信じることの期待値は、信じないことの期待値より常に大きいという。
すべては選択。
信念と賭けは表裏一体。
ならば、自分が選ぶのは――
●
種子島・宇宙センター。
大型ロケット発射場近くは、数日前と同じように、むせ返りそうな濃霧で覆われていた。
「時を置かずに再度、舞い戻ることになるとはのう」
小田切 翠蓮(
jb2728)は現れたリロ・ロロイを前に、ゆるりと笑んだ。
決死の調査依頼から、数日と空けず決定した大規模作戦。想像していたより随分速い展開だったが、調査結果の深刻さを思えばそれも当然と言える。
(まさに“機を見るに敏”とはこのことよ)
即断即応は兵法の基本。
期を逃さぬ指揮官の采配に、内心で素直に感心しつつ。
「正念場ですね。勝つために、迷わずに進みましょう」
夜来野 遥久(
ja6843)はそう言い切りつつ、隣に立つ月居 愁也(
ja6837)をちらりと見やった。
いつも通り。いや、いつも以上にその頑強とも言える意志を携え、親友は前を見ている。
その目はまるで、視界を覆う霧など見えていないかのようで。
(好きなだけ暴れてこい)
譲れないものがあるのなら、手にしたい未来があるのなら、迷わず進め。
遥久はその想いを、行動と姿勢で示す。かつて蒼雷の大天使が、その生き様で教えてくれたように。
もちろん、無茶をすれば後で説教だけれども。
鳳 静矢(
ja3856)は出発前に、作戦についての大まかな説明をリロへ行っていた。
「リロさん自身もわかっているとは思うが、貴女の身は冥魔界の影響がとても濃い。このままでは戦闘中の被弾ダメージが大きくなってしまう」
今回の作戦方針はできるだけ交戦を避け、被害を抑えることだと告げ。
「故に、戦闘に入ったらその影響を無くさせてもらうよ」
「わかった。キミの判断に任せるよ」
あっさりと頷いたリロを見て、静矢はやや驚きつつ内心で納得もしていた。
(随分と、信用されているようだ)
術をかけられることに一切の躊躇を見せないのは、それだけの関係を築けている証。
ならばその信に報いてみせようと、刀を握る手に知らず力がこもる。
「さて。じゃあ、いつも通りやれることをやろうかね」
加倉 一臣(
ja5823)は所持銃器に減音対策を施しながら、リロの様子を窺った。
白磁のような頬は相変わらず冷えていて、一見普段と変わらない。
けれどいつも思うのは、辛いことを辛いと言える人は、案外そう多くはないということ。
(きっと、彼女にだって抱えているものはあるだろう)
妹分を傷つけられたのだ。平気でなどいられるはずがない。
そこに人も天魔も変わりが無いと、信じているから。
――今はただ、その背を押そう。
気配の消えた表情の下で、感覚だけが鋭さを増していく。
「絶対絶対、あの天使の思い通りにはさせないのだよ! リロさん、頑張ろうね!」
言いながら、フィノシュトラ(
jb2752)は時魔の手をぎゅっと握った。
彼女の内には、リロと同じようにあの無邪気な少女への想いがある。
(ヴィオレットさんが傷つけられて、リロさんもきっと辛いに違いないのだよ…)
ふくふくとした可愛らしい少女が、あんな無残な姿にされたのだ。
目の前で見ていたリロの心中を思うと、胸が痛かった。
「大事な人を傷つけられたのなら、怒りがわくのは当然ですっ。私も一緒に怒りますっ」
事情を聞いた川澄文歌(
jb7507)も、怒りをあらわにした。
「リロさんは私の大切な友だちです。当然ですよっ」
いつも温厚な彼女がこれほどに怒るのは珍しい。文歌はやや面食らうリロの手を取ると、真剣なまなざしで向き合った。
「リロさんに、お願いがあります」
「フミカ…?」
「リロさんが私達のことを大事に思ってくれているのは、知っています。でも、私達を大事に思うのなら、今回の任務では私達の誰かが倒れようとも、必ず前に進むと約束してください」
この作戦において、最も重要なこと。
「リロさんが目的地であの兵器を抑えてくれることで、私達の大事な人たちをより多く護れるんです。私達の意志を無駄にしないためにも、リロさんは何があっても進まなくちゃいけないんです!」
真摯にそう告げる彼女達の瞳を、リロはじっと見つめていた。
一度躊躇いがちに俯いたが、やがてはっきりと頷いて。
「わかった。約束するよ」
引き結ばれた唇は、決心の現れ。文歌は大きく頷くと、笑顔で宣言した。
「大丈夫、私達は誰もこんなところで終わったりしないですから♪」
「ねえリロちゃん。出発前にこれに触れてくれないかな」
そう言って、月居 愁也(
ja6837)は愛用の盾をそっと差し出した。
リロは一瞬戸惑ったようだが、やがて細くしなやかな指が硬い魔鉱面に触れる。その様子を見つめながら、伝える決意。
「君の『怒り』も『苦しみ』も、一緒に持っていくよ」
こちらを向いた紫水晶へ、愁也ははっきりと告げる。
「リロちゃんが俺らの『意志』になるんなら、俺たちはリロちゃんの願いを叶える『力』になる」
代わりにじゃない。
この盾に籠められた怒りを、『共に』ぶつけるために。
聞いたリロは盾に触れたまま、静かに瞳を閉じた。やがて顔を上げると何も言わず、ただ頷く。
怒りは盾に。想いは胸に。
信頼は言葉ではなく、その背にと。
出発直前、ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)が思い出したように振り向いた。
「後で…愁也がタイガーマークのヨーカンくれる…リロも…一緒…食べよ…?」
「ヨーカンって何?」
「細長くて…甘くて…マッチャと食べる…ジャスティス…」
聞いた彼女は色々想像を巡らせているようだったが、やがてこくりと頷いて。
「わかった、楽しみにしておく」
二人の視線を受け、愁也は任せろといった風情で胸を張る。
「もっちろん、いくらでもご馳走するぜ。みんなの分も!」
「じゃ、マリー達のお土産もよろしくね」
「お安いご用!」
「あ、私も小隊やアイドル部のみなさんに渡したいです♪」
「わしの孫娘達にも頼もうかのう」
「お安いご用!」
「控え室のメンバーにも食べさせてあげたいのだよ!」
「お安い…ご用…!」
「では、うちの戦術研究会にもお願いしようかな」
「おや…す……」
「ああ、ならこの間の遊園地面子にも買ってやれ、愁也」
「加倉さん、一緒に買いに行こう(まがお)」
「気づいたら巻き込まれてたよね(^ω^)」
――作戦、開始。
○
信じる。
○
視界の効かない霧の世界。
物陰に隠れた文歌は、自身の周りに陣を生み出だして言った。
「リロさん、できるだけ私から離れないようにしてください。この陣の中にいれば、敵から見つかりにくくなりますから」
息を潜ませ周囲を窺うが、視界が届く範囲に敵の気配はない。事前にリロが排除したからだろう。
「慎重且つ大胆に…とは、なかなか難しい注文じゃのう」
方位術で現在確認を始める翠蓮に、遥久も生命探知を展開させながら微笑を返す。
「悪魔のように細心に、天使のように大胆に…とは誰が言った言葉でしたか」
「ほう、ならばやってやれぬことはあるまいよ。ここには天使も悪魔も揃っておるのだからのう?」
翠蓮は冗談めいた調子でそう言うと、手にした地図を広げた。
「ロケット発射台からおおよそ西南西304m。地図で言えばこのあたりであろうな」
霧の範囲は以前と変わりはないようだ。続いて遥久からも探知結果の報告があがる。
「以前来たときよりも、数が大幅に増えていますね」
見える範囲にはいなくとも、離れた位置で多くの反応がある。
(完全に交戦を免れるのは難しい……か)
恐らくどのルートを選んでも、すべての敵をかいくぐるのは至難。
遥久は地図と敵位置を見比べながら、ベアトリーチェに声をかけた。
「では、ヴォルピさんお願いします」
「了解…ヒリュウ…ゴーゴー……」
召喚獣と視覚共有した彼女は、遥久が示すもっとも反応数が少ない方向へとヒリュウを進ませる。
目的はルート偵察。できるだけ面倒な敵との交戦を避けるために、手早く周囲を確認していく。
「進行ルート上…蛇女が二体…」
ベアトリーチェの報告に遥久は皆を見渡し。
「では、その二体をできる限り抑えて抜けましょう」
「「了解」」
林の中を、一同は駆けていく。
移動する際はリロを中心とし、全員で囲む陣形を常に維持する。万が一の際は自分たちが壁となり、彼女だけでも無事兵器へと送り届けるためだ。
「リロさんとしては庇われるのは心苦しいかもしれないのだよ。でも、リロさんを無事連れていくのが私達の役目だから、気にしないでほしいのだよ!」
フィノシュトラの言葉に、リロは頷きつつ。
「わかった。でも、ボクも見てるだけのつもりはないからね」
キミ達は『共に』と言ってくれたから。
「ボクも今できる最大限を、やらせてもらうよ」
数メートル進んだ所でベアトリーチェの報告どおり、蛇女の姿が見えてくる。相手からは見えているのだろう、こちらに気づくや否や、奇声を発しながら向かってきた。
「此処は私が抑える。先へ!」
即座に刀を構えた静矢が、メンバーへ指示する。
間合いに入った所で、放つ居合いの一閃。重さを乗せた刃が振り抜かれる瞬間、魔具に纏うアウルが翼状に変化する。
紫翼を纏いし刃は蛇の胴体を強かに打ちつけ、真横へと吹き飛ばした。
(鳳さんナイス!)
霧の中へ消えた蛇女を横目に、愁也は静矢へ目配せする。
吹き飛んだ蛇女は追いすがろうとしてくるも、速度はそう早くはない。伸ばされた闇の手を遥久が盾で受ける間に、愁也はもう一体へと向かう。
「じゃあ、こいつは俺に任せてもらうぜ」
残る蛇女へ向け、魔糸を素早く放つ。冥の力を宿したそれは蛇の胴体を捕らえ、身を切り裂くと同時に意識を刈り取った。
(よっしゃ、足止め成功)
スタン状態となった横を、メンバーは次々に抜けていく。すぐさま霧で蛇女の姿は見えなくなるが、追いついてくる気配はない。
(このまま何とか逃げ切れそうだな)
先を行っていた一臣達は、二体を振り切ったところでいったん木の影に潜伏。
進行方向の敵影を窺うと、すぐ近くを影犬が通るのが見えた。すぐさまハンドサインで周囲に警告する。
(影犬は複数揃うとやっかいだ。ここで落としてしまおう)
最低視界の5メートルぎりぎりから白弓を引ききり、最小限の動きで放つ。
視界が悪い中でも、そこはさすがのインフィルトレイター。
真っ直ぐに飛んだ矢が犬の頭部を正確に射貫き、苦悶の悲鳴が上がる。そこへ文歌のマイクスピーカーが生み出す衝撃波が飛ばされた。
(いきますよ!)
普段ならここで透き通る歌声が響くのだが、今回はサイレントモードにしているため聞こえない。
強力な魔法攻撃は影犬の胴体を叩きつけ、再び苦悶の悲鳴があがる。
連続攻撃で体制を崩した影犬は、苛立った様子で襲いかかろうとする。刹那、巨大な銀時計が凄まじい勢いで吹き飛ばした。
(おお、凄いなリロちゃん)
サムズアップする一臣に、リロはにっと笑む。
(これくらいは、ね)
考えてみれば彼女は上位悪魔。スキルは使えずとも、この程度なら難なく行えるのだろう。
影犬を排除し、そのまま先に進めるかと思いきや再び敵影が現れる。
(あっまた犬がきたのだよ!)
先ほどの影犬が上げた悲鳴を聞きつけ、別の犬が霧の中から現れたのだ。相対したフィノシュトラは即座にスリープミストを発生させ、眠りに落ちさせる。
(今のうちに倒してしまうのだよ!)
動きを止めておけば、鳴かれる心配もないだろう。そのままやり過ごすことも考えたが、足の速い犬に追いつかれる可能性を考慮すれば、ここで倒しておいた方がいい。
メンバーは集中攻撃で、影犬を難なく撃破。
移動を再開させ、数メートル進んだ所で先頭を行くベアトリーチェが、歩みを止めた。
(……大蛇…発見…)
巨大な何かが地を這うような音が、わずかに前方から聞こえてくる。即座に全員木の影に隠れ、息をひそめる。
(見つかる…ギルティ…けど…)
感覚器が優れている蛇は視界が効かない場所でも、獲物の存在を感知できる。見つからずにいられるか、一同に緊張が走った。
ずり……ずり……
巨体を引きずる振動と、木がなぎ倒される音が届いてくる。
しかし地を這う音は次第に遠くなっていき、メンバーの表情にも安堵の色が浮かび始める。
影犬が上げた悲鳴を聞かれていてもおかしくない距離だったが、耳が聞こえない蛇であったことが幸いした。
早期発見が功を奏し、気づかれずに済んだようだ。
その場を慎重に離れ、十数メートル進んだ所で再び一行の足が止まる。
コンクリートへと変化した足場。
(この先はロケット発射場敷地内に違いないのだよ!)
以前来た経験を踏まえ、フィノシュトラがいち早く反応する。再び生命探知を展開させた遥久が眉をひそめ。
「ここから先は、敵数がさらに増えていますね」
発射台へ向け、反応数が桁違いに増えている。北側の戦線が上手く行っているのだろう、こちらへ敵が流れてくる様子はないとはいえ、とてもではないが見つからずにいくのは無理そうだった。
「となれば、強行突破……か」
一臣の呟きに、遥久は首肯する。
「ああ。それしか方法はないだろうな」
「いよいよ……ですね」
文歌が覚悟を決める隣で、静矢はリロへとリンクシェアリングを展開させた。
彼女が術をかけることを承諾していたため、カオスレートは難なく変動する。
「どこまで効果を持たせられるか分からないが…これでダメージを少しは減らせるだろう」
「ありがと。…キミ達も、無理はしないで」
リロの言葉に微笑を返す。後方ではフィノシュトラは思案するように。
「うーん…なんとかして、大蛇とだけは遭遇を回避したいのだよ?」
多数のサーバントと交戦する中で、あの巨体に足止めをされるのは避けたい。この人数で相対すれば、最悪誰かが犠牲になってもおかしくないからだ。
「せめて…敵の種類…見極める…」
ベアトリーチェはそう言って再度ヒリュウを召喚し、先行するとことを告げる。
「迫る戦争のために…力の出し惜しみ…ギルティ…現在を出し切る…未来のために…ジャスティス…」
「ヴォルピさんの言う通りだね。ただ、彼女一人だけ危険にさらすわけにはいかない。もし多数の敵と遭遇したら無理せず囮班に任せて欲しい」
静矢の声かけに、愁也も同意する。
「そうそう。囲まれそうになったら、即離脱してくれていいから。そっちはリロちゃんの護衛よろしく!」
俄然やる気なのは、元々こちらの方が性に合っているからなのだろう。こちらを遙かに上回る敵数に、むしろ生き生きとしてさえいる。
「虎穴に入らずんば…というのならば、無理を通すことも必要よのう」
深い海色の斧槍を優雅に構え、翠蓮は瞳の奥に普段はあまり出さない好戦の色を宿した。
戦わねばならぬのなら、屠るまで。
「――さて、報酬分は働かねばなるまいよ。年甲斐も無いが、ちと本気で行かせて貰おうぞ…!」
九人の足が一斉に地を蹴り、目的地へ向け突撃を開始する。
前へ。
前へ。
霧は濃く、互いの表情も息づかいさえも見失いそうな敵陣のまっただ中。
けれど、彼らに怖じ気づく様子は無い。重ねた月日と乗り越えた多くが、彼らをそうさせているのだろう。
それは慢心でも油断でもなく、確かな『自信』の現れ。
「敵発見なのだよ!」
進路上に大蠍と蛇女の群れが現れる。即座に囮班が陣形を取り対処にあたる。
「さあ、こちらの相手をしてもらうぞ…!」
静矢が派手に振る舞い挑発を行うと、敵の感覚の鋭さはむしろ仇となり、一斉に彼へと集中していく。
そこをフィノシュトラが誘眠の霧で捕らえまとめて眠らせる。
「今なのだよ!」
突如現れた白銀の髪が、眠りから逃れた蛇女を縛り付けた。翠蓮が生み出した幻影だ。
対する敵も負けじと、攻撃を仕掛けてくる。残った蛇女が叫びと共に強力な魔法攻撃を放てば、大蠍が毒を付与する攻撃を行う。
しかし、抵抗力を高めていた彼らにはダメージ以外を与えることはできない。
「毒なんて俺には効かねえよ!」
反撃にまわった愁也の薙ぎ払いが大蠍を襲い、スタン状態へと陥らせる。それを見た静矢が前方を見やり。
「八割方動きは止めた。後は振りきりながら進もう!」
抜刀の構えのまま滑るように地を駆けていく。再び大蠍が現れるが、神速の速さで一閃。
薙ぎ払って進路をこじ開けると、突破班を追う。
(今は味方、ならば全力で生かす…それだけだ)
任務遂行のため、成すべきことを遂げるのが、己の矜持。
静矢の猛攻に呼応するように、戦いの勢いも増していく。
「退かぬと言うのなら、打ち据えるまでよ…!」
翠蓮の勢いよく振り抜いた斧槍が、向かってくる蛇女を叩きつける。動きが鈍ったところを、フィノシュトラが生み出す突風が吹き飛ばせば、追いすがる闇の手は愁也が盾で防御。
「俺達は彼女の『願い』を叶えるんだ。こんなところで倒れるつもりはねえ!」
一方突破班は、囮班が切り開いた道を抜け、ひたすら先へと走っていた。
「マホウ☆ノコトバで皆さんの動きを軽やかにします!」
文歌の魔法の歌声が、周囲にいるメンバーの足に風を纏わせ身軽にさせる。
移動力を上げた突破班は、とにかく目的地まで一気に突っ走る。
前へ。
前へ。
その進路を塞ぐように現れたのは、数体の影犬と大蠍。
一臣が銃に持ち替え、即座に犬へ精密狙撃を放つ。
「全部倒している余裕は無いな。とにかく、進路をこじ開けよう!」
悔しさに震え、失いたくないと足掻く姿に手を差しのべたい。
高命中の弾丸は再び頭部を捉え、その動きを鈍らせる。そこを文歌のスタンエッジで意識を刈り取り、遥久の氷符がとどめを刺した。
直後、大蠍が尾を勢いよく振り抜く。
「来ます、下がってください!」
強力な一撃を遥久が盾で受け止めると、続くもう一体の攻撃を一臣が回避射撃で軌道を逸らす。
「リロちゃん、よろしく!」
「了解」
鈍器と化した銀時計が蠍の巨体を吹き飛ばす。わずかに開いた道に、ベアトリーチェの召喚獣が突っ込み周囲を一気に薙ぎ払った。
「よし、行こう!」
一臣の合図で全員で敵陣を突破し駆け抜ける。
後ろは振り返らない。
必ず残りの仲間が駆けつけてくれると、信じているから。
幾度もの交戦を重ね、その度囮班が道を開き突破班が駆け抜ける。
スキル、ジョブ性能、すべてを生かした連携は敵の付け入る隙を与えることがない。
戦闘の合間に方位術を展開させた翠蓮が、声を上げた。
「発射台まで50メートルを切ったぞ…!」
その言葉に、メンバーは顔を見合わせた。
敵の数はますます増え、既に密集状態になりつつある。つまりは、敵の本拠地が近いことの現れ。
一臣は即座に問う。
「リロちゃん、兵器を止める技はどれくらいの距離から届く?」
「10メートルが限界かな」
返事を聞きながら、リロの負傷度合いを確認する。
多少の被弾こそあれ、元々回避力の高い身。
仲間が庇いかつ、一臣が徹底的に回避射撃で被弾を抑えたのと、静矢がカオスレートを調整していたことが合わさって、ほぼ無傷と言ってよかった。
「ここまで来れば、彼女が辿り着くまでに倒れることはないと思う」
一臣の言葉に遥久も同意し。
「そうだな。下手にここで足止めされるよりはいいだろう。到着してからが少々気掛かりだが……」
「大丈夫です。術を行使する際は、私達の隊がリロさんを護衛しますから」
絶対に護り抜いてみせる。
文歌の強いまなざしに、彼らは目で頷き合う。
撃退士たちは、決断した。
「リロさん、ここからは先に行ってほしいのだよ!」
「でも…」
フィノシュトラの言葉に、リロは一瞬躊躇した表情を見せる。翠蓮も頷いて。
「此処は我らが引き受ける。おんしは己が使命を果たすが良い」
「あの天使を倒すためにも、みんなを護るためにも、ここは私たちに任せて兵器の停止をお願いするのだよ!」
皆の願いを、想いを遂げるために。
ベアトリーチェがスレイプニルを呼び出すと、リロへ後ろに乗るよう促す。
「この子に乗って…ダッシュ…ゴーゴー」
馬竜の移動力を生かして、目的地まで一気に駆け抜けるつもりだ。
「大丈夫、私達もすぐ後を追いますから!」
「此処からは流れ弾にも注意してな…さぁ行け!」
文歌と静矢に背を押され、リロはベアトリーチェの後ろに乗る。
思わず振り向いた紫水晶へ、遥久と一臣は視線で告げた。
――迷うな。
それを見たリロは口元を引き結び、前を向く。
桃色のボブヘアーがふわりと揺れ――馬竜は勢いよく地を蹴った。
振り返るな。
ただ真っ直ぐに進め。
見送る者たちの想いが、彼女を前へと進ませる。
君の『力』が俺達の『意志』。
愁也の声が少女と共に駆け抜けた。
「その力を解き放ってこい!」
残り、十メートル。
残り、五メートル。
残り、一メートル。
目前に突如現れた、巨大な像。
「詠唱準備、入る」
到着したリロは、即座に主から賜った技を編み始める。
――必ず、成功させてみせるから。
キミ達がくれた『信』に、必ず応えてみせる。
辺りを覆う霧が晴れ、兵器がその動きを止めたのは、それからしばらくしてのことだった。
●選択の先、そして
大規模作戦から数日後。
ようやく落ち着きを取り戻しつつある島内を、メンバーは再び訪れていた。
向かった先は、現地の病院。作戦で大怪我を負った生徒達が、入院しているのだ。
「あ、リロさん来たのだよ!」
フィノシュトラの視線先。
病室の扉を開けた悪魔は、いつものメイド姿に戻っていた。遥久が微笑みながら招き入れる。
「どうぞ、こちらへ」
「遅くなってごめん。待った?」
「大丈夫ですよ♪ 私達も今来たところです」
文歌の言葉に、静矢も頷いてみせ。
「そちらも忙しいようだね。色々と後処理があるのだろう?」
「そうだね。でも、大したことじゃないから」
そう言ってにっと笑むと、リロは部屋の奥へと向かう。窓際に置かれたベッドの上で、愁也が嬉しそうに声を上げた。
「リロちゃん来てくれたんだ」
こくりと頷く少女の瞳にはどこか心配そうな色が映っている。かの天使との戦いで重体になった愁也は、現在もここで入院中だ。
「まあ、立ち話もなんだろうて。そろそろ始めたらよいのではないか?」
翠蓮の提案に、一臣もそうだなと頷いて。
「全員揃ったようだし、じゃあ始めようか」
集まった面々を見渡すと、手にしていた折り箱を掲げる。
「『大規模作戦勝利』と『島の非戦闘区宣言』。そして俺達『全員の帰還』を祝って」
「シュクショーには…タイガーマークのヨーカン…」
ベアトリーチェの言葉に、全員が声を揃えた。
「「おめでとう、種子島!!」」
「うぇーい!! 勝ったぞおおおお痛ててて……」
包帯ぐるぐる巻きの愁也は、両手を勢いよく上げたところで顔を引きつらせる。
「大人しくしてろ。傷口がまた開くぞ」
脇腹を押さえる愁也を見て、遥久はため息をつく。無茶への説教は既に三度済ませた。
リロは抱えていたバスケットから、何かを取り出し始める。
「これ、マリーとボクからの差入れ」
そこには籠いっぱいのバナナオレと紅茶。
「わーいリロちゃんありがt」
「シュウヤはこれ」
ごとりとデスクに置かれたのは、大ぶりの瓶。中には得体の知れないどどめ色の液体が入っており、怪しい臭いを放っている。
「えっと…これは…」
「ボクが調合した煎じ薬。よく効くはず」
「リロさん特製か、よかったな愁也」
笑いをこらえる遥久の横で、愁也は青ざめながらも礼を言う。何だかんだ言って、作って来てくれたのは嬉しかったり。
「ヨーカン…美味しい…リロも食べよ…?」
ベアトリーチェは爪楊枝にさした一切れを、リロへと差し出す。
受け取った時魔はまじまじと見つめてから、ぱくりとひと口。
「……美味しい」
紫水晶の瞳が、わずかに見開かれる。瞬く間に食べ終わると、次の一切れを見つめ。
「これも食べていい?」
「ダイジョーブ…いっぱい、あるから…」
どうやらかなり気に入った様子だ。
「リロさんもお疲れさまでした! 無事あの兵器を壊せて本当によかったです♪」
文歌の言葉に、リロも頷いて。
「うん。フミカ達が護ってくれたから、ボクも集中できた」
いくら上位悪魔とはいえ、サーバントの攻撃にさらされ続ければただでは済まなかっただろう。
ほぼ無傷でいられたのは、兵器まで送り届けてくれた依頼メンバーをはじめ、多くの者達の助力があったからに他ならない。
「あの日は忙しかったねえ」
思い出したながら、静矢が苦笑を漏らす。
小隊長である彼は、リロを兵器に送り届けて即隊の先導にまわらなければならなかったのだ。
「でも静矢さんの指揮で道を開いたおかげで、霧発生装置も早く破壊できたみたいですし。お疲れさまでしたよ♪」
「川澄さんありがとう。霧中での移動は決して楽ではなかったけど、今となってはいい思い出だね」
とあるカマ対決も見られたことだし。
「そう言えば、あのおなごはどうなったのかのう」
羊羹を賞味していた翠蓮は、抹茶をひとすすりしてから呟いた。
上空から見守っていた、天使ジャスミンドールの説得。
数多の言葉が届き、コアが破壊された瞬間は得も言われぬ感慨を感じたものだ。
「彼女は冥魔討伐の際の功績があると聞いています。堕天を希望した際は、学園側も比較的受け入れやすいのではないでしょうか」
遥久の言葉にフィノシュトラも頷いて。
「九重先生が働きかけてくれてるって聞いたのだよ!」
「成る程のう。まあ、あの場にいた者ならば、あのおなごが学園に帰するのを拒むものはそうおらんじゃろうて」
そう言ってゆるりと笑みを漏らすと、再び羊羹を手を伸ばす。
「それにしても、あの変態天使をやっつけられて本当によかったのだよ!」
多くの犠牲者を思えば、絶対に絶対に、負けるわけにはいかなかった。
やりきった表情のフィノシュトラに、隊を共にしていた一臣も頷く。
「本当にな。あの天使を倒せたこともそうだけど、救われた命があったのも嬉しかった。色んな人たちの縁や、想いや……そういうもろもろが、たぐり寄せた結果だろうな」
何が正解なのかはわからない。
けれど、失わずにすむものがあれば、諦めたくないのも本音だったから。
「……あ、そうだ。リロちゃん」
愁也は思い出したようにリロを振り向くと、ややばつが悪そうに。
「あのクソ天使、盾で殴るつもりだったんだけどさ。一発目思いっきり、拳でぶん殴っちゃった」
実に見事なアッパーカット。
その後でちゃんと盾でも殴っておいたけどね、と頭をかく愁也に、リロはどこかおかしそうに。
「ううん、たぶんボクでもそうしてたと思う。…というか、見たかった」
残念そうな彼女に、愁也は「見せたかったなあ」と笑いつつ。
「にしても、リロちゃんのグーパンかあ。それはそれでちょっと見てみt」
「愁也やめとけ」
かぶりを振る遥久の隣で、リロが拳を握りしめている。
「……見たいっていうから」
真顔でそう答える姿に、翠蓮が愉快そうに片眉を上げた。
「まさに奉仕の精神、メイドの鏡よのう?」
「そう言えば誰かさんも、鯖折りになりかけてたって聞いたな……」
「一反木綿になった人もいた気がするのだよ?」
「危うく再起不能になるところだったねえ」
「静矢さんの冗談が冗談になってないですね…(」
「ヨーカン…美味しい…」
メイドに冗談だめ、ぜったい。
しばらく談笑の後、懐中時計に視線を走らせたリロは切り出した。
「じゃあ、そろそろボクはいくね」
「もう…行くの…?」
やや残念そうなベアトリーチェの頭を、リロは名残惜しむように指先で触れ。
「うん。まだやることがあるのと…他の病室も回っておきたいし、ね」
この病院には他にも何人もの怪我人が入院している。文歌とフィノシュトラは察した様子で頷いて。
「また、お会いしましょうね。リロさん」
「楽しみにしてるのだよ!」
笑顔でそう告げる二人に、リロも瞳を細めながら頷く。
「うん、また」
いつかではなく、また。
そう自然に言えるようになったのは、彼女自身が変化したことの現れでもある。
「今はまだ完全とはいかないのだろうが…いずれ、貴女方とも手を取り合えると信じているよ」
「今度会うときは、おんしや主の話をゆっくり聞かせてほしいのう」
静矢と握手を交わし、翠蓮の言葉には少し悪戯っぽい調子で「いいけど長くなるよ?」と返す。
「ヨーカン…お土産…あげる…」
「ふふ。ありがと」
ベアトリーチェから嬉しそうに受け取ったリロへ、一臣は笑いながら告げる。
「主やお仲間さんにもよろしく」
どこかで見ている誰かさんにも。
「今度は何で楽しませるか、考えておくから!」
「いただいた薬は、しっかり飲ませておきますので」
愁也と遥久の言葉にリロは頷くと、立ち上がり、入口まで歩んでから振り返る。
一度軽く息をつき。
すっと表情を引き締め全員を見渡すと、改まった調子で口を開いた。
「閣下に仕える『盟約者』として、改めて。種子島解放、心よりお祝い申し上げます」
そう言って優雅に一礼をしてから、穏やかな微笑を口元に宿す。
「そしてこれは、『ボク』からの言葉」
目の前に立つのは、冥府の使者ではなくひとりの少女。
同じ『意志』を持ち、互いに『力』を与え合った。
ほんの少しはにかむような、親しげな色をその瞳へ浮かべ、歌うように告げる。
共に戦ってくれた愛すべき『戦友』たちへ――
「心から、ありがとう」
こぼれるほどの、真心を。