時は、刻み始めた。
●
宇都宮駅に到着した撃退士達は、ペデストリアンデッキ上で待ち構える敵影を目にしていた。
「あそこにいるのは…こないだの事件で遭遇した時限爆弾ディアボロの亜種かな?」
若杉 英斗(
ja4230)の視線先。生気の無い顔をした男女四名が、広場中央で佇んでいる。
(もしそうなら、奴がかつて旅人さんや東平さんが出会ったという悪魔の可能性が高い……か)
広場中央『ひびきの像』頂上に立つ、ロングパーカー姿の男。
フードからのぞく『羊の面』を見た瞬間、西橋旅人(jz0129)の顔が強ばるのがわかった。
ごぅん、と鐘が鳴った。
悪魔の頭上に現れた巨大な物体を見て、英斗は目を見張る。
(アレは…振り子時計?)
三メートルはあろうかという振り子が、あの独特な音と共に時を刻んでいる。
「旅人さん、あれが例の悪魔?」
月居 愁也(
ja6837)の問いかけに旅人は額に汗をにじませながら頷く。
「間違い無いと思う」
十年前、故郷の住民を皆殺しにした悪魔。
「………燃えるんじゃねぇぞ」
久我 常久(
ja7273)が旅人の肩をバシッと叩いた。
「失われたものを取り戻す戦いかもしれねぇけどよ。もうお前さんはそれだけじゃねぇはずだぜ」
護るべきもの。越えるべきもの。
お前はちゃんとわかっているはずだと言いやる先で、旅人は頷いてみせた。とはいえ感情を必死に押し殺しているのが見えるだけに、常久は話題を逸らすように。
「おい、身体に痣や変化は現れてねえかよく見とけよ」
「痣…ですか?」
「倒れた当時の事は何も覚えてないんだろ? なら最悪を想像しとくもんだ」
だいたい物事はそれより悪い。
常久の言葉に、英斗も気づかうように声をかける。
「旅人さん、チャンスは俺達が作りますから。冷静に行きましょう」
「ありがとう、若杉君」
外殻強化で防御力を上げた愁也は、”ある予感”を抱きつつも口には出さずに。
「お礼参りはしなくちゃね。……この間の奴と同じなら尚更さ」
”アメジストの瞳”を持つ男。
その意味するところが杞憂であればいい。
けれどだいたい、物事はそれより悪いのだ。
●
「桃色の髪と振り子時計状の得物…。誰ぞを彷彿とさせる様な…?」
小田切 翠蓮(
jb2728)の脳裏には、種子島にて邂逅した少女の面影が過ぎっていた。
それを確かめるためにも、まずはディアボロ掃討を。翠蓮は斧槍を手にデッキ上をゆるりと見渡して。
「ふむ。爆発系のスキルを何度も発動されてしまえば、この遊歩道は只では済むまいよ」
後々のことを考えれば、できるだけ損傷を抑えたい。
「――ならば答えは明確。使われる前に無力化してしまえば良いだけの事」
直後、舞い上がる砂塵が一体を捕らえる。みるみる石化していく横をすり抜けたフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が、奥の一体へ向け重力場を発生させた。
「最低一体は抑える。その間に他を潰せ」
プーラーの足下に出現した魔方陣から、黄金の鎖が放たれ対象を絡め取っていく。身動きが取れなったプーラーを横目に。
「……面を被ったとて、滲み出る殺意は隠せんものよな」
意識を向ける先は、羊面の悪魔。まるで新しい玩具を見つけたように、彼女はうっすらと笑みを浮かべた。
その時、像を挟んで反対側の一体が爆弾を投擲した。持ち前の回避力で難なく避けた陽波 透次(
ja0280)は、赤刃嵐のような光を纏い。
「こちらは任せてください」
振り抜いた古刀から赤色の衝撃波を打ち放った。地を滑るように放たれたそれは、標的を飲み込み動きを封じ込める。
麻痺状態となった敵を確認しつつ、透次はちらりと悪魔を見やり。
(あいつは、西橋さんの故郷を滅ぼしたんだ)
自身の故郷を滅ぼした天魔が、羊面の男と重なる。
「……たくさんの人が殺される前に」
討ちたい。
刀を握る手に、知らず力がこもる。
黒の双銃を手にした法水 写楽(
ja0581)は、透次が麻痺させたプーラーへアウルの弾丸を撃ち放った。
「にしてもなァ。羊頭の悪魔ならゲームで見たけど、羊面の鉄オタ悪魔はとんと記憶にないぜ」
写楽の言葉に最後の一体を石化させたRobin redbreast(
jb2203)は、きょとんと小首を傾げる。
「鉄オタって何?」
「鉄道を愛して病まない連中…ってトコだな、嬢ちゃん」
「ふーん。そうなんだ」
「あれは鉄道を愛してるのとはちょっと違うような…」
透次の言葉に写楽は頭を掻きつつ。
「あ゛〜…確かに。鉄オタなら何でもかんでもぶッ壊しちまいそうな爆弾魔は連れ歩かねェか」
そんな軽口を叩きつつ、写楽は動きを止められたプーラーへ鋭い視線を送る。
「ま、ンなコトは置いとき。アレは可及的速やかにブッ潰すか」
一方、鷺谷 明(
ja0776)は愁也、旅人と共に悪魔の抑えに回っていた。
羊面の男は本を手に開いたまま、振り子や時計針で攻撃を仕掛けてくる。長針を盾で受けた愁也は、フードからのぞく桃色髪を見て残念そうに。
「それにしても男かー、桃色髪ってちょっと期待したのに」
わざとらしいぼやきに、注目スキルを展開した明は、いつもの笑みを浮かべる。
「桃色髪といえば、最近リロ君には会ったかい?」
「種子島以来会ってないんだよなー。そろそろ桜も咲くし、また一緒にお花見したいんだけどね」
二人の会話に、悪魔がわずかに反応したように見えた。その様子を窺いつつ、明は懐から『紫水晶のブレスレット』を取り出す。旅人が小首を傾げ。
「鷺谷君それは?」
「いや、リロ君への誕生日プレゼントは直接渡したいと思ってね。いつ会ってもいいように常に持ち歩いているのさ」
「お、素敵ブレスレット…シンプルながら上質さが感じられるデザインだね」
愁也はうんうんと頷きつつ、聞こえよがしに言う。
「実は俺もリロちゃんにプレゼント用意したんだよね。すっげ似合うと思うんだー」
一瞬の沈黙。
三人の視線先で、悪魔が纏う瘴気が更に濃くなった気がした。
「……なんだ。俺の正体バレてんじゃん」
初めて発せられた声に、旅人の表情が確信に変わる。面を外した姿を見て、愁也は苦笑気味に言った。
「やっぱ、ビンゴだったかー」
できれば、そうであってほしくはなかったけれど。
「あそこまで似てると、ねえ?」
明の言葉に、旅人もため息を漏らす。
人形のように整った顔立ち。微動だにしない、白い頬。
こちらを向く双眸は、時を識す少女と瓜二つの”紫水晶”だった。
●
「――やはり、リロ殿の肉親であったか」
悪魔の素顔を見た翠蓮は、再び八卦石縛風を展開させつつ内心でひとりごちる。
(だとすれば…あの者も『時』に干渉する類の能力を持っておるやも知れぬの)
翠玉のごとき瞳の前には、身動き一つ取れないまま朽ちたプーラーの姿。
「このまま一気に倒しましょう」
英斗は極限まで高めたアウルを魔具に乗せ、勢いよく打ちつける。
「出し惜しみはしない主義なんでね。くらえ、セイクリッドインパクト!!」
カオスレート差を生かした強撃に、敵の体躯が大きく揺らぐ。続くフィオナも再び黄金の鎖を生みだし、身動きひとつ取らせない。
「駒は駒らしく縊り殺されるのがお似合いだ」
その頭上で、影が動いた。
「面倒くせーのはとっとと消えてもらうぜ」
高く跳躍した常久が、全体重を乗せた一撃を叩き込む。急所を正確に貫かれ、プーラーはまともに動く事も出来ないまま地に倒れ伏した。
二体目が倒されたことに気づいた悪魔は、無表情のまま呟いた。
「うーん。思ったより早く始末されそうだなー」
徹底的に行動阻害した上に、一体集中攻撃を続けられては手も足も出ない。
男は諦めたように本を閉じ。
「もう少し時間稼げるかと思ったけど、仕方ないか」
そう言って悪魔の瞳に紋章が浮かんだ瞬間、時計の長針が『12』の位置へと進み出す。英斗がはっとした様子で叫ぶ。
「爆発注意してください!」
同じく気づいた透次と常久が緊急離脱すると同時、二時を告げる鐘が鳴り響いた。
ごぅん。
前列の一体が爆発。
次の鐘が鳴る前に、ロビンが石化中の一体に体当たりする。
「写楽、落として」
「おう任せろィ!」
ごぅん。
写楽の掌底が一体をデッキ下に落とすのと同時、爆発の振動が起こった。
「ふー巻き込まれたら危なかったな」
見たところ、威力はかなりのものに見えた。透次もほっとした様子で。
「何とかなりましたね」
近くにいたため避けきれなかった者もいたが、持ち前の耐久力で致命傷にはならずに済んだ。
全てのプーラーがいなくなったことで、メンバーは悪魔班と合流する。
「お待たせしました」
英斗は悪魔の顔を改めて見て、思わず呟く。
「リロ・ロロロロイ」
聞いた悪魔は「なんか多くない?」と言った後、どこか納得したように。
「やっぱ俺、”妹”と似てんだろうなー」
「そこな羊面の麗人よ」
翠蓮の呼びかけに、悪魔は小首を傾げる。
「何?」
「おんしの僕は全て掃討したぞい。このまま指揮官が留まっておっても意味はなかろうて」
それに、と翠蓮は敢えて物腰柔らかく言葉をかける。
「リロ殿の兄者と戦いとうは無い。――此処は退いてはくれぬか?」
「うーん。きみに退く理由はあっても、こっちにはないんだよね」
「……何故かのう?」
「だって俺の目的って、きみらを殺すことだもの」
表情ひとつ変えず言い放つ悪魔に、フィオナが愉快そうに。
「随分と殺意が高いな、悪魔。理由を述べてみよ。少しは我を楽しませるものになるやもしれん」
「害虫駆除」
有無を言わさぬ宣言。
聞いた愁也があーハイハイと言った様子で。
「つまり俺らは、リロちゃんにまとわりつく害虫ってことね」
「は〜…随分とこじらせたシスコンじゃねェか」
写楽は相手が抱えた”二冊の本”に目を留めると、揶揄するように問う。
「じゃあソレには、てめぇのブラックリストでも記されてんのか?」
悪魔は瞬きをしてからああ、といった様子で。
「俺ね、あいつと違って”自分が見たもの”を記録することはできないんだよね」
その発言に常久が眉をひそめた。
あの男が手にした本のうち、一冊は旅人の幼馴染みである東平真咲の”目”を記録したものと常久は推測していた。
(もう一冊が奴自身の記録じゃないとするならば――)
そこで悪魔を観察中だった英斗が、あることに気づいた。
「あの本…リロさんが持っていたものと似てませんか?」
大きさこそ彼女のものより小さいが、色や見た目がそっくりだった。
「じゃあ、まさか……」
「そ。こっちはあいつのコピー」
本を掲げてみせられ、明が成る程と言った様子で。
「つまりリロ君の行動や交友関係把握済で、邪魔な輩は全て抹殺すると」
「さすが理解が早いね、”アクル”?」
「貴様にその名を呼ばれたくないねえ”御兄様”?」
その言葉に悪魔の瞳孔が僅かに開くのがわかった。常久は吐き捨てるように言い放つ。
「随分と御執心じゃねぇか? しつこい男は嫌われるぜ」
「え、なんで?」
「勘違いしてんじゃねぇぞコラ。お前がやってることは妹のためでもなんでもねえ。そんなつまんねえ愛があってたまるか」
聞いた悪魔はほんの少し考えたあと、怪訝そうに。
「言ってる意味がわかんないんだけど」
本気で理解していない様子を見て、フィオナはおかしそうに言いやる。
「やめておけ。あれは言葉で解するような輩ではなかろうよ」
彼女に視線を向けた悪魔は、じっと見つめ。
「さっきから思ってたんだけど、きみ殺すには惜しいねー。美人だし、俺の好みだし」
それを聞いたフィオナは一瞬意外そうな表情を見せたが、すぐさま笑いだす。
「面白い事を言うな、悪魔。外見の美醜など我にはどうでもいいことだ」
「そうそう、その鼻っ柱の強いところとかさー。■■■ときの快感、たまんないよね」
その発言に男性陣がぎょっとなる中、ロビンが表情ひとつ変えずに告げる。
「そういうのセクハラっていうらしいよ」
ロビンに視線を移した悪魔は、きみも悪くないね、と言いつつ。
「でもきみ、俺と同族な匂いがするんだよなー」
「あたし、シスコンでも鉄オタでもないけど」
「え。俺、いつから鉄オタになってんの」
透次が怪訝そうに問う。
「そもそも貴方の興味は、妹さんに向かっているんじゃないんですか」
「聖域と好みって別じゃん? 気に入ったのがあれば欲しいし」
「……つまり彼女を収集したいと?」
嫌悪感をあらわにする透次へ、悪魔はあっさりと肯定する。
「そそ。ま、死んでてもいいんだけどさ」
「生きてる方が、何かと楽しめるでしょ?」
「……あいつ、思った以上にやべェな」
写楽の言葉に、常久は舌打ちしながら。
「奴が男の風上にもおけねえ野郎だってことはわかった」
「同感。とりあえず一発入れないと気が済まねえわ」
苛立つ愁也の背を叩き、常久は宣言する。
「おい、コラ。かわいい女の子は正義だ。ロリコンも正義だ。だがお前は間違ってるし、クソ野郎だ」
「…ま、それでもいいけど。でもさ、きみらだって欲しいものがあれば手に入れようとするでしょ」
それの何が悪いの?と言わんばかりの悪魔に、翠蓮が鷹揚に笑う。
「どうやらおんしとわしらとでは、善悪の物差しがまるで異なっておるようだのう」
つまりそれは、話し合える余地がないことを意味していて。
「戦うしかないのならば、この場はそうさせてもらうとしようぞ」
「その意見に賛成。というか」
刹那、悪魔の身体を一際強いオーラが覆う。
「他の選択肢なんて、最初からないけどね」
●
時計針が翻った。
槍と化した針が斉射され、撃退士へと、向かって行く。予測回避でフィオナが避ける隣で、愁也は盾で受け止めた。
「……なかなかの威力だな」
針が接触した瞬間、全身が総毛立つのがわかる。
「ありゃあ、まともにくらうとやべえな」
向かってきた振り子を畳替えしで避けつつ、常久は忍刀を振るう。しかし刃は空を切り、手応えは感じられない。
「くそっ、また避けやがった!」
大剣をかわされた写楽が苛立つ隣で、同じく攻撃を避けられた翠蓮も頷き。
「先刻より速さが増しておるようだのう。恐らく真正面から戦っても勝機はあるまい」
正面はおろか側面攻撃すらまともに当たる気がしない。
「そう言えばリロさんも素早かったですしね…兄ならそれ以上なのかも」
英斗の証言を聞いた透次は思案げに切り出す。
「では、回避先を狙って攻撃を仕掛けませんか」
「ああ、いいねえ。なら私は陽動をやるとしよう」
明はそう言うが早いか悪魔へ向け布槍を飛ばす。回避方向を予測し背後にまわった透次は、超高速の斬撃を繰り出した。
「今です!」
間髪入れず旅人と愁也が攻撃を重ねる。避けきれず体勢を崩したところで、今度はロビンが死角からの一撃を放った。
「当たったね」
肩から血を流した悪魔は、傷と彼らを見比べてひと言。
「ふーん。考えたね」
そして全員を見渡すと、おもむろに呟いた。
「”黒”かな。赤でもいいけど」
次の瞬間、悪魔の手から幾筋かの光閃が伸び、写楽、明、透次、そして英斗が同時に爆撃される。
「っつう〜…何だァ今の攻撃は?」
不意打ちを受けた写楽達を見て、ロビンは何かに気づいた様子で。
「たぶん、ターゲットを色で識別してるんじゃないかな」
状況を見るに髪か、瞳か、はたまた両方か。
爆撃を急加速で避けた透次を見て、悪魔は小首を傾げた。
「きみ、よく避けるねー」
「……貴方ほどではありませんが」
「俺さー思うんだよね。当たらない戦いほど不毛なものはないって」
言いながら悪魔は手に小型ミサイルのようなものを生み出す。放たれたそれを透次が避けると、突如弾道が変わりロビンへ向かって急加速した。
「な……っ」
凄まじい明滅と共に、爆発が起こる。
「ロビン!」
駆け寄った写楽が彼女を抱え起こした。
「大丈夫か、しっかりしろィ!」
直撃は免れたものの、ロビンが受けた傷は酷いものだった。
愕然となる透次へ向け、悪魔は淡々と告げる。
「この技は、きみが避ければ他にターゲットが移る。ついでにいうと、代わりに当たった奴には威力2倍だから」
どうする?
「ちっ…なんつータチの悪ィ能力だ」
怒りをあらわにする写楽に、翠蓮は嘆息を漏らし。
「これもある意味支配、よの。随分とこちらを研究しておるようだのう」
続いて悪魔は明へと視線をやると、手にした本を掲げた。
「”これ”によれば、きみもでしょ」
「……彼女の記録なら、否定するつもりもないさ」
悪魔は鬼道忍軍の中でも、とりわけ高回避の二人に狙いを定めたようだ。
「陽波、鷺谷、構わず避けろ。我が代わりに受けてやる」
フィオナの言葉に透次は逡巡めいた表情になる。
「ですが……」
盾を構えた英斗も頷いてみせ。
「気にしないでください。そのために俺達がいますからね」
しかしそれでも、透次は迷わざるを得なかった。
魔装で負荷をかけた自分にとって、あの攻撃を受ければ一撃で戦闘不能に陥ってもおかしくない。
しかしもし、自分が避けたことで仲間が取り返しの付かない深傷を負ったら?
目的のためにより勝算のある方を選ぶべきなのは、わかっている。
けれど。
けれど――
「じゃ、いっくよー」
「くっ…!」
生み出された魔弾が滑るように透次へと向かい、そのまま爆発する。
「陽波君!」
駆け寄る旅人と常久へ、膝を付いた透次は苦渋の表情で。
「すみません…迷って反応が遅れました」
朦朧状態の透次を後方退避させながら、常久が檄を飛ばす。
「謝んじゃねえ。迷うってのは、お前さんがそれだけ他者の痛みを思いやれるってことだ」
「久我さんの言う通りだよ。君の優しさを利用するあいつが間違い無く最低だ」
その時、明の笑い声が辺りに響いた。
「ああ。まったくもって下衆極まりないねえ」
透次とロビンへ癒やしの風を展開させ、彼は普段通りの笑みを刻んだ。しかしそこに愉悦の気配はない。
「随分余裕ぶるんだね。気でもふれたの」
「黙れ。つべこべ言わず来い」
「あそ。じゃ、遠慮無く」
勢いよく放たれた誘導弾を、明は真正面から受け止めた。
「鷺谷さん!」
近くにいた英斗が身体を支える。
「なんで避けなかったんですか、奴の思うつぼですよ!」
明は血反吐を吐きながら、それでも悪魔へ向かって言い放った。
「とことん貴様が気に入らないからさ」
見やる先で、悪魔は表情ひとつ変えていない。フィオナが呆れたように、けれどどこか愉快げに言う。
「馬鹿者が…だがまあ、腹の内は理解してやらんでもない」
「や、これで戦闘不能に陥ったら元も子もないからね? そこそこ耐久性は上げてきたつもりだったからさ」
とは言え、回復手の少ないこの戦況。次を耐えるのは難しいだろうねえと笑う明に、先程から黙り込んでいた愁也が口を開いた。
「奇遇だね鷺谷さん。俺も同じ事思ってたわ」
こんなに怒りを覚えたのは、あの子が傷つけられた時以来だろうか。
「あーマジ気に入らねえ。気に入らねえから全力でぶっ潰すわオニイサマ」
ぴくりと悪魔のこめかみが反応する。愁也は沸騰しそうな怒りを抑えつつ、明へ目配せし。
「俺さーリロちゃんのこと大好きでさー」
「はっはっは。私なんてこじらせ過ぎて薄い本まで書いた(まがお」
「リロちゃんもさー。俺といると楽しいって言ってくれたんだよねー」
空気が変わった。
どす黒い憎悪が立ちこめ、ヘドロのように辺りを飲み込んでいく。その様子を見て明はさも愉快そうにブレスレットを掲げ。
「あ、これリロ君に似合うと思わない? 彼女の華奢な手首にきっとよく映えry」
ブレスレット、消し炭になった。
「……ああ、そうだ。言い忘れてたけど」
そう言って悪魔は急に旅人を振り向いた。
「あの時きみに言ったあの言葉」
――へぇ。ソレ、俺と同じだね。
「キレた時のその目が、俺と同じだったから」
刹那、紫水晶がみるみる濃くなり闇色へと変わる。
純然たるモリオン。
髪と瞳が黒く染まった悪魔は、何本も青筋を走らせながら明と愁也を指した。
「お前とお前は殺す」
極限まで高められた殺意に、大気が歪む。
「手をもいで足をもいで■■■を■■■■て殺す」
「はっ上等だ」
愁也は吐き捨てるように言い放つと、悪魔を睨み据える。
「リロちゃんはアンタの所有物じゃねえし、俺らはアンタに害虫扱いされる筋合いもねえ。その腐った根性、意地でも叩き直してやるよ!」
その瞬間、巨大化した時計針が凄まじい勢いを持って放たれた。
「分かりやすくキレてますね……」
激高状態の悪魔を見て、透次はあっけに取られている。常久はやれやれと言った様子で。
「互いに、だけどな。ったく、無茶すんじゃねえぞあいつら」
とはいえ、気持ちがわかるだけに止める気にもなれず。愁也達の援護に回った翠蓮は状況を確認しつつ。
「だがあやつが切れたおかげで、随分と隙が生まれておるようだのう」
あれほど当たりにくかった攻撃が、今ではほぼ命中しているように見える。飛ばした盾を命中させた英斗は、確信を持った表情で。
「あれって、避ける気がないと思います」
恐らくあの状態になると、攻撃以外の機能がまともに働かなくなるのだろう。魔法攻撃を撃ち込んだロビンも頷く。
「その分、威力は上がってるみたいだけどね」
時計針と振り子が以前より大きくなっているところからも、それは明らかだった。フィオナがふん、と笑みを漏らし。
「ならば我らが落ちる前に、落とせばいいだけのこと」
そう。結局のところ、この戦いはどちらが先に狩られるかの話なのだ。
「そうとわかれば、さっさとブッ潰すだけのことだなァ!」
一気に間合いを詰めた写楽は、悪魔の後方に回ると大剣を振り下ろす。
「ほらほら、後ろががら空きだぜィ!」
斬りつけた肩口から鮮血が吹き出す。続いて襲いかかるのは翠蓮が生み出す風の刃。
「避けぬとわかれば、攻撃あるのみよ」
紅血をまき散らす悪魔の前方では、明達が更なる引き付けを行っている。
「ははは随分とご立腹のようだねえ、御義兄様?」
「……”赤”」
幾本の光線が写楽、明、愁也、常久を捉えた瞬間、明が鉄腕の魔手で悪魔を殴り飛ばす。
スキル発動を潰された悪魔は、明らかに苛立った様子だった。
続いて放たれた巨大針を愁也が盾で受ける。あまりの衝撃に後方へ吹っ飛ばされるが、すぐさま立ち上がり。
「はっこの程度かよオニイサマ? 俺はこのくらいじゃ死なねえよ!」
「全く、貴様は既に限界だろうが」
再び愁也へ向け放たれた針を、回り込んだフィオナが受け止める。
そこを狙った常久が兜割りを叩き込み。
「悪いな、わしが死ぬまでまだこいつ等に死んでもらうわけにはいかねぇんだわ」
常久とフィオナに行動を阻害され、悪魔は不愉快そうに呟いた。
「あー。鬱陶しい」
直後、悪魔を中心に激しい爆発が起こる。数名が巻き込まれ、黒煙が辺りに立ちこめる。後方へ飛ばされた常久はすぐさま視線を走らせ。
(奴はどこだ?)
先ほどいた場所から気配を感じない。
不味いと思った次の瞬間、煙幕の中現れた振り子がフィオナを吹っ飛ばす。体勢を崩した彼女に悪魔は馬乗りになると、凄まじい力で殴りつけた。
「かはっ……!」
流れ落ちる血雫が、金糸の髪を染めてゆく。悪魔は痛みで動けないフィオナの首筋に顔を寄せ、すう、と匂いをかいで。
「やっぱきみ、いいね」
無機質な黒の僅かな揺れ。
闇の奥で狂気が昂ぶる瞬間を、フィオナは見たと思った。
「いい加減にしねェか、このサイコ野郎!」
写楽の振りかぶった拳が、悪魔を殴り飛ばす。必殺の一撃は骨をも砕き、悪魔の左手がだらりと垂れ下がった。しかし悪魔は気にする素振りも見せず、ひたすらに向かってくる。
「フィオナさんが危ない!」
英斗が意識が朦朧としている彼女の元へ駆け寄り、庇護の翼を展開させる。
激しい衝突音。
あまりの痛みに一瞬意識が飛ぶが、根性で耐えきってみせた。悪魔はわずかに目元をひくつかせ。
「何、お前も死にたいの?」
「ふざけるな、お前のような奴に殺されてたまるか!」
直後、構えた盾が白銀の光を放つ。
英斗は極限まで高めたアウルを、渾身の力で叩きこんだ。盾は胴部に深くめりこみ、悪魔の口から血糊が吐き出される。
その隙に翠蓮はフィオナの元に降り立つと、すぐさま後方避難しながら容態を確認し。
「不味いのう…傷が臓器にまで達しておる」
出血の量が多く、このままでは危ない。翠蓮は治癒膏を施しながら声をかけ続ける。
「焼け石に水かもしれぬが、無いよりはよかろうて」
「…我のことはいい。今あやつらを援護せねば、確実に死ぬぞ!」
視線の先には、悪魔と激しい攻防をくり返すメンバーの姿。特に愁也と明は限界に達しているにも関わらず、まるで引き下がる様子がない。
「まさかリロ君にもああいうことやってるんじゃないだろうねえ?」
「え、俺そこまでイかれてないし」
「もう十分手遅れだっつーの!」
「愁也君どいて!」
悪魔が飛ばした時計針を旅人が刀で受ける。金属同士が激しくぶつかり合う音が響き渡った。
「ちょ、旅人さん大丈夫!?」
「今の旅人はお前より冷静だ馬鹿!」
忍刀を打ち込んだ常久が言いやると、旅人はちょっとおかしそうに。
「自分より怒ってくれる人がいるとね」
冷静と激情のバランスは、案外他者に依存するものなのかもしれない。
「むっアレは…鷺谷さん避けてください!」
「若杉君ありがとうねえ」
明へ向け放たれた誘導弾を、英斗が代わりに受けとめる。身体中を貫く激痛と熱風。
「痛い…けど、こっちもそう簡単に倒れるわけにはいかないんだよ!」
不死鳥のオーラで護られた身体は、強力な再生力を持って英斗の命を繋ぐ。
その隙に写楽と翠蓮が悪魔を押さえ込み、ロビンと透次が挟み撃ちするように攻撃を繰りだしていく。
「絶対に…負けるわけにはいかない…!」
透次の渾身の斬撃が悪魔の胴部を抉る。対するロビンは表情一つ変えず、具現化した矢を凄まじい勢いで撃ち込んだ時だった。
突如巨大な銀時計が出現し、ロビンの矢を遮る。
「あの時計は……!」
数名が反応すると同時――頭上から声が響いた。
「そこまでだ」
●
宇都宮駅上空。
姿を現したのは、貴族風の出で立ちをした男だった。男は血まみれになったカーラと撃退士を見やると、やれやれといった様子で。
「”また”全員殺してしまう気かい? ちょっと落ち着けよ、カーラ」
「……なぜお前がここにいるの」
呟くカーラの視線は目前の相手ではなく、更に奥へと向かっている。そのことに気づいた男は、優雅に微笑んで。
「資源まで殺すのはあの方の『指示』に反するだろ? って、実は”彼女”に言われたんだけどさ」
男の後ろで、桃色のボブヘアーがふわりとなびいた。
「リロちゃん!」
姿を現したリロ・ロロイを見て、カーラの髪と瞳が一瞬で元に戻る。リロは愁也の呼びかけには反応せず、”兄”へ向かってお辞儀をしてみせた。
「妹君もここへ派遣されたそうだよ。ほら、あのメイドの子も来てたじゃないか」
男の言葉にリロも頷いて。
「……シェリルが大怪我を負ったって聞いたから」
メイド長に許可をもらい、様子を見に来たのだという。リロは深傷を負ったカーラの手を心配そうに取ると、男へ目配せし。
「兄様はアルファールと行って。あとはボクが」
「まったくきみって世話が焼けるよねえ」
カーラは友と妹を見比べてから、撃退士を見やり。
「……ま、いいけど。今回だけだよ?」
そう言ってアルファールの肩を借り、そのまま飛び去っていった。
残されたリロは撃退士の前に歩み出ると、丁重にお辞儀してみせる。
「兄様に攫われた人間が、すぐに殺されることはない。だからキミ達も、今日のところは退いてほしい」
「リロさん……」
声をかけてきた英斗へ、わずかにかぶりを振り。
「……ごめん。今はこれ以上、話す事はできない」
話せば危険が及ぶ。彼女の瞳はそう告げているようだった。そのまま去ろうとする背を、呼び止める声。
「リロちゃん! 俺、諦めねえから」
その言葉に、彼女の歩みが止まった。気を抜けば意識を失いそうな中、愁也は必死に告げる。
「言っただろ? 諦めの悪い男だって」
「……シュウヤ」
「――ああ、そうだ」
血溜まりの中で明が何かを取り出した。こちらを向いた紫水晶へ、明は笑いかける。
「これ、受け取ってくれないか」
もし君が、今でも焦がれてくれているのなら。
差し出したのは、念のためにもう一つ持っていたブレスレット。戸惑うリロへ、英斗が微笑みかける。
「この間、誕生日だったんですよね」
その言葉に、リロの瞳がわずかに見開かれるのがわかった。翠蓮は流星群の夜に話したことを告げる。
「おんしはわしに言ったであろう? 『人と天魔はどうあるべきなのか、答えを識りたい』と」
俯くリロに、ゆるりと笑んで。
「おんしが出す答えを、待っておるぞい」
しばらくの間、リロは逡巡めいた様子を見せていた。しかしやがて明の手からブレスレットを受け取ると、
皆へ向かって一礼し。
そのまま何も言わず、飛び去っていった。
小さくなる背を見送りながら、透次が呟く。
「彼女は、僕たちを助けにきてくれたんでしょうね」
「平静を装ったつもりだろうが、ありゃあ随分焦ってたな。ま、あの兄貴じゃ無理もねえだろうが」
あのまま続けていたら、間違い無くどちらかに死者が出ていただろう。
常久の言葉に写楽は成る程ねぇと頷き。
「あの兄妹、似てるのは顔だけってことだなァ」
「そうかな? あたしは結構似てると思ったけど」
ロビンの反応に、マジかといった目で返した。
「まさか、あのイかれてるところじゃねェよな?」
「うーんよくわかんないけど。たぶんあの子も一緒だよ」
「一緒、ですか?」
透次の言葉にロビンはこくりと頷く。
「欲しいものを、諦めてないところ」
意識が薄れゆく中、フィオナは独り言のように呟いた。
「いずれにせよ、奴らとは再びまみえるだろうさ」
その口元には愉快そうな笑みが浮かぶ。
そう、まだ時は始まったばかりなのだから。