―この世は素晴らしい。戦う価値がある―
ヘミングウェイ
●Game start
戦うと言う言葉が、これほど自分に合っていると気付いたのはいつからだろう。
寒空の下、色の無いグラウンドはどこか孤愁の陰りを見せる。
その様子に居心地の悪さを感じながら、マキナ(
ja7016)は大きく息を吐いた。白い吐息が厳冬の大気と混じり合うのを見届けながら、彼は独りごちる。
「…そろそろ、か」
戦闘前のひりつくような緊張感が、自分は好きだ。
これから起こる命のやりとりを想像するだけで、身体の奥が何か、とても高揚するのを感じる。
こういう時、自分は本当に戦いが好きなのだと嫌でも気付かされてしまう。
「来たみたい、だよ」
エルレーン・バルハザード(
ja0889)の声が、耳に届くと同時。
マキナの蒼き瞳は、黒々としたディアボロの群れを映していた。
「ひでぇ数だな、これ」
顔をしかめながら、ウェイケル・クスペリア(
jb2316)がすかさずストレイシオンを召還する。
三人が立ちはだかる先で群れるのは、犬ほどの大きさがあるコオロギの群れ。数にして十数体はいるだろうか。
皆一様にこちらを向き、じっと様子をうかがっているようにも見える。
「まあ文句行っても仕方ねーしな。とっとと終わらせようぜ」
その余裕は、どこかゲームに興じる挑戦者のようでさえあって。
生きると言うことは、己の命を燃やすこと。
惰性で生きることは死と同義。だから命を賭けて人生を楽しむ。利己は生存、生存は全。
それが、自分の生き方だ、とウェイケルは豪語してはばからない。
そんな彼女の耳に、エルレーンの が聞こえてくる。
「注目させるのは、難しいみたいなのっ」
ニンジャヒーローを発動させたエルレーンが、マキナとウェイケルにかぶりを振りながら伝える。
注目効果を期待してのことだったが、コオロギたちは彼女にむらがることもなく。
あろう事かその強靱な後ろ脚を使って、跳び越えようとさえする。その様子を見たマキナが、叫ぶ。
「わかったぞ。こいつら、校舎に向かうことだけを考えてやがる!」
そう、コオロギディアボロたちは一様に『校舎に向かう』ことを命令されている。ゲームの勝敗条件が『校舎にディアボロが到達するのを防げるか否か』である為、目前にいる撃退士たちを越えることを優先させようとするのだ。
「くそ…向かって来ない敵と戦うのは面倒だな…!」
マキナが舌打ちをしながら弓に持ち換える。
「とにかく、撃ち落とすぜ! 一匹でも校舎に敵が到達すれば、このゲームは負けだ!」
放つ一撃が、跳躍しようとするコオロギの胴を撃ち抜く。
「進路妨害は任せろ!」
ウェイケルの怒声とともに、ストレイシオンがコオロギの前に立ちはだかる。するとどうだろう。進路妨害をされたコオロギは、大きな牙を剥いて噛みつきかかってくる。
「なるほど。邪魔をすれば攻撃をしてくるってこったな」
「絶対に校舎には近づけさせないのっ!」
エルレーンが校舎に近づこうとするコオロギに向かって、腐女子オーラを纏った一撃を放つ。謎のオーラにあてられたコオロギたちは、次々に麻痺していく。そこをマキナの薙ぎ払いやウェイケルの攻撃が襲い。
「負けない!負けない!…私は、守ってみせるッ!」
エルレーンは自身に言い聞かせるように、宣言する。
自分たちが失敗すれば、子供達の命は無い。絶対に失敗するわけにはいかない。
彼女は必死だった。
守れなかった後悔をするのは、一度だけでいい。
そう誓ったあの日から、ずっと戦い続けてきた。
何が。
何を。
戻せるのかもわからないまま。それでも自分の前で何かを失うのだけは、見たくなくて。
どうか。
どうか。
届いて欲しい。自分の手が、宙をかすめないように。自分の手が、
どうか――
「こんなふざけたゲーム、さっさと終わらせてやる!」
マキナのオーラを込めた掌底が、今まさに校舎へと到達しそうなコオロギを後方に吹き飛ばす。そこをエルレーンの棒手裏剣が即座に撃破した時。
突然、チャイムが鳴り響いた。
それと同時、若い男の声が校内放送を通して響き渡る。
「残念だけど時間切れ。どうやら君たちの勝ちみたいだね」
それは、撃退士たちの勝利を宣言するアナウンスだった。
聞いた瞬間、ウェイケルはその場に思わず膝を着く。
「……ったく、冷や冷やさせんじゃねーよ」
そう呟く彼女は結構な傷を負っていた。自らの被弾は省みず、進路妨害に徹したためであった。
第一ゲーム『体』勝利者:撃退士
●Battler Butler
「人間の尊さは自分を苦しめることにある」
目前に立つ四十半ばの男は、薄い唇を微かに動かす。
細い銀縁眼鏡の奥で、これから刃を交える若き人の子を見据えながら。
「――と、ある人間は仰ったそうですが。私は大いに、賛同するのでございます」
きっちりと身につけた執事服。白手袋をした手の中に現れるのは、細身の黒刀。
男は寸分の隙もない姿勢で構えを取り。ゆっくりとしかしよく通る声で、告げた。
「ではこのシツジ。主の命より、お相手いたしましょう」
――第二ゲーム『技』開始。
勝てないとわかっている相手に挑むのは、人間の注目すべき特性であるように思う。
そんなことを、目前に立つ執事姿の男を眺めながらイアン・J・アルビス(
ja0084)はぼんやりと考えていた。
今までの歴史をかいま見てもそうだ。どう見ても勝てるはずのない戦いに、何故か人は挑み続ける。
希に勝つことがあったとしても、実質大半は負けている。後世に残るのは大逆転した奇跡だけであるから、皆知らないだけだ。
「それでも、結局は自分も同じことをやるのですがね」
イアンはシツジに向かってタウントを発動させながら、独りごちる。
戦うしかないのだから、戦う。簡単なことで、それだけのこと。
「さあ、挨拶代わりの一発といきましょうか」
放たれるのは、信念の弾丸。
「へぇ……なかなかのシンソクぶりじゃねぇか」
ハンチング帽を目深にかぶり直しながら、狗月暁良(
ja8545)が呟く。
執事姿の男は、その落ち着いたたたずまいとは裏腹に、恐ろしいほど動きが速かった。
真っ向から攻撃しても、まず避けられてしまう。まともに戦うためには何かしらの工夫が要る。
その様子を目の当たりにした彼女は、内心でどこか悦んでいた。
強い敵はいい。出来るなら、言葉が交わせる方がいい。
その方が命のやりとりをするスリルが、上がる気がするから。
「悪役は最後にトウバツされる。それがゲームの王道だぜ?」
わざと言葉をかけてみる。対するシツジは表情一つ変えることなく口元を動かし。
「私はどちらかと申しますと、王道でないものを好みますもので」
微かに笑いが漏れる。そりゃそうだ。自分だって、王道なんて望んじゃいない。
けれど勝敗がかかるなら、話は別だ。
「悪いが負けるのはシュミじゃないんでな」
「全く同感でございます」
交差する視線は、あくまでクールに。彼女は果敢に攻撃を続ける。
「ふうん。正に命を懸けたデスゲームって訳ね。――面白いじゃない」
前衛二人が激しいせめぎ合いを繰り広げるのを見ながら、巫 聖羅(
ja3916)は呟いていた。
相手はさすがの強者だ。
ぎりぎりの所で攻撃をかわしながら、最小限の動きでカウンターを放つ。
その見事さは敵ながら思わず見惚れてしまう程であり、だからこそあの男の鼻をあかしてやりたいとも思う。
聖羅はイアンと暁良が作ったわずかな隙を狙い、クリスタルダストを放つ。
「機動重視なら足を狙うまで…!」
彼女の攻撃は見事シツジの足下を直撃し。わずかにバランスを崩した所を、暁良が一気に宿地で間合いを詰める。
「この瞬間を狙ってたんだぜ」
彼女の掌底で吹っ飛ばされたシツジは、校舎入口扉を突き抜けそのまま中へと押し込まれてしまう。
「今です!」
イアンのかけ声と共に、すかさず三人も校舎内へと飛び込んだ。
「――なるほど。私の機動力を削ぐために、ここへ誘導したのでございますか」
薄暗い狭い廊下の中央に、シツジは姿勢良く佇んでいた。その表情に相変わらず色は無い。
「これは少々、想定外でございました」
肩にかかった校庭の砂を、払う。銀縁眼鏡の細いフレームをそっと押し上げながら。
どこか楽しそうに口を開く。
「面白くなってまいりましたね。さあ、続けましょう」
三人の予測は当たっていた。
狭いところでの戦闘は、先程よりもずっと攻撃がヒットする。シツジの回避力が落ちているのは、明らかだった。
「一気呵成に叩き潰すぞ、っと」
暁良の鋭い蹴りが脇腹に叩き込まれる。そこを聖羅の魔法攻撃が襲い。
「これでどうです?」
イアンの持つ武器が、白く輝き始める。ずん、と言う音と共に放たれるのは、カオスレートを変動させた強烈な一撃。
そのあまりの衝撃にシツジは耐えきれず後ずさる。
廊下の壁が、反動で大きくきしんだ。
「実にいい、一撃でした」
シツジは姿勢を正しながら、ゆっくりとうなずいた。その表情に変化は無いものの、三人を順番に捉える彼の目にはわずかに熱がこもっているようにも見える。
「正直申しまして感心いたしました。これであなた方の勝利、とするのも悪くなかったのですが――」
彼はここで始めて、微かに笑みを浮かべる。それはまるで教えを説くかのように。
「一つ、お忘れになっていることがございましたね」
直後。
刹那の動きでイアンの懐に入ってきたシツジは、手にした刀を振り抜く。咄嗟の防御が間に合わず、彼の身体にその刃が届き。
「イアンさん!」
聖羅の悲痛な叫び声があがる。袈裟斬りに開いた傷口から、鮮血が吹き出し。イアンは思わずその場で膝を着く。
次の狙いは暁良だった。シツジはあっという間に距離を詰めると、彼女へ向けて一撃を放つ。
「くっ……!」
彼女への一閃も凄まじいものだった。防御姿勢を取った彼女もろとも吹き飛ばし、衝撃で暁良は壁に叩きつけられる。
「――と、言うわけでございますね」
見届けたシツジは、胸元のポケットチーフを取り出すと血濡れの刃をぬぐう。
「私の機動力が落ちると言うことは、あなた方も同じであると言うこと」
ヴァニタスの攻撃を至近距離でもろに喰らった二人は、一撃でかなりのダメージを負っていた。もう一度攻撃を受けてしまえば、持ちこたえるのは難しいだろう。
しかし、彼らは立ち上がった。血濡れになりながらも、その目は光を失っておらず。
「…僕に倒れている暇はありませんのでね」
人間の尊さは自分を苦しめることにある。
撃退士たちを見つめていたシツジは、そのまま刀を収め。
「ええ。あなた方の出した答えは、やはり正解に違いありません。」
そして三人に向けて、丁寧に礼をしてみせた。
「お見事でございました。この勝負、私の負けです」
第二ゲーム『技』勝利者:撃退士
●
「あらら。二ゲーム目もあっさりクリアされちゃったよ」
モニタ画面を眺めながら、桂木隼人は独りごちる。
「……まあ、そうでなくっちゃ困るんだどけねえ」
とは言え、そう簡単にこなせるような内容にしたつもりも無い。失敗すれば、本当に人質は殺すつもりでいるのだから。
つまりはそれほどに――。
隼人は既に暗くなりつつある窓外に視線を移しながら。誰に言うでもなく呟いた。
「さあ、最終ゲームだ。決着を付けようじゃないか――旅人」
●Mine Mind
人気のない校内は、どこか気味が悪い。
聞こえてくるのは、自分たちの足音だけ。長い廊下の先には、見えない何かが潜んでいるようで。
そんな不穏な空気を感じながら、三人は最上階へと向かっていた。
ゲームの勝利条件である「桂木隼人の元へ辿り着く」ためだ。
移動を続けながら、加倉一臣(
ja5823)は迷っていた。
いつもと違う友人に、もう一度問うべきか。
「……随分と急ぐね?」
かけられた声に西橋旅人(jz0129)は、はっとした様に立ち止まる。
「あ…ごめん。何か言ったかな」
いつも通りの落ち着いた口調だが。その表情は、やはり不安の色を隠しきれてはいない。
「…いや、いいんだ」
一臣はかぶりを振ると、微笑む。隣にいる新井司(
ja6034)は、敢えて聞いていない振りをしているようだ。
その気遣いに、感謝しつつ。
彼は自分に言い聞かせるように無意識にうなずく。
旅人が何かを隠しているのは、恐らく間違いない。
不自然に『心』へと参加したのも、いつも以上に口数が少ないのも、何か理由があるのだろう。
しかしゲーム開始前に皆がそれとなく問いかけても、彼は答えなかった。
恐らく、今聞いたところで同じだろう。ならば無理に聞くつもりも無い。
「よし、行こう。援護はお任せあれ」
そう言って、旅人を前へと送り出す。
例え秘した何かがあったとしても。共に行かない理由は無いのだから。
二階に上がったところで、物音に足を止める。
「廊下の方からみたいね。これは…子供の泣き声?」
司の言葉を受け二階の廊下をのぞく。すると廊下の奥に、小さな人影がある。
「…人質の子供が一人でここに居るとは考えにくい。罠の可能性が高いね」
一臣はそう言って注意深く歩を進め。近づくと、子供がうずくまったまますすり泣いている。
「…やぁ、こんにちは」
声をかけられ途端、子供は泣くのを止める。
そしてゆっくりと顔を上げた時、旅人が息を呑むのがはっきりとわかった。
「き…君は……」
子供の顔を見たまま愕然とする旅人に、司が問う。
「知り合いなの?」
しかし旅人は、司の言葉が耳に入っていないようで。
「タビット…大丈夫か?」
様子がおかしい旅人に、一臣が話しかけたとき。
「ねえ、ぼくとあそぼうよ」
直後放たれるのは、黒炎のオーラ。
「――っ。やっぱり、敵だったみたいね」
旅人を庇って攻撃を受け止めた司が、淡々と言う。目の前の幼子は、にこにこと無邪気に笑いながら、こちらへと近づいてくる。
「ねえ、どうしたの? ぼくとあそぼうよ」
一臣が牽制射撃を行う。突然の攻撃に、子供は驚いたように立ち止まり。
「…ごめんな。君とあそぶことは、できないんだ」
一臣の言葉を聞いた子供は、一旦黙り込んだ後。ふくれっつらで怒り出す。
「なんでいじわるするの? ぼく、おこったよ」
再び放たれる黒炎。今度は旅人がその攻撃を受け止める。
「さっきは取り乱して、ごめん。もう大丈夫だから」
そして今度は、子供に向かって刀を一閃させる。攻撃を受けた子供は、後方に激しく吹っ飛び。
「な…なんでこんなことするの? いたいよ。ひどいよ!」
目に一杯の涙を浮かべ、子供は泣き出す。その様子を見ながら旅人は苦渋に満ちた表情で呟く。
「君を越えなければ、先には行けない。だから――」
三人の意見は、一致した。
「ねえ、いたいよ。たすけて。たすけてよ」
傷だらけの子供を前にしながら、司は自分に言い聞かせていた。
目の前にいるのは敵だ。何を言おうと敵なのだ。
悲壮に満ちた目をし、幼き手をこちらに伸ばそうとも。
あどけない声で、救いを求めていようとも。
これは、敵なのだ。
司は、黙したまま構えを取る。震えそうになるのを、必死で耐えながら。
苦痛に歪みそうな表情を変えないように。
揺らぐ心も、見せないように。
端から見れば、冷酷の極みに見えるかもしれない。でもそれでいい。
醜態を仲間にさらすくらいなら、まだその方がマシだ。
歯を食いしばる。目前の子供に、大きく拳を振りかぶり。
――そう、私は良い格好しいなのだから。
悲鳴と共に、彼女の一撃が胴体に叩き込まれる。
崩れ落ちたディアボロは、既に虫の息だった。
側に歩み寄った一臣が、静かに切り出す。
「例え中身が悪魔でも、無抵抗な子供を刺せないと言った友人がいたんだ」
その時彼女が見せた表情を、自分は生涯忘れることはないだろう。
拳銃を構え、彼は続ける。
「俺は、それは人としてとても尊いことだと思った」
その尊い何かと、子供達を救うために。
トリガーへとかけられた指に、力を込める。涙に濡れた顔から、目を逸らすことなく。
ただ、一言。
「こうなる前に、救えなくてごめんな……」
銃声が、こだました。
※※
僕には、子供の頃の記憶がない。
真夏に見上げた太陽も、冬の降り積もる雪の深さも。
父さんや母さんと遊園地に行った記憶も、友達と暗くなるまで遊んだ記憶も、兄弟と肩を並べて眠った記憶も。
何もかも。
"尚、このゲームの『心』には必ず西橋旅人を参加させること"
渡された脅迫状に書かれた最後の一文に、エルレーンは首を傾げる。
「これってどういうこと…?」
「ずっと黙っていてごめん」
旅人は、メンバーを見渡すと申し訳なさそうに頭を下げる。先程のことと言い、これ以上は隠し通せないと判断したのだろう。
「説明してくれるね?」
一臣の言葉に、旅人はうなずき。
「今回の犯人は恐らく…僕と同郷の人物だと思う。だから、こんな一文を書いてきたんじゃないかと」
「…でもどうして黙っている必要があったんですか」
聖羅のもっともな質問に、旅人は苦悩した表情を見せる。
「ついさっきまで、思い出せなかったからなんだ」
怪訝な表情をするメンバーに、旅人は自分には子供の頃の記憶が無いことを説明する。
「この脅迫状には僕の参加が条件だと書かれてあったけど、僕にはその理由がわからなかった。今でも、目的が何かはわからないんだけど…」
犯人の目的もわからぬまま。旅人はこの一文を削除することに決めたのだそうだ。イアンが眉をひそめる。
「僕は納得できません。どうして黙っておく必要があったんです。最初から、僕たちに言ってくれれば――」
「言ってたら、君たちは僕を最優先で庇おうとしただろう?」
仲間を信じているからこそ、言い出せなかった。
「この依頼の目的は、人質を救うことだから…犯人の狙いが僕ならば、黙っておいた方がいいと思ったんだ」
「なるほどねえ。何て言うか、お前らしいよね」
突然聞こえた声に、全員が振り向く。
そこにいたのは、見知らぬ若い男とシツジの姿。男の姿を見た旅人が呟く。
「…隼人」
「久しぶりだねえ、旅人。ゲームクリアおめでとう。ようやく僕のこと思い出してくれたのかな」
桂木隼人が、にっこりと微笑んでいた。その顔を見た司が、ああ、と言った表情になり。
「…さっきの子供。幼い頃のあんたに顔を似せさせたのね」
急に旅人の記憶が戻った理由に、合点しながら。
●Extra game
「…何故、こんなことをしたのかな」
旅人の問いに、隼人は笑みをたたえたまま。
「僕ねえ。お前が許せないんだ」
そう言った隼人は突然、過去を語り出す。旅人とは同じ街で生まれ育った幼なじみであったこと。天魔の襲撃を受け、故郷は既に消滅していること。生き残ったのは、旅人と隼人の二人だけであったこと。
そしてその後の人生が、酷いものであったことを。
「あの日依頼、僕は裏切り者と罵られて生きてきた。家族を見捨て一人だけ生き残ったことに後ろめたさを感じて、卑屈にずっと生きてきたんだよ。それなのにさあお前はどうだ? 同じ生き残りでありながら、あの学園で――」
友達がいて。
共に戦う仲間がいて。
罵られることも、冷たい視線を向けられることもない。
「何でかなあ。アウルがあるって言うだけで、どうしてお前ばかりが良い思いばかりするのかなあ? 不公平だよねえ。こんな世界は間違ってるよねえ!」
段々と激高した隼人は、暗い笑みを漏らす。
「…だからねえ、僕は決めたのさ。旅人、お前を苦しめてやろうってね。ここからは、ボーナスステージの始まりさ」
ただ黙って話を聞く旅人に向かって、告げる。
「僕はこれから、お前の仲間を傷つける。ありとあらゆる手を使って傷つけるよ。場合によっちゃ、殺してもいいかな」
「な…」
蒼白になった旅人を見て。彼は愉快そうに続ける。
「それから良いことを教えてあげるよ。さっき君たちが殺した子供だけどね。あれ、誰だと思う?」
その言葉に、側にいた司と一臣も反応を示す。
まさか――
「あれねえ。お前がこの前公園で助けた子供だよ。僕が頼んで、殺してもらったんだ」
その言葉を聞いたと同時、旅人の表情が一変した。
「…だめだ、旅人。武器を下ろしてくれ」
青ざめた表情で、一臣が旅人に近寄る。しかし旅人はまるで何もが聞こえてないかのように、ただ呆然と刀を構え。
「相手は一般人だ。お前が一度でも攻撃すれば死ぬ」
「もちろん、言ったことは全て本気だよ。わかるだろ?」
「やめろ、彼の話を聞いちゃいけない!」
この時点で誰もが察していた。
隼人の本当の目的は、怒りに駆られた旅人に自分を殺させること。
「その刀を抜けば、キミの負けよ」
司が努めて冷静に声をかける。
痛いほど旅人の気持ちがわかるからこそ。
言葉では冷静になれと言いながらも、心ではこんな奴は死んで当然と思う自分もいる。
司の内心は葛藤で息が詰まりそうだった。
許す?
許せない?
ユルス?
ユルセナイ?
躊躇いを見せる旅人に隼人は薄く微笑むと、告げる。
「そう言えばあの子供は死ぬ間際言ってたなあ。旅人兄ちゃん、助けてってね」
刹那、刀が一閃したと同時――
鮮血のしぶきが舞い上がった。
「どう……して……」
旅人はかぶりを振りながら、刀を落とす。
彼の目前で膝を着いたのは、一臣だった。
●
「か…加倉…さん……」
後方で見ていたイアンが、唖然とした表情で立ちすくむ。
旅人の放った斬撃は一臣の肺にまで達し。喉に溢れた血を吐き出しながら、息苦しそうに苦笑する。
「やるね……結構くらったよ」
目前で血飛沫を上げた友を見て。旅人はかぶりを振りながらただ震えている。
そこをマキナと聖羅が押さえにかかり。
「馬鹿野郎……!」
組み伏せたマキナの顔は怒りと悔しさに満ち。
抵抗もしない旅人を見て、聖羅は唇を噛みしめる。
「…何…何やってんのよ…!」
見れば彼女は泣いていた。友人を傷つけた旅人を。底知れぬ悲しみがわかるからこそ。
「私たちにこんなことやらせてんじゃないわよ。しっかりしなさいよ!」
彼女の涙が、血濡れの頬に雫を落とす。自失状態の旅人を、二人は庇うように抱え込み。
「加倉さん大丈夫ですか!」
駆け寄ろうとするイアンを、一臣は制する。
「…俺は大丈夫だから」
口元の血をぬぐいながら何とか立ち上がる。彼はつまらなそうにこちらを見やる隼人に、語りかける。
「どうして俺が代わりに攻撃を受けたか不思議そうだね?」
「…まあねえ。どうせくだらない理由なんだろうけど」
その言葉に一臣は微笑んでみせ。
「救いを求める手があれば、伸ばす。俺はこの依頼を受けたときから、そう決めてた」
「へえ。あいつが助けて欲しいと?」
鼻で笑う隼人に向かって、一臣はあっさりと答える。
「いや違う。君と、旅人が言った。だから助けた。それだけだよ」
それを聞いた隼人の顔に、はじめて感情の色が宿る。
「な…冗談だろう? 僕がいつ、助けてくれと言ったのさ」
「言ってるさ。今だってずっと」
「ふ、ふざけるな! 僕は助けて欲しいなんて思っちゃいない。あいつが僕を殺せば、この計画は成功だったんだ。これ以上邪魔をするなら人質は殺す!」
「もうゲームは終わりだ。アンタだってわかってんだろ?」
暁良の言葉に、隼人は激高する。
「ゲームマスターはこの僕だ! 勝手に終わりにするんじゃない。僕は、このくだらない世界にもう嫌気が指してるんだよ。さっさと旅人に僕を殺させろ!」
「ふざけてんのは手前ぇだろ!」
隼人の頬を張ったのは、ウェイケルだった。驚いた表情の隼人に向かって、彼女は怒りを押し殺した表情で言葉を吐く。
「ああ。あんたの言うとおり、今の世の中多くの人間が理不尽な目に遭って生きているだろうよ。それが『正しい』なんて思っちゃいないし、耐えろと言うつもりも無い」
ウェイケルは隼人をまっすぐに見据える。
「けどな。手前ぇが手に入れられなかったモノを『幸せ』って呼ぶんなら、それは絶望的な勘違いだぜ? あんたは自分の手でダチを傷つけることが、ほんとに幸せだって思ってんのかよ!」
何も言わない隼人に対して、司が切り出す。
「ねえ、キミ。聞いてくれるかな」
彼女は努めて冷静に、言葉を紡ぐ。
「私もね。昔は英雄になる、なんて期待されてね生きてきた。でも現実はそんなに甘くない。そんなに簡単に英雄になれるのなら、誰だって苦労しない」
自身の過去を話すのは好きじゃない。それでも隼人を見て、口にせざるを得なかった。
「嫉妬する気持ちなんて、誰でも持ってる。それが罪だって言うんなら、私だって罪人よ」
世界は罪で溢れている。そのことを否定しても意味がない。
けれど。
「キミの言うとおり、この世界は酷いものかもしれない。それでも私は、まだ戦う価値はあると思ってる。だから――」
その手を差し出し。
司は確信を持って、告げる。
「キミはまだ、そちら側に行っちゃいけない」
●
長い、長い沈黙があった。
何度も逡巡を繰り返し、やがてがっくりとうなだれた隼人が。
司の手を、取ろうとした時だった。
「お待ちくださいませ」
呼び止めるのは、執事姿の男。
「その方をお連れするのは、私が許すわけにはまいりません」
その言葉に、隼人がびくりと顔を強ばらせる。
「桂木様は私の主と取り引きをなさったのでございます」
「契約って何のこと?」
聞き返すエルレーンに、シツジは淡々と答える。
「私どもが手を貸す代わりに、ゲームを必ず最後までやり遂げる――と言うことでございます」
「ゲームは、もう終わったでしょ」
「いいえ。終わってはおりません。このゲームは、桂木様が勝利し西橋様に討たれるか、敗北し我々に魂を渡すことを終えなければならないのでございます」
「じゃあ、どっちに転んでも、この人を殺すつもりだったっていうの?」
語気を強める彼女にシツジは、微かにうなずき。
「ご本人が望んだことで御座います」
「…もし、契約を破れば?」
問いかけるエルレーンに対し彼はゆったりと微笑むと、言った。
「おわかりでしょう」
刹那。
鋭い斬撃が隼人を襲う。しかし咄嗟に空蝉を発動させたエルレーンが、すんでの所で彼を庇う。
「させないっ!」
「…邪魔をなさるおつもりですか」
シツジはそのまま二太刀めを入れようと構えを取る。その目には一分の迷いもなく。
「先程と違って、手加減はいたしませんよ」
今にも襲いかかろうとする彼に向かって、エルレーンは叫ぶ。
「この人はぜったいにぜったいにぜったいに私が守るんだからっ。死んでも守るんだから!」
そのあまりの剣幕に、シツジは微かに眉根を寄せ。
「なぜ、その方を庇うのですか。あなた方の敵なのでございますよ」
「私は、誰も死なせたくないのっ。もうそういうのは、いやなの!!」
それを聞いたイアンや暁良も、シツジの前に立ちはだかる。
「仕方ありませんね。僕も身体を張りましょう」
「やらないワケにはいかねぇからな」
彼らを見たシツジは、軽く息を吐いた後。
「申し訳ありませんが、主の命でございますので」
刀を持った手に力が入る。
来る、と誰もが身構えた時だった。
「お待ちなさい、シツジ」
聞き覚えのある声に、一臣がはっとして辺りを見渡す。案の定姿を見せたのは、道化の悪魔。
マッド・ザ・クラウン(jz0145)が、微笑みながら口を開く。
「もう、いいでしょう。この遊戯は、あの者達の勝利です。これ以上続けるのは野暮というもの」
ゲームが終わりを告げた、瞬間だった。
●End roll
僕には、子供の頃の記憶がない。
唯一残っているのは、それらが奪われた時の感情だけ。
憎しみと、怒りと、底の見えない絶望と。
心に刻まれた記憶は、消えることは無い。
だから、僕は――
「この学園で、新しい思い出を作ろうと思った。哀しい独りの記憶しかないのなら、仲間と共に楽しい記憶を作りたいと、思ったんだ」
回復した旅人は、そう言ってから目を伏せる。
「それなのに…僕は…僕の手で、友達を傷つけてしまった」
「何言ってるんだよ。俺が単にヘマしただけだから」
明るい調子でそう言いきる一臣に、他のメンバーも何も言わずただうなずいてみせる。
それでもうつむいたままの旅人に、一臣は頭を掻きながら口を開き。
「なあ、タビット。気にするなとは言わない。でもな、これだけは知っておいてくれ」
ようやく視線を上げた、友に向けて。一臣は、穏やかな表情で告げる。
「俺はお前の怒りを受け止めることができて、良かったと思ってるよ」
それを聞いた旅人は、何かに耐えるように瞳を閉じ。
やがて微かに唇を震わせた後。
一筋の涙が、こぼれ落ちた。
※
その後桂木隼人は捕縛され、警察に引き渡されることとなる。
人質は無事全員解放。
事件はようやく、収束を迎えたのだった。
●宵闇の彼方:とある道化と猫の会話
「ふむー。と言うことは、あの人間が言ったことは嘘だったのであるか」
「ええ。あのディアボロを作ったのはもう随分前のことですのでね。少なくともあの者が関わった事実はありませんよ」
友人の言葉を受け。猫悪魔は、困惑したように瞬きをする。
「人間は本当に変わった生き物であるなー。嘘をついてまで死にたいなど、我輩にわかには信じがたいことであるよ」
「そうですね。ですが結局『嫉妬』と『憤怒』はクリアされてしまったようですよ」
「そうである! まさかのダブルクリアとは、我輩油断したであるよ」
「ふふ…油断は禁物と言うことですよ、レックス」
嫉妬の先に生まれたのは、憤怒の罪。
二つを同時に越えた人の子は、一体そこに何を見たのだろう。
――この世界は、戦う価値がある。
道化の悪魔は無意識のうちに、口にする。
その意味を問うことは、出来なかったけれど。