走る、走る、業火の化身。
「わわ、凄い勢いで来てるのだよ!」
上空にいるフィノシュトラ(
jb2752)が、北方を指さし声を上げた。天使である彼女は、翼で飛行しながら敵の来襲を待ち構えている。
同じく闇の翼で飛行中のヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)が、朧車の上に立つ人物を見て静かに微笑を漏らし。
「――嗚呼、貴方様でございましたか」
内に秘めるは、かつて生じた怒りの衝動。しかし敢えて顔には出さずに。
敵進行ルートからややずれた位置で待機しているのは、赤糸 冴子(
jb3809)と日比谷ひだまり(
jb5892)。
「ヴァニタス……一体どんな人なのでしょうね、冴子ねーさん」
ひだまりにとって本格的な戦闘は今回が初めて。しかも相手にはヴァニタスまでいると言う。
「直に対峙すればわかるだろう。案ずることはない日比谷君」
冴子がそっとひだまりを気遣う側で、平賀 クロム(
jb6178)がやや考え込んだ様子で口を開く。
「使徒が来たと思ったら今度はヴァニタスっすか…」
冴子と同じく先日の使徒戦に出ていた彼は、この不可解な状況を不信に思っていた。
「種子島に天魔の求める何かがあるんすかね」
神器争奪戦時のように、ここへ天冥が集中するには何かしらの原因があるとしか思えない。
「…まあ俺には小難しいことはわからないが」
クロム達とは反対側の位置で待機している、ケイ・フレイザー(
jb6707)が口の端を上げる。
「とにかくあいつを止めりゃいいんだな」
相手は何を求め、ここへ来るのか。その衝動を受けてみるのもいい。
前方を見据えたユーリヤ(
jb7384)も肩をすくめ。
「まあ、とりあえず足止めしないとどうにもならないからね」
先手必勝、今はとにかくぶっ潰す。
面倒なことはさっさと終わらせる。それが彼女のポリシーだ。
迫り来る敵陣を前に、綾羅・T・エルゼリオ(
jb7475)が目を細める。
「――奴等の目的が中央突破と判明している以上、突破を果たす為の脚がなくなれば自ずと撤退するだろう」
自主的な撤退を期待する他無いというは、悔しくもある。しかし状況を見誤る愚行だけはしたくない。
「…今の俺達の実力では仕方が無い」
しかし、いずれ。
咆哮が響く。
各々の思いが交差する中、灼熱の業火が燃え上がる。
迎え撃つは矜持の炎。
飲み込むのは、人か冥か。
●
「ぶちかましてきて。手加減はいらないから」
ユーリアが高速召喚で呼び出したスレイプニルに、指示を飛ばす。
凄まじい速度で走り抜ける麒麟に並走し、横合いから一気に突撃。激しい衝突音と同時に、悲鳴が上がる。
「今だよ!」
バランスを崩した麒麟に襲いかかるのはヘルマンの大鎌。
「嫌な速度でございますな。ご退場願いましょうか」
時が刻まれた黄金色の刃。遠心力を生かした高威力の一撃を首元に叩き込む。同時にケイとエルゼリオが足下を狙い。
「悪いが足止めさせてもらうぜ」
「貴様の相手は俺達がしよう、冥魔の眷属よ!」
高速度の所に受けた、四人の集中攻撃。麒麟は体制を維持しきれずその場で勢いよく転倒する。
時同じくして、もう一体の炎麒麟にも残りのメンバーが襲いかかっていた。
「吹き飛べっ!」
接近した炎麒麟をクロムが真正面から迎え撃つ。放った風圧で吹き飛ばされ所を襲うのは冴子の刃とひだまりの召喚獣。
「走る馬には昔から対応は決まっているからな」
「ストレイシオンさん、サンダーボルトなのですわ!」
二人が横合いから撃ち込んだスタン攻撃は見事成功。意識を刈り取られた炎麒麟はその場で行動不能に陥る。
「やったのだよ!」
続いて展開されるフィノシュトラの異界の呼び手。束縛を受けた麒麟を見て冴子が宣言。
「諸君、ここで一気に数を減らすぞ!」
「……忌々しい奴らだ」
その頃、八塚楓は朧車の上に立ち前方を見据えていた。
「行け、朧車」
命令し、牛車から飛び降りる。
先に放った数押しの部隊も、見た所そう長くは持たないだろう。この分だと別働隊も同じ状況と思っていい。
とは言え、戦いはまだこれからだ。
つんざくような狂声が、辺りこだました。
「くうっ……!」
夜叉の顔から発せられるそれは、音の攻撃と化し撃退士を襲う。
「これは…なかなかの威力でございますな」
耳を押さえながらヘルマンが眉をひそめる。重圧は免れているものの、朧車から近ければ近い程、影響は受けてしまうらしい。
同じく耳を押さえ苦渋の表情を浮かべたフィノシュトラが言う。
「とにかく、麒麟班の方へ向かわせるわけにはいかないのだよ!」
無数の手が地面から噴き出し、朧車を捕らえる。動きを抑えたところへクロムが正面へ立ち。
「はっ…恐ろしい顔っすね」
自身の身体ほどもある巨大な顔。おぞましい目がこちらを睨んでる。
クロムはそこに向け、躊躇無くサンダーブレードを放つ。そこを上空からエルゼリオとヘルマンの魔法攻撃が、車輪目がけて撃ち込まれ。
「やはりな…動きは鈍いか。その上、的もデカい…!!」
エルゼリオの狙い通り、朧車の動きはそう速くない。ヘルマンも頷きながら手応えを確かめつつ。
「ええ。その分耐久力で補ってはいるようですな」
直撃を受けたはずの体躯は、そこまでの痛手を負っているようには見えない。二人は感じ取っていた。
――これは少々時間がかかりそうだ。
一方、炎麒麟班も次々と激闘を続けていた。
「冴子ねーさん行くのですわ!」
ひだまりの合図に合わせ、ショットガンに持ち替えた冴子が麒麟の頭部に銃弾を撃ち込む。そこをストレイシオンが襲い。
対する麒麟も一度大きな咆哮を上げた後。
「来るぞ!」
灼熱のブレスが二人を飲み込む。
「痛い…ですの…!」
「日比谷君しっかりしろ!」
焼けるような激痛が全身に走る。あまりの高温に息さえも出来ない中。
「…ひだまりだって撃退士なんですの…」
今はまだ、弱いけれど。
自分はこの世界が好きで。一緒に過ごす仲間が好きで。
護ると決めた。だから。
歯を食いしばり、立ち上がる。
「絶対に行かせねーですわ!」
「ふん…なかなか速いじゃ無いか」
攻撃を続けていたケイが、低く呟く。
序盤でかなり足を集中攻撃しただけあり、麒麟の機動力はかなり落ちてきてはいる。それでも、その速度はかなりのものがあり。
「まだ傷めつけが足りないみたいだな!」
双剣を手に足に襲いかかる。他方もう一体がユーリアの召喚獣に向かって突進し。
激しい、衝突音。
「っ痛う……」
口内に血が溢れ、耐えきれず膝を付く。
「おい、大丈夫か」
駈け寄ってきたケイに、苦笑しながら。
「…ちょっとヘマしたね」
この戦いに入る前に、十分な休息を取れなかった。生命力が半分以下の状態で出撃したのはやはり無謀。
「無理はするな」
ケイの言葉に、ユーリアはそれでも何とか立ち上がり。
「根性とか嫌いな言葉なんだけどなぁ…仕方ないね」
わずかな気力を振り絞り、召喚獣へと命令する。
「悪いね。もうちょっとだけ耐えて欲しい。…私も命張るから」
彼女の言葉に呼応するかのように、竜は鋭い咆哮を上げ突進していく。
そのあまりの猛攻に傷付いた麒麟が、たまらず高速移動を展開。
「速いっ……!」
先刻を遥かに上回る速さ。咄嗟に冴子が上空へと飛翔し。
「逃がすか!」
手にした散弾銃で頭上から一気に弾丸をばらまく!
沸き上がる、悲鳴。
均等に散らばった弾丸が麒麟の体躯を見事捕らえる。
「やりましたわ冴子ねーさん!」
既に虫の息になった麒麟を、ケイの一撃が沈め。
「よし、後一体だな」
ここでもう一体が再びブレスを吐き出す。巻き込まれたケイは苦痛に顔をゆがめるも、その意志は衰えることは無い。
「後少しですわ!」
ひだまりとユーリアが渾身の一撃を放ち、ケイの刃が体躯をえぐる。
そして再び放たれるは、蒼天からの無数の散弾。
滑空と共に冴子が呟く。
「大人しく消え去るがいい」
撃ち込まれた弾丸が、炎麒麟の命を穿つ。
燃え上がるような咆哮が辺りに響き渡った後――。
災いの業火は、消え落ちた。
その頃、朧車班は凄まじい攻防を繰り広げていた。
「なんて硬さなんだよー…」
フィノシュトラが額に汗を滲ませながら言葉を漏らす。
既に何発も攻撃を撃ち込んでいる。車輪を集中的に狙い、機動力は落ちてはいる。
しかし目の力は未だ衰えてはいない。
「いい加減沈むっすよ…!」
クロムが勢いよく蹴りを叩き込み、そこをヘルマンのスピンブレイドが襲う。
対する朧車は奇声を上げると同時、正面に立つクロムへ向けて突進を開始。
「がはっ…!」
既に対抗スキルが尽き避けきれなかった。直撃した巨躯に身体ごと吹っ飛ばされる。
「これ以上はやらせん!」
エルゼリオが側面から黒の刃を放つ。ヘルマンが再び大鎌を振り上げ。
「どのような状況であれ、望まぬ客にはお暇いただくのが私のお嬢様の主義でございますれば」
今度は顔面目がけて渾身の一閃を振り抜く。
耳を覆うような悲鳴が、大気を震わせ。冷静にその様子を見ていたヘルマンは皆へと即座に報告する。
「どうやら顔への攻撃の方が、ダメージを与えられるようでございますな」
物理攻撃より、魔法攻撃。車輪よりも顔。
様々な攻撃を試し、ヘルマンが得た結論。フィノシュトラがきっと前をにらみ据え。
「わかったんだよ! これ以上みんなは傷つけさせはしないんだよ!」
果敢に正面へと回り込み魔法攻撃を撃ち込む。再び朧車の音波攻撃を受けるが、ひるみはしない。
「ちょっと怖いんだよ…でも!」
あのおぞましい顔は、見るだけで足がすくみそうになる。けれど、自分だって誰かを護りたい。
そう誓ってこの依頼に参加した。
「絶対に負けないんだよ!」
「ああ、ここで敗北する選択肢などない」
エルゼリオの黒刃が夜叉の眉間にめり込み、クロムの蹴りが血走った目に叩き込まれる。
突進する朧車の間にはヘルマンが割り込み、その防御力で受けきり。
全一丸となった攻防は、巨躯の命を確実に刈り取っていく。
「後…少しっすよ!」
クロムのかけ声の直後、先に麒麟殲滅を終えた残りの四人が合流する。
これで勝敗は決したかと思われた時。
「もういい」
奥から響く低い声音。
燃えるような紅と、向けられる敵意。
心火の瞳が、撃退士達を捉えていた。
●
その姿を見たエルゼリオは呟いた。
「あれが…ヴァニタス」
ひりつくような威圧に、嫌でも気付かされる。ヘルマンがそっと前に歩み出ると、微笑んでみせ。
「ようやくあいまみえる事が出来ましたな」
対するヴァニタスはやや驚いたように。
「お前は……」
「思い出していただけましたかな」
その首を必ず刈り取ると、伝えた相手。気付いた男は忌々しそうに、舌打ちをする。
まるで見たくも無いと言った様子だ。
「さて、今の我々は君と積極的に争う気はない」
ここで冴子が問う。
「私の名は赤糸冴子だ。君の名を聞こう」
「お前らに名乗るつもりなど無い」
「何? 何故だ」
「理由が必要か?」
有無を言わさぬ拒否。冴子は一旦沈黙すると、慎重に様子を見極めながらその問いを口にする。
「…そういえば先日、君によく似たシュトラッサーを見たのだが」
男の様子が、明らかに変化し。
「あいつに会ったのか」
「なんだ、やはり知り合いか」
その言葉にはっとした表情になった後、口早に言う。
「…お前らのおかげで計画は中断だ。もうここに用は無い」
既に戦闘を終えた別部隊が、こちらに向かっているのも聞いている。ユーリアが面倒臭そうに。
「ならとっとと帰ってくれないかな。そうすれば、お互い面倒が減っていいんじゃない?」
ヘルマンもゆっくりとうなずき。
「ええ。お引き取り願えると助かりますな。互いに正面切って戦うには、時期尚早でございましょう」
「勘違いするな。俺はこれ以上やり合うメリットが無いと判断したまでだ」
そう言って去ろうとする背中を、呼び止める一声。
「八塚」
振り返った男の表情が、凍りつく。
「……何…?」
「やっぱ反応があったっすね」
クロムがにやりと笑み。
「その使徒がそう名乗ったんすよ。そいつとあんた、あまりにも似すぎて」
刹那、轟音と共に紅い刃がクロムを襲う。
「クロムさん!」
「がはっ……」
フィノシュトラが慌てて駈け寄り抱き起こす。
「いきなりひどいんだよ!」
斬撃は一瞬で肺に達し、血が溢れ出ている。長刀を振り抜いた男が、声を荒げる。
「調子に乗るなよクソ共が…俺をその名でもう一度呼んでみろ。次は殺す」
「はっ…図星……っすか…」
受けた傷の深さが、全てを物語っている。ユーリヤとフィノシュトラが。
「ねえ、あんた動揺しすぎじゃないの?」
「何?」
「そうだよ。名前呼んだくらいでおかしいんだよ!」
「黙れ。お前らに何がわかる!」
「わかるわけないじゃん。他人なんだから」
「――っ」
張り詰める空気の中、切り出したのはケイだった。
「freedomってさ、この国では『自由』って言葉らしいな」
急な話の切り替えで眉をひそめる相手に、笑ってみせ。
「まあ世間話と思って聞けよ。自由の定義ってのはな、痛みや苦しみから解放された状態を、『自らを由(よし)とする』ってことらしい」
「……何が言いたい」
燃えるようなヴァニタスの瞳を見据え、ケイは問う。
「……なあ、あんたはいつ『自由』になる?」
冥の顔がこわばる。
見ていたひだまりが、耐えきれず口を開く。
「さっきから気になってましたの…貴方はどうして、そんなに悲しい目をしてるんですの?」
「俺が…悲しい…?」
「そうですわ。ひだまりにはずっと、泣いているようにしか見えねーですの」
「ふざけるな! 俺は泣いてなど」
「だから落ち着けって」
激高する男をケイが再び遮る。
「なああんたが一体何に捕らわれてるのか知らないけど、これだけは言っておくぜ。オレはオレを否定しない。泥水を啜って繋いだ命だったとしても、オレは今ここに存在する、故に自由だ」
何も言わない相手に向かって、ケイは告げる。
「あんたは…抗い方を間違えてるんじゃないのか」
男はしばらくの間、逡巡めいた沈黙をしていた。その表情は怒りとも苦悩とも取れるものだったが、やがて急にふっと表情が消え。
熱が冷めるようにただ、一言。
「もう遅い」
何もかも。
それだけを口にし、去ろうとする。
「…何故、お前は人の世界を捨てたんだ?」
呼び止めたのは、エルゼリオだった。男の目が虚ろに彼を捉える。
「すまない、つい」
反射的に出た問いだった。
天界を捨てて堕天した自分と、人を捨て冥魔の眷属となったこの男。
――何処か。似ている気がするのと同時に、全く違う様な気もする…。
だから理由を知ってみたかった。
「…そうするしかなかった」
短い、返答。まるで独り言のように。
「…そうか。俺も故郷を捨てた身だ。捨てるのは…簡単なことじゃない」
この男は命すらも、捨てることを選んだ。
――お前はその代償に、何を得た?
その答えは、まだ得られそうにはないけれど。
最後に告げられるのは、ヘルマンの静かな声音。
「いずれまた、お会いいたしましょう」
聞いた男は、ここで再度感情が宿ったかのように言い放つ。
「気分が悪い。そのツラ二度と見せるな」
「おや、随分と嫌われたものですな」
どこか愉快めいた微笑のヘルマンを睨み、血濡れのクロムを一瞥した後。
ヴァニタスは今度こそ彼らに背を向ける。
そして歩み去る直前、聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「俺の名は、楓だ」