「望んだものではない、か」
インレ(
jb3056)は大天使の言葉を反芻した。
その真偽は分からない。しかしバルシークの様子には若干の違和感を覚えていて。考え込む傍らで声が上がる。
「詰め所を襲撃しておきながら、同朋の暴発で天使の総意ではない。だから無かったことにしよう、か。都合のいい話だな」
レアティーズ(
jb9245)だった。天使の言い分を切り捨てるように。
「要するに退かぬならねじ伏せると言うことだ。提案ではなく脅迫。相互努力など片腹痛い」
その言葉に龍崎海(
ja0565)は頷きつつも。
「…でもどのみちこの戦力じゃあ戦っても足止めがやっとだろうし。なら会話で足止めするのが得策じゃないかな」
天使の方をちらりと見やる。
「あの天使の言うことを信用するのなら…だけど」
「私はバルシーク公の言葉は信じます」
言い切ったのは夜来野 遥久(
ja6843)。何故と問うメンバーの前で、大天使に一礼し。
「よくよく御縁があるようですね、不思議なものです。…傷の方はもう癒えましたか?」
「ああ、おかげさまでな」
互いに含んだ物言いで微笑し合う。
「…私は三度貴殿と相見えました。何をもってと言うのならば、私にはそれで十分です」
道後温泉本館を護ろうとしたこと。
必ず最初に目的を告げてくること。
騎士としての矜持、それ以上に自分たち撃退士を認めてくれたこと。
「傲慢だ、信頼できぬという意見があるのは仕方ありません。人それぞれ、見方は一方向ではありませんから」
ただ、と蒼灰の瞳に光が帯びる。
「常に偽りのない正面からの対峙を望まれている。私にはそう思えるのです」
そしてそれに応えたいとも。遥久の意志にメリー(
jb3287)も同調する。
「メリーも信じますなのです」
本当は、兄以外の男性は苦手だ。それでも話さなければと言う気持ちが勝ったのは、以前に刃を交えたからこそで。
やり取りを聞いたフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)も頷き。
「かの者と面識ある者がそう言うのだ。ひとまずは提案を受け入れる方向でよかろうよ」
「じゃあ提案を飲む前にこっちからも確認させてもらうよ。伝令用のサーバントってどんなの?」
海の問いに、バルシークは指笛を鳴らす。するとどこからか瑠璃色をした鳥がやってきた。
「このサーバントは私専用でな」
戦力を送るのではと不安に思う海を察したのか、彼は説明を続ける。
「伝令専用ゆえ戦闘力は皆無に等しい」
「これを見れば、リネリアは本物だって信じてくれるってこと?」
バルシークは頷いた後、首元から何かを外しサーバントの首にかける。遠目で見る限りネックレスのようだ。
「……それは?」
「確実に撤退させるためのものだ」
そう応える天使に、フィオナが問う。
「もう一つ確認を。今回の襲撃は何を目的としたものだ?」
「私の指示ではないので憶測にはなるが…。恐らくはお前達のヒヒイロカネを狙ったのだろう」
「ならば奪ったものは返してもらうのが筋だ」
「盗れるだけ盗ってそれを見逃せっていうんじゃあないだろうね」
フィオナと海の言葉に、バルシークはあっさりと了承する。
「事が済めばヒヒイロカネは私が責任持ってお前達へと返すと約束しよう」
「そもそも、リネリアが単独で行動した理由は何だ? 」
レアティーズの問いに天使は口ごもった後「私のせいだ」としか答えない。海がじゃあと付け加える。
「本部に連絡して向こうの班に伝令サーバントが行くって伝えたいんだけど。いいよね?」
「ああ、構わない。むしろそうしてくれると助かる」
交渉が成立したのを見て、インレが切り出す。
「ではその約束、剣でも己の矜持でも何でも良い。此処で誓って貰おうか」
バルシークは頷くと、腰に帯びたロングソードを鞘ごと取り出し。
「私の命だ。お前に渡しておこう」
騎士の魂と言うべき剣が迷い無く差し出されたことに驚きつつ。インレは同時に感じ取っていた。
――それ程に、この提案が切実なのだと。
●
瑠璃の翼が蒼穹を駆ける。
小さくなるサーバントを見送りつつ、インレは飄々とした調子で切り出した。
「さて、争わぬ事が決まったのならそう殺気立って相対する必要もないだろう」
「一先ず今は休戦という事なのです?」
メリーは大天使の前に行くと、改めてぺこりと挨拶する。
「お久しぶりなのです。メリーの事は覚えていらっしゃいますかなのです?」
「ああ。名乗り合った相手を忘れた事はない」
「ほう、ならば我も名乗らねばなるまい。我が名はフィオナ・ボールドウィン。王の星の下に生まれ、今生の円卓の主である」
フィオナの名乗りにバルシークは頷いてみせ。
「覚えおこう。円卓の騎士よ」
「えっと、じゃあ立ったままお話するのも大変ですので良ければティータイムにしませんかなのです?」
そう言ってメリーはいそいそとレジャーシート広げ出す。お茶の準備が調うのを見てフィオナも満足そうに。
「ほう、悪くない」
「さあ、バルシークさんも来て下さいなのです!」
「む……」
男性陣は割とだいぶ戸惑っているが乙女はそんな事ではひるまない。女子の微笑みに逆らえるものはいなかった。
そんなわけで、荒野の真ん中でのティータイム。
「何というか……シュールな光景だね」
海の言葉に遥久は苦笑。インレとフィオナはまんざらでもなさそうで、レアティーズは輪から外れつつ様子を窺っている。
「良かったらメリーの手作りチョコを食べて欲しいのです!」
差し出された箱を見て、バルシークは瞬きをする。
「いや、私は……」
「遠慮しなくていいのです! たくさん作ってきたのです!」
なおも差し出す彼女に、大天使は仕方なく箱を開けてみる。
中に入っていたのは、謎の物体だった。
色はかろうじてチョコレートの体裁を保っているが、どういうわけか異臭がする。※本人は真面目に作成
彼は本能で感じた。
これ食べたらだめなやつ。
箱を凝視したまま固まっているのを見て、メリーは不安そうに。
「……メリーの食べ物は食べていただけないのですか…?」
涙目の彼女を見てフィオナがつっこむ。
「なんだ、天界の騎士は少女の純真な贈り物も受け取れぬのか?」
レアティーズもここぞとばかりに。
「女を泣かせるとは騎士道が聞いて呆れるな」
その表情が妙に生き生きしている。天使は覚悟した。
「……いただこう」
ばるしーくはちょこれーと壊をたべた!
せいしんりょくが1けずれた!
無表情のまま冷や汗を浮かべるバルシークに、メリーはどきどきしながら感想を問う。
「どうでした……?」
「む…なかなかだった……」
嬉しそうなメリーに遥久も微笑み。
「メリー殿なによりです。私たちはいつでも食べられますので、バルシーク公どうぞご遠慮なく」
それを見たインレはそっと合掌した。
●
しばらくは落ち着いた時間が流れた。
しかし時折不安げな色を瞳に宿す大天使に、遥久は問うてみる。
「……戦っておられる方が気になりますか?」
バルシークは一旦沈黙したが、やがて苦笑を漏らし。
「お前達に気取られているようではな」
「いえ。私も無茶をする親友を常に心配しておりますので」
「その方はバルシークさんにとってどういう関係の方なのです?」
メリーが単刀直入に切り込む。
「危険を顧みず来られたという事はもしかして……恋人、とかです?」
さすが乙女はこの手の話題に強い。返事がなくても天使の表情を見れば答えは明らかで。
「……ふん。馬鹿馬鹿しい」
レアティーズが忌々しそうに呟く。
「大天使ほどの力量があるならば、撃退士を蹴散らせばよい。その時間や手間も惜しむほど恋人を早く救出したい、というのが本音のようだ」
それを聞いた海が考え込むように。
「そうかなあ。僕たちを殲滅した方がバルシークにとっては都合がいい気がするんだけど」
ここで話す方が余程時間の無駄というもので。インレも頷き。
「そうしないのには理由があるのだろう」
最初の違和感はここから来ているのだと気付く。
「最近この四国に新たな悪魔が現れた事はご存じですか」
遥久の言葉にバルシークは反応を示す。現れたメイド悪魔はメフィストフェレスの配下であるらしいことを告げると、大天使は納得したような表情を見せ。
「かなりの高位悪魔が動いたのだろうとは思っていたが…やはりか」
「この件についてバルシーク公はどうお考えですか」
「我々が動き出しているのはとうに察知されていただろう。動き出すのも時間の問題だった」
「……四国はまた戦場に?」
遥久の視線を受け、バルシークはわずかに目を伏せ。
「……今の段階では答えようがないな。だが、いずれ雌雄を決する時は来よう」
人とも冥とも。互いの目的が変わらない限り。
「バルシーク。貴様に問いたい事がある」
フィオナはまっすぐに瑠璃の瞳を見据え。
「この地の現状をどう考える? 人、天、冥が入り乱れ、民は休まることすら出来ぬ。その現状を貴様は憂いているか?」
その問いにバルシークは微かに嘆息を漏らし。
「今ここで私が何を言ったところで、侵略者の戯言となってしまうだろう」
「それでも我は訊きたいのだ。貴様に…天使ではなく、騎士としての答えをな」
フィオナのまなざしには真摯な熱が込められている。
敵では無く、同じ騎士として。魂の本音を聞いておきたかった。
大天使はしばらく沈黙していたが、やがてたった一言呟いた。
「憂えずに済めば、楽なのだろうがな」
「……その言葉で十分だ」
それ以上聞かなかった。漏れた一言に、全てが集約されていると思ったから。
しかしここで、呆れた声音が響く。
「とんだきれい事だな。侵略行為に誇りも騎士道もない。単に自己の行為を正当化するためのものだ」
レアティーズだった。皆が唖然となる中、彼はバルシークへ向けて言い捨てる。
「その証拠に仕える主の利益のためでなく、自身の都合を優先している。そしてその不都合さを誤魔化すために『双方の被害を減らすため』と、相手にも、そして自身にも言い訳をしているのだろう?」
「ちょ、ちょっと」
海がぎょっとなる。視線で牽制するも彼の言は止まらない。
「そもそも騎士など本来は凶暴な戦闘員にすぎない。裏切りや略奪など騎士を用いる支配層にとって不都合な行為を止めさせるために、『騎士道』というものを生み出しただけのこと」
「貴様、騎士を愚弄する気か!」
「やめてくださいなのです!」
止めるフィオナとメリーに構わず言い放つ。
「エリート意識をくすぐり、それを守ることが栄誉だと刷り込み、自分の都合次第でいいように用いる。『騎士道』などその程度のものなんだろうハハッ」
一瞬の沈黙。
返ってきたのは、思いの外静かな声音だった。
「――お前の言いたいことはわかった」
その瞳には怒りも動揺の色も見られない。バルシークは元同朋に向き合うと問いかける。
「それで、私に何を望む?」
レアティーズは表情を固くしたまま応えない。大天使は微かに吐息を漏らし。
「以前も言ったと思うが、私はお前達から見れば奪う側だ。何を言われても反論するつもりはない」
そこで一瞬、空気が冷えた気がした。
「これからも必要であれば奪うし、その事について言い訳するつもりもない。お前の言うとおり、侵略とはそういうものだ」
研究所で見せた迷い無い一閃はそれを物語っており。冷たい沈黙が流れる中、老練とした声音が響いた。
「歴戦の大天使をその様に煽った所で無駄であろうよ」
成り行きを見守っていたインレだった。
「目的のために刃を振るう業の深さなど、とうに知り尽くしている。そも、必要ならば今この場でわしらを殺す事も辞さないだろう」
それだけの力が相手にはある事は、先の戦いで見ている。彼はバルシークへと向き直り。
「戦いを避けたのは余程彼女の身を案じたからか? それとも自身の都合でわしらを傷つけるのは気が引けたか?」
無言の天使に向け突き付ける。
「いずれにせよおぬしの勝手な都合である事に変わりは無い。それでもおぬしは提案をしてきたのだ。勝手だと、恥だとわかっていながらな」
効率との矛盾。そこに存る切実と葛藤を垣間見たがために。
「……随分と見抜かれているようだ」
苦笑するバルシークに、インレもわずかに微笑を返し。
「難儀だな、おぬしも」
大切な者さえいなければ、と言いかけて止める。預かった剣の重みがその存在を知らしめるかのようで。
聞いていた遥久が呟く。
「…大切な者の存在は、それだけで力になります」
だから、自分の心に嘘はつけないと。
バルシークの瞳がわずかに揺れたかのように見えたとき――
他班撤退の連絡が、撃退士に届いた。
●
「こちらの同朋も撤退したようだ」
バルシークは撃退士達を見渡すと、告げる。
「ヒヒイロカネについてはリネリアと合流次第返却させよう」
「…ではもうお別れなのです?」
メリーの問いに「馳走になった。礼を言う」と返す(チョコの土産は丁重に断った)。
帰り支度をする天使に、海は思いきって訊いてみる。
「なあ、天界はどうすれば、人類が話し合うに足る存在って認めてくれるんだ?」
「…私はもうとうにお前達の事は認めているつもりだが」
「え?」
「そうでなければあのような提案などしない」
ただ、と海に向き直り。
「天界はお前達も知っての通りの階級社会だ。私の判断だけで物事が決められるわけではない」
「……うん。そうだろうね。じゃあ俺たちは認めさせるまで戦ってみせるよ」
その言葉に頷く大天使へ、フィオナが告げる。
「蒼閃霆公バルシーク!貴様等の将、オグンに伝えよ。この地の今後について話をしたがっている者がいる、とな」
同じく遥久も続き。
「対冥魔で学園と天界との協力態勢も出来るのではと考えています。その事をお伝え下さい」
やや驚いた面持ちのバルシークに、フィオナは笑む。
「かつて、この四国の地で面白い試みをしようとした者達がいた。今度は我がそれを成してみたくなった。それだけのことだ」
大天使はしばらく黙り込んでいたが、やがてはっきりと頷いてみせた。
「伝えよう」
去り際、無言のままのレアティーズにバルシークは声をかける。
「…お前は何を守りたい?」
返答はない。その瞳に何か強い感情がこもっているのを、感じ取りつつ。
インレが要らぬ世話だろうがと、声をかける。
「これからも戦場に立つ以上、死は常に付きまとう」
本当に大切で死なせたくない相手がいるのならば。
「共に居てその手を離すべきではないのではないかな」
「……ああ、お前の言う通りなのだろうな」
語る表情にわずかに影が差すのを、感慨深く見守っていた。
(……僕も人の事は言えんがな)
その影の意味を、たぶん自分も知っているから。
「何かあれば、ご連絡を」
遥久は連絡先を渡しつつ、握手を求める。
「この次は、全力で手合わせできますことを願って」
差し出された手を握り、バルシークはふっと目を細め。
「望むところだ。夜来野」
遥久はつい言葉を飲み込んだ。何も言わず紺の外套を見送る。
四度目の邂逅にして初めて名を呼ばれた。
その意味を噛みしめながら。