「くそっ……血が止まらない……!」
額から流れ落ちる汗をぬぐいながら、男は歯がみをする。
目の前に横たわる旧友は、体中に巻かれた包帯から血を滲ませ続けている。顔は既に血の気が無く、色を失った唇を微かに動かすのみである。
……ごりごりごり……
そうしている間も、校舎をかじる不気味な音は続いている。
全員の顔に、焦燥の色が浮かぶ。彼らが居るのは一階の保健室。入口からは近いため、あの鼠が侵入してこればすぐに見つかってしまうだろう。
男はぎりっと歯を食いしばると、皆を見据える。
「……大丈夫だ、すぐに撃退士が来てくれる。それまで諦めるな……!」
●校舎裏の森
「わぁ、居る居るおっきいネズミ……」
森の中から校舎を観察しながら、セーラー服に身を包んだ犬乃 さんぽ(
ja1272)はつぶやく。金髪ポニーテールに蒼い瞳をした彼は、見た目はまるで少女のようだ。
「大丈夫……すぐに助けに行くよ。みんなの命は、絶対ボク達が護るから」
携帯を手に、さんぽは力強く宣言する。純粋で正義感の強い彼の意志は、固い。
一方、校舎をかじり続ける鼠を見て、紅蓮のオーラを纏った月居 愁也(
ja6837)が低く声を出す。
「思い出も、人も。勝手に気ままに天魔が荒らして良いモンじゃねえよ」
彼の赤みがかった瞳には、怒りの色が宿っている。本当は今すぐにでもぶっ飛ばしたい所なのだが、相手の能力がわからない以上、油断は禁物だ。
愁也はぐっとこらえ、その怒りを闘気へと変える。彼を取りまく炎が、強く激しいものへと変わる。
「数が多いみたいだけど……何とかなるかな……」
柊 夜鈴(
ja1014)が眼鏡を外しながら呟いた。右目に黒炎を宿す彼は、表情一つ変えることなく闘気を解き放つ。するとみるみるうちに黒炎が全身を包み込み、代わりに右目の炎が消える。
彼の身から立ち上る昇気が、格段と威圧を増した。
「いいね、よすずん。気合い十分だな」
「月居さんもね」
そう言って夜鈴は頬を緩める。阿修羅二人は、既に臨戦態勢だ。
「よしっ。中の人と連絡が取れたよ。怪我をした人は何とか持ちこたえてるみたい」
通話を終えたさんぽが、メンバーを振り返る。
「じゃあ、ボク先に行ってるね。潜入作戦はニンジャにお任せ!」
そう言うが早いか、遁行の術を発動させ森の中をすべるように走り抜ける。ディアボロが群がる中、たった一人で校舎への潜入を果たす。その危険な任務を、彼は自ら買って出ていた。
●戦闘、開始
激しい爆音と共に、数匹のディアボロが吹っ飛ばされる。校舎の入口付近の集団に、櫟 諏訪(
ja1215)が先陣切ってナパームショットを打ち込んだのだ。
「とりあえず、一気に行きますよー!」
沸き立つような緑のオーラを纏った彼は、勢いよく宣言をする。もちろん、校舎は傷つけないように位置は調整済みである。
「思った通り、敵の生命力はそんなに高くないようですよー? だから群れてるんですかねー?」
弧を描くあほ毛を揺らしながら、諏訪は分析を口にする。おっとりしているように見えて、観察眼は鋭いようだ。
「ふむ、数だけは随分だな。然し所詮は鼠――と侮る訳ではないが、鼠如きに手も焼いておれぬ」
黒霧状の炎を纏ったアレクシア・エンフィールド(
ja3291)が、超然とした物言いで鋼糸を構える。彼女の手から放たれた無数のアウルが、窓から侵入を試みる鼠を捕らえる。
黒く長い髪が、ゆらりと残像を残した。
「故に貴様等――早々と散るが良い」
……ちちちち……ちちちち……
撃退士の存在に気付いた鼠たちは、一斉に彼らの方を振り向く。
黄ばんだ歯をきしきしと鳴らし、用心深そうにこちらを伺っているようだ。
だん、と言う衝撃音と共にアイスブルーの髪がなびく。
放たれた鋭い一撃が、範囲攻撃から漏れた一匹を吹き飛ばした。
「廃校になったとは言え、元は学び舎だろう? 多くの思い出を子供達に与えた場所が消えて無くなるのは見たくないな」
水晶のように涼やかな瞳を細め、スナイパーライフルを構えるのは、アニエス・ブランネージュ(
ja8264)。教師を志す彼女にとって、学舎が天魔によって侵されると言うのはどうしても許し難いことだった。
「敵は既にこちらの動きを、警戒し初めているようだね。散られる前にもう少し数を減らしたいところだが……」
そう言って思案するアニエスの耳に、はつらつとした響きが入ってくる。
「思い出の場所で辛い思いなんてしたくないよね!!」
声の主は、藤咲千尋(
ja8564)だった。淡いオレンジ色のオーラを纏った彼女は、その色が示すとおり元気いっぱいだ。
眼鏡を装着した彼女は、鼠へ向けて矢を射る。ところが放たれた矢は、素早い動きで回避されてしまう。
「くっ……かなり速いっ……!」
どうやら警戒したディアボロの回避力は、格段に高まるようだ。生命力が低いが故の、対抗措置なのだろう。
鼠たちは耳障りな鳴き声を発しながら、無機質な視線を撃退士たちに向け続けている。
そう、それはまるでこちらを値踏みするかのような――
「――来るぞ」
アレクシアがそう呟いた直後、鼠たちが一斉移動を始めた。
向かう先には千尋の姿。一番戦力の低い彼女に狙いを定めたのは、明らかだった。
しかし千尋に向かって攻め込む鼠たちの頭上に、今度は炎の球が現れる。火球はみるみるうちに大きくなり、やがて激しい破裂音と共に炸裂し、周囲を焼き尽くす。その様は、大輪の炎花が花開くかのごとくだ。
「これ以上好き勝手はさせません!」
魔法書を手にそう叫ぶのは、小柄な少女紅葉 公(
ja2931)。ディアボロが油断したところを見計らって、ファイヤーブレイクを発動させたのである。
「まだまだ先は遠いけど……私だって、誰かを護りたい」
そう言いながら、きっと鼠たちを睨み付ける。普段は穏やかな彼女だが、内なる決意は深い。
公は諏訪の方を振り向くと、叫ぶ。
「櫟さんは校舎内へ入って重傷者の元へ向かってください! ここは私たちが食い止めます」
「わかりましたー! みなさん、ここはお願いしますねー?」
諏訪は銃でディアボロをけん制しながら、素早く校舎内へと移動する。
この時点で、残りディアボロ数36匹。まだまだ数は多い。
●校舎内
「何とか潜入するのに成功したよ……」
壁走りで校舎の上階から潜入を果たしたさんぽは、大急ぎで要救助者の元へと向かっていた。念のために阻霊符の発動は忘れない。
行き着いた先に居たのは、五人の男達。内一人は、血まみれの状態で寝かされている。
「助けに来たよ。もう、大丈夫だからね!」
さんぽは大急ぎで重傷者に走り寄ると、救急箱と布を駆使して止血を試みる。しかし、思うようになかなか血が止まらない。
「どうして……? やり方は間違っていないはずなのに」
「俺も散々やってみたんだけど、どうしても血が止まらないんだ……」
男の説明を受けたさんぽは、この不可解な状況に気付き始めていた。
しかしここで被害者を不安にさせるわけにはいかない。さんぽは既に意識を失いつつある被害者に、声をかけ続ける。
「今はこれが精一杯だけど、もう少しの辛抱だから……頑張って」
●校舎前
「っつう……」
脇腹に走る痛みを、愁也は何とか耐える。鼠の歯がかすった箇所からは、既に血が流れ始めていた。
「愁也さん、大丈夫ですか!!」
千尋が悲痛な叫びをあげる。自分をかばって愁也が攻撃を受けたのだ。
「大丈夫、大丈夫。こんなのかすり傷だから」
そう言って笑う愁也を見て、千尋は唇を噛みしめる。自分を庇いさえしなければ、彼が攻撃を受けることもなかっただろう。それだけの能力を、持っているはずだからだ。
しかし千尋に狙いを定めたディボロの攻撃は、容赦なく続く。そこを狙って夜鈴や公が攻撃をしけるもいかんせん数が多い。撃破し終える前に攻撃を受けるのは避けられなかった。
「これでもまとめて食らっとけ!」
愁也の拳から、激しいポテンシャルを持った一撃が地面に叩き込まれる。その衝撃波が一直線にディアボロへと向かい、次々と消し去る。
「黙ってやられるほど、俺はお人好しじゃねえんだよ」
しかし、そこで愁也は軽い目眩を覚える。
「もしかして……月居さん。血が、止まらないんじゃ」
愁也の様子を見た夜鈴が、眉をひそめて言う。愁也は肩をすくめると、苦笑する。
「鋭いね、よすずん。毒には気を付けていたんだけどな。どうやら奴らに噛まれると、血が止まらなくなるらしい」
その直後、激しい業火がディアボロの身体を燃え上がらせる。火遁を発動させたアレクシアが、有無を言わさず言い切る。
「そうと分かれば、もはや悠長なことは言っていられまい。急ぎ、撃破するぞ」
「どうやら奴らは数で押して来る気のようだね。それならこちらも、好都合。まとめて散ってもらおうじゃないか」
アニエスが集団からはぐれた一匹をしとめる。
「ボクは集団が散らないようにけん制させてもらうよ」
彼女のけん制射撃により、鼠たちは散会する様子も無く、一斉に移動を続ける。
その隙を狙って、皆の攻撃が続く。
この時点で残りディアボロ数約20匹。ようやく、半数以下である。
●一方、校舎内
「助けに来ましたよー! 怪我の治療をしますねー!」
要救助者の元へと辿り着いた諏訪は、早速治療へとあたる。応急手当のおかげで怪我人の体力はやや回復したものの、予断は許さない状況だ。
「どうやら血が凝固しない成分が、あの鼠の唾液に含まれてるって感じですねー。これは急いで病院へ連れて行くしかなさそうですよー?」
「やっぱり……何かおかしいと思ったんだ」
諏訪の言葉に、さんぽはうなずく。
「病院に連れて行くためにも、ボクは下にいるみんなに加勢してくる。櫟先輩は、ここでこの人達を護ってあげて!」
「任せてくださいよー!」
出ていこうとするさんぽを、五人のうちの一人が呼び止める。
「ありがとう……あんたが励まし続けてくれなかったら、こいつはもう駄目だったかもしれない」
さんぽは彼らに向かって、にっこりと微笑む。
「この校舎、思い出もたくさんあるんだよね。良かったら後で、色々聞かせてね」
●激戦の校舎前
その頃夜鈴は、群れる鼠たちの様子をじっと観察していた。
「この統率された動き……もしかして、中心となる奴がいるんじゃないのかな」
彼の視線が、群れの中央にいる一匹を捉えていた。その鼠は周りの鼠よりも大きさが小さいものの、何か、違うものを感じたのである。
「いちかばちか……試してみるか」
夜鈴は敵陣の中につっこんでいくと、激しい黒炎を纏った刀を振り抜く。その鋭い一閃が、ディアボロの首をあっさりと飛ばした。
「柊さん、危ないです!」
敵に囲まれた夜鈴を、公が援護する。しかしさすがに数が多い。夜鈴はディアボロの攻撃をもろにくらってしまう。
「あーあ……やっちゃった」
肩に受けた傷から、血が流れ落ちてくる。恐らく夜鈴の血も、このまま流れ続けるのだろう。
しかし、その直後。
あれだけ統制の取れていたディアボロ達が、急に動きを乱し始めたのである。
「ディアボロたちの動きが……鈍ってる!!」
クイックショトを命中させた千尋が、驚いた声をあげる。千尋に狙いを定めていた鼠たちは、急にそわそわと周囲を伺い始めていた。その様子はまるで何かを探しているようだ。
「この好機を見逃す我ではない」
刀を手にしたアレクシアが、暴風の如き高速の一撃を放つ。斬撃を受けた鼠は、なすすべもなく倒れ伏す。
「ふむ――どうやら回避能力も落ちているようだ。一気にたたみかけるなら、今だな」
アニエスも確実に一匹ずつしとめながら、言う。
「しかし皆の範囲スキルの残りもそう多くはないからね……前衛の二人が倒れる前に、終わらせられるかが勝負かな」
この時点で残りディアボロ15匹。阿修羅二人の血は、流れ続けている。
「藤咲さんは接近に気を付けて。俺を盾にしとけ!」
前に出ようとする千尋を、愁也が止める。しかし千尋はかぶりを振ると、覚悟を決めた表情になる。
「いつまでも、守ってもらうわけにはいかない。今、出来ることをやる!!」
経験不足は痛感している。けれど、自分を庇って負傷している愁也を盾にしつづけるなんて、出来るわけがなかった。
「足手まといにはなりたくないから……!!」
千尋は愁也を庇うように、襲いかかるディアボロに向けて矢を放つ。素早い一撃が、鼠の眉間に命中する。
敵の動きが鈍った今なら、私でも役に立てる。
千尋は懸命の思いで、戦い続ける。
その時、激しい雷鳴とともに真紅の閃光が走った。
「幻光雷鳴レッド☆ライトニング! ネズミも纏めてパラライズ★」
稲妻に打たれたディアボロは、まるで恐ろしいものを見たかのような叫び声をあげ、麻痺してしまう。怒りの表情を浮かべたさんぽが、鼠を見下ろしていた。
「遅くなってごめんね。ボクも戦うよ!」
「ナイスタイミングです!」
掌に魔力を集中させた公が、麻痺した鼠に炸裂掌を打ち込む。他のメンバーも、一体一体を確実にしとめていく。
残りは10匹。後、少しだと皆が思った時――。
突如、ディアボロ達が撃退士に背を向け始める。
この数では勝てないと悟ったのだろう。逃走を図り始めたのである。
「逃がしは――せぬ」
その動きにいち早く反応したアレクシアが、ディアボロの前方へと回り込む。
「校舎をこんなに傷つけて……ボク、絶対にお前達を許さない!」
さんぽの火遁が炸裂し、公や千尋、アニエスの攻撃がことごとくディアボロを撃破していく。
「どうした、怖じ気づいて森に帰ろうってか? ……返さないけどな」
愁也が気力を振り絞り、拳にアウルを込める。彼が放った衝撃波が、逃げる鼠を一直線に貫いた。
残り1匹。
「これ以上長引くと、さすがにきついんだよね」
血に染まった夜鈴が、最後の一体を斬り飛ばす。
戻る、静寂。
激闘が、終わった瞬間だった。
負傷した三人は、病院で血液凝固剤を打たれ大事には至らなかった。
あれだけの敵がいながら、負傷者がこれだけで済んだのは幸運だったと言える。
残りの撃退士たちは千尋の提案により、傷ついた校舎の掃除をした。
「学校は、血に染まってちゃいけない場所だからね!!」
必死の思いで戦い抜いた千尋の顔は、晴れやかだったと言う。
そして、数ヶ月後――
ある日、撃退士たちの元に手紙が届いた。
そこには助けた五人からの礼状とともに、あの校舎が再利用されることが決まったと言う報告が記されていた。
子供達が自然とのふれあいや体験学習を行うことができる施設に、生まれ変わるのだそうだ。
「せっかくの思い出の校舎、残せたのなら何よりですよねー?」
そう言って満足そうに笑みを浮かべる諏訪。実はこのプロジェクト、諏訪の働きが陰であったことを他の者たちは知らない。
時が刻まれし、場所。
古い校舎はこれからも、多くの子供達の時を刻み続ける。