現場は血の海だった。
「みんなすごい怪我を負ってる……早く助けないと!」
傷だらけで伏す仲間に、川澄文歌(
jb7507)が青ざめる。
むっとくる血の臭いは現場の惨状を語るほどに濃く。虎落 九朗(
jb0008)は少女がただ者でない事を感じ取りつつ。
「あのメイドの正体は気になるが…今は救出が先だ!」
「二メートル先に三名、あちらの奥にも二名います!」
生命探知を使用していた御堂・玲獅(
ja0388)の報告と同時、救援班は一斉に動き始める。
鳴海 鏡花(
jb2683)がすべるように駆けながら。
「この身に代えても全員救うでござる!!」
彼女の背で、左翼のみの黒羽が鋭く翻った。
同じ頃、月居 愁也(
ja6837)は少女と向き合っていた。
「じゃ、俺たちは撤退完了まで楽しいトークタイムといきますか」
立ちこめる禍々しい重圧に、敢えて不敵に笑んでみせ。
「ひえェ〜、なァんだかやだねェカリカリしちゃって…」
辟易とする阿手 嵐澄(
jb8176)の隣で、藤咲千尋(
ja8564)が口元を引き結ぶ。
本来駆け引きなどは苦手な性分。けれど。
「がんばらなきゃ」
大事な仲間を護るために、ここへ来た。
「ふうん、なるほどね」
やや鼻にかかった声。
撃退士を見つめていた少女は、おもむろにぱちんと指を鳴らす。
直後巨大な銀時計が現れ、三人の周囲を回り出す。
「おいおい問答無用で戦闘ってやつですかァ?」
ランスが慌てて構えようする所を、謎のオーラが包み込み。
「うわっ…なんだ…?」
飲み込まれたと思った次の瞬間には、少女は目前から消えている。
急いで姿を追った先、彼女が立っていたのは救出班のそば。
瞬間移動だ、と気付いたときには二度目の指が鳴らされた。
ぱちん。
「っ……!」
紫紺のオーラに巻き込まれた玲獅や鏡花が、身構える。
「……一体何が起こったのでしょう」
「身体に異変は感じないでござるな……」
しかしここで文歌が気付く。
「待ってください、私たち…何だか動きが遅くありませんか?」
自分たちの周りだけ、どういうわけか時の進みが遅いのだ。九朗が合点したように。
「なるほど…どうやらあいつ、時間を操れるようだな」
そしてやっかいだ、とも思う。
通常の特殊抵抗でも防ぎきれない強力さ。それだけでも相手が上位悪魔である事がうかがい知れるというもの。
「くっ……だが行動が制限されてるわけではござらぬ!」
時間はかかるが、動ける事に変わりは無い。
焦燥感を振り切るように、鏡花は要救助者へと走る。
そんな彼らを見ていた少女は、やがて本へと視線を落とす。
そのまま読書を始めた姿に、戦闘態勢になりかけた愁也達はあっけにとられ。
「どういうつもりだ…?」
何が何だかわからない。だが少女に動きが無いのを見て、ランスがわざとらしく切り出す。
「時は命なり。いやァ確かにまったくそうですねェ!」
敢えて魔具をしまい、敵意がないことをアピールしてみせ。
(おにーさんこの場が無事ならもう何でもするくらいにはプライドないからねェ…)
必要ならば、土下座だってやろう。
ランスには形ばかりの矜持など、毛ほどもない。
ちなみに毛もない。
「これ以上あなた様の大事な時間を消費するわけにはいきません…私らはこの怪我人をひっぱってとっとと退散させていただきますんでェ」
「うん、わたし達ここにいる仲間を学園に連れて帰りたいだけだよ。あなたの邪魔するつもりは多分無いんだけどな」
千尋の言葉に愁也も続く。
「無意味に戦ってまた増援ってなったら時間の徒消だろ? だから少しだけ時間くれないかな」
「いいよ」
「えっ」
あっさりと了承され、三人は拍子抜けしたように顔を見合わせる。
(嘘を言っているようには…見えねえな)
慎重に気配をさぐる愁也たちに向け、少女はちらりと本から視線を上げ。
「ただね、一つ聞きたいんだけど。君たちは撤退以外の目的はないと言った。でも、それが嘘だって可能性もある」
アメジストの瞳が、わずかに細まり。
「君たちはどうやって、そのことが真実だと証明するのかな?」
●救助班
同じ頃、文歌は負傷者に手を貸しながらヘッドセットで指示を出していた。玲獅の生命探知のおかげで予想より早く全員の位置を把握できている。
後は、どれだけ早く救助できるかなのだが――
「これだけの人数がいると、時間がかかりそうですね……」
治癒膏を発動させ、周囲を見渡す。
怪我人は全部で十五名。とてもでは無いがこの人数だけでは運べない。少しでも自力歩行できる者を増やしておきたかった。
「こちら重症度高いです。優先してお願いします!」
持ち前の医療知識を生かし、玲獅は怪我人の状況を見極めていく。
負傷者を癒やしのオーラで包み込んでゆく。意識を取り戻した男子生徒の唇がわずかに動き。
「すまない……」
「謝る必要などございません。あなた方は私たちの代わりに命懸けで戦ってくださったのですから」
「そうだぜ。たまたま今回はこう言う役割だったってだけだ。気にすんな!」
あっけらかんと九朗も笑う。聞いた生徒の瞳にわずかに涙が滲む。
それは自分たちへの悔しさと、助けられた安堵からくるものだろう。
「おぬしは歩けそうか? ならば怪我人を運ぶのを手伝ってはもらえぬか」
鏡花は比較的軽傷だった者を回復させ、共に歩行不可能者を運ぶよう段取りを組む。
「歩行不可能者一人に対して、可能者が二名つくでござるよ」
それぞれに説明を聞かせ、怪我人を徐々に集めながら。
(この状態で攻撃されれば危険極まりないでござるな…)
狙われれば一網打尽だろう。
悪魔対応班の様子を窺いながら、鏡花は額に汗が滲むのを感じる。
「しかし……任せると決めたのだ」
だから信じるしかない。いや、信じている。
「拙者達はやれることをやるでござる! 誰一人として欠けさせん!」
●悪魔班
一瞬で、空気が冷えた。
悪魔を取り巻くオーラが鋭さを帯びるのを、三人はまざまざと感じ取っていて。
やはり戦闘は避けられないのか。
彼らの間に緊張が走った時、少女はふっと口元を緩める。
「と、言いたいところだけれどね。まあ、君たち三人がここに残ってる事で、信じてあげるよ」
つまり君たちは人質だよ。
そう言われていると気付き、愁也はほっとしたように。
「なるほどね。それなら話は早い」
元より自分たちはそのつもりだ。悪魔と対峙する以上、それくらいの覚悟はできている。
「ところでその格好流行ってんの? 俺の知ってるヴァニタスも執事服がよく似合ってたよ。名前もシツジだったかな」
「ああ、クラウンのところのね」
「お、やっぱり知ってるんだ。じゃあ君も誰かに仕えてるのかな」
「見ての通り、とだけ答えておくよ」
先ほどと比べ、悪魔は会話に反応してきている。そのまま繋げようと三人は質問を続ける。
「あのね、私も聞いていいかな。どうしてここにいた人達にとどめを刺さずにいたの??」
先刻垣間見せられた重圧に震えそうになりながらも、千尋は悟られぬよう真っ直ぐに前を見据え。
「時は命なんでしょ?? もしかして、わたし達を待ってたの??」
「ふふ、悪くない質問だね。そう、ボクは君たちが来るのを待っていた」
理由は言えないけどね、と付け足し。
「わざわざ待っててくださったとはねェ…おや、でも私たち最初のメンバーと違って襲われてない。あら不思議!」
「つまり……君の目的は戦闘じゃないんだろ?」
ランスと愁也の問いに、淡々と答える。
「半分正解、半分不正解ってところかな」
「ってェことは、俺たちがあなた様の邪魔さえしなければ戦わずに済むって解釈でよいですかねェ?」
嵐澄の言葉に、少女はうなずく。
「ボクは最低限の行動で目的達成をしたいものでね。無駄な戦闘は嫌いなんだよ」
「ですよねェ、闘う時間のほうが無駄ってもんですし。聡明でいらっしゃるあなた様ならそのへんわかっていらっしゃる…」
うんうんと頷くランスは、ヅラがずれまくっている。
直す気は毛頭ない。
もちろん毛もない。
「じゃあわたしたちがどうすれば、戦わずに済むの?」
千尋の問いに少女は銀時計に目を走らせる。
「時間」
「え?」
「残り十二分、ボクの元に何も指示がこなければってところだね」
●救助班
その頃、救出班は撤退を順次開始していた。
背中で回転する対極図。
癒やしの風を舞わせた九朗が、わずかに目を開いた一人に声をかける。
「おう、気ィ付いたか! 大丈夫か?」
「あ、ああ……」
かろうじて意識は回復したものの、まだ傷はかなり深い。
「しっかりしろよ、もうちょっとの辛抱だ…!」
治癒力を高める術を編みながら、文歌は悪魔の様子を窺う。
(まだもう少し…時間が足りない…)
残る意識不明者は六名。まだ全員撤退には至らない。移動可能な状態になった面子に、九朗が告げる。
「すまねぇが俺たちは殿で残る。ここからはあんたらだけで撤退頼むな」
「拙者が護衛するゆえ、心配いらぬでござる」
意識が戻らないままの一人を背負い、鏡花が頷いてみせる。
同じく負傷者を抱えながら退却する生徒に向け、文歌が乾坤網を付与し。
「ここは私たちが食い止めますから先に行ってください!」
「すまない……だがくれぐれも無理はしないでくれ。俺たちの人数でこのザマだったんだ」
苦渋の表情を浮かべる生徒に、玲獅は盾を構え送り出す。
「お心遣い感謝いたします。さあ、行ってください!」
去りゆく背を見届け、彼らは周囲を警戒する。文歌がふと。
「それにしても…どうして彼女は私たちの動きを制限したんでしょう?」
わざわざ自分の手の内を見せてまでだ。
「どちらかと言うと、時間稼ぎをしているように見えますね……彼女なりの目的が他にあるのではないでしょうか」
攻撃してこないのも、今は自分たちが選んだ行動と相手の利害が一致しているのだろう。
とは言え、油断は全く出来ない。今は足止め班の方に意識を向けているが、いつどうなるかはわからず。
九朗が肩をすくめながら。
「あいつ月居達と会話しながらも、こっちの事はちゃんと意識してるぜ」
視線を向けていなくても気配でわかる。
逃れられない、感覚。
それはまるで余計な事をすると死ぬよ、と釘を刺されているかのようで。
「気に入らねえけどよ。今はこっちが優先だ」
撤退していく仲間をその背に感じつつ、護りきるとその胸に誓う。
そして護衛を続ける鏡花は、ある事に気付いていた。
(……拙者たちは撤退目的のために、三人に時間稼ぎをお願いしたでござるな)
その為の役割分担。囮の影で動く本命の動きは今作戦の肝であり。
(つまり……敵も同じだとは考えられぬかのう?)
時間稼ぎは誰かのため。
彼女の脳裏には高松ゲートへ退却中である悪魔の姿が映っていた。
●
一陣の風に、少女のスカートがふわりとはためく。
「ところでさ、ここで待っているのも暇だろ? 君の一撃に俺が耐えられたら質問に答えてよ」
愁也が切り出した提案に、彼女は首を傾げ。
「そんなことをしてボクに何の得があるのかな?」
「さっき俺たち到着の時間を計ってただろ? それって俺たちの能力を調べていたんじゃないのかなって思ってね」
その言葉に、ぴくりと眉を動かす。
「力をはかるサンプルは多い方がいいだろ? 俺結構強いよ」
少女は考える素振りを見せた後。どこか楽しげな色をその瞳に宿した。
「いいよ、乗った」
瞬後、周囲を再び巨大時計が回り出す。
桃色のボブヘアーが風に舞い。
「ただねぇ、ボクそんなに力ないんだよね」
ぱちん、と指を鳴らしたと同時。
時計から飛び出した秒針が、勢いよく愁也へと撃ち込まれた。
※※
ぽたり、ぽたり。
深紅の雫が、地面に染みをつくってゆく。
「全員撤退完了でござる!」
後方から届いた鏡花の報告。彼らの懸命な行動が実を結んだ瞬間、愁也は膝を付いた。
「愁也さん、大丈夫!?」
青ざめた千尋の問いに、口元の血をぬぐいながら。
「いってぇ…けど、耐えたぜ」
高位悪魔の一撃は、確かに重かった。しかし本人が言うように彼女はパワータイプではないのだろう。
「雷霆公のはこんなもんじゃなかったからな…!」
「おー凄いねェ。ランスおにーさんちょと感激しちゃったよ」
ふらつく愁也を支え、ランスは感心しつつ。
(ってェことは、15人をあっさり沈めた理由は、きっと他にあるんだろうねェ…)
まだ見せてない、手の内も。
「ふうん、君たち結構悪くないね」
少女は銀時計を確認すると、やや感心したように。
「ジャムが認めてるのもさもありなん…ってところなのかな」
その呟きと同時、学園側から一報が届く。
――レディ・ジャム、高松ゲート撤退完了。
「やはりこの騒動は、かの悪魔の撤退のためであったか…!」
鏡花の言葉に、文歌も事の次第をようやく理解する。
「そうか、彼女はジャムの撤退まで私たちの意識を引きつけておきたかったんですね」
つまり、悪魔の狙いも時間稼ぎの陽動。互いに同じ目的で動いていたのだ。
「最初の部隊を即殲滅したのは、ジャムの迎撃部隊だったから…ですよね?」
「ご名答。もし君たちがそちらへ行こうとしてたら、殺してたと思うけどね」
何でもないようにそう言った後、ぱたんと本を閉じた。
「君たちの選択は、正しかったってこと」
「一応褒め言葉と受け取っておくけどよ…」
九朗は悪魔を見据えると、気になっていた事を問う。
「なあ、あんた。何て呼びゃ良いんだ?」
「何とでも。別に希望はないよ」
「おいおい、自己紹介もできねぇ程阿呆ってわけじゃねぇんだろ」
「こちらから身分を明かせとは命令されていないものでね」
その言葉にやれやれと呆れながら。
「…ま、いいさ。じゃああんたの主人にも言っておけよ、次は容赦しねえってな!」
玲獅と鏡花も、きっぱりと言い切る。
「私はいかに無様に逃げ負けて謗られようが、少しでも多くの命を救い上げ最後まで生き残らせる事が信条です」
「拙者たちを侮らない方がよいでござるぞ?」
「ふふ、なるほどね。覚えておくよ」
少女はそう告げるとわずかに視線を逸らし、再び戻す。
「じゃ、どうやら面倒なのも見てるみたいだし、ボクはここらで帰らせてもらうよ」
「あ、その前に! 俺耐えたんだから質問に答えてよ」
愁也は少女が手元を指し、問う。
「大事に持ってるその本、題名と内容教えて」
「ああ、これ?」
少女が開いたページは白紙。
「これからボクが埋めるってことで」
そのまま去ろうとする背中に千尋が呼びかける。
「あのね! わたし藤咲千尋!! 高校3年生!!」
振り向いた少女に向かって、他のメンバーも名乗り始める。
「私は川澄文歌です」
「おにーさんはランスっての」
少女は一度瞬きをしてから、やがて諦めた様子で向き直る。
「名乗られたなら仕方ないね。ボクの名はリロ・ロロイ」
「リロさんまた会うことがある??」
千尋の問いかけに一旦沈黙した後。
リロは白磁のような頬を緩め、にっと笑った。
「必然なら、ね」