人間の本質なんて、変わるものじゃない。
これは一つの真理であり、答えでもある。
少なくとも自分はそう結論づけているし、反証を見た記憶も無い。
言うなれば、事実という論理性不要の存在現象。
ただし、本質が『何か』については――
●
公園に降り立つ八人の撃退士。
西橋旅人(jz0129)が注意深く周囲を見渡す。
「通報者によると、敵は公園中央付近にいるはずだ。急ごう」
「了解。さぁ、いつも通りに仕事しますか」
友人である加倉 一臣(
ja5823)が気安い調子で返す。同じく友人の月居 愁也(
ja6837)が、闘気を身に纏いながら。
「旅人さんが言ってた執事姿の男が気になるけど…」
とりあえずは、一般人保護が先。
そう口にしようとした時。
鋭い悲鳴が意識に滑り込んだ。
※
「あ……」
夕陽を背に浮かぶ、真っ黒な箱。
大きさは一辺二メートルくらいだろうか。二体のそれは黒々とした艶を放ち、不気味に浮遊する。
その前で、水木坂高校の女生徒達は座り込んでいた。
彼女達の側には、血だまりの中倒れ伏す教師三好薫の姿。
「先生…目ぇ覚ましてよ。ここに居たら死んじゃうよ」
さすってみても、反応はない。一人が震えながら言う。
「と…とにかく逃げなきゃ」
次の瞬間、黒い箱が発光を始める。
「やばい、また来るよ!」
「いやああ死にたくない!」
箱から放たれる衝撃波。もうだめだと目を閉じた時。
「――大丈夫か?」
いつの間にか、彼女達の前に立っている影。
シールドを展開させた小田切ルビィ(
ja0841)だった。
「助けに来ました、まずは落ち着いてください」
救助班の六道 琴音(
jb3515)が取り乱す生徒達に声をかける。
「ここは俺が引きつけるぜ」
言いながらルビィは挑発を発動させる。愁也が薫を背負いながら、彼女達に指示。
「動けるか? 動けるなら立って走れ!」
腰が抜けた一人は旅人が背負い、一臣が少女達に声をかける。
「俺らが守る、心配しなさんな。さ、行こう」
救助班が避難する間、攻撃班は一斉に臨戦態勢に入った。
「へぇ、アレが敵か。面白ェカタチしてるじゃねぇか」
闘気を解放させた狗月 暁良(
ja8545)が、強烈な蹴りをキューブに打ち込む。
鈍い衝突音と共に、やや体制を崩したところをカエリー(
jb4315)が放つアウルが襲う。
「逃げられると、やっかいだからね」
それは絆という名の鎖。逃さぬ為の刻印の儀式。
直後、一体のキューブから鋭い一撃が放たれる。うまく回避したルビィの後方から放たれる弾丸。
「さあ、お前の相手は俺や!」
小野友真(
ja6901)の精密射撃が、箱の中央を射貫く。再びぐらつく黒の体躯。
その直後だった。
もう一方の箱が微かに震えたと同時、漆黒のオーラが音も無く空を切る。
「何か今嫌なビーム出たよな!?」
友真の視線の先、黒の照射を両手で受け止めたのは暁良。一瞬の沈黙の後、箱の中から飛び出したのは巨大な鎖。
「なっ…」
禍々しい発気を帯びたそれは、一直線に暁良の手元へと絡みつく。
「何が起こったのかな」
カエリーの問いに彼女は、肩をすくめながら。
「何か当たったトコが封じ込められちまうみたいだな。動かねぇ」
動かそうとしても力が入らない。
「……戦える?」
問われた暁良は、何故か不敵に笑み。
「まあ、チェーン系のアクセサリは好きな方なンでな」
再びキューブの方へ走り込むとアウルを集中した足で蹴り上げる。
「ちょっとデカめのアクセサリ程度に考えておいてやるよ」
※
敵の射程外へと避難した救助班は、重傷者の治癒を始めていた。
「とにかく止血を…出血がひどいです」
額に汗を浮かべながら、琴音が止血を始める。
「わかった。六道さんが治療に専念できるよう、ここは僕とオミー君で守る。愁也君は前線を助けてもらえるかな」
「了解、行ってきまっす!」
言うが早いか、愁也はきびすを返し全力移動。その背を見送る一臣が、長距離射程の銃を構え呟く。
「さて…俺はここから、狙わせてもらうとしますかね」
※
「これでもくらいやがれ!」
ルビィが振り抜いた刀から放たれる、高圧の衝撃波。
直線範囲全てを巻き込むそれは、二体同時に薙ぎ払うことを可能にする。
カエリーが損傷が激しそうな方へ、アウルを集中させた一撃を放つ。腕に装着された機械が、攻撃と同時にまるでからくりのように細部移動を繰り返し。
「とりあえず、一体集中攻撃をした方がいいかもしれないね」
「ああ。あの黒ビームはやっかいだからな」
キューブの攻撃を避けながら、暁良も頷く。もう一度あれを受けたら、今度こそ動けない。
撃退士達の猛攻は続いていた。
その間にも何度か黒のオーラは放たれたが、ルビィのシールドと戦線復帰した愁也の盾がそれをうまぐしのぎ切り。
一臣、友真の回避射撃の効果も相まって、さらなる鎖に捕らわれる者はいない。
「行くぜ!」
極限まで威力を高めた一撃。愁也の薙ぎ払いは一体の体躯にひびを入れ、そこを友真がとどめを刺す。
「よし、後一体やで!」
直後、残りの箱から放たれる衝撃波。鎖の影響で一瞬逃げ遅れた暁良を、ルビィが庇う。
「悪ィな」
「人柱をさせちまったんだ。フォローは任せてもらうぜ」
「遅くなってすみません。いま癒します!」
戦線復帰した琴音が、傷ついた者の治癒を行う。
彼らのチームワークは見事だった。互いに補い合うさまは、敵のつけいる隙を与えない。
「あっ…!」
突然浮遊速度が速まったキューブは、林の中に飛び込む。陽が落ちてきているため、その一体は既に夜が始まっていた。
「なるほど、闇に乗じて逃げようってんだな」
ルビィがすかさず後を追い、
「逃がさないよ」
カエリーが瞬時に箱が居る場所を指摘。索敵を行っていた友真がいち早く攻撃を打ち込む。
「そう簡単に逃がさねェよっ」
暁良が振り抜いた蹴りが箱を吹っ飛ばし、一臣の攻撃が体躯を打ち砕く。
「これで終わりだな」
ルビィが放った衝撃波が、黒塊を見事粉砕し――
辺りに、静寂が戻った。
●
園内は、いつの間にかすっかり日が暮れ宵の闇がすぐそこまで迫っていた。
三好薫の状態を確認していた琴音が、ほっとした表情を見せる。
「まだ意識は戻りませんが……呼吸も安定していますし、大事には至らないでしょう」
「よかった…六道さんの処置が良かったからだね」
微笑む旅人に、琴音は恥ずかしそうに。
「いえ、私はできることをやっただけですから…」
それでも、嬉しかった。こんな自分でも、皆の役に立てたのなら。
「よし、じゃあとりあえずこの人は病院に連れて行くとして」
薫を背負った愁也が、先程から黙り込んだままの女生徒たちを見る。
「――何があったか、話してくれるよな?」
彼女達は観念したのだろう。のろのろとした口調で、事の次第を語り始めた。
きっかけは、薫がある生徒を誉めたこと。
誉めた相手は、あまり素行の良い生徒ではなかったらしい。それが、彼女達には気に入らなかった。
贔屓している。
自分たちの方が、まじめにやってるのに。
その生徒の親が学校に多額の寄付をしていることを聞き、ますます腹が立った。
結局は金か。いつも気にかけている振りをして、本当は私たちのことなんてどうでもいいのだ。
だから、思った。痛い目をみさせてやろう、と。
「なんやそれ」
話を聞いていた友真が、怒りの色を見せる。年が変わらないからこそ、許せなかった。
「そんなしょーもない理由で、ここに呼び出したんか?」
脅かしてやろうとしたらしい。その誉めた生徒が襲われていると、電話したのだそうだ。
しかしそこに本当の天魔が現れた。生徒達を庇い、薫は瀕死の重傷を負ったのだと言う。
「だって、こんなことになるなんて思わなかったから」
「そういう問題ちゃうやろ、人殺すとこやってんぞ!」
びくりとなる少女。見かねた愁也が、ゆっくりと声をかける。
「本当にどうでもいいと思っていたら、先生は今こんなことになってないよな」
その声は落ち着いている。けれど明らかに怒りを含んでいて。
「俺も大人がウザいと思ってたことあるから、責めることはしない。けどな、心を、命を試す行為は、何にも劣る。俺の言ってること、わかるよな」
黙り込んだ少女達に、続けて問う。
「浅はかな行為は代償を伴う。その覚悟はあったか?」
静かに、けれどまっすぐな視線。向けられた彼女達は、耐えきれずうなだれる。
そんな彼女達を見て、カエリーがぽつりと。
「キミたちは結局、先生が好きだったんだよね」
顔を上げた少女達に微笑み。
「好きだから、嫉妬した」
利己的で拙すぎる愛情表現。彼女にとってはそれすら愛しいと、思ってしまうけれど。
口には出さない。
せきを切ったように泣き出す少女。
様子を見守っていた一臣が、口を開き。
「君たちは命懸けで守られた。その意味を、忘れちゃいけない」
「先生…ごめんなさい…」
彼女達が頷いてみせた、その時。
一陣の風が通り抜けたと同時、音も無く影が現れる。
瞬時に広がる、警戒の色。
「……戦線復帰はお互い様、か」
少女達を背に庇いながら、一臣は呟く。
桜舞う四国で刃を交えたその相手。
ヴァニタス『シツジ』の姿がそこにあった。
●
「お久しぶりでございますね」
静かに頭を下げる、悪魔の僕。
きっちりと身につけられた執事服、細身の銀縁眼鏡。銀灰色の瞳には、何の色も映らない。
いつも通りのその姿。何ら変わったところはない。
しかし以前会ったときより何かが違うように感じるのは、夕刻特有の移ろいのせいなのか。
「…先日はご回答に感謝を」
軽く目礼をする一臣の隣で、友真が言葉を発する。
「お久しぶりです、また会いましたね」
彼と話すのは今度で三度目。それでも、慎重に言葉を紡ぐ。
「今日のご予定は? また散歩ですか」
その問いにシツジは困惑したように目を伏せ、微かにかぶりを振る。
「……? どうかしたんすか」
「……いえ、なんでもございません」
「シツジさんよ。これはあんたの仕業か?」
単刀直入なルビィの問いに、今度は明確にかぶりを振ってみせる。
「いえ。恐らくは…主かと。私はここへ様子を見に来るよう、申しつけられただけございます」
「たった今来たと言うつもりか? そりゃおかしいぜ。あんたの目撃証言は、通報の時点であったんだ」
ルビィの言葉に、シツジは微かに笑み。
「その通報は、どなたがなさったものでしょうか」
一瞬の沈黙。
「――なるほど」
一臣が苦笑しながら言う。
「どうやらミスターの遊びに、付き合わされたってところか」
言いつつ、しっくりこないものを感じていた。なぜなら、当の本人が姿を現していない。あの悪魔の性格なら、必ず自分の目で見届けそうなものだが。
「……じゃあ、ミスターは何を…あ、その前に」
友真は視線で少女と、愁也が背負っている薫を指す。
「とりあえず、一般人は帰したげてもいいすよね」
このヴァニタスは無関係の人間を巻き込むのを好まないはず。
肯定の言葉を期待したのだが、シツジはその問いには答えず何故か困惑した表情を浮かべ黙り込む。
――何かが変だ。
一臣はそう感じながらも、慎重にその問いを口にする。
「……もしかして、どなたかに会いにでも?」
沈黙。
しかしそれは否定でも肯定でも無い、戸惑いのそれであることをみな感じ取っていた。
そして彼は、突然予想外の言葉を切り出す。
「……人間の――など」
「え?」
シツジはどこか虚ろな表情で、その言葉をはっきりと口にする。
「人間の本質など変わりはしない。これは一つの真理であり、答えでもある」
急に口調が変わったことで、撃退士の間に緊張が走る。
「……なんか、様子がヘンだね」
カエリーの言葉に様子を見守っていた琴音も頷く。
「ええ……報告で聞いていた印象と違うように感じます」
シツジは再び微かにかぶりをふると、まっすぐに視線を上げ撃退士たちを見据える。
「私はかつてこの言葉を口にした。けれどその後何を言ったのかが、どうしても思い出せないのです」
「……どう見てもコンランしてんな」
暁良の言葉に、観察に徹していた愁也も同意する。
「以前戦ったときは、どれだけ追い込まれても眉一つ動かすことなかった。あれは明らかにおかしい」
言葉の切れも悪かった。それは恐らく、一度会ったことのあるメンバーなら気付いていたことだろうと思う。
この場は逃げ出すべきか。
幸いシツジはこちらを攻撃してくる様子は無い。
もう少し情報を引き出せればと思ったのだが。
「……ここらが限界かな」
旅人の言葉に、一臣も目で頷き返した時。
愁也の背でその『答え』は響いた。
「ただし本質が『何か』については、未だ議論の余地を残す」
一斉に視線が集中した先。
愁也の背で目を覚ました三好薫が、まっすぐにシツジの姿を見つめていた。
微かに震える唇で、はっきりとその名を呼ぶ。
「会いたかったです……片桐先生」
●ではそれは何か
長い、長い沈黙だった。
その重さに押しつぶされそうな中、ようやく響いた低いテノール。
「……そうだな。もうあれから十五年近く経っていることを、私はすっかり失念していた」
苦笑しながら続ける。
「冥界にいると、時の流れがわからなくなるものでね。君があそこで教鞭を執っていることすら、思い至らないとは」
「先生、私……」
薫の言葉を遮るように、シツジは続ける。
「ありがとう。私のような者の言葉を、まだ覚えていてくれたのだね」
「忘れるはずが、無いじゃ無いですか。忘れることなんて…」
思い詰めた様子の薫に向かって、シツジは淡々と問う。
「それで、答えは見つかりましたか」
何も言わず黙り込む薫と、後ろで震える女生徒たちを見て、微笑を浮かべ。
「私は見つけたよ。自分の命が尽きたときに――ね」
聞いた瞬間、薫の顔が強ばる。
直後シツジは再び目を伏せかぶりをふった後、撃退士達に一礼をする。
「目的は果たしました。私はこれにて失礼いたします」
「あっ、待って……!」
呼び止める友真に対し、彼は振り返る。
「まだ、何も教えてもろてへん。一つだけ答えてください」
「…何でしょう」
「三好先生とはどういう関係ですか?」
それを聞いたシツジは一旦黙り込んだあと、苦笑する。
「良い質問でございますね、小野様」
「え?」
「あらゆる疑問を内在させた、ベストな問いであったと思います。もっとも…その問いに私が答えるわけにはまいりませんが」
ちらりとうつむいたままの薫に視線を移し。
「申し訳ありませんが、ここで失礼致します」
「あ、ちょい待ち」
再び呼び止めた暁良が、にっと笑む。
「ま、次に戦う時は…幾重にもヨロシク?」
「ええ――そう遠くないうちに」
悪魔の僕は、静かに頷き。 直後その姿は闇に溶ける。
後に残るのは、夜気の冷たさと宵の紺。
「結局肝心なことはわからずじまいか…」
多くの答えを彼らが知るのは、ほんの少し先の話。
時はここから、加速する