待っていた
待っている
あなた方と出会うのを
あなた方と出逢うのを
●
白い空間。
白い少女。
満開の、花水木。
「美しい場所なのだな……」
降りしきる花びらをじっと見つめリンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)は呟いた。
道化の悪魔が選んだ、最後の舞台。
現実と幻想が入り混じった景色と――
「――誰かの視線を感じるね」
加倉 一臣(
ja5823)が気配を探るように、ゆっくりと見渡す。
「それも複数……ですねー?」
うなずく櫟 諏訪(
ja1215)も自慢のあほ毛を揺らす。
彼らが確信するもの。
きっと、この舞台は『観られて』いる。
自分たちが迎える結末を、選びとる先を見届けんがために。
「ふお…花水木の妖精さんみたいなんだね」
それはまるで、薄桃色に対して純白の。
真っ白な少女に見とれる真野 縁(
ja3294)の隣で、七ツ狩 ヨル(
jb2630)は首を傾げる。
(クラウンのディアボロ? でもなんとなく違うような…?)
純白と薄桃色の世界は、耳が痛いほどに静寂に満ちていて。
「何だか…ここにいるだけで不思議な気持ちになるよ」
辺りを見渡す雨宮 祈羅(
ja7600)の言葉に、狗月 暁良(
ja8545)が口端を上げ。
「道化らしいっちゃ道化らしい。ま、せっかくだから愉しませてもらうとしますかネ」
「それでは――鷺谷 明(
ja0776)様」
届く響き。少女が指し示した先には、魔方陣のようなものが見える。
「おや、私が一番手か」
陣の上に立つと、一瞬で明と他のメンバーの間に仕切り壁が出現する。
白い声が、問うた。
「それでは、最初の質問を」
●鷺谷 明の場合
>あなたが『追い求めるもの』は何ですか。
質問を耳にした明は、血をも思わせる紅い瞳を細め言い切る。
「享楽即ち生、即ちヒト即ち世界である」
すらすらと口にする様は、まるで最初から答えが準備されていたかのように滑らかで。
「常に満たされ続けている私に、求めるものなど存在しないよ」
世界を認めている。
在るがままの全肯定。
不承知無き自分に、これ以上求めるべきことなど見あたるはずもなく。
「だがまあ」
そこで明はふむ、と思案の色をその笑みに宿し。
「それだけの回答じゃつまらんだろう? 故に強いて言うなら『悲劇』か。愉しみ続ける私は悲しむということが出来ないからね」
明はそう言いながらも、自分には生涯得る事は出来ぬものなのだろうとどこかで悟っている。
悲しみや痛みと言う感情は、愛すべきものだとも思う。
別れの痛みを知るから、逢瀬の甘美はなお一層強く、悲劇を知るから、喜劇の悦楽はより輪郭を鋭とするのであるならば。
悲劇とはより根源的でありそれを得てみたいと思うのまた、享楽を愛でる自分にとっての性なのかもしれず。
そして何より。
「悲しめぬ者などヒトどころか生きているかどうかも怪しい。そうだろう?」
>あなたの『享楽』を聞かせてください。
その問いを聞いた明は、さもおかしそうに。
「私は遥かエピクロスの流れも汲む由緒ある享楽主義者でね。昨今の刹那主義者と一緒にしてもらっては困るよ?」
再び響く、迷いの無い声音。
「享楽即ち世界である」
この世の全て。
「呼気が肺を満たす様に快感し、地を足で踏みしめる事に愉悦する。空を切る手を礼賛し、過ぎた過ちに微笑する」
可逆も不可逆も偶然も必然も神聖も滑稽も美徳も醜悪も大いに結構、賞賛は等しく万物の頭上で謳われるべきであり。
それすなわち。
「世界はこんなにも素晴らしい。それを享ける私も楽しむのが道理だろう?」
明快。明解。昭昭たる。
ああついでに、と明は笑いながら告げる。
「道化殿に伝えてもらえるかね。自分にとって他者との関わりは豪華な晩餐のようなものだ」
美味であればあるほどに。
「一息に食べ尽くすには惜し過ぎるし、ゆっくり食べると冷めてしまう。だが食べずにいればそれは腐り、えもいわれぬ臭気をまき散らす」
故に、と明は舞い落ちる花弁を手に取ると、さも愉快そうに口にする。
「私は惜しみつつも思うが侭に喰らうのだ。晩餐が尽きないことを祈りながらね」
食んだ花びらは、微かに甘く感じただろうか。
「と言うわけで、道化殿とは一度鍋でも囲んで馬鹿話でもしたいものだ」
●リンド=エル・ベルンフォーヘンの場合
>あなたが人の世界を選ぶ『理由』を教えてください。
「『理由』、か……」
リンドは軽く腕組みをすると、考え込むように視線を落とす。
「まだ漠然としたものしか掴めていないのだが…多分、『好きだから』だろう」
そもそも自分は、自らの意思で人の世に来たわけではない。
「訳あって故郷を追われ、彷徨った末に辿り着いた場所…最初はそれだけの認識だったのだがな」
けれどそこに住む人々の営みは、計り知れない彩りを自分の命に与えてくれた。
書物で知り得たよりも海はずっと広大で、ずっと花は嫋やかで、ずっとずっと食は奥深く。
「無論、良いことばかりではなかった」
拒まれることもあった。
大事な人間を自ら殺めねばならぬこともあった。
自身の無力を恥じ、明けぬ夜に苦悩した事もある。
「今だって、嫌いでイヤで仕方ない戦いを毎日続けねばならぬ」
それでも。
自分の足下を見つめる。
幻想なのか、現実なのか、降り続ける花びらで地面はすっかり薄桃色に染まっている。
リンドは穏やかに微笑すると、低く耳障りのよい声を響かせ。
「俺には此処しか居場所がないのだ」
最初は選べなかったから。でも今は少し、違う。
大好きな者たちがたくさん出来た。
彼らと共にいると、花を愛でるのも、食を楽しむのも、ずっと楽しくなった。
「う、海は……泳ぐのはのーせんきゅーだがな」
リンドは改めて少女に向き直ると、改めてきっぱりと言い切る。
「だから、俺はこの世界が好きだ」
そして自分のような者にも望むことがあるとするならば。
「自分には誰かを幸せにはできぬが、誰かの幸せを守ることは出来る」
そう、信じていたくて。
「全てなどと贅沢は言わない。ただ、俺の手が届くだけでも……護るために戦って、生きてみようと思ったのだ」
>そのたい焼きの素晴らしさを聞かせてください。
「ほう、たい焼きに目を付けられるとは、なかなか慧眼の持ち主でおられるな」
そう語る彼はどう見てもさっきより顔がデフォルメ化されているが、きっと気のせい。
「たい焼きの素晴らしさを語れと…悪いが、それはちょっと難しいのだ」
懐からいつも携帯しているたい焼きを取り出し、掲げてみせ。
「まずは顔を付き合わせて、一緒にたい焼きを食べようぞ。たい焼きの素晴らしさは、たい焼きが語ってくれるのだ」
論より実証、はむっと食べる。たい焼きうめえ。
「ちなみに誰かと一緒に食べると、いつも以上に素晴らしいたい焼きタイムになるのだ」
特に焼きたては最高なのだぞ、とリンドはうっとりとした表情になり。
「ふわっふわの生地は、焼きたてだと外側が少しかりっとしているのだ」
その中に潜む上品な餡との絶妙なバランス。
「頭からいくか?尻尾から?腹から? これは永遠の命題だ。こしあんつぶあんカスタード、色々美味しいお店も知ってるのだ!」
そして、きっと虚空を見上げ。
「だからな、クラウン殿」
リンドはどこかで聞いているであろう、主催者へ向けて呼びかける。
「そう簡単に終わりにはさせんぞ。他が許しても、御主を慕う皆と俺とたい焼きが許さん!」
こだまする声は、静寂の中木々の合間へと吸い込まれていった。
去る間際、どこからか涼しげなあの声が響く。
『あなたは何故誰かを幸せにできないと思うのです?』
咄嗟に見上げるが、姿は見えない。
「それは……」
花びらが舞い踊る中、答えるより早く声は告げる。
『私は幸せですよ』
あなた方が来てくれたから。
●櫟 諏訪の場合
>以前あなたが遊園地で語った『夢』は、今も変わりませんか。
そうですねー、と諏訪はのんびりした調子で記憶を呼び起こす。
――人と天魔が手を取り合う未来。
夕日に染まる遊園地で、自分が語った夢。
諏訪はもう一度反芻した後、はっきりと頷いてみせ。
「あのとき語った自分の『夢』は今も変わらず、ある意味ではもっと強く。人と天使と悪魔とが手を取り合える『未来』を作りたいと考えていますよー?」
どうしてあの時話そうと思ったのかは、わからない。
けれど別れ際、去りゆく悪魔の背にどうしても伝えておきたかった、自分の「譲れないもの」。
黙って聞ていた悪魔の目に、自分はどう映っていただろう。
覚えておきましょう、と返したあの瞳にはどんな色が宿っていただろうか。
思い出すのは、夏色の空と飴色のコーラ。
>あなたが描く『未来』を教えてください。
「自分は、こう見えて欲張りですからねー?」
諏訪はにっこり微笑むと、子供が夢を語るかのような面持ちで語る。
「天魔を追い返して人間だけの世界を守ってはい終わり、だなんて考えてないのですよー? 自分が夢見ているのは、もう悪魔と天使同士ですら戦いをやめて、歩み寄っていける世界なんですねー」
それはまるで、設計図を描くかのように。
彼の青空ような瞳には、まだ見ぬ先への道筋が映し出されているのだろう。
「あの時人と天魔の本質に違いは無いといいましたよねー? だからそれぞれが、変わっていけると思うのですよー?」
夢は願うだけじゃ無くて、実現するもの。だけど大人しく待ってなんかいられないから。
「そんな『未来』を手に入れられるように、自分たちがその礎になるために、自分は戦っているのですよー?」
そう。これは望む未来をこの手で掴み取るための、途方も無い世界との闘争。
穏やかな佇まいの下で、彼はひたむきに、そして強かに。
「クラウンさんが人の中に可能性を、輝きを見たように――」
月華で黄金の天使が想いを託し、願いを叶えたように。
「いつか、訪れる夢を手に入れてみせるのですよー!」
去り際、諏訪はくるりと振り返り。
「あっそうそう。自分は天魔の皆さんがずるいなと思ってることが、一つあるのですよー?」
それは、自分がどれだけ望んでも、手に入れられない『時間』。
「自分たちが短い命を終えた後、見届ける事が出来なかった『先』を皆さんは見られますよねー?」
恐らく自分が望む理想の未来は、きっとずっと先の話で。見届けられるのは天魔の特権だとも思う。
諏訪は花水木に視線を移し、眩しそうに瞳を細め。
自分たちは、天魔から見ればきっとこの花の命のように儚い一生なのかもしれない。
でも、だからこそ――
「人は輝くのかもしれませんねー?」
短い命をめいっぱい、咲き誇らせて。
その美しさに心惹かれたのは、きっとあの悪魔も同じだから。
「だから、クラウンさんには本当は生きて、この世界の『未来』を、自分たちが選んだ『夢』を、見届けてほしいと思っているのですよー?」
それは、刹那の夢に焦がれると言った、生のために死を見つめると言った、彼の意志とは反するのかもしれない。
何より残される痛みを与えると知っていながら願うのは、きっと酷でもあるのだろう。
けれど自分はいつだって想いを正直に伝えてきたし、相手もそれを望んでいることを知っている。
だからこそ。
「全力で挑ませてもらいますねー?」
迎える結末はわからない。
それでも。
彼は踏み出す事を選ぶ。
●雨宮 祈羅の場合
>私を刺せなかったあの日から、あなたは変わりましたか。
「変わった……のかな?」
祈羅は軽く小首を傾げると、一つ一つ言葉を確かめるように話し出す。
「んー…最初は歩ちゃんが戦うから、うちも戦う。それだけだった」
けれど今は少し、違う。
祈羅は重ねてきた月日に想いを馳せるように、言葉を紡ぐ。
「ここにいる一臣ちゃんも、諏訪ちゃんも、縁ちゃんやみんながいて。今ここにいない子も含めて一緒にあんたを追ってきて」
気が付けば全員が、背中を安心して預けられる戦友になっていて。
「大事な仲間とみんなで帰ることが、うちの戦う目的になった」
こんなにも他人の事ばかり考えたことだって、今までなくて。
「相変わらずうちの世界の中心は歩ちゃんだけど、歩ちゃんだけでうちの世界が成り立たなくなった
。それって、結構うちの中で大きな事なんだよね」
自分と、彼でしか成り立っていなかった世界に、他の色が生まれた。
目を見開けば、この世界はこんなにも色鮮やかだった。
「それが多分、変わったことの一つかな」
そこで彼女は一旦黙り込み、うーんと唸る。
「でも結局みんなで笑顔で居たいというところは変わってないし、歩ちゃんを傷ついた者は許しがたいっていうのも変わってないし…」
それになにより。
「今でもあんたを刺せって言われたら、うちは…多分できない。むしろ……あんたを刺すことはあの時よりも、嫌になった気がする」
こんな感情が生まれてくる事自体、本当は驚いてしまうのだけれど。
「……ちょっとだけ、あんたも大事な存在になったからと思う。……おそらく、たぶん、メイビー」
言った後で急に恥ずかしさがこみ上げ、頬を紅潮させながら叫ぶ。
「あー!うまく言えない! でも、なんかこう、色々変わったけど、色々変わってない。それが今のうちなの! 以上!」
>約束通りあなたの『説教』を聞きましょう。
「最初から言ってたと思うけど!」
祈羅はびしっと虚空を指さし、宣言する。
「『ほほ引っ張って説教してやる』…というわけで、頬だしてください」
笑顔で言うも、にゃあと猫が鳴いただけだった。
「くそー…仕方ない。じゃあ、この子でいいわ」
返事を待つ間も無く、目前に立つ少女へ手を伸ばすと、ほっぺたをぐいぐい引っ張る。割とかなりとばっちりである。
「とりあえず、簡潔に言うよ。人生はね、遊びでいいと思う。けど命だけはかけがえのないもので、いなくなったらきっと悲しむ者いる。絶対に遊んでいいものじゃない」
もう片方のほっぺたもぐいぐい。
「だから命を遊ぶあんたは相変わらず腹が立つよ」
どこかで聞いているであろう悪魔に向け、呼びかける。
「命を大事にしなさい。他人のも……自分のもね」
そこで頬を引っ張る手が止まる。
急に、言葉が出てこなくなったのだ。
祈羅は少女から手を放し、わずかにうつむく。
得体の知れない感情に、なぜだか胸が詰まりそうで。
「……あんたが死んだら、うちは泣くよ」
ようやく出せた声は、聞こえるか聞こえないかのものだった。
気が付けば、少女が胸に抱いていた猫が足下にいる。祈羅が撫でようと手を差し出すと、猫は何も言わず指先に頬ずりをし。
無意識に抱き上げ、そっと毛並みに頬をうずめてみる。
温かった。
伝わる体温が、命の存在を実感させる。
「……ありがとね」
その言葉に猫はにゃあ、と一声鳴いた。
●七ツ狩 ヨルの場合
>あなたがこの世界で見た『美しいもの』を教えてください。
うーんと、と言った様子で、ヨルは一つ一つを思い出すように語り始める。
「夜明けの空、抜ける青空、黄昏に染まる空、満月の夜空、鍾乳洞、桜吹雪、水族館、雪山……俺がここへ来てまだ一年ちょっとだけど、とてもとても沢山ある」
夜は瞳を閉じてみる。まぶたの裏に浮かぶ、彩られた景色。
刻々と色を変えてゆく空。
満開に咲き誇り散ってゆく花。
しんしんと舞い落ちる純白の雪。
もしそれらを一つの言葉に纏めるなら、それは。
「今まで出会った全て、この世界そのもの」
綺麗で、儚くて、力強くて。
大切で愛しい、この世界を成すカケラたち。
「確かに、全部が全部綺麗なわけじゃないよ。嘘とか罪とか、汚いって分類するべきものだってこの世界には沢山あって……けどね」
その紅い瞳をわずかに細め。
「そういういろんな物が混じり合った全体を見ると、不思議と綺麗に見えるんだ」
面白いよね、と。
自分たちが生まれた世界と大差ないはずなのに、どうしてこんなに心惹かれてしまうのだろう。
視線の先には枝いっぱいに咲いた、花水木。
「俺にとって、ここは万華鏡の中にいるみたい」
目を開ける度にちがった景色が見える。
「きっと、クラウンも同じなんだよね」
>あなたがこの世界でこれから見る『景色』を聞かせてください。
「夜明けの、その先」
ヨルは迷う事なく、はっきりと答える。
「それは晴れかも知れないし、曇りかも知れない。雨かも知れないし、ひょっとしたら雪かも知れない。夜明けの先がどうなっているのかはまだわからない」
わからないから知りたくて、ずっとずっと見ていたくて。
だから自分はここにいて。
そして、こんな自分にも未来の夢を見られるのだとしたら。
「人間も悪魔も天使も動物も、皆が笑いあえる…そんな、あったかい景色がいい」
それは戦いしか楽しみを知らなかった自分が、抱き始めた淡い想い。
日に日に少しずつ濃くなるそれは、戸惑いよりも心地よさを与えてくれる。
「……俺、その景色にはクラウンやレックスもいて欲しいな、って思ってる」
例え彼の『夢』とは相反する願いかも知れなくても、今伝えなければ自分は後悔すると思った。
「それが、俺の見たい『景色』。俺の『夢』なんだ」
彼は思う。
死に対して鈍感でいられなくなったとき、自分は痛みを思い出すのだろう。その引き替えに手にするものもまた、美しいものなのかもしれない。
それでも今は、生の物語を夢見ていたいから。
去り際、ヨルはどこかにいるであろう相手に対し問いかける。
「あのさ、クラウン。人と悪魔の違いって、なんだと思う?」
寿命や羽とかは勿論違う。
「けど、人が綺麗って思う物を俺も綺麗だと思う。感じられる。……次逢えた時、答えを教えて」
『――特別である事に理由は必要ないのですよ』
聞こえた声に思わず振り返る。しかしクラウンの姿は見えず。
どこからかと言うよりは、直接脳内に話しかけられていると気付く。
『他の者にとっては同じでも、私にとっては違う』
落ちてくる、甘い香り。
『その感情を何と呼ぶか知っていますか?』
問い返されたヨルは、無意識に左手を見つめる。瞳に映る、契約の証。
――ああ、そうか。
ヨルは唐突に理解する。
自分はきっと、まだはっきりとは知らない感情。
多分それは――
●加倉 一臣の場合
>最初にお会いした時からあなたが選んできた『道』は何ですか。
「……長い道になりましたねぇ」
二年前の初秋。
イヤーカフから伝わってきた夜気の冷たさだけは、今でもはっきりと覚えていて。
「あの日、俺は――」
対峙した敵は、生前歌唄いだった男のなれの果てだった。『声』をつかった攻撃をこの目で見たはずなのに。
「彼の喉を潰す選択を敢えて外しました」
喉は歌唄いの命だから。
潰してしまえば、二度と歌えないと思ったから。
「でも、それは間違いでした」
自分の迷いは、ただの感傷にすぎなかった。撃退士としての選択ミス。
情けない話ですよね、と苦笑してみせ。
「何より、彼があんな歌を唄いたいはずがないと気づけなかったんですから」
保護対象だった女性は、男にとって最愛の存在だった。もう彼女を傷つける歌しか唄えないのなら、やるべきことは一つだったのに。
一臣は一旦黙り込むと、わずかに視線を落とす。
「近視だったんです」
目の前の事しか見えなくて。
それだって一生懸命だったことに変わりは無い。けれど、自分は誰かの命を簡単に消せてしまう立場にいるのだと、あの時ようやく悟ったようにも思う。
「それから少しだけ、遠くも見るようになったと思いたいけど」
視線上げ、少女に向かって笑んで見せる。
「俺はあまり自分を信じてません」
信じていないから、誰かの力を借りて。
信じていないから、友や仲間を信じた。
「俺が歩いてきたのは、いつだって迷い、蛇行しながら歩いてきた道です」
ただ、自分にとって常に「気持ちのいい」結果となるよう選んできた。
「それは必ずしも最善ではないかもしれない。けれど、救い出せた人の笑顔だったり、大事な奴や仲間たちと共に笑ったり泣いたり」
最高の瞬間を共にしたり。
「ミスターに別の表情を浮かばせたり」
だから今までも、これからも。
「心震わす何かを得られるように。失わないように。これからも我儘いっぱい選んでゆく道です」
>あなたの『覚悟』を聞かせてください。
「あ、俺の覚悟は薄っぺらいですよ」
ずっと考えてきた答え。
「腹を決めたつもりでも揺らされたり、諦めたふりして諦めきれてなかったり。さっきも言ったように迷うこともたくさんあります」
あっけらかんと言い切るさまは、いっそ清々しいほどで。
「ミスターは覚悟がある相手、お好きですよね」
最初に出会った時も。
シツジを討った時も。
そして、今も。
「俺も好きです。そしてそんな奴らが眩しくて仕方がなかった…でしょう?」
自分もずっと見ていた側だからわかる。
同じ戦場の空気を吸っていてさえ、本当の意味でわかり合えないもどかしさ。
当事者同士でしか刻み得ない、魂の共鳴の鮮やかさ。
眩しくて。
羨ましくて。
「自信なんて持てなくて。軽い自己嫌悪とデートする日もあります」
見上げた先には、満開の花水木。一年前のこの場所で、シツジと命懸けで斬り結んだ友を思い出しながら。
「――羨ましかったんですね、ミスターも」
だから再びこの場所を選んだ。
いつか、自分も手に入れてみたくて。まるで幼い子供のように、純粋で無垢な欲求の赴くままに。
「でも俺は――」
一臣は舞い落ちる花びらを手に取り、微かに瞳を細める。
「いつしか、それでもいいのかもしれないと思い始めて」
この花のように、ありのままで。
「ぺらい覚悟で勝負してやろうって開き直りましたよねー」
薄っぺらい覚悟だろうと何層にも重ねれば、やがては分厚い覚悟になると信じて。
「その方が自分らしい気がするんです」
微かに、風が吹いただろうか。
「さて、最後に」
どこかで聞いている『観客』へ、一礼をしてみせる。
「俺は『気持ちのいい』結果をこの手で掴み取る為の覚悟は重ねてきました」
それはまるで舞台へと誘うキャストのように。
「ミスターもどうぞお覚悟あれ」
『ええ、期待していますよ』
顔を上げた一臣は、一度瞬きした後。
まいったと言った調子で笑った。
「まったくずるいですね、あなたは」
●狗月 暁良の場合
>あなたにとって『譲れないもの』は何ですか。
「俺の譲れないものは、『己の矜持』ダな」
暁良は迷う事なく、きっぱりと答える。
「これを譲っちまっタら、俺が俺らしくナくなって、俺が俺でナくなっちまうからな」
自分は難しい事は考えない。ただ、本能の赴くままに進むだけ。
例えば、絶望的で圧倒的な敵と出会ったとして。
「『…化物め』って彼我ノ差を認めて、何も通用しないって愕然と矜持を折らレて……ってのは性に合わナいな」
例えば、敵わないと悟り死を目の前にしたとして。
「それでも『ブッ斃す』って強がりを強がりと見セず、クールに笑ってヤるわけだ」
この身朽ちる瞬間まで、不敵にあがいて最高に愉しんで「ざまあミろ」と嗤ってやるだろう。
「だってその方が、俺らしいカッコいいじゃン。あんただってそう思うダろ?」
他人から見れば、それは無鉄砲や自殺行為と映るのかもしれない。けれどそれでもいいし、そもそも彼女は思うのだ。
矜持とは他者へ示すためのカタチではなく、どれだけ自分の魂に対して誠実であれるかだ。
だから自分は迷わないし、他者へ向けて誇るつもりもない。
それはきっと、あの道化の悪魔とて同じだという確信。
ふと、思い出すように。
「ああ、あンときさ。シツジも笑ってたと思うゼ」
この花水木の上り坂でかつて斬り結び、自らの望みを全て果たして死んでいった男。
暁良は視線を上げ、くすりと笑った。
「あレは何だかンだ言って、あいつの大勝利だ」
>あなたが『愛してやまないもの』を教えて下さい。
「俺の愛してやまないものか……メッチャ難しい質問言うヤツだな…」
暁良は後頭部をわしわしとやりながら、やや考え込むように。
(世界で一番可愛い妹とか、癒してくれル恋人とか…って言おうかと思ったケド、あンまそう言う雰囲気での質問でもなさそうだしな……)
彼女は珍しく戸惑っていた。
元々自分を語るのが苦手な事もあり、こういった質問には何と答えてよいやらわからない。
そして何より、恐らくあの悪魔もそれがわかってて聞いてきているのだ。
ヤレヤレ、と苦い笑みを漏らしながら。
「とりあえズ、答えてみるゼ。俺の愛してやまないものは『戦い』」
この学園に来たのだって、撃退士の道を選んでいるのだって。
「だってソうだろ? 互いの命を懸けて戦っている時こそ、己ノ命を…夢ノ浮世に確かに自分が生きているって事実を最高に実感できるンだから」
ふわふわと漂っているだけじゃ、自分は生きている気がしない。
魂は削ってみて初めて、そこに存在があると確信できるのだ。
「だからこそ…俺は戦いって事象を愛してやまないし大好きダだ」
生きるために。
楽しむために。
そして愛してやまない誰かを護るめに。
「以上、この俺…狗月暁良の答え」
やや決まりが悪そうにハンチング帽を目深にして。
「ドーも言葉で真面目に語るのは性に合わないンで、チト支離滅裂なトコもあるとは思うケド…ま、こンな感じだゼ」
どこかで誰かが、微笑んだ気がした。
●真野 縁の場合
>『縁』とはどのようなものだと考えていますか。
「ふお…最後は縁なんだね…!」
どきどきする胸を押さえながら、白の少女へと歩み寄る。
「初めましてなんだよ! まずは君のお名前を教えて欲しいんだね!」
「私に名はありません」
「うや、そうなの?」
予想外の答えにほんの少し思案し。少女の手を取るとじゃあ、と微笑みかける。
「縁はミズキちゃんって呼ぶんだよ!」
この花のようにね、と頭上を見上げてみせ。
「縁にとっての『縁』はここに居る皆なんだね!」
家族も、仲間も、そして目の前にいる君も。
「今まで出会った人・悪魔・天使みーんななんだよー!」
例え敵でも、例えもういなくても。
いつか出会う誰かも。
ぜんぶ、ぜんぶが、かけがえの無い。
「切っても切れない繋がり! それが縁にとっての『縁』なんだね!」
出会った全ては、今の自分を形作ってきた証。
同じものを見て、同じ匂いを感じて、同じ景色を臨んだ。
だからどこかで見ている、君も。
>あなたの『歓び』を聞かせてください。
「皆との大切な繋がりが、縁にとっての『歓び』なんだよ!」
誰かと楽しく、お話したり、遊んだり。
「それに美味しいお菓子があったらもっと最高なんだね!」
どうせならちょっと贅沢に。ただの縁だけじゃつまらないから。
縁は敷き詰められた花びらの上を、舞うように歩く。
「ほかの誰かが居て、支えあって、想い合って」
気が付けば、自分よりも大切だったりして。
気が付けば、相手も同じ事を考えてたりなんかしたら。
くるりと振り返り。
「とっても、とっても幸せなんだね!」
誰かの幸せを願えば、こんなにも気持ちが優しくなる。
誰かのために涙を流せば、こんなにも心が熱くなる。
知るたびに、教えられるたびに、身体中が歓喜に満ちるのだ。
(この物語もそれぞれが思う最高のエンディングを迎えられたら…きっと大きな歓びになるんだね)
それはきっと、この場にいる全ての願い。
「あ、じゃあ今度は縁も質問していいかなー?」
縁はやや改まった調子でこほんと咳払いし、その問いを口にする。
「ミスターにとって『生きる』ってどんな事?」
初めて出会い、挑戦状を叩きつけた時からずっと聞いてみたかったこと。
「それと、ミスターはこれまで人を試してきたんだね」
いつもいつも。
まるでそれは達成してもらうのを期待しているかのように見えて。
「ミスターの知りたかった事、ミスターが望んだモノは手に入ったかな?」
長い間ずっと追い求めていた答え。
聞かせて欲しい。
話して欲しい。
そのためにここまで追いかけてきたのだから。
「質問は以上! あ、ミスターの答えは直接会って聞くんだよ!」
縁は元気よく伝えると、ごそごそとポケットから何かを取り出す。
「一個はミズキちゃんに、もう一個はミスターに!」
お礼にと少女に渡したのは、イチゴミルク飴2つ。
「じゃあ縁は、もう行くんだね!」
手を振り去ろうとする背中を、涼やかな声が追う。
『私にとって『生きる』ことは、あなた方の魂に自身の命を刻むこと』
振り向いた縁の目に、映るもの。
いつの間にか少女は消え去り、その場に残された――
銀蒼色の、猫。
『それさえ出来れば、本望です』
次の瞬間、猫のしなやかな体躯を硝子細工のような光が覆うと共に結界が壊れる。
降りしきる花びらの中、現れたマッド・ザ・クラウンを見て縁は悔しそうに。
「ちぎー! またやられたんだよー!」
「おや、大方予想はしていたでしょう?」
くすくすと笑いながら、クラウンは手にした飴を掲げ。
「あなたのもう一つの質問は、この舞台の最後に答えましょう」
そして残りのメンバーを見渡した後、微笑んでみせる。
「では、次のステージへと行きましょうか」
気付いていた者、いない者。それぞれが苦笑と納得の笑みを浮かべ、つかの間の幕間へと進む。
クラウンは明に視線を向けると、愉快そうに。
「そう言えばあなたは先ほど、『一度鍋でも囲んで馬鹿話でもしたいものだ』と言いましたね?」
「ああ、言ったね。とりとめも無く意味の無い話を語り合い、然る後殺し合う」
そんな喜劇と悲劇の混在。
「結末は分からないが、良い舞台になりそうじゃないかい?」
そう、これはすべて偶然の産物。
けれど、全ての歯車がぴたりと噛み合っていくような、不思議な高揚感。
道化は微笑う。
花は舞う。
「いいでしょう。あなたの望み叶えようじゃありませんか」
廻る、廻る、運命と偶然のパラドックス。
次なる舞台は――