夜が明けたばかりの早朝。
ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)は海の見える高台にやってきていた。
この場所にひっそりと立つ墓碑へ向かい、日々の務めをこなす。
「楓殿…今朝は少し冷えますな」
周りに積もった落ち葉を掃き清めながら、ヘルマンは瞳を細める。
昇ってくる陽が、磨き上げた碑を柔らかく照らし始めた。
「今日はきっと、皆さまに会えますぞ」
●水天の花紅葉
種子島。
宙と海に囲まれたこの島にも、秋はやってくる。
「わぁ、綺麗なんだよ……!」
紅葉に彩られた木々を見渡し、ピネル・クリムゾン(
jb7168)はため息を漏らした。
恋人のウィル・アッシュフィールド(
jb3048)と訪れた並木道は、山紅葉やケヤキ、満天星(ドウダンツツジ)が見事に赤く染まっている。
「燃えるような景色だな……」
鮮やかに色づいた紅葉はまるで花のようで。
頬に触れる秋風に気づき、ウィルはわずかに逡巡しながらスピネルの手を取る。
「少し冷える……この方が、良いな?」
強く握りしめると、彼女の体温が伝わってくる。すぐに、細くしなやかな指が握り返してきた。
「うん、ウィルちゃんの手すっごく温かいんだよ♪」
花のような笑顔。
繋いだ手のぬくもりが、とても嬉しくて、愛しくて。
ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)は両手一杯に焼き芋を抱え、遊歩道を歩いていた。
「この時期の焼き芋…ジャスティス…」
紅葉がよく見える場所を探して、てくてく。腕の中にある焼き芋の温かさに、何だか幸せな気持ちになる。
途中で出会った北條 茉祐子(
jb9584)に、焼き芋をお裾分け。
「これ…食べる…?」
「いいんですか? ありがとうございます」
ほかほかの焼き芋を、二人で食べ歩き。落ち葉の絨毯を踏みしめながら、茉祐子は金緑の瞳を細めた。
「きれいですね……」
紅葉した木々も、木々の合間から見える澄んだ空も。
何もかもが目に眩しくて。
「こんな風に季節の移り変わりを静かに楽しめることを、とても幸せだと思います」
自然が生み出す四季折々の華麗さは、時に悲しいことを忘れさせてくれる。
季節がめぐる度に、命の奇跡を歓べる気がするのだ。
「あ…猫……」
ベアトリーチェが指さした先で、一匹のトラ猫がにゃあと鳴いた。
「あら、人懐っこいですね」
二人で撫でてやると、猫はごろごろと喉を鳴らす。その気持ちよさそうな表情は、この島に流れる時間が穏やかなのだと教えてくれる。
高台へ向かったアンジェラ・アップルトン(
ja9940)は、海の見える場所へ辿り着いていた。
去年の夏、様々な想いを胸に花火を眺めた場所。
側に立つ名も無き墓碑へ、そっと語りかける。
「楓…種子島の戦いが終わりましたよ」
あれから起きたこと。
「檀も無事です…ジャスミンドールもです。貴方の願いが叶いましたね」
穏やかな陽差しが墓碑をやわらかく照らしている。側に立つ大きな楓に目を細め、アンジェラは抱えていた紙袋を掲げてみせる。
「今日は焼き芋を買ってきたのです。一緒に食べましょう」
一方、黒百合(
ja0422)は島南部の宇宙センターエリアを訪れていた。
「きゃはァ、のんびり休暇を満喫しましょうかねェ…何をしようかしらァ♪」
この付近には大中ロケット発射場を始め、司令塔や展望台など、様々な施設が広大な敷地に点在している。
「やっぱりまずは発射場かしらねェ…♪」
最初に向かった大型ロケット発射場は、ゲートの影響で現在修復中のようだが、見学自体は可能とのことだった。
「ここから、はやぶさ・・・とか、かぐや、が打ち出されて宇宙に飛んでいったのねェ・・・いいわァ、宇宙ってロマンよねェ♪」
高さ80mにも及ぶ巨大な発射台や周囲の施設を眺めながら、黒百合は満足そうに呟く。
職員の説明によれば、いまだ有人飛行は行っていないものの、既に技術はあるらしい。
「いずれここから、宇宙に行けるかもしれないのねェ…」
ロケットが飛ぶ様子を想像して、黒百合はうっとりと呟く。
加倉 一臣(
ja5823)と小野友真(
ja6901)はカメラ片手に島内を散策デートしていた。
「先日の依頼では霧で何も見えなかったからなぁ」
「大規模ん時も景色どころの話やなかったし、やっとゆっくりできるな!」
二人は観光がてら島内をめぐり、街並みや風景を写真に収めていく。途中見かけた銀杏並木ではしばし立ち止まって。
「おー見事な銀杏だな」
「銀杏は食べ物としてはちょっと苦手なんよな…。でも綺麗だから写真には収める(きり」
そんな緩い会話をしながら、二人してシャッターを切る。
「綺麗な島だとは聞いていたけど、評判通りだねぇ」
微笑む一臣に、友真もうんうんと頷いて。
「俺ここにはあんま詳しないんやけど、皆が頑張ったんとか分かる平和さになんかほっとするな」
「そうだな…こういう場所がこれからもっと、増えるといいよな」
同じ頃、櫟 諏訪(
ja1215)も紅葉エリアを訪れていた。
「こうしてのんびり紅葉を見れるのも、種子島が平和になったおかげですし、ここからいろいろとつなげていきたいですねー?」
冥魔との盟約により、この島は非戦闘区となった。まだまだ小さな一歩だが、ここから平和への道を拓いていきたいと思う。
「それにしても、ここは秋の味覚がいっぱいですねー?」
訪れた広場では特産の安納芋を始め、さまざまなお店が秋の味覚を提供している。諏訪は早速マロンアイスや焼き芋を購入し賞味。
「おお、すごく美味しいですねー!」
諏訪の感激した様子に、お店の人は嬉しそうに言う。
「そう言ってもらえると嬉しいねえ。お土産にもひとつどうだい?」
「それはいいですねー! 奥さんに買って帰りますよー?」
「えっ兄ちゃんもう結婚してるのかい!?」
驚く店主に、諏訪はにこにこしながら頷く。
「ええ。とっても可愛いくて素敵な奥さんなんですよー!」
「諏訪君ごく自然にのろけてるな…」
「あの自然っぷりは尊敬すべきものがあるな…」
同じく広場に到着した一臣と友真は、友人を微笑ましく見守りつつ、自分たちも秋の味覚を楽しむことにする。
「へぇ、こっちにも芋餅があるんだね」
故郷の北海道のものとは違うタイプに、一臣は興味津々。ちなみに北海道ではジャガイモで作られるらしい。
「いいね、こうするのもまた旨い」
「じゃーん、俺は芋餅とソフトクリームのダブル使いやで!」
友真は両手を交互に見比べながら、得意げな表情。
「熱い芋餅で火傷した舌をソフトで冷やす…完璧な流れ俺天才」
「まず火傷を防ぐところから始めような」
笑いながらツッコむ一臣へ、浮き浮き顔で。
「ソフトはバニラと芋味半分ずつなん。一度で二度美味しいんやで…」
そこまで言って、はたと気がつく。
「しまった一臣さん、芋餅食べてる間にソフト溶けるわ(まがお」
「なぜ先に気づかなかったのか(まがお」
「相変わらずだな」
聞き覚えある声に振り向くと、友人の夜来野 遥久(
ja6843)だった。
「遥久さんやー!」
「あれ、愁也は?」
いつもなら確実に隣でハッスルしているのに、姿が見えない。
「ああ、あいつは和紙工房に行くらしい。多分リロさんも一緒だろう」
「なるほど」
「理解した」
察した様子の二人に、遥久は周囲の紅葉を見渡しつつ。
「まあ、たまにはあいつ抜きでゆっくりするのもいいだろう」
そう言った直後、一臣の手から芋餅を攫う。
「おい俺まだ半分しか」
「美味いな、北海道のとはやはり違うのか」
「ああここのやつは芋が…じゃなくて、俺の芋餅!」
一臣の抗議に遥久は笑いながら言った。
「焼き芋で返すから許せ」
ちなみに当の月居 愁也(
ja6837)は、リロと工房を訪れ、紙漉きに挑戦していた。
「……これ超難しくね?」
愁也は漉きげたを四方に動かしながら、額に汗を浮かべる。力加減が思った以上に難しく、なかなか思うようにいかない。
「おーリロちゃん器用だなあ。やっぱり手作業とか得意なの?」
「うん。こういうのは結構好き」
そう返す彼女の目は真剣そのもの。淡々と作業しつつも、没頭しているのがわかる。
二人は色を入れたり、綺麗な紅葉を漉き込んだりして、島の風景を一枚の作品に仕上げていく。
乾燥作業を待つ間、愁也はリロへ先日の労を改めてねぎらった。
「煎じ薬もありがとね。ちゃんと全部飲んだよ…シツジが川の向こうで手振ってた気がするけど(」
あの味を思い出し青ざめる愁也に、リロはくすりと微笑んで。
「そっか。ちゃんと効いた証拠だね」
「そうなの?」
「具合が悪いときほど、不味く感じるから。あれ」
飾る用の一枚が仕上がった後は、ハガキ作成にも挑戦。
愁也が作ったのは、一際紅く染まった紅葉入り。リロが作ったのは、秋桜の押し花入り。
「……うん。結構いい感じ、かも」
リロは仕上がった作品を見つめ、満足そうに頷く。互いに一枚交換してから、愁也は思いきって。
「残りはさ、気が向いたらこれで手紙ほしいな」
俺も出すから!と言ってみると、リロはほんの少し考えてから、こくりと頷いた。
「いいよ。ちょっと面白そうだし」
「わーいありがとね! …あ、でもどこに届けよう…四国?」
うーんと悩む愁也にリロはそれなら、と。
「ボクが使い魔に届けさせるから、その時渡してくれたらいいよ」
「お、いいねそれ賛成!」
ちなみにその後、葉書と一緒に煎じ薬が届くことになることを愁也は知らない。
○
大切な時間は瞬く間に過ぎていく。
愁也と別れたリロは、広場を訪れていた。その姿を休憩所にいたベアトリーチェが、いち早く発見する。
「リロ…見つけた…」
こっそり近づいて、後ろからぎゅ〜っとしてみる。ふわりと花のようないい香りがした。
ベアトリーチェだと気づいたリロは、ほんの少し優しげな色を瞳に映す。
「キミも来てたんだね」
「紅葉見ながら…イロイロ…食べてた…」
そう言って安納芋で作られた芋羊羹を差し出す。
「一口…あげる…タイガーマークのじゃないけど美味しいよ…?」
「ほんとだ。美味しい」
「あっちでソフトクリームも…売ってた…一緒に…食べよ…?」
リロが行きたい場所で食べたいと告げると、彼女は少し考えてから奥まった場所へ案内する。
そこには三メートル近くある木が並んでおり、樹上には薄紫色の大きな花が咲き誇っていた。
「大きい…綺麗…」
「”皇帝ダリア”って言うらしいよ」
晩秋の空の下、すっくと立つ姿はどこか気品があって。
ソフトを食べながら花の説明をするリロを、ベアトリーチェはじっと見つめている。
「……どうしたの?」
「リロ…物知りだね…」
彼女が自分に色々話してくれることが、なぜだか嬉しかった。
「リロは…優しくしてくれるから…」
好きだよ、とは恥ずかしくて言えない。だからその代わりに、ちょっと照れながら告げる。
「お姉ちゃんって呼ぶゾー…」
リロは一瞬驚いた表情をしていたが、やがて食べかけのソフトをベアトリーチェに差し出す。
「ちょっと持ってて」
「リロ…?」
リロは彼女のウェーブがかった髪を指ですくと、あっという間に編み込んでいく。仕上げにダリアの花をあしらって。
「できた」
編み上がった銀灰色の髪に、薄紫の花がよく似合っている。
自分の姿を見たベアトリーチェは、微かにはにかんだ色を浮かべ。
「かわいい…上手だね…」
「いつもやってるから。妹分たちの」
ベアトリーチェは自分もダリアの花を摘むと、リロの髪に飾る。
「おそろい…」
同じ花を飾った少女達は、小さく微笑い合う。
その姿は、本当の姉妹のようにも見えた。
一方、巨大トランポリン場を訪れた黒百合は、その移動力を活かし人外の動きを披露していた。
「きゃはァ♪ 楽しいわねェ」
ちなみに施設の大きさは幅40m程度。彼女の移動力が45であることを考えると――
おわかりいただけただろうか(戦慄)。
文字通り目にも留まらぬ速さで動き回る彼女に、施設スタッフは唖然となっている。
「さすがは久遠ヶ原の学生さんだなあ……」
いいえ、ごく一部です(まがお)。
さらに物質透過や飛行を駆使し縦横無尽に飛び回っていると、ふいに声がした。
「わあ、お姉ちゃん凄いね」
「僕もやりたい!」
見れば子供達が羨望のまなざしでこちらを見ている。
「いいわよォ。一緒にやりましょうかァ♪」
黒百合は子供を背負って、勢いよくジャンプ。くるくる回転すると、きゃあきゃあと叫びながら子供は大喜び。
うっかり振り落とされないよう速度は抑え気味に、施設の端から端までをダイナミックに動き回る。
その後も評判を聞きつけた子供達が、次々とトランポリン場へと押し寄せた。
「すげー速いお姉ちゃんがいる」
「本気出せばロケットより速いらしい」
尾ひれがつきまくった噂はその後も広まり、その後黒百合は伝説となった。
木陰で焼き芋を食べていたアンジェラは、ふと思い出す。
「……そういえばあの赤い靴がはじめて現れたのは、畑のある場所でした。楓が私達に連絡をくれたから…シマイの先を行く事ができたのですよ」
そう呟きながら、アンジェラは楓と交わした言葉ひとつひとつを、めぐる。
最初に出会った時は、激しい心火を纏いながらも、哀しみを帯びた瞳が忘れられなかった。
二度目に会った時は、彼が抱える絶望と慟哭の深さがやるせなくて、ただ助けたいと想うばかりで。
この場所で告げられた、たったひとつの願い。
交わした約束。
燃えるような赤。
「なぜでしょう…すごく甘いのにしょっぱいです」
一粒、また一粒とこぼれ落ちた雫が、焼き芋を持つ手を濡らす。
気づけば瞳から次々にあふれ出していた。
「いけませんね…貴方との約束を果たしたあの日から、私は泣き虫になってしまいました…いえ、戻ってしまいました」
幼くて泣いてばかりいた頃を思い出し、アンジェラは困ったように泣き笑う。
「恋は女を強くするとアニメで見たのですけれど…おかしいですね」
わかっている。最期の瞬間、彼は満ち足りていたと。
それなのに、あの時握った手が、伝わった温かさが、ずっと胸を締め付けて仕方ないのだ。
「会いたいです…楓…」
想いを口にすれば、叶わない切なさに押しつぶされそうになる。
失うことがこんなに辛いのなら、恋なんてしなければ。
けれど。
けれど――
「私は…貴方と出会ったこと、後悔しません」
貴方に恋をし、貴方の幸せを願ったことを、誇りたいと思う。
アンジェラは頬を伝う涙をぬぐいながら、視線を高台から見える海へと移す。
「ここはとても良い眺めですね」
あの時と変わらない、穏やかで優しい景色。
貴方が穏やかでいられるよう、この世界を守りたいと思う。
「だから楓…貴方も願ってくれるでしょうか」
この世界が、ずっと穏やかでありますように。
貴方の分まで生きる私達が、幸せでありますように――と。
頭上からひとひらの楓が舞い落ちてくる。
その燃えるような赤を、アンジェラは大事そうにハンカチに挟んだ。
ウィルとスピルネは途中で買った安納芋パイを食べつつ、林の奥へと歩み入っていた。
落ち葉の舞うさま。
踏みしめる足の感触。
見上げたお日様はちょっぴり遠くって。
吹く風は冷たくても、繋がれた手と心はちっとも寒さなんて感じない。
しばらく歩くと、どこからか潮の香りが漂ってくる。誘われるように進んだ先は、海が見える高台だった。
「ウィルちゃんほら、海なんだよ!」
眼下に広がる海は青く澄んでいて、ここからでも透明度の高さがわかる。
陽の光できらきらと煌めく海面に、ウィルはほんの少し瞳を細め。
「さすが南の島だな…海が青い」
「うん、いつも見る海とは全然違うね」
二人でしばらく眺めた後は、近くのベンチで休憩。あったかいコーヒーを飲みながら、気ままな会話に花を咲かせる。
ふと、スピルネは足下にたくさんの落ち葉が降り積もっているのに気づいた。
「わぁ、ふかふかだね…まるで絨毯みたいなんだよ! ウィルちゃん、ちょっと寝転んでみようよ♪」
言うが早いかスピルネは落ち葉の絨毯へころんと寝そべってみる。身体が落ち葉に沈み込む感覚が、こそばゆく心地いい。
ウィルも同じように横になると、スピルネが紅葉で遊ぶ様子を見守る。
彼が口にする言葉はそう多くない。けれどスピルネの言葉をよく聴き、その様子をいつもしっかり見てくれていることを、彼女も知っている。
「えい、次こそは…やった!」
緋色に染まったひとひらをキャッチしたスピルネは、ウィルの方へころりと転がってくる。
「見てみてウィルちゃん綺麗な赤!…想いをカタチにしたみたいなんだよ〜♪」
手にした紅葉を見せながら、彼の額へ自分のおでこをくっつける。くすくすと笑みを零す彼女に、ウィルは冗談交じりに。
「あぁ、とても綺麗……どんな想いか、訊いても良いのか?」
「ふぇっ!? えとえと…それはね」
ふいうちの問いかけに、スピルネは顔を赤くしながら視線を彷徨わせている。その様子がたまらなく可愛らしくて、つい微笑みを漏らす。
彼女だけに見せる、特別な表情。
彼女だけに見せる、特別な想い。
愛おしげなまなざしの先で、スピルネは悩むような、照れるような表情を何度か繰り返したあと。
「――!」
唇に触れる、柔らかな感触。
紅葉越しに口づけをしたスピルネは、はにかみながら告げた。
「…えとえと…えへへ、想い出…ね…?」
突然のキスにウィルは驚いた様子だったが、やがてそっと彼女の髪を撫で。
「……一度だけで、良いのか?」
大きな手のひら。
指先から伝わる彼の体温が思ったよりも熱くて、スピルネは想いが溢れそうになる。
「ウィルちゃん……」
吸い込まれるように瞳を閉じると、再び温かな感触が唇に触れる。
(あたし…こんなに幸せでいいのかな…)
流れの違う時間を重ね、大切に過ごす日々。
心に秘める緋色の情熱に、キミは気づいているだろうか。
再び交わす口づけは、甘くて優しい秋の味がした。
同じ頃、茉祐子はアンジェラと入れ違いで高台にやってきていた。
海を臨めるこの場所には、一際大きな楓と銀杏の木が佇んでいる。
「紅と黄色、二つの秋の色ですね」
幹の太さから推測するに、樹齢は百年を超えるだろうか。
空へ向かって伸びた枝々は、赤と黄の見事なコントラストを生み出している。
「ここから見える景色を、ずっと見守ってきたんですね…」
暖かな日も。
凍てつく日も。
ここに住む者たちの営みを、ずっと見つめてきたのだろう。
茉祐子は木に語りかけるように呟く。
「……私は大きな戦いの時にしか、この島には来ていません」
けれど、自分の手の届く範囲にいる人達を守りたい。そのことだけを考え、精一杯戦った。
「少しはお役に立てたのなら嬉しいのですが…」
彼女の言葉に呼応するように、一枚の紅葉が舞い落ちてくる。微笑みながらそのひとひらを手にした時、ふと奥に墓碑が立っていることに気づく。
「どなたか眠っているのでしょうか……」
名は刻まれいないが、頻繁に訪れる人がいるのだろう。墓の周りは掃き清められ、真新しい花が供えられている。
(きっと、ここに眠る方は愛されていたのでしょうね)
どんな人だったのだろうと想像しながら、茉祐子はそっと墓前に手を合わせる。
「あなたの御霊が、穏やかでありますように」
顔も知らない貴方だけれど、どうかその魂が大切な人たちのもとへ還りますように。
秋の陽差しが、暖かかった。
気ままなひとり散策を楽しんでいた遥久は、野点の席を見つけ参加していた。
「たまにはこういうのも、いいですね」
朱傘の下で抹茶を頂きつつ、穏やかな秋晴れに瞳を細める。紅葉の中で味わう茶は、不思議と薫り高い。
いい機会だし亭主を一度やらせてもらえないかと尋ねると、人出不足でむしろ歓迎される。
羽織袴に着替え、作法を軽く復習した上で席へ向かうと、見知った顔がいるの気づいた。
「これは九重先生。ようこそいらっしゃいました」
遥久が点てたばかりの茶碗を差し出すと、相手は意外そうな表情を見せる。
「ああ、夜来野君か。そのような格好なもので気づかなかった」
「お店の方に頼んで、少しばかり亭主をやらせてもらっているのです」
誉は合点した様子で頷くと、手慣れた様子で茶を口にする。
「ほう、なかなかの腕前だな。どこかで身につけたものか?」
「茶道はある程度実家で嗜んでいたもので。基本だけですが」
「成る程。これだけ淹れられれば十分だろう」
お茶請けを勧めながら、二人は先日の調査依頼について話し始めた。
「難しい内容でしたが、いい経験になりました」
「あれは重要性及び危険性が非常に高い案件だったからな。大規模作戦が完遂できたのは、諸君等のおかげだ」
そう言ってから、誉はばつが悪そうに小首を傾げる。
「……休暇中にこの言い方は、堅苦しいか」
「いえ、お気になさらずに」
ちょっとおかしそうに微笑む遥久に、誉は頬を掻きながら。
「うむ、まあ、あれだ。君達が生きて帰ってきて、よかった」
その後、二人は諏訪が開催するお茶会に、そのまま参加することになる。
会場に向かうと、既に一臣と友真、愁也の姿もあった。
「リロさんもお連れしましたよー!」
諏訪に案内されてきたリロは、いつの間にか紅葉柄の着物を召していた。愁也がせっかくの機会だしと勧めたのである。
(かわ!!いい!!)
着物姿のリロを見て、愁也は全力で壁だむだむ床どんどん。その姿を生暖かく見守りつつ、諏訪は集まったメンバーに告げる。
「これで全員揃いましたねー? ではお茶会を始めましょうかー!」
今日のお茶会は和洋折衷。
紅茶や緑茶など古今東西様々なお茶を並べ、好きなものを選ぶスタイルだ。
「お茶請けにはタイガーマークの羊羹持ってきたぜ! お土産用もあるから!」
愁也の言葉にリロの目が光る。諏訪は持参した茶缶を取り出し。
「以前のお茶のお返しに、リロさんにはこれ用意してきたんですよー?」
差し出したのは、クッキーフレーバーの茶葉。ミルクティーにすると美味しいのだと、慣れた手つきで淹れていく。
「いつもは紅茶を淹れる方でしょうけれど、たまにはこうして、どうぞ召し上がってくださいなー?」
受け取ったカップからは甘い香りが立ちのぼる。リロは丁寧に口に含んでから、頷いて。
「うん、美味しい…なんだか落ち着く」
「それならよかったのですよー? ほっとひと息、のんびりしてもらえたらと思って選びましたからねー?」
にこにこする諏訪にリロは礼を述べる。他のメンバーにも振る舞うと、評判は上々。
「クッキー風味うっま! めっちゃクッキー食べたなるなー」
「もちろんちゃんと準備してますよー?」
友真にクッキーを振る舞いつつ、一臣には別の飲み物を提供。
「一臣さんにはこれをどうぞー?」
「お、サンキュー」
受け取ったのは、グラスに注がれた琥珀色の液体。グラスを軽く揺らしてから、薫り高い一杯を味わう。
「うん、よく冷えた鰹出汁は最高…待って、違う」
これ慣れたらダメなやつ。
「何の違和感もなく飲み干しましたねー…?(」
「いやいや違うからね諏訪くん。おい既に手遅れって目で見んな遥久!」
「なんのことだ?」
涼しい顔をしている遥久を、愁也が隣で写メりまくっている。
「袴姿の遥久まじオトコマエ」
遥久からはいつも通りスルーされるが気にしない。愁也は羽織長着でくつろぐ誉に声をかけ。
「九重先生、私服だとまた印象違いますね」
「ああ。この方が楽でな」
聞けば実家が呉服屋で、昔からオフ時はこの格好なのだという。一臣と諏訪はなるほどと頷きつつ。
「何だか意外な気がしますねぇ」
「スーツ姿のイメージが、強かったですしねー?」
「よく言われる」
苦笑する誉に、友真は内心で考えていた。
(もしかして実は先生、結構なボンボンなんや…)
ならばと、試しに。
「はーい、質問★ 先生の実家って、何部屋くらいあります?」
「………………………………18?…いや19か」
「それホテルかなんかですか」
友真がまがおになったところで、遥久が島でのことを尋ねる。
「先生は普段この島で生活されているのですよね?」
「そうだな。指揮官に就任してからは、ずっとここだ」
久遠ヶ原へは帰っていないことを聞き、遥久は労をねぎらいつつ。
「どうぞご無理はなさいませんよう」
「ああ。お互いにな」
そう返してから、誉は指揮官に就任した時のことを思い出していた。
撃退士として再起不能になった自分には、生徒達を前線で守ってやることはできない。だからせめて標として、何が起きても残る覚悟でこの地を踏んだ。
そのことを、口にすることはないけれど。
「この島では貴重な経験いっぱいだった。平和っていいよなあ」
羊羹をお茶請けに、愁也がしみじみと呟いた。こうしてまったりしていられるのも、望む未来のために闘ったからこそ。
そこで、友真が何かを手渡してきた。
「じゃーん愁也さんこれ見て!」
受け取ったのはミニアルバム。中の写真には、愁也とリロが紙漉きをしながら談笑する姿が写っている。
「えっいつの間に撮ってたんだよ!」
若干気恥ずかしげな愁也に、友真はふふんと。
「あの素の表情をゲットしたろ思いまして(きり」
愁也の様子に笑いながら、一臣も皆へアルバムを配る。
「諏訪君の散策シーンとか、遥久と九重先生の野点風景も撮らせてもらったよ」
ここへ来る前に人数分の印刷を済ませ、紅葉と一緒に綴じてきたのだ。
「成る程、よく撮れているな」
「おー凄く素敵ですねー? ありがとうございますよー!」
礼を述べる遥久と諏訪に返礼しつつ。
「先生もどうぞ」
「ありがたく受け取らせてもらおう」
「はい、リロちゃんにも。こんな穏やかな日が過ごせる記念にね」
「ありがと」
アルバムを受け取ったリロは、中をじっと見つめ。
「ふうん、こういうの面白いね」
「やろー! アルバムん中には、食べたお店の情報も記載しといたから! 俺のおすすめはここな、火中天津甘○拳出来るとこ」
「わかった。これ覚えてこればいいの?」
「そうやで、今度見せてな!」
「友真さん華麗に死亡フラグを立てましたねー…?」
諏訪が微笑む隣で、遥久はリロへ先日の謝辞を述べてから、思い出したように。
「…ああ、そうそう。グーパンは今なら大丈夫ですよ、全快しましたし」
視線を向けられた愁也は、笑顔でサムズアップ。
「あっはい! グーパンはごほうbぐほぉああああ」
「おおー見事に吹っ飛んでいきましたねー?」
☆になった愁也を見届け、遥久は何事もなかったかのように微笑む。
「回復はしておきますので」
「遥久とリロちゃんによる無限ループの可能性を俺は見たよね…」
一臣は自分は絶対に巻き込まれまいと誓いつつ、皆の様子を記念撮影。
茶会が終わる頃には、辺りはすっかり夕焼け色に染まっていた。
●星降る夜の遊宴
すっかり日が暮れた、宵の刻。島内は昼間とはまた違った趣を見せていた。
大気は冷え、澄み渡った夜空には多くの星が瞬き始めている。
今宵は流星群が見られるとあって、島南部の海岸地帯には多くの人が集まっていた。
「休みがあると分かっていれば、色々持ち込めたのに…」
砂浜を訪れた黒井 明斗(
jb0525)は、ひとり吐息を漏らした。
島ヘは復興のために訪れていたため、仕事以外の道具を持ってきていなかったのだ。
「まあでも、せっかくの休暇ですしね」
明斗は持ってきた大きめのタオルを敷くと、先ずは温かい紅茶でひと息。身体が温まったら、砂浜に寝転んでみる。
満天のパノラマ。
視界いっぱいに広がる星々は、こぼれ落ちそうなほどに満ちていて。
(不思議な感覚だ……)
潮騒に耳を傾けながら星を眺めていると、自分が未知の空間にいるような錯覚を覚える。
こんな贅沢な時間も、たまにはいいかもしれない。
明斗は時が経つのも忘れ、夜空にただ、見入る。
一方、沿岸部では地元住民による宴席が設けられていた。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上!ですわ」
現れたのは双子の美人姉妹・クリスティーナ アップルトン(
ja9941)。と言っても、妹のアンジェラは現在別行動中だ。
(妹は例のヴァニタスで忙しい、といったところかしらね)
彼女がどこに行くのか聞かなかったが、何となく察しはついている。だからこそ、何も言わず送り出した。
「私はその間に、地元の幸をいただきますわ」
新鮮な刺身に、海鮮いっぱいの鍋。サツマイモや魚の天麩羅など、島で獲れた食材をふんだんに使った料理に、クリスティーナは瞳を輝かせる。
「地元のお酒はありませんの? ぜひいただきたいですわ」
九州と言えば芋焼酎。島特産の安納芋や紫芋が使われ、ふくいくとした香りとこくを味わいつつ、星を眺める。
「星空を見ながらお鍋というのも、オツですわね」
見上げた夜空は、久遠ヶ原から見えるものとは随分違って見える。ここはとにかく、星の数が桁違いだ。
「まぁ、この星空も私の美しさの前では霞みますけれども」
ほろ酔い気分で見上げる空は、どこかで妹も見ているだろうか。
鷺谷 明(
ja0776)は宴席から少し離れた場所で、異様なオーラを発していた。
どどめ色の鍋に、無駄に不安を煽る太鼓のBGM。そこを通りがかったリロが小首を傾げ。
「……何やってんの?」
「闇鍋」
「このシュミの悪い音楽は?」
「ノリ。ついでに言うとツッコみ待ちd」
はりせんでしばかれた。
「ふうん。これがヤミナベ、ね」
「食うか?」
「うん」
意外な即答。異臭を発する鍋に、むしろ興味津々といった様子だ。
リロは鍋から具材を取り出すと、現れたやたらでかくて長い物体を見つめる。
「……なにこれ」
「ああ、それはウツボだ。昼間に釣ってきたやつだねえ」
「……意外と美味しい、かも」
見た目的にはアレだが、身は弾力があり、ほどよく脂がのっている。
「これは?」
「その辺に生えていたきのこだ。毒の有無はわからんがね」
酒杯を手に明は笑う。とりあえず食べてみればいいんだよ、と。
ロード・グングニル(
jb5282)は砂浜の静かな場所で、ひとり宙を見上げていた。
「アイツも何処かで見てるのか……」
星が好きだと言っていた少女。きっと今宵の流星を楽しみにしているに違いない。
(――一緒に)
観たかったと呟きかけ、言葉を飲み込む。
まだ形を成さない、淡い想い。自分がどうしたいのか、わからないでいる。
ロードは無意識に彼女の姿を探しながら、ふと種子島での戦いを思う。
「……本当に、終わったんだな」
二年にも及ぶ戦い。
どれ程の長さだったのか、自分にはあまり実感がない。
思えば、あっという間だったようにも思う。
(最初は何となくだったんだよな……)
小さな島で起きた事件、その程度の認識だったのに。
この島で宙や檀と出会い、言葉と心を交わすうちにいつの間にか戦う目的が変わっていた。
彼らのために戦いたい。
彼らの願いを、叶えたい。
戸惑いがなかったと言えば、嘘になる。
自身が刃を振るうのは真に彼らのためなのか、自問したこともあったけれど。
(戦いを終わらせることができて、よかった)
心底そう思える自分がいる。
それは自分の目標が達成できたからではなく、彼らの願いが叶ったからに他ならず。
星が流れた。
ロードはハーモニカを吹きながら、水天の煌めきに少女の慈しむような微笑みを重ねた。
同じ頃、明とリロは何だかんだ言って闇鍋を楽しんでいた。
途中リロが投入した自生サボテンが惨事だった以外は、至って平和である。
「……そう言えば、この間の戦いでは」
「ああ、礼なら不要だ」
リロが言うより早く、明は返す。
こちらを見つめる瞳へ、笑みを浮かべたまま。
「私が怒り、私が勇み、私が殴った」
「え?」
「私は私のために戦ったのさ」
だから誰の礼も求めないし、受け取るつもりもなく。
笑いながら告げる。
「私の戦う理由は、私のものだよ」
「……そっか」
リロは察した様子で頷くと、しばらく沈黙し。星空を見上げてから、ぽつりと呟いた。
「……ボクがね、多くを識りたいのは機能的に生きたいから」
「ふむ。生き方に機能美を求める?」
「ボクはムダが嫌いだからね。ただ――」
秋の夜風に桃色髪がなびく。
「機能的だから美しいんじゃなくて、美しいから機能的なんだよね」
生き方も、ひとの心も。
「そして何が美しいかは、ボクだけのもの」
「成る程」
そこでリロは何かを思いだしたように。
「あ、そうだアクル」
「何だね?」
「シマイの結界で言ってた”ピンクはin-ran”って、どういう意味?」
ぶふー
不意打ちど直球の質問に、明の笑みが固まる。
「ああいやうん、あれはそんな噂を耳にしてだね」
「それで?」
「私の本音と言われればそうかもしれんが他意はないというかまさか聞かれているとはいや聞かれたからといってやましいことは何もすみませんでした」
土下座る明に、リロはあっさりと。
「別に謝る必要はないよ。本音が出たのはそういう仕様なんだし」
「…む、そうかね? リロ君がそう言うならまあこちらも――」
「じゃ、その噂が本当かどうか試してみようか」
「え?」
今なんと?
状況が飲み込めない明へ、悪魔は表情一つ変えず近づいてくる。
「くくく…私にはお見通しだよリロ君。きみ絶対怒ってるだろ(まがお」
「なんのことかな」
思わず後ずさりするも、紫水晶に紋章が浮かび上がった途端、魅入られたように動けなくなる。伸びてきた指先が、首筋をなぞるように捕らえた。
「いや、ちょ、待ちたまえさすがに心の準備ガッ」
どごぉっ
突然現れた巨大時計が、明の脳天に直撃する。気絶した姿を見下ろし、リロは一言。
「……マリーじゃなくてよかったね」
たぶん確実に食われてた(まがお)。
明がメイドにOSHIOKIされた頃、流星群を眺めていたロードは、背後に人の気配を感じ振り向いた。
「……九重先生」
「どうした、つまらなさそう顔をしているな」
誉の言葉に、ロードは「そういうわけでは…」と口ごもる。
隣に腰を下ろした誉は、おもむろに告げた。
「宇都宮なら、ここには来ていない。今夜は孤児院の子供達に星座講習を行うと言っていたからな」
「な、なんでそれを…っていや俺は…別に…」
もごもごと口ごもるロードに、誉は普段は見せない微笑を浮かべて。
「迷うなら行動してみるんだな」
「え?」
「何もせず後悔するよりはいい」
心なしかその口調に力がこもっているように聞こえるのは、潮騒のせいなのか。
ロードはしばらく星空を眺めてから、思い立ったように立ち上がる。
「先生、俺…アイツの所へ行ってきます。たぶん、人出があった方がいいだろうし」
「そうか。行ってこい」
誉に礼を告げ、ロードは砂浜を駆ける。
どうしたいのかはわからない。だから今は、やれることをやろう。
先のことは、それから考えればいいのだからと。
ロードが会場を去った頃、リロは見知った顔と出会っていた。
「あ、リロさんこんばんはですよ♪」
宴席から手を振っているのは、川澄文歌(
jb7507)。
「地元のみなさんと一緒に、食事を楽しんでいたんです。リロさんもどうですか?」
「いいけど……」
リロはちらりと、地元住民へ視線を送る。どうやら彼らに配慮しているらしい。
「大丈夫ですよ。リロさんだってこの島を守ってくれたじゃないですか」
文歌が示す先には、撃退士と地元住民が楽しそうに鍋を囲んでいる姿がある。そこに人と天魔の違いはなく。
「リロさんを含めて、私達が守った笑顔ですよ」
もちろん、住民達に何のわだかまりもないと言えば嘘になるだろう。でも精一杯もてなしてくれる彼らと、今夜くらいは笑い合ったって許されるはずだと。
「あら、リロ・ロロロロロイしゃん、こんばんはですわ」
何だろうこのろれつ回ってない、デジャヴ感。
振り向いた先では、頬を紅潮させたクリスティーナがにっこりと微笑んでいる。
「ふふん、噂通りの桃色髪ですわね。英斗から話は聞いていますわよ」
「ああ、知り合いなんだ」
リロは合点した様子で頷くと、なぜかクリスをじっと見つめている。
「あら、どうしましたの?」
彼女の視線を辿ると、豊満な胸元に注がれている。
(……マリーとどっちが大きいかな)
ちなみに自分の胸元は見ない。世の中どうしようもない格差()が存在していることは理解している。
「せっかくですし、クリスさんもご一緒しませんか?」
文歌のお誘いにクリスティーナは二つ返事。地元住民達と宴を共にしながら、会話に花を咲かせる。
「この安納芋ご飯、おいしいですね♪」
「ええ。お酒がとってもすすみますわ」
「あ、ボクももらおうかな」
美味しいものを食べながら談笑するひとときは、メイド仲間とのお茶会みたいで、何となくあったかい。
「そういえば皆さん、紅葉は見ました?」
文歌の問いに、クリスとリロは頷く。
「ええ、昼間見てきましたわ」
「綺麗だった」
「本当に綺麗でしたよね〜。私、記念に残せないかと思って、これ作ってみたんです」
差し出されたのは、楓の葉を押し花風に加工した栞。
「みんなに渡そうと思って。紅葉の花言葉に『大切な思い出』っていうのがあるんですよ」
この島での思い出を忘れないためにと、心を込めた。
「あら、素敵ですわね。妹の分もいただいてよろしいかしら?」
「ボクもマリーとヴィオのお土産にしたい」
二人の申し出に、文歌は嬉しそうに頷く。
「もちろんですよ♪ たくさん作って来ましたから」
その後しばらくして、リロは海の方へ行くと席を立った。クリスティーナはお別れのハグをする。
「貴女が元気そうだったと、英斗に伝えておきますわ」
「うん、彼によろしく」
クリスの豊満なボディにハグされると、何だか少しだけ心が緩んでしまう。
きっと優雅で泣き虫で、愛に満ちた友を思い出してしまうからだろう。
文歌はリロを送り出すついでに、流れ星にまつわるおまじないを教える。
「流れ星が消えないうちに願いを3回唱えると、その願いが叶うっていわれているんですよ。今夜は流星群の日ですから、願いが叶い放題ですね」
話を聞いたリロは夜空をじっと見上げてから、文歌を振り向く。
「フミカはもうお願いしたの?」
「ええ。天魔の人たちともいつか仲良くなれます様にって、お祈りました」
「……そっか」
「リロさんは何をお願いするんです?」
問われたリロはもう一度夜空を見上げ、独り言のように呟く。
「ヴィオが元気になるように、かな」
その代わり、他のことは何一つ願わない。
だからこれだけは、神さまがいるなら叶えてほしいと思う。
「叶いますよ、きっと」
思わず文歌を見つめると、彼女はリロの手を握り頷いてみせる。
「……うん。ありがと、フミカ」
今宵の空に届く願いが、綺麗で優しいものばかりだといい。
リロの背を見送りながら、文歌はそんなことを想う。
文歌達と別れ、海岸へとやってきたリロはふいに声をかけられた。
「あの、リロ・ロロイさんですよね」
振り向いた先にいたのは、誠実そうな少年だった。
「うん、そうだけど。キミは?」
明斗は礼儀正しく自己紹介すると、ここで星を見ていたのだと話す。
「よかったら、一緒に星を見ませんか? すごく綺麗ですよ」
そう告げる顔がほんの少し緊張しているように見えるのは、きっと勇気を出して誘ってくれたからだろう。リロはほんの少し微笑んで。
「お誘いありがと」
明斗が敷いてくれたタオルに座り、温かい紅茶を一緒に飲みながら星空鑑賞を始める。
「こうして、ただ星を見上げるだけと言うのも良いものです。煩わしい事を忘れさせてくれます」
そう話す明斗は、ただ星空を受け入れるように見つめている。リロも頷いて。
「そうだね。人間がいつの時代も夜空を見上げてきた理由が、わかる気がするよ」
「リロさんは空を見上げたりはしなかったんですか?」
「ボクの住む世界に星はないから」
彼女の返事に成る程と納得しつつ。明斗ふと、幼い頃のことを思い出していた。
「僕はこの種子島と同じ、九州の離島で生まれたんです」
この島よりもずっと小さくて、人の数も少なかったけれど。
「物心ついたときから、海と空に囲まれて暮らしてきました。その頃からずっと、この美しさは変わりません」
そこに在るだけで、万物の法則が美しいのだと教えてくれる。
尊くて、大いなるもの。
「……そっか。ちょっと羨ましい、かも」
そう呟く悪魔の瞳は、本当に憧憬の色が映っているようにも見える。リロは先程から手に持っていたものを、明斗に差し出した。
「これ、あげる。お誘いと話のお礼に」
「あ…ありがとうございます」
渡されたのは、星形の貝殻だった。
宵もだいぶ深まり、人影がまばらになった頃。
そろそろ帰ろうとしていたリロは、大荷物を抱えた小田切 翠蓮(
jb2728)と遭遇していた。
「おおぅ、リロ殿ではないか。久方振りじゃのう。魔界にはまだ帰還せぬのか?」
「うん。そろそろ一度帰る予定だけど、ね」
彼女の返答に翠蓮は成る程のう、と頷く。
「…その荷物、どこ行くの?」
「おお、そうじゃ。今夜はおうし座流星群とやらが拝めるとのこと。もうすぐピークの時間帯が近いゆえ、良ければリロ殿も一緒にどうじゃ?」
「オウシザリューセイグン…? そう言えば流れ星は見たけど、それとは違うの?」
翠蓮の話によれば、今日はおうし座に中心点を持つ流星群の活動が、最盛期を迎える日なのだと言う。
「この流星群はの、流れる星の数はそう多くないが、明るく大きな流星が見られるんじゃ。望遠鏡で見れば殊更じゃのう」
「ふうん…確かにそれは見てみたいね」
リロの言葉に翠蓮は「そうじゃろう?」と笑む。
「見て損はないぞ?」
その後二人は星がよく見えそうな高台を訪れていた。
宵は深まりを見せ、流星のピークが近いことを知らせてくれる。
翠蓮はリロに望遠鏡を覗かせながら、手製の星座早見盤を用いて解説を始める。
「流星群の流星は、おうし座の方向から飛んでくるように見えるぞい。1時間で最大で5個程度しか見えぬから油断せぬように」
「わかった」
「運がよければ火球が見えるかもしれんぞ」
翠蓮がそう告げた直後だった。
「あ」
刹那、ひときわ強く輝く星が、夜空を駆け抜ける。
それはほんの一瞬のことだったけれど、濃く胸を染め付けるひとすじで。
「……ほんとに、見えた」
「不思議じゃのう。何万年も前に輝いた星の光が、時を超えて我らの元に届いておるとは…」
「そっか。この光って、本当はもっとずっと昔のものなんだ」
「長き時を生きる、わしらですら届かぬほどにな」
しばらくの間、リロはずっと望遠鏡を覗いていた。やがてその姿勢のまま、おもむろに切り出す。
「――ね、聞いていい? キミはどうしてこの世界に来たのかな」
「ああ、魔界の気風がどうにも性に合わんでのう」
他にも色々あった気がするが、もう忘れたと翠蓮は目を細める。
「何より、人の世界で欲しいものがあるのじゃよ」
それが何かは秘密だがのうと、笑ってみせる。リロは視線を彼へと向け。
「ふふ。誰かさんと同じこと言うんだね」
手に入れたくて。諦めきれなくて。
深い絶望を抱えながら、それでも夢を見続けた悪魔のように。
翠蓮はどこか愉しそうに紫煙をくゆらせてから、問い返す。
「おんしは、この世界で何を求める?」
「……まだ、わからない。でも、識りたいことはあるよ」
視線をゆっくり宙へと戻すと、どこか独り言のように呟いた。
「ボクたちと人は、どう在るべきなのかを、ね」
人ならざる者達の目に、今宵の夜天はひどく眩しく映るのだった。
●時は少し巻き戻り
海が橙に染まる、夕暮れどき。
高台の墓碑の前には、佇む人影がある。
「……楓殿。季節が一つ、過ぎましたな」
深く色づいた緋葉に目を細め、ふと気づく。
まだ、たった一つ。
それだけの時しか、経っていないのだと。
「種子島の平和は成りましたぞ。一時か、末永くかはこれからの選択次第となりましょう」
数多の縁を引き寄せ紡いだ奇跡を想い、ヘルマンは微笑する。
この世界は素晴らしく、尊い。何より貴方という存在を、産み落としてくれたのだから。
刻々と色を変える水平線を見つめたまま、囁くように告げる。
「この島には、すべてがございます」
秋の彩りは、空を鮮やかに染め、
雪なき冬の日差しは、温もりを与え、
春の花は、大地に生命を満たし、
夏の風は、鳥の声を届けてくれる。
大地が、宙が、海が
生きとし生けるものに必要な全てをあますことなく、授け続けるだろう。
ただ。
ただ、貴方がいない。
それだけが、唯一の絶望。
瞳を閉じたヘルマンは、冷えた空気で肺を満たし、己の血で温められた呼気を吐く。
「――生きているのですな、私は」
今も、そしてこれからも。
貴方のいない、この世界で。
閉じたまぶたが微かに震え、こみ上げてくる感情に飲まれそうになる。
貴方との約束を果たし、この手で魂を解放したあの日から、時の流れは意味を持たなくなった。
シマイがいない世界はどこかつまらなく、貴方のいない時間を生きるのはとても苦しい。
絶望は加速し哀しみは限度がなく、それでも涙を見せないのは、己の慟哭の深さに気づいてしまえば全てが壊れてしまう気がするから。
眼下から風が吹き上がり、降り積もった紅葉が舞い上がる。ヘルマンは肩に落ちてきたひとひらを手にし、切なさを隠すように笑んでみせた。
「心配いりませんぞ、楓殿。お約束しましたからな」
百年先でも。千年先でも。
貴方の魂がいつかこの場所に還るとき、必ず見つけてみせましょうと。
「だから私はもう少し、この世界にとどまります」
春が来れば鳥と歌おう
夏が来れば風と舞おう
秋が来れば落葉と戯れ
冬が来れば日差しに微睡もう
絶望も、哀しみも、愛した想いがその全てを凌駕する。
貴方の背負った罪を贖い、その魂の幸いだけを願い、残り少なき命すら延ばして。
私の永遠は貴方だけのもの。
貴方からもらった■■は、私だけのもの。
だから全てを抱え、この世界で生きていこう。
貴方の還る、その日まで。