その報告書には、一枚の花びらがはさまっていた。
やや厚みのある、大きくて真っ白な花弁。
純白のそれは、ここに記載された内容を物語っているかのようで。
僕はつい手に取ると、陽に透かしてみる。
目に浮かぶのは――
●春
白木蓮が、満開になった。
早春を知らせる純白の花びらが、芽吹きに先立ち枝一杯に咲き誇る。
色を失っていた景色に、鮮やかな世界が甘い香りと共に戻り始める季節。
「……いい天気ですね」
澄み渡った空を見上げながら、石田神楽(
ja4485)が微いつも通りの微笑を浮かべる。
春らしく霞がかっているとはいえ、今日の天気は申し分ない。
「うん。結婚式日和ってやつだ」
月居愁也(
ja6837)が張り切った表情でうなずく。
未だ肌寒さを残すものの。
どこか心が浮き立ってしまうのは、春の訪れを存分に感じ取っているからに他ならない。
「こういう日に式ですか……きっと素敵なんでしょうね」
淡々とそう呟くのは、雫(
ja1894)。その表情に変化は見られないものの。
天涯孤独の彼女にとって、伴侶を得る幸福の儀式は心惹かれるものもあり。
それは少女としての淡い憧れと言うよりは、家族への羨望に近いものなのかもしれない。
対する月丘結希(
jb1914)は、あっけらかんとした様子で。
「結婚式は女の子の夢って言うけど、あたしはあんまり興味ないわね」
ツインテールに陰陽師装束。陰陽師大家の家系に生まれた彼女だが、今の興味は専ら「魔術と現代科学の融合」だったりする。
つまりは恋とか結婚よりも、研究に夢中なわけで。
「でもま、だからと言って幸せを邪魔する奴は許さないけどね」
そう言ったところで、一人が高岡に向けて切り出した。
「……で、汝は幼馴染の婚儀を良き思い出のままに終わらせたい、と言う事かな」
おもむろにそう問いかけるのは、アレクシア・エンフィールド(
ja3291)。
彼女の黒く長い髪が、穏やかな陽光を浴びて艶やかになびく。
問われた高岡は、微かにうなずき。
「……ああ、そんなところだ」
仏頂面の表情からは、あまり感情が読み取れない。
しかしその目に深い意志が宿っているのを、アレクシアはとうに心得ていて。
「避難と言う前提条件を覆し、危険と隣り合わせの状況に置きながら――とは、言うまいよ」
通常であれば式の中止を申し出るべきであり。それを頑なに拒むにはそれ相応の理由があると知っているから。
「あぁ、その胸に抱く情の実に愛い事だ」
悠然と微笑んでみせ。それを聞いた高岡は一旦視線を落とした後、七人に向かって頭を下げ。
「自分が無茶を言っているのはわかっている。皆が受け入れてくれたこと……感謝している」
「……頭を下げる必要はない」
先程からずっと黙っていた摂理(
jb3748)が薄く唇を開く。
「……式の邪魔をする輩など、馬に蹴られて地獄に落ちるがいい」
必要最小限しか話さない彼。しかしどうやら、この依頼を成功させたいと言う思いは強いらしく。
「困った人を助けるのがヒーローだからな」
赤いマフラーをなびかせた千葉真一(
ja0070)がサムズアップする。
「一生の記念に残る日だ。邪魔なんかさせないぜ!」
八人の想いは、確かに同じ方向を向いていた。
●邂逅
どこからか、鐘の音が聞こえてくる。
それが教会の鐘だと皆が気付いたとき、「それ」は現れた。
「来たな――」
真一がにらみ据える視線の先。身体中を燃えさかる炎に包まれた冥魔の姿。
人型と言えばそうかもしれない。しかし赤々と発光する全身は、異形と呼ぶ他はなく。
漏れ出る吐息はまさに灼熱の息吹。
禍々しさを隠そうともしない有様を見て、雫が宣言する。
「さあ、騒動にならない内に速く片を付けましょう」
闘気を解放させたその瞳が、真紅からさらに深さを増し。
「ああ。招かざる客はお帰り願うぜ!」
真一が声を張ると同時、彼の身体をまばゆい光が覆う。
「行くぜ! 天・拳・絶・闘、ゴウライガぁっ!!」
ヒーローに憧れ、そうあるべく日々奮闘する彼。ヒーローのかけ声は、自身を奮い立たせるためでもある。
「先手必勝、ゴウライパァァァンチ!!」
目前の敵に突進すると、渾身の掌底を叩き込む。
「ギイイイイイイッ」
うなり声を上げ、後方へと勢いよく吹っ飛ぶフラゴル。
「時間は限られている――では、粛々と終わらせようか」
刀を手にしたアレクシアが素早く間合いへと入り。
音もなくその刃を一閃させる。後に残るのは、長い黒髪の残像。
そこを神楽の銃撃と高岡の一撃が襲う。
撃退士達が次々に攻撃態勢へと入っていった。
各々が奮戦する中、摂理は隣に立つ真一に向かってそっと問う。
「その手、大丈夫か」
「……ばれたか」
見れば攻撃を撃ち込んだ方の手が、赤く爛れている。酷い火傷の症状だ。
「あれの体表温度は、想像以上に高いみたいだ」
触れれば瞬時に火傷を負ってしまう程に。
「あまり無理をするな」
摂理の言葉に、真一はうなずき。
「ああ。でも全て打ち込むくらい、耐えてみせるぜ」
何としても敵を式場に近づけはしない。相手を後方へ吹き飛ばす掌底を、真一は止めるつもりもなく。
その意志を感じ取った摂理は、何も言わず盾を構え。
真一の前へ素早く出ると、突撃してきた一体を受け止める。
散る火花と、鈍い衝突音。
一撃を止めた彼は淡々と。
「千葉君への攻撃は、俺が受けきってみせよう。思う存分、戦ってくれ」
フラゴルの回避力はそこそこ高いものの、八人の攻撃は確実に敵の体力を削っていく。
しかしもちろん、敵も黙ってはいない。
「攻撃来るぞ!」
直後、向かってくるのは灼熱の牙。
「ぐ……っ」
高温の一撃が、アレクシアの肩を直撃する。
何かを焼き焦がす耳障りな音と共に、どす黒い煙があがり。
魔装の一部を破壊し、肌へと触れたそれに思わず苦痛の声を漏らす。
後方からその様子を見ていた結希が、眉をひそめ。
「まずいね……あれはかするだけでも、結構やばい気がする」
言うなれば高温に熱しきった金属で殴られるようなもの。ほんの少し触れるだけでも、ダメージになりかねない。
「それなら、動きを封じるのが一番良さそうね!」
放たれるのは真紅の機体から生み出される、束縛の砂塵。
淀んだオーラが見事一体に命中すると同時、敵の動きが停止する。
「陰陽師だからって、符やら結印、呪具を使う訳じゃないわ」
スマフォ画面を指で一撫でした彼女は、どこか得意げに。
「術式の本質を理解すれば、アプリケーションに出来るのよ!」
「うおお、すっげえ……」
石化したフラゴルとスマフォを見比べて、愁也は感心したように。
何がどうなっているのかさっぱりだが、とりあえず凄いことだけはわかる。
「ナイス足止め。俺も負けてられねえな!」
そう言って彼が編み出すのは、凍てつくような氷の刃。
「火には水って言うだろ。専門職じゃねえがそれなりに使えるぜ?」
放たれたそれらは勢いよくフラゴルへと命中し。強力な一撃が対象の生命力を一気に奪う。
「よっし!」
石化中は物理防御が上がっている為、魔法攻撃を選択したのは良手だった。
「いい流れですね。では私は」
言うが早いか、遙か後方から放たれる強力なエネルギー弾。
神楽が放ったそれは、正確にフラゴルの喉元へと撃ち込まれる。
叫びにならない悲鳴が上がったと同時。
石化したフラゴルを纏う炎の色が、変化し始める。
橙色は次第に濃く、更に灼熱の色へと燃え上がっていき。
「赤色に変わったわ!」
結希の言葉に、神楽も頷き。
「確実に喉は潰しましたから、音声攻撃は防げたはずですが……」
「ええ。後は自爆さえ防げれば……!」
「石化が解除される前に一気に畳みかけるぞ!」
大剣を手にした雫が風圧と共に渾身の一閃を放ち、そこを真一の蛇腹剣が襲う!
「ゴウライソード、ビュートモードだ。喰らえ!」
稲妻のような閃光が走り、斬りつけられたフラゴルはあまりの勢いにはじき飛ばされ。
そこをアレクシア、神楽の攻撃が命中する。
「危ない!」
雫を狙ったもう一体の攻撃。高岡が庇おうと前に出てきたところを、更に別の影が横切る。
「ぐうっ……」
「摂理君!」
高岡を庇ったのは摂理だった。とっさのことで上手く受け切れなかったのだろう。
焼けただれた腕からは、どす黒い血が流れ落ちる。
そんな彼を見て、高岡が思わず声を荒げ。
「無茶はするな! 俺も盾となるつもりで参加している。庇う必要はない」
「……いや」
流れる血をぬぐいながら。摂理は頑として譲らないといった様子で言い切る。
「君の負傷は避けたい」
「何?」
驚いた様子の高岡に構わず、摂理は盾を構え。
「気にする必要は無い。これは俺の勝手だ」
「なっ……」
それを聞いていた結希が呆れたように。
「しょうがないわね、あんたの回復はあたしがやるわ。ただしあんまり期待しすぎると痛い目見るわよ?」
「……いや、充分だ」
微かに笑む摂理の横で、愁也も武器を構え。
「いいね、摂理さんに賛成。俺もやるぜ!」
再び放たれる氷の刃が石化中のフラゴルを直撃し。
「これで終わりです」
漆黒の銃身から放たれる必殺の一撃。
神楽が放った銃弾が、フラゴルの喉元へと再び直撃したと同時。
身体を覆う炎が一際大きく燃え上がり――その身は崩れ落ちた。
●護る
「よし、一体は片付けたな!」
真一はそう叫ぶと同時、残りのフラゴルに再び掌底を放つ。
「っつう……!」
後退するフラゴル。手に伝わる高熱と激しい痛み。激痛に耐えながら、真一は前をにらみ据え。
「あと少し……耐えきってみせるぜ…!」
敵を倒すだけならば。
こんな無理をする必要はなかった。素直に武器に持ち替えて戦えば済む。
けれど高岡の望みを叶えるために、失敗のリスクは出来るだけ下げたい。
合理的なだけが仕事の全てだとは思わない。
これは彼なりの意地でもあるのだから。
「幸せを護る為に、この先には一歩も進ませない」
雫が大剣を握りしめながら、宣言する。
高岡が抱える想いがどういうものかは、わからない。けれど依頼に向けての意志の強さは、伝わってくるから。
やり遂げたい。
手にした刀身に、アウルを集中させ。
彼女は思う。
その強い意志の正体を知ってみたい。
単純な好奇心と、少しの憧憬。
素早く突進した雫は、大きく振りかぶると一気に叩きつける!
「ギイイイイイイイ!」
脅威の攻撃力にフラゴルは苦痛の叫び声をあげ、そこをアレクシアの放つ大太刀が襲う。
「ああ。何事もなく倒せれば、何事もなく終わる。彼女には無縁のまま、世は事もなしだ」
彼女は総てを愛している。
既に察している高岡の抱く想い、結婚式という祝福の儀、そして対峙するディアボロまでも。
故に、一分の躊躇もなく敵を叩く。
戦う為だけに作られたのなら、こちらも相応に対応するのが愛。
――その身朽ちるまで。刃を交えてやろう。
それが彼らに残された、道であるのなら。
撃退士達の猛攻は、凄まじく、そして連携に優れていた。
何より高岡の望みを叶えたい。
彼らの中に生まれた無意識の連帯感が、攻撃の連打を可能にしており。
「さあもう一度、全力で狙い撃たせていただきます」
そう宣言した直後、神楽の構えた銃が瞬時に形状を変化させ始める。黒い蔦となった一部が彼の腕へと巻き付くと同時、激痛を身体が襲い。
「――っ」
それでも顔に出すことは無く。微笑を浮かべたまま放つ信念の弾丸は、遠く離れたフラゴルの喉元へと撃ち込まれる。
炎から上がる、声にならない悲鳴。
「さあ、このまま攻めきるぞ!」
灼熱の攻撃を摂理が受け止め、そこを襲う愁也と結希の一撃。
強烈な連続攻撃は、先程よりも速い速度で生命力を奪っていく。
このまま一気に片が付くかと思われた時――
追い詰められた炎の化身は、ここで予想外の動きを取った。
「火が……!」
周囲に響く火花が散る音。
フラゴルは大きく跳躍すると自ら一度後退し。近くの木々へと飛び移ると、その身から発せられる炎で火を付け始めた。
「まずい、あいつ火事を起こす気だ!」
真一の言葉に、延焼部を撃ち落としながら神楽も呟く。
「ええ。どうやら熱風でこちらの体力を奪おうとしているのでしょう」
「させるかよ、とにかく消火だ!」
愁也や雫が燃え移った箇所から粉砕していく。全員の消火作業により一瞬にして燃え広がることは避けられてはいるものの。
「思ったより火のまわりが速いな……」
眉をひそめるアレクシアの言葉に、消化剤を噴射していた結希も叫ぶ。
「乾燥しているせいね。このままじゃ消火より速く、燃え広がってしまうわよ!」
フラゴルの炎はまだ赤にはなっていないため、火が回る前に倒しきるのは難しい。
真一と高岡が額に汗を滲ませながら。
「くっ……そうなれば、式場の人間に気付かれてしまうぜ……」
「一体どうすれば……!」
「千葉君、高岡君こっちだ」
焦る彼らに呼びかけたのは、摂理だった。
「俺に付いてきてくれ」
「えっ……?」
怪訝な表情の高岡に構わず摂理は他のメンバーに指示を伝える。
「皆少しの間、消火と敵の足止めを頼む」
言うが速いか、全速力で移動し始め。数十メートル走った先に見えたのは、道端に据えられた大きなコンクリート製の箱。
『消火栓』と書かれたそれを見た高岡ははっとした表情になり。
「そうか、これを使って…!」
摂理は素早く箱を開け、放水ホースを取り出しながら説明をする。
「実は事前にガーデン管理用の散水施設を訪ねておいた。もちろん敵が出ることは伝えず、火事になった場合に供えての調査という名目だが」
最悪の事態を想定していた彼は、先回りしていたのだと言う。
「万が一に供えて周囲を水で湿らせられれば……と思っていたんだが、その時この近くに消火栓の存在を教えてもらった」
元々乾燥していて火事が起きやすい地域と言うのもあるのだろう。こういった消火栓が道端に据えられているのだと言う。
「よし、じゃあ俺はホースを持って現場へ向かうぜ!」
真一達の手によってホースは現場へと届けられ、摂理の水栓解放により大量の水が放たれる。
「やった!」
序盤での消火活動。そして三人の迅速な放水作業により、燃え広がりそうになっていた火はなんとか消し止められた。
「良かった……これで、ばれずに済みそうですね」
雫がほっとして頷く横で、アレクシアも。
「ああ、煙の量も大したことはない。気付かれてはいまい」
被害が広がらないように足止めをしていた愁也が、低い声を出す。
「さあ、これで切り札は無くなったな」
その顔は怒りに満ちていて。槍に持ち替えた愁也はフラゴルをにらみ据えると、突撃体制を取る。
「晴れの門出、祝福する想い。どっちも潰させるわけにはいかねえんだよ!」
放たれるは紫焔を纏った強烈な一閃。
全身のアウルを燃え上がらせ放つ攻撃は、脅威の破壊力とスピードでフラゴルの体躯を貫く。
「好き勝手やってくれたわね!」
「容赦はしません」
結希と雫の攻撃が見事命中した直後。
フラゴルの炎が赤く染まる。
「色が変わった……!」
真紅の炎、灼熱の息吹。爛々と光を帯びた瞳は撃退士たちを捕らえ。
今にも暴発しそうなその姿は、嫌でも危険を知らされる。
「自爆だけはさせてたまるか! 一斉攻撃行くぞ!」
瞬時に動いた真一が、一気に敵の懐へと飛び込む!
「ゴウライ、ライジングスマァァァッシュ!!」
閃光と共に打ち上げる渾身のアッパーカット。焼け付く手の痛みなどものともしない一撃は、敵の身体を吹き飛ばす。
「どの道、貴様等には死の一択だ……」
摂理のふるう機械剣が直撃し、そこを愁也、神楽、高岡の強烈な一撃が襲う。
「手加減無しの全力よ!」
結希の生み出す砂塵が再びフラゴルの身体を包み込むと同時。
アレクシアが生み出すのは漆黒の刃。
「さあ――目的を成就して、眠るが良い」
一斉射出された十三本の黒剣は、一旦弧を描くように浮き上がった後。
フラゴルへ向けて猛スピードで突き刺さっていく。
「これで最後ですね」
雫の放つ鬼神の如き斬撃が、冥魔の体躯を大きく切り裂き――
無音の悲鳴と共に、破壊の業火は消え落ちた。
●理由
戦いの終わった林道は、途端に穏やかさを取り戻す。
「よっ……しゃーー!」
拳を握りしめそう叫ぶのは、愁也。今まで我慢していたのを解放するかのように、喜び一杯でガッツポーズをする。
「一時は、どうなることかと思った! よかったあああ!」
「ええ、本当に」
神楽がにこにこと微笑む隣で、雫とアレクシアもほっとしたように互いに頷き合う。
「何とかなったようだな……よかった」
心底安堵した様子の高岡は、自分を庇い続けた摂理を振り向き。
「大丈夫か」
「ああ、問題無い」
何でもないと言った様子で返す。
しかし結希の回復のおかげもあり大事には至らなかったものの、摂理が満身創痍であることは明らかで。
「千葉君と言い、君と言い……全く無理をする……」
困った様子の高岡に向かって、真一はサムズアップで一言。
「高岡先輩の気持ちを無駄にしないのが、ヒーローだからな」
そう断言した彼の顔は、晴れ晴れとしていて。
「……それにしても」
皆が喜びの声をあげる中、難しい顔をしながら呟くのは結希。
「自己の体から永続的に炎を発する……魔術的なものと解釈すれば、半永久的な蒸気機関や暖房に活用できそうね」
分析に余念の無い彼女。腕を組みながら、更に考え込んだ様子で。
「天魔の技術の一端でも理解できれば……あるいは……」
さすがは研究マニアと言ったところである。
この直後、式に遅れた一般人がこの場を通りかかった。
彼らの迅速な撃破のおかげで、戦闘中に通過しなかったのはかなり幸運だったと言える。
微妙に焦げ臭い周囲にその人物は不思議そうな顔をしていたものの。
異変に気付くことはなく、そのまま式場へと無事に向かったのだった。
張り詰めていた緊張がほぐれ、ようやく全員が落ち着いた頃。
おもむろに切り出されたのは、涼やかな雫の一言。
「……そろそろ、話してもらえませんか。高岡さん」
その一言に、皆の視線が彼女へ集中する。
「――何をだ?」
不思議そうな表情の高岡に対し、彼女は率直に。
「何故こんな無茶な注文を付けたのですか? 延期して貰えばこんな危険な橋を渡らずに済んだと思うのですが」
それを聞いた高岡は、やや驚い様子で一旦沈黙し。
大きく息をついてから、戸惑った調子で言った。
「……そうか。俺はそれすら話していなかったのか」
何も言わない雫に、高岡は皆へ向き直るとばつが悪そうに。
「斡旋所の西橋君には話してあったと思うんだが……」
「たぶん、旅人さんは高岡さんに気を遣って言わなかったんじゃないかな。人づてに聞くものでも無いだろうし」
愁也の言葉に高岡は「それもそうだな……」と頷き。
「余裕無いのが丸わかりだな……情けない限りだ。皆それすら問わず、協力してくれていたんだな」
「ええまあ……何か事情があることくらいは、察していましたから」
雫の言葉に、高岡は微かに目を伏せ。
「すまない隠すつもりはなかったんだ。実は……花嫁の父親が重い病を患っていてな」
「えっ……」
「明日をも知れぬ状態が続いている。式に参加できるかどうかすら、厳しい状態だった」
「なるほど……」
神楽が合点したようにうなずいてみせる。
「式の延期は容易ではないと言いますからね……」
「ああ。もう一度仕切り直しをしていれば、数ヶ月かかるかもしれない。だから延期だけはどうしても避けたかった」
「そう言うことだったのか……何とかなってよかったぜ」
真一がほっとしたような表情を見せる横で、アレクシアがおもむろに問う。
「ところで、汝は式には行かぬのか」
「え?」
アレクシアの言葉に、雫も同意を示し。
「そうです。花嫁さんは幼なじみなんですよね。今からなら、まだ間に合いますよ」
「いや、でも……」
真一もにっと笑んでみせ。
「後始末は俺たちに任せて、今からでも行った方が良いぜ」
「私衣装も準備してきていますし」
二人の言葉を聞いた高岡は、驚いた表情を見せ黙り込んだ後。
ほんの少し微笑みながら、口を開いた。
「すまない。そこまで君らがしてくれたこと、素直にありがたいと思う」
その口調は、心底感謝しているようで。
しかし彼は一度瞬きをすると、きっぱりと言い切った。
「だが俺は、式に参列するつもりはないんだ」
「え、そうなのか?」
意外そうな真一に向かって、頷き。
「ああ。元から、そのつもりだった」
「……どうしてですか」
雫の問いに、高岡は困ったように一旦うつむく。
「上手く言えないんだが……」
恐らくこういう会話自体慣れていないのだろう。たどたどしく言葉を紡ぐ。
「俺はあの場にいない方がいい気がしてな」
「そんなこと……ないと思いますけど。花嫁さんだって、高岡さんに祝ってもらったら喜ぶんじゃないですか」
「そうかもしれない。……うん。いや、そうだとは思う」
歯切れの悪い高岡に何かを察したのだろう。雫はそれ以上問いただすのを止める。
代わりに結希が、あっさりとした口調で。
「まあ、あたしたちがどうこう言うことでも無いし、あんたの好きにすればいいと思うけど」
「そうだな……高岡さんがそうしたいなら、俺たちに異論はないです」
愁也の言葉に、神楽もうなずく。摂理は何も言わずただ、成り行きを見守っており。
彼らの反応に高岡は、ますますばつが悪そうに。
「俺のわがままに付き合わせてばかりだな。申し訳ない。でも本当に、皆には感謝している」
そう頭を下げる高岡が、あまりにも一生懸命で。雫はついに気になっていたことを口にしてしまう。
「あの……不躾な質問なんですが」
顔を上げた彼の目を見つめたまま。
「もしかして高岡さんは、花嫁さんの事が……」
言いかけて、やめる。
問われた彼の表情が、全てを物語っていたから。
●想
淡く、花の香りがする。
穏やかな風が、佇む彼らの頬を撫でていき。
高岡はしばらく沈黙した後、苦笑しながら口を開いた。
「……今さら隠しても無駄だよな」
「高岡さん……」
何も言えないでいるメンバーに、高岡は頭を掻きながら。
「そんなに困った顔をしないでくれ。俺が困ってしまう」
そう言って軽く息をついた後。まるで吹っ切れたかのように事情を語り始めた。
高岡の話によれば、二人は子供の頃からの幼なじみらしかった。
彼は多くを語らなかったが、恐らくは子供の頃からずっと想いを寄せていたのだろう。
言葉の端々から、彼女に対する想いが感じ取れたから。
「彼女に……想いは伝えたんですか」
ようやく口を開いた雫に、高岡はゆっくりとかぶりをふる。
「いや……これから先も、伝えるつもりはない」
「つまり――墓場まで持っていくつもりだ、と」
アレクシアの言葉に頷く。
「でも……誰にも知らせずに、ただここで護るだけなんて……」
そんなの、哀しすぎる。
雫は口に出そうとして止める。どうして自分がこんなにも感情的になっているのか、戸惑いながら。
うつむく彼女を見て高岡は淡く微笑んでから。
「いいんだ、これで。それに俺は祝うのが辛いから、式に参列しないわけじゃない」
「じゃあ、どうして……」
「彼女の夫になる男は、とてもいい奴だ。俺は二人に、本当に幸せになってほしいと思っている。だから……あの場には行けない」
これは自分なりのけじめだから、と語る瞳に迷いはなかった。恐らくは、考えて考えて――彼なりに出した結論だから。
誰も言える言葉などなく。
高岡は再び苦笑すると、最後に告げる。
「それに本音を言えば……あいつの花嫁姿を間近で見るのは、まだ少しだけ勇気が要るもんでな」
話を聞き終えたメンバーは沈黙していた。
彼に向かって何をどう伝えればいいのか、わからなかったから。
そもそも伝えるべきことすら、本当は無いのかもしれなくて。
そんな中、最初に口を開いたのは愁也だった。
「あの、すみません」
彼は先程の高岡の話には触れず、高岡に向けて意外な言葉を切り出す。
「今から俺たちに付き合ってもらえませんか」
「え?」
戸惑う彼に、愁也は無邪気な笑みを見せ。
「ちょっと、行きたいところがあるんです」
●木蓮の花咲く頃に
「おーにらんだとおり、いい眺めだ」
真下に広がる町並みを眺めながら、愁也は満足そうに言う。
彼らが向かった先は、近くにある高台だった。
ここからだと、遙か先に見える海まで街が一望できる。
「ここは……」
辺りを見渡す高岡に、愁也は一点を指さし。
「ほら、あそこ」
指さした先に見えるのは、真っ白なチャペル。方向からして、先程までいた場所に近い。
「なるほど、例の式場ね」
結希の言葉に愁也はうなずき。高岡に向かって提案する。
「ここまでして彼女の幸せを護ったんですし。景色だけでも見ませんか」
「でも……皆、いいのか」
驚いた表情の高岡に向かって、アレクシアと真一も当然のように。
「任務は完遂したのだ。帰路の合間に景色を眺めたところで、咎めるものもおるまい」
「俺たちも最後まで見届けたいしな」
そう言われた高岡は逡巡するように、しばらく黙り込んでいたものの。やがて微かに頷くと、ただまっすぐに式場がある方向を見つめ始めた。
鳥のさえずりだけが聞こえる、静かな高台。
側に植えられた白木蓮の大木は、物言わず撃退士たちに寄り添う。
青空の下、ガーデンにはここからでもわかるほどたくさんの花で彩られており。
そこに集う、人々の歓声。
ともすれば、聞こえてきそうでさえあって。
幸せの空間が確かにそこにあることを、全員が感じ取っていた。
「……ありがとう」
目を細める高岡は、ただ一言そう呟いた。
その瞳には、涙がにじんでいて。
想いがこぼれそうなその横顔は、何故かひどく穏やかで。
側で見ていた神楽は、唐突に気付く。
慈悲深くさえ見えるその表情。哀切さえほとんど感じさせないのが、最初は不思議でならなかった。
――こういうこともあるのですね。
相手の幸せを願う強い願いが、彼の愛を祈りへと昇華させた。
これは、自己犠牲を越えた姿。
彼は今――本当に幸せなのだ。
「相手の幸せが、自分の幸せ……と言うことですか」
雫の呟きに頷きつつ、神楽は思う。
それは口で言うほど容易いものでは無い。
だからこそ、心底そう願うさまがどれだけ貴いことか。
ここまで来るのに、どれほどの時が必要だったことか。
自身にも最愛の相手がいるからこそ。
高岡の静かで深い想いが、祈りが、愛が。
神楽の心を震えさせるのだ。
「くそ……何だか俺まで泣けてきた」
鼻をすする真一の横で、アレクシアと結希は何も言わず微笑みながら景色を眺め。
その様子を、摂理が少し離れたところで見守る。
穏やかで、優しい時間。
同じく黙って景色を見ていた愁也が、ふいに。
「……俺、親友の結婚式とか号泣しそう」
それを聞いた神楽は、思わず苦笑しながら返す。
「ええ。月居さんなら間違いないでしょうね」
その言葉に愁也は頭を掻いたあと。
満開の木蓮を見上げて、ぽつりと呟く。
「けど、大好きだからやっぱり一番幸せになってほしいよなあ」
純白の柔らかな花びらは、まるで花嫁が身につけるドレスのようで。
眩しそうに見つめながら、愁也は思う。
自分の大事な友が幸せの門出を迎えるのなら。
木蓮の花が咲き誇る、こんな日がいい。
花嫁は美しく、親友の表情はとても幸せに満ちていて。
嬉しさとほんの少しの寂しさで、きっとたくさん泣いてしまうだろうけれど。
「あー……なんか、想像するだけで泣きそう」
そんな時は、木蓮の花を見上げていたい。
優しく咲くその姿に、目を奪われていたい。
あまりにも綺麗で、あまにも眩しくて。
いつの間にか自分の涙も、霞ませてくれるに違いないから。
そして笑顔で祈るのだ。
大好きな君が、君の一番愛する人と幸せになりますように。
その幸福が、いつまでもいつまでも続きますように。
「高岡さん、ここからみんなでお祝いしましょう」
「え?」
「いいんじゃない? それくらい許されるわよ」
伝えるのは、心からの言葉。
溢れんばかりの祝福が、蒼穹に響き渡る。
最愛の、君へ。
「おめでとう」