僕たちに人間にとって。
『目に見えるもの』とは、一体どんな意味を持つのだろう。
人は見た目じゃない。
本当にそうだろうか。
目に見えるものが全てじゃない。
そうなのかもしれない。
そんなこと、皆一度くらいは考えたことがあると思う。
僕は――
この事件を通して。
一つの解を見た気がしたんだ。
人が生み出す、力と共に。
●
人気のない林道は、静寂に包まれている。
冷え込むこの時期は、虫の音さえしない。静かで、深い夜。
「じゃあ、何かあったらすぐに報告してほしい」
集まった六人を見渡して、斡旋所スタッフの西橋旅人(jz0129)は粛々と告げる。
外灯のほとんど無い周囲は、既に闇に覆われている。灯りが無ければ、歩くのさえままならないだろう。
六人はこれから要救出者と敵の捜索に向かう。
情報収集と学園への報告を指示されている旅人は、ひとまず林の入口付近で待機することになっており。
「動きがあり次第、僕も現場に駆けつける。暗いからみんな、気を付けて」
「ああ、わかった。タビットも気を付けてな」
手にしたペンライトを点しながら、加倉一臣(
ja5823)が気安く返す。旅人の友人でもあり、メンバーの年長者でもある彼。緊迫感漂うこの場を、和らげる役割を果たしている。
「名前を名乗らないとか依頼人がハッキリしない依頼ねぇ……嫌な予感がするんだけどねぃ」
同じく手持ちライトにスイッチを入れながら、九十九(
ja1149)が呟く。黒いパオに身を包んだ彼は、ともすれば闇に溶け込んでしまいそうでさえあって。
「そうね。私も何かある気がしてるわ」
くりっとした瞳を瞬かせながら応えるのは、荻乃 杏(
ja8936)。首元まできっちりファスナーを閉めた黒のジャージに、首元には黒いライダーゴーグル。彼女の動きにあわせて、長い黒髪のツインテールが揺れる。
「あ、例の取り残されている少女のことなんだけど」
発言したのは、雨宮祈羅(
ja7600)だった。いつも明るく笑顔の彼女だが、今日は少し雰囲気が違う。
何かとてつもなく強い意志が、彼女を突き動かしているように見える。その理由を知るのは、彼女自身のみ。
「事前に避難した人の中に少女の事を知っている人がいないか、聞いてみたんだ。でも変なんだよね……。近所の人たちが言うには、いなくなった少女なんていないって言うの」
「どういうことだ?」
怪訝そうな表情で聞き返すのは、秋月玄太郎(
ja3789)。伊達眼鏡の奥の瞳が、さらにきつく細められる。
「じゃあ誰が、少女が取り残されたことに気付けると?」
「わからない。本当に少女が取り残されてるんだとしたら、この辺の子じゃないのかもしれないけど……」
どちらにせよ誰がそのことに気付けたのか、と言う話である。
祈羅の説明を聞いた九十九が、考え込むように視線を落とし。
「つまりは、少女の外見も何もかもわからない、と言うことだねぃ」
「そういうことになるね」
祈羅も軽くため息をつく。名乗らない通報者に、姿すら分からない少女。
明らかに不可解な状況に、困惑の色が広がる。
「……やはりその通報者が匂うな」
玄太郎の言葉に、沈黙が流れる。この依頼がはらむ不穏な色に、皆気付かざるを得なかった。
「さて、きな臭い感じではありますが」
そこで声をあげたのは、ジェイニー・サックストン(
ja3784)だった。不機嫌そうな表情に、何故かひびの入った眼鏡を装着。愛用のレバーアクション式ショットガンを背負った彼女は、淡々とした様子で続ける。
「やるしかねー感じですし。とっとと探しに行きますか」
それを聞いた一臣と祈羅が、同意する。
「俺も引っかかることは多いけど……とりあえずは、少女とディアボロを捜索することに専念するしかなさそうだしね」
「そうだね。嘘なら嘘でいいわけだし。本当に取り残されてるのなら……絶対に、助けたい」
その言葉と意志と共に。
六人は、闇の中へと向かう。
●邂逅
捜索を開始して、十分が経過した頃。
一臣と交代で索敵を行っていた九十九の目に、何かが映った。
「……どうやら敵さんを見つけたようだねぃ」
遙か視線の先。木々の隙間から見える異様な物体を彼は見逃さなかった。
白く、何か大きなものがうごめいている。しかも、複数だ。
「なるほど。確かに大きな肉まんに見えるさね」
遠目で見ても、手足となるようなものは見えない。恐らくあれに間違いないだろう。
九十九は慎重に様子を見極めながら、他のメンバーに連絡を入れた。
一方、点在する農具入れを確認していた玄太郎は、その中の一つに何かがうずくまっているのを目にしていた。
(逃げ遅れの子供か?)
年の頃はまだ小学校にも上がっていないだろう。小さな身体をかがめ、ただひたすら震えている。
玄太郎は彼女に声をかけようとしたのだが、すんでの所で止める。そして他のメンバーへと連絡を入れた。
「少女が見つかったって?」
駆けつけたのは祈羅と一臣。残りのメンバーは、敵を見つけた九十九の元に向かったと言う。
「ああ。そこの農具入れにいる。それですまないが、彼女の保護はお前達に任せたい」
「それは構わないけど……どうして?」
玄太郎はやや言いよどんだ後。中の少女に聞こえないように小さく呟いた。
「……俺だとその子を怖がらせてしまうといけないからな」
どうやら目つきの悪さを気にしているようで。彼なりの気遣いと言うことなのだろう。
祈羅が苦笑しながら、そっと農具入れをのぞく。
少女は相変わらず、その場にうずくまったままで。
「驚かせてごめん。うちらはあなたを助けにきたんだ。もう、大丈夫だからね」
祈羅が相手を刺激しないように、声をかける。少女は、相変わら下を向いたままで表情はよく見えないものの。
震えはだいぶ治まっているようだった。
「じゃあ、お兄さんたちと避難しようか」
護衛担当の一臣が優しく話しかける。その言葉に、彼女は小さくうなずき。
一臣は小さな手を取ると、そのまま抱え上げる。少女はこの寒い季節にノースリーブのワンピースを身につけている。そのせいで身体が冷え切っているのだろう。一臣の腕から、冷たい肌の感触が伝わった。
「こんなに冷えて……寒かっただろうに」
二人を見て、玄太郎と祈羅は軽く息をつき。
「とりあえず、後顧の憂いは断てたようだな」
「そうだね。急いで九十九ちゃんたちと合流しよっか」
●戦闘、開始
九十九と合流した撃退士達は、瞬時に臨戦態勢を取った。
保護した少女の護衛は、後衛の一臣と駆けつけた旅人で行いつつ。
ジェイニーがディアボロの群れを確認しながら、肩をすくめる。
「……本当に、肉まんに見えますね」
五体のディアボロは見れば見るほど、異様とも言えるものだった。
二メートル近い身体は手足は無く、なだらかな曲線を描いている。その姿はまるで巨大肉まんのようで。
そして身体の中央には大きな口。そのやや上には同じく大きな単眼が闇の中で不気味な光を帯びている。
鈍い動きで飛び跳ねていた肉まんディアボロは、撃退士達の姿に気付いた瞬間、動きを止め。
直後、一斉に合唱が始まった。
「え……この声、あの肉まんがしゃべってるの?」
杏が眉をひそめる。一様に動かす口元から漏れるのは、意味の分からない言葉の羅列。
「気味が悪いとしか言い様が無いが……まずは様子見、か」
玄太郎がそう言うが早いか、忍術書を用いて風の刃を作り出す。
そのまま、一体に向けて打ち放った。
「ふん……なかなかの防御力だな」
肉まんの表皮は衝撃を吸収するらしく、大したダメージを与えたようには見えない。動きが鈍いため攻撃を避けられる可能性が低い分、防御力に特化しているのだろう。
(有効な打撃を与えられそうなのは、あの目と口くらいか)
玄太郎が内心でそう独りごちた時。
そこで一臣は、何か、微かな違和感を感じていた。
五体の巨大肉まんは、皆一様に訳のわからない言葉を呟き、同じように動いている。
しかしその中で、わずかに他とは違う存在に、気付いたのだ。
(……動きが、鈍い?)
ほんの少しの差だが、動作が遅い。
それはよほど注意してみなければ分からない程度で、一臣が気付けたのは彼の慎重さ所以である。
「みんな、ちょっといいかな」
攻撃を止めながら、彼は仲間へ声をかける。
「少し、試してみたいことがあってね。援護してくれると助かる」
背後に庇った少女を気にしながら、一臣はその一体に向けて聴覚を研ぎ澄ませる。口から漏れる音全てを、聞き逃さないように。
そして、聞いたのだ。
意味不明の言葉の合間に、微かな子供の泣き声を。
すかさず、叫ぶ。
「右から二番目。あの中に、子供がいる!」
一臣の言葉に、周囲は騒然となる。
「どういうこと? 取り残された少女は一人じゃなかったってこと?」
杏の言葉に、九十九もしてやられたと言った口調で返す。
「通報が嘘だったってことかねぇ。一杯食わされるところさね」
「……となると、他の肉まんにも誰かがいるって可能性も捨て切れねーわけですが」
眉をひそめるジェイニーに、祈羅も同意する。
「そうだね。中身を確認できるまで、胴体は攻撃しない方がいいと思う」
言いながら、彼女は躊躇無くディアボロの群れに突っ込んでいく。
「そうとわかれば……やることは一つ」
素早くスキルを展開させる。どこからか現れた無数の腕が、中に子供がいる肉まんを捕らえ。
「今だよ! あいつの皮を剥がして中の子を助け出して!」
「了解した」
玄太郎が懐に飛び込むと、表皮へ刃を滑り込ませる。中に届くことの無いよう、慎重に。
肉まんの表皮はゴムのような感触だった。刃を差し込むのは、何とか可能ではあるものの。
「これは……思ったより、時間がかかりそうだな」
皮は思ったより厚く、中まで到達するのは簡単ではない。
悪戦苦闘する彼に向かう他のディアボロを、一臣とジェイニーの射撃が襲う。
「危ない!」
一体が玄太郎に向かって魔法攻撃を放つ。その強力な衝撃波を、祈羅がその身で受け止めた。
「くうっ……」
身体中に激痛が走る。障壁を展開させていたとは言え、受けたダメージは結構な大さで。
九十九がその様子を見て、苦笑する。
「全く無茶するねぇ……まあ、いいさね。援護はうちがやるから、任せるさね」
その言葉と同時、祈羅の身体を癒しの風が包み込む。
「ありがと。絶対に……子供を助けたいから。攻撃はいかせないよ!」
彼らの意志は、強く、一つで。
そんな中、玄太郎は何とか子供が通れるまでに切り口を広げていた。皮の奥へと手を伸ばしながら、叫ぶ。
「いるのか? いるなら俺の手を掴め!」
しかし反応は、無い。そうこうしている内に、再び彼の身をディアボロの攻撃が襲う。仲間の援護のおかげで、自身が受けたダメージはほとんど無いものの。
(これ以上時間がかかれば、束縛効果が解けてしまう)
そうなれば、中の子供の命とて危うい。玄太郎は、焦りを感じ始めていた。
「くそっ……どこにいる?」
皮の奥は空洞のようだった。中は暗く、何も見えず。
「頼むから、届いてくれ……」
ここまで来て死なせるわけにはいかない。助けられなければ、何の意味もない。
祈る思いで手を伸ばし、その歯を食いしばった時。
彼の熱を帯びた指先を。
弱々しい何かが、掴んだ。
「やった!」
祈羅の歓声と共に。
玄太郎の腕には、少女がしっかりと抱えられていた。
先の少女と同じく、年端もいかない幼さだった。恐らく泣き疲れたのだろう。今は言葉を発することなく、玄太郎にしがみついている。
彼はすぐさまディアボロから離れると、安全な場所へと避難し。
駆け寄ってきた旅人に向かって、少女を引き渡した。
「子供の保護を頼む」
受け取った旅人は、様子を見てほっとした表情になり。
「衰弱はしてるけど、命に別状は無さそうだね」
「そうか」
よかった、と言う言葉は口には出さず。
彼はうなずくと、そのまま前線へと向かう。
「よし、この端のは大丈夫みたい。倒しちゃって!」
祈羅の宣言と同時、単眼に狙いを定めた一臣がストライクショットを打ち込む。どうやらそこが弱点だったのだろう。肉まんはうなり声を上げながら苦しんでいるようだ。そこをジェイニーの鋭い一撃が撃ち込まれる。
「やっぱり目が弱点のようですね。狙って行きますか」
「そうだね。一体一体、確実にしとめていこう」
次の一体は杏の影縛りで再び動きを止め、そこを九十九の破魔の射手が襲う。カオスレートを変動させた一撃は恐ろしいほどの威力を見せ、一発で瀕死状態まで持っていくことに成功する。
「やるね。じゃあ、どんどん調べるよ」
残りのディアボロの中に、人がいる可能性は捨てきれず。外から確認しようが無いのなら、時間をかけてでも中身を確認していかざるを得ない。
その大役を祈羅が買って出ていた。
「きゃっ……!」
肉まんが吐き出した粘液が、祈羅に直撃する。何とか状態異常は免れたものの、そのダメージはかなりもので。
「痛い……でもうちは、負けない!」
彼女の意志は、この程度では折れない。満身創痍になりながら、全ての肉まんの中に子供がいないことを突き止めた。
「そうとわかれば、後は倒すだけさね」
命中率抜群の狙撃手三人が、次々に単眼に狙いを定めて攻撃を命中させる。そこを玄太郎と祈羅、杏の魔法攻撃が襲い。
「これで……最後」
ジェイニーの放つ一撃と共に、最後の一体がその場に伏す。
彼らは見事、五体全ての撃破を終えることに成功したのだった。
●
静寂が戻った林道は、途端に夜気の冷たさが身にしみる。
先程よりも闇が薄くなった気がするのは、空に星が瞬いているからだろうか。
「お疲れ様。何とか、無事に終わったみたいだね」
声をかけてきた旅人の側には、ディアボロの中から助け出した少女がおり。
臨戦態勢が解けた彼らの間に、ようやく安堵の色が生まれ始めていた。
「それにしても、まさか子供が二人いるとはねぃ」
九十九の言葉に、玄太郎も肩をすくめる。
「ああ。気付いたからよかったものの」
一人目が見つかった時点で捜索をやめていれば、どうなっていたかわからない。
軽く息をついたジェイニーが、つぶやく。
「結局、あの通報は嘘だったってことになるんですかね」
「いや、そうじゃない」
発したのは、一臣だった。彼の言葉に、全員が怪訝な表情を浮かべる。
「どういうこと?」
聞き返した祈羅の顔が、急にこわばる。少女を背負った彼の顔に、冷や汗が浮かんでいることに気付いたから。
「ど……どうしたの」
微動だにしないまま。一臣は慎重に口を開き。
「一応可能性は考えていたんだけどね」
この気配は。
一度触れたことがあるからこそ。
一臣はほんの少し、息を吐き。
あくまで動揺は見せないよう、その言葉を告げた。
「通報に嘘はなかった……そうですよね、ミスター」
一瞬の沈黙の後。
彼の背後であがった声に、場は戦慄する。
「おや、よく気付きましたね」
●残されていた少女は一人
「なっ……!」
全員の視線が一臣の背に注がれる中、少女はいつの間にか少年に変わっていた。
真っ白のワンピースに身を包んだ少年は、その身をゆるりと浮かび上がらせ。
「こんばんは、皆さん」
小さな体躯。切りそろえられた前髪。絶やすことのない、微笑。
そして何より、その禍々しさをはらんだ威圧感。
間違いなかった。身につけているものが違うとは言え、一度会った者なら見間違えることはない。
「君は……」
青ざめた旅人の言葉に、悪魔マッド・ザ・クラウン(jz0145)はにっこりと微笑んで見せる。
「このような格好で失礼します。私の名はクラウン。冥界に住む者です」
「こいつが……」
彼の言葉を聞いた数名の顔に、変化が起きる。その様子を楽しそうに眺めながら、振り返ることが出来ずにいる一臣に向かって声をかけ。
「ああ、ご心配なく。私は今回あなた方を攻撃するつもりはありませんので。それよりも、貴方に聞きたいことがあるのです」
一臣は慎重に振り返りながら、道化の悪魔と対峙する。
先程まで背に庇っていた存在が、今は自身よりも遙か高みにいる。その滑稽さに、つい笑みさえ漏れる。
「おや、どうしたのですか。随分と楽しそうな顔をしていますね」
「いや……さっきまで貴方を守っていたかと思うとね」
クラウンは合点したように、うなずいてみせてから。
「何故、私と気付いたのですか」
問われた一臣は、苦笑しながら答える。
「冗談が上手いですね、ミスター……それを試したのはないですか」
最初は、完全に気配を断っていた。だから誰一人気付けなかったと言うのに。
「先程の殺気はわざと、でしょう?」
「ええ、まあ。ですが、そう簡単にはわからなかったはずですよ」
漏らした気配は、ごくわずか。気付けたのは、少女が敵である可能性を一臣が警戒していたからに他ならない。
彼の説明を聞いたクラウンは、珍しく感心した様子を見せ。
「なるほど。これは見事、と言わざるを得ないでしょうね」
そして視線を転じると、闇に向かって話しかける。
「そう思いませんか、レックス」
次の瞬間。
闇がわずかに動きを見せる。
現れたのは、目を疑うほどの巨大な黒猫。
「ふむー。実に困ったのである、クラウン」
悪魔フェーレース・レックス(jz0146)は、その大きな耳をしょんぼりと伏せている。
「な……なんなの、こいつ?」
猫を見た杏が、あり得ないと言った様子で目を見開く。九十九も苦笑しながら続く。
「猫は好きなんだけどねぃ。こんな大きなのはさすがに初めて見たさね」
唖然とする撃退士たちに構わず。レックスはクラウンに向かって悔しそうに続ける。
「我輩、まさかの完敗であるよー」
「ええ。私も少し驚きました。ここまで完全に勝ってしまうとは」
「これで210勝3982敗目である。まるで追いつける気がしないのである!」
その会話を聞きつけた玄太郎が、眉をひそめ。
「おい、そこのピエロと猫。一体何の話をしている?」
「ふむん。我輩、人間たちが少女を助けられるのか、クラウンと賭けていたのであるよ」
「な……本気で言ってんの?」
祈羅が怒りを露わにした声を出す。もし救出が失敗していたら、少女は当然死んでいただろう。
しかも、自分たちの手によって。
「ありえない……趣味が悪いにもほどがあるってんだよ!」
激高する祈羅の横で、九十九が皮肉めいた表情で言う。
「つまりうちらは勝手にゲームの駒にされたようだねぇ……。もちろん、出演料位は貰えるんだよねぃ?」
「ええ。あなた方は私が思っていた以上の働きをしてくれましたから。賭けに勝たせていただいたお礼は、したいと思ってますよ」
飄々と答えるクラウンに対し、九十九はその糸目をさらに細め。
「なるどほどねぇ……嫌みなのは、お互い様ってところかねぃ」
そしてちらりとレックスの方を見やり。
「まあ、あんた方と戦わなくて済むのならよかったのさね。いくら悪魔と言っても、猫と戦うのはあんまり気が進まないもんでねぃ」
「ちょっといいです?」
そこで声を上げたのは、ジェイニーだった。彼女は悪魔を前にして特に気負った様子もなく、淡々とした口調で問う。
「つまりこれって、全部あなた方の仕業ってことですよね」
クラウンは微笑んだまま、答えない。それが無言の肯定であることは、明らかで。
「まあ、いいですが。ところで雨宮と言う赤髪の男に覚えあります?」
問われたクラウンは、ゆっくりとうなずいて見せ。
「ええ。その者なら、覚えておりますよ。選びし者――ですね」
「悪いんですけど、うちの駒なんでつぶされると困るんですよ。余り苛めないでやってくれれば助かるのですよ」
急に早口でそう言う彼女の表情には、僅かな感情の揺れがあって。
恐らくは。
「ふふ……怒り、ですか」
何も返さないジェイニーに向かい、楽しそうに目を細め。
「人の子は本当に面白い。自分のことよりも、他人のことで怒れるのですからね」
「……余計な事は言わねーでもらえますか」
「まあ、貴女の言葉は受け取っておきましょう。ただ、本人がそう思っているかどうかは、わからないと思いますがね」
「――っ」
クラウンがそう返した直後、呻きに近い声がジェイニーの隣であがる。
「うう……」
見ると、祈羅が身体をうち震わせている。それを見た旅人が、怪訝な表情で訊く。
「さっきから様子が変だけど、どうかしたのかな」
「うん……その赤髪の男はね、うちの恋人なんだ。そこの悪魔ちゃんのせいで重体で帰ってきたから、すごくね、ほほ引っ張って説教したろうと思ったけどね……」
祈羅はクラウンを睨み、押し殺すように声を漏らす。
「恋人にダメって言われててさ……」
それを聞いた玄太郎が、やや驚いたように呟く。
「……そうだったのか」
「まあ……相手見た目だけでも子供だしな!! 我慢するよ。だけどさ……」
一言。
一言、言ってやらねば、気が済まない。
――これくらいなら、許してくれるよね。
祈羅は、道化の悪魔をしっかりと見据え。
「うちは正直、あんたの顔なんて見たくもない。けどね! あの人が、選んだから。だから、うちも戦う。いつか絶対……ぜったい、あんたに説教してやるんだからな!」
それを聞いたクラウンは。
何故かどこか嬉しそうに、瞬きをして。
「貴女の選択と覚悟。覚えておきましょう」
そう言って祈羅の前に降り立つと、まっすぐに彼女を見つめる。
「では、私もその覚悟に応えなければなりませんね」
「え……?」
クラウンは、祈羅が持っている剣を指さし。
「その刃で、私を貫いてください」
「な、なに言ってんの?」
動揺する彼女に向かって。クラウンは視線を逸らさないまま続ける。
「覚悟には相応の覚悟で応えるのが私のやり方です。今回私は賭けには勝ちましたが、本当の勝利者はあなた方」
薄く微笑んで。
「その報いは甘んじて受けましょう」
「こいつ……狂ってるのか?」
玄太郎の言葉に、道化の悪魔はにっこりと微笑む。
「心配はいりませんよ。一撃で死ぬほど私はヤワではありませんから」
そして再び祈羅の方を振り向くと、まるで他人事のように告げた。
「さあ。私を刺してみてください」
周囲が、静まりかえった。
剣を手にした祈羅は、クラウンに向けて構えを取る。
対する悪魔は、本当に抵抗するつもりが無いらしく。
誰も、言葉を発せないでいた。
微動だにすら、できず。
彼女は葛藤していた。目の前にいるのは、見た目はただの子供に過ぎず。
ノースリーブからのぞく手は、幼い子供のそれで。
相手は愛する者を傷つけた悪魔だ。そんなことは分かっている。
けれど。
……けれど。
「……雨宮ちゃん、無理はしなくていい」
沈黙を破ったのは、一臣だった。
いつの間にか震えていた手を押さえられ、祈羅は我に返る。
「――っ」
剣を下ろした彼女は、がっくりとうなだれる。
「……できなかったよ」
その声は、苦渋に満ちていて。
「あんたのこと、死ぬほど憎いって思ってる。だけど……無抵抗の子供を刺せるほど、私は割り切れない」
それが自分の弱さだと、わかっていても。
彼女の言葉を聞いたクラウンは、無邪気に瞳を細め。成り行きを見守っていた友を振り返る。
「ふふ……レックス、聞きましたか?」
「ふむん。聞いたであるー」
猫の悪魔は、感心した様子でむふーと鼻息を出して。
「つまりあのレディはクラウンの見た目が子供だから、攻撃するのを躊躇った――と言うことであるな?」
「ええ、その通りです。どうです、レックス。あなたはこの感情を理解できますか」
問われた猫の悪魔は、尻尾を一振りした後。
「わからないであるなー。我輩、自分より小さなものや弱いものは、みんな食べてしまうであるよ」
レックスにとって大事なのは、自分よりも強いか弱いか。自分にとって、必要かそうでないか。
そんな彼にとって、祈羅が持つ感情は甚だ理解しがたいものがある。
「ええ。私にも、ここは人の子の理解できない部分の一つなのです。不思議なものでしょう? なぜ人の子はこんなにも、目に見えるものに縛られるのか――」
「わかりませんか」
一臣が、遮るように口を開く。
「それは彼女の優しさですよ、ミスター」
「ほう。詳しく聞きましょうか」
「彼女は貴方の見た目だけで躊躇したわけじゃない。貴方の内にどんなものがあって、何が貴方をそうさせるのかが見えないから。躊躇ったんですよ」
それを聞いた道化の悪魔は、意外そうに。
「それは興味深い話ですね」
「人間は相手を思いやれる生き物ですからね。実際の貴方がどうなのかは知らない。けれど彼女は、幼い姿である貴方の見えない何かを思いやって、手を出せなかった。俺はそう思いますよ」
それを聞いたクラウンは、しばらく考え込む表情を見せた後。
どこか、納得したように。
「ふふ……つまり人の子にとって。目に見えるものとは、『その先にある心を映すもの』と言うわけですか」
例えば同じものを見たとして。
その見え方は人によって、大きく違うから。
一臣が、応える。
「ええ。だからこそ、人は目に見えるものに縛られる」
それは悪魔から見れば、馬鹿げた弱さに映るかもしれない。
だとしても。
一臣は道化の悪魔と向き合う。その表情は、確信に満ちていて。
「俺はそれでいいと思ってますよ、ミスター」
時には惑わされることもある。取り返しのつかない失敗を呼ぶこともあるだろう。
けれど何かを見て。
美しいと思うことを。
愛しいと思うことを。
相手を思いやり、見えない何かに思いを馳せることができるのは。
自分たちが人間だから。
それを聞いた悪魔の表情に、わずかに変化が見られ。
しかしその意味は、本人にすらわからず。
「……なるほど。わかりました」
クラウンは、ただうなずいてみせたあと。
おもむろに猫悪魔の背へと移動した。
「では、レックス。私たちは帰りましょうか」
「ふむん? もう帰るのであるか?」
友の背にまたがった彼は、満足そうに微笑み。
「ええ。私はもう十分愉しみましたから。……今夜の主役は彼らにお譲りしましょう」
「なるほど、わかったであるよ。我が輩もなかなかに面白いものを見たであるからな」
そして道化の悪魔は、撃退士たちを見渡し。
「今宵は実に愉しませていただきました。――また、お会いしましょう」
そして次の瞬間。
二人の姿は消えていた。
●帰路
悪魔がいなくなった林は、再び静けさを取り戻し。
今度こそ訪れた安堵の色に、皆ようやく落ち着きを取り戻していた。
「……結局、掌で遊ばされてた気がしなくもないけど」
祈羅は大きく息をつき。
「うちらはとりあえず勝った、ってことでいいんだよね?」
「そうさねぇ。それでいいんじゃないかねぃ」
九十九はそう言って、旅人の側で呆然としている少女の前でかがむ。
「……怪我は、無いかねぇ」
「うん。だいじょうぶ」
少女はまだびくびくはしているものの、しっかりとした返事だった。
それを聞いた九十九は、普段は見せない穏やかな表情を見せ。
「それはよかったさね。じゃあうちらと一緒に、家に帰ろうか」
すると彼女は、少し恥ずかしそうにうなずき。
九十九が出した手を、しっかりと握った。
「じゃあ、僕らも帰ろうか」
そう切り出した旅人に、他のメンバーも同意する。
「……何だか、お腹すきましたね」
ジェイニーの言葉に、一臣が苦笑して。
「ずっと肉まんと戦っていたからね。仕方ない」
「帰りに何か食べて帰りたい気分だねぃ」
そんな彼らの後ろを、黙々と歩く玄太郎。
気がつけば少女が振り返り、自分のことをじっと見つめている。
「……なんだ?」
ぶっきらぼうに返したにも関わらず、彼女は玄太郎の側に行き。
にっこりと微笑んだ。
「さっきはたすけてくれて、ありがとう」
それを聞いた玄太郎は、何とも言えず複雑な表情を見せた。
「あ、おほしさま」
少女が大きく目を見開き、一点を指さす。
皆の視線が空へと注がれたとき。
満点の星空の中、流星が大きく瞬いて。
いくつもの光の筋が、彼らの目にはっきりと映っていた。
「……綺麗だね」
思わず旅人が、つぶやく。
すると隣にいた一臣も、微笑みながら言った。
「ああ、綺麗だ」
●宵闇の彼方
「……つまりお前が言うには、人間の力は今は大したことはない。しかし近い将来、必ず奴らは強くなる、と。そう言いたいのだな?」
「ええ、その通りですよ。ジャム」
彼女は理解できなかった。人間の能力など、現時点ではヴァニタスにすら劣ると言う。その程度の存在が、いずれ自分たちと肩を並べるなどと言うのは。
「どう聞いても、戯れ言にしか思えん。そう主張するのならば根拠を言え」
「ふふ……まあ、信じなくても良いですよ。今の貴女に理解できるとも思えませんからね」
「なっ……」
道化の悪魔は、くすくすと笑いながら。
「では、私はもう少し調査を続けさせてもらうとしましょう」
「待て、クラウン! もっとまともな報告を――」
「我々悪魔にとって」
ジャムの言葉を遮るように、クラウンは口を開く。
「目に見えるものとは、一体何でしょうね?」
「――何をいっている?」
怪訝な表情を浮かべるジャムに対し。
道化の悪魔は、くるりと背を向ける。
「案外私たちも、人の子と大差ないのかもしれませんよ」
●一つの解
僕たち人間にとって。
目に見えるものは、一人一人違う。
それは時に誤解を生み、すれ違いを生じさせてしまい。
取り返しの付かない失敗を生むこともあるだろう。
でもだからこそ。
同じものを見て、同じように心が動いたとき。
目に見えない何かが、生まれるのだと思う。
僕は――あの事件を通して、わかったんだ。
その見えない何かを
人は、絆と呼ぶのだと。