●追憶
その花は、薄暗い雑木林の中でひっそりと咲く。
銀白色に輝く、すらりとした花茎。茎から花びら全てが、硝子のような透明感がある。
あの美しくも儚い姿を見た時、私は思った。
なぜ、こんな生き方を選んだのだろう。
なぜ、それでも生きようとするのだろう。
――こんな時に思い出すのは、どうでもいいことばかりで。
息が、出来なかった。
自分は死ぬのだと理解した。
消えてしまうのだと、気付いてしまった。
ああ、今ならわかる。
誰だって、人から理解されない生き方を本当はしているのかもしれない。
自分で気付いているかいないかだけの違いで、その実に大差など無いのかもしれない。
私だって、同じだったのだ。
もっと早く気付いていれば――何かが変わっただろうか。
●それは夢か幻か
今宵の舞台は静寂の暗晦。
音も色も無い世界は、自分の存在さえもわからなくさせる。
現れたのは、道化に招かれし八人のCast(演者)。
「わわ、もの凄く真っ暗なのだよ?」
テントに入った途端、フィノシュトラ(
jb2752)が声をあげる。光源の無いテント内は、互いの顔さえ分からない程に、色濃い闇が支配している。
暗視鏡を装着しながら加倉 一臣(
ja5823)も、ゆっくりと呟き。
「……これはまた、随分と今回は趣が違うようで」
以前見た色鮮やかな光景が、未だ脳裏に焼き付いていて。同じく二度目の招待である小野友真(
ja6901)が、頷いてみせる。
「な。前はあんなに派手やったのに」
明るい音楽も、毒気さえ感じさせるポップな色合いも、今は微塵も感じられない。
「この静かさがなんか…怖いくらいや」
語る言葉さえも、闇に吸収されていくような感覚。
「うに! じゃあ縁は周りを明るくするんだね!」
真野 縁(
ja3294)がわざと明るい声を出しながら、星の輝きで周囲を照らす。アサニエル(
jb5431)も「助かるよ」と礼を言った後、どこへともなく言い放ち。
「全く、照明くらいケチらないで点けて貰いたいもんだよ」
敵陣における闇は心理的圧迫を伴う。彼女の持つ豪放さは、ともすれば気圧されそうなこの空気を和らげていて。
やや進んだ所で、撃退士達の目は闇に浮かぶ色を捉えた。淡く発光する姿を見つめ、縁が思わず吐息を漏らす。
「綺麗……なんだよ」
それは、白銀に輝く竜だった。
硝子細工のような半透明の鱗を纏い、流線型の体躯をしならせこちらを向いている。
「銀竜…あれが”美しい相方”か……」
今宵の『相手』を目にし、強羅 龍仁(
ja8161)がぽつりと呟く。
「なるほど。確かに招待状の通りだ」
魅入られる程に美しい様は、まさに幻と呼ぶにふさわしく。
(だが…何故だろう)
「でも…なんでかな」
自身の内心と全く同じことを口にした雨宮 祈羅(
ja7600)に、つい視線を向ける。
「…どうした?」
「うん…あの瞳に見つめられるとね。何だか…哀しい気持ちになる」
聞いていた小田切ルビィ(
ja0841)が、頷いてみせ。
「ああ、俺もだな。何故そう思うのかは、わからねえが…」
根拠や確信があるわけではない。けれど水晶のような瞳に悲哀の色を見たのは、恐らくこの場にいる全員が同じで。
「とは言え、ここまで来た以上やるしかねえよな」
幻に飲まれてしまう前に。この舞台を演じきってみせよう。
ルビィの宣言が、闇へと溶け込んだ時。
鐘が、鳴った。
直後、どこからともなくアナウンスが流れてくる。
『ようこそ、Devil Circusへ。我々はあなた方を歓迎します』
以前と同じく、機械音のような音声。一方的に喋る声はルール説明を行ってゆく。
課されたのは銀竜を倒すこと。他班への干渉は不可。そして最後の台詞もお決まりのもの。
『それでは、素晴らしい演技を期待しています。――スリルと、快楽を』
「ミスター!」
ここで呼びかけたのは一臣だった。周囲を警戒しながら、慎重に続ける。
「そこにいますよね。ゲストに開演のご挨拶ぐらいさせてもらえませんかね?」
龍仁も声を上げる。
「ああ。演者としてはゲストの顔は見ておきたいものだ。その方が心置きなく演(や)れるからな」
一瞬の沈黙の後。
あどけない響きが、テント内にこだまする。
『ふふ…なかなか上手いことを言いますね。ですがそれは出来ない、とだけ言っておきましょう』
有無を言わさぬ声音に、周囲の空気がぴんと貼る。
『ただし演技が終わるまで、ゲストの安全は約束しますよ。それでは、また』
「……なるほどな」
ここで交信機を手にしたルビィが口を開く。
「…旅人からの報告によると、向こうには子供の人質がいるみてえだな。対してこっちは人質についての情報は一切不明」
姿さえ見せないのには、恐らく。
「クラウンの性格上、あの竜を倒せば解放するっつー約束は守るだろうが。何か裏があっても可笑しく無いぜ」
「うん。きっとそれを含めての『イリュージョン』なんだよ」
祈羅も頷きながら闇を睨む。
「ならこっちから仕掛けてやるよ。種明かしを待つだけなんて、趣味じゃないしね」
光を纏った縁が、一歩前に出て高らかに謳い上げる。
「うに、それじゃあ開幕なんだね! 綺麗なイリュージョン!派手なイリュージョン! はてさて、種も仕掛けもあるのか否か!」
それはまさにスポットライトを浴びた演者のごとく。
再び、鐘が鳴る。
銀竜が咆哮を上げる。
さあ、幻想奇譚を始めよう。
騙されるのはこちらかそちらか。
悪魔のサーカス第三幕『イリュージョン』、開演。
●開幕
最初に動いたのは銀竜だった。
巨体に似合わず滑らかな動き。長い体躯を鞭のようにしならせ、跳ねるようにルビィへと突撃する!
「くっ……!」
後方へノックバックされながらも、シールドで致命傷を避ける。手に伝わるびりびりとした衝撃。
「はっ…なかなかの威力だな。これはまともに食らうと結構キくぜ」
「さすがはドラゴン種と言ったところか」
生命探知を展開させた龍仁が、慎重に気配を探る。この暗がりでは敵の位置すら見失いかねない。
「他に敵や人質がいないか懸念していたが、竜以外に反応はなさそうだ」
「龍仁さんありがとう! じゃあ遠慮無く攻撃させてもらうで!」
友真が放つ後方最大射程からの弾丸。高命中の一撃は銀竜の胴体に直撃し、そこを一臣の対空射撃が襲う。
「よっし、成功!」
彼のスキル効果により竜の浮遊高度が下がる。これで射程の短い武器でも攻撃が届くはず。
「助かったぜ…!」
直後ルビィの手にした大太刀が翻る。赤黒い刀身が竜の首元にくい込むと同時、鱗を削るような硬い感触が手に伝わってくる。
撃退士達は次々に戦闘態勢へと入っていく。そんな中、祈羅は硝子のように透明な鈴を手にしていた。大きな鈴で長い紐が付けられている。
「さっき竜は突然現れたよね…それってつまりさ」
フィノシュトラも頷き。
「今回の演目はイリュージョンなのだよ! 相手が消えてしまってもおかしくないのだよ!」
この状況での目標ロストはかなりの危険を伴う。二人はその為の対策を準備していた。
祈羅は生み出した光の玉を鈴の中に入れると、フィノシュトラに手渡す。彼女は飛行しながら慎重に竜の背後に移動し。
龍仁が審判の鎖で動きを封じたのを機に、投げ輪の要領で首元へと引っかけた。
「やったのだよ!」
続いてアサニエルも。
「念には念を…ってことで、これでもくらいな!」
投げつけたのは、蛍光塗料。淡く発光するそれは、銀竜の胴の一部に見事当たり。
これで万が一姿を見失っても、音と光でだいたいの位置がわかる。こちらからの『仕掛け』だ。
「さあ、準備は整ったよ。どんどんやっちまいな!」
「うに!頑張るんだよ!」
縁が翼に向けて魔法攻撃を撃ち込む。痛みを堪えるように銀竜は身体を捻らせ。
そして一旦頭を垂れたように見えた後。
「来る!」
口元から白銀の息吹を吐き出した。
「祈羅ちゃん!」
すぐ後ろにいた一臣のに呼びかけに、祈羅は何とか笑んでみせる。
「これは…効くね…」
魔法攻撃耐性が高いため、意識は保っているものの。全身を貫く衝撃は自身の生命力が大きく削られたことを自覚させる。
同じく攻撃を受けた龍仁も口元の血をぬぐいながら、苦笑し。
「まあ後衛に及ばなかっただけ、よしとしよう」
広範囲のブレスは前・中衛にいた撃退士たちを飲み込んだ。全員持ち前の耐性で瀕死に陥ることはなかったものの。
「俺はしばらく回復手に回る。攻撃の方は頼んだぞ!」
龍仁がヒールを展開する中、友真と一臣が次々と弾丸を撃ち込んでいく。
「ほらほら、へばってないできりきり働く!」
アサニエルも軽口を叩きながら負傷者の傷を癒す。全員の柔軟かつ連携の取れた行動が、咄嗟の窮地を乗り越えさせていく。
とは言え敵も手強く、そう簡単には落ちてくれない。
「――っ」
銀竜の飛ばす白銀の弾丸が、一臣の身体を貫通する。
「一臣さん大丈夫か!」
心配そうな友真に向けて、軽く手を挙げてみたものの。
――これは連続でくらったら、終わりだな。
自分の防御力ではとてもじゃないが受けきれない。しかしこの閉鎖された空間で敵の射程から逃れるのは、無理そうだと判断する。
「…こいつはもう、落ちるの覚悟でやらせてもらいますかね」
あの悪魔を前に逃げるなんて選択肢は採れるわけが無く。
どちらが落ちるのが先か。
自らも弾丸を返しながら一臣がそう覚悟した直後、銀竜が縁と友真がいる方へと移動する。
「縁、来るで!」
「ちぎー! 縁が受け止めてみせるんだよ!」
構えた二人を銀のオーラが包み込む。二人は衝撃を覚悟したが、身体を襲う痛みは無い。
「何や…何が起こったん?」
二人は互いの顔を見合わせるが、特に変わった様子は無い。
その様子を見たアサニエルが眉をひそめる。
「見た所変化は無いね…でも警戒するに越したことは無いよ」
その答えは、友真が攻撃をしようとした時に判明した。
「……あれ?」
銃を構えた友真が困惑の表情を浮かべる。狙いを定めようとするのに、全く上手くいかないのだ。
「あかん、攻撃当たらへん」
命中力の大幅減少に青ざめる。精度が要のインフィルトレイターにとって、致命的とも言える状態であり。
しかし同じく攻撃を撃ち込んだ縁は不思議そうに首を傾げる。
「うや? 縁はそんなことないんだよー…?」
むしろさっきよりも命中力が上がっている気がする。
「わわっ友真さん危ないのだよ!」
フィノシュトラの叫びと同時、銀竜が口から弾丸を再び発射する。混乱で咄嗟に反応が送れた友真はもろにくらってしまう。
「友真!」
一臣が慌てて駈け寄るも、何故か彼はけろりとしている。
「あれ…平気なのか?」
先程自分も同じ攻撃を受けて、かなりのダメージだったと言うのに。
「うん…あんま痛くない…な?」
それを見た龍仁が、合点した様子で言う。
「どうやら…受け手の性能値が入れ替わる仕組みのようだな。縁と友真の違いを見る限り、入れ替わり方はランダムみたいだが」
やっかいな能力だ、と呟きながら。
「…なるほどね。じゃあこっちはうちらが押さえるから、二人は無理しちゃだめだよ!」
祈羅が光の矢を放ちながら、竜を牽制。
だがしかし、友真と縁はかなりのポジティブ思考だった。
「なあ…俺さっきめっちゃもろにくらったはずなのに全然痛くないんや…すごいな?」
普段紙防御の彼にとって、これは実に衝撃的なことだった。
「どうせこの状態じゃ攻撃当たらへんし…よしわかった、縁。俺今から、盾インフィルになる!」
「うに!友真君かっこいいんだね!」
「一臣さんも俺が守ったるからな!」
「え、友真ちょ…」
まさかの盾インフィル誕生の瞬間である。
そんなわけで友真は実際に前衛盾として活躍した。ペアで動いていた縁が防御力が落ちていたこともあり、この行動は無駄では無かったと言える。
しかしそれもわずか三ターンのこと。
効果時間を身体を張って示す勢いだったが、野生の勘を発揮した縁がシールドで割り込み、被害を最小限に抑えた。
その後も銀竜との攻防は続き、互いに生命力の削り合いを演じた。
竜の攻撃はできる限り前・中衛が受け止め、後方からは彼らの支援及び攻撃。攻撃型が少ない為竜の体力を削るのには時間がかかったものの、その分回復手が多かったのが幸いした。
現時点で瀕死状態になった者は皆無。竜の動きも徐々に衰えてきている。
このまま押し切れるか――と誰もが思った頃だった。
「…ん、何だ?」
龍仁はここで不自然な光が流れているのに気付いた。
銀竜自体が発光しているためわかりにくいが、周囲をちろちろと流れている。
――そう言えば。
以前山で見た銀竜草のことを思い出す。この竜はまさにそう呼ぶに相応しい外見をしていて。
龍仁は必死に特徴を思い出そうとしていた。銀竜草には確か変わった性質があったはずだ。あれは――
「まずい、竜が回復するぞ!」
その声と同時、銀竜の体表にあった傷がみるみるうちに癒えていく。さすがに完全ではないようだが、ダメージはかなり回復しているようだ。
「これは……」
察した様子の一臣に、龍仁もうなずいてみせ。
「ああ。どうやらこの竜は銀竜草を模しているに違いない。銀竜草は栄養を与えてもらう相手がいないと生きられない特徴がある。つまり――」
「あれ、だな」
発したのはルビィだった。交信機を手に離れた所で戦う別班を見やる。
「向こうの敵さんが妙な変化をしたらしい。恐らく、こっちの竜が回復したのと関係があるぜ」
両者の関係を警戒し、いち早く連絡を取っていたのだ。
「…経験上、2体の冥魔に繋がりがある場合は同時に倒さなきゃならない場合もある。面倒だがな」
「だね。俺も小田切君の意見に賛成だ」
以前の双頭竜戦を思い出し、一臣と龍仁も同意する。あれは一体ではあったものの、相互に影響を及ぼし合うと言う意味では同じだ。
聞いた友真が交信機を手にする。
「じゃあこっちの敵弱らせたら、同時撃破しよか。向こうの班にも連絡してくる!」
「さあ、そうと決まったら向こうを待たせるわけにはいかないよ!」
アサニエルが霊符を構え光球を勢いよく撃ち込む。フィノシュトラや祈羅が魔法攻撃を続ける中、竜も危険を察したのだろう。
「あっ! 透明になっていくのだよ!」
しかしこれは既に対応済み。彼女達の仕掛けた『色』と『音』が竜がどこにいるのかを知らせてくれる。
「逃がさないんだよー!」
縁がカオスレート差を生かした一撃を加え、一臣と友真が高命中の弾丸を放つ。
全員一丸となった猛攻に、ついに銀竜は耐えきれずその身を地に堕とし。
「今だ!」
ルビィがとどめを刺すためのスキルを展開していく。
「ホイッスル3回吹くから、3回目で全員全力攻撃な!」
笛を手にした友真が、合図の音を響かせる。
三。
二。
一。
「これで終わり……!」
渾身の一撃が撃ち込まれるその刹那。
――待って!
どこからか聞こえた声に、最前列にいたルビィが咄嗟に反応する。
(迷ってる暇はねえ…!)
竜との間に割り込む彼へ迫る猛撃。
「小田切君!」「いやあああっ」
絶叫が響く中――激しい閃光が周囲を飲み込んだ。
●幕間
一瞬、撃退士達は何が起こったのかわからなかった。
「なん…だ…?」
龍仁の前に立っているのは、巨大なトランプ。攻撃の直前現れ、自身の攻撃を受け止めたのだ。
そしてその障壁の向こう側には――瀕死でなお生きながらえているの銀竜と、呆然とするルビィの姿。
「よかっ…た……」
魔法書を手にしたまま、縁や祈羅がその場にへたりこむ。最悪の事態を覚悟しただけに、全身が震えそうになる。
「あれはミスターの…」
後方から全てを見ていた一臣がひとり呟いた。以前の経験から、あの障壁がクラウンのものであると気付いており。
(いや…それよりもさっきの声は…)
周囲を見渡そうとした時、聞き慣れた響きが暗闇から届く。
「ふふ…危ないところでしたね」
姿を現したのは、道化姿の子供。悪魔マッド・ザ・クラウンを前に、友真が怪訝な調子で問う。
「ミスター…どういうことなん?」
クラウンが今まで演技中に介入してきたことなどない。良くも悪くも呆れるほどに遊びに忠実な性格、それだけに。
「ええ。少し予定外の事が起こったもので」
問われた悪魔は、視線をルビィと竜へ動かす。
「こちらの仕掛け以外であなた方に危害を加えるのは、本意でありませんから」
そう言って長い袖を一振りする。周囲に青白い光が一瞬明滅した後、撃退士達の前に男が現れる。
「ここは……?」
困惑した表情の男は、周囲を不安そうに見渡している。
「それでは、少々予定より早いですが」
そう言ってクラウンは微笑む。
「『ゲスト』と共に舞台の続きを」
その直後。
臥せっていた竜が、絞り出すような咆哮を上げる。
「危ないのだよ、下がるのだよ!」
撃退士たちが警戒態勢を取る中、男は驚愕の表情を浮かべている。
「君は……」
フィノシュトラの制止を振り切り、銀竜の側へと駈け寄る。
そしてゆっくりと膝を折ると、竜の頬へ触れ。
「ここにいたんだ…僕だよ、涼だよ…」
まるで愛おしむようなまなざし。全員が唖然と見守る中、その言葉を口にした。
「ようやく会えたね……晶」
●幻の逢瀬
夢の中で、晶と会った。
彼女は何故か銀の竜となっていたけれど、僕にはそれが最愛の妻であることが自然とわかった。
こんな夢ならば、醒めないでほしい。
僕から彼女を、これ以上奪わないで欲しい。
ただ――そう願った。
※※
「――種明かしはしてもらえるんですよね? ミスター」
ただならぬ涼の様子に、一臣があくまで冷静に問う。
「ふふ…まだ舞台は終わっていませんのでね。一つ言えるのは、あの二人は夫婦なのですよ。暴漢に殺された妻を私が竜に変えたのです」
「……何故、そんなことを」
「見たかったからですよ」
道化の悪魔は、緩やかに目を細める。
「例え人外になってでも、会いたいと言った。その願いが迎える結末を、知ってみたかったのです」
「なるほど。あんた、なかなかな性格だねえ」
寄り添う二人を見て、アサニエルは苛立ちを隠せなかった。向かえる結末など、最初からわかりきっている。
――なんて、残酷なことをするんだい。
再会を果たした彼らを待ち受けるのは、再びの別れ。それを知っていながら、悪魔はこの舞台を用意したのだ。
「ふふ…どうするかは、あなた方次第ですよ。私はただ、彼女の願いに手を貸したまでですから」
興が乗ったような言いぶりに、アサニエルは低く告げる。
「……あんたのことは好きになれそうにないね」
皆、涼に言葉をかけられずにいた。
今からその竜を自分たちが討つ。
そんな酷な事実を、どう伝えればいいのかわからなかったから。
「……俺が言おう」
龍仁が落ち着いた様子で切り出す。一臣がやや驚いた表情を浮かべ。
「強羅……」
「大丈夫だ」
そう言って笑ってみせた龍仁に、一臣は何と言えば良いかわからなかった。
かつて妻と死別した男。涼の悲哀に寄り添えるのは自分だけだ、と言われたような気がしたから。
龍仁は二人の側に歩み寄ると、そっと声をかける。
「……すまない。俺がこれから言うことは、涼を追い詰めることになるだろう。だから先に謝っておく」
不安そうに顔を上げる涼に向かって、龍仁は続ける。
「君の…妻は、もう人間じゃ無い。悪魔の従属となった以上、そこから救ってやらなくてはならない。……わかるな?」
再度の死別宣告に、涼の顔が青ざめる。
「そ…んな……」
縁が泣き出しそうになるのを必死に抑え、伝える。
「確かに銀竜は綺麗なんだね。でも…人じゃないんだよ。人とは違うんだよ」
「でも…彼女は確かに晶なんだ! 僕にはわかる。彼女は間違い無く…」
「違うんだよ! 人には踏み出せる足が…周りを見渡せる目が、愛せる手があるんだよ。この竜は晶さんだったかもしれない。でも、今は違うんだよ!」
「姿が違っても構わない。構わないんだ」
認めたく無いと言った様子でかぶりを振る。
「晶が側にいてくれるなら、戻って来てくれるならそれで……っ」
倒れるように崩れ落ち、肩を震わせる。聞こえてくるのは、消え入りそうに掠れた声。
「僕は…またあんな思いをするのは耐えられない…」
耳にした龍仁が思わず空を仰ぐ。
かき抱いた身体の重みを。
体温が失われる瞬間を。
瞳の光が消える刹那を。
心がえぐられ傷を癒すことも出来ず、ただ見ない振りをすることしか出来ない日々。
もう一度味わえなどと、どうして言える?
この理不尽な痛みをどこにぶつければいい?
涼は虚ろな表情のまま、撃退士達を見渡す。その目には深い慟哭の色が、映し出されている。
「晶を殺すと言うのなら……」
それは、哀願するかのように。
「お願いだ。僕も一緒に逝かせてほしい」
直後、ぱんと言う音が鳴り響いた。
頬を押さえた涼の前に立つのは、右手を振り抜いた祈羅の姿。
「何馬鹿なこと言って…」
彼女の身体は震えていた。その瞳からは涙が溢れ落ちている。
「あんたは…まだ一人じゃ無いでしょ? あそこにいるのは誰なわけ?」
視線の先にいるのは、いつの間にか現れていた少女の姿。
悪魔クラウディアの側で眠っている少女を、友真が抱きかかえて連れてくる。
「さっき、あの子から聞いたん。この子、杏って名前やねんな…ええ名前やと思う」
長い睫毛が、涼のそれとそっくりで。友真は杏を抱えたまま、歩み寄る。
「涼さんと晶さんの…娘さんやんな?」
眠る杏の姿を見た涼は、そこで初めて彼女の存在に気付いたようだった。祈羅が声を震わせる。
「この子がいながら、死ぬとか冗談じゃないよ…」
死を選ぶより共に生きることの方が、ずっと大変な時もある。
それでも自分は、生きる事を選んだ。だから死ぬなんて簡単に口にした涼のことを許せなかった。
「そうなのだよ、杏さんの為に生きないとだめなのだよ!」
続いて声を上げたのはフィノシュトラだった。
「杏さんは二人の大切な宝物なのだよね? 宝物を涼さんが守らなくてどうするのだよ!」
それを聞いた涼の瞳が揺らぐ。フィノシュトラは必死だった。
天界の空気が合わず、一人の時間を長く過ごした。
一人でいるのは、つまらない。
一人でいるのは、とても寂しい。
初めて地球に来た時に、人の温かさを心から羨ましいと思った。
こんなに愛しい世界を、手放して欲しくなかったから。
「杏さんにとって涼さんはたったひとりのお父さんなのだよ! 忘れちゃだめなのだよ!」
「――っ」
黙り込む涼に向かって、ルビィも口を開く。
「どんなに哀しくても…未来へと歩み続ける事。それが生きるって事だ」
自分は、彼の慟哭に共感してやることはできない。けれど、これだけは確かだと思うから。
「残された人間は、生きていかなくちゃならない。…あんたがそんなんじゃ、晶さんも離れられないんじゃねえか?」
銀竜の瞳に、哀しみを見てしまったがために。
「涙は、ここで終わらせなくちゃならない。晶さんも…あんたもだ」
それは、心からの本心で。
最後に切り出したのは、龍仁だった。
「……俺も昔、妻とは死別している」
驚いた様子の涼に向かって、龍仁は微かに視線を落とし。
「だからお前の辛さはわかっているつもりだ。だから敢えて…言わせてもらう」
相手を真っ直ぐに見据え、静かに告げる。
「本当に彼女のことを想うなら、この子の為に死ぬ気で生きてみろ」
しばらくの間、涼は沈黙していた。
何度も逡巡を繰り返し、葛藤している様が痛いほどにわかる。
しかしやがて立ち上がると杏の元へと歩み寄り、眠る顔をただ見つめ。
しっかりと抱き締めると、口を開いた。
「……最後の別れを、彼女に言わせてもらえるかな」
既に虫の息の銀竜は、先程からほとんど動かず地に伏せている。
全員が見守る中、涼は杏を抱いたまま竜の側へ腰を下ろすと、穏やかに声をかける。
「ありがとう……晶。僕らに会いに来てくれて」
浮かべるのは、精一杯の微笑み。銀竜の反応は無いけれど、涼の表情は思った以上に落ち着いていて。
手を伸ばし、頬に触れる。
ひんやりとそれでもどこか体温の感じられる感触。
異形となったその姿。二度と触れることの無い、妻の命。
そっと口づけをし、名残惜しそうに身体を離す。
そして手の平が竜から離れる寸前――
微かに口元を震わせ、最後の言葉を告げた。
「君は、とても綺麗だ」
刹那。
銀竜の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「……まるで水晶みたいですね」
一臣が玉となった涙をすくい、涼に渡す。
「俺は…こんなに美しいものを見たのは初めてです」
「……ありがとう」
一臣は微かに笑むと、二人を安全な場所へ移動させ皆に目配せをする。
縁が銀竜に向けてそっと微笑み。
「……ずっと心配してたんだね。会いたかったんだね。でももう大丈夫なんだよ」
武器を構え、優しく告げる。
心配は要らない。君の想いは、ちゃんと伝わってる。
「だから、おやすみなさい」
轟音と共に――
放たれた閃光が、夢の終わりを告げた。
●終幕
夢の終わりは舞台の幕引き。
再び静まりかえったテント内を、青白い光が淡く照らす。
「――さあ、クラウンさんよ」
先程から成り行きを傍観していた悪魔に向けて、ルビィが切り出す。
「そろそろ答えてもらおうか。あの時何が起こったんだ?」
予定外、と言ったこと。それは恐らくあの『声』が聞こえたことに他ならず。
「ふふ…あなた方はよほどゲストの事が気になって仕方が無かったようですね」
「どういうことなんだよ…?」
縁の問いにクラウンはゆっくりと頷き。
「結果外からは本来声は聞こえない筈だったのですが。思念が届くことまでは予想していませんでした」
救いたいと言う想い。会いたいと言う想い。
道化はさも楽しそうに。
「あなた方全ての強い願いが、私の結界を越えさせたのでしょう」
「……なあ、ミスター」
聞き終えた友真が、ここで切り出す。
「無償公演もこれで三度目や。…いい加減教えてもらおか」
「おや、何を聞きたいのです?」
「何が目的でこんなこと続けてんの」
「目的…ですか、そうですね。特にありませんよ」
予想外の返答に友真が言葉に詰まっていると、アサニエルの呆れた声音が響く。
「なんだい、目的もなくこんな茶番をやってるって言うのかい」
「ふふ…強いて言うなら、あるにはあるのですが。この余興と直接関わりがありませんのでね」
それ以上答えようとしないクラウンに対し、友真は黙り込んだあと。
躊躇いがちに一度視線を落とし、決心したように再び顔を上げる。
「これは俺の勝手な想像やけど……敢えて単刀直入に聞くで、ミスター」
「ほう、何でしょうか」
「もしかして、俺らに――」
何を聞くのか気付いた一臣が、驚いたように友真を見る。しかし彼は動じること無く真っ直ぐに悪魔を見据え、問う。
「殺されるん待ってるん?」
長い、長い沈黙だった。
時間にすると、ほんの数秒の事だったのかもしれない。けれどその場で答えを待つ彼らにとってそれは永遠とも感じるほどにもどかしく。
闇に浮かぶ道化の微笑は、今まで以上に妖しく揺らめき。微かに一度、瞬きをしたかに見えた後――
かつて無いほどに愉快そうな調子で、告げた。
「今頃気付きましたか」
しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。
薄々勘付いていたからこそなのか、本人の口から聞かされた『肯定』にどう反応すべきなのかわからないでいる。
そんな中、最初に口を開いたのは一臣だった。
「何故…と聞いても、答えてはくれないんでしょうね」
その問いに、悪魔は微笑んだまま何も言わない。一臣は微かに逡巡をするようにかぶりを振る。
気付いていたか、と言えばそうなのだろう。
けれど曖昧のままにしてきたのは、どこかで向き合うことへの躊躇いがあったのかもしれない。
――俺は……。
一臣は顔を上げると、クラウンの視線を受け止める。最初の相対から変わらない、深淵のまなざし。
「ミスター。初めてお会いした時から、俺には貴方の考えていることはわからない」
けれど。
その猫のように艶やかな瞳へ、静かに告げる。
「必ず、答えを見つけてみせますよ」
聞いた悪魔はゆっくりと頷き。いつもと変わらぬ声音で応えた。
「ええ、待っています」
直後クラウンが指を鳴らすと、急にあたりが眩い光に包まれる。
眩しさに目を瞑った撃退士たちが再び目を開くとそこには何もないただ広いだけのグラウンド。
テントも、悪魔達も。全てが幻だったかのように消え去った後、残るのは撃退士たちと一組の親子のみ。
吸い込まれるほどの静寂が、辺りに満ちていた。
「何て言うか…してやられたよね。今回も」
すっかり暗くなった夜空を見上げ、祈羅がちょっぴり悔しそうに呟いた。
「悔しけど…綺麗だ」
ルビィも苦笑しながら瞳を細める。
「幻想の終わりは満天の星か。相変わらずの好事家だぜ」
空一面に瞬く星は、儚い煌めきを今宵も降り注がせている。
「…いつ見ても、地球の空は感動するのだよ…」
フィノシュトラの言葉に、龍仁が頷いてみせる。
「ああ。この空は地球で暮らす全ての者へと通じている」
離れて暮らす息子も、きっとこの星空を見ているから。
アサニエルが笑いながら、皆の背中をぽんと叩き。
「さあ、今回の演目はこれで幕引き。そこそこの出来だったけど、まだまださね」
「俺らも…覚悟決めなあかんな」
「…そうだな」
友真と一臣が星を眺める中、縁が夜空へ向けて紙飛行機を飛ばす。
「そのために、もっともっと、強くなるんだよ…」
闇に飲み込まれてゆく機体を、ただじっと見つめる。
したためた想いが、届くと信じて。
●銀竜之涙
銀竜草の話を聞いたとき、まるで涼のことだと思った。
目の前で細められる、ずっと昔から変わらない瞳。
儚く繊細で、硝子細工のような――私の愛する男。
こうして今ならしっかりと自覚できる事実。
本当に銀竜草だったのは、私なのだ。
涼との生活はとても満ち足りたもので。
失う覚悟すら出来ていなかったのは、むしろ自分の方で。
こんな簡単なことに、死ぬ時まで気づけなかった。
――もう一度、ただ会いたかった。
人はこんな私を滑稽だと笑うだろうか。
理解できないと背を向けるだろうか。
それでも、ようやくわかったことがある。
こんな私の涙を。
こんな私の魂を。
すくってくれた人がいた。泣いてくれた人がいた。
ああ、涼。
この世界は酷いものだけど、まだ見つめる価値はある。
今、私は願ってやまない。
どうか、君たちの未来に光を。
残された命に、輝きを。