「……あれがクラウン、なんですかねー?」
物陰に身を潜めた櫟 諏訪(
ja1215)は、百メートルほど先を見据えて呟いていた。
「自分が彼女から聞いていたのとはだいぶ違う印象ですよー?」
その諏訪の恋人は、現在園内別所にて悪魔フェーレース・レックスの対応にあたっている。互いに連絡担当である彼らは、ほぼ同時にターゲット発見のメールを送り合う。
「変身能力があるとは聞いていたけど…あれだけ姿を変えられたら、気付かないよね」
悪魔の変身能力の高さに驚いているのは、桜木 真里(
ja5827)。今回クラウンとは初対面である彼は、この悪魔に関する報告書には一通り目を通してきた。
「確か女の子にも変身できるんだよね。凄いな」
同じくクラウンと初対面であるウルス・シーン(
jb2699)が肩をすくめ。
「ええ。一体どれがあの人の本体なのか、正直なところわかりませんね」
この悪魔については関わる事件は多いものの、詳しいことはわかっていない。普段見る子供の姿さえも、本来の姿であるか怪しいものだ。
「とりあえず……」
ウルスは残りの四人に視線を向け。
「初対面である僕らより、最初は面識の有る人に声をかけてもらった方が良いと思います。どなたかお願いできますか」
●接触
本日は申し分の無い陽気。梅雨の合間に晴れ上がった空は、既に夏の色を感じさせる。
しかしその中で、汗一つかかずベンチに座る青年がいる。
「ハァイ、そこの彼氏。今ひとり?」
気安い調子でかけられた言葉に、悪魔マッド・ザ・クラウンはゆっくりと振り向いた。視線の先には、見知った顔。
「冗談です。ご機嫌よう、ミスター」
含みある微笑を浮かべた加倉 一臣(
ja5823)を見て、悪魔も笑みを返す。
「ああ、貴方でしたか」
「こんな所でお会いするとは思いませんでしたよ。今日はお一人なんですね」
そう問いながらも、一臣は怪訝に感じていた。
(猫悪魔も来ているはずなのに、一人とは珍しい)
あの二体が別行動を取るのには、何か理由があるとしか思えないからだ。
「……まさか」
彼は真剣な表情でクラウンを見つめる。
「迷子ですか、ミスt」
がしゃーん。
気付いたときには、巨大トランプが一臣の周囲に刺さっていた。
「え、あれ?」
やたら頑丈な檻と化したトランプは叩いたくらいじゃぴくりともしない。
「待ってミスター冗談ですって! ほんのちょっと悪戯心を出してみたかっただけですって!ミ´;ω;ミ」
「ええ、私もほんの少し悪戯心を出してみただけですよ」
閉じこめられた一臣にそう言った後、クラウンはくすりと笑む。
「今日はあなた方と戦うつもりはありませんから、安心してください」
「じゃあ何しに来たんすか?」
率直な問いかけ。
発したのは小野友真(
ja6901)だった。とりあえず恋人(一臣)のことはスルーし、肝心なところを斬り込んでみた。
「ええ。人の子の遊びに興味がありましてね。レックスに誘われて来てみたのですよ」
特に隠す素振りの無いクラウンに、立て続けに尋ねてみる。
「へぇーじゃあ遊びに来たんすよね。もうアトラクションには乗ったんかな」
「ええ、少し」
「どうでした?」
クラウンは、微かに首を傾げながら。
「あまり乗り心地が良い、とは言えませんでしたね」
「まあ、遊園地の乗り物は乗り心地を楽しむもんとちゃうからなー」
悪魔の素直な感想に思わず笑ってしまう。確かに、彼らにしてみればそんなものなのかもしれない、と思いつつ。
「良いこと教えましょうか。遊園地はみんなでわいわい楽しむのがいいんすよ」
「なるほど」
友真は目の前に見えるアトラクションを指さし。
「じゃあ、ここで会うのも一つの縁。今日だけ一緒に遊んでみません?」
その言葉にクラウンは、楽しそうに目を細めた。
「ふふ……貴方は面白いことを言いますね」
「えっ俺なんか面白いこと言うたっけ…」
「私はいつでも、あなた方と遊んでいるつもりですが?」
「うわっ相変わらず性格悪いな!」
雨宮 祈羅(
ja7600)がツッコむ。ベンチで足を組んだままのクラウンに対し、ぼそりと呟き。
「誰おま……」
「何か言いましたか?」
「いや、何でも無い! ……と言うかさ、その理屈っぽいの何とかならないの? その姿で言うと余計腹立…嫌みに聞こえるんだけど」
そう言いながらも、祈羅は内心で思っていた。
(いつものクソガk…子供姿じゃないと、なんか調子狂うよね)
今のクラウンはどう見ても自分と同じ年齢か、上くらいに見える。変身能力があるのは知っていたが、目の前にするとどうも違和感がある。
――特に子供だからと刺せなかったうちにとってはね。
(歩ちゃんは……どう思ってるんだろ)
自身の隣に居る恋人の雨宮 歩(
ja3810)をちらりと見やる。互いにあの悪魔には浅からぬ感情のある身。特に歩は――
「お久しぶりですね」
悪魔の声が、歩へ向けられる。
「久しぶりだねぇ。まさかこんな形で再会するとは、思わなかったよぉ」
「ふふ……戦場での方がよかったですか?」
クラウンの言葉に、歩は躊躇無く。
「ああ、その方がよかったねぇ。お前だってそうだろぉ?」
「ええ、それは否定しませんよ」
嗤い合う二人の間を、やや緊張した空気が流れる。道化の悪魔から放たれる威圧が、ぴりぴりと頬を刺激した直後。
「ちょっと、歩ちゃん何言ってんの!」
「え」
祈羅の容赦無い蹴りが脇腹にヒットする。予想外に痛いのを我慢しながら、顔をしかめつつ。
「な…何をしてくれるのかなぁ、姉さん?」
「今日は喧嘩しにきたんじゃないって知ってるでしょ! 煽るようなこと言うんじゃないの!」
叱られた歩は肩をすくめつつ。
「それはわかってるんだけどねぇ……」
笑顔で拳を握っている祈羅を見て、歩はひとまず黙ることにする。
その頃、ようやくトランプの檻から解放された一臣は、歩達を見てぽつりと呟いた。
「ふ…他人事とは思えないな」
「え、なんか言うた一臣さん?」
「ナ、ナンデモナイデス」
友真の痛い視線を避けながらも、一臣は密かに確信していた。
(……やっぱり、敢えての単独行動かね)
理由は、わからない。けれど今まで幾度となくあの悪魔を見てきた彼にとって、理由も無くレックスから離れているのは、やはり不自然に思えるのだ。
(……わざわざ離れないといけない理由、か)
「僕らはただ、貴方に遊園地を楽しんでもらいたいんですよ」
ここで声をかけたのはウルスだった。
「おや、貴方は……」
「初めまして、と。ウルス・シーンと申します。ここで会ったのも何かのご縁。一緒に何処か見て回りませんか」
丁寧に対応する彼を見て、クラウンは興味深そうに。
「……貴方はどこか、私たちと同じ匂いを感じますね」
「あ、やっぱり気付いちゃいますか」
ウルスは特に隠す様子も無く、応える。
「僕は人間の父と悪魔の母の間に生まれました。僕は人間ですけど、姉は悪魔なんですよ」
納得した様子のクラウンに向けて、彼は続ける。
「だから、僕には貴方が悪魔であっても関係ありません。僕にとっては悪い奴は悪い……そこに種別の違いはありませんから」
「ふふ……なるほど。それが貴方の線引きなのですね」
「クラウンさんは違うんですか?」
その問いに悪魔はうなずいてみせる。
「ええ。私は善悪や敵味方については興味がありませんのでね。対象に関心を持てるか、否か。それだけです」
聞いたウルスは、不思議そうに首を傾げ。
「でも…貴方は種別の違いを気にしているように見えるけどなぁ」
「ああ、それは否定しませんよ。興味を覚える対象が個か全か、と言う違いですから」
ここでクラウンは急に立ち上がると、撃退士たちに向けて切り出す。
「いいでしょう。では、これからしばらくあなた方にお付き合いするとします」
タキシード姿の青年に付き添う学生達。かなりシュールな光景の気がしないでも無いが……まああとの二班と比べれば大したことは無かったり。
●対話
7月の遊園地は、既に真夏の様相を見せている。
「夏の遊園地ゆーたらこれな!」
友真が売店で買ってきたコーラをクラウンに差し出す。
「暑いときのコーラは美味しいっすよー」
受け取ったクラウンは、瓶をまじまじと見つめ。
「……この泡は何ですか」
「これは炭酸やねん。ああ、それとな。売店のおばちゃんにおまけしてもろたんやで!」
えっへん顔の友真に向かって、再び。
「炭酸って何ですか?」
「おまけスルーされたら関西人として辛い…って、炭酸は…何やろ諏訪さん?」
「ええ、自分ですか−?」
いきなりふられた諏訪は、考えながらおっとりと話す。
「ええとですねーこの泡は炭酸ガスと呼ばれるんですけどねー。飲むと清涼感が感じられるので入ってるんですよー? ぜひ試してみてくださいねー?」
「ふふ……わかりました。いただきましょう」
コーラを口にする悪魔を興味津々で観察しながら、諏訪は改めて挨拶をする。
「クラウンさん初めまして、ですよー? 自分は櫟諏訪と言います。自分の友人や恋人からあなたの話を聞いて、一度会ってみたかったのですよー。よろしくお願いしますねー?」
それを聞いたクラウンは、興味深そうに。
「おや、どうして私と会ってみたいと思ったのですか」
問われた諏訪は、一つ一つ言葉を選ぶように話す。
「そうですねー…人間に興味があると聞いたので、ちょっとお話しとかしてみたいと思ったのですよー?」
「ふふ……なるほど。単純なる好奇心、ですか。悪くないですね」
クラウンは愉快そうにそう言った後。
「私と何を話したいのですか」
「そうですねー…色々ありますけど……。まずクラウンさんは人間とはどういうものだと考えていますかー? 自分は案外、人と悪魔や天使には変わりがないんじゃないかなーって思いますよ−?」
問われたクラウンは、あっさりと頷いてみせ。
「ええ、そうかもしれませんね」
そして意外そうな表情の諏訪に向かって、続ける。
「悪魔と人の子の本質にはそう違いは無い……あなた方のことを知るにつれ、私もその可能性を見ていることは認めましょう」
「じゃあ…それでも人間に興味を持ち続けるのは、何故ですかー?」
「単純なる好奇心、ですよ」
クラウンは諏訪に向かって口の端をあげてみせる。
「わからないから知ってみたい。貴方と同じように、ね」
「その話、もっと詳しく聞いてみたいな」
発したのは、真里だった。
「初めまして、クラウン。俺は貴方と戦った友人達の報告書を見させてもらったよ」
穏やかな口調で語りかける。
「その上で、知りたいんだ。どうして俺たち人間に興味を持つようになったのかな」
問いかけながら、少し自分が緊張しているのを感じる。
(……これが、悪魔なんだ)
見た目は自分たちと大差は無い。けれど目前で足を組む青年から発せられる禍々しいオーラは、明らかに人のそれとは違う。
悪魔との対峙は初めてである彼にとって、自身より圧倒的な存在を前にすることは畏怖に近いことでもあり。
それでも話してみたいと思うのは、報告書で読んだこの悪魔の動向に興味を覚えたから。
クラウンはコーラの瓶を眺めながら、口を開いた。
「最初は欲しい、と思ったのですよ」
「……欲しい?」
怪訝な表情の真里に対し、ゆっくりとうなずき。
「面白そうなものは手に入れてみたい。あなた方もそうでしょう?」
「それは…うん。否定はできないと思う」
素直に認める真里に向かって、悪魔は笑み。
「ええ。理解できないものへの欲求は、ごく自然なことだと思いますよ。私は人の子が持つ思想の多くに興味を覚えました。それはみな、私の中に存在しないものでしたから」
「そっか…じゃあクラウンは自分とは違う存在について、興味を覚えるんだね」
「同じものはすぐに飽きてしまいますからね。ただ……」
「ただ?」
微かに首を傾け。
「手に入れてしまうのは面白くない、と気付きましたのでね。別の方法を試しているのですよ」
そう言って微笑む悪魔を見て、真里は思う。
(……まるで子供みたいだ)
無邪気なほどに、自らの欲求に忠実で。
(ある意味で、凄くわかりやすいんだけど……)
それでもわからない、と思ってしまうのはやはり自分とは相容れぬ部分があるからなのだろうか。
ここで、祈羅が切り出す。
「せっかく遊園地来たんだし、アトラクション乗らない?」
「ええ、構いませんよ」
返事を聞いた彼女はにやっと口の端を上げ、目前のジェットコースターを指さした。
「あれ! あれがいいと思うよ♪」
ちなみに遙か彼方にはティーカップが見える。そのうちの一台が異様な速度で回っている気がするのは気のせいだろうか。
「いいですね、乗ってみましょう」
クラウンを案内する横で、歩が青ざめながら祈羅に声をかける。
「ね……姉さん、かなり前衛的だねぇ」
「そうかな? あの子ならこれくらいじゃないと刺激が足りないかなって思って」
それにしても、敵対する悪魔と遊園地で遊ぶなどと、誰が予測しただろうか。
歩は渋々従いながらも、クラウンを振り向き。
「最初に言っておくよぉ」
「何でしょうか?」
彼はまっすぐに悪魔を見据え。
「お前には興味あるし話したい事はあるけど、馴れ合うつもりはないからねぇ」
そして何も言わないクラウンに向かって、告げる。
「いずれこの手で倒すと決めた相手だからね、お前はぁ」
「あっもう歩ちゃんまた!」
目ざとく聞きつけた祈羅が、怒った調子で言う。
「うちがいながら、この子を口説くんじゃ無い!」
「ね、姉さん口説いてなんかいないよぉ」
祈羅は「いーや」とかぶりを振り、クラウンの方を見やる。
「ほら、見なよ…あの嬉しそうな顔」
二人の視線の先の悪魔は、相変わらず微笑を浮かべたまま。しかしその目には、嬉々とした色が映っているのがわかる。
「ふふ…貴方の言葉、覚えておきましょう」
それを聞いた歩は、苦笑しながら肩をすくめた。
●交差
大方の予測を覆すこと無く、クラウンはジェットコースターに乗っても顔色一つ変えることは無かった。
「さ…さすがに十五回連続はきっついな……」
「だねぇ……ボクもちょっと限界かなぁ」
ふらふらとした足取りで友真と歩がベンチに座り込む。一方で全く平気そうな祈羅が、紅茶を振る舞い。
「はい、水分補給は大事だからね!」
ひとまず皆で休憩。そんな中、諏訪が尋ねる。
「クラウンさんどうでしたー? 乗ってみた感想は」
「そうですね。肩を押さえつけるものが煩わしく感じた以外は、悪く無かったですよ」
「ああ、安全バーのことだね」
真里の言葉にクラウンは神妙な顔で呟く。
「うっかり破壊しそうになりましたね…あれは不要ではないですか」
「それダメ、絶対…! それとうっかり禁止ですからねミスター」
一臣が生暖かく微笑んだところで、諏訪がにこにこと言う。
「こういう場所はみんなで遊んだ方が楽しいですよねー? まあ、遊園地に限った話じゃないですけど、自分の場合は恋人だったりみんなで来て、楽しむのが大事だって思いますよー?」
「ええ、私も余興は多くでやるのが好きですから。わかりますよ」
それを聞いた諏訪は首を傾げた。
(…ならどうして一人でいたんですかねー?)
そこでウルスが手に持っていたカードを見せる。
「どうです? 休憩の合間にカードゲームでもいかがですか」
「……おや。これはトランプやタロットとは違うようですね」
興味を示した彼を見て、ウルスはここぞとばかりに語り始める。
「トレーディングカードって言うんですけど、面白いですよ。このカードがですね…」
二千文字を費やす勢いで語るウルスを、悪魔はどこか愉しそうに見つめている。
「――と言うわけで、今僕はこれに嵌まっているんです。……まあ、やっている人は少ないんですけれど」
「いいのではないですか。貴方の関心は、貴方だけのものなのですから」
かけられた言葉にやや驚きながらも、気付く。
「……ああ、そうか。さっき貴方が言ったことはそう言うことだったんですね」
興味を覚える対象が、個か全かと言う話。
「カードゲーム全てに興味を持つ人もいれば、僕みたいに特定のトレーディンカードだけに興味を持つ人もいる。クラウンさんも同じだと言いたいのでしょう?」
焦点の当て方が違うだけのことで。
「つまり貴方は、たまたま人間と言う種族全体を知りたいと思ってしまった……」
無言の肯定を見せるクラウンに対し、苦笑する。
「随分やっかいなものに関心を持ってしまったんですね」
「ふふ……そしてやめられない、と言うわけです」
それを聞いたウルスは思わず笑んだ。
「僕と同じと言うわけですか」
「そんなに人間を知りたい、と言うのなら良く観察することだねぇ」
未だ青白い顔のままの歩が、クラウンを見やる。
「全体を知りたいなら、個を知ることも必要だからねぇ」
「ええ。その意見には同意します」
微笑む悪魔に対し、歩はどこか独り言のように続ける。
「曰く『記録は嘘をつかない』だそうだぁ。同じような行動、言動をしてもひとりひとりどこかが異なる。その違いが明確な個であるという事だからねぇ」
「そうですね。私が今まであなた方と行ってきた遊びも、個が違えば結果はまた異なっていたかもしれない、と思いますよ」
「……嫌みだねぇ。それはボクが関わった事件のことを言っているのかなぁ?」
全滅を免れなかった苦い依頼。あの経験があったからこそ、この悪魔を必ず討つと決意するに至ったのだが。
「ふふ…どの遊びもですよ。私はあなた方が出した答えを、観測し続けるだけですから」
それを聞いた歩は、一旦黙り込んだ後。
「個を観察してるとねぇ、気付くんだなぁ。誰かの代わりになんて存在しない。誰かを演じることは出来ても、誰かになることは出来ないってねぇ。……だからボクは、ひとつの命を想うのだろうなぁ」
「ええ。それは私も同じです」
歩は意外そうに。
「……やれやれ、相変わらずお前はわからないねぇ。人を知りたいと言ったかと思えば、ひとつの命を想うと言う」
「ふふ…ですがそれは貴方も同じではありませんか?」
しばしの沈黙。大きく息を吐きながら苦笑する。
「否定できないねぇ…人を知りたいのはボクも同じだ。より正確に言うと自分の事を、だけどねぇ」
そこで真里が、口を開いた。
「……俺、クラウンを見て感じていることがあるんだ」
「ほう、なんでしょうか」
「俺は…悪魔や天使は、人間のことを糧としてしか見てないと思ってた。ヴァニタスでさえも、悪魔は駒としか見てないと思ってたんだけど……クラウンはそういう悪魔とは、少し違うのかなって」
それを聞いたクラウンは、興味深そうに。
「どう違うと思うのですか」
「さっき言った『ひとつの命』にも繋がるんだけど、例えばシツジのこと。俺はその場に居なかったから、推測でしかないけれど……彼に対しては駒としてだけじゃない何か別の感情があったんじゃないかって」
「そうですね。私はあの者を駒だと認識したことはありませんよ」
「じゃあ、どういう風に思っていたのかな」
問われたクラウンはくすりと笑み。
「ふふ……それはあなた方の想像にお任せするとします」
「……あの、ミスター」
切り出したのは、友真だった。
「なんでしょうか?」
「その…シツジ殿のことやけど。ちょっと話してもええかな」
この悪魔の僕にして、つい先日自分たちの手で討った相手。どうしても、聞いておきたかったから。
「あの人…俺の名前を呼んでくれて、子供扱いせず真摯やった。とどめを刺した自分が言うのはおかしいかもしれんけど…話したら好きやなて思ったん」
今でも討った瞬間を思い出す度、心が痛む。
「だから俺……ミスターとも話してみたいて思ったん」
それを聞いたクラウンは、ややおかしそうに。
「おや。貴方は私を『ぶっ飛ばしたい』のかと思っていましたが」
「そ、それは今でも変わってへん! 貴方がやったことはやっぱり俺には許せへんことやし……けど」
友真は言いたいことを一生懸命、伝える。
「俺、シツジ殿と戦って気付いたん。この世界に勧善懲悪なんて無いんやないかって。きっとみんなそれぞれ信じる道があるんよな。その道を……上手く重ねていくことは、できへんかな?」
「なるほど。なかなか興味深いことを言いますね」
「き…きれい事やて分かってる。けど俺は、悲しみも寂しさも少ない方がいいから。……今は少し分かってくれるんやないかなって」
彼らの話を聞き終えたクラウンは一度瞬きをした後、緩やかに微笑んだ。
「ふふ……あなた方は、とことん私とは相容れないようですね」
「……え?」
「先に言っておきたいのですが、私はあなた方とわざと道を違えようとしているわけでは無いのですよ。たまたま、違っていただけのことですから」
そして撃退士たちを見渡し。
「更に言うと、私はそのことを不幸だとは思いません」
「……どうしてですかー?」
諏訪の問いに、躊躇無く。
「相容れぬからこそ、面白いからです」
「……どうしてそんなことが言えるの? うちは納得できないよ」
祈羅だった。彼女は隣に居る歩の手を無意識に握る。
「うちは好きな人や大事な仲間の事はもっと知りたいし、わかり合いたいって思う。クラウンにとってうちら人間は、ただ暇つぶしの存在だってこと?」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
「だって、そうとしか聞こえないし。相容れないからいいだなんて、うちは認めたくない…!」
「……姉さん。ボクはクラウンの言うこともわかるなぁ」
思わぬ恋人の反応に、祈羅は愕然とする。
「歩ちゃん…どうして?」
「それがアイツにとっての価値観なんだよぉ。姉さんが持っているものと違うだけのことさぁ」
クラウンは頷くと、続ける。
「ええ。あなた方にも譲れないものはあるでしょう。それは私にもあります。その譲れないもの、価値観の違いを私は知りたい。そして互いにすり減るほどにぶつけ合った先、何が起こるのかを見たいのです」
口元に浮かぶ、妖艶な微笑。
「その相手に、私は人の子を選びました。だから私にとってあなた方は――いつだって特別なのですよ」
沈黙が、メンバーの間を支配する。
悪魔の言ったことに、何を返せば良いかわからなかったから。
「――俺は、シツジ殿と戦えて良かったと思っています」
最初に沈黙を破ったのは、一臣だった。
「貴方から彼を奪ったことについても、俺は罪悪感は持っていないし後悔もしていない。あるのは、覚悟持って果たし合えた誇りのみですから」
何も言わないクラウンを、見据え。
「ただ…敢えて付け加えるならば、わずかな喪失感だった」
もう少し対峙してみたかったと思うのは、自分の我が儘なのだろうけれど。
「ミスター…貴方も同じように感じていたと思っていたんですが。違うのですか」
その言葉に悪魔は微笑んだまま、応える。
「手に入れられなかったからこそ、シツジは美しかった。――ええ、この甘美な痛みは、何者にも代えがたいものでしたよ」
そこで一臣は、ようやく理解した。
クラウンは、シツジを失ったことを嘆いたり悲しんでなど、いない。
――いや、それは少し違うか。
手に入れられないと理解した。わからないと、気付いた。
彼はその痛みを享受することに、まったく躊躇が無いのだ。
「……なるほど」
思わずかぶりをふる。口元には苦い笑みが浮かび。
愛しい相手がいる。かけがえのない仲間がいる。
失いたくない。失っていいなど、思えるわけが無い。
――わからないってこういうことを言うのか。
それでも感じるのは絶望ではなく。
「ミスター…なら俺が、貴方を観測し続けましょう」
「……ほう」
「わからないから知りたいと思う。…それは俺も同じですから」
その言葉に、道化の悪魔が目を細めたとき。
突然園内放送が鳴り響いた。
●不足
『……茨城県からお越しのクラウンくん、レックスくんがウォータースライダー前で待ってます……』
「……迷子放送、ですね」
ウルスの言葉とほぼ同時、クラウンは急に彼らに背を向ける。友真が慌てて。
「あっミスターどこ行くん?」
「あなた方との話、一旦中断させていただきましょう」
しかしクラウンが向かおうとする方向は、ウォータースライダーの方向とはまるで違う。
「……レックスの所に行くんじゃないの?」
真里の問いに、何も応えず。そのまま去ろうとする彼に、皆の表情に緊張の色が走る。メールを確認した一臣は。
(まずいな……そっちにはあの使徒がいる)
レヴィ班の報告によれば、まだ彼は園内にいると言う。ここでこの悪魔を見失うわけには行かない。
「もうちょっと、遊んでいきませんかー?」
「そうそう、まだ遊びたりないでしょ?」
諏訪と祈羅の言葉に振り返ったクラウンは、撃退士たちに向き直り。
「一つ。良いことをお教えしましょう」
そしてメンバーに向けて、薄く笑みを浮かべた。
「誰かに思い通り動いて欲しいのなら、相手の行動理由をよく考えることですね」
「なっ……」
「私が何故、あの場に一人でいたと思いますか」
クラウンの問いに、全員が黙り込む。彼はすっと目線を動かし。
「特に貴方」
指された一臣ははっとした表情で見返す。
「貴方はこの件について最初から疑問に思っていた。違いますか?」
「ええ…仰るとおりですよ、ミスター」
そう、最初からおかしいと思っていた。この悪魔が猫悪魔とはぐれて一人でいることが。
しかも――
(そうか、もっと早くに気付くべきだった)
クラウンは、レックスを探そうとはしていなかった。それはすなわち、彼がレックスとは意図的に離れていたという何よりの証拠。
大きく息をつき。
「……レックスを巻き込みたくなかったから、ですね」
「ええ、正解です」
クラウンはそう応えた後、やや残念そうに言う。
「そこまで気付いていたことには、感心します。ですが、詰めが甘かったですね」
そして再び彼らに背を向けると、告げた。
「ふふ…私はそう甘くはありませんよ」
次の瞬間。
道化の悪魔の姿が一瞬にして見えなくなる。
「見失いましたよー?」
「レヴィ班に連絡せな!」
諏訪や友真が連絡する中、ウルスが一臣に向かって言う。
「ああ……あなたの言った意味、ようやくわかりました。あの人は使徒の正体を『一人で』確かめに行きたかったんですね……」
レックスを連れていけば、彼をトラブルや危険に巻き込む可能性がある。
歩も頷き。
「どうやらそういうことみたいだねぇ。目的ある行動を抑制するには、あと一手足りなかったかなぁ」
思えば。
あの猫悪魔や使徒と比べ、この悪魔は遥かにやっかいなことはわかっていて。
祈羅も悔しそうに呟く。
「うん。多分うちらが一番難しい対応を迫られてたんだよね……」
気を引くには、一歩足りなかった。交渉へ持っていけば、あるいはレヴィの情報を予め知らせておけば、また違ったかもしれない。真里も周囲を見渡し。
「……とにかく探すしか無いね。何事も無いことを祈ろうか」
※※
ミラーハウスの中に、クラウンは立っていた。
自らが映し出された鏡の向こう。確かに感じるのは、自分とは異質の気配。
「……おや、貴方でしたか」
姿をはっきり見たことは無い。けれどのこの気配は、かつて感じたことがあるもの。
「直接お会いするのは初めてですね……狂奏の道化師殿」
鏡の中の自分が微笑む。柔らかで静かな響きと共に、微かな緊張が空気に伝わる。
それでも互いに警戒の色を見せないのは、ここへ来るまでの時間が濃く満たされたものだったから。
道化の悪魔は、語りかける。その声音に無邪気さを乗せて。
「少し、話をしましょうか。今日の私は機嫌が良いですから」
※※
●発展
再び戻って来たクラウンは、変わらず機嫌が良さそうだった。
「さて…目的も果たしましたし、そろそろレックスを迎えに行くとしましょうか」
そして撃退士たちに向けて言う。
「とても有意義な時間でした。礼を言いましょう」
彼らも何をしていたのかは敢えて聞かず。それぞれに別れを告げていく。
「これ、レックスとどうぞ」
一臣が差し出したのは二つのイチゴオレ。悪戯っぽい笑みを浮かべ。
「迷子記念に。あ、袖の下なのでご遠慮なく」
友真もぺこりと頭を下げ。
「ミスター、話してくれてありがとう。あっ最後にこれ教えとくな。観覧車のてっぺんはな…ちゅーポイントなんやで…!」
「そんな最後に誤情報教えなくても……」
真里がそっとツッコミながら、穏やかな声音で。
「今日は楽しかったよ。また、会えるといいね」
ウルスがトレーディングカードの一枚を差し出しながら。
「これ、お渡ししておきます。今度は対戦でもしましょう。それから…」
まっすぐと、悪魔を見つめ。
「僕の両親は心の底から愛し合っているように見えますよ」
その言葉に、互いに笑みを重ねる。
「人の気持ちって不思議なものですよね」
「あっクラウンさん待ってくださいよー?」
諏訪が呼び止めながら伝える。
「自分はできれば人と天魔が手を取り合える、そんな未来を作っていきたいですねー?」
それは自身の夢でもあり。
「理想ですし、現実を見れば問題だらけですが、人間同士戦争で憎みあっていた時代があった上で今があるように、決して不可能だと思いたくないのですよー?」
「ふふ…それが貴方の『譲れないもの』なのですね」
「ええ、そうですねー。何故かは分かりませんけど、クラウンさんに知っておいて欲しかったのですよー?」
諏訪の言葉にクラウンは微笑む。
「覚えておきましょう」
「ええっと、今日は成り行き上一緒に遊んだけど…」
祈羅がびしぃ、と指を突き付け宣言する。
「うちはいつかあんたに説教するんだからね。覚悟しておくように!」
そんな彼女を見て苦笑しながら、歩が最後に告げる。
「また会う日を愉しみにしてるよぉ……次は、勝つ」
それを聞いた道化の悪魔は、最後にゆっくりと頷いた。
「ええ。また、近いうちに」