目的地直前、西橋旅人は星杜 焔(
ja5378)が抱えた風呂敷包みに目を留めた。
「その包みは……」
「あ、会談とは言え息抜きは必要かなと思ったもので」
中身は手作りの料理が詰まった重箱とお酒。日本の自然が育んだ旬のものを使い、お酒に合うものを準備した。
「これならパーティーの偽装もできますしね」
なるほどと旅人が頷く隣では、黒羽 拓海(
jb7256)が思案にふけっている。
(些か予定とは異なる再会になったな……)
最初の約束では秋頃の予定だった。けれど事態が差し迫る中、悠長に待つわけにはいかないのも確かで。
「前回とは懸かっているものが違う。例え僅かでも、知っている事を話して貰わないとな…」
同じ失敗は繰り返せない。そう固く決意する拓海を見て、旅人は何も言わず背中をぽんとやる。
「ええ。私たちは何としてでも、全面戦争を阻止しなくちゃらならないわ」
そう言い切るナナシ(
jb3008)の瞳にも、強い意志が表れている。
「そのためには、一つでも多くの情報が必要よ。頑張りましょう」
己の目指す世界を実現させるためにも。
Robin redbreast(
jb2203)は大きな瞳を瞬かせながら、考えていた。
(オグンは未だ天界への忠義を失っていない、って旅人が言ってたし)
その情報が確かなら、ウリエルや騎士団のことだってきっと気にしているはずだ。
「一方的に知りたいことを尋ねるんじゃなくって、こっちが知ってることを教えてあげるといいかな?」
相手が完全な味方でない以上、情報はギブアンドテイク。彼女の言葉に天野 天魔(
jb5560)も同意する。
「重要な情報ほど得るのは難しい。それなりの対価は払うべきだろう」
赤坂白秋(
ja7030)は扉の向こうで待っているであろう、天の忠臣へ意識を馳せた。
(……俺はこれ以上、仲間もあんたらも死なせたくはねえんだ)
こんな馬鹿げた争いは、止めなくてはならない。
だからもう一度、問いかけたい。この世界を変えたいと思わないのか。
その後方で最年少のメリー(
jb3287)が、手にした群青色のリボンをそっと握りしめた。
(メリーに何ができるかわからないけど……)
初めて相対するオグンを前に、自分はちゃんと話せるだろうか。本来兄以外の男性が苦手な彼女にとって、それはとてもハードルが高いことだけれど。
「あの人が最期に願ったこと、諦めるわけにはいかないのです!」
受け継いだものを無駄にだけはしたくないから。
「じゃあ、入ろうか」
旅人の言葉に、一同の表情が引き締まる。
それぞれの想いを胸に、彼らはオグンの待つ家屋へと足を踏み入れた。
●
開けた襖の向こうで、オグンが佇んでいた。
「入るがよい」
促され室内へ歩み入ると、襖一枚を隔てて急に空気が変わったような錯覚に陥る。空気の密度が増すような。
向かい合ったオグンは、以前より幾分顔色がいいだろうか。老練としたまなざしと滲み出る重圧感に変わりは無いけれど。
最初に焔が丁重に頭を下げた。
「星杜 焔と言います。先日は重湯を召し上がって下さってありがとうございました」
「ああ。あれは貴公が寄越したものだったのか」
妻に持たせていたと言う焔へ、オグンは礼を述べる。
続いて初対面の者は簡単な自己紹介を、前回の会談に参加していた者はめいめいに挨拶を交わす。それらが一通り済んだところで、白秋が切り出した。
「さて、西橋から大体の事情は聞いてると思うが」
こちらを向く老将へ、単刀直入に告げる。
「俺たちは『全面戦争を回避する為の話』がしたい。今回のデートは、そういうメニューだ」
対するオグンも頷くと、全員を見やり。
「地球を取り巻く状況が、天冥共々大きく動いたことは聞いておる。まずは詳しい話を聞こうか」
「じゃあ、私お茶煎れるわ。多分長くなるでしょうし」
ナナシはオグンに断ってから、全員分のお茶を準備する。場が整うのを見計らい、撃退士達はひとまず現状についての説明を始めた。
この数ヶ月の間各地で起きた主要な事件。とりわけ山梨で冥魔が起こした一件については、天魔が詳細な説明を加えておく。
そして、埼玉秩父における一連の騒動。龍脈についても知り得る限りの情報を包み隠さず伝えた。
オグンは時折質問を挟みつつ、彼らの説明に耳を傾けているようだった。ここでロビンが問う。
「秩父地脈の適合期がずれているのって、オグンは知ってたの?」
「いや。巨大な地脈があることは知っていたが、そのような話は聞いておらん」
「でもギメルはなぜか知ってて、その地脈を掘り当てたみたいだよ。いまザインエルが説得しに行ってるって噂だけど、すごいたくさんのサーバントとか用意してたみたいだし」
どう見ても、造反者を力でねじ伏せようとしているとしか思えずに。ナナシも同意する。
「天界は今一枚岩ではないというのが、学園側の見方ね」
「ついでに言うと、秩父の争いにはウリエルも参戦しているらしい」
このままいけば、騎士団の出撃もあり得るのではないかと拓海は付け加える。オグンはそこについて肯定も否定もしなかった。
どうやら彼自身、現状何が起こっているのか、慎重に判断しようとしているのだろう。
「とりあえず、事実確認はこんなところか」
タイミングを見計らい、天魔が話を進める。
「では以上を踏まえて、今後の展望についてこちらの認識を伝えよう。と言ってもこれは俺自身のものとなる故、学園の総意とは言わないが」
先を促す視線に、自身が持つ懸念を語る。
「俺の考えでは、このままだと魔が勝つか、天魔の全面戦争だ。理由を説明する。これまで人間界は類稀な収穫地の為、双方戦線を拡大し収穫を減らす事は避けてきたはずだ」
事実、今までにも度々危うい状況に陥りながらも何とか均衡を保ってきた。
「天魔のバランスを変動させる一つであった、聖槍の争奪戦でも同じ事だ。トップ会談で全面対決を避ける程、徹底していたと認識しているが」
「うむ。その点について異論はない」
オグンの同意に、頷きを返しつつ。
「だが最近、魔側が低コストでディアボロに吸魂能力を与える技術を開発した事で状況は変わった。根拠地は潰したが首魁は逃したので研究を続けているだろう」
山梨での一件は、今後の天冥のバランスを崩す発端だと主張する。
「つまり魔側は全面戦争でも魂を回収できる。だからこそ此度の戦は聖槍の時とは違い、宰相のルシフェルが出ている。地脈を奪取できればよし。失敗すれば全面戦争に移行すればよい」
彼らは現状起こりうる可能性を見通した上で、既にあまたの選択肢を用意しているという見方だ。
「だが天界はどうだ? 俺には天界は未だ全面戦争がないと見誤っているとしか思えない。ザインエル程度に指揮をさせているのがその証拠だ」
「……確かに貴公等の話が事実であるとするならば、メタトロン様が動かないのはいささか不自然ではある」
推測を肯定された。そう見て空気が更に硬くなる。だがしかし、と老将は続けた。
「同様の試みが今まで無かったと思うか? そう、何万年と戦い続けてきた我らだ。天も冥も、同じ研究は何度も試みてきたのだ」
丁度四国で神器のような強力な武具を量産せんとしたのと同じように。
「私が四国に居た時点で、山梨で冥の研究が進められているのは聞き及んでいたのだ。詳細は知らないまでもな」
いつかの神器大戦のように、天にも冥にも裏切り者や間者が居る。そういうことなのだ。
一局としてみれば、確かに天界が不利なようにも思える。だがだからこそ、冥魔の技術がきっかけというのはオグンにとっては引っ掛かりを覚えた。
何故、ザインエルなのか?
或いは――動かないのではなく動けない可能性もあるか。
彼の人に直接目通りしたのはいつが最後であったろう。思案し黙したオグンに天魔はさらに言う。
「ますます解らない。ザインエルは猛将だが宰相相手は荷が重いのは間違いないだろう?」
そうで無くても、ギメルの件で天界は内紛状態になりつつあるように見える。ザインエルが内輪揉めに対処しながらルシフェルと渡り合うなど、到底できるとは思えないのだ。
「このままでは、天界側が不利な立場になるのは明白だ。当然、共に戦うウリエルの身も危険だな」
全面戦争を想定していなければ、天界側が奇襲を受ける可能性だってある。結果的に魔が勝利してゲート生成されてしまえば、騎士団の本拠地であるツインバベルも飲み込まれてしまうだろうと。
ここで拓海も、オグンに訴えかける。
「天界が事態収拾に戦力を投じた隙を、冥魔が逃すとも思えん。仮にウリエルを失えば、天界の『上』を変え得る存在がますます減ってしまうはずだ」
オグンを始め多くの者が命と引き替えに見出そうとした未来が、このままでは握りつぶされてしまうと。
対するオグンの表情は、険しげな色がにじんでいる。何百年間も戦争の渦中にいた彼にとって、この危機がどう映っているのか。
すぐにでも聞き出したいところだが、ここでナナシが敢えて提案した。
「この辺でいったん休憩にしましょうか」
焦ってもよい結果にはならないし、情報整理のためにもその方がいい。
オグンも同意したため、一同はナナシが持参した羊羹や焔の料理をつつきつつ、しばし団欒にも似た時を過ごす。
羊羹を食べながら、ロビンがおもむろに言う。
「この間、高知でシスに会ったよ」
おやと言った様子のオグンに、彼女は続ける。
「何しに来たのって訊いたら、死んだひとたちを追悼しに来たって。後、仲間を殺した撃退士のことは憎まないって言ってたよ」
逝った者たちが撃退士を憎まない以上、自分も憎むつもりはないと彼は言っていた。
聞いたオグンは目元に微笑を漂わせ。
「あれはああ見えて、妙に物わかりがいいところがあるからな」
「先月は騎士団の仲間と一緒に、遊園地ってところへ来てたみたいだよ」
「おおかた、ソールかエルあたりとだろう」
「うん、よくわかったね」
ロビンの言葉にオグンは「あれらが幼い頃から知っておる」と答える。
「シスなら私も会ったわ」
ナナシはそう言うと、数枚の写真を差し出した。
「これは遊園地で撮った写真よ。真ん中にいるのがシスね」
そこには怪しげな変装をしたシスが、女子に挟まれてむぎゃおーしている。
いきさつを聞いたオグンは、「変装が見抜かれているようではな」と苦笑しつつ。
「ともあれ、健在であることはわかった」
そう言って写真を見つめる瞳は、微かにやわらいでいるようにも見えた。
「あの…オグンさん」
おずおずと声をかけたのは、メリーだった。
「メリーは…その…ここでこんな事を聞いていいのかわからないのですが…」
そう言っていったん俯いてから、意を決したように口を開く。
「あの人の…バルシークさんの事を教えて頂ければと思うのです」
オグンはやや意外そうにメリーを見つめていたが、彼女が握りしめた群青色のリボンを見て何事か察したのだろう。やれやれといった様子で。
「あやつも随分と慕われたようだな」
そう呟くと、どこか懐かしむような表情になる。
「あやつが騎士となって間も無い頃、部下を死なせたことがあってな」
それは従士になったばかりの、若い天使だったという。上から命じられた作戦の最中に、命を落としたらしい。
「致し方なかったとはいえ、本人は随分責任を感じておったのだろう。あれ以来、あやつは団員の死に殊更敏感になってな」
話を聞きながら、メリーは思う。
あの時彼が命と引き替えにシスを守ったのは、過去の苦い経験がそうさせたのだろう。そう思うと、今さらながら胸が締め付けられる。
「あの人の事…少し知れた気がするのです。ありがとうなのです」
そう言って、メリーはぺこりと頭を下げた。
●
「では、そろそろ始めましょうか」
ナナシの呼びかけに、会談が再開される。
「皆の説明にあったように、このままでは天魔どちらが地脈を手にしても全面戦争が起きるわ。でも第三者の私達ならそれを阻止できる」
そう言い切ってから、彼女は告げる。
「だから私達は貴方と交渉がしたいの、オグン」
ナナシの言葉に、全員の表情がいっそう引き締まる。
――いよいよ、山場だ。
オグンはいまだ天界に属している以上、協力を求めるのならば相手の利を示す必要がある。それができなければ今回の交渉は失敗だと、ナナシは軽く深呼吸する。
「具体的な話に入る前に、まずは貴方の考えを聞かせて欲しいの。今回の事件について、率直な感想を聞かせて頂戴」
オグンはしばし沈黙した後。
「すべては伝聞でしかないゆえな。あくまで貴公等の話を聞いた私見と受け取ってもらわねばならん」
そう前置きし、ゆっくりとしかしはっきりとした声音で語り出した。
「その上で現状を鑑みるならば、秩父で天冥どちらかの巨大ゲートが生成される可能性は極めて高い」
そうなれば、かの地が天魔戦争の最前線となり得ることも。
「さらに言えば、天界が一枚岩ではないという貴公等の推察もまた、的を射ている。その隙を狙い冥魔が事を有利に運べば、一時的に天界が不利になるのは間違いないだろうな」
ただ、と軽く視線を上げ。
「だからこその、ギメルなのかもしれん」
「…それってつまり、ギメルは捨て駒ってこと?」
ロビンの反応に、「あくまで推測だが」と述べるにとどめる。話を聞いた焔が、ほんの少し悲しげに。
「この現状を見て、オグンさんはどの様に感じておられますか? 貴方が命を賭けて求めた未来に、進んだ手応えは――」
「あるとは言えんな」
微か漏らされた吐息。そこには内なる感情が集積されているようで。
「じゃあ貴方は全面戦争の阻止を望んでると、受け取っていいのかしら」
ナナシの質問に、オグンは首肯する。
「元よりそうで無ければ、死を選んだりはせん」
「もう一つ。今回の一件、地脈の利用価値をなくす以外で、全面戦争を阻止する方法はあると思う?」
「天冥それぞれが交渉のテーブルに着くのであれば、あるいは。しかしながら争いの発端が地脈争奪である以上、根本的な解決になるとは思えん」
そもそも、時間があまりにもなさ過ぎる。オグンの考えを聞き終えたナナシは、しっかりと頷いて。
「ここから先は、交渉と思って頂戴。状況が大きく動いた今、貴方達と私達の利害は部分的には一致するはずよ」
ナナシから引き継ぐように、白秋が口火を切る。
「――俺はな、これ以上仲間を死なせたくないし、あんたらを無為に殺したくもねえんだ」
その声音には、ある種切実さがこもっている。
既に数多の天魔をこの手にかけてきた。こんなのは、もうたくさんなのだと。
「そのためには、全面戦争を止めなきゃらない。何としてもだ」
「日本全土覆うゲートが開かれれば、生態系も狂い世界に影響が及ぶでしょう」
焔はそんなことになれば地球が滅びてしまうと、訴える。
「私は命を食べる事を否定はしません。それは我々も同じですから。…ですが、根こそぎ狩る事、争う力にする為奪う行為は肯定できません」
地球で狩り尽くせば、また別の世界が同じ悲しみを背負うだけだ。そんな流れは、何を持ってしても断ち切るべきで。
「以前ご指摘戴いた通り、私達は人の世以外を深く知りません。だからこそ、天の側から見たご助言を戴くことはできませんか」
「もちろん、全面的に協力しろとは言わん。だが事態の早期解決が図れれば、色々な意味で天界の損失も減らせるはずだ」
そう言って拓海はオグンと向き合い、真摯に言いつのる。
ウリエルも、あの夜出会った従士も死なせたくはない。自分たちは新しい時代を創る同志で在るべきではないのかと。
「……メリーが出来るのはお願いだけなのです」
皆の話を聞いていたメリーも、勇気を出して想いのたけを告げる。
「人類の為になんて事は言わないのです。ただ…あの人が最後に願った事だけは無駄にしないで欲しいのです!」
自分には相手を説得できるほどの理も経験もない。
でも託された未来のために、やるべきことだけはわかるから。
「だから…お願いなのです。メリー達にほんの少しでも構わないので力を貸して欲しいのです!」
撃退士達の説得を、オグンは黙って聞いていた。そして一度吐息を長く漏らしてから、口を開いた。
「貴公等の意はわかった」
その響きは落ち着きを保っているため、心情を推し量ることは難しい。
「貴公等の言う通り、天と人双方にとって全面戦争を回避すべきという考えは私も同じだ。そのために、現場を離れた私でもやれる事はあるのやもしれん」
「じゃあ……」
「立場上制約は多いが、出来うる限りの協力はしよう」
その言葉に全員の表情には安堵の色がありありと映し出される。つい緊張の糸が緩みかけるが、話はこれからだと居住まいを正し。
「では、早速本題に入りたい」
天魔が全員を見渡しつつ、話を進める。
「今から具体的にこちらが望むものを伝える。全面戦争回避のために必要なのは『情報』と『手段』。そのために、いくつか論点を分けて話合いたい」
そう伝え、各自が話しやすいよう流れの基盤を作っていく。
「まずはこちらが欲しい『情報』についてだ。これは龍脈、ギメル関連に分けて論じたい。その後で、『手段』についての話ができればと思う」
「異論はない」
「各情報の詳しい内容は他の者が説明する。他にも意見や提案のある者がいるので聞いて欲しい」
それと、と天魔はやや苦笑めいて付け加えておく。
「我々も情報不足で混乱していてな。多少の意見の相違は許して欲しい。こちらも必死なのだ」
●望む『情報』
>龍脈について
「じゃあまず俺からだな」
白秋が軽く咳払いをする。
「俺が訊きたいのは、『今回の龍脈によって可能になる事とデメリット』。そしてナナシもさっき触れていた通り、地脈を『無効または無力化する方法』について心当たりがねえかって部分だ」
続いて焔も手を挙げる。
「地脈の使用可能期間は限られてる様ですね。本来の周期より早まったのも何か原因があるのではと思うのですが…どうでしょう?」
二人の質問にオグンは順番に答えていく。
「まずは龍脈についてだが。貴公等も予測しているように、適合期間中に強天魔の手に渡れば本州壊滅もあり得るだろう」
それ程のエネルギーを秘めていると彼は言う。
「その場合、天魔から見てのデメリットは通常のゲート展開とそう変わりはない。人界の緩衝地帯としての側面が失われ、全面戦争ともなれば補給地としての役割も失する」
「俺たちの認識とほぼ同じってことか……」
「もう少し掘り下げた視点で見るならば、穏健派にとって大きな痛手となるであろうな」
穏健派が進めようとしていたことが無駄になってしまえば、当然風当たりは強くなる。そもそも地球が最前線化した時点で、武闘派が台頭するのは避けられないのだから。
「次に地脈を無効化する方法だが、これについては私も心当たりがない。そもそもかような技術が確立しているのなら、今までにも使っておるはずだ」
既に開いている冥魔ゲートを、その方法で潰せばいいのだからと。
「ただ、地脈の適合周期がずれた要因については、ある程度推測できる。地球には他の補給地にはない特異点が存在するゆえな」
焔が小首を傾げる。
「特異点…とは?」
「貴公等の存在だ」
その言葉に、撃退士達は顔を見合わせる。
「通常であれば、これ程の狭い地域かつ短い間にゲートを乱立させるなどあり得ん。補給地的な位置づけの世界にも関わらず、最前線さながらの消耗が起きているのだからな」
その現象を引き起こしたのは、人が得たアウルの力に他ならず。
「短期間でゲート作成と破壊が繰り返されたことが、地脈へ何らかの影響を及ぼしたのやもしれん。あくまで、考えられる要因の一つだが」
白秋はほんの少し考え込むと、探るように。
「じゃあ、仮に俺たちの力が龍脈の周期を狂わせたのだとしたら、無効化するのも俺達の力を使えばあるいは…?」
その言葉にオグンは「可能性はある」とはっきり頷いた。
>ギメルについて
「これは俺が質問しよう」
今度は拓海が軽く手を挙げる。
「まず、ギメルが無詠唱で開いたゲートについてだが。生成術や強化の正体に何か心当たりはないだろうか」
仕組みが解れば、原理が解れば妨害の目もあるかもしれないと考えたのだ。
「話を聞く限り、ギメルが開いたゲートそのものは恐らく通常のものと大した違いはないはずだ。強化されているのは地脈の強さが影響しているのであろうな」
「しかし…あれほど強力な力を突然手にして、何の反動も無いとは考え難い。何かしらの欠陥があるんじゃないか?」
拓海の主張に焔も同調する。
「私もそう思います。そもそもそんな技術が普通に使えるのなら、今までにも同じ事が起きていた筈ですし」
起きていないのには、それなりの理由があるはずだと。
「そこについては、生成術そのものが関わってくる。かの地で使われた術が、私が聞いたものと同じであるならばの話だが」
「それは一体どういうものだ? 天界の秘儀だとは思うが、差し支えない程度で教えてくれないか」
「私も伝承で聞いただけゆえ、詳しい術法は定かではないのだ。ただ、生成には相当のリスクを伴うこと、その術を用いて大陸をひとつ消したという話は聞いておる」
「な……それは本当なのか」
愕然となる拓海に、オグンはやや深刻な面持ちで頷き。
「本来メタトロン様ですら扱えるものではない代物だ」
オグンの話を聞いて、撃退士達は合点していた。生成自体に大きなリスクがあるからこそ、今まで誰も使う者がいなかったのだと
「ただ、仮にその禁術をギメルが用いたとしてだ。かように危険なものを、一介の天使であるあやつが何故使えたのかが、問題だな」
それを聞いたロビンが、じゃあと。
「やっぱり、実力のある天使が、ギメルを駒にして叛乱を起こしたのかな?」
そうであれば、地脈の件も禁術の件もすべての辻褄が合うと彼女は考える。
「人間と天使と悪魔を戦わせて消耗させて、ギメルを使い捨てて、人界支配するつもりなのかな。オグンはどう思う?」
オグンはしばし考え込んだ後、やや躊躇いがちに頷く。
「可能性はある。だが具体的に誰かというのは現段階で推測のしようがないし、元より私の立場上軽々しく明言するのははばかられる」
それはつまり、かなり高位の者が関わっている可能性を示しているとも言え。
「ちなみにですが、生成自体を妨害する手立てを、何かご存知ないですか」
焔の言い分としては、ゲート自体に欠陥がないのであれば、生成そのものを妨害できないかと言うことだった。
「すまぬが心当たりはない。だが、同じ生成術をもって今後もゲートが開かれるとは思えん。先刻も述べたように、天界としてもそうそう使える代物でないゆえな」
「つまりそれほど、今回の事態は異常だということか……」
拓海の漏らした言葉に、オグンはやや眉根を寄せて同意した。
「そういうことになるな」
●望む『手段』
「では最後に、こちらが望む『手段』の話に入りたい」
天魔の視線を受け、数名が頷き返す。まずは白秋が切り出した。
「全面戦争の回避を目指したい勢力は現状で二つ。俺達と、穏健派だ 」
彼の中ではメフィストフェレス一派の動きも気になってはいるが、そこは黙っておく。ナナシも続いて。
「それ以外にも全面戦争を望まず、人間界との交渉を良しとする者たちもいるでしょうね。私達と彼らとは、目的や手段に重なる部分があるはずよ」
前にも言ったけど、とナナシは言葉を重ねる。
「私は貴方たちと立場の違いで戦う事はあっても、殺し合いたいわけじゃない。そのためにも、貴方には彼らとの窓口になってもらいたいの」
「具体的には、穏健派を率いるミカエルとパイプを作り、全面戦争の回避という同じ目的の為に力を合わせたい。加えて、以前あんたが興味を示していた事から、ウリエルとの交渉も視野に入れて考えている」
武闘派の一部とも話し合いが出来るのならそれに越したことはないと、白秋は主張する。
「あんたの生死に関しては、その両名以外に公表しないと約束する。力を合わせるのは、互いの利益になる事柄のみで構わない」
そう畳みかけた後、白秋はいったん言葉を切る。
「俺達は……俺は……」
呟き、瞑る。
どう伝えれば、どう呼びかければ、もっと響くのか。
「……多くの人間が百年も生きられない事を、あんたは知ってるか」
人と天魔の埋めようのない差。
人間は短命で、人生は短い。
「あんた言ったな。『数十年生きられたらいい方だ』と。だがその数十年に、俺達は一生を賭けるんだ」
一年の重み。一月、一日、一秒の重み。
天魔のそれよりも遥かに強く感じているがゆえに、白秋には歯がゆさを覚えてしまう。
「燃え尽きた気になってんじゃねえよ」
言い放った言葉に、オグンはわずかに反応を示す。
「俺達からすればあんたは、世界を変える力も、成し遂げる時間も持ってる」
時間が無いなどと言わせない。
現に目の前の男は生きていて、明日も明後日も一年先だって見られるじゃないか。
「変えたいと思わねえか、この状況を」
救いたいと思わねえか、大事なものを。
「それは、『一生』を賭けるに値しないものか?」
長い、沈黙だった。
答えを待つ彼らにとって、永遠にも感じられる長さで。
「――私は少し、死ぬのが遅すぎたのやもしれんな」
苦笑が混じる声音。
視線を上げたオグンの目元が、わずかにやわらぐのがわかる。
「まったく、貴公等の熱意にはつくづく感心する」
己の若かかりし頃を、つい思い出してしまうほどに。
天の老将は、一度大きく息をついた。そして撃退士を再び見渡し。
「私は既に力を失った身だ。だが貴公等の言う通り、生き長らえたこその意味もあるのやもしれん」
彼らの真剣さを理解できないほどの頑固者でも、無責任でもいられないがゆえに。
「残された時間の中で、介在者として成すべきことがあるのならば――」
この先どれほど罵られ、責められようとも。
「世を変えるために、私も『一生』を賭けよう」
その瞬間、一同の間に歓声にも似た声が漏れた。
頑なな意志が動いた。ようやく掴んだ”可能性”に、思わず震えが来そうになる。
「……礼を言うぜ、オグン」
白秋の言葉に、無言の微笑が返ってくる。流れを見守っていたロビンがじゃあ、と切り出した。
「もし今、自由に動ける状態だったとしたら、オグンはどうしたい?」
こちらを向く瞳に、こくりと頷き。
「無理を言って、こっちの都合で、ここにいてもらってるから。オグンの代わりに、伝えたい情報とか、伝えるよ。オグンがやりたいことを、代わりにやるよ」
彼女の提言に、オグンはふむと顎髭を一撫でする。
「今すぐという意味では、ともかくギメルゲートを抑えることだな。これができなければ、話し合いもままならん」
「わかった。ゲート壊してくればいんだね?」
「左様。これは第三勢力である貴公等にしか成し得んことだ」
「その後は?」
「ギメルの件が落ち着くのを待って、まずはミカエル様と話をする道を模索しよう」
ここでナナシが口を挟んだ。
「あ、そのことなんだけれど。ミカエルと連絡を取る方法なら心当たりがあるの」
ナナシはシスと直接連絡が取れる状況にあることを説明する。
「もし貴方が知りたいのなら、今の騎士団の様子も彼に訊いてくるわ。シスが答えるかどうかは別として、なんなら今ここで彼らの状況を聞いても良いし。直接連絡がとりたいのなら仲介もするわ、どう?」
その言葉に、オグンは黙考し。
「気遣いは感謝するが、今はまだその時ではない。あやつらが今どうしているか気にならぬわけではないが、私の感傷のみで負担を強いるつもりもないゆえな」
必要に駆られるまでは、連絡を取るつもりがないのだろう。
「無論、いずれ手はずが整えば頼むこととなろうな。だがその前に、貴公等も学園本体と話を付ける必要があるのではないか?」
その問いには旅人が肯定してみせる。
「仰る通りです。この会談自体、僕の独断で始めたものですから」
天魔がならばと、メンバーを見やり。
「ここは慎重に進めよう。うっかり手を誤ってはすべてが水の泡になる」
最低限基盤が出来るまでは、オグンの生存も引き続き秘匿すべきとの判断だ。
話が前に進み出したことで、拓海は重ねてオグンに伝える。
「今後もこんな調子では堪らんし、『上』を変える手立てを共に考えてもらえれば助かる。そのためにも…改めてよろしく頼む」
それを聞いた老将は、どこか感慨深げに微笑むのだった。
「全く、人生とは何があるかわからぬものだ」
●
会談後。
他のメンバーが退出しても、メリーは部屋に残っていた。いぶかるオグンの前へ戻ると、突然頭を下げ。
「オグンさん、ごめんなさいなのです!」
面食らう相手へ向け、思い詰めたように告げる。
「実は…実は、オグンさんが生きていること、シスさんには知られてしまったのです。自分たちの欲しい情報だけ頂いた後で、ごめんなさいなのです…」
これを伝えれば、信用を失うかもしれない。けれど隠し事をしたままではいられなかったと謝る。
対するオグンはしばらく沈黙していたが、やがて。
「もうよい。シスと連絡を取れると聞いた時点で、大方予想はしていた」
「えっ…そうなのです…?」
思わず顔を上げると、やれやれと言った様子で頷く。
「秘密はどこからか漏れるものだ。元より隠し通せるとは思ってはおらん」
聞いたメリーは恐る恐る。
「では、許しもらえるのです…?」
「このことで今さら貴公等を責めたりはせん。とは言え、今後はより慎重になってもらわねばならんぞ。多くの命がかかっておるゆえな」
その言葉にメリーはしっかりと頷いてみせた後。オグンを見上げ、手元のリボンをきゅっと握った。
「メリーの夢は天も魔も人も、みんな仲良く笑っていられる世界なのです」
それがたとえ夢物語だとしても。
「前に進み続けると、このリボンに誓ったのです。だから…約束して頂けませんか。またメリーとお話してくださると」
戦争の事だけでなく、色んな事を話してみたい。
あの人とどんな時を共にしてきたのか、聞かせて欲しい。
「わかった。約束しよう」
深みのある声音に、メリーはバルシークに似た安心感を覚える。
(…そう言えば、オグンさんはあの人が信頼を寄せていた方だったのです)
だから自分も、いつもより前へ踏み出せたのかもしれない。
そんな心強さを感じながら、メリーはふと。
「……もし、シスさんがオグンさんに会いたいと言えば、どうしますです?」
あり得ない話ではない。オグンはしばし考え込んでから、ゆっくりと頷いた。
「あやつらが望むのならば、あるいは」
※
「全く、嫌な予感がすると思ったらこれだ」
その日の夕刻、旅人から報告を聞いた太珀はため息を吐いた。
「貴様の局地的に発動される無茶は何とかならんのか」
「す、すみません…」
謝る弟子を睨みつつも、半ば諦めた様子で。
「まあ、結果的にうまくいったようだからな。奴から得た情報は、現状対策や分析において役立つのは間違いない。その他の成果についても、上には僕がかけあっておいてやる」
「よろしくお願いします」
再度頭を下げる旅人に頷きつつ、太珀は思う。
(ツインバベルか…)
かの地に君臨するミカエルとウリエル。
彼らを話し合いの席に引っ張り出せるとしたら――
「…ふん、面白い」
一滴の波紋が、巨大な流れに刻まれた。
今は小さなその波が、いつか世界を動かす大波となってゆく予感。
史の観測者は確かに感じ取っていた。