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マスター:久生夕貴
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
形態:
参加人数:8人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2014/08/12


みんなの思い出



オープニング


 この時期の種子島は、眩い。
 鬱蒼とした木々の合間から見える海を眺めながら、八塚 楓 (jz0229)はその事を実感していた。
 今は紫陽花の季節が終わり、池には蓮の花が開き百日紅が鮮やかな花弁を揺らしている。
 もうすぐ、夏本番だ。

「………」
 楓は無言でひとしきり海を眺めると、そのまま山道を進む。
 近頃はこうして一日を過ごすことが多くなった。
 種子島の情勢が膠着状態なせいもあるが、何より自身の気分が積極的な行動へと向けさせない。
 シマイに命じられでもすれば渋々動くのだろうが、今のところあの悪魔は四国から来た少女たちに何かを教えているらしく、楓の事は放ったらかしだ。
 それそれで、面倒がなくていいのだけれど。
 降りしきる蝉の声が耳底で鳴り響いている。ざわりとした感触が、胸の内を撫ぜてゆく。
 ふいに息苦しさを感じ、楓は足を止めた。

(どうせ、俺は逃れられやしない)

 あの悪魔からも、運命からも。
 目の前を何かが横切る。よく見るとそれは一羽の揚羽蝶だった。
 木漏れ日を浴びた羽根を羽ばたかせると、鱗粉一つ一つが輝いて見える。
 ぼんやりとその様を見つめていると、ふと数ヶ月前に撃退士から言われた事がよぎった。

 ――お前が何を考え、何を望んでいるのか。知って、受け止めたいと思う。

 何故なのだろう。

 ――もし、俺達がいつか必ずお前を倒すと言ったなら、お前はそれを信じるか?

 何故、そこまでして。

 ――私は見捨てない。それだけは忘れないでくれ。
 ――怒りに任せて振るう力は悲しみしか生まへんよ。
 ――なあ、救いって何だろうな。


「……っ」



 ――あなたが本当に憎んだのは、運命でしょう。



 胸を突き上げる感情があった。同時に目眩がする。
 楓はわずかにかぶりを振ると、近くの木によりかかった。

「俺は……」

 苦しい。
 兄と再開してから、この苦しさは更に重い枷となって自分を追い詰める。
 壊してしまいたい。
 何もかもを破壊して楽になりたい。
 兄さえ殺せれば自分の命などどうだっていい。
 他者の命さえどうだってよかった。

 呻くように吐息を漏らす。
 木立のざわめきが酷く耳障りに感じる。

 多くの人間を殺した。
 多くの幸せを奪った。

 もう後戻りなどできない。

 それなのに、どうして。


 ――どうして。
 
 
●西之表町

 その夜、楓は彼方から聞こえてくる音に、わずかに顔を上げていた。
「この音は……」
 遙か昔に聞いたことがある。それはまだ、自分が人だった頃。
 この音を聞く度に、胸を躍らせていたのはいつの話だったか。
 建物の外に出てみると、南東の空が淡く明滅しているのに気付く。腹に響いてくるような爆発音と空を彩る炎の花。
「花火……」
 懐かしさがこみ上げると共に、言いしれぬ哀切が楓の心を乱す。
 煌々とした屋台灯り。
 頭上で上がり続ける花火。
 あれは確か、兄と梓と見た――

「楓、どこに行くんだい?」

 かけられた声にはっとなる。声のした方を見やると、主であるシマイ・マナフ (jz0306)の曖昧な微笑があった。
「……別に。外がうるさいから気になっただけだ」
「ああ、なんか人間達がやってるみたいだねえ」
 シマイはくすりと笑むと、ゆるい調子で告げる。
「行ってきてもいいよ?」
 どうせここにいても暇でしょ、と笑うシマイを不機嫌そうに睨み付け。
 楓は無言でシマイに背を向けると、西之表町をあとにした。


 ※


「八塚 楓の目撃情報だと……?」
 対策本部にもたらされた一報に、指揮官九重 誉 (jz0279)は眉根を寄せていた。
「今夜は港の方で夏祭りが開催されているはずです。どうもその近くで見かけたらしいんですが…」
 他の教師からの報告に誉は唸る。
「あのヴァニタスに暴れられでもしたら、ちょっとやそっとの被害じゃすまんな。ここ最近大人しくしていたと言うものを……」
「ひょっとして、祭に誘われて来たとは考えられないでしょうか」
 その言葉に誉はわずかに視線を上げ。
「ありえなくはないな。問題は何をしにやってきたのかと言う事だが」
 軽くため息をつくと、待機していた生徒達を見やる。
「放置しておくわけにもいかんだろう。すまないが諸君、奴の動向を探ってきてはくれないか」
 その言葉には暗に、騒ぎにならないよう対処しろと言う意味も込められている。
「使徒檀と比べると楓の方は気性が荒い。十分に気を付けてくれ」

 撃退士達が駆けつけたのは、夏祭りが行われている港近くの小高い丘だった。
 そこからは花火がはっきりと見え、下々に連なる屋台の灯りも見渡せる。
 人気の無いその場所で、八塚 楓は一人佇んでいた。
「……お前らか」
 こちらに背を向けたまま、声が届く。
 低く静かな声音に敵意は感じられないものの。
 ゆっくりと振り返ったその表情は、どことなく虚ろにも見える。
 燃え上がるような瞳には、天花の色彩が映り込んでいて。

 その様に、撃退士達はただ息を呑むのだった。


リプレイ本文




 追憶は時として優しく。

 追憶は時として残酷で。



 ――忘れられるなら。





 夜空に上がるは天の花。
 たった一瞬で消えゆく刹那の輝き。

「――美しい花火ですね」

 切り出された声に、八塚楓は戸惑った表情を見せた。声をかけた幸広 瑛理(jb7150)はにっこりと微笑んで。
「初めまして、幸広瑛理と申します。お見知りおきを」
 対する楓は何も言わない。しかし瑛理は特に気にする様子も無く、上がり続ける花火に視線を移す。
「何度見ても花火はよいものです。貴方もそう思いませんか?」
「……何故俺にそんなことを聞く」
「いえ。貴方の目に映る色には、懐かしみが込められいるように見えたものですから」
 見られた事に気付いた楓がばつが悪そうにうつむくと、リザベート・ザヴィアー(jb5765)がほうと言った様子で。
「花火を綺麗じゃと感じるか」
 彼女の言葉に楓は怪訝な表情を浮かべる。
「ならばお主の心に、ものを綺麗と感じる感覚が残っておるということじゃな」
 返事はない。けれどそこに肯定の気配を感じ取り、内心で複雑な想いに捕らわれる。
 ――人の感覚が残るヴァニタスか。
 かつて犯した過ちと己の後悔を呼び起こす存在に、彼女の内はざわめいていて。
 けれど動揺は見せず、あくまでいつもの微笑をはり付ける。
「楓さんこんばんは〜」
 のんびりした声音で話しかけるのはアマリリス(jb8169)。
「お前は……」
「お久しぶりですね〜。もう一度会ってお話ししてみたいと思っていたんですよ〜」
 赤い箱での一件。あの時受けた哀しい炎が忘れられなくて、どうしてなのか聞いてみたくて。
(でも…お話しはもう少し後ですね〜)
 今はまだ、口には出さずに。
 明るく話しかけるアマリリスを見て、楓は困惑したように沈黙した後。
「……安心しろ。今日はお前らとやり合うつもりはない」
 そして全員を見渡すとぶっきらぼうに告げる。
「だから俺に構う必要はない」
 帰れと言われているのだと気付き、綾羅・T・エルゼリオ(jb7475)がわずかに嘆息を漏らす。
「暫く姿を見せないと思ったら…相変わらずだな、楓」
 ずっと気になっていた。
 最後に別れた時に見せた、苦悩に揺れる瞳。
 過去に触れる度に激しく見せる拒否反応も、突然何もかもを諦めたように虚ろになる不安定さも。
 連れ行く悪魔の曖昧な笑みが、不穏な色を物語っている気がして。
「――楓、俺は帰るつもりはない」
「何……?」
 不審な視線を投げかける楓に、エルゼリオは呆れたように。
「大体、そんな顔をされてはな」
「……っどういう」
 同時に穏やかな笑い声が零れ響く。ヘルマン・S・ウォルター(jb5517)がいつも通りの微笑を称えていて。
「まるで迷子のようでございますよ、楓殿」
「迷子…だと……?」
「ええ。あまり寂しい姿を晒しませぬよう」
 ゆっくりと手を伸ばせば、楓はびくりと後退する。不安げな様子に瞳を細め。
「そのような目をされていては――」
 強ばる瞳の紅は、危うげな揺らめきが映し出されている。

「悪魔が攫いに参りますぞ」

 そんなやりとりを、少し離れた位置で見つめている者がいる。チョコーレ・イトゥ(jb2736)だ。
「悪魔の動きがあるというから種子島くんだりまで来てみれば…まさか人形のお守りをさせられるとは思わなかったぜ」
 しかもいざ対峙してみれば、今にも壊れんばかりに脆そうで。チョコーレはやや困惑した様子で呟く。
「あいつ……なんでヴァニタスになったんだ?」
 冥魔の隷属に身を堕とした人間などに興味はなかったが、仕事は仕事。そのためにも情報は知っておきたかった。
「その件については――」
 ここでアンジェラ・アップルトン(ja9940)が切り出す。
「使徒である彼の兄から聞いてきた。本人が話したくないと言うのでな」
「ああ、報告書にそれらしき記述はあったな」
「ただ……肝心なところがまだわからないのだ」
 彼が悪魔とどんなやりとりをし、魂を売るに至ったのか。
 アンジェラは楓に向き合うと、ゆっくりと切り出す。
「久しぶりだな。楓、と呼んでも……?」
 返事はないが、アンジェラは無言の肯定と受け取って続ける。
「楓、私はこの間…檀と酒盛りをした。言われた通り昔話を聞いてきたぞ」
「……物好きな奴だ」
 そう返す楓を見つめながら、彼女は檀から聞いた話を思い出していた。

 檀と楓には幼馴染みの梓という女性がいたこと。常に兄と差別されていた楓に対して、唯一分け隔て無く接した存在であったこと。
 妹のように時には姉のように振る舞う彼女に、楓は惹かれていたこと。

 けれど梓は兄の檀を――

 ここで浅茅 いばら(jb8764)も慎重に切り出す。
「三人が天魔に襲われた時、梓は檀を庇って重症を負ったと言うとった。……その時、あんたも瀕死の怪我を負ったとも」
 楓は沈黙したまま何も言わない。その瞳はどこか虚ろでさえあって。
 この状態ではとても檀には会わせられない。
 撃退士達はそう判断し、こっそりと行動開始。
 ヘルマンは檀対応班の友人と連絡を取り、現在地を常に把握できるように依頼。いばらとチョコーレは本部に連絡して他班との調整を頼み、瑛理は念のため他悪魔との接触も避けるよう手配する。
 その間、残りのメンバーは楓の対応を続けていた。

「楓、今日は人界の夏祭りらしいな。……皆と行ってみないか?」
 エルゼリオの言葉に楓は意外そうな表情を見せる。困惑と疑いの入り混じった、戸惑いの色。アマリリスもこくこくと頷きながら。
「ああいいですね〜。私も日本の夏祭りは初めてなのですよ〜。色々と教えて欲しいのです〜」
「いや、でも俺は……」
「なんじゃお主、いい年した男が可愛いれでぃの頼みが聞けぬのか?」
 リザベートの飄々とした物言いに、楓の顔が硬直。
「そういうつもりじゃ…くそ…お前らおかしいんじゃないのか? 大体俺とお前らは――」
「折角の夏祭りなのだ。敵とか味方とかを言うのは野暮というものだろう」
 アンジェラの言葉に、黙り込む。

 そう、これは監視を兼ねた夏祭りへの誘い。
 八塚 楓は多くの人間を殺め、今なお種子島の住民を虐げる存在。
 その事に変わりは無いし、許されることでもない。
 けれど、ほんのひとときでも夏祭りを楽しんでもらえたら――そんな想いが少なからず彼らの内に生じているのも確かで。

「さあ、行こう」

 任務と感情の狭間で揺れ動きながら、彼らは夏祭りへと繰り出す。

 この最初で最後の泡沫を、愉しむために。
 

●ひとときの

「そうと決まれば、夏祭りはやっぱり浴衣やで」
「お、おいどこへ…」
 自らも藍染めの浴衣を身につけたいばらは、楓を半ば強引に連れ出す。
 そのままレンタル衣装屋に直行。色とりどりの浴衣が並ぶさまは見るだけでも心が浮き立つと言うもので。
「ああ、いいですね。僕も借りちゃおうかな」
「日本の浴衣は美しいですな。ああ、これなど楓殿に似合いそうですぞ」
 瑛理とヘルマンがほのぼのと談笑する中、いばらは楓の服を引っぺがそうとする。
「ちょ、ちょっと待て!」
「大丈夫や、こう見えてうち男やから」
「そういう問題じゃない! わかった、自分で着るからお前ら出ていけ!」
 数名が心のシャッターを切ったか切らなかったかはわからないが、チョコーレがやれやれと。
「あいつなんであんなに慌ててるんだ?」
「そこはほら、思春期特有のあれやそれで」
 微笑ましげな瑛理の隣で、エルゼリオはふむふむと。
「なるほど…これがよく聞く反抗期というやつか」
「…あいついい大人じゃねえのか…?」

「……これで満足か」
 渋々出てきた楓に全員が注目。いばらが見立てた濃鼠の縞入りを、慣れた様子で着付けている。リザベートがにっこりと微笑んで。
「ほう、さすがの着こなしじゃの」
 自らも浴衣に着替えたアマリリスとアンジェラも続く。
「素敵ですよ〜楓さん。見違えましたね〜」
「ああ、よく似合っている」
 うら若き乙女(約一名は外見上ry)たちに褒められ、楓は恥ずかしそうに目を逸らす。
「さて、身支度も調ったことですし」
 瑛理が事前入手しておいた祭会場のパンフレットを配布。
「今夜は島の皆様が楽しむ祭、今此処に居る全ての存在の為の祭ですよ」
 にっこりと微笑んで。

「さぁ、最後まで愉しみましょうか」

 ※

 港は屋台の橙灯りで埋め尽くされている。
 檀や他の悪魔の位置に気を付けながら、彼らは思い思いに夏祭りを巡る。

 エルゼリオは船と呼ばれる大きないけすに視線を奪われていた。中で泳ぐのは赤や黒の小さな魚たち。
「楓、あの屋台では何をやっているんだ?」
「……あれは金魚すくいだろう」
 遙か昔に一度だけやった記憶がある。聞いたエルゼリオは興味深そうに。
「そうか。なら一緒にどうだ?」
「いや、俺は……」
「せっかく来たんですから、やるべきですよ〜」
 アマリリスが邪気のない笑顔でポイを差し出す。
「もうあなたの分まで買ってきましたから〜」
「ほれ、何を突っ立っておるのじゃ」
 戸惑う楓をリザベートは船の前へと押し出す。仕方なくしゃがみ込む楓をエルゼリオは熱心に見つめている。
「俺はやり方を知らない。教えてくれないか」
 楓は渋々挑戦してみるも、数秒もしないうちにポイが破けてしまう。
「……」
 もう一回やってみるが、こんどは金魚をすくう前に破れてしまった。横で見ていたチョコーレが単刀直入に。
「お前下手だな」
「……ならお前がやってみればいい」
 ポイを受け取り、チョコーレも初挑戦。
「簡単じゃねえか」
「うっ……」
 あっさり金魚をすくってチョコーレご満悦。
「私も一匹とれました〜」
「うむ、意外といけるもんじゃの」
 アマリリスとリザベートも小赤と黒デメキンをそれぞれすくうのに成功。
 そしてエルゼリオは――
「……」
 あっさり破けたポイを見つめている彼に、楓がぼそりと呟いた。
「……お前下手だな」
「楓、それはひどくないか」

「ほれ、祭と言えばこれじゃろ」
 リザベートが差し出したのは真っ赤なリンゴ飴。いばらとアンジェラもにこにこしながら手にしている。
「定番やからな」
「楓も食べてみるといい」
(逃げられないと自覚した)楓が受け取ろうと手を伸ばしたその時。
「え、ちょっと待がごご」
 リザベートが楓の口に飴をつっこんでにっこり。
「遠慮せずに食べるとよいぞ」
 目を白黒させながら飴を飲み込む楓を見て、ヘルマンがすかさず頭をなでなで。
「よく食べられましたな。おや、口が真っ赤になっておりますぞ」
「え、ちょっと待むぐぐ」
 楓の口元をハンカチでぬぐって、ヘルマン笑顔。
「ほーらキスマークでございますぞ」
「!!!???」
 ハンカチについた唇の形に、楓の顔は瞬間沸騰で真っ赤。
 見ていた女性陣は輝く笑顔でサムズアップ。

 なにこの連携こわい。

「こちらも皆さんでいかがですか?」
 瑛理は綿菓子やいか焼き、フランクフルトなどをまとめ買い。
「こういう所で食べるのって案外と美味しいんですよね。色々買ってみましたので、お好きなのをどうぞ」
「お、悪いな。俺はその丸いやつがいい」
 鈴カステラを指さすチョコーレは甘い物が大好物。
「私はいか焼きを食べてみたいです〜」
 アマリリスやエルゼリオが初めて見る食べ物に興味津々の中、瑛理は楓にも。
「さあ、どうぞ」
「あ、ああ……」
 困惑した様子で並べられたものをまじまじと見つめる。
「これは……」
 手にしたのは綿菓子だった。薄ピンク色のそれに、指先で触れてみる。

 ――あ、楓だめだよ手で触っちゃ! 溶けちゃうよ!

「手で触れると溶けてしまいますよ」
 はっと顔を上げると、瑛理が微笑んでいる。
「ああ……わかっている」
 食べてみると、それはとても甘くて。脳裏を横切った追憶の言葉は、溶けた飴と共に喉の奥へと消えてゆく。

 その頃、アンジェラは彼らの様子を写真に収め指揮官の誉や他班へと送信。現在地が班別できるよう、ランドマーク的なものを一緒に写すのを忘れない。
(……楓の様子も写しておくか)
 今度檀に会ったときに見せてやりたいと思ったから。
(直接会えるのが本当は一番いいのだろうが、今はまだ……)
 いばらは花火をゆっくり見られる場所を探す。
「静かな方が話もできるやろうしな……」
 まだ楓には聞かなければならない事がある。今を逃せば、恐らく二度と機会は巡ってこないだろう。

(…それに、あの悪魔もどこかで見てるかもしれへんしな)


●花火の下で


 追憶の花は夜空に次々と咲き乱れる。

「まるで天に咲く花の様だ…」

 そう呟くエルゼリオの隣で、楓も上がり続ける花火に魅入っていた。その横顔は普段よりも幾分穏やかに見え。
「……昔、こうして花火を見たことがある」
 兄と梓と。三人で見た、最初で最後の花火。
 追憶の景色はやけに綺麗で思い出す度に胸を強く締め付ける。
「……なあ。お前、どうしてヴァニタスなんぞに身を堕とした?」
 チョコーレは改めてその問いを投げかける。振り向く楓に、今度ははっきりと。
「ヴァニタスなんて所詮は悪魔の操り人形だろう。破壊能力はたしかに高いかもしれないが、ただそれだけだ。わざわざ好きこのんでヴァニタスになるなど俺にはどうしても理解できない」
「……俺は別に好きこのんでなったわけじゃない」
「どういうことだ?」
 楓は視線を落とすと、独り言のように呟く。
「前にも言ったが、そうするしかなかったからだ」
 その言葉に、エルゼリオは楓と初めて会った時の事を思い出していた。

 何故、お前は人の世界を捨てたんだ?

『そうするしかなかった』

 あの時はそれ以上の事は聞けなかった。けれど今なら。
「楓、お前と檀が訣別した決定的な出来事――それを俺は知らない」
 エルゼリオの言葉に、瑛理も同意する。
「お二人に起きた事件の事は報告書で読ませていただきました。ですが檀さんが語った話の中には、貴方が事件後辿った足取りのことは書かれていなかった」
 それは恐らく、檀自身も知らない事だから。
「折角のご縁です。貴方から直接聞かせていただけませんか」
 アマリリスも穏やかにけれどまっすぐに楓を見つめ。
「赤い箱で楓さんから受けた哀しい炎が忘れられませんよ〜」
 その哀しみを受け止めたいからここへ来た。
「……俺は…」
 楓は片手で顔を覆うと、逡巡の表情になる。

「……檀はえらい悔やんどったで。あんたの運命を狂わせてしまったことを」
 切り出したいばらの言葉に視線をわずかに上げる。
「あんたが梓に感情を寄せてたのも知ってて、だから自分が許せんで。…自分が死ねばよかったて、言うてた」
「……あいつがあの時死んだところで、なんの意味もない」
「うん、そうかもしれんな…でもうちは、檀の気持ちもわかるで」
 当時誰が死んだとしても、救われることなどなかったかもしれない。
 ただ――
 いばらは思うのだ。
 あの時、楓さえ身を堕とさなければ。ここまで二人の運命が狂うことはなかったはずで。
(楓…一体何があったん?)
 醜悪に満ちた悪魔の笑み。兄の檀さえも知らない何かがそこにあるとしか思えず、だからこそ本人の口から語って欲しかった。
「……檀は楓の為に父に反抗して殴ったようだ。それがどれ程の事か、楓の方がよく分かるのではないか」
 アンジェラの問いかけに楓は瞳を見開く。
「あいつが……」
「檀から聞いていなかったのか?」
 微かにかぶりを振るものの、先を続けようとはしない。その様子にヘルマンが困ったように微笑みつつ。
「擦れ違いは人の世の常。檀殿は今も昔も貴方と梓殿の幸せを祈っているようでございますが、肝心の楓殿が目を閉じ耳を塞ぎ口を噤んだままでは、どうにも話が進みませぬな」
「もうわかっておろう。例えお主の傷をえぐることになろうとも、隠し通せるものではないと」
 リザベートも諭すように告げる。

「妾は知りたいのじゃ。お主が何を奪われ、何に苦しんでいるのかを」

 長い、沈黙だった。
 その間に夜空を彩る花火の数は更に増えてゆき、佳境が近付いているのだと知らせてくれる。

「……あの時」

 抑揚のない声。
 全員の視線が集中するなか、楓はどこか独り言のように話し始める。
「俺は……梓の気持ちを知っただけでここまで墜ちたわけじゃない」
「なんだと…?」
 意外そうなエルゼリオに楓は視線を向け。一度沈黙した後、はっきりと言い切った。

「梓の気持ちには薄々気付いていた」

 ずっと、ずっと幼い頃から見ていたのだ。
 彼女が誰を見ているのかくらい。
「……嫌でもわかる」
 だから彼女が自分ではなく兄を庇った時、深い絶望と共にどこかで諦観の気持ちもあった。
「……では、まだ他に理由があったと?」
 瑛理の問いに頷き。
「あの時、瀕死の重傷を負った俺は命だけは取り留めた。だが足に大怪我を負っていて――」
 続ける口元がわずかに歪む。

「もう舞台を踏むことはできないと言われた」

「な……」
 アンジェラといばらは顔を見合わせる。
「そんなこと檀は一言も」
「あいつは知らない。俺が言うなと口止めしたし、恐らく周りもそうしただろう」
 能役者として再起不能を言い渡された現実。
「お主…能の世界で生きていくつもりだったのか」
「……ああ。そうだ」
 彼を襲った運命はあまりにも容赦を知らなくて、リザベートはつい黙り込んでしまう。楓はわずかに笑みを漏らしながら。
「これでも俺はあいつより熱心に稽古していたんだよ」

 来る日も。
 来る日も。

 例えそれが他人に敷かれたレールの上だとしても、兄の代わりでしかなかったとしても。
 その中で自分なりの生きがいを見つけられればいいと、ひたすら前を向いてきただけなのに。


 それすらも。


 運命は許してはくれなかった。


 語る唇がわずかに震える。

「……俺はそんなに贅沢か?」

 なんの自由もなかった。
 幼い頃から期待も愛情もかけられず、ただ影のように生きてきた。
 自分は、選ばれなかった存在。
 そう思い知る日々を過ごしながら、それでも人生を諦められなかったのは、諦めてしまえば兄にも重荷を背負わせるとわかっていたから。

 黙って聞き入っていたヘルマンが、ゆっくりをかぶりを振る。
「あなたの苦しみも悲しみも、あなただけのものですから」
 その静かな瞳には、深い哀悼の色が湛えられていて。

「俺は……多くを望んじゃいなかった」

 たった一人が自分を見てくれればよかった。彼女さえ、自分を見てくれるのなら。
 それすら叶わぬのならせめて。

 そう。

 いつだって。

「欲しいと願ったのは、ただ一つだ……!」

 燃えるような瞳から、涙がこぼれ落ちる。
 それは澄んで、澄んで。
 とても哀しい破滅のいろ。

「楓さん……」
 掠れたアマリリスの声が花火の音にかき消される。
「俺が…一体何をしたって言うんだ……」
 文句も言わずに生きてきた。
 兄が抱えるものだって理解してきたつもりだし、恨み言を一度だって伝えたこともない。
「それなのに、なぜ『役立たず』と言われなくちゃならない? なぜ、兄さんの代理ができないなら『必要無い』とまで言われなくちゃならない?」
「……誰に言われた、そんなこと」
 眉をひそめるチョコーレに、声を震わせる。
「他人ならここまで苦しまなかった」
「じゃあもしかして……」
 アンジェラの言葉に吐き捨てるように。
「ああ、そうだ。俺の家族や兄弟弟子に言われた」
 蔑む視線、諦観の宣告。
「命が助かっただけ幸せだと? ……冗談じゃない」

 心が千切れてしまうほどに。

「こんな現実を突き付けられるくらいなら、死んだ方がマシだったんだよ!」

 花火が上がった。
 夜空に咲く天の花は、冥魔の僕を色とりどりに照らす。
 そのさまが、やけに滑稽で。

「……あの時、死のうとした俺に声をかけてきたのがあの男だった」

 ――君の身体、俺なら治せるよ。

 その言葉はまるで媚薬のようで。

 ――見返してやりなよ。今よりずっと、強くなってさ。


 お前を馬鹿にした、全ての人間を。


 壊してやればいいよ。


 ああ、それが悪魔の罠だとも知らずに。
 シマイ・マナフ。
 人が堕ちてゆくさまを、悦として愛でる侵食の悪魔。


「怒りと絶望に駆られて、気が付いたら兄弟子の一人を殺していた」
 兄に見られ、使徒の道へと堕とす結果となった最初の殺人。
 今さら言い訳するつもりはない。ただ――
 絶叫と。
 悪魔の微笑と。
 もう取り返しがつかないのだと言う現実と。
 なんの覚悟も無いまま受け入れるしかなくて。


 それからはもう。


 ただ墜ちてゆくだけの道。



●追憶の天花


 しばらく、誰も言葉を発しなかった。
 花火が上がる音だけが、遙か遠くから何度も届く。
「――よく、話してくれましたな」
 虚ろな表情で立ち尽くす楓に向けて、ヘルマンがそっと手を伸ばす。
 その手が楓の頭部に触れる。孫をあやすように優しく撫でると、わずかに微笑し。
「お辛かったことでしょう」
 楓は抵抗することもなく、ただ沈黙していて。

「……いまさらこんな話をしても無意味だろうけどな」
 チョコーレがため息と共に楓を見やる。
「それこそ、人間のママであったなら、まだ解決する方法もあっただろうに。……その気があればな」
 あのまま生きる事は本人にとって、苦痛でしかなかったのかもしれない。
 それでも、とチョコーレは言わざるを得ない。
「どう見積もったって今のこの状況よりはマシだったろうよ」
 いばらも頷きながら、いたたまれない様子で。
「……檀は、全て不幸な偶然というとった。その意味がようやくわかった気がするわ」

 天魔にさえ襲われなければ。
 三人でさえなければ。
 瀕死の重傷さえ負わなければ。
 悪魔さえ現れなければ。

「一般人が天魔に襲われれば、死を覚悟するだろう」
 アンジェラが呟くように切り出す。
「もし私が一般人で、同じ状況で一人しか生かせないとなれば…私は愛する人と共に、本当の幸いを探す旅に出たい…と思う」
 カムパネルラがそうしたように。みなの本当の幸いのためにその命を使っただろう。

 ああ、どうして。
 こんなことに。

「お前達は最後まで互いを思いやっていたと言うのに…!」

 振り絞る声には涙が滲む。
 悔しかった。
 互いの思いやりが残酷なまでに二人の運命を壊してしまった。
 その様を見て嗤っている存在がいるかと思うと、はらわたが煮えかえりそうで。

「人の感覚のままヴァニタスで居るのは苦痛でしかなかろう」
 リザベートはその道だけは選んでくれるなと思いつつ。
「……主の支配に屈してしもうた方が楽かも知れぬの」
 抗ってくれる事を期待して、しかしそれすらあの悪魔は愉しんでいるのだとも気付く。
「……のう、楓。お主は己の運命を呪い、破壊に手を染めた。それでお主の手には何が残ったのじゃろうな…?」
 多くの命を奪い、幸せを壊し。
「本当にお主が手に入れたかったものは何じゃ?」
「俺は……」
 虚ろな表情でかぶりを振る。
「人としての生を捨ててからは、望む事はやめた」
 どれほど力を手に入れても、どれほど奪ったとしても。本当に欲しかったものは手に入らないこなど、最初からわかっていた。
「そうかのう? 妾にはお主は今でも強く何かを望んでいるようにしか見えぬのじゃ」
「何…?」
 そうでなければ。

「とうに主の支配に屈していたじゃろう」

 その言葉に楓の瞳がわずかに揺れる。

「あんたはまだ檀を殺したいって思ってるん?」
 返事はない。けれど様々な感情が入り乱れる楓の瞳を見て、いばらは続ける。
「憎しみは何も生まへん。あんたには幸せになって欲しかったからこそ、檀は人をやめてもうたんやろ」

 それは君を殺すためでなく。
 取り戻すために。

「……あんたに檀は殺せんよ」
 はっきりと言い切る。
「今だって即答できないほどに、気持ちが揺らいでる。あんたは今でも、檀の事を――」
 そんなにも思い詰め、苦しむほどに。

「愛しているって事や」

「――楓、聞いてくれ」
 エルゼリオは楓の瞳を見据えると切り出す。
「人としての生を捨てる程の絶望。お前が真に憎んでいるのは檀では無く、理不尽な運命。檀はお前の合わせ鏡でしかない――違うか?」
 言葉に詰まる楓に対し、エルゼリオはずっと考えていた事を告げる。
「これからは絶望に身を委ねるのでは無く、乗り越える方法を共に考える事は出来無いか…?」
「…何だと……?」
 無茶は承知だった。
 楓は既に人では無く冥魔であり、既に多くの人々を手に掛けている。
 けれど、それでも。

「お前を救いたい。お前が心から笑う所を見たい」

 例えそれがほんのひとときの間だとしても。
 最後に魂を救ってやれるのなら、そのために命を賭けたって構わないから。

「……楓殿。貴方は世界を、愛した人たちを壊す前に自分を壊してしまった」
 ヘルマンの穏やかな声音は、どこか深淵の響きを保っていて。
「もう分かっておられましょう、悪魔の縁者たる身に自由など無いと」
 語る瞳がどこかで見ている『相手』に対して鋭さを帯びる。
「それが枷となっているのなら。貴方が自由になりたいと望むのならば」
 
 それは、導きの誓い。

「命を賭して、私が解き放って差し上げましょう」

「な……」
 楓は驚愕の表情で撃退士達を見つめている。
「お前ら何を言っているのかわかっているのか? そんなことをしてもお前達にはなんの利益にもならないだろうが」
「僕らは利益の為に集ったのではありません。やらない後悔よりやる後悔ですよ」
 瑛理が何でもないと言った様子で微笑する。
「言葉も行動も後戻りは出来ませんが、先に進むことはできるでしょう?」
 結果はわからない。
 自分たちは後悔することになるかもしれない。
「それでも、あなたに抗う意志があるのなら」
 破滅よりも良い未来を願うなら。

「彼らも僕も協力を惜しみませんよ」

 だって、運命はまだ続いていくのだから。

 楓は呆然と立ち尽くしていた。
 撃退士から告げられた言葉に、どう反応していいのかわからない様子で。
「どうしてそこまで……」
「あなたの欲求を好ましいと思うからですよ」
 瑛理に続きアマリリスも微笑む。
「楓さんは哀しげな表情より、笑顔の方がきっと似合いますよ〜」
 まだ一度だって見たことのない本当の笑顔。
 いつか必ず見せて欲しいと願うから。

「私達を信じて欲しいのですよ〜」

 黙って聞いていたチョコーレもやれやれと切り出す。
「いい加減お前、あいつらのこと信じてみたらどうだ」
 理解できない事はたくさんある。けれど、彼らの言葉に嘘はない事くらいは、自分にでもわかると言うもので。
「俺がみるかぎり、人間は強いぞ。なまじ長い寿命を持ってだらだら生きている俺たち天魔よりよっぽどな。だから、あいつらがやると言えばやり遂げるだろうよ」
 俺もだが、と言う言葉は敢えて出さずに。
 チョコーレの言葉を受け、アンジェラは楓と向き合うとその意志をはっきりと告げる。

「私たちは――シマイと決着を付ける」

 あの悪魔はどこかで聞いているだろう。ならば宣戦布告となればいい。
 楓の瞳を見据えエルゼリオも言い切る。
「その先のことはわからない。だが今自分たちがやるべき事だと俺は確信している」
 そして。
 ヘルマンの低く深みのある声が、心火の炎を天花へと導く。

「その間に貴方は『今』という時の中で、在ってよかったと、そう思えるものをお見つけなさい」

 この世に生まれたことを、貴方自身で認められるように。
「自由とは、己の心で決めるもの」
 それまで首狩りはお預けですな、と微笑してみせた後。一度ゆっくりと瞬きをしてから、静かに問いかける。

「ですが、貴方は逃げる方ではありませんでしょう?」

 自由とは、その代償に責任を負わなければならないもの。

 そう、例えば――

 自ら背負った罪と罰からも。


 長い間、楓は沈黙していた。
 やがて再び視線を上げたとき、そこに迷いの色は消えていて。
 静かな色を湛えた瞳と。
 落ち着いた声音が、夜空へと溶けてゆく。

「……俺は、多くの人間を殺した。今さらその罪を逃れるつもりはない」

 それが道を踏み外した自分が辿るべき結末。
 けれどそれでも。
 それでも、もう一度望む事を許されると言うのなら。


「俺は……自由になりたい」


 そしていずれ裁きを迎えるとき。


 初めて心を見せた。
 初めて自分を見てくれた。



「お前達の手にかかりたい」



 それだけが、ただ一つの願い。



 聞き遂げたアマリリスは静かに頷いた。
「楓さんを笑顔にする為にも、いずれまた戦場でお会いすると思いますが」
 揺るぎない瞳をまっすぐに向け、一礼をする。

「――騎士百合が貴方の怒りや哀しみを受け止め切ってみせます」

 どうかそれを、忘れないでください。

「楓……約束やで」
 いばらはこみ上げるものを押し殺すように、両の手を握りしめる。

「全てが終わったら、教えてな。…あんたら兄弟が好きだった、あの本の感想を」

 本当の幸いを探しにいく、物語を。

 最後まで、聞き遂げてみせるから。


●祭りのあと

 最後に大輪の花を咲かせ、夏祭りは終わりを告げる。
 祭が終わればそこは再び静かな闇。

「……妾はどうすれば良かったのじゃろうな」
 静まりかえった海辺に立ち、リザベートは一人呟いていた。
 かつて傍に置いた愛し子もヴァニタスである己を呪うようになった。どうすることもしてやれずに。
 彼女は闇の彼方に視線を馳せながら、そっと願う。
 代償行為だと嗤われるかもしれない。
 けれど楓というヴァニタスが少しでも、その手から零れてしまった幸せを取り戻せるといいと思う。
 ――そうすれば。
 悪魔の身でありながら人に焦れた自分の罪も少しは償える気がするから。
 刹那、気配を感じ反射的に振り向く。
「お主は――」


「ふーん。結構面白い事になってるねえ」


 侵食の悪魔が、闇夜に曖昧な笑みを浮かべている。


「まあ、こうなることくらい予想してたけど」
「……盗み聞きとは聞き及ぶとおりの性悪じゃの」


 リザベートが臨戦態勢になろうとしたところで、影は夜に溶ける。


 さて、どうしようかねえ


 後に残るのは、くつくつと耳障りな闇の声――




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