オグンの病室へ向かう中、皆それぞれの想いを抱えていた。
「オグンさん、貴方はきっとまだやるべきことがある……」
そう呟く星杜 藤花(
ja0292)は両手で風呂敷包みを抱えている。中身は料理が得意な夫・星杜 焔(
ja5378)が手作りした重湯。心を込めて作ってくれたものだ。
生きて欲しい。
ただそれだけを胸に、病室へと向かう。
「身を犠牲にする行動を認めたくはない。この先の苦労を買ってでもな」
大炊御門 菫(
ja0436)はその凜としたまなざしを前へと向ける。
「私は、護るという焔を見せると誓った」
この身に宿す焔は、命を屠るためではない。
戦いを終わらせ全てを活かすために。そう誓って、ここまで来た。
「さて…この交渉、どう出るのが良手なのか」
鳳 静矢(
ja3856)は静かな佇まいで、廊下を歩む。
その表情はあくまで冷静で、今起きている状況を俯瞰的に捉えようとしているのが窺える。
恐らくこの交渉は旅人の言う通り、難航するだろう。彼自身もそう予感するからこそ、何が最善なのかをずっと模索している。
同じく赤坂白秋(
ja7030)も、この交渉へ向け多くの思案を巡らせていた。
彼の中には、一つの狙いがある。
(この交渉をきっかけに、穏健派ともパイプが作れりゃいいんだが……)
四国は数少ない穏健派の将が力を持つ地である。人との共存を是とする彼らと繋がりを作る事は、この先マイナスにならないはずだ。
「騎士団長オグンさん…か。イレギュラーな事態、どう利用出来るかな」
ジョシュア・レオハルト(
jb5747)は、普段の物静かな調子を崩さない。
手にしているのはノートパソコン。サポートとして動くのが常である彼は、今回も議事録作成を自ら買って出ていた。
(最悪を「拒絶」するためにも、やれることをやろう)
一方ナナシ(
jb3008)は、並々ならぬ想いでこの交渉に赴いていた。
「ようやく得たこの機会…無駄にするわけにはいかないの」
共にバルシークと戦った仲間や、オグンの生存のために動いた仲間がいる。
託された想い。願い。未来。
その全てを背負うつもりで、ここに来た。
「ひとまず命を繋いだが…まだ先は長いな」
黒羽 拓海(
jb7256)もナナシと同じような想いを抱えていた。
大天使を追い続け、高知決戦でも身を賭してオグンと真っ正面から相対した。
「後は頑固者の考えをどう変えるか、か…うまくいけばいいが」
多くの者が望む未来のために、自分に何が出来るのか。今でもずっと考え続けている。
「着いたよ」
先を歩いていた西橋旅人(jz0129)が、病室の前で皆を振り返る。
「この先に、オグンがいる。皆が来ることは前もって知らせてあるから」
藤花が周囲を注意深く見渡しながら、提案する。
「入退室は細心の注意を払いましょう」
この交渉はあくまで非公式。あまり人目に触れない方がいいだろうとの判断だ。
●邂逅
「失礼します」
ベッドの上で、オグンがこちらを向いていた。老練としたまなざしを前に、一同の顔には緊張が浮かぶ。
例え武人としての力は失っていても、にじみ出る重圧感に変わりは無い。それはまるで、生きてきた時の重みを体現しているかのようで。
藤花はつと歩み出るとぺこりと頭を下げる。
「オグンさん、覚えていないかもしれませんが、先日の戦いでお会いした者です」
そう言って、手にしていた風呂敷をそっと差し出す。
「こちらは夫が作った料理ですので、よかったら食べてください。美味しいですよ」
オグンは何も答えなかったが、藤花も気にする素振りは見せず。
「再起不能状態だとお聞きしました。…お食事を取られていないことも。でも私達は、オグンさんに生きる道を見出してほしくてここへ来ました。どうか、生きる事を諦めないでください」
藤花の訴えにオグンはわずかに頬を緩めると、ようやく口を開く。
「貴公らは私の意志も知った上でここへ来たのだろう。ならば今さらこちらの意向を伝える必要もあるまい。このまま続きを聞こう」
彼の言葉にうなずくと、藤花は一つ一つ言葉を選ぶように伝えていく。
「貴方が今ここにいることで、天界にもきっと動揺が走っていることでしょう。心の支えたるものを失えばそうなります。これについては…どうお考えですか?」
「貴公の言う通りであろうな。むしろそうでなくては困るゆえ」
「…つまり、天界の動揺自体が目的だったと…?」
「今さら否定はせん。貴公等も知っての通り、今の天界は様々な問題を抱えておる。この先起こりうる万の死を回避するために、私は私の役目を果たしたまでのことだ」
「それは騎士団員に対しても、同じことが言えるのか?」
割って入ったのは拓海だった。視線を向けた老将へ向け、続ける。
「すまない、黒羽拓海と言う。蒼雷を借り受けている剣士、と言えば思い出せるか?」
オグンは軽く頷いて。
「貴公の蒼雷を纏った一閃、見事であった」
「……アンタにそう言ってもらえるなら光栄だ」
拓海はそう言ってから、一呼吸置いて話し始める。
「自らの死をもって、天界の過ちを正す。その覚悟には畏敬の念を禁じ得ない。だが…敢えてもう一度言わせてもらう。アンタまで死んだら、誰が若い連中をさせると言うんだ?」
「一時的に混乱するのは避け得んだろう。だが、あやつらは大丈夫だ」
「なぜ、そう言い切れる!」
拓海はやや語気を荒げると、真摯に想いの丈を告げる。
「アンタという柱があるからこそ、騎士団の双璧も軍師も死を受け入れたんじゃないのか! 後を託せる相手がいたから! それなのに…アンタが死んでどうする…!」
若い世代に未来を託し、死んでいった大天使を想う。後を継いだ自負があるからこそ、諦めるわけにはいかなかった。
「アンタまで失いたくないから、連中も止めに来たんだろう! 俺もいつか肩を並べたいと思う相手を失いたくないから…アンタを助けたんだ!」
救出が自己満足であることくらい、わかっている。勝手な言い分と言われるのも覚悟の上だ。けれど。
返ってきたのは、思いの外落ち着いた声音。
「――全く、あやつらも幸せ者よの」
オグンは口元に微笑を浮かべると、拓海に向けて返す。
「団員をそこまで案じる姿勢、率直に感謝の意を述べておこう。だが、貴公と同じように私もまたあやつらの事を考えた上で選んだ結論なのだ」
言葉を飲み込む拓海へ向け、続ける。
「私の死が、一時的にあやつらを追い詰めることもあるだろう。だが、私は後を託したウリエル様と団員を信じておる。先に逝った者たちと同じように、私の死が若き世代を護ることもな」
「だが…!」
「もちろん、理解しろとは言わん。天界の事情も習慣も、貴公らにはあずかり知らぬことゆえな」
静かな口調ながらも言い切るオグンを前に、一同は沈黙する。
「――では冥魔の脅威が迫っていると言っても、そう言い切れるのか?」
切り出したのは、菫だった。
「私達は天界だけと闘っているわけじゃない。それは天界も同じ…むしろそちらにとって、本来の敵は私達ではなく冥魔のはずだ」
無言のまま続きを待つオグンへ向け、菫は問う。
「目障りだったレーヴァテインが消え、将として名高いオグンもいなくなったのだ。この好機を、四国の冥魔が見逃すはずがないと思うが?」
「もちろん、それに関しては私も懸念はしておる」
「具体的な根拠もある。メフィストフェレス直属のメイドが暗躍している話は、天界にも伝わっているだろう。今ここで詳しく話すつもりはないが、今回の件についても彼女達は様々な手を打っていた。それらは全て、ツインバベルを弱らせ冥魔の勢力を広げるためのものであるはずだ」
同意を示すオグンに、菫は訴える。
「天界の抑止力がなくなり、冥魔に好き勝手暴れられれば、戦場となる四国はまた荒らされる。もちろん暴れ出した冥魔を私達が放っておくつもりもないが、これ以上この地が荒らされるのは避けたい」
「俺もそう思うぜ、オグン」
畳みかけるように白秋が続く。気圧されぬよう相手を見据え、考え続けてきたことを伝える。
「今回の敗戦を受けて天界が採り得る選択肢は二つだ。撃退士との対話と、十分な戦力での撃滅。あんたらは武闘派である以上、後者の可能性は低くないだろう」
否定の言葉はない。
「だがそれは天界にとって都合が悪いはずだぜ。何故か、俺たちは負けないからだ」
わずかに視線を上げたオグンから、白秋は目を逸らさず。
「あんたも知っているだろうが、対冥魔戦線で現役張ってるザインエルにも俺たちは負けなかった。つまり撃退士を倒したけりゃ、主戦場で現役張ってる奴を複数連れてくる必要がある。しかしそれでも俺たちを倒す事は出来ないぜ」
確信こもった響き。それははったりではなく、確かな自信と実績から出た結論の現れ。
「そうなれば、あんたらは主戦場を危うくし戦力的にも消耗するだろう。本末転倒の結末だ」
オグンは何も返さない。それは無言の肯定でもあるようだし、思考のそれにも見える。
「正直なところな、俺たちにしてみればあんたら武闘派が今回の件で弱まることで、穏健派が台頭してくれるのは望ましいと思ってるよ。だがそれには、問題もある。冥魔だ」
高松ゲートに因島ゲート。ツインバベルはこの二つに挟まれている以上、いつだって狙われていると言っても過言ではない。
「大御門も言っていたが、冥魔が仕掛けるとすればこのタイミングだ。それに対抗できるのは武闘派だと認識しているんだが、違うかい?」
問われたオグンはしばらくの間沈黙していたが、やがて諦めたように苦笑する。
「その件については、貴公等と私の見解に相違はない。冥魔が手ぐすね引いているからこそ、現状のツインバベルでは立ちゆかぬと判断したのだからな」
ここでやりとりを見守っていたナナシが、一同を見渡す。
「現状についての相互認識は、大体確認できたようね。他に質問や意見はあるかしら」
「あ、すみません」
議事録作成に徹していたジョシュアが、手を挙げ。
「皆さん考えを纏める時間が必要だと思うので、本題に入る前に一旦休憩にしませんか」
「ああ。オグンの身体のことを考えても、その方がいいだろうな」
同じく見守っていた静矢の同意に続き、皆も賛同。
「では僕、飲み物買ってきますね」
ジョシュアが買ってきたのは、皆の希望飲料のほかバナナオレを多目に。手にしたバナナオレを、オグンへ差し出す。
「姉さんの好物で、悪魔にも人気だそうです」
オグンはまじまじとパッケージを眺めている。飲まれることはなかったが、受け取ってはもらえたようだ。
●何を望むのか
休憩を挟み、一同は本格的な交渉へと入っていく。
自分たちがオグンに望むこと。最初に提言したのは、菫だった。
「私は貴方に『騎士団へ戻り、冥魔へ牽制と備えを行うこと』を望む」
何も言わず続きを待つオグンへ向け、考えを述べる。
「先程も言った通り、天界にこれ以上弱られ冥魔の抑止力を下げてもらっては困るのだ。戦う力をなくしたとは言え、貴方がツインバベルでやれることはあるはず。まずは混乱を収め、冥魔の手出しを阻止する。そのためにも、貴方の生存は近いうちに公表すべきと考えている」
そして、とオグンを見据え。
「いずれ来るであろう時には、天界側から働きかけて欲しいのだ」
「その時、とは」
「冥界と天界、そして人間の勢力が和平交渉を行う時だ」
どちらかが一方を滅び尽くすような未来は認めない。何より自身がそうさせるつもりはない。
だからこそ、いずれ来るであろう和平の時のために動いて欲しいというのが彼女の願い。
「私達は冥魔との戦いに決して負けないと誓おう。世界にその力を示し、同じ階梯へと登りつめ終わらせてみせる」
だから。
菫はまっすぐに老将と向き合い、告げる。
「命という掛札を私達に、大勝負に乗って欲しい」
続いてジョシュアが、歩み出る。
「僕も菫さんと同じですね……。オグンさんには一度騎士団へ戻り、可能なら人と天界を繋ぐ存在を造り出して欲しいと思っています。そのために、正式な手続きを踏んだ後、貴方の生存を全面公表すべきだとも」
ただし、その狙いは菫とややニュアンスが異なるようだ。
「騎士団へ戻る理由は、天界の人間に対する憎しみ等、負の感情が増加するのを抑制したいからです」
これ以上の憎しみは、理性的な対話を妨げる可能性が大きいと考えてのこと。
「それと天界側の情報操作を利用して混乱を起こせば、貴方へ向かう様々な思惑を鈍くすることが可能なのではないか…とも考えました」
それと、とジョシュアは言葉を選ぶように丁寧な口調で話す。
「生存を全面公表する理由は、敢えて返還を告げることで天界に疑念を抱かせるのが狙いです。簡単に返せば『なぜ』という疑問が出てくるでしょうし、それが警戒心という抑止力を生むのではないかと」
「つまり、混乱や疑念を敢えて生じさせることで、理性を生むのが狙いと言いたいのだな」
「ええ。互いの存在を新たに認識する。そうする事で今までになかった理性を戦いの中に生み出し、無意味な死を減らす…。理想論ですけどね」
やや恥ずかしそうに苦笑を浮かべた後、わずかに視線を落とし。まるで独り言のように告げる。
「…僕達【ミナカセ・シリーズ】と違って、貴方はまだ生きられる。貴方が考える「最悪」を拒絶する為に、今は動いてください」
次に意見を述べるのは、拓海。
「俺もアンタには騎士団に戻ってもらいたいと思っている。だが、ひとまず騎士団とウリエルにのみアンタが生きている事を伝えたい。連中ならそうそう他に漏らすことはないだろうし、粛正にくることもないだろう」
騎士団に戻ればいずれ天界全体に知れるだろうが、戻る段取りが付くまでは公表を避けた方がいい。オグンに迫る危険を考えてのことだった。
「先も言った通り、俺がアンタを助けたのは只の自己満足だ。だが、アンタが死んで為そうとした事を背負う覚悟ぐらいはしている」
天の驕りを正し、これ以上の流血を避ける。そしていずれは大きな争いも無くす。それが託された願いだと信じているから。
「アンタの存在は大きい。剣を握れずとも為せる事はあるはずだ。今しばらく生きて、俺達がそれを為すに足ると認められたら、天界との橋渡しになってくれると嬉しい…それが俺の願いだ」
そしてオグンへと向き合うと、軽く一礼をし。
「恥と思うだろうが生きてくれ。これからの世界、若造共の背を見守って欲しい。…争いの無い未来の為に、今一度頼む」
「私は、オグンさんにはここに残って、人と天の橋渡しをして欲しいと思っています」
藤花の意見は先の三人とは異なるものだった。
「夫も言っていましたが、天と人が組めば冥魔にとっては相当やりづらいことと思います。100%人間の側につけと言いませんが、この学園で困ったときに助言をいただいたり、冥魔との戦いで戦術を授けるなど…これらは傷ついた身体でも十分にできることだと思うのです」
そのために、と彼女は続ける。
「私はオグンさんの生存公表にはあまり賛成できません。生存が天界に知れればかえって危険が増す可能性は否定できないですし、死を偽装したままででも貴方に生きて欲しいと思うからです。天界でのオグンさんの影響力を思えば、いずれ共存・共闘の道はあると思っています。そのために、力を貸してくれませんか」
そう言い終えてから、彼女は金色の羽根を取り出す。
「この羽根は、今は亡き大天使ルスさんのものです。以前ご縁がありまして、託されました」
「……ああ、あの者は私と同世代だからな。さほど面識はないが、話には聞いておる」
「そうでしたか。あの方と立場は異なりますが、貴方のことも私は見殺しにしたくありません」
そこで彼女はふと、同世代という言葉が気にかかった。なぜならルスが命を終えた理由は――
「もしかして…オグンさんも寿命が迫っているのですか?」
「ああ。せいぜい後、数十年生きられればいい方であろう」
その返しに言葉を飲み込む。確かにかなりの長い時を生きているという話は聞いていた。寿命が近くてもおかしくはないのだが。
見守っていた太珀は思った。
(元々残り命数が少ないというのも、あの時死を選んだ理由の一つだったのかもしれんな)
どうせ死ぬなら、最も意味のある時に死ぬ。
生粋の軍人である彼がそう思うのも、自然なことだったのだろう。
とはいえ、天魔にとっては数年の感覚でも、人間にとっての数十年は大きい。簡単に捨てていいと思えないのもまた、自然なことである。
藤花は再度、オグンへ向け訴える。
「わたしも貴方の知己となりましたから、知己を失うのは辛いのです。それに夫も言っていました。このまま未来を見なければ、貴方の狙いが本当に実現するかもわからない…私もそう思います。だからどうか、残りの命を諦めないでください」
「じゃあ、次は私が話してもいいかしら」
切り出したのは、ナナシ。彼女はオグンの前で剥いていた林檎を、楊子に指して差し出す。
「想いは人それぞれで、貴方を憎んでいる人もきっといるのでしょうね。それでも私達は、貴方に生きて欲しいと願ったの」
そう言ってから居住まいを正すと、一つ一つ順序立てて話し出す。
「私が願うのは、天界に属したまま人界に駐留する外交官となってもらうこと。両者を繋ぎ、それぞれの意志を伝え合う架け橋になって欲しいの。そのための下準備として、まず貴方の生存はしばらくの間秘匿するわ」
そうしなければ上層部の考えも読めなくなるし、オグンが死を覚悟しただけの成果をふいにしてしまう可能性もあるからと。
「ただ、誰にも伝えなければ前に進めないのも事実よ。だから、ウリエルと場合によっては騎士団だけには伝えようと思うの」
その方法についても、説明していく。
「接触は、シスを通してアブサールを呼び出す予定よ。彼女なら元々あなたの生存を知っているから、信用できると思うの。彼女が来たら、ウリエル宛ての手紙を預けるわ。中身は今回の経緯を記した貴方自身による手紙と、学園からの二通。ここは信用度の問題ね」
オグン自身に書かせることで、手紙の内容を信じてもらうためだ。
「以降、アブサールにはウリエルとの連絡役を頼むつもり。ここまではいいかしら?」
オグンは目で頷く。ナナシは続いて、目的と理由について説明を始める。
「この作戦の狙いは、ウリエルとの外交ルートの確立なの。これがない現状、戦争の終結は片方の全滅しかない状態になっているわ。でも貴方たちと関わり心を知った今、私はそんな未来は認めない。いつか共に歩む未来もきっとあると信じているの」
そう言ってナナシは、自身の考えをはっきりと伝える。
「ウリエルとの外交ルートが確立できれば、貴方の今後の扱いや生存発表時期を交渉したいと考えているわ。これならもし、発表前に上層部に漏れても、ウリエルは知らなかったと突き通すことができるはずよ」
つまり、ウリエルや団員に対するリスクを排除するのが狙いだ。
「大御門さんも言っていたけど、私達は天にも冥にも負けないし、平和な未来を勝ち取ってみせる。だから貴方が死ぬのは、今じゃない」
最後まで目を逸らさず、まっすぐに告げる。
「例え残りの寿命が少なくても、命尽きるまで見届けてから、向こうでバルシーク達への土産話にしなさい」
「俺の意見も概ねナナシと同じだな」
続いて白秋は先刻の話を織り込んだ上で、自身の考えを述べる。
「あんたにはあくまで天の立場に立ったまま、現状を変えるために協力してもらいたい。付け加えるなら、俺は穏健派とのパイプも出来れば作りたいと思っている。そのために、ミカエル…だっけか。名前しか知らねえが、穏健派の重鎮らしいな」
会った事はないが、それなりに話のわかる相手だと聞いている。ならばと彼が提案するのは。
「ミカエルとウリエル、この二人にまず話を通したい。ツインバベルの双璧とうまく話がつけば、包み隠さず全てを公表すればいいと思っている」
「ミカエル様か……」
わずかに反応を見せたオグンに向け、白秋はたたみかける。
「なあ、オグン。さっきの冥魔との話を踏まえて思わねえか。ツインバベルは今、手を取り合う時なんだ」
武闘派の危機と冥魔の暗躍。そしてもう一つの柱、穏健派。
「今は天界の未来を決める分水嶺なんだ。穏健派と武闘派、そして俺たち人間との新しい在り方を見出すためにも、まずは基盤を作るべきなんだよ」
最後に残ったのは静矢だった。
彼は皆の説得が失敗した場合に限り意見を述べるつもりだったが、オグンが全員の意見を聞いておくと言ったため、話をすることになる。
「私の話は…できれば、あまり聞かれたくないのでな。申し訳ないが、立会人のお二人を除いて一旦退出するよう頼みたい」
言われた通り他のメンバーが退出した後、静矢はオグンへと改めて向き直る。
「私が貴方に求めるのは、他の仲間と同様『天と人との交渉への助力』だ。だが、これには条件がある」
続きを待つオグンへ向け、続ける。
「天が人を交渉に値すると認めるに至ってからの話だ。すぐには難しいであろうゆえ、時間が必要だと考えている。それまで貴方の死を秘匿するのはもちろんのこと、私はこの学園の者にすら秘匿すべきと考えている」
理由は、学園から情報が漏れてしまう可能性が高いと考えたからだ。
「この学園の者は、私が言うのもなんだが情には脆く、甘いからな…。特に騎士団と関わった者は、生存を伝えてしまう可能性がある。私はそれを避けたいのだ。そのために、貴方には再度死んでもらいたい…ただし、仮にだ」
偽装方法については次の通りの説明だった。
まず、隠れ家を用意し、スモッグで中を隠した車・オグン大の人形と大きなシーツ2枚・火葬の準備を手配する。
オグンが衰弱ししたと公表し、シーツに包んだオグンを車に乗せ中で人形と入れ替わる。そのまま人形は火葬場で焼き、オグンは隠れ家へと移動すれば死の偽装ができるとの算段だ。
「この方法なら、太珀教諭や西橋さん、そして外で待ってくれている者で移送を行えば、後は私達が黙っていれば済む。うっかり学園外に漏れる心配もないだろう」
そう言ってから、静矢はオグンへ向かって告げる。
「私は高知の戦いでリネリア、ハントレイと戦った…彼等は必死だった」
慕う相手を死なせまいと。命令違反を犯してまで助けに来ていたという。
「貴方が死せば彼等の中には絶対に消えない悲しみとして残る。…私も、私を救う為命を懸け散った方や、数万の人を守る為命を賭した友人が居た。残った者の悲しみは絶対に消えないのだよ…オグン」
そして突如姿勢を改めると、その場に土下座する。
「貴方は今生きている。ならばこそ今は天界の未来の為、仮に死に…そして今流れている貴方を想う者達の涙をぬぐう為に…命を繋いではくれまいか」
オグンを生かそうとした者全てのためにと。
●結論
再び全員が病室内に揃ったところで、オグンは静かに切り出した。
「貴公等の意見は分かった。各々が考え抜いてきた事及びその想いには、改めて感謝を述べておく。貴公等に敬意を表し、それぞれの提言に対する私の考えを述べておこう」
ごくりと息を呑む中、老練とした声音が響く。
「まず、動揺や混乱を収めるために天界へ戻る件について…だが、結論から言うと否という返答になる。元より私の死が与える動揺自体が目的である以上、今戻ってしまえばその狙いは全て無駄になってしまうのでな」
波紋を上層部の変革へと繋げ、結果的に天界全体を安定させることが、彼の狙いであったから。
「悪魔への抑止力を失わないためという狙いや、敢えて混乱を与え理性を生み出そうという意見は理解できる。だが、最良の方法が天界へ戻ることだと私は考えていない。そも、今帰還し成し得るものなら、最初から死を選んだりはせん」
つまりは目的のための方法論の違いだと、言いたいのだろう。現状オグンの狙い通りに事が進んでいる以上、覆すためには余程の理由が必要であるとも。
「申し訳ないが、提言の中に現状を覆すだけの可能性を見出す事は、出来なかったと言えよう」
次に、とオグンは声の調子を変えること無く続ける。
「しばらくは死を偽装したまま学園に残り、天と人とを繋ぐという提案についてだが」
提案したメンバーが反応を示す。
「その中にあったウリエル様との外交ルートを水面下で確立する…という意見は、一考の余地があるかもしれん。私の狙いを維持しつつ、新たな可能性を探る方向性については、私も考えが至らなかったゆえな」
それと、とオグンは付け加える。
「ウリエル様だけでなく、ミカエル様双方に…という意見も面白い。交渉相手としてはミカエル様の方が適任かもしれんし、穏健派とパイプを作りたいという人間側の事情も理解できる」
実際にこの四国では穏健派がそれなりの力を持っていることも影響しているのだろう。
「一方で天と人が話し合える状況へ至るまで、完全に私の生存を秘匿すべきという意見も現実的であるだろう。だがこの言については、現状打破のための具体的な方法と根拠が示されなかったゆえ、可能性を判断するに至らなかった」
そう言ってから一同を見渡すと、一呼吸置き。
「以上が貴公等の提言についての、大まかな私の考えだ。これらを踏まえ、この交渉についての結論を話そう」
オグンの言葉に、撃退士達の顔に緊張の色が走る。
「率直に言えば、提案の中には一考の余地があるものもあった。だが死を覆すというのは、私だけでなく団員にとっても相当なリスクを負わせるものだ。その事について異論はあるまい?」
反論はない。オグンの生存が明るみになれば、責任を問う声も粛正を望む声も上がるかもしれないし、騎士団員が巻き込まれる可能性も否定できない。
「危険を冒してまで受け入れるには、よほどの理由と信用がなければならない。だが、貴公等の話を聞いた印象は、重なる部分はあったにせよ全て個々の意見というものだ。これでは例え納得できる言があったとしても、委ねるに値するとは思えん」
「いや、あんたが納得する意見があるのならば、俺たちは賛同するつもりだ」
白秋の言葉にオグンはかぶりを振る。
「それは全員の意見ではなかろう? 少なくとも貴公等の総意というものが、私には感じられなかった」
その言葉に、撃退士達は沈黙する。
(……あと一歩、詰めが甘かったな)
成り行きを見守っていた太珀は、冷静に分析していた。
複数案を提示すること自体は問題なかったはずだ。一つの案でうまくいかなければ、代案を提示するのは当然のことでもある。
しかし、提示の仕方がまずかった。
順序立てて提案できていれば、あるいはしっかりとした優先順位と根拠を全員で示していれば、不信感を抱かれることもなかったかもしれない。
目指す方向は同じだったはずなのに、それぞれの提案に差がありすぎたのも問題だった。それらをオグンに訴えるだけでは、学園が一枚岩ではないと取られても仕方がない。
――調整不足
誰もがそう、実感せざるを得なかった。
オグンにとって死を覆すのは、自身や団員の命運を学園に預けるのと同じ事。
それ程の決断を要求している以上、信用に足ると思わせられなかった時点で、この交渉は失敗だったのだ。
「申し訳ないが、現時点で私が死を覆すだけの理由を見出す事はできんな」
オグンの言葉が、まるで死刑宣告かのように重くのしかかる。
せっかく命を繋いだのに。
天と人との新しい可能性を見いだせるのではと期待されたのに。
あと一歩と言うところで全てが無駄になったのかと思うと、絶望感と無力感で一杯だった。
「――故に、少し期を延ばそう」
「え……?」
顔を上げた一同に、オグンは静かに続ける。
「先程も言ったが、貴公らの提案には一考の余地があるものもあった。全てを今すぐ切り捨てるのも…いささか早計ではあるのかもしれん」
その言葉に、失いかけた光が戻ってくる。
「確かにこの先の未来や、冥魔の動向が気にならないわけではないのでな。私の希望通り生存を引き続き秘匿してもらえるのであれば、しばらくは命を繋ぎ様子を見るのもやぶさかではない」
「……それはもう一度チャンスをもらえるということ?」
ナナシの問いに、わずかに微笑し。
「これは貴公らの熱意に対するせめてもの義理だ。ただし待った結果、今の気持ちが変わらなければやはり私は死を選ばせてもらう」
「どれくらい期を延ばしてもらえるのだ」
菫の問いにオグンは「半年程度、と言った所だろう」と返す。
「……わかった。今はそれで、十分だ」
拓海の言葉に、白秋も頷いて。
「その頃には、今の状況も変わっているだろう。次こそはあんたを説得してみせるぜ」
聞いたオグンは最後にほんの少しだけ、穏やかな笑みを見せる。
「受け取った食事や飲み物は後で頂こう。この場にいない者にも礼を伝えておいてくれ」
「どうぞ、遠慮無く」
ジョシュアが残りのバナナオレを積む隣で、藤花は深く礼をした。
「夫に伝えておきます…命を繋いでくださって、ありがとうございました」
●交渉後
施設の廊下を歩きながら、太珀は生徒達に向け切り出す。
「オグンの生存を知っている者は多いからな。奴との約束を守るためにも、鳳の提案にあった一度死んだ事にしておくのがいいかもしれん」
旅人も頷いて。
「その方が良さそうですね…。ひとまず現状を維持するのが、僕らの務めになるでしょうし」
「では、段取りをお二人にはお願いする」
静矢はそう言ってから、わずかに嘆息する。
「やはり交渉とは難しいものだと実感したよ」
言いたい事はたくさんあったはずなのに、実際に話し始めると考えていた事の半分も話せた気がしない。そう感じている者は恐らく多いだろう。
太珀は何も言わず軽く腕を組んでから、改めて生徒達を見渡す。
「そう沈んだ顔をするな。ひとまず奴の死を防げたことは確かで、全く成果がなかったわけじゃない」
交渉自体は成立しなかったが、頑なな意志をわずかに動かしたのも確かで。ただ、と太珀は言いおいた後。
「お前達にもそれぞれ考えがあるだろうし、譲りたくない想いもあるだろう。だが、あのような場ではそれではまかり通らんのも事実だ。今回の失敗を糧に、次へと繋げるんだな」
交渉という場の難しさ。
改めてそのことを感じつつ、撃退士達は病院を後にする。
ぎりぎりの所で繋がった安堵と、次こそはという想いを各々の胸に秘めて――