●まずは、暗号解読
久遠ヶ原学園の一室。
集まった撃退士たちは、倉敷に向かう前に打合せを行っていた。
「謎解き、ねえ。面白そうじゃねえかよ」
煙草を咥えた仁科皓一郎(
ja8777)が、口元に笑みを浮かべる。どこか気怠げな空気をまとった彼は、気分屋で何を考えているのかわかりにくい。とは言え以前同じ依頼に参加したメンバーに礼を言うあたり、意外と律儀な所もあるようで。
「遺産相続の問題ですか……早く解決すると良いのですが」
輪から少し外れたところでそうつぶやくのは、アートルム(
ja7820)。人付き合いが苦手な彼は、話合いの場でもどこか一歩距離を置いて話す。しかし決して人が嫌いなわけではなく、今回参加したのも親戚同士の争いを止めたいと言う気持ちがあったからだ。
「その為にも、まずは暗号解読しなきゃね」
高峰彩香(
ja5000)が元気よく発言する。学業の成績は赤点常連の彩香だが、こういったことには頭が良く回る。つまりはやる気次第と言うことなのだろう。
全員で暗号を解読した結果、遺言は岡山駅24番ロッカー、広島駅54番ロッカーに入れられており、それぞれの鍵は依頼人の祖父が飼っていたペットのミーとクロが持っているのだろうと言う予測を立てる。
九十九(
ja1149)が暗号が書かれた紙を見ながら、糸目をさらに細める。
「この程度の暗号なら軽いもんさね。とは言え本当の問題は解いた先だろうねぃ」
「小説とかだと、この手の謎解きって『謎解き王の称号を与えよう』とか言われてお終いだったりするのよね……それならそれでも良いのだけれど、まさかそういうオチじゃないわよね」
眉をひそめながらそう言うのは、新井司(
ja6034)。表情を見る限り不機嫌そうに見えるが、手にした好物のトマトジュースを見る限り、機嫌は良さそうである。
九十九が飄々とした口調で、場を締めくくった。
「まあ、答えは行ってみればわかるさね」
●倉敷にて
依頼人の祖母は品の良さそうな笑顔で、撃退士を迎えた。
「孫がお世話になっております。私、田坂春江と申します」
「あんたがばぁさん? 思ったより若いのぉ」
初対面相手にいきなりなことを言い出すのは、嵐城 刻(
ja9977)。思ったことをそのまま口にしてしまう彼は、そのせいで失敗することも多いのだが。
「あら、こんなに若い子に言われたら照れちゃうわ」
彼女は頬を赤らめて嬉しそうにしている。どうやら彼女には有効だったらしい。
「あなたたちが暗号を解いてくれるって聞いて、楽しみにしていたのよ。私はこの通り年なもので大したことはできないけど……出来る限りの協力はするわ」
「あーそのことなんだけどよ。前日に頼んでおいた猫の捕獲はどうなった?」
皓一郎の質問に、春江は申し訳なさそうに答える。
「ごめんなさい、昨日帰ってきた時点で捕まえてはいたんだけど。朝ご飯をやるときに逃げられてしまって」
「なら仕方ねえな。まあ、腹が減ったら戻ってくるんだろう? そん時に捕まえりゃいいだけだ」
「問題は何時に戻ってくるか、よね……」
司の言葉に、九十九が答える。
「あまり時間をかけるわけにはいかなさそうだからねぃ。18時までに戻って来なければ別の手を考えるさね」
撃退士たちはとりあえず、クロへの接触を試みることになる。
春江の案内で連れてこられたのは、南面一杯に作られた縁側の先。広大な庭園が望める見晴らしの良い木陰に、真っ黒な犬がつながれていた。
彼らの存在に気付いたクロは、突然激しく吠え出す。
「ひ、ひぃぃ」
「ちょ、ちょっと九十九さんどうしたの?」
顔面蒼白の九十九が、彩香の後ろに隠れながら狼狽した声をあげる。
「い、犬だけはダ、ダメさね……吠えられるのは特に……ち、ちょっと、等著!? 別叫! 止往!」
さらに激しく吠えかけられた九十九は、途中から完全に中国語になってしまっている。その様子を見た彩香が、苦笑しながら言う。
「そんなに苦手なら、無理せず言ってくれたらよかったのに。あたしは大丈夫だから、後ろにいたらいいよ」
頼もしいボディガードの言葉に、九十九は少し落ち着きを取り戻す。刻がクロに近づきながら、声をかける。
「なあ、俺はばあちゃんと仲良しだで、こっちきい」
しかしクロはなかなか警戒を解こうとしない。近づこうとした刻に、再び吠えかかる。
「だめか。じゃあ、これでどうだ」
刻は好物と聞いたトマトを手に接触を試みるが、クロはトマトには見向きもせず吠え続けている。仕方なく今度は少し怒ってみるものの、クロはそれくらいで怯む性格では無かったらしい。むしろさらに敵対心を露わにして吠えかかってきた。
これは近づくのは難しいか……と誰もが思ったとき。
「奥の手を使うしかなさそうね」
蒼い炎のごときオーラを纏った司が、鋭い目でクロを見つめている。
「ま、まさか新井さん、アウルの力で攻撃するつもりじゃ……」
驚いて制止しようとするアートルムに構わず、司はクロの前まで歩み寄る。吠えかかるクロに向かって、彼女は素早く懐から何かを取り出した。
「そ、それは……!」
手にしていたのは真っ赤なトマトだった。目が点になったメンバーには構わず、司は淡々と口を開く。
「いい? これはただのトマトじゃないの。ほら、トマトが好きなキミならわかるでしょ? このトマトが持つ激しいポテンシャルが……」
クロと司の視線が交差する。彼女はクロにトマトを見せつけ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そう。これは農家から直接仕入れた糖度の高いフルーツトマト。一度食べればどんなトマト嫌いでもたちまちトマトが好きになると言う一品なの。さらに……」
クロへと向かって次々と語られる、トマトへの敬意。それはまるで同志に語りかけるかのような熱さがあった。
一瞬の沈黙の後。
「くぅーん」
突然、クロが甘えた声を出した。司が持っているトマトに、熱いまなざしを送っている。
「ありがとう。キミならわかってくれると信じていたわ」
司がトマトを差し出しながら、うなずく。
「す、すんげえなそのトマトの力……」
すっかり大人しくなったクロを見て、刻が驚く。ちなみに彼女の動物交渉スキルのおかげなのか、究極のトマトのおかげなのかは定かではない。
トマトを食べるクロの首輪を調べた司は、首輪の裏に紙か縫いつけてあるのに気がついた。
「これは……バーコードのようね」
紙を開くとそこにはロッカー番号と共にバーコードが記されてあった。それを見た皓一郎がほう、と言った顔になる。
「どうやらこれがロッカーの鍵ってことみてぇだな。ってことは電子ロックってことになんな」
「うーん、そうなるとうちの解錠スキルは使えないさね。この分だとミーの首輪にも同じことが考えられるから、捕まえるしか方法はなさそうだねぃ」
結局ミーは夕方まで見つからなかった。ようやく帰ってきたのは暗くなり始めた18時前。春江に協力をしてもらい何とかミーを捕まえることに成功したメンバーは、脅かさないように気をつけながら首輪を調べるとやはりバーコードが縫いつけられていた。彩香が眉をひそめる。
「結構時間食っちゃったね……とにかく、駅に急ごうか」
六人は二手に分かれて駅に向かうことになっていた。そこで皓一郎がおもむろに切り出す。
「岡山と広島に行く経路なんだがよ……」
皓一郎がいつの間にか手にしていた路線図と時刻表片手に、説明を始める。口には出さないものの、どうやら経路検索が好きなのだろう。提示された経路は、実に綿密に検討されたものであった。これなら予想より早く着くことが出来そうだ。
メンバーは尾行の可能性を考えぎりぎりの時刻でホームに入ると言う手はずで、駅へと向かった。
●岡山組:九十九、彩香、皓一郎
倉敷から近い為、先に岡山駅に着いた三人は、コインロッカーを目指していた。駅構内地図を手にした皓一郎が言う。
「コインロッカーのある場所は、全部で三カ所あるみてぇでよ。肝心の26番がどこにあるかまではわからねぇから、一つ一つ当たっていくぜ」
皓一郎のナビにより、メンバーはロッカーまで最短の道のりを進む。
一カ所目のロッカーには、目指す番号は見あたらない。二箇所目も同じだった。となると、残るは最後のロッカー。
「あったよ、26番!」
彩香の指さす先は、26番という数字が記されたロッカー。ここに間違いない。
九十九が解錠にかかろうとした時だった。
「そこまでだ」
かけられた声に振り向くと、そこには見知らぬ男の姿。
「……あんた、誰さね?」
九十九の質問を無視して、男は忌々しそうに口を開く。
「ったく……ようやく暗号が解けたと思ったら、先を越そうとしてる奴がいたとはな。その鍵、こっちへ渡せ」
「嫌だと言ったら?」
赤みがかった金色のオーラを纏った彩香が、九十九の前に立ちふさがる。それを見た男がにやりと笑みを浮かべると同時、彼の身体をオーラが纏い始める。
「力ずくだ!」
次の瞬間、男は九十九に向かって突進してきた。その攻撃を、彩香がバックラーで受け止める。
「させないよ!」
「くっ……」
男は一瞬ひるんだように見えたが、直後素早い動きで九十九の懐に入り込むと彼を突き飛ばした。慌てて彩香が駆け寄る。
「九十九さん、大丈夫?」
「問題無いさね。これくらい」
そう言いながら、九十九は立ち上がる。しかし胸元に視線を移した途端、青ざめた顔になる。
「しまった……鍵を、取られた!」
見ると男の手にはしっかりと鈍色の鍵が握られていた。最初から、これだけを狙っていたのだろう。
「これさえ手に入れば、もう用は無い!」
「待て!」
皓一郎が後を追おうとするが、男は瞬時に人混みに紛れてしまう。男が去った方向をぼんやりと見ながら、彼は口の端を上げる。
「……作戦成功、ってとこかね」
九十九と彩香もしてやったりと言う笑みで、うなずいた。
「まさかあんな罠で引っかかってくれるとはねぃ。敵さんもだいぶ焦っていたようさね」
「ちゃんと電子ロックって気付いていれば、騙されずに済んだのにね」
男が持ち去ったのは、九十九があらかじめ用意して置いたダミーの鍵だった。わざと見えやすいように首にかけておき、隙を作ったのである。
「さて。邪魔者はいなくなったことだし、さっさと鍵を開けるとするかねぃ」
そう言って九十九は三つ編みの中に隠していた本物の鍵を使い、電子ロックを解錠する。
ロッカーの中には、茶封筒に入れられた紙束が入っていた。中身を確認した九十九が言う。
「どうやら諸々の権利書や本物の遺言書が入ってるみたいだねぃ」
「後はこれを奪われずに持って帰れば依頼終了だね」
彩香の言葉に、皓一郎は微かに首を傾げる。
「ってぇと……広島のロッカーには、何が入ってんのかね」
●広島組:司、アートルム、刻
その頃、広島組の三人も広島駅へと到着していた。
「駅弁……なかなか、美味しかったわね。特にトマトが」
司の感想に、刻がうなずく。
「焦っても仕方ねぇだで、買っどいてよかった」
広島組は倉敷から遠い。その為メンバーの中に生じ始めていた焦りの色を、刻が新幹線の中で振る舞った駅弁で和らげていた。
「では、ロッカーまで向かいましょう」
アートルムは周囲を警戒しながら、続ける。
「尾行者の確認をするためにも、私は後方から遅れて続きます」
打ち合わせ通り、司と刻が先にロッカーへと向い、遙か後方からアートルムが後を追う。三人は54番ロッカーを目指して、駅内を移動した。
「あったわ、54番」
司が目的のロッカーを発見したがすぐには開けず、警戒役のアートルムが合流するまで待機する。しばらく待っていると、息を切らせたアートルムがやってきた。
「すみません、遅くなりました」
「じゃあ、開けるわよ」
持っていた鍵で解錠した司は、ロッカーの中身を慎重に取り出す。
入っていたのは四角い小さな箱と、封筒だった。念のために、封筒の中身を確認する。
「これは……」
封筒には一枚の紙が入れられていた。そこに書かれていた内容に皆、息を呑む。
「……何だか、色々なことが分かった気がするわ」
司の言葉に、刻とアートルムもうなずく。
「とりあえず、戻りましょうか」
三人は岡山組に連絡を入れ、倉敷へと帰路に着くことになる。
そこでふと、刻が疑問を口にした。
「そう言やぁ……岡山組から聞いていた妨害者はどうなったんだべ」
彼の疑問には、アートルムが微かに頬を緩めて答えた。
「ああ。怪しい人物を見かけたので、騒ぎになる前に対処(始末的な意味で)しておきました」
●真の遺言
依頼人の祖父宅では、既に先に着いていた岡山組の三人と共に、春江が迎えてくれた。
「依頼は無事、成功したのね?」
「ああ。これ、土産だ」
「あら、ありがとう」
刻から土産を受け取った春江は、嬉しそうにしている。その様子を見ながら、刻は切り出した。
「……ばぁあさん。あんた、本当は暗号の答え知ってたんだべ?」
その言葉に春江は驚いたように撃退士たちを見つめた後、沈黙する。司が手にしていたロッカーの中身を差し出した。
「岡山駅のロッカーに入っていたものは、私たちが責任を持って依頼人に渡します。けれどこれは、貴女にお渡しします」
「え……私に?」
驚いた春江は、戸惑った表情を見せる。アートルムが、封筒の中身を取り出して渡す。
「理由は、これです」
春江は書かれている内容をまじまじと見つめている。同じく遺言を見た皓一郎が、にやりと笑みを浮かべた。
「なるほど、これが真の遺言ってことか。面白ぇ旦那じゃねぇか」
その言葉に、春江は恥ずかしそうに微笑んだ。
「いやだわ……これで、ばれちゃったのね」
春江の話によれば、彼女は夫が作った暗号をよく解読していたのだそうだ。それが夫婦のコミュニケーションだったと言う。
「だから私は暗号を見た瞬間に、答えがわかっていたの。でもせっかく夫が残した、最後の暗号なんだもの。誰かに解いてもらいたかったのよ」
しかしそれが思わぬ争いを生んでしまうことになる。
アートルムが捕まえた男も、依頼人の親戚であることがわかった。春江は親戚同士で争うことに、ひどく胸を痛めていたらしい。
「主人はただ、楽しんでほしかっただけなんだと思うの……それがこんなことになるなんて」
「でもこれを見れば、皆きっとわかってくれるんじゃないかな」
「争うなんて野暮だってことがねぃ」
彩香と九十九の言葉に、春江はゆっくりとうなずく。
「解いてくれたのが、あなたたちでよかった」
穏やかに微笑んだ彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
『はるえへこれがわたしのゆいごんだ』
第一の鍵
れ ゆ る た
い は が の
わ ご こ え
へ ん し だ
第二の鍵
ぼ な い つ
つ ら く に
の て も せ
で く ま れ
真の遺言は、無事に届けられた。
余談だが、小さな箱の中身を確認しようとしたメンバーはいなかったと言う。