気高き魂たちに、灯を
●ツインバベル
「ようこそ、双塔の城へ」
撃退士の前に現れたベロニカ・オーレウスは、万年雪をも溶かしそうな微笑みを浮かべた。
「そなたらの顔を”ここ”で見るのを、心待ちにしていましたよ」
そう言って瑠璃の瞳をほそめる”蒼の微笑卿”へ、夜来野 遥久(
ja6843)が手を差し出す。
「夜来野と申します。私もぜひ一度、貴女にお会いしたいと思っていました」
内に秘めたる想いは、敢えて言葉にはせずに。
ベロニカは遥久と丁寧に握手を交わすと、おっとりときびすを返した。
「では”謁見の間”へ、案内致しましょう」
ごうん、と巨大な鉄扉が開いた。
ベロニカについて歩み入った先は、天井の高さが50mはあるだろうか。大聖堂をも思わせる彫刻やトレサリーが施された身廊が長く続いている。
最奥の大広間、静謐と荘厳に満ちた空間内にツインバベル司令官の姿があった。
(あれがミカエルか……)
その姿を初めて見た大炊御門 菫(
ja0436)は、何とも言えない感慨を覚えていた。
輝くような金糸の髪に、燃えるような深紅の瞳。
見た目は二十代後半と言ったところだろうか。優しげな風貌の中にも、司令官としての厳かな趣が感じられる。
「はじめまして。話し合いの時間を作ってくれて、ありがとう」
Robin redbreast(
jb2203)が挨拶するのに続き、鳳 静矢(
ja3856)も自らの身分を名乗っていく。
「我々は学園側より遣わされた者達です。本日の会談、互いにとってよき結果になることを願っています」
彼らの言葉に相手は頷くと、静かに口を開いた。
「私がツインバベルの司令官・ミカエルです。あなた方のことは部下から聞きました。オグンの命を救ってくれたこと、まずは礼を述べます」
その手にはオグンからの書簡。ミカエルは撃退士達を見渡してから、委細承知といった様子で告げる。
「ここへ至るまで多くの者たちの尽力があったことは、想像に容易い。余計な前置きは不要でしょう、あなた方の話を聞かせてください」
「話が早くて助かるぜ、ミカエルさんよ。俺も回りくどいのは嫌いでな」
赤坂白秋(
ja7030)がにやりと笑んでみせた。
「ってなわけで、単刀直入に言うぜ。今回の”デートコース”は次のとおりだ。
短期的には『今起きている騒動を、学園側にとって不利益の無い形で解決したい』
長期的には『天界との”共存”を選択肢として、あんたらと共に考えていきたい』
そのための手段として、『ツインバベルとの停戦及び共闘の約束を取り付けたい』と考えている」
白秋の後に続いて、ナナシ(
jb3008)が一礼をしてから切り出した。
「私たちはどこかで戦争を終わらせなければなりません。ならば今の状況こそが大きなチャンスなのだと、私は考えています」
ここへ至るまで、どれだけの犠牲があっただろう。命を賭けて託した者たちのために、そして何よりこれからを生きる世代のために、自分たちは今、踏み出すべき時なのだと。
「天界全体に関わる交渉が無理なのは、私達も判っています。なので今回は”双塔派の中でも穏健派”に属するものに関してのみで構いません」
ただ、と彼女は付け加えておく。
「もし今回の会談がまとまった場合は、武闘派の司令官であるウリエル様にも口添えをお願いできればと思っています」
それを聞いたミカエルは、了承の意を示してみせた。
●
「では交渉に入る前にですが」
ナナシが場を取り仕切るように皆を見渡してから、改めて口を開いた。
「まずはオグンの身柄について話をしておきたいと思います。これは今回の会談を受けてもらった感謝と友好の証だと考えてください」
「具体的な話については、俺から話そう」
引き継いだ天野 天魔(
jb5560)が、これまでの経緯やオグンが現在どのような処遇を受けているかについて説明をしたあと。
「学園としてはオグン殿の身柄について、貴殿等とオグン殿が望むのならば引き渡す準備がある」
ただし時期は慎重に検討する必要はあるが、と前置きしつつ。
「俺の方からは、オグン殿が学園にいる場合の利と不利についての考えを伝えておこう。その上で判断してもらえらばと思う」
ミカエルが頷いたのを見計らい、天魔は口火を切る。
「今回の会談が纏まったと仮定しよう。オグン殿が学園にいる間、学園は彼の力を借りる事ができる。貴殿等と共闘の際も、彼がいれば互いの動きから互いの意図を読み取り無言の連携もできるだろう」
反論はあがらない。引き続き、自身の考えを告げていく。
「無論、もし我々が再び敵対した時、オグン殿が学園にいれば処分される恐れはある。だが、貴殿等も我等も彼を慕う者は多く、反発は必至」
そもそも、そうでなければオグンが生かされることもなかったはずだと、彼は続ける。
「つまり双方にとって、オグン殿は排除しづらい上に、両者を繋ぐ橋となり続けられる可能性が高い」
そうであれば、天と人との友好関係を維持しやすくなるだろう。
天魔の説明を、ミカエルは聞き入っているようだった。その整った面立ちにははっきりとした色が映っておらず、表情は読み取りにくい。
「次に不利についてだが。オグン殿が暗殺されれば、学園と貴殿等との仲に大きな溝を生むだろうな」
正直なところ、と彼は言う。
「不特定多数が出入りする学園は、防諜も護衛も貴殿等と比べて劣る。オグン殿の身を守り切れるかどうかは、確約できないと思ってもらいたい」
その言葉に、シスの表情がわずかにこわばるのが見て取れた。しかしミカエルの方には大きな変化は見られない。
「また互いに考えが読めるからこそ、再び対立する事態となったときは、オグン殿の存在が貴殿等にとって脅威となる可能性があるだろうな。元より最も必要な経験と知識がある彼が学園にいる間、君達はその力を借りれん」
現状オグンがツインバベルに不利になるような情報を流すとは思えないものの。敢えて可能性を伝えておくことは、誠意を示すために意味があると天魔は考えたのだろう。
「大きな利と不利だろう? 故に熟慮せよ、ミカエル。これは騎士団だけなく内戦の行方すら左右するぞ」
しばしの沈黙。
「――なるほど、話はわかりました」
視線を上げたミカエルは、落ち着いた調子で続ける。
「この件についての結論は、ひとまず先延ばしにしましょう」
すべては会談の行方次第――こちらを向いた瞳が、そう告げていた。
●
「では次に話をすすめましょう。私達は今起きていることについて、ツインバベルと情報共有したいと考えています」
ナナシから後を継いだ菫が、口を開いた。
「こちらから持ちかける以上、まずは学園が手にしている情報について話しておこうと思う」
そう言って、彼女はここ最近起きているゲート襲撃について言及していく。
「現在各地で天魔のゲートが、何者かの手によって落とされているのは知っているな? 私達は襲撃犯および、その狙いに繋がる手がかりを手にした」
複数の依頼報告書を示しながら。
「この岡山での事件では、エネルギーが完全に奪われたコアは紅く変色し、ゲート主は殺害されていた」
別の依頼では、蛇型のサーバントがコアに絡みつきエネルギーを奪っていたことを伝える。
「状況から見て、賊の狙いはゲートエネルギーの奪略だと、私たちは見ている」
説明を聞く司令官の表情には、やはりといった色が浮かんでいるようにも見える。ロビンは岡山の事件で自分が見聞きしたことを付け加えた。
「オグンからの書簡にも書いてあったと思うけど、そのゲート主を殺したのはシリウスっていう天使みたい」
シリウスという言葉を口にしたとき、ミカエルの表情が反応を示した。
「その天使以外に、もう一人いたという情報もある。どちらかが残したと思われるペンダントが、現場に落ちていた」
菫に促された旅人が、ペンダントをミカエルの前に差し出した。紋章を見つめる瞳の、わずかな揺れ。
「これって、ベリンガム王の紋章なんでしょ? 王直属の天使しか持てないものだって、聞いたよ」
ロビンの問いかけに、相手は否定をしない。
成り行きを見守っていたナナシが、ここで事実確認へと切り込んでいく。
「これらの情報から、学園側では天界内部で内乱が起こっていると判断しています。その認識に間違いはありませんか?」
ナナシの問いかけにミカエルは一呼吸置いてから。視線を上げ、ゆっくりと頷いてみせた。
「これだけ情報が集められている以上、今さら隠すつもりもありません。あなた方の言うとおりです」
返答を聞き、ロビンは岡山ゲートを襲ったのは『穏健派』天使だったらしいことを伝えてから。
「あそこを襲ったのが『ベリンガム王直属の天使』ってことは、ツインバベルとは敵対する存在ってことでいいのかな」
無言の肯定。
「もっと踏み込んで言えば、奴らの今後の狙いはツインバベルの可能性が高いと私は考えているのだが……どうだ?」
菫の言葉に、ミカエルはオグンの書簡に視線を落としながら言った。
「シリウスがここへ来ているのであれば、可能性は否定できないでしょうね」
「では内乱が事実であるならば、後顧の憂いをなくすためにまずは学園との停戦に応じてもらえないでしょうか」
ナナシの提案に、ミカエルはあまり時間をおかずに返答してみせた。
「そうですね。私達は今、あなた方と争うだけの余力は無いと言うのが、正直なところです」
元より、とシスを見やりながら微苦笑を宿し。
「ツインバベルの天使達は、高知での一件以降、あなた方と積極的に争いたいと考えている者は少ないようですから」
やはり穏健派の重鎮と言うべきか、停戦交渉については思ったよりあっさりと話が通った。もちろんここに至るまでの積み重ねあってこそなのだが、ひとまずメンバーは胸をなで下ろす。
「では話を先に進める前に、聞いておきたい事があるのだが」
菫は手元のメモを確認しながら、慎重に切り出した。
「交渉を進めるにも、私達は今天界で何が起きているのかを知らない。一体、何と何が争っているのか。どのような人物が関わっているのか。話せる範囲で構わないから教えてくれないか」
「実のところ、天界で何が起きているのかは私も正確には把握できていないのです。今地球にいる天使すべてがそうでしょう」
「現在私たちは、天界中央とのラインを切られておりますので」
ベロニカの補足に、撃退士達は驚いた表情になる。
「故に各所から漏れ聞こえてくる断片的な情報から、判断することしかできませんが――ベリンガム王が内乱を始めたのは事実のようです」
「もう少し詳しい話をしてもらって構わないだろうか」
菫の言葉に、ミカエルは思案げに頷いて。
「天界の歴史は話せば長くなるのですが……元々は『ゼウス王』が治めていたことはご存じですね? そのゼウス王を廃したのが、『ベリンガム』王と、彼を支える『エルダー』と呼ばれる長老氏族の者達でした」
話によれば、穏健派統治を行う前王に不満を持っていた彼らによって今の武闘派のやり方になったのだという。
つまり、地球に対しての侵略が始まった遠因というわけだ。
「ですが、此度の政変で王はそのエルダー達を殺害したときいています」
説明を聞いていた静矢は、やや怪訝な表情で。
「王とやらは、何が目的でそんなことを? 王が政変を起こすというのは、いささか不自然におもえるのだが」
「ええ、多くの天使も同じ疑問を持っていたはずです。この事は天界でも一握りの者しか、知らされていない秘密が根源にありましたから」
ミカエルは、言葉を区切る。言葉の意味を理解する時間を置くように。
「今の天界は実質、エルダー達によって治められていたのです」
ベリンガム王の言葉は全てエルダーが発し、王への奏上も全てエルダーを通さねばならないのだと。
聞いた静矢は合点した様子で。
「成る程……つまり、実際の支配者であるエルダーを排除し、王自らが支配者になるのが狙いだと」
「ええ。メタトロン様はエルダーとの繋がりが深いお人ですから、我々地球派遣軍の多くは"王権派"からは敵とみなされたのでしょう」
現在地球の天使は一方的に中央との連絡を切られ、エネルギーラインもすべて断たれた状態なのだという。
エネルギーが天界から届かない今、何もしなければ蓄えを緩やかに消費するしかない。力の弱いものから、餓死する事もありえるという状況であるとも。
予想以上の深刻な事態に、白秋がやれやれと言いやる。
「あんたらの話を聞く限り、随分過激な王様だな。エルダーとかいう爺さん達だけじゃなく、自分と敵対する派閥は皆殺しにするつもりってことだろ?」
無言の肯定。続いて遥久も問いを口にする。
「そのベリンガム王というのは、どのような方なのですか」
「実のところ私自身は王のことを、あまりよく知らないのです」
ミカエルによれば、全王であったゼウス政権時代は関わることがなく、政権交代後は彼自身も政治の中心からは追いやられていたためらしい。
「ではミカエル殿ご自身は、王や王権派についてどのようにお考えなのでしょうか」
「というと?」
「王権派がエルダー派を『敵』と見做しているのはわかりました。ですがエルダー派の天使にとってはどうなのか、相手を粛清するという考えが、果たして穏健派やミカエル殿の中にあるのか……。お聞きしておきたいと思いまして」
遥久の言葉に、相手はしばし沈黙したあと。
「同朋を手にかけたいと思う者など、そうはいません。――ですが、私には部下を護る義務がある」
言い切る口調に、力がこもるのがわかった。
「私は穏健派と呼ばれたかつての首脳陣の末席にいた生き残りです。だからこそ、今もその在り方で生きたいと願う者達を護らねばなりません」
たとえ相手を迎え撃つことになっても、それは変わらない。
ミカエルの言葉は、彼らが王権派のやり方を受け入れるつもりが無いことをも、示唆していて。
「じゃあミカエルにとっては、どうすることが最善なのかな?」
そう言ってロビンは、シスの方をちらりと見やる。
「あたしはオグンやシスのやりたいことのお手伝いをするって、決めたから。ツインバベルを護りたいと思ってるよ」
もしミカエルにとっての『最善』も、『部下の命を護る』ことであるならば。
「あたしたちなら、それをお手伝いすることができると思うんだ」
彼女の言葉を皮切りに、ナナシが共闘交渉の流れへと舵を切り始める。
「もしベリンガム王側が人類との友好を全く望んでいないのであれば、学園としてはツインバベル側に勝利してもらいたいと思っています」
そのために共闘を申し込む準備があると伝えると、後を継ぐ形で白秋が切り出した。
「ツインバベル擁する戦力は強大だ。だが身動きが取り辛い……そういう印象を俺は受けている」
その性質上、向いているのは『守り』である筈だとも。
「一方、俺達は『依頼』って形で任務をこなしてる。依頼と、納得のいく報酬――これはカネに限らずだが――さえあれば、限りなく自由に何処だって攻められるぜ」
そう話すまなざしが、真っ直ぐにミカエルを捉えた。
「どうだ、ミカエルさんよ。俺達の”お得意様”になってみねえか?」
やや意外そうな表情の相手へ、白秋は更に説明を重ねていく。
「要するに、俺達の提示する共闘案は『ツインバベルは守りを固めつつ、学園へ依頼を出す』って形だ」
具体的な内容は次の通り。
・ツインバベルからの『依頼を受ける』形で、学園側が攻め手を担う。
・この際、学園が約束を違えないか監視する名目で、『ツインバベルからも一人以上の戦力を、必要に応じて派遣』する。
・以降、定期的に学園及びツインバベル両首脳陣で『会議の場を設ける』。
「まあ監視ってのは建前みたいなもんだ。実際に俺達が共闘すること自体に、意味はあるはずだからな」
説明を聞いていたミカエルは、確認するように口を開く、
「要するに、我々とあなた方を『依頼者と受託者』という関係で繋ごうというわけですか」
「ああ。あんたらの立場上『俺達に助けてもらう』っていうよりも、あくまで『報酬を渡し、戦力を得た』って形の方がいんじゃねえかと思ってな」
とはいえ、依頼者と受託者というのは”対等関係”であることを意味する。果たしてミカエルがそれを受け入れるかどうか――ここが正念場だと撃退士達は思う。
「定期的な会議については、互いの情報交換だけでなく、新たな交渉の場にもできるはずだ。もしオグンが学園に残るのであれば、近況報告もできるしな」
そう話す天魔に続き、ロビンやナナシも自分なりの意見を伝えていく。
「あたしたちは天界の情報が分からないけど、人界で起こっていることは天界陣営よりも早く把握できるよ。だからお互いの情報を交換すれば、王権派に対して備えられるんじゃないかな」
「私達の力はここまでの戦いで示す事ができたと思っています。ミカエル様はこの提案を、考える事すら意味の無い弱者の世迷言とお思いでしょうか?」
自分たちはもう護られるだけの弱者ではない。人と天は助け合う関係になれるはずだと。
ここで成り行きを見守っていた静矢が、ミカエルと向き合った。
「ここまでの話で既に御理解頂けたと思いますが、私達は出来る事ならば天界との争いを避けたいと思っています」
相手の目を見るまなざしは真剣そのもので。
「それは堕天し人類に協力してくれる天使のみに限らず、天界に属しこの世界を侵攻する天使達にもまた、私達と変わらぬ想いがあり情がある事を知ったからです」
天と人とに大きな違いはなく、だからこそ理解し合るはずだと彼は言う。
「オグン殿はその可能性を見出したからこそ、切っ掛けを作る為に自らを『殺した』……私はそう、理解しています」
「……そうですね。あの方の書簡にもそのように書いてありました」
頷く相手へ、静矢も頷きを返し。
「ミカエル殿が仰っていた『王権派』と言う存在。その存在がどういう物かは詳しくは解りませんが、同胞のゲートを襲い味方であるはずの天使をも殺しています。そのような非道を平気でやってのけられる存在であろうことは、私達が各地で関わった事件からも十分に伝わってきます」
そしてオグンやミカエルの危惧通り、既にツンバベルが標的にされているのならば。
「この謁見の事も遠からず知れるでしょうし、ツインバベルが人類と共に何事か謀っている反逆者として、攻められる可能性も無くは無い」
攻めの口実を与えたまま何もしないでいるのは、むしろ危険過ぎると告げた後。
「地球の総司令官はメタトロン殿であると聞いています。ですがツインバベルに置いてはミカエル殿そしてウリエル殿が司令官であるとのこと」
ならば、と静矢はほんの少し言葉に力を込め。
「天使が天使を襲う現状からツインバベルの天使を守る為、撃退士と一時的に手を組む事は此処を守る司令官としても非の無い選択では無いでしょうか」
その深紅の瞳に、光が灯ると信じて。
ひとり、そしてまたひとり。
撃退士達は自らの想いを告げていく。
「俺達は時々、ダチみてえに笑い合う瞬間があった」
相手は劫焔騎士団、武闘派の集団だ、と白秋は告げる。
「ヒトと天使の関係は変わりつつある。それは時代を動かしてしまう程に――あんただってもう、分かってるはずだぜ」
だから俺達はここで言葉を交わしているんだろう?
菫が問う。
「いくら自らの世界の尊さを説いても、そこに住めない者たちはいる。しかし、全てを焼き尽くした世界に、想いは残るだろうか」
いいや違う。
それは違うと、そのまなざしが強く否定をする。
「未来の誰かが苦しい思いをするならば、そこにいる私たちが踏み留まるべきなんだ」
そのためにどうあるべきか。何をすべきなのか。
私たちは問われ続け、その問いに磨かれていく。そうでなくてはいけないのだと、彼女は告げる。
「もう今のままではいられないと、私たちは知っているはずだ」
だから暗い暗いと嘆くより、明かりを灯そう。
己の信念に焔を燃やし、新たな世界を開花させるために。
「私たちが創りだした光が標となり、誰かの新しい道を照らす。私はそう、信じている」
「――誓いは、果たされなければ意味が無い」
遥久が口にした言葉に、ベロニカの瞳がはっと見開かれた。
「私は公の信念と魂を、この命が尽きるまで背負っていくとあの日誓いました」
名を呼ばれたこと。
騎士の魂を託されたこと。
その意味を常に噛みしめ、己の矜持として前を向き続けるとあの剣に誓った。
「公は人と天魔との新しい在り方を願い、次の世代に托しました。私はその願いを、生涯かけて実現させていくつもりです」
そして争いの無い未来を、等しく貴方も願うのならば。
「今こそ、私たちは新しい風を呼び起こす時ではないでしょうか」
撃退士達の言葉を聞き遂げたミカエルは、一度だけ天を仰ぎ見た。
その表情は、心なしか晴れやかな様子にも見えて。
「――不思議なものですね」
穏やかな声音。
「私はできればあなた方と刃を交えたくない。ずっとそう思って来ましたが、今は騎士団員たちが少し羨ましく感じます」
「司令官殿……」
こちらを向いた深紅の瞳は、ほんの少し親しげな色を浮かべている。
「私達はもっと早くに、こうして話すべきだったのかもしれません」
「それは違います。彼等が言ったとおり、僕たちは今だからこそ話すべきだった」
旅人の言葉に、ミカエルは微苦笑しながら頷いてみせたあと。
「あなた方の主張は実に理路整然としていました。互いの利はもちろんのこと、我々の立場すらをも見越した提案は、想定を越えるものだったと言わざるを得ない」
ひとつひとつの言葉を届けるように、天使は続ける。
「あなた方も知っての通り、この世界は気持ちや感情だけではどうにもならないことがあります。けれど、想いの強さが生み出す光もまた、否定できない。私はそう信じています」
理と心。
両者が揃わなければ、大きな流れは動かすことはできない。
これまで多くの紛争を経験してきたからこそ、若き司令官の言葉には真実がこもっていた。ミカエルは傍らに控えるベロニカ達を振り向いて。
「何か意見はありますか」
「ミカエル様の意のままに」
秘書官がゆるりと一礼する隣で、シスは一度俯いてから決心したように顔を上げた。
「俺は――親父たちが殉死したときに、誓いました」
誰のためでもなく、自分自身のために新たな時代を創るのだと。
「司令官殿の決断が次代の幕を開けると、信じます」
二人の返事を聞いたミカエルは「ありがとう」と頷いてから、撃退士へ向き直った。
「ではこれより、我々は学園との共闘態勢に入ります」
また一つ、道が拓く。
歴史が動いた、瞬間だった。
●天と人に灯る次代の幕開け
共闘の了承を得た撃退士達は、ひとまず内乱における情報交換を進めることとなった。
「天魔活動圏内での能力低下を無効化する術を、私たちは持っている。共闘の際、役立てることができるかもしれないな」
菫はそう伝えてから、思い出したように。
「氷宿(フロスヒルデ)の方も何かに使えないだろうか」
フロスヒルデとはツインバベルが開発した盾であり、大戦を機に現在は学園の手に渡っている。
「あれの使用には『雫』が必要ですので、今の状態で使用するのは難しいでしょうが……」
ミカエルの返事に、ああといった様子で。
「確か、雫の精製には精神エネルギーを要するのだったか」
「ええ。精製に協力していただけるのであれば、あるいは――と言ったところかと」
続いて遥久も、気になっていたことを問うてみる。
「穏健派と武闘派の間で、王権派に関しての認識は共有できているのでしょうか」
「王権派が我々を敵と見做している以上、迎え撃たねばならない相手だとは認識しているはずです。ただ、個々の感情となるとそれはまた別でしょうね」
何が正義で、何が大義なのか。
混乱している者も少なくはないだろう、とミカエルは言う。
「武闘派と呼ばれる者の多くは、エルダーの元で忠誠を誓い、大義を与えられてきました。そのエルダーを王が不義というのですから」
そのために王側に寝返る者も出てきており、今後も混乱は続くだろうとのことだった。
「天王側にいる主要人物はわかっているのだろうか」
菫の問いに、ミカエルはやや慎重気味に。
「すべてを把握しているわけではありませんが……。今地球にいる天使でいえば、ザインエル殿が王権派の中枢を担っているのは、間違いありません。彼と関わりが深い天使の多くも王権派と見ていいでしょう」
他にも王権派のゲート分布があるのか問うてみたが、個人レベルの小さなものまでは把握できていないという。
「それから――先ほど話に出たシリウスも王についたと聞いています。ゲート襲撃の件を見ても、明らかですしね」
「一緒にいた天使についてはわかるだろうか」
「何とも言えませんがシリウスは諜報部隊を率いていますので、隊員の多くは彼についていったものと思われます。一緒にいたという天使も、恐らくは」
「そのシリウスって天使のことなんだけど」
ロビンの言葉に、相手が反応を示す。
「オグンが『シリウスはミカエル様とは旧知の間柄、今のあやつはミカエル様と相容れぬはず』って言ってたらしいよ。もしあたしたちを信じてくれるなら、詳しい事情を教えてくれないかな」
聞いたミカエルはやや躊躇いがちな表情を浮かべつつ。
「オグンの言うとおり、私とシリウスは旧知――いわゆる幼馴染みの関係です」
話によればシリウスの能力は非常に高く、高位の天使にすらひけを取らなかったらしい。
「ですが彼には、能力に見合う『身分』がなかったものですから」
元々高位の生まれだったミカエルとは違い、シリウスが表舞台に立つことは許されなかったのだという。それ以上は詳しく語られなかったが、恐らくこのことが二人の袂を分かつ原因となったのだろう。
「天界は古くから続く階級社会で、そのことに不満を持つ者は少なくはありません。ベリンガム王に付いた者の多くは、特権階級に支配された現状を変えたいと思っている……私はそう、考えています」
その他にもいくつか情報交換を行ったあと、先延ばしになっていたオグンの身柄について話が及ぶ。
「ひとつ、確認しておきたいのですが。この件について、オグンはなんと言っているのですか?」
ミカエルの質問に、旅人が答えた。
「出発前に意思確認したところ、現時点で戻るつもりはないと言っていました」
「一応説得はしてみたのだがな。新しき時代が過ちを犯さぬよう、古き時代が支えるべきだと」
天魔の説得に対するオグンの答えは「貴君の言うことはもっともだ。しかし、今私が帰っても混乱を招くだけだ。恐らくミカエル様もそれは望んでおられんだろう」とのことだった。
「そうですか。あの方らしいですね」
納得した様子で頷いたミカエルは、はっきりと言い切った。
「私も今の状態でオグンに戻ってもらうことは、望んでいません」
「理由を聞いても構わないか?」
天魔の問いかけに、ほんの少し表情を引き締めて。
「あの方がいれば、私を含め多くの者が彼を頼るでしょう。ですがそれではいけないのです」
今起きていることは、託された自分たちの手で乗り越えねばならない。
それができないようであれば、遅かれ早かれツインバベルは滅ぶ――そう、焔の天使は言う。
「加えてオグンの身がこちらにあった方が安全かといえば、必ずしもそうではないと私は考えています。既にお話ししたとおり、今は天界の中ですら誰が敵で味方なのかわかりませんから」
「ええ。私がシスをそちらにお預けしていたのも、かような事情からでした」
ベロニカの言葉に、ある程度事情を察していた旅人や遥久も頷いてみせる。
「あなたの話を聞き、オグンが学園に留まる利も理解しました。であれば尚更、あの方にはそちらに留まってもらいたいのです」
返答を聞いた天魔は、承知したといった様子で。
「貴殿がそのように判断するのであれば、我らに異存は無い。オグン殿への警護もより厳重にするよう、改めて学園に要請しよう」
「勝手な都合であることは重々承知ですが。あの方のことをよろしくお願いします」
いつか自分たちが胸を張って、迎えにいける日まで。
「んじゃ、今後についでなんだが。俺達が共闘するに当たって、武闘派と穏健派の連携は必須であり急務だ」
白秋の言葉に、ミカエルも同意してみせる。
「ええ。その点については私も尽力するつもりでいます」
「念のために、両者の橋渡し役をオグンに要請し、これを了承して貰ってある。必要であれば言ってくれ」
「わかりました。配慮、感謝します」
「学園側との連絡役として、できればシスを指名したいのですがどうでしょう?」
ナナシの提案にシスがぎょっとなる。
「ぬ!? お、俺様か!?」
「ええ。あなたをこき使うことにはなるけれど。やっぱり信用できる相手じゃないと頼めないから」
「どうですか、シス」
ミカエルに問われ、三白眼が慌ただしく泳ぐ。
「ぬ……彼の者達が望むのであれば、まあ……」
「シス、男の子でしょう? はっきりと言いなさい」
ベロニカのほほえみ()に、シスは慌てたように言い切った。
「貴様等が俺様を信用するのならば、俺様も貴様等を信用する。以上だ!」
●
その後、今後についての取り決めをしてから、会談は終了した。
「今回のデート、楽しんで貰えたか?」
冗談めいた調子で言いやる白秋に、ミカエルは上品な笑みを見せてから。
「騎士団の者達が惹かれた理由は、わかりました」
「そうか。今度はウリエルともデートをお願いしたいもんだ」
その隣では、静矢と天魔がオグンの今後について意見を交わしている。
「この会談を機に、オグン殿の生存も公表せざるを得ないだろうねえ」
「ああ。オグン自身への危険は増すだろうが、これで堂々と動けるようにもなるしな」
そしていつか戦争が終わりを迎えたとき。
天界に戻った老将が、人と天のために新たな世代を支えることを、彼らは願ってやまない。
「じゃあシス、今後もよろしくね」
「ぬ。よ、よろしく…頼む……」
ナナシが差し出した手を、シスは照れくさそうに握り返す。その後方では、遥久がベロニカに別れの挨拶をしながら。
「ベロニカ殿にお伝えしておきたいことがあるのですが」
伝えたのは、王権派の動きについて『密告』があった件。
「ザインエルに近しい誰かが動いていると、学園は見ています。王権派が一枚岩でないのなら、今が好機かと」
ベロニカはやや驚いたような、それでいていつもの微笑は絶やさずに。
「かような者の存在は、私達も把握しておりませんでした。情報、感謝致します」
そう言って一礼をしてから、瑠璃の瞳を慈しげに細めてみせた。
「そなたの魂に蒼雷が灯り続けることを、祈っています」
別れ際、菫は置き土産にプロテインを渡しながら、気になっていたことを口に出してみる。
「過去ある者とゲート内共存を模索していたらしいという情報があるのだが……知っているだろうか」
真意を測りかねているミカエルに、彼女ははああいやと付け加え。
「私達以外でそういう者がいたということを、伝えておきたくてな」
「しばらく前になりますが……共存を念頭に置いた支配を模索したいと申し出た使徒がありましたね。その者はあなた方と縁があると聞いています」
貴女が言っているのはその使徒のことでしょう、と告げてから。
「その後については当人からの報告がないのでわかりませんが……。いずれにせよ、穏健派として今も生きている天使達は、多かれ少なかれこういった模索を各地で行っているのは事実です」
シリウスに討たれた天使もまた、そうであったのだと。
「あたし達の調査でも、その天使は住民を気遣ったりしてうまくやってたみたい」
ロビンは少年と一緒に写真に収まっていた顔を思い出しながら。
「あんな風に、いつか共存の道も見つけていけたらいいと思うよ」
ここで会談を見届けた旅人が、改めて全員を見渡した。
「学園側も同じだよね。皆も知っての通り、天魔との共存の道を探してきた生徒達は大勢いる」
だからこそ、オグンは生かされ自分たちはここに至っている。冥魔側では種子島という非戦闘区を勝ち取ったのも記憶に新しいだろう。
「そうやって多くの人たちが模索し続けてきたからこそ、今があるんじゃないかな」
そして今、人と天とは共存へ向けて次のステージへと踏み出している。
あまたの想い、願いをたぐり寄せ、己の手で次代の幕を開けてみせたのだ。
「僕は君達とここへ来られたこと、誇りに思う。ありがとう」
そして今もなお存り続ける、気高き魂たちへ――敬意をこめて。