンタとは気が合わなさそうだナ」
銃を手にした狗月 暁良(
ja8545)がにやりと笑んでみせる前方で、鳳 静矢(
ja3856)も挑発めいた笑みを投げかける。
「久しいな、独り善がりの兄上様よ」
ちらりと視線を向けたカーラに表情の変化はない。静矢は間合いを詰めながら、敢えてこちらに気を引きつけるように日本刀をかざしてみせた。
「さぁ、この前の続きを始めようか」
正面からカーラと相対する面々の一方で、影に潜む者たちがいる。
タオルを頭にガテン巻きした小田切ルビィ(
ja0841)が、墓地を囲む木々の影から接近を試みていた。
(今のところこっちに気づいている素振りはねえが……)
あの悪魔の危険性は、直接相対した人物から聞かされている。油断は禁物だ。
Robin redbreast(
jb2203)も、木々が光を遮る暗さを利用し、闇に身を潜ませていた。
(足場はあまりよくないから、滑らないようにしないとね)
小雨が降り続く中、ぬかるみに気をつけつつ慎重に歩を進めていく。
同じく潜行班の水無瀬 文歌(
jb7507)は、複雑な想いを抱いていた。
(リロさんにとって、カーラさんは大事なお兄さんなんですよね。それなら…)
隼人から聞いた話では、カーラは妹を探すためだけにここへ来たのだろう。
それならば、何かやり方があるのではないかと模索したい気持ちがあった。
狙撃銃を手にした櫟 諏訪(
ja1215)は、射程ぎりぎりのところから秘かに狙いを定めていた。
(なるべく気づかれる前に、当てておきたいところですねー?)
相手の高回避は前回でよくわかっている。
できれば接敵前に先んじて撃つのが理想ではあったが、既に旅人が交戦中であるため、最速での合流を優先させることにしたのだ。
「みんな来てくれてありがとう」
「当たり前! てか旅人さん今どうなってる感じ?」
通報した隼人からは、カーラが真咲の目をたどってここへきたこと、どうやら妹を探しているらしいことは聞いていた。しかしその後二人にどういうやりとりがあったかまでは、伝わってきていない。
「彼女の情報と引き替えに、真咲の目の解放を頼んだんだけどね。駄目だった」
「えっ旅人さんリロちゃんの居場所知ってんの?」
「説明する時間がないけど、心当たりはある」
直後、二人がいる方へ時計針が飛んでくる。愁也は咄嗟に盾で受け止めつつ、合点したように笑う。
「要するに力尽くで吐かせようってわけね。相変わらずだなオニイサマ」
「あの本を”手放した状態で破壊”すれば、術が解けるはずなんだけど」
旅人が視線で示した先を見て、暁良と静矢がなるほどと魔具を構えた。
「つまり、俺達の目標はアイツをぶっ潰スことだけじゃねーっとことだナ」
「できれば真咲さんの目を解放したいところだね。それが西橋さんの望みでもあるのだろうし」
目的が定まったところで、暁良はカーラの手元を狙い銃弾を放つ。すると相手はやや本を庇うように身をそらした。
(ナルホド。どうやら情報は正しいみてーダな)
続いて静矢が間髪入れず、日本刀を振り抜いた。紫鳳凰が勢いよく飛び出し、カーラがいる方向を薙ぎ払ってく。
「私のことは覚えているか? ”紫髪紫眼”の剣士がまた貴様と戦いたいと、アルファールに告げたはずだがな」
攻撃を避けながら、悪魔はわずかに小首を傾げ。
「んー…? アルそんなこと言ってたっけ」
まるで覚えが無い様子だが、静矢にとってはそれでも構わない。カーラが彼らに気を取られたそのとき、銃声が響いた。同時に白い頬がぴくりと反応する。
(無事成功しましたねー?)
薄闇の中で、諏訪が息をつく。潜行状態から放つ高命中のマーキング弾は、見事カーラの肩口を捕らえた。
「あー。やっぱり」
ちらりと肩を見やったカーラは、当たった感触が以前と同じであることに気づく。己の位置を追跡するためのスキルだと合点したのだろう。
そしてカーラは素早く周囲へ視線を走らせると、手に三発のエネルギーを生み出した。
高威力の誘導弾。
勢いよく放たれたそれは、明、静矢、旅人の方へ向かって行く。
「これを受けるの何度目かねえ」
被弾の寸前、明は瞬間的に防御能力を高め盾で受け止めた。強い衝撃に、全身が痺れるような感覚を覚える。
同じく旅人も弾を受け止める一方で、静矢は回避を試みた。逸れた弾はやや向きを変え、威力と速度を増しながら後方へ突っ込んでいく。
「狗月さん!」
咄嗟に明が庇護の翼で庇おうとしたが、距離があるため届かない。
閃光と共に爆発音が鳴り響く。明や旅人が受けたそれより遥かに強い衝撃に、暁良の体躯は後ろへ吹っ飛んだ。
「ま、貫通しそうなのを狙うよね。どうせなら」
「……結構効いたナ」
口元の血をぬぐいながら、暁良は全身の痛みを堪えて立ち上がる。
三発同時発射だったため威力は落ちているものの、やはり二倍ダメージは軽くはない。防御型でなければ尚更だろう。
近くにいた愁也が即座にライトヒールを展開する一方で、追撃させまいとチルルが立ちはだかる。
「これ以上はやらせないわ。覚悟することね!」
アウルを体内で活性化させた彼女は、自身の時間認識を極大化させた。
氷結したかのような世界で繰り出す氷剣は、脅威的な精度の高さを持って悪魔へ襲いかかる。
しかし敵も脅威の回避力。真正面から仕掛けた攻撃は避けられてしまうが、チルルの表情に笑みが浮かぶ。
(今よ!)
回避先を狙い暁良が射撃を、静矢と旅人が斬撃を繰り出す。悪魔はぎりぎりの所で避けていくが、波状攻撃をかわし続けたことで体制がわずかに揺らいだ、その刹那。
林の中から影が飛び出した。
大剣を手にしたルビィが、光と闇のオーラを腕に纏い、強烈な斬撃を打ち放つ。
「お初にお目に掛かるぜ。――お兄様☆」
耳元で囁く先で、カーラの目元がきしむ。カオスレート差を活かした一撃は、悪魔の背を大きく斬り裂いていた。
「やったわね!」
チルルが満足げに声を張り上げた。
派手な範囲攻撃で回避させたのも、すべては狙い通り。目くらましのランタンは悪魔に効かなかったが、大きな一撃を与えることができた。
「……ふーん。なるほどね」
流れる血もそのままに、カーラは独り言のように呟いた。その表情から、感情の色は読み取れない。
「ああ、そうそう。さっきのマクベスなんだけど」
再び防御陣を展開させた明は、振り子を受け止めながら飄々と語る。
「この場合の『歴史』とはrecorded timeであり、既に記された時=過去を指しているとも捉えられる」
「だから?」
「過去は確かに尊重されるべきものだが、過去は過去に変わり続ける現在によってできている。そのことを忘れてはならない、とねえ?」
そう言って笑いながら、お返しとばかりに腕に固定した短剣で攻撃を仕掛ける。避けるために身をそらしたのを見計らい、今度はロビンが闇討ちの一手を放った。
「当たったねえ」
明の視線先で、悪魔の胴部から鮮血が散る。
「戦闘傾向は支配と破壊。自己中心的で粘着質な性格。それってみんな、乳幼児期の習性なんだって」
おもむろに飛び出したロビンの言葉に、カーラは僅かに反応を示す。
「愛されたいって思ってるんでしょ? 本にそう書いてたよ」
そう言い残し、彼女はすぐさま木々の合間へ姿を消す。その様子を視線で追う隙を狙い、正面組が再び波状攻撃を仕掛けていく。
「こっちもやられてばかりじゃいられネーんでナ」
銃を手にした暁良が、前衛攻撃の合間を狙い精度を高めた一撃を放った。弾丸はカーラの足下をかすめ、一瞬動きが悪くなった瞬間。
林の中から文歌が飛び出し、手に持ったスプレーを噴射した。
「……?」
脇腹の一部が青色に染まっているのに気づき、カーラは小首を傾げる。特にダメージを受けたわけではないため、何をされたのかがわからなかったのだろう。
しかし間も無くして、その『影響』を理解することになる。
「……あれ」
色別攻撃の呪文を詠唱しようとしたカーラは、何かに気づいた表情になった。それを見た文歌はほっとした様子で。
「成功しましたね」
スキルが封印されたと知った悪魔は、諦めた様子で詠唱をストップする。その動きを警戒しながらも文歌は言葉をかけた。
「カーラさんはここへ何しにきたんですか? リロさんを探すためじゃないんですか?」
「そうだけど。あいつの居場所知ってんの?」
その問いに文歌はかぶりを振ってから、ちらりと旅人を見やる。
(旅人さんが言っていた本の情報は、リロさんから聞いたはず。そこにはきっと何か理由が……)
いくつか思いつくものはあれど、まだ確信が持てないため口を閉ざす。とにかく今は、話ができる状態へ持っていくのが先決だ。
●
しばらくの間、一進一退の攻防が続いた。
それなりの深傷を負わせたとはいえ、相手は多人数戦でも苦戦した高位悪魔。こちらが受けるダメージも相応に深く、長期戦になれば撃退士側が不利になるのは明らかだった。
メンバーは力押しの猛攻を加えながら、激昂を誘うために挑発を仕掛けていく。
「リロちゃんの所在不明が不安? 違うよな。不安なのはあんた自身だろ」
愁也の言葉に、カーラはぴくりと反応を示す。
「今この瞬間にも、彼女は新しい何かを識り、吸収し、あんた以外の色に染まってるかもしれないな」
彼女の世界が新しい色と光で溢れ、自分から離れていくのを。
「自分という存在が『捨てられる』のを、あんたは恐れてるんだよ」
悪魔が纏うオーラがいっそう鋭さを増すと同時、ロビンが死角からの一撃を放つ。
「そんなに執着されたいなんて、お母さんの愛が足りなかったのかな。でもリロはお母さんじゃないんだよ」
こちらを向く視線に、不快の色が映る。
「リロさんが姿を消した理由、分かりますかー? 分からないのであれば、まだ学べてないってことですねー?」
アシッドショットを放った諏訪が、畳みかけるように呼びかけた。
「そんなに必死になって探すなんて、見捨てられたとでも思ってしまいましたかー?」
やはり妹の話題は、カーラにとって鬼門なのだろう。話題を切り出すたび、能面のような顔に感情がよぎるのがわかる。
「姿を消した理由がわからないままだと、本当に見捨てられちゃうかもしれないですねー? そうしたら、一人ぼっちになっちゃいますねー?」
「あー。煩い」
苛立った様子のカーラは、ちらりと左右に視線をやった。その隙を狙い、ルビィとチルルが強襲を仕掛ける。
「よそ見してると怪我するぜ? カーラさんよ!」
「あたいの攻撃を受けてみるのね!」
本を狙ったルビィの攻撃を、悪魔は脅威の反応速度でかわしていく。しかし怪我や精神の乱れが影響しているのか、序盤よりも動きがわずかに落ちている。
連撃の合間を縫い、静矢は爆発的に高めた脚力で接近すると、超高速の一閃を放った。
「この紫電の剣撃を断てる物ならやってみるがいい!」
連続回避で体制を崩したカーラは、その速さに対応しきれなかった。避けきれないと判断したのだろう、瞬時に後方へ飛び退くも、静矢の刃を受けてしまう。
このまま押し切れるか。
そう思ったとき、カーラがおもむろに口を開いた。
「きみらと戦うのってさー。三回目だっけ」
言葉の真意が分からず、撃退士達は怪訝な表情を浮かべる。カーラはほんの少し小首を傾げたまま、口元だけ動かした。
「いい加減きみらも、俺の手の内わかってるよね?」
でもそれってさー、と薄い唇が告げる。
「俺も同じなんだよね」
突如カーラは撃ち合いをやめると、木々の合間へ飛び込んだ。
「なっ…!」
正面から相手取っていたメンバーは、一瞬反応が遅れてしまう。追いかける先で、カーラは視界の悪さをものともせずに奥へ奥へと駆けてゆく。
「んーあの辺かな。出てこないなら適当に吹っ飛ばすねー」
凄まじい爆音と共に広範囲が吹き飛ぶ。
「……っ!」
恐らく攻撃や声のした方向で大体の位置を把握したのだろう。標的はすんでの所で避けたものの、周囲の木々はぼろぼろになり、辺りが丸見えになっている。
たまらず駆け出した影に気づいたカーラは、瞬く間にターゲットへ肉薄する。
「見ーっけ」
再び爆撃音。
辺りの木々が吹き飛んだ先には、避けきれなかった諏訪の姿があった。
「櫟先輩大丈夫ですか!」
追って来た文歌が慌てて回復スキルを展開させる。防御に劣る狙撃手にとって、高火力の一撃は気絶寸前になる程の威力で。
その間もカーラは移動を続け、撃退士達の連携を崩していく。
「待ちなさい! あたいが相手よ!」
チルルは木々の合間から吹雪のごときエネルギー波を打ち放つ。しかし暗い上に射線の通りにくい林の中では、さらに攻撃が当たりにくくなっている。
「あーもう! 正面と潜行組に別れたのは不味かったのかな?」
「いや、最初の作戦は悪くなかったよ」
旅人の言葉に、静矢も同意する。
「正面から当てられるような相手じゃないからね。奇襲は常套手段だったはずだ」
現に潜行班の攻撃が当てられたのも、作戦が成功したからと言っていい。
(だがその後が詰めきれていなかったか……)
元々移動力の高いカーラは、戦場を広範囲に動き回るタイプだ。
多人数戦と違い奇襲側が挑発行動を行えば、自ずと意識はそちらへ向いてしまう。狙い撃ちを防ぐにはそれなりの工夫が必要であったし、互いの連携も必須だっただろう。
「このまま一人ずつ狙われるのは不味いぜ? 奴とタイマンで殴り合うなんざ、自殺行為もいいところだろ」
言いながらルビィは背に翼を広げると、見失わないよう追跡を続ける。
(なんとか引きつけられりゃいいが……)
たとえ林の中でも、やるべきことは同じはずだ。今はとにかく、相手の動きを止めなければならない。
「おい、聞いてるかお兄様! アンタは何をそんなに焦ってンだ?」
呼びかける先で返ってくる言葉はない。けれど確実に聞いているはずだと、ルビィは声を張り上げる。
「アンタは妹から嫌われるのを恐れてんじゃねぇ。むしろ、憎まれるのならそれでいいとでも思ってんだろ? ――愛の対極は憎悪じゃねェからな」
相手の足が止まる気配がした。ルビィは大きく息を吸うと、はっきりと告げる。
「アンタが一番恐れてンのは、妹からの『無関心』――違うか?」
ばきぃっという音と共に、振り子が飛んでくる。木の幹を抉りながら飛んできたそれを、ルビィは敢えて避けずに盾で受け止めた。
「大体なァ、自分から他人に必要とされる努力もしない癖に、一方的に必要とされたがるのは虫が良すぎンだよ」
後方へ飛び退きながら、仲間がいる方へ誘導する。
「――暗い暗いと不平を言うより、進んで灯りを着けましょう…ってな!」
そのとき、ロビンが合流してきた。
「ロビンさん、大丈夫だった?」
「うん。なんとか」
闇渡りを駆使してヒット&アウェイをくり返していたロビンは、常に居場所を変えて位置を悟られないようにしていたため、カーラの襲撃から逃げ切っていた。
「リロの話に反応はしてるみたいだし、このまま引きつけてやるしかなさそうだね」
危険は伴うが、なりふり構う状況でもなくなってきている。
ロビンはできるだけ背後に回ると、木の陰から闇の一手を放つ。
「羊のお面で、不安を隠して、平静に見せようとしているのかな。でもお面だけじゃ偽装は難しそうだね」
直後、爆撃がくり返され、辺りの木々が見るも無惨な姿になる。範囲外で銃撃を行っていた暁良に、カーラが誘導弾を放ったそのとき。
クールな美貌に笑みが浮かんだ。
攻撃を受けた瞬間、驚異的な加速で間合いを詰めた暁良は、身体のリミットを外す。
「――騙シ討ち」
銃から変更した氷狼爪は、彼女本来の得意武器。不意打ちから高速で繰り出される連続攻撃は、最後の一発を除いてすべて本を狙う。
カーラの意識がそちらへ向いたところで、本命の一撃を本人へ叩き込んだ。
「借りは返させてもらったゼ」
脇腹を粉砕されたカーラは血を吐き出しながらも、反動で動けなくなった暁良へ向け振り子を飛ばした。咄嗟に反応した愁也が庇いに走る。
「……っ」
相変わらずの威力に暁良ごと吹っ飛ばされるが、それでも彼女のダメージは軽減できた。すぐさま反撃に転じた愁也は、攻撃盾を手に真っ向から勝負を挑む
「甘えてんのもいい加減にしろ!」
盾を振り抜けば、相手は身を翻し受け流す。そこを狙って再び静矢の高速斬撃が繰り出された。
「ここだ!」
鮮血が舞い上がる。
激しい打ち合いを続けながら、愁也はカーラへ沸き上がるモノをぶつけていく。
「『人の命を奪うこと』。それはその人に関わる人たちの色、光、世界をも奪うことだ」
奪ったものは二度と戻せず、残された者にも暗い影を落とし続ける。
「彼女はその意味と重さを識った。そしてその先を、識ろうとしている。兄貴のくせに、そんなこともわかんねえのかよ」
頑なに識ろうともせず、見ようともせず。
「あんたはいつまで、そこに立ち止まってるつもりだ!」
ギィンと金属がぶつかり合う音が響き、カーラは弾かれるように樹上へ飛び退く。
精神の乱れが息の乱れに繋がっている。その様子を見計らった明が、声を張り上げた。
「永劫に生くる者無し、永遠に続く者無し。そんなにも永遠が欲しいのなら、持っている内に自死してしまえ」
暗い視線を向けてくる悪魔へ、明は笑った。
「ようやっと決心が着いたのさ」
今までは殴りたい程度の感情だった。いや、そうなのだと思い込もうとしていたのかもしれない。
「私は貴様に懺悔させ、後悔させてやりたい」
そもそも永遠を望む必要など無かったのだと、知らせてやりたい。
だって気づいてしまったから。己が魅入った紫水晶はいつだって――目の前の男を見ているのだと。
「だいたい羨ましいんだよ、この野郎」
思いっきり本音が出た明に、相手は虚を突かれたように目を瞬かせた。
「貴様は今も思いっきり、リロ君に執着されてるじゃないか」
執着され、愛されて。
兄妹であった時間が、無くなるはずもないのに。
「……え。もしかして俺に嫉妬してんの?」
「そう」
堂々と肯定する明を見て、紫水晶に初めて困惑の色が映る。
「あー………え?」
どうやら明の言葉を飲み込めないでいるらしい。その様子を見た愁也が呆れたように。
「前から思ってたけど、アンタってほんと他人の考えが読めるくせに、理解はできねえんだな」
「鷺谷さんにああまで言わせるとはねえ……」
普段とは違う友人に、静矢は珍しいものでも見たような顔になっている。
「カーラさん聞いてください。リロさんは、今でもちゃんとカーラさんのことを想っているはずですよ」
文歌の言葉に、諏訪も同意する。
「そうですねー。姿を消したのだって、リロさんはちゃんとお兄さんの事を考えて、お兄さんの為にやったんだと思いますよー?」
きっと兄も人間も、どちらも選ぶためにしたことだろうから。
「リロさんがしたことの意味を、ちゃんと考えてあげて欲しいですよー?」
カーラから返事はない。しかしその瞳が揺れているのを見て、ルビィが切り出す。
「俺にもアンタと同じで妹がいる」
会いたくても会えない家族がいる。だからこそ、言わなければならないと思った。
「アンタの怯えの原因が何なのかは、俺には分からねェ。けど、例えリロに大切な存在が出来たって、アンタとの絆はそう簡単に揺るがないはずだ」
切っても切れない、運命(さだめ)と言うべき繋がり。
「――家族ってのは、そんなモンだろ」
そのとき、撃退士達は見た。
無機質だった紫水晶から、突然、雫がこぼれ落ちるのを。
彼らが息を飲む中、涙は次から次へと溢れ能面の頬を濡らし始める。しかし当の本人は泣いていることに気づいていないのか、頬をぬぐう様子もなく。
「……俺さー」
それは強い、強い――痛々しいまでの渇望。
「あいつに会いたいんだよ」
まるで幼い子供だ、と撃退士は思った。
この男の心は遠い過去から時が止まったかのように、危うい純度を保ったままで。
誰かが何か言おうとしたその時、くぐもった声が響く。
「――君はまだ会えるじゃないか」
旅人のものだと気づき、一同ははっと我に返る。
「僕も隼人も真咲も、会いたい人にはもう会えない。……君に殺されたんだ」
黒刀を握りしめるその手が、微かに震えた。
「”君が”殺したんだよ。わかってるのか!」
怒鳴り声を上げた漆黒の瞳が、激情の焔で揺れている。
せきを切った感情の塊。
それは強い、強い――根源的とも呼べる宣告。
「僕はお前を、赦さない」
「旅人さん!」
カーラに向かって行く友の背を、愁也は慌てて追いかける。
激昂した旅人を見たのは、いつ以来だっただろうか。いや、ここまで感情を露わにするのは始めてかもしれない。
同じく援護に入った静矢は無理も無い、と思った。
自身も天魔の襲撃で家族を失い、同じ絶望を味わった。その敵が目の前にいたら、どれだけ冷静でいられるだろうかとも思う。
(西橋さんは誰より苦しんでいたのだろう)
憎いと思う気持ちと。赦したいという気持ちと。
その狭間で揺れ動いていたからこそ、感情を押し殺し続けるしかなかったのだと。
「もう少し、気づいてあげられたらよかったですね……」
申し訳なさそうな文歌に、ルビィもばつが悪そうに頷く。
「普段大人しい奴ほど、溜め込んでるものも多いってな。――わかってたつもりだったんだが」
「でもこれで確信しました。やっぱりリロさんは、旅人さんとカーラさんのために、本の話を教えたんだと思います」
ずっと気にかかっていた。
旅人が持つ情報がリロからのものだとすれば、なぜ彼女はそれを教えたのか。
「きっとリロさんは、今の状態を何とかしたかったんじゃないでしょうか……」
兄のやったことや性格を考えれば、そう簡単に好転しないのはわかっていただろう。それでも真咲の目を解放することで、少しでも何かが変わればと願ったのではないだろうか。
「だからこそ……リロさんの気持ちを無駄にはしたくないんです」
でも今の二人にはたぶん、言葉は届かない。
ままならぬもどかしさに、文歌の胸は押しつぶされそうになる。
「事情はよくわかんないけど、このままだと埒があきそうにないわね」
氷結晶で覆われた魔具で振り子を受け止めながら、チルルは改めてカーラの様子を確認する。
涙を流してはいるものの、瞳も髪も黒く染まってはいない。激高状態というわけではなさそうだ。
「どっちみち、このまま押し切るしかネーんじゃねえか?」
暁良が張り付くように立ち回りながら、格闘攻撃をしかける。至近距離から高速で蹴りを入れるが、かすめるだけで手応えはない。
「やっぱ、そう簡単には当てさせてくんねーカ」
カーラの動きは傷の影響もあり、序盤よりは落ちてきている。しかしそれは自分たちも同じで、損傷具合で言えばむしろこちらが不利と言って良いだろう。
それでも暁良は闘争を止めない。それは自分にとって敵と相対する唯一の手段であり、会話でもあるから。
前衛が猛攻を続ける中、ロビンは確実に当てられるタイミングを狙っていた。
(最初の時ほど速くないし、今なら本も狙えるかな?)
当てるだけで精一杯だった序盤と違い、今は相手の精神が乱れた状態だ。
心なしか本のガードが落ちているように見えるのも、意識が他へと向いているからだろう。
「カーラさん聞いてください、カーラさんがリロさんのことを想うのはとても素敵なことだと思います。だからこそ、リロさんの想いにも応えてほしいんです!」
文歌が必死に呼びかけるも、カーラは周りの言葉など耳に入っていないようだった。
ひたすら攻撃をかわし、呪文のようにぶつぶつと何ごとか呟いている。
「………さえ……いい……」
直後、チルルが隙を作らせるために正面から範囲攻撃を仕掛けた。
「いくわよ、氷砲『ブリザードキャノン』!」
剣先に収束させたエネルギーは、開放をもって吹雪のように輝く。放たれた衝撃波をカーラが避けた先を狙って、メンバーが一斉攻撃を開始する。
「その本を渡しなさい!」
手元を狙った集中攻撃に耐えきれず、ついにその手から本が離れる。
はじかれた本が宙を舞うのと同時、カーラは凄まじい勢いで突っ込んで来た。
そこからはまさに、一瞬の出来事。
本に意識が向いていたメンバーは、すぐに反応することができなかった。その隙に旅人への間合いを詰めたカーラは、至近距離から巨大な時計針を撃ち込んでいく。
「旅人さん!!」
「……っ」
胴部を貫いた針先に鮮血が滴る。すぐさま愁也が庇うより速く爆発が起こり、辺りが黒煙に覆われてしまう。
――”これ”さえあれば、他はどうでもいい
刹那、煙から影が飛び出した。
意識を失った旅人を担いだカーラは、凄まじい速度で戦場を駆け抜ける。位置を確認していた諏訪が、慌てて叫んだ。
「カーラがどんどん離れていきますよー!」
しまった、と撃退士達は思った。
カーラにとって今回の目的は、”妹の居場所を知ること”だった。そうであるならば、最優先で狙われるのは『情報源』だったはずなのに。
「待て!」
撃退士達が追いすがろうとするのを、悪魔は力任せに振り切り飛び去ってゆく。下手をすると旅人に当たりかねないため、無理な攻撃を仕掛けることもできず。
そうする間に距離は開き、姿を見失うとほぼ同時にマーキング効果も切れてしまった。
「ふざけんな、俺は諦めねえぞ!」
なおも追いかけようとする愁也をルビィと諏訪が懸命に止める。
「月居これ以上は無理だ!」
「どうか落ち着いてくださいなー?」
見れば皆の顔にも悔しさがありありと滲んでいるのがわかる。
いくつかの作戦ミスはあれど、旅人さえ護りきっていれば失敗は避けられたはずだ。最後の最後で一番肝要な部分が徹底できていなかったことが、悔やんでも悔やみきれない。
「くそっ……!」
愁也は崩れ落ちるように跪くと、拳を地面に叩きつけた。
旅人を護る必要があると、わかっていたのに。防ぎきれなかった自身への怒りが、暴発しそうなほどに喉の奥で暴れ回っている。
文歌は半ば呆然とした様子で、二人が去った方向を見つめていた。
「カーラさん……」
どうすれば、わかってくれたのだろう。
どうすれば、こんなことにならずに済んだのだろう。
様々な想いが駆けめぐるが、今は答えを探している時ではないと必死に気持ちを切り替える。
「これからどうしましょうか……」
気丈に振る舞おうとする文歌を気遣いつつ、静矢は眉根を寄せ。
「連れ去った目的が『情報』である以上、すぐに殺されるようなことはないと信じたいが……。いずれにせよ、この状態で救出に向かうのは難しいな」
「だねえ。みな揃って満身創痍だし」
そう呟く明は、突破時の強襲で意識を失った暁良の容態を確認している。
刻まれた笑みが半ば嘲笑のようにも見えるのは、事態を防ぎきれなかった自身へ向けてのものなのだろうか。
「学園へ戻って判断を仰ぐしかないんじゃないかな? ここにいても仕方ないし」
淡々と話すロビンとは対照的に、チルルはしょんぼりした様子で同意してみせる。
「うん、あたいもそれがいいと思うわ」
何かしなければと気持ちは焦るのに、どうすればいいのかわからない。
それが無性にやるせなくて、仕方なかった。
●
早朝の空を、高速で飛び抜けていく影。
久しぶりにねぐらへ帰ろうとする悪魔の前に、突然使い魔が現れた。
緊 急 招 集
三秒以内に帰ってこなきゃ消し炭
「……頭領相変わらず無茶言うよねー」
ケッツァーのルールはわかりやすい。
『ベリアルのガチ命令にだけは必ず従うこと』
それ以外は何やっても咎められないからこそ、彼はいられると言っていい。
「ま、ちょうど帰るつもりだったからいいけど」
ベリアルからの通知を眺めていた紫水晶は、ちらりと肩に視線を移し。
「にしても、今すぐ帰れってんなら”これ”どうしよっかなー」
本来ならばこれから拷問でもして聞き出したいところだが、そんな時間はないだろう。
「ま。帰りながら考えるか」
冷えてきた初秋の大気が、痛みの熱をほんの少し和らげる。
朦朧とする意識の中、旅人の脳裏にはあの本について教えられた時の光景が蘇っていた。
――なぜこの話を僕に?
――兄様がキミにしたこと。ボクに何かできないか、ずっと考えてた。
赦してもらおうとは思っていない。
けれど何もせずにはいられなかったと、彼女は言った。
去り際、自分のことで兄から何か聞かれたら話していいとも。
再び意識が遠のき、深く、深く沈んでいく。
君は何もわかっていない
人を殺すということが、どういうことなのか
咎めるのも赦すのも、どれほど難しいことか
彼女が本当に救おうとしていたのは――
君なのに