月の無い空は、代わりに星がよく見える。
しかしその儚い光が、世界を照らすことはなく。
宵闇の中、夜叉は一人無人の街を徘徊をする。
ただ、排除するために。
ただ、望みを叶えるために。
手にした刀は、音もなく――空を切る。
「……どうやらアレに間違いなさそうだねぇ」
建物の陰に身を潜めながら、雨宮 歩(
ja3810)がやや間延びした調子で呟く。
目の覚めるような鮮やかな赤髪と金色の瞳。皮肉げな笑みを浮かべた表情は、どこか気怠げな空気を纏っている。
「ええ。報告で聞いた通りですね」
徘徊するディアボロを監視しながら、神棟星嵐(
jb1397)も呟く。歩とは対照的な銀の瞳を、闇夜に向けて。
「うまく足止めできるといいんですが」
今頃、残りの四人が確保対象である一宮洋介を捜索しているだろう。
自分たちの役目は洋介が発見されるまで敵を監視し、場合によっては引きつけること。
「まぁ、打合せ通りにやるまでだねぇ。フォローは頼んだよぉ」
歩があまり緊張感の無い返事をする。しかしその瞳には、既に任務遂行への意志が宿っていた。
●捜索班
その頃、捜索班の四人及び同行者の西橋旅人(jz0129)は洋介発見に向けて無人の倉庫街を移動していた。
「ディアボロ相手と捜索ね……人数的に厳しいものがあるけどやるしかないわね」
倉庫街の地図を手にした月影夕姫(
jb1569)が、眉をひそめながらひとりごちる。
「心理的に敵とは極力離れようとするでしょうから……まずは南から南西にかけて捜索しましょう。その後は時計回りでどうかしら」
普段は付けている髪のリボンを、今夜ははずしている。戦闘へ向けた彼女なりの切り替えだ。
「そうだねぇ。それでいいんじゃないかな」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)が、にこやかに同意を示す。
すらりとした長身に、流れるような白い長髪。人当たりの良い印象の彼は、どこか困ったように微笑む。
「まぁ……正直な所、ボクとしては彼の保護の優先度はあまり高く無いんだけれどね。とにかく、全員無事で帰ることを目標にしたいよ」
いつもヘラヘラとはしているが、他人が傷ついたり悲しむのが嫌いな彼。殺人犯の為に仲間が傷つく必要はない、と言うのが本音ではある。
同じく洋介を保護することに半ば呆れているのが、カイン大澤(
ja8514)。
「ひとごろしをを探して守るのか、馬鹿馬鹿しい、殺されとけばよかったのに」
仕事でなければやるつもりもなく。
幼い頃から内戦地の少年兵として暗殺や破壊工作に関わってきた彼。今回の事も飯の種になるなら、と引き受けただけである。
そんな中、一際色鮮やかな衣装に身を包んでいる人物がいる。清清 清(
ja3434)だ。
「今宵のわたくしの名は、十六夜。お客様にお楽しみ頂くことこそ道化の本懐っ☆ そのために、努めさせて頂きましょうっ」
ピエロを演じる今の彼は、敵や味方など関係がない。
ただ観客を楽しませることが第一。任務も戦いも、何もかもが舞台の一環。
だからこそ、ミスは許されず、完璧に――
既に生命探知を発動させた彼は、まるで舞うように倉庫街を駆け抜ける。
お客様を待たせるわけにはいかないと、言わんばかりに――
倉庫街の南東部。
とある医療品会社の倉庫近くで、清の生命探知が反応をした。
「この中にどなたかいらっしゃるようですっ」
よく見るとシャッターの一部が破壊された跡がある。誰かが侵入をしているのは間違い無さそうだった。
「とりあえず、俺たちも扉をこわして中にはいるか」
言うが早いか、カインがレガースを装備した足で勢いよく扉を蹴破る。五人は中に入った。
「……暗いねえ」
暗視用のナイトビジョンを装着したジェラルドが、真っ暗闇の倉庫内を見渡す。ディアボロに気付かれてしまう可能性を考え、灯りは点さない。
「一宮さん、いるなら出てきてください。我々はディアボロからあなたを保護する為に来ました」
呼びかけながら歩くも、返事は無い。 しかしすぐ近くで微かに、物音がする。
「聞こえたのはこの辺りだわ」
同じくナイトビジョンを装備した夕姫の視線の先。積み上げられたダンボール箱の影に、座り込んでいる男の姿があった。
男は警戒した様子でこちらを伺っている。
「そこにいるのは一宮洋介さんかしら」
しばらく返答が無かったが、やがて掠れたような声が返ってくる。
「あんたらは……誰だ?」
「私達は撃退士よ。ディアボロの殲滅とあなたの確保を依頼されてるわ」
確保、と言う言葉に男の表情が強ばる。自分を捕まえに来たと、気付いたのだろう。
洋介が何かを言おうと口を開きかけた時。
「おーいたいた、人殺し」
やってきたのは、カインだった。彼は冷め切った表情で洋介を見下ろし、容赦無く言い切る。
「逃げんなよ。お前が殺した奴だけじゃなく、お前のせいで無関係な奴が、何人死んだとおもってんだ」
「ち……ちがう! あの警官を殺したのは俺じゃない!」
洋介は急に大声を上げる。追われるストレスに加え、先程の恐怖が蘇ったのだろう。
「やめろ、近寄るな!」
逆上した彼を見て、清が慌てて声をかける。
「一宮様落ち着いてくださいませっ。わたくし達はあなた様を裁くために来たのではございませんっ」
夕姫もなだめようと続ける。
「そう、あなたはあくまで容疑者よ。どういう経緯で今の状況になったか話してくれない? もしかしたら弁護できるかもしれないわ」
「嘘だ! あんたらはどうせこの俺の言うことなんか聞いちゃくれないだろう!」
洋介は激高した様子で叫ぶ。その声は、倉庫中に響き渡っていた。
「やれやれ……困ったお方だ」
ため息と共に聞こえたのは、ジェラルドの声音。
「確かに貴方はこれから警察に行くことにはなりますが……『残念ながら』、貴方には法によって裁かれる権利をお持ちだ」
息を切らせながら睨み付ける洋介に対し、ジェラルドは淡々と告げる。
「ご自分で主張したいことがあるのなら、裁判で主張すればいい。……それともここで野垂れ死にたいですか?」
「くっ……」
洋介は唇を噛みしめたまま、うつむく。外にはディアボロが徘徊している。どのみち一人では逃げられないと、気付いたのだろう。
彼はのろのろと立ち上がる。
「さっきは取り乱して悪かった……だが、俺の話を少し聞いてはくれないか」
「その為には一旦避難をしたいただく必要があるね。ここは危険だから」
渋々承諾する洋介を見た、夕姫が。
「じゃあ旅人さん、彼の護衛をお願いできますか」
そう、伝えた時だった。
激しい爆音と共に、振動が彼らを襲う。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、完全に破壊されたシャッターから現れた人物を見て皆戦慄をする。
そこにいるのは。
夜叉面を被った鬼の姿だった。
●遡ること数分前
それは、突然のことだった。
先程までは遅い足取りで倉庫街を移動していた夜叉が、咆哮を上げたのだ。
直後、もの凄い勢いで駆け出す。
監視していた歩と星嵐は、慌てて止めに向かった。
「急にどうしたんでしょうか?」
星嵐の疑問に、歩が夜叉へ突撃を開始しながら答える。
「わからないねぇ。でも何かに気付いたようなにみえたなぁ」
「先程一宮洋介を発見したというメールが入ってました。もしかすると……彼の声でも聞きつけたのかもしれません」
「だねぇ。試してみるか」
そう言った歩の姿は、既に一宮洋介へと変化していた。
彼はその姿のままディアボロの前へと飛び出す。存在に気付いた夜叉は、一瞬動きが止まった。
夜叉は微動だにしない。面の奥の瞳は、間違いなくこちらに向けられてはいるのだが。
(演技力には自信がある。そう簡単には見破られないはずだけどねぇ)
事前に洋介の事を調べていただけあり、歩の演技は完璧と言えるものだった。
それだけに。
何故見破られたのか、不思議でならないのだが。
突如夜叉は再び咆哮を上げると、移動を開始した。
手にした刀が地を削るのも構わず、一心不乱に走り続ける。
「いけません、このままでは逃げられてしまう!」
星嵐がディアボロの正面に回り込み、弓矢で牽制をする。しかし夜叉は、まるでひるむ様子を見せない。
「これでもくらってもらおうかぁ」
漆黒の刀身から放たれる斬撃。直撃を受けたディアボロは一瞬動きを止めはするものの。
直後鈍い光が夜叉を包み。
攻撃が来る、と二人が構えると同時。手にした刀から放たれるのは、巨大な衝撃波。
「くっ……何とか避けきりました」
しかし、その隙を突いてディアボロは彼らの包囲網を難なく突破する。
「しまった!」
「こいつ……ボクらと戦うつもりなんて、ないみたいだなぁ」
突破だけを狙う敵の足止めは、通常よりも遙かに難しく。
しかも相手は強力で知能が高い、人型ディアボロ。
対する人数が二人と言うのは、あまりに手が足りなさすぎた。
尋常じゃない速度で走る夜叉は、ある倉庫の前で足を止め――
シャッターに向け衝撃波を放った。
●邂逅
六人は瞬時に戦闘態勢に入る。
護衛を任された旅人は、洋介を連れ避難しようとしたのだが。
「参ったな……この状況だと身動きが取れそうにないね」
出口にはディアボロが陣取っている。下手に動くのは危険すぎた。
夜叉は二人の存在に気付くと、彼ら目がけて突進しようとする。
「ダメダメ☆キミの相手はこっちにいるんだ」
素早く夜叉の正面へ回り込んだジェラルドが、高速の足蹴りを放つ。
高威力の攻撃は、ディアボロの身体を吹っ飛ばし。
「とにかく敵を倉庫内に入れないようにしくちゃなぁ」
歩の素早い斬撃が夜叉を襲った直後、清が弾むような声をあげる。
「おいでませ、アンデルセンっ☆」
彼の左脹脛を公転していた惑星が、茶色の輝きを見せたと同時。
無数の彗星が夜叉目がけて降り注ぐ。激しい衝撃に、地表が爆ぜ――
「ヴァアアアアアア」
悲痛な叫び声があがる。激高したディアボロは、大きく刀を振りかざし。
「来ます!」
星嵐の声と同時に放たれる衝撃波。広範囲に及ぶその攻撃は、高速で撃退士達へと向かう。
「くっ……なかなかの威力ね」
前衛で攻撃を受けた夕姫が、つぶやく。彼女の周りには、五つの黒光りする玉が浮かんでおり。
「どんどん撃ち込むわよ、簡単には避けられないからね」
不規則に動く玉が、器用に敵へと打ち込まれた。
そこを星嵐が放つオーラが一直線に貫き。
「服が汚れるがしかたない」
いつの間にかディアボロの背後に回っていたカインが、逆手に持ったナイフを脚と首に突き立てる。そしてそのまま一気に引き裂いた刹那。
赤黒い血飛沫が、悲鳴と共に上がる。
戦闘は、撃退士優勢で進んでいた。
ディアボロの意識が洋介にしか向いてないせいだろう。闇で視界が悪いとは言え、攻撃のことごとくが容易く直撃をする。
その都度脅威の回復力を見せつつも、やがて限界はおとずれ――
ついに、夜叉が膝を付いた。
「いいね。このまま一気にいこうか」
ジェラルドの蹴りが、ディアボロの頸部に叩き込まれる。そこを歩やカイン、清がたたみかけるように攻撃し続け。
「このチャンスを無駄になんかしません!」
星嵐が放った強烈な弾丸が、敵の頭部に炸裂する。
もはや動けないディボロに対し、至近距離から夕姫の黒玉が、一気に全弾発射され。
「収束砲撃、これで!」
――終わりだ。
そう、誰もが思った時。
突如夜叉の前に現れた防護壁が、夕姫の攻撃をはじき返した。
何が起こったのかわからない彼らが、唖然とする中。
闇の中から、聞き慣れない声が響き渡った。
「こんばんは。今宵は星がよく見えますね」
皆の視線が、一斉に声がした方へと注がれる。
満天の星空の元、現れたのは。
道化の姿をした子供。
「貴方は誰ですか」
星嵐の問いかけに、悪魔マッド・ザ・クラウン(jz0145)はにっこりと微笑む。
「私はクラウンと申します」
小さな体躯から発せられるオーラは、撃退士たちのそれを遙かに凌いでおり。
その禍々しい圧力に、彼らが気付かないわけもなく。歩が慎重に問う。
「……悪魔が何しに来たのかなぁ」
「ええ。少しあなた方と話をしようと思いまして
そう言って、既に虫の息であるディアボロの前に立ちはだかる。これ以上の戦闘続行はさせないという無言の意思表示に、夕姫が低く返す。
「私は貴方と話す事なんて、何も無いんだけど」
「ふふ…そうですか? 私の話を聞けばあなた方は話しをせざるを得ないと思いますが」
「…どういうこと?」
「その前に」
クラウンは倉庫内へとちらりと視線を向け。
「聞いているのでしょう? 隠れても無駄ですから出てきてください」
しばらくして中から旅人と洋介が現れた。洋介を庇いながら立つ旅人は、クラウンの姿に目を留めた瞬間、顔を強ばらせる。
「君は……この間の」
「覚えていましたか。嬉しいですね」
あの威圧と怒りを。忘れるはずも無く。
「……なるほど。君が黒幕ということか」
それを聞いたカインが、半ば呆れたように問う。
「お前が? 人間も天魔もやること変わらねえのに、こんなことして何が楽しいの?」
クラウンは、くすりと笑って。
「私は、知りたいのですよ」
「知りたい? 何を」
「人の子が何を"えらぶのか"を」
言っていることがよくわからず、カインは顔をしかめる。
クラウンはそれには構わず、自分を見つめる同じ道化に目を留め。
「おや、どうやら貴方は私と近しい存在のようですね」
「はいっ。わたくしはお客様を楽しませる道化☆ 立場は違えど、貴方様と目指すものは同じかとっ」
清の言葉を聞いたクラウンは、少し意外そうに目を瞬かせ。
「ほう。興味深いですね。あなた方人の子は、その様な考えを持ち合わせているのですか」
「……? 貴方様は違うのですか?」
不思議そうに首を傾げる清に向かって、クラウンは感心したようにうなずく。
「なるほど。やはり人の子は面白い」
無邪気な笑みと共に。
「なぜなら私たち悪魔は、『自分が楽しめればそれでいい』のですから」
大気がひりつく。遠く風鳴りの音が、まるで慟哭の様に聞こえる中。
「本当に、不愉快な道化だな、お前はぁ」
吐き捨てるような歩の物言いに、ジェラルドが続く。
「まぁ……人間にだって、そういうのはいるけどさ。あんまりいい気分はしないよねぇ」
それを聞いたクラウンは、くすくすと笑いながら続ける。
「さて、話が逸れましたが本題に戻しましょう。ここにいる、あなた方が討とうとしている者についてですが」
何も言わない彼らを見渡して。
「ああ、その前に。そこの貴方に問いましょう」
指されたのは、星嵐。
「……自分ですか」
「ええ、そうです。貴方にとって、最愛の存在は誰ですか」
星嵐は答えない。
「おや、答えられませんか。では、貴方はどうです?」
指名された歩は、そっけなく答える。
「答えるつもりはないねぇ。他の皆だって、同じだろうよぉ」
「ふふ……そうですか。まあいいでしょう。今私の後ろにいるのは、かつて人であった者。彼女にとって最愛の存在は、紛れもなくそこの貴方」
クラウンが長い袖ごと腕を掲げ。
指された先にいるのは、一宮洋介。
「お……俺?」
洋介はわけがわからない、と言った様子で聞き返す。それを見た夕姫が、眉をひそめながら言う。
「やっぱり……あのディアボロは一宮さんに殺された恋人なんじゃないかしら」
最初から、予測していたことではあった。それを聞いた洋介が、大きく首を振りながら否定する。
「そ、そんな筈はない! あいつは…桜は俺のことなんか、これっぽっちも想っちゃいない」
「なんだ。殺した事への、いいわけか」
「違う! そもそも俺は……はめられたんだ。だからっ……」
ジェラルドが不思議そうに訊く。
「それって、どういうことかな」
洋介は思い詰めたようにかぶりを振り。
「桜は……俺が持つ情報を盗むために、近づいてきただけだ」
話によれば、洋介はとある製品開発プロジェクトを任されており。桜はその機密を盗むために派遣されていたと言うのである。
「この情報が他社に渡れば、十年もかけた俺たちの計画は全て終わりだ。ようやく……ようやく、もう少しで完成だったと言うのに…」
これが成功すれば、苦労をかけた人への恩返しもできる。しかし今捕まれば、その情報を誰に奪われるかわからない。だからこそ、逃げ回っていたのだと言う。
「無事に機密が守られれば、俺は自首をするつもりだった。嘘じゃない、信じてくれ!」
彼の必死の表情に、嘘は無さそうに見えた。七人は顔を見合わせる。
星嵐が困惑気味に口を開き。
「待ってください。じゃあ、あそこにいるのは一体――」
皆の視線が、クラウンへと集中する。
やりとりを聞いていた彼は、にっこりと微笑んで。
「話は、終わりましたか」
「こたえろ。そこにいるのは誰だ?」
カインの有無を言わせぬ問いに、クラウンは答える。
「今も、昔も。そこにいる者をずっと愛し続けている存在ですよ」
「だからそれは誰だと言っている?」
夜叉面を付けたまま、地に伏す姿。それを見ていた清は、そこでふと記憶の断片がよぎる。
あれは確か。夜叉と般若の違いがわからず、調べていた時のこと――
クラウンがおもむろに話し出す。
「夜叉とは古代インドの鬼神。後に仏教に取り入れられ、この国でも知られるようになりました」
いきなり話し出した悪魔の言葉に、皆怪訝な表情になる。
しかしただ一人、全てを悟った清は洋介へ向かって叫ぶ。
「一宮様っ聞いてはなりません!」
悪魔の淡々とした響きが、闇を溶かすように。
「日本で最も有名なのは、『鬼子母神』と言う神様ですよ」
一瞬、水を打ったように場が静まった。
彼の言葉の意味を、理解するのに恐らく数秒のタイムラグがあった為であろう。
しかしそれだけで無いことは、全員がわかっていた。
突き付けられた過酷な現実に、何を言えばいいのか、わからなかったから。
「ま…まさか…母さん……なのか?」
青ざめた洋介が、唇を震わせながら言葉を発する。
それを聞いたクラウンは、愉悦に満ちた表情を見せ――
「ようやく気付きましたか」
撃退士達は瞬時に理解した。
なぜ、警官だけが殺されたのか。
なぜ、自分たちには見向きもしなかったのか。
なぜ、変化の術が簡単に見破られたのか。
全ては、一宮洋介のため。
ただ、ただ、ひたすらに。
「……嘘、だろ……?」
しかし答える声は無い。
「冗談だろ……? 何のために……何のために俺はここまで…」
プロジェクトが成功すれば。
苦労をかけた母親にも、楽をさせてやれると思って――
一瞬の静寂の後。
洋介は激しい咆哮をあげる。もはや正気を失ったかのごとき剣幕で。
「ふざけんな! 嘘だろ、嘘だと言えよ!」
「一宮さん落ち着いて!」
「どうして。なんで、何で、こんな事になるんだよ!」
その問いに悪魔は当たり前のように応える。
「本人がそう、望んだからですよ」
「…どういうことかなぁ」
怒りを押し殺す歩に、彼は淡々と続ける。
「そこにいる者の現状を伝え、どうするか問いました。彼女は躊躇すること無く答えましたよ。『息子の為なら、自分の命など惜しくはない』とね」
「な……」
星嵐があり得ないと言った様子でかぶりを振る。
「じゃあ……自分の子を守るために魂を渡させたって言うのですか」
「つまり、親の愛を利用したってこと……ね」
冷え切ったジェラルドの声に。
クラウンは薄く微笑むと告げた。
「私は彼女の望みを叶えたまでですよ」
ああ、と夕姫は呻くように言葉を漏らした。
子供のために命を捨てられるか、と問われれば。
自分には子供はいない。けれど同じ女として理解できるものがある。
だからこそ――
「許せない」
許せるわけが、なかった。
夕姫が怒りに震える横で、カインが吐き捨てるように言う。
「子が子ならおやもおやだな。親子そろって人殺しか。救いようがないな」
「やめてくれ!」
洋介がしゃがみこみ、震えながら涙を流す。
「俺のことは…何を言われてもいい。けれど…母さんは…母さんは……」
自分のために魂を売り渡した最愛の人を。
どうして責めることなどできようか。
「悪いのは全て俺だ。母さんは悪くない。だから」
洋介はうずくまり、ひたすら撃退士達に請う。
「どうか……母さんを殺さないでくれ」
「一宮さん、それは……」
出来ない相談だった。もうディアボロと化してしまった以上、彼女が元に戻ることは無い。
そのことを説明してみせても、洋介は聞く耳を持たなかった。
錯乱する彼に、正常な判断を望むのは難しく。
「母さんを、見逃してくれ。頼む……俺は死んでもいい」
何も言えず黙り込む彼らに向かって、洋介は悲痛な声をあげる。
「母さんだけは殺さないでくれ!」
「いいでしょう」
返事をしたのは、道化の悪魔。
彼の顔には、満足そうな色か浮かび。
「その覚悟、受け取りました。貴方の命と引き替えに、彼女は私が生かすと約束しましょう」
「なっ……」
一同に戦慄が走ったと同時。
何かが六人の横をすり抜けた。
それが悪魔が放った刃だと気付いた時には――
「旅人さん!」
腰から肩まで大きく切り裂かれ。
大量の血しぶきを上げる旅人が、そこにいた。洋介を庇い、クラウンの攻撃が直撃した為。
「――っ」
かろうじて意識はあるものの。言葉を発せず、その場に跪く。
撃退士たちは二人を守らんと、瞬時に迎撃態勢をとる。
そんな彼らを見て、クラウンはゆっくりと口を開く。
「一つ。良いことを教えましょうか」
武器を構える撃退士に対し。クラウンは微笑んだまま、話を続ける。
「何かを守ると言うことは、そう簡単なことではありません。時にはそう、そこの殺人者と同じく命を賭ける必要もあるでしょう」
彼の声音は、相変わらず落ち着いてはいるものの。そこには何か禍々しい色を含むことに、彼らは気付き始めていた。
「その上で、お尋ねしますが」
悪魔の冷えた声が、耳に届く。
「この私を前にして。なぜあなた方は、あの者の護衛を一人に任せていたのですか」
重い沈黙が、支配する。
それに構わず、クラウンは容赦なく続ける。
「彼が犯罪者だからですか? それとも私から襲われる事はないとでも考えていたのですか?」
答えられなかった。
答えることが、出来なかった。
何を言ったところで言い訳にしかならないと、わかっていたから。
それを見ていたクラウンは、微かに首を傾け。
「中途半端な覚悟を見逃すほど――」
道化の顔から、笑みが消える。
「私は甘くはありませんよ」
刹那。
禍々しい閃光と共に放たれた巨大な衝撃波。
唸るような黒刃が闇夜を無慈悲に切り裂く。
カインは一瞬、何が起こったのかわからなかった。
気がついたときには、その場に倒れ伏していた。
胸に受けた傷は深く肺にまで達し。
喉に溢れる血を吐き出しながら、声を絞り出す。
「く……そ……」
そこまでだった。
完全に意識を失った彼の横で。
同じく前衛に立っていた夕姫も、カインほどでないにしろその衝撃波のダメージは計り知れない。
「この人を守ると……決めたはずなのに……」
けれど悪魔の圧倒的な攻撃力を前に。これ以上立ち続けることは不可能だった。
「これは厳しいね……」
苦笑するジェラルドが受けた傷は、先の二人よりも更に酷く。
容赦ないオーラの刃は、彼の胸から肩ににかけてを大きくえぐり、ぱっくりと開いた傷口からは大量の血があふれ出していた。
ゆっくりと倒れ伏す。血だまりの中、彼の白い髪が紅く、染まってゆき。
「何という……威力」
星嵐は思わず漏らした。
やり遂げる意志がなかった訳ではない。しかし圧倒的な存在を前に、自分たちはあまりに無力だった。
こうなる事を避けられなかった。
それが一番の、失敗。
薄れゆく意識の中、彼の目には二つの影が見えていて。
「おや、初撃で全員倒れるかと思いましたが」
どこか嬉しそうなクラウンの前に。
残ったのは満身創痍で立ち続ける歩と清。
「洒落にならないねぇ……」
口元の血をぬぐいながら、歩が苦い笑みを浮かべる。清は何も言わず、ただ目前の道化を見据え。
二人を見たクラウンは、瞳を薄く細めながら問う。
「さあ、どうしますか。その者を見捨てて逃げるのか、死ぬのを覚悟でこの場にとどまるのか」
たった一撃で四人を戦闘不能にする威力。勝ち目がないのは、明らかだった。
絡め取る視線は、黒くささやく。
「言っておきますが、私は手を抜きませんよ」
選択の時だった。
残された者は、選ばなくてはならない。
洋介をこのまま見捨てるのか。
死を覚悟で、最後まで戦い抜くのか。
えらぶのは――
ドッチ?
互いに視線を送り合う。
額には汗と共に血が滲み。
「わたくしは、観客を残して舞台を降りることはできません」
最初に宣言したのは、清だった。歩も同意する。
「……気が合うねぇ。まぁボクも同じかなぁ」
二人の意見は、一致していた。
それを見た洋介が、信じられない表情で叫ぶ。
「あ、あんたら……おかしいよ。なんで俺のことなんか、助けようとするんだ。死ぬと言った奴を庇うなんて、正気の沙汰じゃない!」
「わかってないねぇ。それができないから、ここにいるんだよぉ」
歩の言葉に、清も当たり前のように続ける。
「貴方様が死ぬのが勝手なら、わたくしたちがここに残るのも勝手。貴方様の指図はお受け出来ませんっ」
「な……」
「そもそもねぇ」
歩の目が鋭く細められる。
「自分のために誰かが死ぬ覚悟も無いのなら、簡単に死ぬとか言うんじゃないよ」
目前に浮かぶ、悪魔を前に。
えらぶのは。
撃退士としての意地。
それを聞いたクラウンは、手にした飴色のバーを高く掲げ。
「いい覚悟です」
直後、凄まじい殺気が彼らに向かって放たれる。
大きな瞳は爛々と妖しい輝きを見せ。
「その覚悟に敬意を表し、私も全力でお相手しましょう」
歩の大太刀がクラウンに向かって振り抜かれる。しかし、その刃が届くことはなく。
清が放った真紅の槍が、クラウンの身体をかすったものの。
「ふふ……この程度では私を倒すことはできませんよ」
まるでダメージを受けていない彼を前に、撃退士達は圧倒的に無力で。
その時。
地に伏せていたディアボロが突然、咆哮をあげる。
どこにそんな力が残っていたのか。
洋介が止めるのも訊かず、まっすぐに突き出された刃がクラウンの身体を貫いていた。
しかし彼の表情は特に変化することもなく。
口元から血を流しながら。
その道化の悪魔は――
嗤っていた。
再び放たれる衝撃波は、避けるとかそういうレベルの話ではなく。
ただ、一方的に攻撃を受けるだけ。
凶悪な悪魔の力を、まともに受け切れる者はおらず。
「――っ」
大きく上がる鮮血のしぶき。自らの血が舞い落ちる中。
「参ったねぇ……無理はしないつもりだったんだけどなぁ」
そう呟く歩の身体は、衝撃波の威力で至るところが裂けている。開いた傷口から流れ落ちる血が、瞬く間に地面に染みを作り――。
歩の意識は、そこで途切れた。
「最後まで舞台に立ち続けられないのは無念ですが……」
胸に大きく傷を受けた清も、その場に跪き。
「わたくしも、ここまでのようです」
そのまま地に倒れ伏す。既に消耗し尽くしている彼らに、悪魔との戦いは酷と言うほか無く。
最後に残ったのは、
殺人犯と悪魔だけ。
壮絶な惨状を目の前に、洋介はただ呆然としている。クラウンはそんな彼に対して、告げた。
「さて。ここで貴方を殺すのは容易いことですが…」
まるでそれは、遊びを終えた子供のように。
「それではつまらいので、止めにします。ああ、ご心配なく。約束は守りますから」
突き刺さった刃を抜いて。クラウンは夜叉と共に去ろうとする。
「ま……待ってくれ!」
振り返る悪魔に向けて。洋介は沈痛な声を出す。
「せめて……別れだけは言わせくれ……」
勝手なことはわかっている。
けれどもう、会えないことは理解しているから。
洋介は、倒れ伏す夜叉の側へと行き。
「母さん……」
微かに反応はあったものの、返事はなかった。
面をそっと、外す。中の顔は、血の気はないものの紛れもなく、母親のそれで。
彼は振り絞るように、たった一言。
「ごめんな……」
それしか、言えなかった。何もしてやれなかった無念と後悔と。頬を伝う涙が、既に人では無くなった母の顔にかかる。
やがて白く冷え切った手が、洋介の頬に触れ。
それは哀しい最後の――母の手だった。
うなだれる洋介を見下ろして。クラウンは淡々とした様子で告げる。
「貴方の為に命を賭けた者たちがいた以上。這いつくばってでも、生きるのですね」
そして今度は倒れ伏す撃退士達へと向けて。
「今回は見逃しましょう。ただし、勘違いしないでください。見逃すのは、今のあなた方を殺す価値が無いと判断したからです」
星空の下。
道化の悪魔は、彼らから静かに背を向け。
「あなた方が人の子である以上、私たちとの争いはこの先無くなることはないでしょう。またこんな無様な姿を見せるなら――」
冷えた声音が、闇に響く。
「次は容赦しませんよ」
次の瞬間。
道化と夜叉の姿は、消えていた。
後に残るのは、血だまりの中倒れ伏す七人の撃退士と――
哀しい殺人犯の姿だけだった。
●宵闇の彼方
闇を歩く道化の背を、聞き慣れた声が呼び止める。
「クラウンは相変わらず手厳しいであるなー」
その声に、彼は振り向くことなく。
「ふふふ、私は期待しているのですよ」
「期待、であるか」
「ええ。この敗戦を経て、人の子がどう変わっていくのかをね」
「ふむーそう言うことであるか。我が輩ますます、楽しみであるよ」
クラウンは、愉快そうにうなずいて。
「ではジャムの所へ報告に行くとしましょう」
黒い無邪気さは、さらに深く、その濃さを増してゆく。
止められるのは――