ちろり、ちろりとゆらめく炎。
物言わぬ蝶は、燃ゆる鱗粉を空へ溶かし込むように舞う。
見つけてはいけないよ。
見つけられてもいけないよ。
もしも瞳に捕まったその時は――
●黒の潜刀
「バルシーク? あのオッサンのお仲間ってヤツか」
西橋旅人(jz0129)から受けた説明に、小田切ルビィ(
ja0841)は反応を示した。
以前徳島で刃を交えた白獅子のような男。名は確かゴライアスと言ったか。
「実力的にはあの天使と同等と言われているね。強力な相手だ」
「――なら尚更、一発カマしに行かねえとな…!」
ルビィが不敵に笑む一方で当依頼紅一点のフレイヤ(
ja0715)もとい田中良子は、周囲の顔ぶれに頬を染めていた。
(この依頼イケメンしかいない…つまり!)
\私のときめきがメモリアル!/
「…なんて、緊張を紛らわせないと足が震えちゃいそうよ」
どっちが本音か謎ではあるが、真実この依頼が抱える重圧には誰もが薄々気付いていた。
恐らく一度きりかつ、失敗すれば後が無い。そこまで戦線が追い詰められていることを嫌でも実感させられる空気。
しかしここで赤坂白秋(
ja7030)のあっけらかんとした声が響いた。
「つまりは、あれだ。要するにこれはチャンスってことだろ」
ラジコンヘリを手にした彼は、これから遊びにでも行かんばかりの奔放さで笑う。
「メリーゼルを撤退させつつ、おびき寄せたバルシークに大打撃を与えられる千載一遇のチャンスってわけだぜ!」
「確かに…赤坂さんの言うとおりかもしれませんね」
黒羽 拓海(
jb7256)がゆっくりと頷く。常に冷静に見えて内では闘志を燃やすタイプの彼は、今回の潜行作戦が実は余り性に合うものでは無かった。
「こういう暗殺じみた真似は個人的には苦手なのですが…今はそれが必要な時」
今も敵を食い止めてくれている『戦友』の為にも。
拓海の友人である月野 現(
jb7023)も、同調して見せ。
「ああ。困難な依頼だが、どんなに厳しくても必ず成功させよう」
それが、自分たちに与えられた任務であり、希望であるのだから。
「――じゃあ準備も整ったことだし、行きますかね」
気安い調子で声をかけるのは、加倉 一臣(
ja5823)。皆の緊張を紛らわせるため、敢えて深刻な物言いはしない。
ただ友人である旅人と目でうなずき合い、視線を馳せる。
「あいつらも待ってることだし、な」
その目は、既に大天使と交戦中の友人達を見ていた。
※※
「とりあえず、気休めかもしれねえがこれを被っていこうぜ」
メンバーはルビィが準備してきた都市迷彩布を羽織る。フレイヤがそっと匂いをかぎ。
「…イケメンの匂いくんかくんか」
あ、はい。緊張を紛らわせるためです、はい。
現が転移装置から注意深く周囲を見渡し、皆に告げる。
「とにかく、俺達が出す影や音にも注意していこう」
陽の向きを確認し、影の位置を確認する。攻撃も極力音や光を出さない方法で。
屋上に降り立ったメンバーは即座に移動し、中央研究棟の中に入る。
目標は西研究棟北側にある駐車場B地点。迎撃班から挟撃地点をそこにすると連絡が来ていた。
中央棟内は本陣として機能しているため、阻霊符も常時発動状態。第一波で負傷した撃退士や研究所員の多くが避難してきていることもあり混雑していた。
彼らの合間を抜け、西棟までの連絡通路を走り抜けたところで立ち止まる。白秋が仕切り扉の隙間から視線を走らせ。
「とりあえず第一関門、ってとこだな」
渡り廊下の先に見えるのは、ガラス張りになった一角。周囲から丸見えのテラス部分は、ここからでも外にいる炎の蝶が視認出来る。
「ここはある意味外よりやっかいだね…」
一臣の言葉に拓海も頷く。
「ええ。万が一見つかった時に、ガラスを破壊して攻撃するわけにもいきませんからね」
見た所テラス部分に大きな開閉窓は無く、蝶を攻撃するには一旦外に出るしか無い。
つまりは、姿を見られた時点でかなりのリスクを負うと言う事。拓海は息を殺すように気配を消し。
「隙を見て全力で走り抜けましょう」
遮蔽物から遮蔽物へ。メンバーは姿勢を低くし全速力で駆け抜ける。
(あっ…!)
テラスを抜けきった所で蝶が目前を通過する。見つかった、と思うより早くルビィがワイヤーを飛ばし絡め取り。
全員の間に一瞬緊張が走るが、何かが起こる気配は無い。
(…何とか大丈夫だったみたいだな)
現が曲がり角で生命探知を使用しつつ、手鏡で確認する。示されたハンドサインは『敵、複数あり』。白秋も索敵をしながら内心で呟き。
(…どうやらこの先は、阻霊符が届いて無い場所もあるみてえだな)
建物内に侵入した蝶が至るところで見られる。どうやら遭遇せずに辿り着くのは難しそうだ。
(ここは私の出番なのだわ!)
フレイヤが「おれに」「まかせろ」っぽいサインを出し、曲がり角に張り付く。生み出すのは眠りへと誘う魔法の霧。
範囲内の蝶が全て眠りに落ちたことを確認し、一臣がサムズアップ。
(ナイス、よしこちゃん!)
おい今確実によしこって言ったでしょ、心の中で!
フレイヤがぷんすかする横で、一臣はスリープミストの範囲から漏れた蝶へ素早く金属糸を飛ばす。更にその射程外の蝶へは拓海が弓から矢を放ち、目に見える範囲は全て排除。
メンバーは長い廊下を一気に駆け抜けた。
●
西研究棟の北端に辿りた時、撃退士達は霊査精密研究室で人影を見る。
どうやら別任務に関係することらしく、やむを得ず残っているらしい。一般の研究員もいるようだが旅人の『気に留めるな』と言う指示を受け、メンバーはそのまま目的地を目指す。
駐車場Bに近い扉から外を覗くと、轟音と共に閃光が明滅した。
――近い。
見なくても分かるほどに、重圧が押し寄せてくる。
ここからは、少しでも目立つ行動をすればバルシークに気付かれかねない。しかし現の生命探知の結果を聞き、白秋は唸る。
――やっかい極まりねえな。
相変わらず蝶は至るところで飛行している。見つかった場合どれくらいの速度で天使に伝わるのかわからないが、挟撃前に見つかるのだけは何としても避けたい。
(一か八か…やってみるしかねえか)
白秋はバルシークから死角になる一帯で、ラジコンヘリを飛ばす。気付かれやしないかと冷や冷やしたが、距離があるのと迎撃班が引きつけていることもあり、天使が気付く素振りは無い。
そのまま近くにいた蝶の意識を向けさせ、集まったところをフレイヤがスリープミストで眠らせる。漏れた分はルビィ、現、拓海がワイヤーで撃破し、周囲の蝶を排除することに成功。
その間一臣と旅人は物陰からバルシークとサーバントの動きに細心の注意を払う。
顔を見合わせた二人は、うなずき合い。
――行ける。
今なら周囲に蝶もおらず、バルシークもこちらに背を向けている。
行動するなら、今だ。
旅人達の合図を受け、全員の顔に今まで以上の緊張が宿る。
駐車場に停められた車の影に隠れつつ、じりじりと移動を開始。移動中バルシークに一度でも姿を見られれば、この作戦は失敗。音を立てず、全ての神経を研ぎ澄ませてタイミングを見計らう。
全員の射程が、バルシークの背を捉える。
一臣が迎撃班に合図を送る。
――今から、行く。
攻撃サインと共に撃退士たちは地を蹴る。
向かう矛先は大天使の背。放つ一手は逆転の刃。
しかし潜刀が穿たれようとした刹那、目前を複数の影が横切る。
それが何かを認識するより早く――
閃光が、彼らを飲み込んだ。
※※
「がはっ……」
身体を貫通した稲妻に、拓海の意識が刈り取られる。同じく直撃した旅人もあまりの苦痛に言葉が発せない様子で。
愕然となるメンバーに届くのは、落ち着きを保った低い声音。
「お前達の動きは悪くなかった、とだけ言っておこう」
肩から血を流すバルシークが、自分たちを見つめていた。その手前に見えるのは、動揺を隠せず蒼白になった迎撃班の姿。
(どうなってやがる……!)
一斉攻撃を仕掛けた直後、白秋の目には信じられない光景が映っていた。
目の前に現れたのは、同じ撃退士の姿。
まずい、と思った時には遅かった。
振り返った大天使と目が合ったと同時、掲げられたロングソードの切っ先が僅かに動く。
その瞬間、全員の攻撃が届くより早く稲妻が降り注いだのだ。
――失敗した。
全員の顔に焦りの色が滲む。
多少のダメージは与えたものの、想定していた結果とはほど遠い。
直前までの動きは完璧だったはずだ。なぜこんなことにと考える暇も無く。
「とにかく散会しろ! このままじゃ一網打尽になっちまうぞ!」
ルビィの怒号に我に返ったように動き始める。目立たせないために、比較的纏まっていた彼らにとって反撃の一手は痛手と言うほかしかなく。
敵の狙いは恐らく、自分たちの背後に控える霊査室。
挟撃が失敗した今、狙われるのは――明らかにこちら。
「負傷者、下がって!」
雷花をすんでの所で免れていた現が、盾を手に前へと走る。
スタン状態の拓海にヒールをかけ、その背に庇い。
「ここから先へは行かせない…」
目前の圧倒的脅威に全身がすくみそうになる。けれど死力を尽くしてでも仲間を守る。その強い意志だけが彼の精神を支えている。
その隙に銃を手にした一臣が、車体の影から牽制射撃を放つ。
(くそ…これ以上間合いを詰められたら射程が思うように取れないな)
背後の霊査室の中には残っている人間もいる。ここを盾にするわけにはいかない。
同じく後方で構える白秋が、淡々と。
「どうやら長引けば長引くほど、こっちが不利なのは明らかだ」
自分たちが受けた損害に対して、大天使には明らかに余裕がありそうで。
「じゃあどうする?って。――答えは一つだろう」
蒼の双銃が、彼の手中で燃え上がる。
「最後まで喰い千切ってみせるだけだ!」
白秋が放つ猛射撃に続き、ルビィが黒刀から銀羊を巻き込み衝撃波を放つ。
「“ Le Coup du berger”――羊飼いの一撃…ってなッ!!」
相手の存在が圧倒的なのは百も承知。それでも向かうしか無いのならば躊躇はしない。
続くフレイヤが魔女の箒を握りしめきっとバルシークをにらみ据える。
「私にだって、黄昏の魔女としての意地があるのだわ」
本当は怖くて足が震えそう。けれどここで逃げたら田中良子の名が廃る。
「イケメンを守ってこそ真の女神! バルシークさん覚悟よ!」
生み出す太った黒猫の幻影が、勢いよく突進していく。
彼らの猛攻は凄まじかった。
全員の意志がぶれることはない。穿たれる脅威にひるむことなく、向かって行く。
「強い…だがこちらも引き下がるわけにはいかない!」
激痛に耐えながら、拓海が刀を構え一心不乱に踏み込んでいく。
諦めたくない。喪いたくない。
それだけを胸にただひたすらに刃を振るう。
不規則な斬撃が大天使を捉え一瞬動きを鈍くさせたところを、一臣のダークショットや旅人の一閃が襲う。
与えたダメージは決して小さくない。けれど、大天使の意志も揺るぎないほどに強く固く。
「――っ!」
躊躇い無き剣閃が拓海の胴部へと打ち込まれる。身体を貫く衝撃に意識が遠のき、直後の連続攻撃で白秋が沈む。
迎撃班が次々に血の海に沈む中、奇襲班も既に限界が来ていた。
凄まじい落雷音。
稲妻を伴った一閃に、前方にいたメンバーが巻き込まれる。
前衛を薙ぎ払った一瞬の隙を突き、バルシークは包囲網を突破する。
正方形の建物を射程圏内に収めたとき、身につけた外套を脱ぎ捨てる。
蒼の剣閃が宙を舞う。
咄嗟にルビィと現が間に割り込むが、その勢いは止まらない。
「撃退士よ、よく覚えておくがいい」
振り抜く刃は、迷い無き渾身の決定打。
「これが、敗北するということだ」
崩壊の雷撃が、全てを粉々に打ち砕いた。
●
飛び散るガラス破片と、半壊した霊査室の壁。
血まみれで倒れるルビィと現の向こうでは、止まない悲鳴と飛び散った血糊が冗談かのように撃退士達の脳裏に焼き付いていく。
茫然自失で身体を震わせるフレイヤを支えながら、一臣が絞り出すように。
「…やられたな……」
まともに意識があるのは、既に数えるほど。後は全て血の海の中、瀕死の状態に陥っている。
二人も既に生命力が尽きかけている。けれど受けた傷の痛みより、突き付けられた現実の痛みの方が遥かに上で。
――撤退か、続行か。
判断を迫られる一臣の前で、ゆらりと立ち上がる影。
「ふ…ざけんな…俺は絶対諦めねえぞ…!」
血だまりの中から、一人また一人と阿修羅数名が起き上がる。
「…やられっぱなしで逃げるのは趣味じゃ無いんでな」
血反吐を吐き、全身血に染まった姿でバルシークの前に立つ姿を見て、一臣が叫ぶ。
「やめろ、お前ら!」
しかし彼らに躊躇するきらいは無い。同じく死活状態の旅人も向かいに立つ友とうなずき合い。
「死にたいのか」
バルシークの静かな問いかけに、阿修羅三人はただ笑みで返す。
その瞳に宿るのは、限界を超えた修羅の炎。
「心配すんな。俺らは死なねえよ」
「二人は負傷者の救助を頼むね」
かけられた声に、フレイヤが瞳に涙を一杯に浮かべながら叫ぶ。
「な…何を言うのだわ! 私も最後まで戦うに決まってるでしょ!」
しかしここで一臣が苦渋の表情で。
「……わかった」
それだけ言うと、フレイヤを連れ瓦礫に埋まった負傷者の元へと向かう。
目前に立つ蒼の天使と、周囲に張り付く三人の阿修羅。
魂を削り痛覚全てをシャットアウトした姿は、狂気じみた修羅そのもので。
絶対に仲間は死なせない、そのためになら――
僕らは、鬼にだってなれる。
そこからは、文字通りの血戦。
阿修羅達の猛攻を受ける天使はどこか感慨深げでさえあって。流れる血もそのままに、白銀の剣を大きく掲げる。
つんざくようなスパーク音が大気を切り裂く。
閃光が視界を覆う中、覚悟した旅人の背に届いたのは微かな射撃音。
「死なせるかよ馬鹿野郎!」
一臣と白秋だった。
いつの間にか戻っていた一臣が渾身の回避射撃で、雷撃の軌道を逸らす。起死回生を使用していた白秋がコートの下から銃を動かし。
「まだ食らいついてるぜ、獣の顎は……ッ!」
撃ち放ったダークショットが大天使の右腕に直撃する。
「くっ……!」
カウンター放電が炸裂し、バルシークの体制が僅かに崩れた時――
終焉を告げる『声』が上空から降ってきた。
●夢が跡
旅人が病室で目を覚ました時、既に研究所襲撃から三日が経っていた。
受けた報告によれば、バルシークは突然の『帰還命令』により研究所から撤退。これにより、天界軍の研究所襲撃は一応の終わりを見せたのである。
メンバーが命懸けで時間を稼いだこと、ルビィと現が霊査室を庇ったことで全壊が免れたこと、懸命な救出活動を行ったことで、雫は奪われず人的被害も最小限に留められたと言えるだろう。
しかしそれでも助けられなかった研究員が存在したことも事実で。
病室で報告を受けた彼は、頷くだけで何も言うことは無かった。
ただシーツを握りしめる手が、白く冷え切っていた。